Revival of the Dead   作:ボルケシェッツェ

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#0-2

 ガタガタと上履きと椅子の足が音を立てて、俺は不可視の拘束服から解放されたような錯覚に陥った。

 人目も憚らずに伸びをする。潰れたカエルみたいな声が出る。

 

「じゃ、今夜21:20にシアタの駐輪場でな」

「お……了解。んじゃな」

 

 背後から声が掛かったと思ったら、山神は片手を挙げながらさっさと教室を出て行ってしまった。なにか用事が控えているらしい。

 なんとなくやつの席の方へ目を向けると、その左隣に席を持つ沢渡ゆかりが含みのある視線で山神の背中を睨んでいた。彼女は俺の眼差しに気がつく前に、力強い足取りで去っていく。

 どうも釈然としない気分だ。

 若狭の話で美人との接点がどうとか宣っていた割には、あいつ自身が美人との縁を持っているじゃないか。やっかみではないが、沢渡という女子も若狭悠里と並んで同学年男子による()()に取り沙汰される美形には違いない。

 

 まあ、そういった邪推にのめり込めるタイプでもないし、と俺は荷物を纏めて席を立った。

 そのまま人の流れに乗って帰宅しようとしたところで───見覚えのある顔が立ち塞がる。

 

「よう、放課後ヒマだよな」

「断言かよ」

 

 俺の行く手を阻んだのは、我らが巡ヶ丘学院高校写真部部長、柚村貴依に違いなかった。その背部には通学用のバックパック、両脇にはカメラバッグと、ずいぶんな重装備だ。

 俺は嫌な予感をひしひしと感じ取りながら、しかし有無を言わせぬ雰囲気に屈して足を止めてしまう。

 

「……なんなんでしょうか」

「市コン用の写真だ。月曜までに全員提出してもらう手筈になってるんだけど、誰かさんがまだ未提出だからな。撮りに行く」

「は、市コン? ……今からすか?」

 

 寝耳に水。俺は目を見開き、心当たりがないことを何度も確かめて、そして小うるさい部活連絡用のスレッドの通知を切っていた記憶を蘇らせる。確証はない。だがラインを確かめればその旨が実際に周知されているだろうという確信はあった。

 そういう悪い予感だけは確信があるもんだ。

 

「……マジか。てか、撮りに行くって?」

「お前備品しか使ってないだろ。このまま帰したらちゃんと持ってくるか怪しいしな。……ったく、あたしがオススメのスポット教えてやるから、今日中に済ませちまうぞ」

 

 そう言って柚村は片方の、彼女の愛用のペンタックスではない備品のカメラの方を差し出した。

 

「ん。貸し出し申請はしといた」

「え、あー…………」

「なんだ、このあと用事あんのか?」

「あるっちゃある」

「それ、何時からだよ」

「九時半……」

「じゃあ余裕だろうがよ」

 

 柚村の語気が強まる。眼前でオリーブ色のカメラバッグが振り子状に小さく揺れていた。

 したたかな目つき。俺は口許を引つらせながらバッグを受け取った。もはや大人しく従う以外に道は断たれていた。

 ぞろぞろと、俺たちの傍を思い思いの行き先へと向かう生徒たちの波が通り過ぎていく。

 

「お前チャリ通だろ?」

「そうだよ」

「じゃあ行けるな」

 

 ついてこい、と言わんばかりに柚村は肩紐を掛け直した。緑色のスカーフにはシワが入っている。

 

「柚村……」

「なに?」

「……悪ぃ、ありがと」

 

 溜め息を吐いて、柚村は踵を返す。彼女は少し笑いながら、呆れたような声の調子で言った。まるで手のかかる弟でも諭すふうに。

 

「いいから、行こうぜ」

 

 

 

 

 

 

 ペダルを押し込むと、額が薄く汗ばんでいるのが分かった。

 思えば大分日が長くなってきている。少し前までは授業が終わってそう経たない内に空が赤く染まっていたものだが、頭上には昼間から変わらぬ青空が広がっていた。

 車体を傾けるとリュックの中身が軋んだ。カッターシャツの背が汗でピッタリと張り付いているのを感じる。

 辺りには潰れて滲んだ草の匂いが漂っていて、タイヤ越しに伝わってくる地面の感覚は荒っぽい。

 

