Revival of the Dead   作:ボルケシェッツェ

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#2-1

 

 生温い羊水の中を、俺は身じろぎもせずに沈んでいった。

 

 水底に近づくにつれて濁りは濃くなっていく。横隔膜がのたくって窒息を訴えるけれど、その必死さが滑稽に思えるほど心は凪いでいて、心臓は矛盾に耐えかねたように不規則に脈動している。

 

 俺は死という概念をさっぱり忘れてしまったらしい。

 じわじわと崩壊していく意識にある種の心地よさすら覚えながら、水中のただ一点を見つめている。

 

 ちょうど、【ネヴァーマインド】のジャケットと逆になるような構図だ。

 天使のはしご───雲の隙間から漏れ出た光の筋───みたいに、水面から垂れ下がった光のビロードが踊る中、影を帯びた瑕疵がある。俺はそれに向かってゆるく手を伸ばした姿勢で落ちている。

 

 ひらひらと舞い降りていくもののの正体は、不思議と目を凝らさずとも分かった。

 まだもぎられていない、簡素なデザインの映画チケット。

 ドット状に記されたタイトルは、【ドーン・オブ・ザ・デッド】とある。

 

 オブ・ザ・デッド。なんだか小躍りしたくなるような響きだった。

 それに呼応して、脳内に搭載されたスモール山神がわずかなリソースを消費して言う。

 

『生ける屍の夜と来て、今度は夜明けか』

 

 彼はいつもの映画蘊蓄を披露するときの得意げな顔で、半券を弄んだ。

 

『【マーティン】を撮った後にロメロが生きてりゃ、そんな続編が世に出てたかもしれねえな』

 

 

 

 

 

 

「つっても安直というか、基本続き物は撮らんかったしな、ロメロは」

 

 夢で見た架空の映画について、現実の山神はそう付け足した。

 それから「は」の形を作ったままの口で、一皿二貫のえんがわの片割れを頬張った。

 食っている間、咀嚼しているというよりは必要な言葉を口の中に溜めているという感じで、瞳がもどかしそうに揺れていた。

 

「にしても、お前も割とコアな趣味してるよな。あからさまに供給が乏しくて気の毒になるわ」

 

 同情の文言とは裏腹に山神はどことなく嬉しそうだった。俺の自惚れじゃなければ、山神は俺のことをなかなか需要が満たされずに嘆く同族として見てくれているんだろう。

 彼が率いるのは映研。当然、遍くジャンルに精通する映画好きが所属しているハズだが、どうやらこの手のパニックホラーについて話せる人間は少ないらしい。むしろ近年のインターネット文化に傾倒したエンタメ至上主義者に占拠されつつあると愚痴っていたこともあった。

 

 山神は緩慢な動作でラーメンのスープを啜る。俺は俺でえんがわに醤油を垂らして口に運ぶ。

 教室で弁当を貪っているときもそうだが、山神は飯を食う時も背を丸めている。正面にいるとよく分かる。そういうのにはあまりうるさくない家なんだろう。

 それより寿司の味だ。ネタは少し温くなっていたが、歯ごたえが良かった。シャリの酸味に励起された甘みをほのかに感じる。

 余韻を熱い粉茶で流し込むと、ささやかな幸福感が脳を麻痺させた。

 一皿一二〇円で買える幸福。けど、今はそんな風に感性をマスキングしていたい。

 

「おっさん臭え」山神が俺の仕草を笑う。「悪くないけど、ボツだな」

 

「俺じゃ役者不足どころの話じゃない」

「バカ、役者と被写体は別だ」

「ひでえ言い方」

 

 山神はニヤリとしたが、心の底から意見しているみたいだ。

 思えば、俺たちは「撮る」ことについては共通の部活に取り組んでいるが、写真部が撮るのはほとんど被写体だけだ。ビューファインダを通して役者を───演者を通して役を画にするのは映像研究部の専門分野である。

 そして、レンズに相対する役者は基本的に映研の中から選出されるわけだが、映る方に比重を置く部員は少ない。

 そのうえ都合が良いのか悪いのか、巡ヶ丘学院高校には演劇部が設けられている。演じることに重きを置く人間がそちらに流れて行ってしまうのは、サブカルチャに引っ張られている映研の現況からして当然だった。

