Revival of the Dead 作:ボルケシェッツェ
思考の海が白波を立てている。さざめく波音が俺から現実を遠ざける。
それまで粛々と授業を聞き流しているつもりだったが、周囲はとっくに帰り支度を始めるなり、部活に出向いて行くなりと騒がしくなっている。まるで俺の席だけが半透明の薄膜に覆われていたみたいだった。
「悪趣味な奴らだよ」
人だかりをぼーっと眺めながら、徐に息を吐いたせいだろう。
机に寄りかかった山神が言う。
誰とまでは明らかにしなかったが、する必要もないだろう。学校全体が妙に浮ついていることは、校舎に足を踏み入れた瞬間に誰だって分かったはずだ。
とりわけ俺たちの学年はそれが顕著だった。皆どうってことはないって、一部はさも哀しげな顔すらしてみせて、異口同音にひとつのニュースについて語る。その目の中にギラついた昏い色を宿しながらじゃあ丸分かりだって言うのに。
昨日。
若狭悠里とその幼き妹を見舞った悲劇は、鮮烈なゴシップとして生徒たちの耳を駆け巡った。
すっと目を眇めて、「あいつら」と山神は顎をしゃくった。
「昨日から舌が回りっぱなしだ。表じゃあんなふうに悲劇の目撃者らしくしてるが、実際はグループラインに現場の動画まで上げてたらしいぜ」
彼の視線の先には二人組の女子生徒が居て、彼女たちには俺も見覚えがあった。フィアットが通るとき、横断歩道の向かいを通りがかった二人組だ。そして彼女らが事故を目にして何をしていたのかも知っている。
いや、彼女らだけではない。あのとき交差点の周りに居た人間が取った行動にはそれなりの一貫性があった。
「俺が潔癖症ってだけか? どう思う」
山神は侮蔑の意を隠そうともしなかった。二人の女子生徒が声高に事故の様相をひけらかし、真面目腐った表情の連中が往来の只中に小さな輪を作る。飛び交うのは決まってがらんどうの同情と無益な憶測だけだ。
あれに不快感を催すってことは、俺も山神と同程度の倫理観は持ち合わせているのだろう。
けれど俺に彼らを批判する資格があるようには思えなかった。
「いや……」
「どうしたお前。昨日から妙に元気ないけど、この空気に当てられでもしたか?」
「そうじゃない……けど、どうなんだろうな」
諸々の話のタネであるあの交通事故が、俺の心情を苛むファクタの一端であるのは確かだ。しかし俺がここまで困惑しているのは、そこに世界線という冗談じみたスケール感が絡まってくるからだ。
件の日、若狭悠里の妹が轢死した日。
俺は一度死んだ。
そしてもう一度あの現場へ足を運び、今度は生き残った。若狭の妹が赤信号に気づかず飛び出していくところを
この二日間、あまりにも非現実的すぎる現象に見舞われた俺に余裕などがあるはずもなく、頭の中は手つかずの疑問でひしめいていた。
どうして俺は死んでいないのか。
どうして時間が巻き戻ったのか。
どうして俺は、未来を変えることが出来たのか。
たちが悪いのは、これらはどうやっても存在証明のしようがないことだった。今のところこの現象を観測できているのは俺だけで、実際に俺が"死に戻った"ことを説明する術は一切ない。
現代において、科学的に裏付けのない事象は敵視されているといっても過言ではない。そんな最中、俺はループを信じることもできないし、ましてや周囲に相談などできようもなかった。適当な病名の記された診断書を貰うのがオチだ。
夢か、幻覚か、それとも現実か。
あらゆる疑心暗鬼に囚われた俺の自意識は、もうズタボロだった。
「あんとき、俺も見てたんだよ」
そうやって溢してしまったのは、抱え込んだジレンマを少しでも和らげたかったからだ。
「考え込んでるのはそれとは別なんだが……まあ、どうしてるのが正常なんだろうかってのは思うよ」
それは目撃者になったことへの苦悩に見せかけた、自分自身への疑問視の科白に違いなかった。
