日曜学校が終わり、昼食を済ませたエドはオランピアに連れて行かれ、彼女の相談に乗っていた。
「天使について?」
「はい。もっと詳しく知りたいんです」
オランピアが聞きたいことというのは、授業の内容ででてきた天使のことだった。
オランピアは天使の伝承が、自分の村で祀られていた《古代遺物》イシュタンティと何かしらつながりがあるのではないのかと思い、教会関係者であるエドに教えてもらおうとすぐに行動に移った。
「それなら、俺じゃなくてセリスでもよかったんじゃねぇか?」
「いえ、セリスさんはその……」
エドの返答にオランピアは言葉を詰まらせ、その場で俯いてしまう。
エドの言う通り、教会に所属していない彼よりも教会所属のシスターであるセリスの方が詳しいはずなのだが、どうしてかオランピアはセリスに聞こうとは思わなかった。
聞いたら負けだ、とオランピアは無意識にそんなことを考えていた。
エドは急に黙ってしまったオランピアに首を傾げるが、彼女の頼みを無視するわけにはいかないと相談に乗ることにした。
「まぁ、いい。天使についてなんだが、悪いけど、聖典にはそこまで詳しくは書かれていないんだ」
「そうなんですか?」
「あぁ。書かれているのはセリスが授業で言っていた内容だけだ。だから俺も詳しい内容は知らないんだ」
「そう、ですか」
オランピアは望んでいた答えを得られなかったことに内心がっかりする。
ここは諦めて、セリスに聞こうとするが、エドの話はまだ終わっていなかった。
「もしかしたら、外典の方に内容が書かれているかもしれぇな」
「外典?」
「七耀教会が公式には認めず、禁書としている書物だ。教会の上層部、おそらく《守護騎士》でも許可なく閲覧することはできないだろう」
「では、セリスさんも?」
「知らないだろうな。じっちゃんあたりだったら知ってるかもしれないがな」
結局、エドは期待に応えられなかったことを謝罪し、頭を下げたが、オランピアは首を横に振った。
ドォオオオオン!
「「!?」」
突如として爆音が轟き、二人は一斉にその音の方向に驚きのまなざしを向ける。
目を凝らすと、空に向かって黒い煙のようなものが舞い上がっていた。
二人は煙が立ち上がっている方へと急いで向かう。
向かった先にはすでに人だかりができていた。人だかりの中に入ると、そこには煙を出している車と、頭から血を流している男性に寄り添うセリスがいた。
男の容態を確認するために真剣な目つきで見つめるセリスの元にエドとオランピアが近づいた。
「セリス! 何があった?」
「事故だ。タイヤがパンクして、そのまま柵にぶつかったみてぇだ」
車の方に視線を向けると、セリスの言う通り、前輪の空気が抜けていて、形が崩れていることがわかる。
「そっちはどうなんだ?」
「こっちは大丈夫だ。頭から血は出てるけど、そこまでひどくはねぇ。アタシ一人でも充分治せる」
そう言って、セリスは再び治療に戻った。
「エドさん、私たちも何か……」
「そうだな」
エドは周りを見回しながら、何かやることがないかと考えていると、ラカンが彼に近づいてきた。
「エド君。すまないが、一つ頼まれてくれないか?」
「ラカンさん?」
「実は車のことなのだが、我々では手に負えなくてな」
「修理ですか? すみませんが、俺は修理なんてできませんよ」
「あぁ、いや。修理してほしいのではない。修理できる人を呼んできてほしいのだ」
「修理できる人?」
「ここから北西に進むとラクリマ湖と呼ばれる湖がある。そこで暮らしているご隠居が機械に強い人でな。その方をガイウスと共に連れてきてほしいのだ」
ご隠居。
その言葉にエドとオランピアは思わず、顔を見合わせる。
「馬は用意してある。どうかよろしく頼む」
~~~~~~~
パカラッ! パカラッ! パカラッ!