 

「沢渡は……どっち寄りだったんだ? 撮る方と撮られる方なら」

 

 ふと思い立って尋ねると、山神は片眉を吊り上げた。不愉快さ、というよりは怪訝さを滲ませた表情だった。

 無理もない。この周ではまだ沢渡ゆかりとの関係に触れるような会話はしていない。

 

「あー……なんだ、急だな」

「彼女、元映研なんだろ。向こうに途中移籍するくらいだから、相当演技に入れ込んでたのかなぁと思ってさ」

「そりゃ、逆だな」

 

 山神は少し声を低くした。

 

「あいつは脚本がやりたくて移ったんだ」

「そうなのか?」

「ああ。脚本、それ以上に監督としてか。あいつスクリーン映えするからな。うちじゃ大体役者やってもらってたんだが」

 

 山神は大脳皮質を覗き込むように目線を上げ、俺はその間にレーンからつぶ貝を回収する。

 

「なんというか、それが恒例っつーかな。先代の部長の頃からあいつは役者側にいるのが当然だった。無論、役者だから演出に口を挟めないってことはないし、それが疎まれてたってわけでもない」

 

 山神は顎を摩りながら言う。

 けどな。役割というものがある以上、意識の隔たりっつーか、そういう前提はついて回るもんだろ。

 

「それに、あいつは役に嘘をつけなかった。つまり、キャラクタへの解釈を曲げるような展開が大嫌いなんだわ。役への理解が深まれば深まるほど、テーマを示すためのご都合優先なシナリオに疑問が深まっていく……それだけじゃない。演出も何もかも掌握したくなってくる」

 

 今度は俺が曖昧な表情をする番だった。

 あまりに解像度が高いというか、まるで自分の内心を吐露するように山神は語る。

 

「ずいぶん、沢渡のことを分かってるんだな」

「おい、茶化すのは無しだぞ。……まあ、一番あいつを撮ってきたのは俺だし、衝突したのも俺だからな」

 

 俺は口を噤まざるを得なかった。

 眇められた目の奥にある感情を推し量ってなお、土足で踏み込んでいけるほど興味のある話題ではない。これは山神と沢渡の、彼らだけの因縁だ。不用意に詮索してはいけなかった。

 

「いい役者なんだな、沢渡は。山神がそんだけフォーカスすんだから」

「……どーだかなァ、役と話の折り合いつけらんねぇやつが『いい役者』足り得るもんかね」

「うん…………お、いくら」

「あー、俺はいらねえ」

「嫌いなのか?」

「旨さが分からん」

 

 確かに、レーンの照明に照らされて萎びたいくらはそれほど旨そうには見えなかった。純粋に食べたいから、というより、いたたまれない空気から脱するための口実だったのは否定できない。

 幸い、山神にそんな俺の態度を咎める素振りはなかった。

 誤魔化しに口へ放り込んだ軍艦の海苔が舌に張り付く。人工調味料らしいしょっぱさが味蕾の上で弾ける。

 

「じゃ、雲丹は?」

「雲丹は好きだぜ。ミョウバン臭くなけりゃあ」

「逆に俺はあんま好きじゃないんだよな……雲丹あんじゃん。取らねえの?」

「取るけど……」

「遠慮すんなよ。今日は奢るからさ」

「だから遠慮してんだぜ?」

 

 いまにも吹き出しそうな声音で山神は指摘する。その時初めて、彼が無声のスラップスティック・コメディでも見定めるような目つきで俺を見ていることに気が付いた。

 

「急に呼び出した詫びだよ。回転寿司に一人で入って淡々と食うの、なんか気が引けたからさ」

「なんか調子狂うわ……珍しいんだよな、お前がそんな、まともに学生っぽい行動してんの」

「山神の中で俺ってどういう認識されてんだよ」

 

 間髪入れずに帰ってきた答えは、「懐古主義で厨二病」。

 

「いや、うん。自覚症状はあるけど……改めて具体的に言われるときっついな、それ」

「……っく。ハハハハハハ! そう、そういうとこだよ!」

「えぇ?」

 