 柚村に先導されて、ペダルを漕ぎ始めてからどれくらい経ったか。

 たぶん時間としてはそれほどかかっていないだろう。だが速度に比例して、走ってきた距離はそれなりに長いはずだ。

 【復興開発都市】の肩書を掲げている巡ヶ丘だけあって、田舎にしては小綺麗な市街地から一変し、今は傾斜のついたあぜ道を進んでいる。というか登っている。

 率直にいってとてもハードだ。重めのシティサイクルを走らせるにはとてもじゃないが向いてない。

 

「柚村ァ!」

「あんだ!?」

「まだぁ!?」

「うっせえな! もうちょい!」

 

 運動弱者の俺になかなかの仕打ちをしてくれる。

 市街を抜けて朽那川を越え、申し訳程度の舗装がなされた小道に入り、周囲は限りなく山の様相に近づいていた。

 電柱はよく見ると木造だし、そこかしこに錆びて今にも崩れ落ちそうな鉄板の橋が架かっている。その先には鳩小屋のある民家なんかがあったり、採石場があったり、山に入っていくためのスロープが見え隠れしていた。

 俺はひーこら言いながら砂利道に車体を引きずり上げる。柚村は一足先にサドルから降りていて、坂道を逸れた小さな広場上の空間に自転車を止めていた。

 

「しんでぇー……」

「体力ねえな、男子高校生」

「これで息も上がらないやつはロード乗りくらいだろ……」

 

 隣にスタンドを下ろし、額に浮かんだ汗を拭う。ついでにギプスの淵も。もう遅いかも知れないが、蒸れると後が辛い。

 柚村は柚村で若干火照った様子で張り付いた髪をかき上げていた。

 

「もう結構暑いな」

「ま、もう夏服だしなあ」

 

 言いながら歩き出した柚村の背をトボトボと追う。

 ちらほらと廃れた家屋のあった道のりもいよいよ鬱蒼とした山道に変わった。

 

「これ、登らんよな」

「ちょっとだよ、ちょっと」

「それ信用ならないやつ」

 

 少し進むと登山道の入り口の看板があって、俺は顔をしかめながら聞いた。

 看板を境にして向こうからは、完全に頭上を枝と葉が覆っている、山の中だった。それほど険しいようにも見えないが、普段着で入っていく気にはならない。

 それを柚村は笑いながら躊躇いなく踏み入っていくのだから、俺は頭を抱えたくなった。

 

「マジかぁ」

「ここ抜けたらすぐだから」

 

 土の香りがする。

 柚村の言葉は嘘ではなくて、最初のくねった道を抜けるとすぐに建物のシルエットが木々の向こうに現れて、彼女は指を指して「あれだ」と言った。スピリチュアルな造形の屋根に目を惹かれる。

 

「これは寺……じゃなくて神社か?」

「そうらしい。鳥居に架かってる社名は掠れてて読めないんだけど、地図だと那酒(なざけ)神社ってなってる」

「那酒……沼のか」

 

 その響きを口の中で反芻すると、頭の中で記憶の収められた箪笥の奥のほうがぼんやりと熱を持つのが感じられた。

 

「この辺だったっけ、沼って」

「いや、沼に繋がってる川の流れが通ってるらしい。玖那川の流れの周りには似たようなお社がいくつかあって、ここも水神さまを祀る神社の一つなんだよ」

「へぇ……そんなもんがあったんだな」

 

 わざとらしく踏み込んでいくと、寂れた社のディテールが浮かび上がってくる。

 柚村の言うとおり鳥居は色素に乏しく、号に彫られた文字は読み取ることが出来なかった。

 どこも長らく人の手が入っていないのか草臥れてしまっているが、全体的にもともとが簡素な造りの社屋だという感じがする。

 狛犬だけは立派に見えるが、石畳は申し訳程度に短く敷かれているだけで、手水舎も無ければ、鈴も見当たらない。社殿は閉じられていて、木箱と見紛うような賽銭入れが辛うじてあるのみだ。