地面から響く蹄の音。
風と一体となってどこまでも続く大草原を駆け抜ける二頭の馬。
そのうちの先頭を走る黒い馬の背にはガイウスが乗っていた。
「エド殿、しっかり付いてこられてますか?」
ガイウスの後ろから付いてくる白い馬に乗るエドに呼びかける。
「大丈夫だ。昔、じっちゃんたちに教えてもらったからな」
多様の趣味を持っていた祖父オーバと上司グンターから馬の乗り方を教えてもらっていたエド。
彼は落とされないように手綱をしっかり握って馬を走らせていた。
「オランピア、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です」
一方、エドの後ろには、オランピアが吹き飛ばされないように彼の背中にしがみついていた。
昨日乗った車とは違い、オランピアは目を細めながら、風を全身で受け止めていた。
「エド殿、少しペースを上げます。このままだと日が暮れてしまいますので」
「わかった。オランピア、しっかり掴まってろ」
「は、はい!」
オランピアはエドの背中に頬をつけて強く抱きしめる。
それを確認したエドは馬の速度を上げる。
全身に強く打ちつける風を感じながら、エドたちは蒼穹の大地を駆け抜け、ラクリマ湖へと目指すのであった。
~~~~~~~
ラクリマ湖。
ノルドの北部に位置する大きな湖。
日が少し沈み、夕暮れ時にたどり着いたエドたちが最初に見たのは絶景の一言だった。
「綺麗……」
「ここが噂のご隠居が住んでいるところか……」
目の前に広がる景色にオランピアは感嘆の吐息を漏らす。
夕暮れの光が水面に反射し、琥曜石の如く輝く広い湖。
湖の先にあるのは力強く落ちる一本の滝とその後ろにそびえ立つ山々。
そして、湖の近くには木で作られた小屋が建てられていた。
「この時間帯なら、もう家に戻っていると思います。案内します」
ガイウスは二人を引き連れて小屋の方へと足を運ぶ。
道中、小屋の近くに建てられたガレージの中を覗き見たオランピアはエドを呼び止める。
「エドさん、あの車……」
オランピアが見たのは都会でもよく見かける導力車だった。
「間違いないな。あの車だ」
ガレージに止めてあった車は昨日、エドたちをノルドの村まで乗せてくれた導力車だった。
それを見てここに住んでいるご隠居というのは誰なのかエドたちは確証を得る。
「む?」
先頭で歩いていたガイウスが何かに気づき、突然、足を止める。
顔を上げ、小屋の方に強い視線を向けていた。
「どうした、ガイウス」
「小屋の中に気配が二つあります」
「二つ? 例のご隠居以外に誰かいるのか?」
「はい。ですが、ご隠居は一人暮らしのはずです」
「客人か何かか? こんな辺境の地に」
予想だにしていない二人目の存在にエドたちは困惑するが、ここで立ち止まっても仕方がない。
エドたちは小屋の入り口まで足を運び、ガイウスがドアをノックする。
ドン、ドン
「グエン老、ガイウスです。今、よろしいでしょうか?」
「おぉ~、その声はガイウスか!」
ドアの向こうから聞こえる元気そうな年老いの声。
その声はエドとオランピアの予想通りのものだった。
「あ~、ちょっと待っとれ。シャロンちゃん。お茶の用意を頼めるかの」
「かしこまりました。大旦那様」
年老いの声と一緒に中から聞こえたのは、若い女の声。
おそらく、ガイウスが言っていた二人目の声なのだろう。
エドたちはドアから少し離れると、ドアのノブがひとりでに動いた。
「ガイウス、よく来てくれたの。おぉ! お前さんらは昨日の」
「おう。昨日ぶりだな、じいさん」
「お邪魔します」
ドアが開いて中から出てきたのは、エドたちが昨日出会った白髪の老人だった。
「お前さんらも来ていたのか。あの赤毛の娘さんはいないようじゃが」
「セリスは村に残って、怪我人の治療中だ。ここには来ていない」
「怪我人じゃと?」
「グエン老。申し訳ないのですが、一緒に村まで来てもらえないでしょうか」
「うむ。事情は中で聞こう。入りなさい」
老人に誘われ、小屋の中へと入るエドたち三人。
年季の入ったレコードプレーヤー。
魚が描かれた東方風の絵画。
何種類もかけられた釣り竿。
かなりの小道具が集まっており、多様な趣味を持っているのが如実に伝わる。
「さぁ。そこに座りなさい。シャロンちゃん、儂も含めて四人分頼むわ」
「かしこまりました」
キッチンの方に視線を向けると、そこには茶の準備をしている一人のメイドが立っていた。