 意図するところが測れず、俺は首を傾げた。すると山神はさらに笑みを深める。目の前で愉快そうにくつくつと喉を鳴らして肩を震わせる。

 その様に、俺はそこはかとない不安さに駆られた。山神は俺の何かを見透かしているらしい。眼球が裏返っても自分では捉えられない何かしらを、山神はディレクタ(監督)としての視野で映してみせたのだろうか。

 俺は他人に自らを一方的に理解されている不快さに口の端を引きつらせながら、目で続きを促す。

 

「なんていうかな、お前普段は飄々としてるっつーか、『他人とつるむとか面倒です』みたいなタチの割にさ、話してみると妙に弱腰というか、庶民的というか……」

「はあ……」

「いやいや、気を悪くすんなよ? 俺はそういうとこ親しみやすくて気に入ってるから」

「そうは言われても、褒められてる気はしないしな」

 

 俺はわざとらしく苦笑を浮かべ、肩を竦めてみせた。

 

 弱腰、庶民的、か。

 特に貶されているとも感じないくらいには、それは的確な評価だと思う。俺はただ何度か死んだことがあるだけだ。秀でた才能やかけがえのない夢を抱えた個性ある人間じゃない。

 人付き合いが苦手であるのもまた否定できない事実であって、そうした側面が懐古主義や厨二病と評される、世間一般の話題から逸脱した趣味を形成しているんだろう。

 きっと、山神のする分析と日頃の自己観念にさしたる差がないことに俺は安堵している。

 

 そう、彼の言う通り。

 俺から捻くれた嗜好を取り除けば、そこには無味無臭の、男子高校生なる外殻(フレーム)だけが残る。

 いつか読んだ小説にあった。人は死んで棺に入れられ火にかけられて、肉体が灰となって消えても、『名前は燃えない』。

 でもそんなのはバッテリーの裏に記されたシリアルナンバと一緒だ。

 殺人事件のニュースが流れるとき、人々が注目するのは被害者の名前じゃない。年齢と、職業というステレオタイプに均された記号こそが、人間社会において俺たちを意味するものだ。

 

 

 

 

 

 

「うおー……ひっさびさに寿司食ったぁー……」

「俺もだわ。てか結局奢られちまった」

「まだ言う」

「ごっそさんでした」

 

 結局山神は支払いの時まで奢られるのを渋っていたが、意地で財布をしまわせた。代わりに今、顔の前で恭しく両手を合わせている。軟派な雰囲気を纏っているくせして律儀な奴だ。

 

 頭上を見上げれば、一面のねずみ色が広がっている。ただ地上と雲の間には距離が感じられて、まだ降ってきそうにはない。

 

「この後も暇か? 良かったらトロンでも冷やかしに行かないか?」

「おう、行ってみるか。ついでにシアタの方も偵察しときてえしな。気になる新作をやるかどうか見ときたい」

 

 巡ヶ丘は小さな街ではない。【男土の夜】と呼ばれるかつての大火の後、企業誘致によって緩やかに、しかし滞りなく復興と発展を続けてきた。その甲斐あって、ここ一帯では一番整備された都市となっている。

 とはいえ『遊べる』街かと問われれば微妙なところだ。何かしら娯楽に耽ろうと思えば、自然と足の向かう先は限られてくる。

 とりわけ俺たち学生の間で真っ先に挙がるのは、大型複合商業施設【リバーシティ・トロン】。食事やウィンドウショッピングはここで満足に済ませられるし、周辺にはゲームセンタや山神が贔屓にしている映画館なども併設されている。

 駅前のスペースから少々外れた位置にあるこの回転寿司もかのショッピングモールの賑わいにあやかる飲食店の一つで、この辺りはそういった商業区として設計されていた。

 

 信号待ちで立ち止まった時だ。

 

「そういや、今週の頭くらいだったか。お前なんかやらかしたか?」

「やらかした?」

「うーん、なんか女子が言ってたのを立ち聞きしてなぁ。通学中に女の子泣かせたとかどーたらこーたら」

「ああ……」

 

