《皇帝》との死闘を終え、崩落する《イシュガル山脈》から何とか脱出に成功したエドたちはそのまま龍來へと戻っていった。
宿の前で迎えに来てくれたグンターたちと合流した一行は事態を無事に収拾したことを報告する。
大気の気温が徐々に下がり続けていることを確認した各勢力は事態の後処理へと行動に移した。
遊撃士協会はサミュエルが応援として連れてきた軍の支給品を街の人たちに送り、彼らの介抱、警護についた。
《黒月》もまた本部があるラングポートから凶手を含めた手練れを招集していた。現在はツァオの指揮の下、街中に展開し、潜んでいる《庭園》の刺客を探索していた。
エルザイム公国の者たちは、宿内に待機し、遊撃士と共に住民たちの介抱と、宿内に潜む刺客を探索しつつ、緊急の会議に参加する各勢力のVIPたちの護衛に回る。
グンターとセリスは外部から応援として来てくれた星杯騎士の《守護騎士》リオン・バルタザールと合流。少しでも気温を下げようと沸騰が収まった川へと向かって行った。リオンが持つ《聖痕》はセリスとは正反対の氷結の力を用いており、それを使い水温を少しでも下げようと試みるのだった。
ラトーヤたちは猛暑で故障してしまった導力器の修復に取りかかるため、バーゼルから技術者たちを呼び寄せ、復旧作業に取りかかっていた。
そして、今回の事件を解決したエドとオランピアはというと、
「あ~~、生き返る~~」
辺りが夜に静まり、誰もいない温泉に一人で浸かっていたエドは、ゆっくりと身体を癒やしていた。
後処理を手伝おうとしていたエドたちだったが、《庭園》との長い戦いの連続で身体が疲れているだろうとグンターが拒否し、休むように言われたのだ。
最初の方は問題ないと手伝おうとしたのだが、その後にサミュエルたちからも言われ、仕方なく休むことになったのだ。
「しっかし、温泉はいいな。骨の芯まで伝わってくるぜ」
温水の気持ちよさに思わずだらけてしまうエド。グンターの見立て通り、知らぬうちにエドの身体は疲労で溜まっていたようだ。
「オランピアも今は自由時間だって言うけど、今頃、公女様方に引っ張られているのかね」
この龍來に着いてから、何かと一緒に行動するところ目撃しているエドはそんな憶測をたち、温泉に身体を委ねるのだった。
……ガラ
「ん?」
エドは仕切りの向こう側から聞こえた音に反応する。
どうやら、誰かが女湯に入ってきたようだ。
一人しかいないせいか音がなく、仕切りの向こう側からの音がはっきりと聞こえてくる。
(って、何考えてんだ)
エドは脳裏によぎった煩悩を断ち、そのまま温泉に浸かり続ける。
そんなことをしている間に、女湯の方から誰かが温泉に入る音が聞こえてきた。
「はぁ……、温かい」
(今の声は……)
「……オランピアか?」
「え? エドさん?」
聞こえてきた声にエドはつい声をかけ、オランピアは驚きながら仕切りの方へと視線を向ける。
「やっぱりお前だったか」
「は、はい。エドさんも温泉にいたんですか?」
「あぁ。じっちゃんのせいでやることがないからな。誰もいないこの温泉を今は独り占めしている状態だ」
「わ、私の方も一人です」
「つまり、二人で貸し切りか。ゆっくり休めるし、幸先がいいな」
「そ、そうですね」
少し緊張気味な声でオランピアは同意する。仕切りがあるとはいえ、湯着の状態で二人きりになっていることに心臓の音が激しくなる。
「そういや、お嬢様方はどうしたんだ? てっきり、三人で来ると思っていたんだが」
「えっと、シェリド殿下とツァオさんたちのお手伝いをしにいくから、一人で行ってくださいと言われまして」
二人は知らない。今、この温泉が貸し切り状態になっていることを。
二人は知らない。とある二人のお姫様がエドたちをしっかり休ませるようにと言って、誰も入らないように手を回していることを。
「そういえば、シズナさんはどうしたんですか? 気づいた時にはもういませんでしたが……」
「帰ったんだろう。何だかんだ言っても、あいつらは猟兵。ミラを払わなきゃ動かねぇからな」
シズナたち《斑鳩》は事後処理に参加しておらず、すでに撤退していた。サミュエルが彼女たちに出した依頼は事態の収拾だけであり、その後の事後処理は別料金だった。