薄い紫髪のショートヘアー。
髪の色と同じ紫のワンピースとそれを纏う白のエプロンドレス。
背中に隠れてあまり見えないが、その手際に一切の乱れがなかった。
「んあ?」
「あの人は……」
エドとオランピアはどこか見覚えがある後ろ姿を凝視する。
「お待たせいたしました」
準備が終わったのか、メイドはおぼんの上に茶が入ったカップを乗せて、エドたちの方に振り向く。
「紹介するぞ。儂の実家で働いているメイドのシャロンちゃんじゃ」
「お初にお目にかかります。ラインフォルト家でメイドをしております。シャロン・クルーガーと申します」
茶を配り終え、エドたちにお辞儀をするメイド――シャロンは微笑みを浮かべながら挨拶を交わす。
「あなたはルーレで見かけた……」
「駅でサラリーマンたちの中にいたメイドだな。それにラインフォルト……。帝国にある重工業メーカーの『ラインフォルト社』のことだな」
ラインフォルト社。
エドの言う通り、エレボニア帝国のルーレ市に本拠を置く帝国最大の巨大重工業メーカー。
導力製品や、鉄道など数多くの分野に手をかけているが、元々は小さな武器工房ということもあり、古くから帝国という軍事国家を支えていた経緯を持ち、軍需関連の兵器開発事業が多く、帝国正規軍や各州の領邦軍といった多くの軍組織と契約を結んでいる。
「左様でございます。お二方に関しましてはお久しぶりです」
「なんじゃ? シャロンちゃん、二人と知り合いなのか?」
「ええ。すれ違っただけですが、とても印象に残っておりました」
そう言って、手を少し赤く染まった頬に当てながら、シャロンは言葉を続ける。
「そちらの殿方が、わたくしに熱い視線を送っておりましたので♥」
「ほお!」
「……エドさん?」
老人はニヤッと口角を上げながらエドに視線を送るのに対して、オランピアは目を据わらせながらエドを睨んでいた。
エドは二人の視線から逃げるようにシャロンの方に視線を向ける。
頬を赤く染め、まるで恋する乙女のような顔をしているが、口元に浮かぶサディズムな笑みをエドは見過ごさなかった。
「視線を送っていたのは認めるが、そんな視線は送っていない。そんなことよりもじいさん。さっき大旦那様って呼ばれていたよ。ラインフォルトの大旦那っていえば……」
「あぁ、そういえば、まだ名乗っておらんかったな。いかにも、ラインフォルト社の前会長、グエン・ラインフォルトじゃ。改めてよろしくの」
ウインクをしながら軽快に挨拶する老人――グエンの正体がかなりの大物人物であることに呆気を取られるエドとオランピア。
「グエン老。盛り上がっているところ申し訳ないのですが……」
「お~、そうじゃったの。怪我人が出たと言っておったが、儂に何の用じゃ?」
「じつは……」
その後、ガイウスは自分たちが来た経緯を丁寧に説明し、グエンはその話を徐々に真剣な表情に変えて耳を傾ける。
話が終わった後、グエンは頷いて席から立ちあがる。
「話はわかった。早速、工具を持って向かうとするかの」
「ありがとうございます」
「シャロンちゃん、おそらくあちらで泊まると思うのじゃが……」
「当然。お供します」
確認を取る前にシャロンは同行を進言する。
それを確認したグエンは早速、ガレージにある工具を取るために外へと向かう。
彼に続いてエドたちも外へと出る。
「まさか、こんなところでまた会うとはな……」
エドはそう独り言を呟きながら、後ろから付いてくるシャロンをこっそりと見る。
しかし、その眼光は鋭く、彼女の挙動を見逃さぬようじっくりと観察していた。
落ち着いた物腰に、淀みない足取り。
ラインフォルトという大企業に雇われているだけのことはあり、その姿は素人にはとても見えなかった。
(……潜入とかにはもってこいの逸材だな)
エドはその姿に感心するのではなく、逆に警戒心を強くしていた。
エドが思い出すのは、駅で視線を交わした時に感じた、身体を強張らせる冷たい悪寒。
(あの時、こいつが放ってきたあの視線。あれは間違いなく殺気だった)
周辺へと無差別にバラまくようなものではなく、一人の人間に集中して放つ殺気。
さらに言えば、そんな強い殺気を極限にまで薄くして、相手に悟られないようにしていた。
エドのような武人でも殺気をそこまで薄くするのは、そんな簡単なものではない。
それをまるで呼吸をするかのように簡単に放つことができるのは……
(暗殺者……、まさか《庭園》の刺客か?)
