オランピアの言葉に家が静寂に包まれる。
彼女がこんなにも夜遅くに起きていることと、ここに閉じ込められている理由。
それらのことを考えれば、彼女が今から何をしようとしているかなど、容易に想像できる。
だが、それでも、二人は目の前でこちらをじっと見つめてくる少女の言葉が信じられずにいた。
「今……、何て言ったんだ?」
イクスは銀製のライフルをオランピアに突きつけて、もう一度、尋ねる。
銃や剣といった凶器を突きつければ、大抵の者は殺されると恐怖する。
だが、それに対して、突きつけられたオランピアは――、
「何度だって言うよ。ここから出て行く」
一歩も引くどころか、むしろ前に出て、力強く言い放つ。
小柄な体型とは思えない彼女の威圧にイクスは思わず、身体を強張ってしまう。
それでも、彼は銃を下ろさずに彼女を問い詰める。
「アンタ、今の状況がわかってるのかよ? 自分がどれだけ無謀なことをしているのか」
オランピアはその言葉に沈黙する。
今の自分は武器を持っていない。
小太刀と戦術オーブメントはメルキオルに没収され、どこに保管されているのかわからない。
そして、彼女の相棒であるイシュタンティはここにはいない。
龍來で起きた誘拐の日。自分が泊まっていた宿に置いていってしまったのだ。
仮に、ヨルグに作ってもらった戦術オーブメントが手元にあったとしても、国を跨ぐほどの距離となってはさすがに呼び出すのは無理だ。
さらに、自分に立ちはだかるのは、《庭園》の全勢力。
リーダーである《庭園の主》。
その下の三幹部であるメルキオル、アリオッチ、《皇帝》。
そんな彼らが管理している庭園で育成された凄腕の暗殺者たち。
武器を持たずに彼らと対抗するのは、どう考えたって不可能だ。
状況ははっきり言って詰んでいると言ってもいい。
「それでも、私は行きます」
だが、オランピアは引かなかった。
もう一歩、前に踏み出し、覚悟が籠もった目を二人にぶつける。
その目にイクスたちは思わず一歩引いてしまう。
まっすぐ見つめてくるその目に耐えきれず、イクスは目を逸らしてしまう。
「どうして、そんなに頑張れるの?」
弱々しい声でヨルダはおそるおそる尋ねる。
どこからどう見ても、オランピアが助かる可能性はない。
それなのに、当の本人はまったく諦めていなかった。
諦めてたまるか。絶対に逃げ切ってやる。
そんな意思が彼女から伝わってくる。
何が彼女をここまで突き動かすのか、二人は混乱する一方だった。
「生きたいから」
オランピアは迷わずに答える。
彼女の脳裏に浮かぶのは、これまで辿ってきた彼との旅路の記憶。
「……最初は死にたいと思った。たくさんの人を殺して、その重圧に耐えきれなくて。苦しい、逃げ出したいって思った」
イシュタンティの主となり、最初に村の人たちを全員殺した。
外に出て、これといった目的もなくさまよっていた時、傭兵、野盗たちをたくさん殺した。
《庭園》に入り、《金》の管理人として、時に人を殺し、時に人を殺す凶手を育てた。
それが世間一般的に悪いことであると知っていたものの、どうでもいいと考えを放棄し、流されるがまま生き続けた。
だから、恐ろしかった。
失った感情を取り戻した時に襲ってきた罪悪感と絶望感は今でも忘れられない。
自分が今までやってきた過ちをただ振り返ることしかできず、これから何をすればいいのか、どうすればいいのか、まったくわからなかった。
死ぬことが唯一、自分にできることなのだと、あの時は本気でそう思っていた。
「でも、死ぬなと、逃げるなと言ってくれた人がいた」
クロスベルでエドと出会い、叱咤され、彼と一緒に旅をしたことで全てが始まった。
「旅の中で、多くの人たちに出会って、大切なものが一つずつ増えていった」
『自分を信じて、前へ進みなさい』
縮こまっていた自分の背中を押し、応援してくれたイリア。
『私達はずっと友達です。私の心はずっとあなたの隣にいます』
血塗られた過去を知っても、友達だと言ってくれたクローゼ。
『多くのことを学んで、感じて、考えて、自分の力で答えを出しなさい』
答えを求めようとしていた自分を叱り、自分の意思を持てと激励したデュバリィ。
『その想いを大事にするのじゃ。そして、お主の『誓い』はその者にしっかりと送るのじゃぞ』
誰かを想い、愛する気持ちを教えてくれたローゼリア。
