錆びた金属同士の摩擦音が寂しく鳴る。
ドアノブを捻って、エルピス邸に入るイクスたちは、メルキオルの指示でオランピアを中に招き入れた。
「ここがアンタの泊まり場所だ」
「次の新月が来るまで、ここで過ごすことになるから」
イクスたちが淡々とそう説明するが、オランピアの耳には二人の言葉など届いていなかった。
どこか物思いにふけた眼差しで、家の中を見渡すオランピア。
その目には懐かしみと悲しみが入り混じっており、オランピアは上手く言葉が引き出せずにいた。
「……何も変わっていないなぁ」
ようやく出てきたのは、そんな一言だけ。
この家での最後の記憶。
あの日の夜、両親が珍しく、一緒に寝ようと誘われ、そのまま、三人で川の字になって寝た。
そして、その次の日に私はイシュタンティの生贄に選ばれ、あの悲劇が起きた。
あの時、どうして二人があんなことを言ったのかわからなかったが、今ならわかる。
「……」
押し黙るオランピアは家の奥へと進み出す。イクスたちは少し目を丸くしたが、急いで彼女の後ろに着いていく。
迷いない足取りでオランピアは奥へ奥へと進み続ける。
やがて、一室の扉の前で彼女は立ち止まった。
「この部屋……」
「何かあるのか?」
イクスたちの問いかけにオランピアは答えず、そっとドアノブに手をかける。
「あ……」
中に入ったオランピアの瞳に涙がこぼれる。
そこあるのは、どこにでもある小さな一室。
下は星柄の絨毯が敷かれており、真ん中には子供用の机がちょこんと置かれていた。
椅子は机の中に仕舞っており、ベッドはピンクと赤を基調にした花の絵が付いた布団と可愛らしいデザインをしていた。
どこにでもある一室。小さい頃に両親が用意してくれた自分の部屋。
まるで時間が止まっていたかのように、あの時から何も変わっていない風景だった。
「……じゃあ、俺たちは別の所にいるから」
「逃げようって思わないで。……逃げたら、すぐに捕まえるから」
イクスたちは部屋を後にする。
その場から動かなかったオランピアは机の方に視線を動かし、そっとそこに近づく。
「懐かしいな……」
オランピアは机の上に飾ってあった画を手に取る。
そこにあるのは、子供が描いたであろう一枚の絵が飾ってあった。
描かれているのは、三人の似顔絵。
左には金髪の男性が。右には白髪の女性が。そして、真ん中には小さな白髪の女の子がいた。
似顔絵の三人はにっこりと笑っているように描かれており、とても幸せそうだった。
「お父さん……、お母さん……」
自分が小さかった頃に描いた似顔絵。
両親に見せた時、二人はそっくりだ、と笑顔で褒めてくれた。
「……エドさん」
だが、二人はもういない。
あの日、全てを壊した後、村から離れた私は何の目的もなく、外の世界へ出て行った。
そこで《庭園》に拾われ、許されない罪を犯し続け、そして、彼に出会った。
「私は……」
彼との出会いで、自分は本当の意味で外の世界に足を踏み入れた。
多くの出会いや別れ、楽しいことや苦しいこと、美しいものや醜いものとたくさんのものを見てきた。
小さな世界に閉じこもっていたら、知ることができなかったものを多く知ることができた。
オランピアは絵を置き、部屋の窓へと足を運び、外の景色を覗き込む。
いつの間にか外は暗くなっており、空には三日月が昇っていた。
怪しげに光る三日月を見上げるオランピアはその場から一歩も動かずに、両手を前に組んで目を瞑る。
目を潤わせ、何かを祈り続けるその姿を見る者は誰もいなかった。
~~~~~
三日月が照らす真夜中。密林の中で岩の上に座っているエドは、いまだ瞑想のさなかにいた。
辺りは冷え込み、時々、冷たい風が襲う中、エドは眉一つ動かさずにそのまま続けていた。
その様子を遠くの崖上から見物していた、ユンはその場に座り、酒を飲みながら、彼の行く末を見守っていた。
「……先代」
そんな時、ユンの後ろに黒い影が突然、現れる。
「……クロガネか」
「はっ」
ユンは後ろに振り向くことなく、影の正体を見抜く。
「依頼された件、ご報告に参りました」
「うむ。聞こう」
クロガネからの報告にユンは耳を傾ける。
「飛行艇の行方は掴めませんでしたが、目撃した人物を複数発見。その者たちからの情報を照らし合わせて、奴らの居場所を特定しているさなかであります」
「ふむ。あの若造に頼んで正解じゃったな。こうも速く手がかりを掴むとは。それで他の方は?」
「教会陣営は儀式の内容を特定し、そこから居場所を探ろうとしているとのこと。遊撃士協会は剣聖二人を中心に本部と大陸全土の支部と連携して捜索しているとのことです」
