第四章、開幕です。
それでは、ご覧ください!
第六十九話 乙女の同盟
七耀暦1201年 カルバード共和国 7月15日
温泉。
それは地中から湧き出す温水。
人々は古来よりそれに魅せられ、自ら無防備な姿でその中に身を浸す。
その魅力には、如何なる存在も抗うのは難しいと言われている。
西ゼムリア大陸には二つの温泉卿が存在する。
一つはエレボニア帝国北東に位置する、ユミル。
そして、もう一つはカルバード共和国最東端に位置する、龍來。
現在、絶賛大陸各地で指名手配されている青年、エドワード・スヴェルトは龍來の温泉宿《碧山楼》で温泉に浸かり、長旅の疲れを癒して……
(……できるかっ!!)
いなかった。
いや、戦いでの傷は確かに癒されているだろう。温水が染み渡り、身体が癒されていると実感できる。
だが、心の方は全く癒されていなかった。そして、その原因は今、目の前に広がっている。
「どうした、エドよ。顔色が悪いようだが、のぼせてしまったか?」
「……違う。目の前のことでストレスが溜まってるだけだよ」
エドの隣に並んで温泉に浸っている、白髪の屈強な老人。
星杯騎士団、守護騎士第八位《咆天獅子》グンター・バルクホルンは、猫背になって目をどんよりとしていたエドの顔色を窺っていた。
「ハハハハハ。ま、このメンツが一堂に集まれば、そうなっちまうのもわからなくはないな」
エドの様子に何となく察したのは、グンターに並ぶ大柄な男。
遊撃士協会に所属し、《不動》の異名を持ったA級遊撃士――ジン・ヴァセックである。
「フフフ……、そう身を構えなくてもよい。お主を教会に引き渡すようなことはないから安心せい」
「えぇ。むしろ、あなたとこうして縁を作った方が我々にとっても利になりますから」
年齢にそぐわない鋭い視線を向ける、グンターとは違う小柄な老人と、その隣で笑みを崩さない紫髪の男は、エドを安心させようとしているが、まったく安心できない。
古くからカルバード共和国に存在する裏社会のトップ《黒月貿易公司》。
そのトップを務めるルウ家の長老――ギエン・ルウとその従者であるツァオ・リー。
裏社会を知っている人なら、この二人を知らない者はいないだろう。
「お二人とも、そう彼を追い込まずに。エドワード君。君のことはバルクホルン卿から大まかな事情は聞いているから、安心したまえ」
そんな二人を牽制し、エドに声をかける褐色肌の若き男性。
大陸中東部に位置するエルザイム公国。
そこの公王、サルマン・アスヴァールの息子――シェリド・アスヴァール公太子だ。
《黒月》とは別の意味で、緊張する相手だ。
「シェリド公太子の言う通りだ。それに君の祖父のオーバ殿にはいろいろと世話になっていたからね。表向きには協力できないが、何かあれば力を貸そう」
最後にそう言うのは、ふくよかな体型をしたちょび髭を生やした男性。
帝国の《鉄血宰相》ギリアス・オズボーンと真っ向から何度も渡り合っている、カルバード共和国の現大統領――サミュエル・ロックスミスである。
(何なんだよ、このメンツ……)
あまりにも豪勢すぎる顔ぶれにエドの胃はもはや限界寸前だった。そして、そんなメンバーを集めた隣の老人を恨めしそうに睨みつけるのだった。
「じっちゃん。こいつはいったい、どういう状況なわけ? 俺に話があるんじゃなかったっけ?」
「うむ。それもあるが、それとは別に《庭園》のことで今後の対策も取りたくてな。奴らと一番接触しているお主の意見が欲しいのだ」
「だからって、それを温泉でやるか? ぜんっぜん、俺の心が休まらないんだけど」
「ハハハ……、すまぬ。だが、お主とは久しく会っていなかったのだ。ここはじじぃのわがままを聞いてくれぬか?」
「……はぁ」
なんだかんだ二年もの間、彼を心配させたことに負い目を感じているのか、エドはため息をつくのだった。
