Revival of the Dead   作:ボルケシェッツェ

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究極ご都合展開ッッッ


#1-2

 

 ガタガタと上履きと椅子の足が音を立てて、俺は不可視の拘束服から解放されたような錯覚に陥った。

 

 ボサっとしている暇はない、か。俺もせっかちな連中に倣って席を立つ。

 

「よう、帰りか」

 

 いそいそとリュックを背負っていると声が掛かる。山神が気だるげに、しかしどこか得意げに片手を上げていた。

 

「ああ」

「お前、今日は落ち着きがないな。コレか?」

 

 ニヤつきながら小指を立てる山神に、俺は首を横に振る。

 

「そんなんじゃないよ。誘ってくれた映画が楽しみなんだ」

「んー……この流れでそれを言われるととっても複雑な気分になるんだよなァ……」

「そう言うなよ。俺は楽しみにしてる、今夜のデート」

「うへぇ」

 

 山神は口をへの字に曲げる。その肩越しに辛気臭い顔をした沢渡ゆかりが見えた。

 そういえばこいつ、この後自作映画のフィルムを切って沢渡に観せるんじゃなかったのか? 二人きりでとは言っていなかったが、どう考えても俺よりは山神の方が女っ気が有るじゃないか。

 そう思いはしても指摘してやるつもりはなかった。

 

 なんか、また既視感。

 

 ともかく今日は、"Xデー"(感染エンド)だ。

 長々とここにいるわけにはいかない。

 ループの中に見たこの世の終わりが真実となるかを確かめるために。そしてそれが実現したとき、少しでも生き残る可能性を高めるために。

 俺は自分が()()であるかどうかをこれから検証しなければならないのだ。

 

「じゃ、今夜21:20にシアタの駐輪場でな」

「了解」

 

 教室の戸口で山神と別れる。

 そのまま俺はそそくさと玄関口に向かって足を運んでいく。

 俺のチンケな脳細胞がぎゅるぎゅると唸りながら稼働している。思考回路ではこの一ヶ月の間に組み立てたシミュレーションをリピートしていた。

 やはり荒唐無稽な話だから、得られたものは少ないが、それでも思いついたことはそれなりに対策した。

 

 その中の一つがパンデミックが始まるまでに要する時間の長さだ。

 最初。俺が爺さんの感染体に咬まれたのは放課後、柚村が連れて行ってくれたあの山でだ。あのときはぐんぐん進んでいく柚村に喰らいつくので手一杯で、所要時間なんて気にしていられなかった。

 改めて調べてみたところ、ここから山までは自転車で大体一六分程度。三.五キロほどの距離があった。それにしばらく歩いて神社まで行ったのを加えると、おそらくパンデミックが拡大したのは放課後に入ってから約二○分後。

 対して、自宅までの通学時間は平均七分前後だ。

 厄介事に捕まりさえしなければ、家に戻って籠城を始めるまで十分な時間が有るはずだった。

 

 不意に足を止めてしまったのは、思いもよらなかった顔を見たからだ。

 生徒の流れに逆らって階段を昇っていく女子生徒。

 俺の見間違いでなければ、長い栗毛を揺らして歩くその姿は、一ヶ月前に見た若狭悠里そのものだった。

 

「……あ、おい茅ヶ崎」

「え?」

 

 その場に立ち尽くしていると、横合いから呼び止められる。

 

「今日報告会だぞ。さっさと行け」

 

 社会科教師の三上が、親指で背後の教室を指した。三上は月一で開かれる委員活動報告会の顧問を請け負っている。ついでに、俺が楽そうだからと思って就いた選挙管理委員会の顧問も。

 

「……は、いや、今日は用事があって」

「事前に言っといたか?」

「はぁ、いや、副委員長は?」

「今日は病欠だ。おまえ普段からまともに出てないんだから、今日くらいちゃんとやってけよ。委員長だろ」

 

 三上はいつものふてぶてしい仏頂面のまま言った。

 俺は頭をかきむしりそうになったのをなんとか抑える。ここで足止めを喰らうとは。

 

「急ぎなんですけど……」

「なんの用事だよ? どうせ一○分もかからずに終わるぞ。それに選挙委員会なんて二学期入るまでやることねぇんだから、報告したら抜け出していい。報告書はちょっとだけ待ってやる」

 