彼女たちを含めた多くの人たちと触れあい、共に過ごしていく中で少しずつ自分の心は変わり始めた。
「今、あの人と離ればなれになって、改めてわかった。私はあの人が……、エドさんが大好きなんだって」
その中で自分の心を大きく変えてくれたのは、やはり彼の存在だった。
「彼と街を回って、おいしいものを一緒に食べて、イベントに参加して、二人っきりで話して……、彼と一緒に過ごした時間は私にとって、かけがえのない宝物になった」
最初は死にたいと思った。犯してしまった罪の重みに耐えきれなく、苦しかったから。
でも、今は違う。
「私は生きたい。生きて、彼と一緒にいたい。たとえ、これから先、自分の罪と何度も向き合うことがあったとしても、私は彼の傍にずっといたい」
だから――、
「私は出て行く。彼と一緒に、明日を生きるために」
堂々と告げるオランピアの宣言に、イクスたちはとうとう何も言えなくなった。
彼女の言葉に、その言葉に募った強い想いに。
長い沈黙が続き、三人間には言葉がない。
「口では何とでも言えるけど、状況がわかっているのかよ」
すぐに我に返ったイクスは下ろしそうになったライフルを戻して、オランピアに向ける。
「たった一人でここから抜け出すなんて、そんなことできるわけがないだろう!」
「……そうだね。確かに一人でここを抜け出すことはできない」
イクスの切羽詰まった声に対して、オランピアは冷静に落ち着いた声で応える。
「でも、君たちと一緒なら可能性はある」
「……は?」
イクスたちが呆然とする中、オランピアは二人に向かって、手を差し伸べる。
「一緒に逃げよう。三人でここから」
「な、何言ってんだよ、アンタ!」
突然の提案にイクスは動揺を隠せない。ヨルダも口を開いたまま、硬直していた。
「ボクたちはあんたをここへ連れ込んだんだぞ! 確かに、ちょっと話し相手とかにしていたけど、それでボクたちがアンタの味方になったって思っているのかよ!」
イクスたちはオランピアの奇行に警戒心を隠せない。
確かに飛行艇で楽しく談笑し、お互いに少しは打ち明けてはいるのだろう
しかし、自分たちは彼女を殺そうとしている一味の仲間。つまり敵だ。敵である他人をどうして一緒に連れ出そうとするのか。彼女の考えがまったくわからない。
「メルキオルのやりとりを見ていたからわかる。あなたたちは今の環境を望んでいない。本当は逃げたいのに逃げることができずに、その場に留まっているんだよね」
「そ、それが何だって言うんだよ!」
「このままそこにいたら、あなたたちは必ず、その手で罪のない誰かを殺すことになる。そして、その罪は最後まで背負っていかなきゃいけない。……あなたたちに私と同じ思いをしてほしくない」
過ぎ去った時間は取り戻すことはできない。すでに多くの人をその手にかけたオランピアはその罪を一生背負わなければならない。
だが、二人は違う。まだ、誰の命も奪っていない二人は引き返すことができる。
「か、仮に三人で行くとしても、それであいつらから逃げ切れるのかよ?!」
「捕まったら、ただじゃすまない。あなたも、そして私たちも……」
オランピアの説得にイクスたちはまだ躊躇いを見せていた。
たしかに一人より、三人で組めば逃走の成功率も上がるだろう。
だが、そんなのは微々たるものだ。捕まる方の確率がまだ高い。
そして、《庭園》は裏切り者に対していっさいの容赦はない。
逃げたり、裏切ったりした者は、例外なく死の制裁が与えられる。
仮に今ここでオランピアと手を組んでも、彼らに捕まってしまえば、その先に待ち受けるのは死だけだ。
「私が誘拐されてから、もう一週間くらいは経ちました。今、私を探すために、エドさんたちが動いています。彼らがここに来てくれれば、私たちは助かります」
「な、何だよそれ! 来るかどうかもわからない奴らを信じろっていうのかよ?!」
イクスはオランピアの考えを即座に否定する。ヨルダも口には出さないが、その目は不信に満ちていた。
「もう一週間って言ったけど、一週間も経っているのに、まだここを探しあてられていないんだぞ。それでも信じるのかよ!」
「確かに確証がある話じゃない。君の言う通り、もしかしたら、本当に来ないのかもしれない。だけど、私は信じている。エドさんが、皆が必ず来てくれるって、私は信じている」