だが懐の深い山神は真剣に受け取ってしまったようで、首をさすりながら注意深く言葉を選んでいた。
「ん……ありきたりに答えりゃ、正解なんてないんだろうけどさ。たとえお前がどう感じていたって……お前はああやって触れまわってるわけじゃない。そういうことじゃないのか」
「……そうか、山神がそう言うならそうだな」
「お前の中の俺の扱いどうなってんだ?」
山神は口角を引き攣らせた。俺は手をひらひら振って誤魔化す。
そのとき、ある思いつきが降って湧いたのは、重い腰を上げるのに好都合だった。
「帰んのか?」
「ああ」
「お前、たまには部活に顔出せよ。そんな頻度の高いトコでもないだろ、写真部」
だからこそ幽霊やってんだろうけど、と山神は付け加える。
俺の脳裏をよぎったのはいつかの出来事───それが実際に起きたか定かではない───で、柚村が口にしていた提出期限のことだ。
「分かった、たまには出てみるよ」
「うわ、不気味だな。急に前向きなってんの」
俺は苦笑した。
俺はでたらめに望遠レンズの倍率をいじりながら、グラウンドや貯水槽にフォーカスしてみては、手応えのなさに肩を落とす。
どうせなら手っ取り早く終わらせてやろうと思って、俺は市のコンテスト用の写真を校内で撮影することにした。
部室へはその旨を伝え、撮影機材を借りるために久方ぶりに顔を出したのだが。顧問を含め、部員たちの珍獣を見るような目つきにさらされた俺は、針の筵に座らされたかの如き気分を味わった。
一旦カメラを構えるのを止めて、欄干を背もたれ代わりに屋上を見渡す。
教室棟の屋上はさして広くもないが、狭くもないといった具合の広さで、その半分を園芸部が育てる植物のプランタが占めていた。
そういえば。いつだったか、若狭は園芸部所属だと話していたような。
繰り返し時間が巻き戻ったことの弊害なんだろう。あれ以来、俺の記憶はめっきりと混濁しやすくなった。
俺は手すりから身を乗り出して下へ顔を向ける。
階下まではざっと十ニメートルといったところか。仮にここから落ちれば、難なく死ぬことができるだろう。
俺は逡巡していた。
さながら三回目の死を経験した後のキリヤ・ケイジのように、先任からハンドガンを借りて自分の頭を撃ち抜くかどうか。ここにはそんなものはないから、飛び降りるなり、電車に飛び込むなり、何か別の方法を考えなければならないのだが。
だから、市コンの写真を学校で、というのは半分口実だった。
俺は一番最初に思いついた"楽に死ねそうな"場所に足を運ぶための適当なワケが欲しかっただけだ。
しかしこうして葛藤している時点で、最初から俺に自殺を試みる気など有りはしなかったのかも知れない。
くだらない悪夢だと思っていた
ようするに、俺は自殺なんて冗談でしか言えないくらいに怖がっている。
「そこで何をしているんですか」
振り返る。いつの間にか通用口の扉が空いていて、そこから教師がこちらを伺っていた。
声音が少し固い。
そういえば今の俺は欄干に手をついて前のめりになっているわけだから、ひょっとすると飛び降りるんじゃないかとでも思われたのかも知れない。実際検討はしていたから、あながち杞憂でもないんだが。
「写真撮影です」
俺は首から提げた一眼レフを掲げてみせる。
「写真ですか?」
「写真部っす」
自分で言っていて全く口に馴染んでいないのが分かった。
教師───佐倉先生だったか───は大して訝しんだりはせず、ただ傍まで寄ってきて手すりから乗り出すなと注意した。口うるさく小言を重ねられるのかと身構えていたがそうでもなく、彼女は興味深そうに俺の手元を見た。
「どんな画を撮るつもりなの?」
「いやそれが、目途は立ってないんですよ」
「そう……品評会に提出したり?」
「巡ヶ丘市の同好組合がやってるコンテストです。そんなに畏まったもんじゃないですよ」
