八葉一刀流の開祖にして、エドの剣術においての師匠、《剣仙》ユン・カーファイ。
世界各地を放浪している彼の行方は、直弟子であるエドを含めた他の剣聖たちでも掴むことができず、何を目的に放浪しているのかも一切わかっていない。
そんな師との突然の再会に驚きを隠せなかったエドだったが、目の前の師が本物であるとわかり、少しずつ現実を受け入れていく。
落ち着きを取り戻したエドは、自分がなぜ気を失っていたのか、鮮明に思い出す。
自分はオランピアを助けるために飛空艇に乗り込もうとした。
だが、メルキオルに見つかり、斬られて、そのまま落とされてしまったのだ。
あの時、死を覚悟していたエドだったが、胸の切り傷以外には特に致命傷のようなものは見当たらなかった。
どうして無事に済んだのかと疑問を浮かべる。
ユンは落ち着いた物腰で用意した茶を酌み、エドにその時の状況を説明する。
飛行艇から落とされたエドはあの後、地上に落下していったが、落下地点にはちょうど川が流れていたのだ。
運よく川がクッションになってくれたおかげでエドは死ぬことはなかったが、落ちた衝撃と斬られた傷の痛みに、そのまま気を失ってしまったのだ。
下流に流される途中で岩に引っかかり、ユンがそれを偶然、発見して救出されたとのことだ。
「そう、ですか……。老師、ありがとうございます」
「気にするな。お主のことは二年前の事件から心配していたのでな。無事に生きていて何よりだ」
感謝するエドに対し、何でもないと陽気な表情を向けるユン。
数年ぶりに出会った師の変わらない姿にエドはほっと一安心する。
「それでお主はなぜ、川などに流さておった。おまけに昨日辺りじゃろうか、胸に切り傷がついていたのじゃが?」
「それは……」
エドは顔を下にして、その表情を歪ませる。
だが、師の問いかけを無視することができなかったエドは、今まであったことを順当に説明する。
クロスベルでオランピアと出会ったこと。
オランピアと自分の命を狙ってくる《庭園》という組織のこと。
その組織が二年前の自分の冤罪事件に深く関わっていること。
そして、昨日、その組織にオランピアが連れ去られてしまったこと。
「……っ、クソォ!!」
話を終えたエドは我慢の限界だったか、握った拳を地面に叩きつける。
自身の不甲斐なさと未熟さに怒りを抱けずにはいられなかったのだ。
「なるほど、事情はわかった。その娘の行方についてはこちらの方で何とかしよう」
「っ! できるのですか!」
「昔のツテを使えばの。時間はかかるじゃろうが、奴らが言っていた新月の日までには間に合うじゃろう」
静観していたユンの言葉にエドはほっと強く息をこぼした。
オランピアの行方につながるものが何もなかったエドにとっては僥倖ともいえることだった。
「それで? お主はこれからどうするのじゃ?」
「決まっています。こんなところで油を売っているわけにはいきません。すぐにでもあいつの行方を探し出さねぇと……」
エドは足を揺らしながらも、重い身体を何とか持ち上げる。
ユンの知り合いに任せて、自分だけ何もしないという選択は彼にはなかった。
「残念じゃが、それはならん。お主はここにいろ」
だが、そんな彼をユンが止める。
「ユン老師?」
「お主は病み上がりじゃ。まずは今日一日、しっかりと身体を休め」
「ですが、一刻も早く、オランピアを」
「その娘については我々の方で何とかする。お主は何もしなくてよい」
「しかしっ!」
「そして、娘の救出は儂らだけで対処する。お主は参加するな」
「…………え」
一瞬、何を言ったのか、わからず、間の抜けた声を出してしまうエド。
だが、すぐに気を取り直して、ユンに問いかける。
「それは……どういうことですか?」
「言葉通りの意味じゃ。お主は何もせんでいい。彼女の捜索も救出も全て、儂らでやる。お主は何もしずにじっと待っておれ」
「なっ……、ま、待ってください、老師!」
聞き間違いではなかったとわかり、エドは焦った声でユンに迫る。
「それはあれですか? 俺は言葉通り、オランピアを探すことも、助けることもするなってことなのですか?!」
「そう言っている。お主がいてはかえって邪魔になるだけじゃ。大人しく、ここでじっと待っとれ」
「っっ!! ふざけるな!!」
冷ややかな視線で告げるユンに対してエドは声を荒げる。師の口から出てきた言葉はとても受け入れがたいことだったからだ。
「俺は、あいつと約束したんだ! 絶対に守るって! 自由にさせるって! あいつは今、いつ殺されたっておかしくねぇ状況にたたされているんだ! そんなあいつを放っておいて、俺は何もしないで、ここで待っていろってあんたは言うのか!」
「そうじゃ。仮に行ったとしても、今のお主では無駄死にするだけじゃ。それにこれは病み上がりだからとか、足手纏いという意味で言っているのではない。今のお主が介入すれば、その娘の命は助からんから言っているのじゃ」
「どういう意味だ!」
口調がどんどん荒くなり、師に向かって本気の殺気をぶつけるエド。
普通なら萎縮してもおかしくないものだが、ユンは彼の殺気を正面から受けても顔色をまったく変えなかった。
「お主の言葉に嘘はないのじゃろう。本気でその娘を心配して、助けたいと思っておる」
「当たり前だ!」
「じゃが、心の奥では違う。どれだけ言葉を並べても、お主の中に眠っている激情は何も変わっておらん」