 俺は迷った。確かにこの報告会は形式だけのもので、さして時間はかからない。感染拡大が想定通りに進むなら、街が感染者で溢れかえるまでに多少の余裕は有る。

 だが、命を左右する状況で委員会の仕事をやってましたというのも馬鹿みたいな話で、それをいうならなんでクソ真面目に登校したんだっていうことで。

 

 やっぱり俺は、心の奥底ではパンデミックなんて信じちゃいないのかもしれない。

 

「……分かりました」

 

 俺は渋々三上の後に続いて行った。

 それが命取りだったとも思わないで。

 

 

 


C H A P T E R 1

 

 

アンウェルカム・スクール

unwelcome school

 

───────────────────────────────

 

 


 

 

 

「──────ッ」

 

 突然、脳に通っていた酸素を全て抜き取られたみたいだった。

 壮絶な不快感が神経に氾濫する。

 

「あっ、気がついた?」

 

 滲んだ視界は一面真っ白で、少し薬品臭い。

 とにかくぷっくりと膨らんだ倦怠感が思考を鈍らせていた。それをズキズキとした痛みが咎めている。

 

 なんだ?

 ここはどこだ?

 俺はどうしてここにいる?

 俺は確か、放課後になって教室を出て、そう、今日がパンデミックの日で、二○分、三上先生───。

 

 がばっ、と上体を起こした。ぐらりと倒れそうになって手をつく。柔らかいシーツの手触り。

 

「せ、せんせえ」

「はいはい、あー君、落ち着いて聞いてね」

 

 嗄れた女の声が耳に絡みつく。丸椅子がか細く呻いて、白衣をまとった中年女性が俺の顔を覗き込んでいた。

 俺は周囲を見渡した。花柄のパーティションに混じって身体測定に使う器具が見える。どうやら学校の保健室らしい。

 途中で妙ちきりんな帽子を被った女子生徒と目が合った。髪を分けた額のあたりから湿布がはみ出ている。セーラーの色が何故か緑ではなく青い。

 

「ここ、どこか分かりますか」

「学校の、保健室」

「どこの学校?」

「め……私立巡ヶ丘学院高校、です」

 

 なにか漫画やドラマにありがちな問答だ、と考えて、そこで俺はなんとなく現状に見当がついた。

 小さなペンライトを構えた養護教諭が不躾に頬骨に手を添え、瞳孔を観察してくる。柔軟剤の香りに混じってかすかに加齢臭がする。

 

「名前とクラス、出席番号を言ってください」

 

 この状況は。

 段々と、鼓動のBPMが上昇し、モヤがかった後頭部がちりちりとした焦燥感に染め上げられる。

 

「言えますかー?」

「茅ヶ崎真嗣、3-D、出席番号9番」

 

 言葉にすると養護教諭が振り向く。視線の先を追えば、いつぞやの佐倉先生が引き戸のそばに立っていた。彼女はちらりと俺に目をやってから、神妙に頷きを返した。

 

「ここに来るまでのことは覚えてますか」

「……いえ」

 

 頭を振ると、唐突に女子生徒が「ごめんなさいっ」と勢いよく腰を折った。

 

「……君は廊下の曲がり角で階段から駆け下りてきたそこの、丈槍さんとぶつかったんだよ」

「ほ、ホントにごめんなさい……」

「一応、ここまでは自力で歩いてきたんだけどね。ま、脳震盪だね」

 

 さもなんでもないというふうな養護教諭の言い草が、俺の焦りを加速させる。

 そんなことはどうでもいい。いま何時で、いや、あれから何分経った? 時計はどこだ、いや。

 俺は覚束ない動作で左腕を持ち上げた。

 時間は───放課後になってから一七分が経過しようとしていた。

 

「あっ」

「あー、まだ安静にしてないと」

 

 制止など意に介さない。ふらつきながらベッドから立ち上がる。

 とにかくここから立ち去らなければならないのに。でもどこへ行くというんだ? よりによって学校という、不特定多数の人間が集う場所に留まるのは悪手中の悪手だ。

 自宅に帰っている時間はない。ここから逃げ出している間に事態は行き着くところまで行ってしまうだろう。ならどうする。俺はいまからどうするべきか。

 たぶん、奴らは高低差に弱いんだ───。

 

「屋、上」

「え?」

 

 酩酊感にも似て、気を抜けば膝が落ちそうな浮遊感が重心を狂わせる。

 千鳥足で教諭と女子生徒の間をすり抜け、ひったくるように立て掛けてあったリュックを確保する。

 