品評会なんてとんでもない。勝ち抜いたところでWEBと、地元の広報誌と、役所と商店街の掲示板に控えめに張り出されるくらいの、コンテストというのもちょっと過剰な表現なんじゃないかと思うような、小さな催しだ。
二年前には廃部になりかけていたことから分かるように、ウチの写真部は強豪だの弱小だのというメジャーで測れるようなレベルではない。いくつかの公式的な大会には参加するが、主な活動として挙げられるのは地元のPRや学校行事での撮影ぐらいなものだ。
俺はそんな部の中で幽霊をやっているようなやつだから、腕前の方はお察しだった。
「機材の持ち出し申請するのも面倒だったんで、どうせなら高校の中で撮ろうと思いまして……ただ結局、何を撮るか全然決まらなくて。そうだ、先生なら何にピントを合わせますか?」
「え、わたしですか? んー…………」
佐倉教諭は両の人差し指と親指でフレームを作ると、片目を瞑って覗き込む。
唸りながら、彼女は腰を捻ってアングルを試していた。虚空に投影されたレンズが放課後の校舎の風景を順番に映していく。
身も蓋もないようだけれど、ずいぶんとあざとい仕草だと思って俺は笑ってしまった。
「わたしならやっぱり……」
それから彼女の手は俯いた角度で、黄色く反射するグラウンドと空を映し出して止まった。
「青春の一コマ、っすか」
「あはは……学校って学生のシンボルだけど、その逆も然り、かなって」
眼下では陸上部員たちが部活動に勤しんでいる。元気よく声を挙げた女子生徒がOBらしき男性にアイコンタクトを送って駆け出していく。どこかでホイッスルが鳴り、誰かが怒号と激励を飛ばす。
「大人になって、学び舎の形は思い出せても、そこに誰が居たのかを思い出すことができなくなっていって……わたしなら、そういうのを写真に残しておきたいかなあ……」
遠い記憶を思い起こすふうに言う佐倉教諭に俺はどう返せばいいか分からず、「なるほど」と苦し紛れにつぶやいた。
砂の香りがする風が吹き、彼女の長い髪を吹き上げていく。
それにつられて目をやれば、彼女はなびいた髪を抑えながら、寂しげな瞳でプランタの列を見つめていた。
佐倉教諭にそういう意図はなかったのだろうが、俺には彼女の言葉が若狭の妹のことを指しているように思えてならなかった。
そのせいで、俺はあえて考えないようにしていた可能性に思い至ってしまった。
昨日。その早朝。
俺が部屋で覚醒する瞬間が
俺には引け目がある。
あのとき俺が足を竦ませず、上手く行動できていたならば、若狭の妹は死なずに済んだんだ。
そして俺は一度、無自覚に最良の結果を掴み取っていた。
だからこんなふうに思うんだ。彼女を助けるためにもう一度死んでやり直すのが、俺の義務なんじゃないのかって。
それはあまりにも偽善じみた思考だった。
でも、俺が本当に死に戻れる力を持っているとすれば、物語の主人公みたいな傲慢だってきっと押し通せてしまうんだ。
唇を噛む。
誰も教えてくれやしないのに。俺は一体どうすればいい。そればかりが頭の中で渦巻く。
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「あれ、何を聞こうとして……」
眉間を揉んで時計を見た。短針がⅢの字に差し掛かっている。
いつか山神に紹介してもらったディスコードのチャンネルにはその後も様々な話題が書き連ねられていたが、徐々に俺が求めた返答からは遠ざかっていった。
一ヶ月後にリビングデッドで世界が滅ぶだなんて、事故で死んで時が巻き戻るよりも大それた話だ。
だが何もせずにいるよりは、今は馬鹿げた妄想に本気で打ち込んでいる方が楽にしていられる気がした。
ずっと、あのときの若狭の慟哭が耳に焼き付いて離れないんだ。
「……やってらんね」
俺はラップトップの画面を閉じて湿気たベッドに倒れ込んだ。
まぶたを下ろすと、押しとどめていた眠気がなだれ込んでくる。
意識が水底に沈む前の一瞬、何故か柚村のすすり泣く声が若狭のそれに重なっていた。