 

「こりゃ、たしかに雰囲気はある」

 

 だが、俺はその場でファインダを覗き込もうとは思わなかった。その辺を深く気にするほど信心深くないとはいえ、境内で無遠慮に社殿にピントを合わせるのは躊躇われる。

 

「御神体とか、被写体にはしづらくないか……?」

「意外と気にしいなんだな。ま、そりゃそうだ……この神社自体が被写体として絶好のポテンシャルを持ってるのはそうなんだけど、あたしが写真にしたいと思ったのは、こっちの方」

 

 柚村はくい、と顎で指した。その手にはお馴染みの愛機が収まっている。

 俺は身を翻して、彼女の見透かすような瞳が写す景色に振り返った。

 

 ハッと息を呑む。驚いた。

 今まで緩やかな傾斜の道が続いていたから気が付かなかったが、思ったよりも高いところまでやって来ていたらしい。

 上から見ればなだらかな田舎道が伸びる先には、普段俺たちの暮らしている街があって、見知った建物や地形が地平の先までまんべんなく広がっていた。

 慣れ親しんだ巡ヶ丘の見たことのない側面が、そこからは一望できた。

 

「うわぁ……よく見つけたな、こんなところ」

「だろう? 我ながら良いセンスだわ」

 

 いつもなら得意げな声音になにか茶化しを入れるところでも、俺は感嘆の溜め息を漏らすので手一杯だった。

 ただの遠景だと言ってしまえばそれまでなのかもしれない。アングルだってありふれたモノにしかならないだろう。

 でも、あれだけ屈強で閉塞的に感じられていた街が、こんなにちっぽけで不格好な姿を晒している事実を知れたことに、俺は心の底から感動していた。

 

「けど、良かったのか? 俺を連れてきて」

「別に隠すようなトコでもないしな……それに、自分以外がどう写すのかってのも気になるだろ」

 

 促すように柚村が言うから、俺は慌ててカメラをバッグから取り出した。学校にある備品の機材はなぜかそのほとんどがキヤノン製だ。

 俺は丁寧にズームレンズを外して、埃が入らないよう慎重に広角レンズに付け替える。

 MFからAFにスイッチ。

 絞りは───なんて、そんなノイズは、ファインダを覗いた途端に遮られた。

 レンズの内側に投影される世界からは、人間の目が生み出す感受性の振動が排除されている。

 フレームの内と外。収束と発散の漸近線。

 

 息を吐き、シャッタを半押し。

 全ての思考がフラットになる数瞬。

 

 それからシャッタ音。

 

 五感が戻ってくると、隣からテクノ調の音楽が聞こえてきていた。

 ガサゴソと懐を漁った柚村が騒ぎ立てるスマートフォンを黙らせ、耳にあてがう。

 それを尻目に俺はフォルダに収まった写真を吟味する。

 

「はい…………あれ、もしもーし……?」

 

 ああ、やっぱり。

 俺は液晶に示された画像を鑑賞して思った。

 そこには俺が期待していたものとは違う、なんら光るもののない風景があった。味気ない山と田んぼとコンクリートまみれの街が素直に連なっているだけの画。

 重々承知だったが、俺は写真を撮るのがヘタクソだ。

 

「……父さん? なんか、大丈夫かよ……は? 今? 部活で写真撮りに……ほら、前に言ってたあの神社の……」

 

 ───()()に気付けたのは、柚村の通話で意識が散漫になっていたからだ。

 

 足音がしたわけでもない。影が伸びてきたわけでもない。

 突拍子もなく、本能的に、俺はその存在の気配を読み取ったのだと思う。

 振り返った先の人影に、俺は自然と向き合っていた。

 

「え……ちょ、それどういうこと……? 街……こっからじゃ分かんないんだけど」

 

 レンズの先端を伏せる。

 いつの間にか日は暮れ始めていて、木々の根本に落ちる陰はおどろおどろしいほどに濃い。

 寂れた神社はいよいよ不吉な空気を発していた。まるで妖の類でも飛び出してくるのではないかと思うような闇を所々に秘めていた。

 人影は、ちょうどそこから這い出てきたみたいにこちらへ歩いてきた。

 