「あっ、こら検査はまだ終わってな───」

 

 精一杯の駆け足で出入り口を通り抜けていくとき、佐倉先生の伸ばした指先が肩を掠めた。彼女の半開きになった口がなにを告げていたのかはよく聞き取れなかった。

 

 強引に保健室を飛び出した先にはまだなんの変哲もない日常の風景が広がっていた。ジャージや、ユニフォームや制服を纏った生徒たちが思い思いの方向へ行き交って。下らない科白で煮詰まった喧騒が耳を満たす。

 しかし、俺が出るのと同時に、重なった足音が近づいてきた。

 その持ち主は血相を変えた教師陣で。

 俺と彼らは互いに一瞥してから急を要する問題へと向き直った。

 

「五十嵐先生っ、ちょっとグラウンドへ……」

「えぇ? あー、佐倉先生……」

 

 聞こえてくる会話から意識を断ち切り、階段を駆け上がる。

 気絶までしていたからには、相当強く頭を打ったらしい。冷や汗の吹き出す毛穴とともに後頭部が疼いていた。衝撃が後を引いて、世界のジンバルがイカれてしまったみたいだ。

 気を抜けばいまにも足をもつれさせて倒れ込んでしまいそうだった。そんな調子で必死こいて昇ってくるから、すれ違う連中は奇異の目を向けてくる。

 

 歯を食いしばって、とにかく上を目指した。

 一階から二階。もう息が上がってきている。

 二階から三階。ぶっ倒れそうになって手すりにしがみつく。ビデオカメラを持った二人組の女子生徒とぶつかりそうになった。

 三階廊下を抜けて、屋上に続く扉へ。

 

 ああ、俺、なにやってるんだろう。短時間のうちに繰り返しその一節が浮かぶ。

 イカれてるのは世界のほうじゃなくて俺だろ?

 ただそれを認めるだけでいいのに。

 それだけで俺はこんな苦しみからは解放される。

 

 実際は何もおかしなことなんか起こりやしないさ。

 殺人ウィルスのパンデミックだなんて突拍子のないこと、ジョージ・A・ロメロの映画じゃないんだから。ネジが外れている(ザ・クレイジーズ)のは俺の脳みそだけで、現実は【ビューティフル・マインド】みたいな感じ。

 俺はこれから屋上に出て、そこで園芸部の部員たちに睨まれている間にタイムリミットは過ぎて、追い出されて。保健室の先生に叱られて、大学病院に連れて行かれて検査を受けて、物理的損傷は無いと言われて。正常なフリをして再び日常生活へ溶け込もうとしていくんだ。

 

 そうに違いないとも。

 膝に手をついて、俺は自分に言い聞かせてから、ドアノブを押した。

 

 薄暗い踊り場から這い出ると、まず眩い西日が視界を染めた。

 

「……あ? 茅ヶ崎?」

 

 目を眇める。

 屋上には二人先客が居て、そのどちらも見知った顔ぶれだった。

 柚村貴依はお馴染みのカメラバッグを吊り下げ、欄干のそばから急に現れた俺を意外そうに見つめていた。

 若狭悠里は軍手を嵌めた手に小型のスコップを持ってプランタの土を弄っていた。彼女もまた、闖入者の登場を訝しんでいた。

 

「なんだお前、大丈夫か?」

「あの……屋上は原則、活動中の園芸部員しか入れないんですけど……」

 

 若狭が遠慮がちに警告し、柚村はバツが悪そうに頭を掻く。

 

 奇しくもループする前、俺の最期に居合わせた二人との遭遇で、落ち着かせようとしていた心拍数が高まっていく。

 俺は彼女らの視線を振り切って欄干ににじり寄った。

 フェンスの向こうから吹き付ける風は砂煙臭く、そこに腐葉土と青い葉の香りが乗る。それとなく夏の訪れを知らせるような、爽やかで情緒的なクオリアが籠もった匂い。

 

 俺はそれを嗅いだことがあった。

 ゲロと砂と、首筋から溢れ出る鮮血の中に沈んで。隣でなにか言いたげに佇む少女に看取られながら。

 俺は若狭が悲鳴を上げて崩れ落ちるあの朝へと遡ったんだ。

 

「は、はぁっ、し、しんど〜っ」

「……っ、茅ヶ崎くんっ、そこにいるんですかっ」

「……うおぉい茅ヶ崎、お前マジで何やらかしたんだ」

 