「カシウスとアリオスか。あの二人なら心配はないの。……クロガネ、お主らが仲介人となって、彼らの間を取り持ってくれ。情報を共有し合えば、活路が見えてくるじゃろう」
「御意」
風が吹くのと同時にクロガネの姿が消え去った。
「……それで、お主は何の用じゃ、シズナよ」
「あははは。やっぱり、バレちゃいましたか」
近くの木陰からひょっこりと出てきた銀髪の少女――シズナは、観念したかのように軽く笑みを見せながら、ユンに近づく。
「さっすが、
「気配を消すというのは隠すことではない。周りの気配に溶け込み、同化することが大事じゃ。そこだけ気配が何もなかったから、逆に違和感を持ったのじゃよ」
「なるほど。次からは気をつけるとしましょう」
シズナはユンの横に並び立って、今も瞑想し続けているエドを遠くから見物する。
「エドの方、どうなっているんですか?」
「まぁ、今のところは問題ないじゃろう。じゃが、問題はここからじゃ」
目つきを鋭くしてエドの様子を観察するユンは、身体全体が力んでいるエドの様子に厳しく評価する。
「今まで目を背けていたものと向き合うんじゃ。剣聖と称されていようと結局は人の子。避けたい、逃げたいと思うものは当然ある。今、あやつは人生最大の敵というべきものと向き合っている。結果がどうなるのかは、儂にもわからん」
「そうですか。でも、まぁ、何とかなるでしょう」
「なぜ、そう思うんじゃ?」
「そんなもの、決まってますよ」
シズナは自信満々の笑みで、堂々と言い張る。
「彼は私のライバルだ。彼がこんなことで折れるなんて、絶対にありえない。だから、彼は再び立ち上がる。その足で未来へと進むために」
「……そうか」
ユンは当たり障りなく普通に返すが、その口端は少し上がっていた。
「それで、お主がここに来たのは何じゃ?」
「あぁ、そうでした」
要件を思い出し、シズナは背中に背負い込んでいた布袋に手を入れる。
「エドに頼まれたものがありましてね。それを渡しにきたんですよ」
「……太刀か」
シズナが取り出したのは一本の太刀。
白い鞘に収められたそれをシズナは抜き、その刀身を見せる。
柄、鍔、刀身。全てが白一色で統一された純白の刀。
一切の穢れを知らず、穢れを受け入れさせないその美しさは天下一品といっても過言ではない。
「そいつは……」
「うん。老師の想像通りだよ」
しかし、ユンはその太刀の美しさに目を奪われることはなく、逆に警戒心を強めて睨んできた。
シズナは抜いた太刀を鞘に戻し、再び布袋の中に戻す。
「またぞら、とんでもない物を掘り出してきおったの」
「まぁ、彼なら大丈夫でしょう。この妖刀『雪花』の持ち主として」
かつてその美しさに魅了された名だたる剣士たちが一本の太刀を巡って、血で血を争う凄惨な殺し合いをした。
そして、その太刀を持った者は、それに心奪われて、奪わせないと迫り来る敵を一人残らず斬殺した。
穢れを知らない見た目でありながら、実質、多く血を吸ってきた呪いの太刀。
「私が持つことになるあの大太刀と同じ鍛治師が作ったもう一本の太刀。私のライバルなんだから、これくらいのものじゃなきゃね」
満面な笑みを向けてくる弟子に、もはや呆れて何も言えない師。
だが、ユンはその太刀をじっと見つめ、何か考え込むような素振りをしだす。
「老師?」
「ふむ……、ちょうどいいかもしれんの」
何を思ったのか、ユンは立ち上がり、その場から離れる。
その様子にシズナは少し驚き、去っていくユンに声をかける。
「せ、老師! どちらに?」
「少し野暮用じゃ。お主はあやつを見ていてくれ」
そう言って、ユンは暗い森の中へと消えていった。
姿が見えなくなって、しばらく唖然とするシズナだったが、すぐにやれやれとため息をつく。
「まったく、老師ったら、何か企んでるな~」
そう言うシズナの顔は苦い笑みを浮かんでいたが、仕方ないと割り切った。
エドと共に剣の修行に明け暮れていた時、今回のような突拍子もない行動はしばしばあった。
だが、それは自分たちをより高みへと昇らせるためのものであり、決して気分でやっていることではない。
ユンがそれをするのは、必ず、何らかの意味があることだ。
ユンに対して、絶対的な信頼を寄せていたシズナは、師に言われた通り、エドを見守ることにした。
「エド……、信じてるからね」
切にそう願うシズナ。
それに対して、エドはやはり反応することはなく、自身の心と向き合い続けるのであった。