「……そういえば、エドさん。シズナさんの胸に顔を埋めていましたね」
「いや、それは……」
「男の人って、そんなに胸が好きなんですか?」
オランピアは突如、冷めた声でエドに帰りでのことを問い詰めていた。
山脈の崩壊から脱出し、地面に降り立った後、エドの下へとオランピアとセリスが問い詰めてきたのだ。
理由は簡単。脱出時に見たエドとシズナの姿についてだ。
エドは何とか落ち着かせようと努力したが、結果はむなしく、二人から渾身のストレートをプレゼントされた。
「何度も言うが、あれは事故だ。あいつが引っ張ってきて、たまたま、ああなったんだ」
「わかっています。ですが、それとこれとは話が別です。その……、女性の胸に埋まるなんて、普通なら死刑ものです」
「死刑?! いや、それは言い過ぎじゃねぇか?」
「女にとってはそれだけ重要なんです」
有無を言わせないオランピアの態度に困り果てるエド。
不機嫌な態度を隠せなかったオランピアだったが、突如、口に手を当てて小さく笑い声を上げ始めた。
「ど、どうしたんだよ、急に笑って」
「す、すみません。何だか久しぶりだなと思いまして」
「久しぶり?」
「はい。こうやって二人だけでお話をするのは、すごく久しぶりです」
「……まぁ、そうだな」
二人が最後にこんな他愛もない話をしたのはレグラムに滞在していた以来だ。
その後、セリスが加わり、彼女も含んでの会話が多くなった。もちろん二人きりになることもあったが、話す内容は重い内容ばかりだった。
だから、こんなふうにありふれた当たり障りのない話をするのは、本当に久しぶりなのだとオランピアは思いふけっていた。
「エドさんと一緒に旅をして、まだ半年も経っていませんのに、もう遠い過去のように思います」
「そうだな。これまでのことがいろいろと濃い内容だったからな」
二人が初めて出会ったクロスベル。
最初は殺し合いから始まった二人。そこから二人の長い旅が始まったのだ。
「イリアさんの名前を聞いた時のはしゃぎようは今でも覚えてるよ」
「そ、それは忘れてください! で、できれば、村で踊っていたことも」
「無理だな。あんな堂々と踊られたらな」
「うぅ~~」
次に訪れたのはリベール。その街に住む暖かな人々に迎えられ、友を、絆を作り上げた。
「エドさん。クローゼさんから聞いたのですが、テレサ先生のことを時々、マザーと呼んでいたんですね」
「いや、福音施設で育てられたからよ、つい、反射的に……」
「ふふふ……、そういうことにしておきます」
「お前……、さっきの仕返しか?」
エレボニアでは、驚きと再会の連続だった。
「まさか、セリスが来るとは思わなかったぜ」
「私は屋根が吹き飛んだことがいまだに信じられません」
「そ、そうか。……まぁ、でもあれには驚かされたな」
「そうですね。私もあそこまでひどいというか、すごい人を見たことありません」
「俺もだ。あそこまでやらかしというかドジを踏む奴は見たことなかったな」
「やっぱり、エドさんもそう思いますか?」
「あぁ。マジですごかったな」
「「デュバリィ(さん)のポンコツぶりは」」
ノルド高原では二百年の強い想いを見せつけられた。
「ローゼリアさん……。彼女とあの人の想いはすごく眩しかったです」
「そうだな……。あれこそが"愛"ってやつなんだろうな」
「"愛"……ですか……」
「? どうした、急に黙って」
「い、いえ、何でもありません!」
《庭園》との戦いの間で訪れた街、出会った人たちを思い浮かべながら、思い出話に花を咲かせる二人。
満天に広がる星空を眺め、長く、ゆったりとした時間を過ごしていく。
「こんな日々を過ごせるなんて、昔はまったく思っていませんでした」
両親を目の前で殺され、心を失い、暗殺者としての道を進んできたオランピア。
当時はこのような時間を過ごせるなど思ってもいなかった。
だが、エドとであったことで全てが変わった。
見たことも聞いたこともない景色に感銘を受けた。
たくさんの人と言葉を交わして縁を結んだ。
そして、一人の男性に恋をするようになった。