ターゲットに悟られないように密かに仕留める暗殺者には必須のスキルだ。
極めれば、達人クラスといえど気づくことができない。レグラムで出会った《庭園の主》のように。
そして、彼女が放った殺気はクロスベルで会った狂気の暗殺者――メルキオルに非常に酷似していた。
「エドさん」
エドが階段を降りている途中、隣で一緒に降りていたオランピアが彼を呼びかける。
振り向くと何かを訴えるように部屋で見せた据わった目でオランピアが見上げていた。
「エドさん、さっきからあのメイドさんのことを考えていますね」
「いや、そいつは……」
「やっぱり、あのメイドさんが好きなんですか?」
「だから、違うから! 列車の中で何度も説明したろ!」
まさか、まだ気にしているとは思わなかったエドは、慌てて弁明しようとする。
「なら、エドさんは女の人ならば誰だっていいのですか?」
「えっ、いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、どういう意味なのですか? エドさんにとって、私やセリスさんは都合のいい女だったのですか?」
「つごっ! ご、誤解をまねく言い方をするな!」
だが、オランピアからの怒涛の攻めにエドは狼狽え、押されっぱなしだった。
しかも、オランピアの顔はさっきから微動だにしておらず、妙に怖い。
どうやら、オランピアは早朝でのセリスのことや、シャロンのことで知らぬ間にストレスが溜まっていたようだ。
「では……」
だが、もはや我慢の限界だったのか、微動だにしなかった顔が歪み、涙目になりながらエドに怒鳴りかける。
「ではエドさんは、シャロンさんのような大人っぽい人がいいのですか?! セリスさんのような頼りになる人がいいのですか?! それともわたしのよう……、キャッ!?」
「オランピア!」
エドに意識を集中していたあまり、足元をおろそかにしてしまったオランピアは階段で躓いてしまう。
バランスを崩したオランピアはそのまま前のめりになり、エドは咄嗟に彼女の身体に腕を回す。
だが、対応が少し遅かったか、エドは体勢を立て直すことができず、彼も前のめりになってしまう。
エドはオランピアを自身の懐に持っていき、彼女を覆いつくす。
身体を丸めたエドはオランピアを抱えたまま、階段から転げ落ちた。
「エド殿!」
「お前さんら、大丈夫か?!」
地面に倒れ込むエドたちの下にガイウスたちはすぐさま駆け寄る。
「っ痛~、だ、大丈夫だ」
そこまで高いところから落ちなかったからか、エドは背中を強く打っただけで重傷は免れた。
「~~……ん?」
背中から来るかすかな痛みに耐えながら立ち上がろうとするエドだったが、自分の頬に伝わってくる柔らかい感触に気がついた。
視線をゆっくり横に向けて確認すると、オランピアの顔が超至近距離で映っており、彼女の唇がエドの頬に当たっていた。
オランピアは目を見開いたまま、石にでもなったかのようにまったく動かなかった。
「オ、オランピア?」
「……はっ!」
エドに呼ばれて、ようやく反応したオランピアはそそくさにエドから離れる。
口元を手で押さえて、火が吹き出るほど顔を赤くするオランピアは揺れ動く目でエドを見つめていた。
「今のは?」
「ほお」
「あら♪」
その一部始終を目撃した外野。
首を傾げる者。面白そうにニヤつく者。微笑む者など反応は様々だった。
「オランピア、大丈夫か?」
「っ! イ、イシュタンティ!」
オランピアの呼び声にすぐに現れたイシュタンティ。
イシュタンティの腕に慌てて乗るオランピアにエドは呼び止める。
「お、おいオランピア」
「す、すみません! 私は先に帰っています! それでは!」
エドの静止を振り切り、飛び去っていくオランピア。
何度も呼びかける彼だったが、彼女の耳には何も入ってこない。
いまだかつて感じたことがない胸の鼓動がうるさい。
跳ね上がるように動く心臓を必死に抑えるオランピアは何も考えることができなかった。