 佐倉教諭と、おそらくは丈槍とかいう生徒の声が響く。

 わざわざ追ってここまで上がってくるとは。若干の申し訳なさに駆られるが、それでも俺は遠景から一度だって目を離さない。両目を皿のごとく見開いて異変を探す。

 校庭も、ネットの向こうの街並みも、そこに居るはずの人々も。

 彼らが狂い始める瞬間を観測したとき、真に俺の地獄は始まるというのに。

 

「やっべ、あたしどやされる前に退散すっから……」

 

 教師が来たことで園芸部員でもない自分が屋上に進入しているのを咎められると思ったのだろう。踵を返す柚村に、待て、それは駄目だ、と告げようとしたときだった。

 

 誰のものとも分からない。

 

 裂帛の悲鳴が大気を切り裂いて、そこにあった日常を両断した。

 

「ねぇ、めぐねえ……なに、()()…………?」

 

 最初にそれを指摘したのは丈槍だった。

 彼女もまた手すりから下界を見下ろして、隙間からグラウンドに顕れた異常を指差した。

 

 俺は彼女の指が指し示す光景に釘付けになっていた。

 あまりにも常識から外れたワンシーンが現実へと降り注ぎ、それは波紋を呼んで、風景へと変わっていく。

 

 その冒涜的な惨劇は視界の至るところで行われていた。

 

 すなわち、狂える者が隣人の血肉へ犬歯を突き立てる。いつか俺がそうされたような凶行が、俺たちの眼下でまさに遂行されていた。

 

 発端がどこだったのか。もう判別がつきそうにない。

 ジャージの女子がジャージの男に噛みつき、トレーナーを着たコーチがユニフォームを着た生徒に組付く。

 逃げ惑う人々のほとんどはそれが伝播するだなんて微塵も考えていないだろう。なんの兆しもなく浸透してきた感染者に怯え、逃げ惑い、絶叫する。

 ある者は倒れ伏して痙攣し、ある者は患部を抑えたまま逃奔する者の群れに紛れて───。

 

 マズい。

 

「扉ッ、閉めてくださいっ」

「……ぇ」

 

 佐倉先生はただ呆然と立っているだけで反応しない。

 咄嗟に俺は開いたままの扉へと駆け寄って、頼りなさそうな音を立てて閉まるそれを目一杯押し込んだ。

 

「クソ、これ外側に鍵付いてねえのか」

 

 内側と違い、ノブのこちら側には鍵穴もつまみもついておらず、施錠することができないらしい。

 

「……おい……何やってんだ、お前。すぐこっから出なきゃ……」

「馬鹿言うなよ、自分からバケモンの群れん中に入ってくっつうのか?」

「バケモン、って」

 

 柚村は口許を引つらせて瞳を揺らした。

 

「……なあ、これドッキリとかじゃないのか? こっからじゃ下がどうなってるかイマイチ分かんないし、降りて先生とかに確かめた方がいいって……」

 

 もっともらしいことを宣う柚村に俺は苛立つ。

 そうだ、平時なら俺だって似たようなことを考えたかも知れない。だが俺は奴らに怯えきっていた。咬まれて感染し、避けようのない死に引きずり込まれていく苦しみを一度味わっているからだ。

 

「見りゃ分かんだろッ! アイツらはもうヒトじゃねえ、あの数相手に無事に逃げられるってのか!? 学校を出たとしてどこへ逃げ込むッ!? いま出てったところで、咬まれて仲間入りするのがオチだろうがっ!」

 

 両手でノブを押さえ、感情のままに怒鳴り散らす。背後に居た柚村や丈槍はビクリと肩を跳ねさせた。特に丈槍は血の気の引いた顔でスカートの端を握りしめている。

 

「咬まれて……仲間入りする……?」

 

 畑から立ち上がった若狭が不思議そうに繰り返したことで俺は己の失態を悟った。

 なりふり構わずにここへやってきた時点で明らかに不審な動きをしていたわけだが、ここで感染者の習性を知っているような素振りを見せるのはいよいよおかしい。

 この騒動自体を話半分に考えていた弊害だ。

 万が一。

 万が一感染者が出現したら。それがいままでの俺の行動原理だったんだ。

 ループを前提にして動く上でどうやって他人に向けて取り繕うかなんて想定しちゃいなかった。

 

 下で始まったばかりの感染の原理を現時点で把握しているのは変だし、学外でも同じ現象が生じているというのを言外に口にしているのも矛盾するんじゃ。

 いや、前の周で俺はどうやってそれを知り得たか、だ。

 