「暴動? それなら防災無線とか、サイレンとか……いや、父さんは? さっきから息が荒───」

 

 森閑とした場所だけあって、草が踏みにじられる音がいやに響く。

 茜の斜陽がその影に光を落としたとき、俺は思わず身体を強張らせた。

 逢魔が時の雰囲気に当てられて? まさか。そこまで過敏な神経をしているわけではない。

 それはその人物、老爺と思しき人型の腰元で、鎌がぶらぶらと揺れていたからだ。

 

「───父さん? おい、なぁ? …………切れやがった」

 

 一瞬荒らげられた後、柚村の声が途切れる。

 俺は近づいてくる相手から目が離せなかった。注意深く目を凝らす。

 古臭いツナギ。爺臭いタオル。ブーツ。農作業用らしき道具の繋げられたベルト。そこから伸びた紐。刃の欠けた鎌。麦わら帽。

 動きはひどく緩慢で、背は丸まっていた。

 足は引きずるように踏み出されている。

 やり場に困ったふうに伸びた手は力んでいて、萎びた肌は浅黒い。

 何らかの言葉を含んだ口が半開きになって揺れている。

 

「おい、茅ヶ崎……?」

 

 柚村が気取るのが分かった。

 誰の口から吐き出されたものかは知らないが、粘ついた吐息が耳に絡みつく。

 嗄れた呻きがして、足音と布擦れは止まらない。

 

「あ、あの」

 

 柚村が一歩踏み出して呼び止めようとした。そのときだ。

 説明はつかないが、なんとなく俺は彼女の前に歩み出ていた。

 

『──────』

「…………え?」

 

 時間が止まる。理解が追いつかない。

 ああそうだ、フィアットに撥ねられたときの感覚がこんな感じだったんだ。

 

 衝撃はない。

 ただ、視界から老爺は消えていて、代わりに首周りに妙な感触があった。

 これはなんだろう。

 硬さ。温さ。冷たさ。柔らかさ。どれも違う気がする。

 

 違う、違う。

 痛え。

 痛えんだよ、これは。

 

「は……ぇ───っ、茅ヶ崎!」

 

 どさりと背中から倒れ込む。重いものが上から覆いかぶさっている。

 

「ちょ、爺さん! こら、離せよッ」

 

 俺はパニックになったままそれを押し退けようとするが、首筋から肩に掛けて奔る激痛のせいで上手く力が入らなかった。

 不意に重みが軽くなったと思うと、必死の形相になった柚村が老爺の腕をとっていた。老爺の口からは理性があるとは思えないような形容し難い唸りが漏れていて、反対の腕が空を切っている。

 その隙に、俺は素早く立ち上がって首に手をやった。

 

「あ───ひっ」

 

 老爺の相貌を見下ろした柚村が悲鳴を上げる。

 虚ろな瞳が彷徨う下で、真っ赤に塗れた口許がぱくぱくと開閉を繰り返していた。

 俺の手のひらは爺の唇から伝うのと同じ色に濡れていて、生温い体温の感じがした。

 何かの冗談か。

 俺は人に咬みつかれたのだ。

 

「ちがっ、それ……血ぃ出てる……」

「柚村、行こう」

「いや、でも」

「離れろ」

 

 呆然と傷口を見つめる柚村に俺は言う。

 俺もほとんど考えることを止めてしまっていたけれど、とにかく老爺の傍に彼女がいる状況が不快だった。

 心臓が早鐘を打っている。

 語気を強めて柚村を呼ぶ。

 おっかなびっくり動き始める彼女も俺も到底現実を受け入れることなんてできそうになくて、それでも()()()()()()()に注意を怠ることだけはしなかった。

 

 肢体の自由になった老爺が転んだままもがくのを見届けて。互いに見合わせたのを合図に、俺たちは一息に駆け出した。

 

「なんっ、だよ、あれ。お前咬んで……きょ、狂犬病か?」

「知らん……」

「大丈夫じゃ、ないよな……すげぇ血、出てるし……病院、病院に……」

「分かんねぇ」

 