「この時間がずっと続いたらな……」
思わず、ボソッと呟いてしまうオランピア。
無意識に言ってしまうほど、今の彼女の心は十分に満たされていたのだ。
「オランピア。何か言ったか?」
「あ……、い、いえ、何も言っていません」
小声な上に仕切り越しだったおかげか、オランピアは自身の本音が届かなかったことにほっとすると同時に少し残念に思ってしまう。
だが、彼とこれからも一緒にいたいというのも本当だ。この胸に抱く想いを彼に受け止めてほしい。
そして、それを届ける方法は――、
「……あの、エドさん」
「何だ?」
知らずしらずのうちにオランピアの口が開く。
「この後、お時間は空いていますか?」
「あぁ? これといって予定はないが……」
「そ、そうですか。では、夕飯が終わったら、旧道場に来てください」
「え?」
「話したいことがあるんです。できれば、二人だけで」
オランピアは声が少し上擦りながらも、必死に言葉を投げる。
オランピアのお願いに対してエドは、
「わかった」
「い、いいんですか!」
「別にいいよ。これといって予定はないからな」
エドの返事に驚きながらも、嬉しそうに声を弾ませた。
「さて、そんじゃあ、俺は先に出ている。またな」
それを最後にエドは温泉から出ていった。
一方、オランピアは先程までのやり取りを頭の中で何度も繰り返し、思考を巡らせる。
(い、言っちゃった~~! ど、ど、ど、どうしたらいいの~~!!)
両手を頬に当てて、頭を揺らすオランピアは顔を真っ赤にする。
ほとんど無意識に言ってしまったことに遅まきながら気づくオランピアだったが、もう後戻りはできない。
「と、とにかく! に、入念に洗っておきましょう! えぇ! そうしましょう!」
一人で盛り上がっているオランピアは、想い人を待たせぬよう、すばやく、されど丁寧に準備をするのだった。
~~~~~
夕食を終えたオランピアは自室に戻り、鏡に写る自分をじっくりと見ていた。
服装はいつも着ている白のワンピース。上には黄色のコートを羽織り、手首には鈴が付いたネックレスをつける。
靴は星の絵柄が付いたブーツサンダル。そして、首には彼がプレゼントしてくれた同じく星の絵柄がついたチョーカーが巻かれていた。
「……よし!」
身だしなみを整えたオランピアは、最後に小太刀とオーブメントを懐に収めて、部屋を出る。
「今の時間は……。うん、まだ大丈夫」
オランピアはエドが夕食後に教えてくれた時間帯と今の時間を比べ、まだ余裕があることを確認する。
ちなみにシーダとアシェンにはこのことは伝えていない。
いろいろと手助けしてくれたが、やはり最後は自分一人の力で何とかしたいとあえて何も教えなかったのだ。
(いけない。一歩進むたびに緊張が……)
オランピアは今、人生で一番強い緊張感に包まれていた。
これから先にあるのは一世一代の告白。大好きな彼に自分の想いをぶつける大勝負だ。
もしかしたら彼と想いが通じ合えるかもしれないと思ってしまい、実は今、自分は夢の中にいるのではないのかと何度も思ってしまう。
(も、もし、成功したら、私は……)
「お姉ちゃん?」
「え?」
一人で煩悩しているオランピアに向かって声をかける少女がこちらに近づく。
その少女にオランピアは見覚えがあった。
「たしか、エントランスで会った……」
《イシュガル山脈》に向かう前にエントランスで話した紫髪の少女だった。
「あれから大丈夫だった?」
「うん。お兄ちゃんたちと一緒にいたから」
「そう。お兄さんは?」
「お父さんたちのところ。お姉ちゃんはどうしたの?」
「私? 私はこれから少し外に用事があるの」
「そうなんだ」
「うん。それじゃあ、私は行くね。また、明日」
オランピアは少女に手を振り、入り口へと向かう。そんな彼女の後ろ姿を見た少女は顔を下に落とし、ボソッと呟く。
「……ごめん」
「え?」
いきなり謝られたことにオランピアは少女の方に視線を戻す。
しかし、オランピアの視線の先にあったのは少女ではなく、影から出てきた、大きな黒い手。
放心してしまったオランピアは抵抗する暇もなく、黒い手に包まれてしまった。