「ネットに……SNSに乗ってる。いま何が起こってるのか、多少はな」

 

 若狭がスカートのポケットに手を突っ込んだのとほぼ同時。

 ドアの向こうからざわめきと共に生々しい悲鳴が漏れ聞こえ始めた。

 

 一帯にさらなる緊張感が走り、足が竦みかける。

 いまさらながら俺は自分がやろうとしていることの残酷さに気づいた。

 ここでドアを抑えていれば俺たちは一時的に死の危険を凌げるだろう。ここに居る人間は誰も感染者に接触していない。屋上に立て籠もっていられる限りは、咬まれて感染することはない。

 その代わりに、扉越しに聞こえる悲鳴の持ち主を犠牲にして。

 

 感染から発症してヒトとしての意識が死を迎えるまで、多少のタイムラグがあることは他ならぬ俺自身が証明しているんだ。

 命からがらここまで逃げてきて、目と鼻の先に安全圏があると分かっていて。

 それなのに扉は開け放たれることはなく。

 背後から迫る感染者の群衆に呑まれ、ヒトとしての尊厳すら守られないまま絶命していく。

 そんな終わり方は、俺だって絶対にしたくない。たとえループするとしてもだ。

 

 それを俺はいまから、無辜の学友たちに強いるんだ。

 

「クソッ」

 

 考えるべきじゃなかった。

 悪寒で背筋が震えて、ほんの少し残った正気までどうにかなりそうだった。

 

 一体俺はなんのために、なにをやっているんだ?

 

 こんな大罪を背負う必要がどこにあるんだ。

 忘れたのか? 俺は死んでも死なないじゃないか。耐え難い苦しみはあっても、次目を開ければそこは一ヶ月前の自室だ。

 俺はもう失敗している。

 若狭の妹を死なせている。

 やり直せばいいじゃないか。そうして今度は予定通りにいくようにやればいい。

 

 で?

 それでどうする。

 彼女を生き残らせたところでグールが湧いてくる。そうすれば幼い彼女はきっと死ぬ。

 俺だって死ぬ。死んで巻き戻り、同じ一ヶ月を繰り返す。

 それになんの意味がある?

 

 ああ、理解れよ。

 残念だけど、俺にとって死は救済たり得なくなったんだ。

 俺は、それを受け入れなくちゃあならない。

 

 だからさ、死んでくれよ、足音の君。

 

 ガンガンガン、と合金越しに決死のノックが伝わってきても。

 

「ひっ!?」

『開けっ……!? おいっ、誰か居るのか!? 頼む、開けてくれっ』

「茅ヶ崎くん!」

 

 絶叫じみた懇願をしているのは女子生徒だ。その後ろにはおよそヒトならざる呻きが大挙していて、たくさんの感染者が肉薄してきているのは明白だった。

 

「咬まれたか」

『……何をっ!? 怪我人が居るんだッ! 早くドアを……!』

「それじゃあ開けられねぇんだよッ!」

『なんでッ!?』

 

 お願い。勢いを増していく人外の唸りとは反対に、彼女は絞り出すように頼んでいた。

 いまにでも耳を塞ぎたかった。扉を開けて迎え入れて。それで彼女は助かる。

 けれど、俺は歯を食いしばって腰を落とした。

 俺は生きたい。生きて()()()まで辿り着きたい。

 よしんば声の主が感染していなくとも、彼女の連れている怪我人は確実に感染者であるはずだ。

 この閉所に感染者を招き入れるなんて、ほとんど死と同義じゃないか。

 だからここを開けるわけには。

 

 そんな決意を、やってきた衝撃が吹き飛ばしてしまった。

 があ、と腹から空気が抜けて悲鳴になる。

 

「早くっ」

「……ッ! あああっ!」

 

 予想外の方向から掛かった力に、俺は簡単にコンクリートに打ち付けられる。

 傾く視界に捉えたのは佐倉教諭の背中と躍動する毛先で、迫りくる手の波から逃れるようにして二つの人影が転がり込んできた。

 

「こ、のっ!」

 

 ああ。そうだな。

 あんたは教師で、まともな倫理観を持ってる。あんたは生徒を守る義務を背負ってる。

 そうするのが正しいやり方かは別として。正しい在り方なんだろう。

 

「めぐねえ!」

「ぅ、おぉ!?」

 