「うむ。それでは話がまとまったことだし、本題に入るとしよう。後で、彼女にも詳細を説明しなければならないしな」
サミュエルが話題を切り出し、そこから《庭園》の対策会議が始まった。
(オランピアたちは……、まぁ、大丈夫か)
隣の湯で浸っている少女を心配するエドだったが、自分の状況よりははるかにマシだろうと会議の方に集中するのであった。
一方、女湯に浸っているオランピアはというと、
「それで、オランピアさんはいったい、いつエドワードさんのことを好きになったのですか?」
「やっぱり、クロスベルで助けてくれた時ですか?」
「え、え~~!」
十歳の少女二人に追い込まれているのであった。
温泉の熱気でほんのり頬を赤くしていた彼女の顔は、さらに赤く染まっていた。
「自分を狙ってくる刺客から命を懸けて守ってくれる騎士。女の人なら誰もが憧れる人ですね!」
「はい。もしツァオが私をそんな風に守ってくれたら……、きゃああああ~っ!」
何を想像しているのか、はしゃぎまくる少女たちの姿にオランピアはどうすればいいのか戸惑う。
年上として注意した方がいいのかとは思うが、いささか相手が悪すぎる。
一人は鮮やかなグレーの髪の少女。エルザイム公国の公女にして公太子シェリドの妹――ジータ・アスヴァール。
もう一人はエドと同じ綺麗な黒髪を伸ばした少女。《黒月》ルウ家の長老、ギエンの孫――アシェン・ルウ。
良い家柄だからか彼女たちは高い教養を持っており、十歳とは思えない少し大人びた雰囲気を持っているが、根っこの部分はどこにでもいる普通の女の子のようだ。
「それで、オランピアさんはエドワードさんにいつ告白するのですか?」
「こ、告白!?」
「あ! それとも、彼から告白してほしいのですか?! それも確かに憧れますね! アシェンさんもそう思いませんか?」
「ツァオが私に? ……だ、だめ! 想像できない~!」
乙女力全開の二人のペースについてこられず、オランピアはただおろおろするしかなかった。
「ったく、やれ公女、やれ令嬢っていうけど、まだまだガキだな」
「でも、見ていて和みますね~」
そんな三人のやり取りを遠くから見物していたセリスはやれやれと微笑していた。
それに対して、そばかすが特徴的な女性――エスメレー・アーチェットは今も楽しく談笑している三人をセリスと一緒に眺めていた。
「ところであなたはどうなの? たしかエド君だったかしら? 昔、付き合っていたんでしょ?」
「ぶぅっ!」
突然の問いに息を吐きだしてしまったセリス。すると、オランピアに負けないくらい、顔を真っ赤にしてエスメレーに反発する。
「な、な、な、何でっ?!」
「あら、当たってた? 二人の雰囲気からまさかなぁと思っていたけど……」
「は、謀りやがったな?!」
「ふふふ……、あなたの方はどう思いますか? ナージェさん?」
「……いえ、自分には殿下たちの護衛がありますので、そういった色恋に現を抜かすわけにはまいりません」
エスメレーの振り出しに、真面目に答える褐色肌の女性。エルザイム公国の公王家護衛官――ナージェ・ベルカである。
「エスメレー。あまり人様のプライベートを弄るものではありませんよ」
「あ、そうですね、博士。セリスさん、ごめんなさいね」
「いや、別にいいけどよ」
セリスはエスメレーの謝罪を受け取り、彼女に注意を呼び掛けた女性に視線を向ける。
中東系の顔立ちをした穏やかな物腰を持った老婆。
ゼムリア大陸各地で普及している導力を用いた機械の実用化を成功し、後に「導力革命」をもたらした、クロード・エプスタインの三人の弟子の一人――ラトーヤ・ハミルトン博士だ。
「セリスさん、うちの子がごめんなさいね。この子も悪気があったわけではありませんから」
「い、いいですよ。気にしていませんから。そ、それより、あっちの方はもう話し合いが始まってるんですかね?」