 俺は自嘲混じりに口元を歪めた。あれをやらかしと評されるのはいささか心外だ。

 山神の口振りじゃ、彼が出遭った女子たちはさも俺が失態を衆目に晒しでもしたように語っていたんだろう。ひどい話だ。実際はその真逆、いたいけな少女の命を救ってみせたのに。

 あるいは彼女らに俺の偽善的な行いを批判する意図があってそう表現したのなら、黙って頷く外ないか。

 俺は声色からなるべく自己嫌悪の色を取り除いてから、説明の言葉を選んだ。

 

「朝、チャリでその外側線辺りを走ってたら、歩道から小学生くらいの女の子が走って来るのが見えてさ。赤信号なの見えてないのか、止まる気配ないから『危ない!』って叫んだんだ」

 

 叫んだと表現すれば、若干語弊があるかもしれない。そう、声を上げた。馬鹿らしいくらいシンプルに。

 焦燥感は欠片もなかった。あらかじめ定めていた演目に則って糸を引き、喉奥から標語の刻まれたポスタを引きずり出すように。

 俺は淡々と大声で読み上げた。それだけだ。

 

「それでその子は止まってくれたんだけど、ショックが大きかったのかな。その場でへたり込んで泣き出しちゃって、気づいたら俺が悪者みたいな空気になっててさ」

「そりゃあまた……災難だったな」

「一応、保護者には大袈裟なくらい頭を下げられたけどな。気まずいなんてもんじゃなかったぞ、若狭となんか話したこともなかったし」

「若狭……って、あの若狭悠里か? 隠し子がいたのかァ!?」

「アホか、妹さんだってよ」

 

 対面の信号は未だ赤い。眼前を中型の貨物トラックが駆け抜け、蹴飛ばされたアスファルト片が拙いリズムを刻んだ。

 燃えたガソリンの匂いのせいだ。強烈な排気ガス臭さの向こうに、俺はまたあの子がぐちゃぐちゃにひしゃげて横たわるカットをリピートしてしまう。それとも、あれは俺だろうか。

 

 正直、そんなのはどっちだってよかった。

 俺のことを取り沙汰していた同級生───おそらく前の周で事故について語っていた彼女らだろう───が本当のところどう思っているかなんて興味もない。いつぞやのように若狭に矢継ぎ早に礼を述べられてもなんの感慨も沸きやしない。

 実際俺は、しゃくり上げながら涙を零す若狭の妹を見つめて、まったく無駄なことをした、と思った。

 

 今もその考えは変わっていない。

 あまつさえ、あの朝の俺はどうして彼女を助けようとしたのか疑問ですらある。

 たぶん目覚める前に血肉だけでなく正気も()()()に貪られたせいだ。それとも、柚村をみすみす死なせた失点を彼女を助けて補填したかったのかも。

 ひょっとすると、あのときべそをかかせたのは俺が見るに堪えない顔をしていたからかな。その可能性は大いにある。きっと死人じみた土気色の表情が怖かったんだ。

 とにかく、俺にとって若狭の妹の存在はもはや気まぐれのやり場でしかなくなった。

 

 その場しのぎで命を繋げたって、どうせ一ヶ月も経たずに死んじまう。

 誰も彼も同じだ。

 この瞬間、隣でにやけ面をぶら下げている山神だって例外じゃない。ああ、今日のこれも半分は気まぐれだった。

 四度目に目覚めてから、徐々に心が腐っていくのが分かる。

 この街で生きている連中が、壊れた俺の目玉には血の通ったマネキンに映る。

 

 

 

 

 

 

 濡れた半袖パーカのフードを脱ぐと、騒々しいジングルが耳になだれ込んできた。

 

 あの後、目的地の向かいの歩道についた辺りで曇天は篠突く雨天へと態度を翻した。おかげで建物に駆け込むまでの間に、肩までぐっしょりと濡れてしまった。

 

 自動ドアを潜ると間もなく雑踏が俺たちを呑みこんだ。休日だけあってショッピングモールは盛況。中は冷房が効いていて、湿気由来の蒸し暑さから逃れることができたけれど、濡れた部分は少し肌寒い。