「どういう意味だって言ってるんだよ!」
怒りの表情を隠そうとしない弟子の姿に深くため息をつくユンは、ドスの利いた声で告げる。
「お主、本当はその娘が死ぬことを望んでいるのではないのか?」
空気が凍った。
まるで時が止まったかのような感覚がエドを襲う。
目の前で刃のように鋭い目つきで見つめてくる師の言葉に、エドは理解が追い付けずにいた。
そんな彼の様子を無視して、ユンはそのまま話を続ける。
その目は彼の心を見透かすかのようにじっと彼の目を見つめ続ける。
「お主は口では助けたいなどとほざいておるが、お主の本心はその真逆。その娘が死ぬことをどこかで望んでおる」
「そ、そんなわけ……」
「そうじゃな。お主にその自覚はない。いや、目を逸らし続けているのじゃ、無意識にな。今までは何とかしのいでいたようじゃが、今後もそれが続くとは限らん。それこそ、助けに行った時に、それが表に出るかもしれん」
「ち、違う。俺は目を逸らしてなんて……」
「なら、なぜお主の剣は折れた?」
「え、どうして剣のことを……」
ユンにはそのことについて、一言も言っていない。なのになぜ――、
「シズナから聞いた。儂が昔、何をやっていたのか、知っているじゃろう」
「あ……」
何かを思い出したのか、間の抜けた声を漏らすエドに忘れていたのかとユンは呆れながらも話を続ける。
「《庭園の主》だったか? その者の実力は確かに強いのじゃろう。ヴィクター卿、そして、あの《鋼の聖女》とやり合える程にな。じゃが、お主の実力なら、一方的にやられることも、ましや剣を折られるなんてこともないはずじゃ」
「そんなの過大評価だ。俺はそこまで強くは……」
「いや、お主の実力ならば、その者と対等に渡り合える。お主は気づかぬうちに自分の力を抑えているのじゃよ。……その娘が少しでも死ねるようにな」
次々と師から出てくる受け入れがたい言葉。必死に反論しようとするエドだったが、口を開くだけで、上手く言葉が出ない。それが師の言葉が真実であると裏付けていると悟ってしまい、エドは汗を流してしまう。
「お主はその娘に対して、何かを抱いているのじゃろう。死んでほしいと思うくらいの何かをな。儂はその娘のことは知らんが、お主のことはよく知っておる。じゃから、それが何なのかを推測するのは容易い。エド、その娘は――」
ユンは言葉が止まった。
先程まで、固まっていたエドが拳を放ってきたのだ。
鬼のような険相で飛び込んでくる彼に対して、ユンは――、
「がはっ!」
拳を上に流して、そのまま後ろに放り投げた。
受け身が間に合わず、背中から倒れたエドは息を吐きだしてしまう。
だが、エドはすぐに立ち上がり、再びユンに突っこむ。
「遅い」
いつの間にか懐に接近し、エドの腹に拳を打つユン。
腹を抑えて、その場で蹲るエドを見て、ユンの目は失望の色に染まっていた。
「剣聖にはほど遠い、なんとも雑な一撃。今のお主はリィンにも劣るの」
「コホッ……、コホッ……、っ! ダァアア!!」
自分を見下ろしてくるユンに再び、襲うエド。
だが、その攻撃はいとも容易く弾き返される。
「そんな我武者羅な攻撃が通用すると思っておるのか?!」
「グッ!」
ユンの一撃を間一髪で受け止めるエド。
だが、すぐに受け止めた腕を掴み、自分に引き寄せる。
ガラ空きになっていたエドの懐に膝を容赦なく打つ。
体勢を崩してしまったエドは、すぐに立ち上がろうとする。
「ふんっ!」
「ガハッ!」
そこにユンの蹴りが彼の顎を捉える。
顎からくる一撃に脳が揺れ、エドの意識が昏倒し、そのまま地面に倒れる。
「アァ……、グゥウウ……」
「言ったじゃろう。病み上がりだから休めと。それなのに、いきなり殴りかかりおって」
「う、うぅぅ……」
震えておぼつかない足で何とか立とうとするエド。
ユンを睨むその目には、まだ諦観はなかった。
「指摘された瞬間、それを言わせないようにするその行動。それがお主が目を逸らし続けている証拠じゃ。今回のようなことは今まであったのではないか?」
ユンの指摘にエドは黙ってしまう。
龍來で出会った《皇帝》の時、何かを語ろうとした瞬間、剣で斬りかかった。
それ以外では、セリスとシズナが指摘しようとした時に、声を低くして黙らせたことがあった。
「心当たりがあるようじゃの」
心を見透かすような目でユンは睨む。
「エド。もしも、お主が本気で娘を助けたいと願うなら、まずは己の心と向き合わなくてはならん。それができぬ限り、お主を戦場に行かせることはできん」
「なん……だと……っ!」
「今のお主は危険じゃ。下手なことをすれば、娘の命だけでは済まされんかもしれん。次の新月の日まで、もう一週間は切っておる。それまでに儂に一太刀を与えたら、後は好きにするといい。じゃから……」
ブンッと音を鳴らし、ユンがその場から姿を消す。
どこに行ったのかと探そうとするエドだったが、突如、後ろから強い衝撃が襲いかかる。
「今日はゆっくり休め、バカ弟子」
後ろから聞こえる師の声を最後にエドはゆっくりと地面に倒れてしまった。
「ふぅ……、まったく、世話が焼けるの」
ユンは地面に倒れる弟子にため息をつき、彼を寝床まで持っていく。
疲れが溜まっていたのか、起きる気配はない。
眉間に皺を寄せながら眠るその姿をユンはじっと見下ろしていた。
「
それを最後にユンは眠るエドから離れて、各方面に連絡をとろうと動き出した。