Revival of the Dead   作:ボルケシェッツェ

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#0-3

 

「あ?」

 

 さっきまでの眠りが幸せなものだったのかは分からない。

 

 得てして夢とはままならないもので、瞳が裏返ったことを自覚する頃にはそれを確かめる術はもはやない。ただ呆然と、その残り香をクオリアに刻むことしか出来ない。

 

 寝覚めと共に飛び込んできた最初の刺激は、布団のカビ臭さで。

 死体のように硬直した肉体の中心で、鼓動だけが自らの生を証明していた。

 

 最悪の気分だ。

 自分の体温を感じることに安心する、というとちょっと気色悪い感じがするけれど、今の俺はまさにその状態だった。

 そわそわと、シーツに包まれた身をよじって触覚へのフィードバックを味わう。

 生きていることに安堵するということは、死ぬことに怯懦していたということだ。

 

「……流石に、引くわぁ」

 

 ざらついた喉で出力した声は重力に負けて耳元に戻ってくる。

 断片的に、抽象的に記憶された夢の内容にショックを受けると同時に、俺は薄い自己嫌悪も覚えていた。

 原因はもちろん柚村だった。

 大昔の歌人でもあるまいし、夢路に彼女が現れたくらいで恋だの愛だのということはない。それはそうとしても、だ。

 つまり、無意識の世界に現れる程度には俺が柚村貴依という人間を意識しているのではないかと思って、俺は気恥ずかしさを感じていた。

 

 シチュエーションも痛々しいというか。

 自分の趣味をそこはかとなく反映したような印象が否めない。

 パンデミックとか、特別ダサくもカッコよくもないような死に際とか。そいうものが常日頃から俺の頭の中にはあって、それがいつか訪れてくれたらだなんて、ときどき本気で憧れたりする。

 それが俺だ。茅ヶ崎真嗣という人間だった。

 

 死んだのが夢だと分かってホッとしていると、再び心臓が跳び跳ねた。

 枕元でスマホのアラームががなり立てる。俺の大嫌いな音。いや、大抵の人に忌み嫌われているであろう音色を堪能しつつ、じっとりとしたベッドから目覚ましに追い出される。

 我ながら寝覚めの悪さは折り紙付きだと自覚しているから、起き抜けにするのは制服に着替えることだ。体温の移ったパジャマや布団は強敵すぎる。

 ところがラックに近寄ったとき、俺は違和感を覚えて手を止めた。

 

「あぁ……?」

 

 あくびとも疑問の唸りともつかない声が出る。

 俺が身に纏おうとした夏季制服はクリーニングした直後のようにシワ一つない状態で、丁寧にボタンまで留められてハンガに懸架されていた。その整然ぶりは、心なしか誇らしげに見えるほどだ。

 自信をもっていうことではないが、俺はものぐさな性格だ。日常的に脱ぎ着する制服なんかは雑にハンガに懸けるか、あるいはその辺に脱ぎ捨てていることだってザラにある。

 昨日まで着ていたはずの夏服がきれいにラックに並べられているなんて異常で───俺は椅子の背もたれに引っ掛かった学ランを認める。

 

 俺はぐるりと部屋を見回した。カレンダに目をやる。五月。ちょうど、移行期間に差し掛かったくらいの時節だ。

 首を傾げ、ハイネックの上から学ランに袖を通した。どうやら寝ぼけているらしい。

 

 前を開けたまま部屋を出ると、同じく眠たげな目をした義姉と鉢合わせた。

 彼女は急に現れた俺のことを認識するまで少し手間取っていた。着崩れたネグリジェからはみ出した肩が若干艶かしくて、俺は勝手に気まずい気持ちに駆られる。

 

「……おはよう」

「おはよーございます……」

 

 義姉も俺も、人当たりの良いタイプじゃない。いつも通りどこかつっけんどんなおはようを交わして階下へ降りる。

 食卓では寝間着姿の義父が待ち構えていて、同じように挨拶を投げ交わす。これが毎日の日課だ。彼が新聞を片手に日本茶を飲み進めるのに、俺はインスタントコーヒーの粉末に熱湯を注ぐ。これは当てつけているのか、自分でも判断がつかない。

 インスタントのコーヒー。インスタントのスープ。スライスチーズを載せただけのトースト。

 朝餉をしたためる俺を母は含みのある目つきで咎め、義父は軽薄な笑みを貼り付けたまま、全てを知り尽くしたような双眸で紙面と食卓を交互に観察する。義姉はそんな同居人たちを尻目に、シニカルな表情で買い溜めた甘酒を飲み干していた。