 痛みと混乱のせいで呼吸もままならない。

 柚村もあからさまに気が動転していて、呂律が回っていなかった。

 風が吹いて木々がざわめく。それすらも化け物の嘲笑に聞こえる。

 俺たちは一目散に山を駆け下りていった。自転車を停めたところまで行きとは比べ物にならないくらい早く辿り着いた。

 しきりに後ろを振り返りながらも、とりあえず息を整える。

 

「ヤバいな、血ぃ止まらん」

「っは……止血、止血しろ。あたしが救急車と警察呼ぶから。死んじゃうぞ」

「はは、笑える」

「なにがっ……笑えねえよ……! 笑えねえよバカ……クソっ」

 

 ポケットに入っていたハンカチを患部にあてがう。ざらついた繊維が傷口に擦れて、歯を食いしばった。周りの筋肉が血を圧し留めようとどくどく脈打っている。

 柚村はスマートフォンの画面をひっきりなしにタップしては苛立ちを顕にしていた。よく見ると指先が小刻みに震えている。

 震えているのは俺にしてもそうだ。さっきから膝がまっすぐ伸びない。

 

「クソ、なんで……!? 圏外でもないのに繋がらないんだけど……!」

 

 さながら出来すぎたドッキリのような現状。俺はぽろりと溢した。

 

「なんか、映画の導入みたいだな」

 

 凶暴化して咬み付いてくる人間。機能停止する行政機関。

 昨今におけるパニックホラーの代名詞といっても過言ではない、見飽きた展開じゃないか。

 

「……冗談言ってる場合じゃない」

 

 柚村は一瞬動きを止めて、すぐに俺の呟きを一蹴した。いや、一蹴しようとしたというべきか。

 

「気になってたんだけどさ、親父さん……? からの電話。なんだったの? やたら物騒な言葉が聞こえた気がしたんだけど」

「……分かんないよ。今はその咬み傷の方が先だ」

「まぁ、順当に行けば次は俺がそっちに咬み付くわけだし?」

「いい加減にしろよッ」

 

 柚村は唾を飛ばして俺の悲観的な妄想を咎めた。しかし、つり上がった目尻が心なしか潤んでいるようにも見えた。

 

「あたしだって分かんねぇよ……いきなり居場所聞かれて……息が荒かったし、街がおかしいとか、人がおかしいとか言ってたけど……! だからって、それがあれと関係あるって……そんな映画みたいな考え方、できるわけないじゃんか…………!」

 

 声は震え、最後は絞り出すように。

 俺の首と顔に目線を行き来させていた柚村の目から、ついに透明な雫がこぼれ落ちた。

 彼女が泣くところを見ていると、胸の辺りに冷たいものが滲んだ。なんなら俺は咬みつかれたときよりも焦っていた。

 

「すま、泣くなよ……!」

「だって……! 切れる前になんだか苦しそうな声がして……ホントに映画みたいになってたら、そしたらみんな……!」

 

 みんな。

 それは、たしかにそうだった。

 俺はスマホを取り出してブラウザを開く。インターネット自体は普通に機能しているみたいだ。検索エンジンへの接続は滞りなくできた。

 平時からのネットサーフィンのおかげで開きっぱなしのタブから、SNSの話題に目を通していく。

 

「……ははッ」

 

 つい、乾いた笑いが出てしまったのは仕方がないと思う。

 青い顔をした柚村が隣から覗き込んで、そして言葉をなくした。

 

「なんだよ、これ……」

 

 ツイッターのトピックに踊る文字は、どれも俺たちの絶望的な行く末を決定づけるものばかりだった。

 食人カルト。感染症。暴動。

 投稿される写真と動画には挙動のおかしな人間がもれなく映っていて、群衆が混乱の境地に陥っていく一部始終が収められている。

 血や、ピクリとも動かない人、それに群がる"感染者"に、不自然に痙攣しながら立ち上がり───そしてあの老爺のごとく奇声を上げて緩やかに動き始める誰か。

 

 書き込みの反応は十人十色だ。

 同じ現象を目の当たりにしたと主張する者もいれば、合成だのドッキリだのと疑う者もいる。陰謀論者は色めき立ち、敬虔な宗教家たちは神への祈りを絶やさない。

 