 とはいえ、それも相変わらずの人口密度が忘れさせてくれそうだ。

 親の再婚で巡ヶ丘に戻ってきたのが二年前で。それまで瀬戸内の片田舎に住んでいたから、ここに来るたびその歩きにくさに圧倒されそうになる。

 あそこは信じられないくらい何もなかった。あるものといえば造船所だけの停滞した場所だった。

 

 手始めにCDショップを冷やかすことにしたのは、単純にフロアの端にあったからだ。

 まとまった人の流れから弾き出された先。書店の一角を間借りしているような構造は、CDという媒体の肩身の狭さを率直に体現している───なんていうと、業界人を怒らせてしまうか。

 

「山神は、CDに馴染みある方か?」

「んー? いや、基本はスマホに落としてるな。古いサントラでデータ販売してないとか、おま国食らってたりするときに買うくらいで」

「ほーん……」

 

 言いながら山神は、中古のサントラの列から一つのジュエルケースを取り出す。【きっと、うまくいく(3idiots)】というインド映画のサントラだった。以前山神に勧められて観たが、ボリウッドダンスがしつこくなく、展開の仕方も良かった。綺麗に作りすぎて印象が薄いのが玉に瑕だったか。

 

「つーか、山神って音楽は聴くタイプか? OST以外で」

「そうさなァ……ま、人並みなんじゃねえかな。雑食で、あんま特定のジャンルとかアーティストにハマるタチではねえな」

「そんで、流行りのバンドには疎いってわけだ」

「そーいうこった」

 

 食指を動かしそうなジャケットを探るのも兼ねて周囲を見渡してみる。ジャニーズ系と思しきグループのコマーシャルが賑やかす店内には、俺たちの他に若い女性の二人組、壮年の男性が一人、あとはレジの店員が二人だけ。

 壮年の男性はちょうど清算を終えたところだったようで、レコードが入ったレジ袋を携えて出て行ってしまった。

 店内コマーシャルが途切れると、外のフロアと拮抗していた騒々しさもなりを潜め、いよいよ閑散とした実態が明け透けになる。

 

「逆に茅ヶ崎はどーなんだ? このご時勢に物理パッケージ蒐集にご執心なのか?」

「そういうわけじゃないが……中古ならデータで落とすより安上がりなこともあるしな」

「中古は状態が気掛かりにならんか? 俺はレンタル屋のDVDで散々な目にあってから新品以外信用できなくなっちまったわ」

「あー、レンタルはな。買う分には今んところ外れに当たったことないし特に気にしたことないな」

「ふーん」

「あと、物によっちゃ隠しトラックがある」

「あー」

「残念ながらiTunesのライブラリデータと同期すると大抵消えちゃうんだけど」

「【スターウォーズ】とか【ターミネーター】のDVDにもあったな、そういうの」

「マジ?」

「おう、隠しコマンドで特典映像が流れるヤツ」

 

 そういえば、一昔前のDVDやBDにはメニュー画面の凝った作品がそれなりにあった気もする。特にディズニー系なんかは特典にミニゲームみたいなものが入っていたりもしたっけ。【ファインディング・ニモ】や【シュレック】辺りがそうだった。

 だが、そんな裏技的な要素があったとは。

 

「コマンドって、↑↑↓↓←→←→BAとか?」

「ちげえ。SWのDVDは隠しコマンドがあるのが恒例でな、【1138】って入力するとNG集とかが見れるんだ」

 

 イチイチサンハチ、と復唱してみる。悪くない響き。

 

「【THX(サックス)-1138】っていう、ルーカスのデビュー作が元ネタだな。ディストピア系のSFだ」

「へえ。ジョージ・ルーカスってそんなのもやってたんだな。冒険モノのイメージしかなかった」

「大当たりしたのが【スターウォーズ】と【インディ・ジョーンズ】だからなァ。でも青春モノの【アメリカン・グラフィティ】もヒットしてるんで、冒険活劇しかできんってわけじゃないんだぜ」

 

 ノンフィクも、と言いかけて、山神は急に唸り始めた。ミシマが、レッドなんたらがとぶつくさ呟いているが、店内放送が再開したため聞き取れなかった。

 どうもそのまま自分の世界からしばらく帰ってこなさそうだったから、俺は洋楽の棚をアルファベット順に沿って冷やかすことにした。

 