 

 静かで、快適で、そして心底居心地の悪い朝。これを一生好きになれる気はしないが、変に気が抜けるよりはいいのかもしれない。

 俺はそそくさと飯を平らげた後、家を出る時間になるまで部屋に逃げ込んだ。

 

 それから登校時間がやってきて。今日はアラームに起こされるより一瞬早く起きたから、いつもより一瞬早く家を出ることにした。

 通学カバンを呻き混じりに背負って玄関に立ったとき、母親に呼び止められた。

 

「あんた水筒。今日は忘れずに持っていきなさいよ」

「……昨日忘れてたか」

「初めて高校の蛇口から水飲んだとか言ってたでしょう」

 

 また首を傾げる。呆れを全身で表現する母親から渋々水筒を受け取った。

 

「寝ぼけてんじゃないの。あんた、轢かれるわよ」

「勘弁してくれ」

 

 背中越しに鍵がかかるのを聞く。家を出るだけで、半分脱出するみたいな気分になっている自分が滑稽だった。

 ステレオタイプを具現化したと言わんばかりの一軒家には、型落ちのシビックとアルトが一台ずつ。その端で縮こまっているシルバー号を押し出す。

 

 すると再び違和感に襲われる。なんだろう、デジャヴュというか。しかしなにが違和の正体なのかがはっきりしない。

 跨ったシルバー号の乗り心地は常日頃から感じているのと変わらず、鈍重だった。

 俺は錆びついたギアをキィキィいわせながら色素の薄い青空の下に這い出ていく。

 

 

 

 

 

 

 並木道に沿って地面には桜色の斑点がまばらに浮かび上がっていた。

 往来の脇に植えられた植木は湿り、数日前と比べれば見るに堪えない姿になっている。

 運悪く、春の嵐にさらされた花弁たちはアスファルトの上で腐り落ち、路面状況を悪化させていた。

 雨に励起されたせいでむせ返るようなアスファルトの香りがタイヤのゴムと排気ガスの臭いと絡みついている。

 

 ペダルを漕いでいる間、俺はタイヤを悪路に持っていかれるのではないかとヒヤヒヤしながらハンドルを抑えていた。傍を通り抜けていく車列が鬱陶しそうにしているのがよく分かる。

 それでも生徒たちが増える高校周辺に比べればよほど行儀よく運転しているつもりだ。生徒の中には、自分の自転車に跨っている間は無法地帯になると勘違いしているような連中も居る。

 

 ありがたいことに俺は基本的にそういった集団とは無縁だ。なぜか俺の住んでいる地区周りには高校生が少ないようで、共通の通学路に差し掛かるまですれ違うことはほとんどない。

 個人的には耳障りな喧騒に悩まされる時間が短くてうれしいが。それも住宅街を抜けてコンビニの前を横切るまでの話だ。この向こうの大通りは駅に続いていて、それなりに通行人も増えてくる。

 俺は通りに隣接した公園に今日もゲートボール目当ての老人たちが集っているのを横目に、自転車を加速させた。

 

 交差点。交錯した道路の信号に赤色が灯るのを確認した。

 背後には車が迫ってきているのか、腹の底に響くような走行音が威圧してきている。

 俺は特に、路面と歩道の分かれ目にタイヤをスリップさせられないかと気を配っていた。前にこの隙間に盛大に転かされて、衆目を集めたことがあったからだ。全く、苦い思い出だ。

 

 回想もそこそこに。俺は注意深く対向車線を睨みつけて、交差点を渡ろうとした。

 

「───るーちゃんっ、ダメぇッ!」

 

 聞いたことのある声だと思ったのと。

 視界の端に映った何かと、足にぶつかってくる感触に対して反射的にブレーキを引絞ったのは、ほとんど同時だった。

 

 時間の流れが、変わる。

 あれ。

 前にもこんなことがあったんじゃないか?