 これは悪夢か? 頬をつねろうにも、咬み痕の苦痛は絶え間なく襲いかかってくる。

 変な笑いが止まらなかった。

 考えてもみろ。これほどまでに分かりやすく、陳腐で滑稽なポスト・アポカリプスが現実になり、俺はそれに殺されるだなんて。

 

 B級ホラーファンとして、こんなに楽しい死に方はないに決まってる。

 

「柚村」

 

 ひとしきり笑い終えた後、彼女の名を呼ぶ。

 びくりと肩を撥ねさせた彼女は、怯えに染まりきった表情で俺を見上げた。狂人にでも遭遇したみたいだ。

 

「あー……さっきはありがと。爺さんから助けてくれて」

「は……はぁ? あ、あぁ、そんなの……」

 

 聞きながら俺は近くにあった岩場に座り込んだ。腹から息が抜けると、呼応するようにして頭痛と吐き気がせり上がってきた。

 頭の片隅で出来すぎているとは思っていた。それでも、強まっていく倦怠感と異物感が出血や思い込みによるものでしかないという確信を持つには、今の俺には現実感が欠けていたし、諦観が過ぎていた。

 

「現実で通用するかは未知数だけど、それなりにスリラー映画を嗜んできた身として助言しとくよ。まず、大事なのはやつらの性質を観察して利用すること。知性がどれだけあって、どれだけ対応できるのか、どんなふうに動いてなにに反応するかとか……見た限りやつらの動きはロメロ産らしい緩慢なモーションばかりだったから、それなら高低差がある建物なら───」

「おい、なに言ってんだ、お前」

「聞けよ、柚村。さっきも言ったけど、このままいけば俺はああなる…………なりそうなんだよな」

 

 言葉尻は自らに確かめるように。支えているのが億劫になってきた身体を屈める。

 自分自身の悪癖くらいは知っている。俺の口がやけに回るのは決まって焦燥にかられてどうにもならなくなっているときだ。

 彼女だってそれに勘付いている。浅いけど、短くはない付き合いだ。

 

「だ、からっ、それが短絡的だって言ってんだろ! 咬まれりゃ()()なるって、映画の話じゃん!? なんで現実でもああだって分かるんだよ、根拠はっ?」

「上がってた動画じゃそういうふうに見えたけどな。それに、俺がやつらに仲間入りしないとしても、保菌しているリスクは高い。このまま一緒に行動したら、柚村にまで伝染(うつ)すかもしれない」

「アホらしいッ。素人の推測で死ぬつもりかよ、茅ヶ崎」

「それでもいいよ。どっちにしたって、今は───」

 

 ここから動きたくないんだ、と唇を形作るつもりだった。

 

 ところが喉を通って飛び出してきたのは音ではなくて、苦酸っぱい胃の中身だった。俺は思い切り呼吸をつまらせつつ、吐瀉物を砂利の上にぶちまける。

 柚村がたじろいで俺の名を呼ぶのが聞こえる。ただ、その声はおぼろげだった。

 胃の底がくねっている。顎を伝う温かいものがゲロなのか血なのか判別がつかない。

 視界が涙で滲んだ。

 そのまま、身体の制御を奪われるみたいに力が抜けて、重力が俺を絡めとる。

 

「柚、村」

「おい、おいおいおい、駄目だ。しっかりしてよ……!」

 

 ぐらぐら揺さぶられているのに、触れられている感覚がなかった。

 

「さぁ、んなよ」

 

 引きつけ。

 

 言いたいことはまだまだあった。

 しかし、それすらも忘れていく。

 酸欠。

 思考が黒く染まる。柚村に呼ばれている。演算能力のキャパシティが著しく狭まっていく。

 ここに来て未だ悲痛な気分にならないでいるのは、やはり俺には続きがあるとどこかで盲信しているからなんだろうか。

 馬鹿なやつ。

 こんな、あからさまにモブらしい死に方をするなら、ホラー映画好きだなんて自称するんじゃなか──────。

 

 

 

 

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