「そんなの……」
ヨルダは訝しげにオランピアを見つめるのだった。
彼女とて最初の頃は信じていたのだ。
まだ、教団にいた頃、両親が自分と兄を守ってくれると信じていた。
だが、父は姿を消し、母には裏切られた。
身内にだって裏切られたのだ。赤の他人なんて信じることなどできるわけがない。
「エドさんたちは必ず来る。もし、彼らが信じられないなら、私を信じて」
オランピアの真っ直ぐな目はイクスたちを姿はっきりと映す。
「素性の知らない人たちを信じることはできないかもしれない。だけど、私たちは短い時間を一緒に過ごした。私のことはまだ信用できない?」
「それは……?」
「信じるのは確かに怖いと思う。私もね、自分が人を殺したことを誰も知ってほしくなかった。知られたら、皆が私を拒絶するんじゃないのかって。私も他人を信じることができなかった」
「だったら……」
「でもね、知ってもなお、私のことを友達だと言ってくれた人がいた」
脳裏に浮かぶのはリベールで出会った一人の少女。
「そこからたくさんの人と出会い、私が見ていた世界は大きく広がった」
青く広がる海。霧に包まれた幻想的な城。蒼穹の彼方まで続く大地。
今まで歩んできた軌跡をなぞるかのように一つずつ思い出す。
「人は残忍な人たちだけじゃない。強い人や優しい人。色んな人たちがいる」
白銀の剣士に赤髪のシスター。不器用だけど優しく、どんなことがあっても信じ抜こうとする強い心を持った人たち。
「もちろん、最初の一歩を踏むのは、すごく難しいことだよ。だけどね、その一歩を踏み出すために誰かの手を借りることはできる。……私もそうだった」
そして、暗い道を歩み続けた自分に手を差し伸べてくれた彼。
彼に導かれ、多くのものを目にした少女の心は、少しずつ、だけど大きく変わっていった。
「私は変われた。変わることができた」
少女は手を差し伸べる。
「……だから、お願い。私を信じて!!」
暗い庭に閉じこもり、その場から動かない双子の兄妹をじっと見つめる。
二人は伸ばされた手をじっと見つめる。
深く考え、考え続けて。
そして、二人はオランピアの手を……。
~~~~~
静寂に静まった深夜。廃村になったエデン村は光がない暗闇の中、冷たい風だけが村の中を通り過ぎる。
ジャリ……
そんな中、一つの影が村に入ってきた。
影は迷いない足取りで歩を進める。
足を止めて、たどり着いたのは古びた一軒家、エルピス邸である。
影はドアに手をかけるが、鍵がかかっており開かない。
それを理解した影は一歩、後ろに下がり、
バンッ!!
ノックもしないで扉を勢いよく蹴り飛ばす。
古びたドアは衝撃に耐えきれず、鍵が壊されてしまった。
「オランピア~~。約束の時間だよ♪」
清々しい笑みを浮かばせながら、軽快な声で入ってきた影――メルキオルはそのまま、ずかずかと家の奥へと向かう。
「もうすぐ儀式の時間だから、迎えに来たよ~。楽しい余生を過ごせたかな?」
何が面白いのか、笑みを崩さずに一人で勝手に喋り出す。
「うん? まだ、一日あるって? あ、ごめ~ん。言い忘れてた!」
うっかりしたみたいに、ふざけた態度でわざとらしくリアクションをするメルキオル。
「明日の夜って言ってたけど、正確には明日の『午前の』夜。つまり、今、この時間帯なんだよ。伝え忘れててごめんね♪」
まったく悪びれた様子もなく、メルキオルはとある一室、オランピアの部屋の前で立ち止まった。
「でも、約束は約束だから。諦めなよ、オランピア」
部屋のドアノブに手をかけ、それを回す。
「さぁ~、今の君はどんな顔をしているのかな♪」
メルキオルは扉を大きく開き、部屋の中に入ってきた。
「…………?」
だが、そこにはオランピアの姿はどこにもなく、もぬけの殻だった。
「オランピア?」
目を細めて辺りを見回すメルキオル。
部屋に置いてある、ただ一つのベッド。
そこには布団が敷いており、その中は少し膨らんでいた。
「アハッ♪ そこにいたんだ」
メルキオルは足音をわざと大きくして、ベッドにゆっくり近づく。
「お寝坊さんだね。しょうがないね」
伸ばした手は布団を掴む。
「それじゃあ、起こしてあげるよ、オランピア!」
手を引き、布団をおもいっきり引っぺがした。
――ピンッ
赤い閃光と強烈な破裂音。
メルキオルの視界が白一色包まれていき、エルピス邸は崩壊した。