 

 俺は思い出す。その違和感、その既視感。

 

 それは夢か、妄想か、それとも記憶か。判別はつかない。

 だからって、なにってわけじゃない。

 

 俺はフルブレーキをかけて重心を移動する。身を捩って体勢が崩れるのを防ごうとする。踏ん張るために足を出す。

 決して忘れていたわけじゃない。雨に濡れた路面のことは頭に入ったままだった。

 でも、どうにもならなかった。

 雑に履き続けてすり減ったソールは、咄嗟の動作で十分な摩擦力を生み出すだけの余力を残していなかった。

 運が悪かった。

 俺は力を殺しきれなかった。何もかもが崩壊していく焦燥感とともに、視界が急激にブレる。回転していく。

 

「るーちゃ───」

 

 停止。というより衝突。

 重力の蔦が肢体を地面に縛り付けたと理解して、頭をもたげるまで、実際は数秒もなかったはずだ。

 導かれるように振り向いた先にあったのは、ただただ単純な物理的現象だ。

 質量と速度に裏付けされた力を持った、タイヤとバンパ。

 それを認識できたのは幸か不幸か。

 風圧とゴムの湿り気。

 俺の目の前に束の間広がっていたのは、確約された死の未来だけだった。

 

 ギュッと目を瞑る。

 

 

 

 

 

 

12

 

12

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっきまでの眠りが幸せなものだったのかは分からない。

 

 俺は悲鳴を上げながらベッドから跳び起きた。布団を蹴り飛ばし、床に転げ落ちながら意識を覚醒させた。

 自らの身体をかき抱く。

 心臓は最高速に達したときのエンジンのように暴れていた。それなのに熱は一切感じられなくて、氷の粒が血管を流れているみたいに体中が痛み、震えていた。

 ああ。俺の手。俺の足。俺の頭蓋。俺のはらわた。

 べたべたと触る。確かめるまでもなく全部そこにあった。ちゃんと一つの群体として俺の肉体を構成していた。

 砕けているわけでもなく、千切れているわけでもなく、すり潰されているわけでもない。

 

 思い出して嘔吐(えず)いた。いや、イメージしたのか?

 分からない。理解が及ばない。

 

 まずどうして今俺はベッドから落ちたのか。なんで家に居るのか。

 俺は通学路に居たはずだ。そこで若狭の妹を避け損ねて───前と同じように……?───顔を上げたときには、眼前にフィアットが迫っていた。あれからコンマ数秒後にどうなったのかなんて、考えるまでもない。

 俺は死んだんだ。それなのに、俺は今自分の部屋に居る。

 ありえない。肉体には欠損どころか、擦り傷の一つもなくて、俺の死を証明できるようなものは一つとしてない。

 

 思考回路の合理的な部分はあの光景が幻だったのだと主張している。

 つまるところ俺は夢を見ていた。安直な悪夢を。

 そう考えることでしか、説明が付けられなかった。

 しかし、じゃあ。

 俺の全身を駆け巡り、神経を蝕んでいる、この得体の知れない痛みと不安感はなんだ?

 ことわっておくと、俺はそこまで鈍くないつもりだし、参ってもいないと自覚している。

 夢が夢であると知っていればすみやかに離脱することができるし、これまでに夢路に迷い込んだと気が付かなかったことはなかった。たった一度だってだ。

 

 仮にアレが夢だったとして。あまりにも感覚が冴え渡りすぎているだろ。

 

 俺は首を横に振った。自然と目に入るのはカレンダ、五月。背もたれの学ラン。夏服はパリパリ。

 それはまさしく、轢かれる前に出た自室そのままの有様だった。

 俺はスマートフォンを手に取る。よくよく聞くと、耳を塞がれていたのかと思うくらいにけたたましくアラームが鳴っていた。それくらい心境は混乱の極致にある。

 念の為スマホが示す日付も確認してみるが、これも目にしたはずのものと同様だった。

 

 では、これから俺は自宅を出て登校し、その途中で事故に合うのか? ()()

 なんとまあ馬鹿げた発想だと思う。

 これが天国の調べではないとすれば、夢は夢でも予知夢を見たのか、それともキリヤ・ケイジかぶれのタイムリーパ(All You Need Is Kill)にでもなったのか。

 でも俺はUSの赤いジャケットに助けられた覚えもなければ、ギタイをぶっ殺した覚えもない。

 

 頭を抱えていると、こんこんこん、と、控えめなノックが三回。静まり返った部屋に反響する。

 

「…………なんだ、起きてるじゃない」

 

 訪ねてきたのは気だるげな目元をした義姉だった。その肩は黒のレースが施されたネグリジェからはだけていて、そう。既視感がある。目眩がしてきそうだ。

 

「……入るけど」

 

 俺がだんまりなままなのを訝しんで、彼女はベッドの側まで寄って来た。それから力なく腰掛けた俺の顔を覗き込む。俺がその目を見つめ返しても、彼女はじっとしていた。普段は一瞥するくらいなものなのに。