「《庭園》の対策会議ですか」
ナージェが深刻そうな表情で柵の向こうにある男湯の方に視線を向ける。自身の主が上手くやっているのか、心配しているようだった。
「ん~。でも、わざわざ温泉でする必要があるのでしょうか? 別に部屋を取ってそこでやればいいと思うんですけど……」
「そうだな。先生もそれが目的で集めたからな。なのに、ここにいる博士を除け者にするのもおかしな話だよな」
「いいえ。会議の件は私の方からお願いしたんです」
「え、博士からですか?」
意外な提案者に目を丸くするエスメレー。それに頷き、少し重そうな表情で理由を語る。
「その組織の前身が例の教団だと聞いて、私は会議が終わった後、こっそり教えてもらうことにしたんです。ここには今、あの子がいますから」
「あ……」
エスメレーは心当たりがあったのか、小さく声をこぼした。
「あの子?」
「私のもう一人の弟子です。今日はその子とエスメレーの三人でここに来ました。今回の件はできれば、あの子には気づかれないようにしたいのです」
「そうだったんですか。ん~~、ヤン兄さんがいれば良かったんだけど。学会の準備で忙しいから、来なかったし。いつか皆で行きたいですね、博士」
「ええ。そうですね」
家族のように楽しく談笑する二人。その二人の様子にセリスはこれ以上の追求を控え、ゆっくりと温泉に浸かるのだった。
~~~~~
温泉での会議が終わったエドたちは、それぞれの時間を過ごすことになった。
「あぁ~。やっと解放されたぜぇ~」
そんな気だるい声で身体を伸ばすエドは、作務衣を身に纏いながら、宿屋の休憩スペースにあるソファーに身体を預けていた。
「ったく、じっちゃんめ。二年経っても変わらないなぁ」
そう愚痴をこぼすエドだったが、久しぶりに会えたことに内心は嬉しく思っていた。
「それにしても、俺に用があるって言ってたが……」
エドは《庭園の主》の手がかりを探すため、彼が使う《崑崙流》の筆頭伝承者であるグンターを探していた。
だが、グンターは誰にも言わずに舟を降りて、そのから約三ヶ月間、行方不明になっていた。
それがある日、彼の居場所がわかったエドは、セリスが所有するメルカバに乗り、龍來へと向かった。
到着後、グンターに会うことができたエドは、その後、サミュエルといった、カルバード共和国を代表する著名人らと邂逅を果たし、今に至るというわけだ。
「二人だけで話したいことって何だ?」
エドに話があると言って、彼を呼びつけたグンター。早速、話を聞こうとエドはグンターを訊ねたのだが――、
『すまぬ。できれば、誰にも聞かれずに二人だけで話がしたい。予定が空いたら、こっちから呼びつける』
と言い残し、グンターはエドの元から離れたのだ。
「ご、ごめんって! 許してよ、お祖母ちゃん!」
「ん?」
天井を見上げて、放心していたエドは後ろからの大声に、顔をそちらへと振り向く。
「まったく、そんなんで、アタシらの跡を継げるって思ってんのかい?」
「で、でも、一応、成功したんだから、け、結果オーライ、じゃないかしら?」
「最後の最後で、川に突っ込んじまったことに目を瞑ればね」
「う……」
オレンジ色の髪をした豪快な老婆が、同じ髪の女性に何やら説教をしていた。話の感じから、祖母と孫の間柄なのだろう。
「はぁ……、両立が難しいのは、最初からわかってただろう。アンタにはまだ根性が足りないんだよ。ちょうど、近くに滝が流れているみたいだから、そこでその腑抜けた根性を叩き直してきな!」
「ちょっ、滝ってもしかして、《龍來瀑布》のこと! あたし、普通に死んじゃうと思うんだけど?!」
(……滝行って、素人じゃ耐えきれないような……)
祖母はおそらく、滝行を薦めているのだろう。それを察したエドは彼女の悲鳴を聞きながら、深い同情を覚えてしまった。
「あ、いました。エドさん!」
「ん?」