~~~~~
時間が一日、一日と過ぎていき、月が徐々に欠け続ける。
遊撃士、七耀教会、その他の有志の者たちが、オランピアを救おうと一日も欠かさずに捜索を続けていた。
そして――、
「いよいよ、明日だよな」
「……そうだね」
夜、家の明かりを消して、誰もが眠りに落ちている時間の中。
時計の針をじっと見つめて、エルピス邸の入り口に座り込むイクスとヨルダは、肩を寄せ合って雑談をしていた。
今は午後十一時半。明日の夜には儀式が執り行われる。これが最後の見張りの時間だった。
「結局、お姉ちゃんは何もしなかったね」
「無理だって、諦めたんだろ」
話題に上がったのは、見張りの対象者であるオランピアのことだった。
この家に招かれてから今日までの間、彼女は逃げるような素振りを一度も見せなかった。
もちろん、自分たちにバレないように密かに逃げる準備をしているのではないかとも考えた。
だが、彼女は常に自分たちと共に行動をし、話に花を咲かせていたため、そんな用意をする時間などなかった。
「あいつ、自分がこれから殺されるって自覚あんのかよ」
イクスがオランピアの態度に不快感を覚えたのか、そんな愚痴をこぼすのに対して、ヨルダは顔を俯かせ、何も応えなかった。
「どうしたんだよ、ヨルダ?」
「ねぇ、イクス。お姉ちゃん、このまま、いなくなっちゃうのかな」
弱々しいヨルダの声にイクスは沈黙してしまう。
「お姉ちゃんがいなくなったら、私たち、またあいつの使いっ走りにされるよ」
オランピアと一緒に暮らしている間、イクスとヨルダはメルキオルから、理不尽な要求をされることなく、平和に暮らしていた。オランピアが二人を守ってそばにいたから、二人はメルキオルから何もされずにすんだのだ。
「でも、仕方ねぇだろ。ボクたちであいつをどうにかするなんて、できないんだからよ」
メルキオルに拾われる前、二人はすでに潰された教団の元ロッジで暮らしていた。
そこはかつて二人が共に暮らしていた、いや、生きようと必死に抗っていた場所。
父親と呼べる男は何かに魅了されたのか、自分たちのことなど目もくれずにどこかへ行った。
母親と呼べる女は、悪魔などという、いるかどうかわからない存在を崇拝して、生んだ自分たちを何の躊躇もなく、献上した。
そのせいで、地獄とも言うべき、苦痛と絶望の日々を暮らしていった。
だが、三年前、そんな地獄の日々じゃ突如として終わりをつげた。
外からの襲撃に教団の幹部司祭は、全員を道連れにしようと、ロッジを爆発。
ロッジは完全崩壊し、全員が生き埋めとなった。
奇跡的に生き残った二人は、埋もれたロッジの中で何の希望もない日々を過ごしてきた。
抜け出すことだってできた。誰かに助けを求めることもできた。
だが、教団の儀式でひどい仕打ちを受けた二人は、何も、そして誰も信じることができなかったのだ。
信じられるのは、自分の半身である彼(女)だけ。
当然、自分たちを拾っていくれた、
隙を見せれば、絶対に逃げだしてやると何度も思った。
だが、あの男の狂気はあのロッジにいた大人たちよりも凄まじく、恐ろしいものだった。
「あいつに出会っちまったのが運の尽きってやつだよ。ボクたちは結局、どこにも逃げられなかったんだよ」
疲れたと言わんばかりにため息をつくイクスにヨルダは何も言わない。
彼女も彼と同じく、諦めてしまったのだ。
希望を抱く明日など。
――ギシッ……
「「!」」
突然の足音に二人は立ち上がり、武器を取る。
イクスは彼の身の丈くらいはあるアンティークな銀のライフルを。
ヨルダは武器を持っていなかったが、彼女の影がひとりでに動き、中から禍々しい黒い手が現れた。
足音はまだ続く。正面の部屋の奥から少しずつ音が近づいてくる。
まさか。今になって。どうして。
そんな考えがよぎる中、足音の主が奥の暗闇から姿を現す。
「お姉ちゃん……」
「何で今になって……」
二人の前に現れたのは、予想通りオランピアだった。
武器を持たずに手ぶらの状態で二人の前に立つ。
彼女の赤い眼は二人の姿をじっと映していた。
「こんな夜更けに何やってんだよ」
「……そんなの、決まっているよ」
ライフルを突きつけるイクスの問いかけにオランピアは物怖じせずにはっきりと答える。
「ここから出て行く。エドさんに会いに。一緒に生きるために」
銃口に向けられても崩れない毅然としたその姿に。決して挫けない意志が籠った強い眼差しに。
今まで見たことがない少女の姿にイクスたちは息を飲み、固まってしまった。