 

「ひどい顔色。気分は?」

「……良くはない、かな」

「そう」

 

 答えると、彼女のしなやかな手が伸びる。避ける素振りを見せる気力もなかった。微かに指先が額に触れて、すぐに離れる。冷たい指だ。

 

「熱じゃない。ダメそうなら伝えてくるけど」

「いや、大丈夫だよ」

 

 俺はそう告げて立ち上がった。けど真っ赤な嘘だ。

 逆に大丈夫ってなんなんだ。大丈夫なことなんて一つだってありゃしない。まるで世界そのものが歪んでしまったような気分だ。

 

「着替えて、すぐに降りるからさ」

「……そう、分かった」

 

 義姉は束の間なにか言いたげにしていたけれど、すぐに興味が失せたようだった。

 時計を見上げると、起床の時間から大分経っていた。そのせいだろう。義姉は義父にせっつかれでもして俺の様子を確かめに来たんだ。

 俺は寝間着を脱ぎ捨てて、制服を身に纏う。上着に手を触れると、悪寒が背筋を走り抜けた。

 

 

 

 

 

 

 背後で扉が閉まる音がした。

 俺はシルバー号のグリップを握った状態で立ち尽くしていた。考えているのはもちろん、これから起こることについてだった。

 下の階に降りてからの展開は"前"と大して変わらなかった。

 出る前に母親から水筒を手渡され、昨日それを忘れていったという話をされ、忠告を受ける。

 腕時計が指し示す時間もほぼ"前"と変わりない。少しだけ早く、家を出る時間だ。

 

 生唾を呑み込む。

 脈の戻らない心臓を抑えつけて、俺はサドルに跨った。

 

 弱々しくペダルを漕いで、通学路を行く。

 見慣れた道だ。建物、高架下の落書き、破れたフェンス、井戸端会議、野良猫、日焼けしたキャラクタカード。

 視界に入るものは手に取るように分かる。

 異様なのは、何から何までが一度見たのと寸分違わぬ挙動をしていることだ。

 たとえば郵便局の車庫から飛び出してくる単車、ゴミ収集車の運転手がドアを開けるタイミング。脳みその中身がずるずる引き出されているみたいで、おぞましい。

 

 あの交差点に近づくにつれて鼓動は激しさを増した。頭の中でガンガンと警鐘が鳴り渡り、腕が震えてくる。

 やがて公園が見えてくると、足に上手く力が入らなくなった。

 

「おい……」

 

 誰に対しての呼びかけなんだか。とにかく気持ちだけが逸っている。

 俺はシルバー号から降りて、震える手足で歩道を押していく。

 痛いほど見開いた目は横断歩道に釘付けだった。俺をとりまく不可解な現象を紐解くため、一瞬たりとも目を離すまいとして。

 そこで俺は思い至る。

 これから目にするに違いない光景について。

 

 それはごくごく単純な道理だった。

 向こうの道に二人組の女子生徒が現れる。どちらも巡ヶ丘高校の制服を着ていた。夏服だ。

 彼女らは俺が転けたときにも横断歩道の先に居て、談笑しながら歩いていた。

 そうだ。"前の前"のときだって。

 

 ──────"前の前"?

 

「…………っ」

 

 そのとき、見覚えのある車体が脇を通り抜けた。

 俺は口を開け、何かしなければという念に駆られた。

 だが何を?

 額の裏側じゃ、現実に重なるようにして一台の自転車が車道の端を走っている。そこにいるはずの俺が、後ろから猛烈に追い上げてくるフィアットの前をノロノロと駆けていく。

 だがそれはいつかの幻影でしかないんだ。

 俺はここにいる。そのイレギュラーが引き起こす事態は、たやすく想像できたはずだ。

 

「あ───」

 

 全身がこわばって、喉が勝手に出力して。

 しかし、そのときには何もかもが手遅れだった。

 

「───るーちゃんっ、ダメぇッ!」

 

 若狭の痛烈な叫びが耳に届く。

 

 そして何かが破裂するような音が、一帯の時の流れを止めてしまった。

 

 数秒経て、群衆のどよめきが皮切りになって。

 

「ああああっ、あああああああああああああああ──────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SCHOOL-LIVE!

Revival of the dead

Revival of the dead

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日から、若狭悠里は学校に来なくなった。

 

 

 

 

 

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