憐れみな目を向けていたエドにオランピアが近づいてきた。
彼女もエドと同じく、温泉に上がり、作務衣を着ていた。
「どうした、オランピア。俺に何か用か?」
「は、はい。え~と……」
オランピアは顔を少し赤くしその場で縮こまってしまった。
そっと、エドに気づかれないように、隣のソファーに視線を向ける。
ソファーの後ろに隠れて、キラキラした目でこちらを見てくる二人の少女。
まるでその後の展開を期待しているかのように、オランピアに強いプレッシャーを与えていた。
「そ、その、明日、エドさんの予定は空いてますか?」
「予定? いや、これといってないから、外でぶらぶらしようと思っているんだが……」
「そ、そうですかっ」
エドの返答にほっとするオランピア。そこからしばらく黙ってしまったが、何かを決心したのか、顔をエドに向ける。
「そ、それじゃあ、明日、私と一緒に、で、デー……」
「で?」
「で……、で、出かけませんか!?」
「…………え?」
オランピアの申し出に固まってしまうエド。当のオランピアも顔を真っ赤にして俯いていた。
なぜ、こんなことになったのか。
オランピアはつい数時間前までのことを思い出すのであった。
~~~~~
「オランピアさん。このままではいけないと思います」
作務衣に着替え終えたオランピアはジータとアシェンに手を引っ張られ、部屋に連行された。
連れ込まれた後の第一声にオランピアは混乱一色だった。
「な、何がいけないのでしょうか?」
「エドワードさんとの関係をこのままにしていいのか、ということです」
「か、関係、ですか?」
「オランピアさんと彼って、見た感じ恋人っていうより、どちらかというと兄妹っていう感じですね」
「う……」
アシェンの言葉に苦い顔をしてしまうオランピア。実際のところ、彼女自身もそう思っていたからだ。
「それにセリスさんだっけ。あの人って、元々は彼の恋人だったんですよね。今の彼は複雑な立場にあるので進展はないみたいだけど、彼が自由の身になったら、そのまま、よりを戻すってこともあるかもしれませんよ?」
「そ、それは……」
オランピアはいつしかのメルカバでの夜を思い出す。
エドにセリスとよりを戻さないかと聞いた時、彼は「今はない」と答えていた。
「ですから、ここで少しでも彼との距離感を近づけるべきなんだと思うんです」
「ここは観光地としても有名だから、デートには打ってつけですしね」
「で、でででで、デート、ですか?!!」
オランピアは呂律が回らないほど動揺してしまった。
ノルドのある一件からエドに対する想いを自覚することができたオランピア。
十二歳の彼女は当然、デートというのがどういうものか知っている。
もちろん、彼とそうしたいと思っているが、自覚したばかりなのか、まだ心の整理がつかない。
そして、いまだに戸惑いを見せる彼女にジータたちはさらに追い込む。
「このままだと、セリスさんに持ってかれてしまいますよ! それでいいのですか、オランピアさん!」
「きっと、あの人もこれをチャンスにデートを持ち込むかもしれません! その前にこっちから先手をとりましょう!」
「え、えっと、でも、どうすれば……」
「デートを申し込むのです。彼女よりも早く。いえ、今から行きましょう!」
「い、今っ?!」
さすがに無理だと、断ろうとするも年下の少女の猛攻に遮られる。
「大丈夫です。私たちも陰ながらサポートいたしますから!」
「私もここには何度も来てますから、いい場所とか知っていますから!」
「あ、あぅ……」
もはや年上の威厳など皆無だった。オランピアは諦め、こくっと静かに頷くしかなかった。
「それでは、オランピアさんとエドワードさんのデートを成功するため、乙女の共同戦線を張ります! 頑張りますよ!」
「おっーー!」
「お、おー……」
かくして、チームオランピアがここに結成するのであった。