 叫んだ丈槍が抱きつくようにして、佐倉先生の後ろから扉を押さえる。

 柚村が、若狭が。全体重を掛けて扉を支える。

 

 俺は。

 俺は。

 俺は、なにを。

 

「クソッ」

 

 踏ん張り、歯噛みする彼女らの吐息が重なる。隙間から伸び、蠢き、周囲を叩く手の音にかき消されていく。

 俺は頭痛をこらえて立ち上がり、プランタの方へ走った。

 お目当てのものは柔らかい土の上に安置されている。俺は爪の間に土が挟まるのも構わないで、さっきまで若狭が握っていた小型スコップの柄を握りしめた。

 覚悟を決めるだとか、そういうプロセスは捨ておいて。

 

「あなた……!」

 

 どういうふうに受け取ったんだか。

 細めた両の垂れ目を瞠った若狭を尻目に、俺は佐倉先生の隣まで歩み寄って。

 逆手に携えたスコップを、低く伸び、偶然佐倉先生の手に重なった土気色の腕に向かって、思い切り振り下ろした。

 

 最悪の手応え。

 フィクションとは違う。勢いはなく。鈍く、どす黒い死血が腕を振るうたびに何度も何度も飛び散った。

 一つが落ちればもう一つ。何度も何度も何度も。

 嫌な金属音で扉の縁がドア枠とぶつかるまで。俺はニ○分前まで人間だったものに向かって凶器を振り下ろし続けた。

 やがてラッチが溝に嵌り、最後の生存者の方を振り向いたとき。

 

「せん、ぱい……?」

 

 俺の懸念は的中していた。

 浅く傾いた日照りの陰で、その人型は揺らめくように腰を上げる。

 赤いジャージは学校指定のものだ。その肩口は元の色でなく、俺のカッターシャツに沁み込んだ返り血の如く黒く重苦しく変色していた。

 彼は、()()()()まではそれなりに端正な顔立ちをしていたに違いない。鼻筋の通った中性的な造形も、歪んだ顎と黒く浮き上がった血管のせいで台無しだ。

 おまけに瞳孔が開ききって混濁し、充血してあらぬ方向を彷徨う眼差し。

 あれではその身に受けていたであろう尊敬の念も羨望の視線もあえなく霧散してしまうというもの。

 例えば、足元で狼狽える女子生徒のそれとか。

 

 プルースト効果をもたらしていた風の匂いは血腥く染められて、時の変遷を浮き彫りにする。

 

「嘘、だ。先輩」

 

 違う、と。未だ攻勢の収まらないドアを背にした若狭が呟く。

 

「アレはもう、あなたの先輩じゃない……っ!」

「ぇ……?」

 

 一歩。

 腰を抜かしている少女の元へと先輩だったものが歩みを進める。

 一歩。

 いつかの老爺に似て、だらしなく開いた口から唾液とも血ともつかない体液が滴り落ちた。

 一歩。

 地に着いた掌が滑り、ジャージの女生徒が後退り損ねる。

 一歩。

 

 そこで思った。

 ひょっとして、俺はちょっとした勘違いをしていたのかも知れない。

 俺は背負ったままだった通学用のリュックを落として前に動いた。

 

「ぁ」

 

 大したモーションは必要ない。俺は彼女の横からそいつに近づいて、右足をまっすぐ蹴り出しただけだ。

 訓練されてもいない、まるで殺傷力もないただの前蹴りだけれど、三半規管の衰えた動く屍体をよろめかせるのに難はなかった。

 腹を蹴り上げられたそいつは抱え込む形で尻もちを着く。

 

「───やめろ」

 

 ゾッとしなかった。

 そいつは俺を殺した怪物のはずだった。大量の学友を道連れにしたクソッタレだった。俺に不快極まりない死の味を教えた最初の死神だった。

 確かに動きは緩慢だ。力はあるが身体の使い方は正常なヒトに劣っていて、体勢も崩しやすい。真に恐ろしいのは数の暴力であり、目に見えている一個体ではない。

 でも、そいつは俺にとって揺るぎない恐怖の象徴であるべきだった。

 

「や、めろ」

 

 さっきので箍が飛んだか。

 仮にも同族の姿をしたグールを傷つけるのに、思ったほど忌避感はやってこなかった。

 俺はもう一度肩を蹴り、サッカーボールみたいに仰向けに転げさせる。

 

「やめてく、れ───」

 

 それから、さして躊躇いはなかった。

 

 

 

 

 

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