 一見したところ、メジャーどころのアーティストは中古コーナーに揃っているようだから、後はお目当てのアルバムがあるかどうか。

 具体的にはニルヴァーナの【ブリーチ】とオアシスの【モーニング・グローリー】がイニシャルの場所に挟まっていてくれるとありがたい。ついでにデュラン・デュランのベスト盤にでもありつければ僥倖なんだが。

 まあ、置いてなくたって落胆することはない。現代人らしくコンビニに足を運んで、粛々とアップルギフトカードのコードをスマホに読み込ませればいいんだ。

 

 俺が第一にCDを買いたがる理由は、さっき山神に話した通りで、セカンドハンドなら懐の寒暖差が多少緩やかになること以外にはない。

 でも少しだけ、デジタルに対する言葉にならない忌避感が潜んでいるのも自覚していた。

 俺はそれを正確に説明することができない。

 いつか、俺の価値観が形成される最中に起こった出来事のいずれかが影響しているんだろうが、わざわざそれを掘り起こすのも億劫だった。

 

 過去って、そんなに役に立つもんかな。

 

 ああ、いいや、そりゃ誤謬だな。

 未来の───死体が闊歩する一か月後の世界の自分を生かすのは、すべて過去の物なのに。

 

「あ、見て見てこれ」

「えぇー? 今度はなんてバンド?」

 

 リノリウムを叩くパンプスの踵と同じくらい軽快に、その声色が弾む。

 いつの間にか女の二人組が背後の棚までやってきていた。

 

「ザ・ランナウェイズ。アメリカのガールズロックの元祖といえばこのバンドなんだよ」

「へぇー……ふーん……」

「ちょっと、さっきから聞き流してるでしょ」

「だって、圭の蘊蓄全部聞いてたら次のお店行けそうにないから」

「もおーっ……いつもは美紀が言ってるくせに」

 

 傍から見ても気の置けない間柄の二人は、どこか嘘くさく思えてくるようなやり取りを交わしながらショップの敷居を跨いでいった。

 ザ・ランナウェイズ? あんな若そうなイマドキの女子がジョーン・ジェットの曲を聴くのか?

 何から何まで冗談みたいだ。

 思わず俺は、友人に急かされていたハーフアップの茶髪の方の後ろ姿を目で追ってしまった。

 

「ん……どっかで見た顔だぞ」

 

 気づかないうちに隣に立っていた山神が溢す。

 

「……えっ、そうなの」

「あの二人、確かうちの高校だった。たぶん二年だな」

「へえ……」

「オイオイオイ、お前にもついに春の調べが来たか?」

「いや、渋いセンスしてるなと思っただけ。それも後輩なのに」

 

 ザ・ランナウェイズ。【チェリー・ボンブ】。

 今になって、前に、彼女らの伝記映画を観たのを思い出した。

 まだ、実の父親が生きていた頃で、友人から借りてきたというプロジェクタで居間の壁に映した。

 特段音楽に興味があるわけでもなかった俺は、当然七〇年代のアメリカのロックシーンなど理解できるはずもなくて、途中で眠ってしまった。

 最後のライヴシーンに差し掛かる辺りで目が覚めて、だから【チェリー・ボンブ】のメロディだけは覚えている。

 

 ひとりでに聴き直したい曲が増えた。

 でも、CDもカードも買う必要はない。

 【誘惑のブラックハート】は親父が遺してくれたアルバムの山に沈んでいる。

 

 

 

 

 

 

『また今度、一緒に観に行こうぜ』

 

 モールを出るころには雨も止み、映画館のポスタを見に行った帰り際、山神はそう言っていた。

 俺はその二度目の誘いに、虚偽で塗り固めた微笑みで応えた。

 どう転んだってこの先二人で約束を果たす日は訪れない。俺はそれを知ったまま、あと何度彼に向かって頷いてみせるというのだろう。

 

 深夜二時。

 ワイヤレスイヤホン越しにノエル・ギャラガーが歌う。革命を起こせと。

 俺は粗熱の引いた鍋から丼を取り上げ、立ち昇る甘ったるい香りに蓋をするようにラップで覆った。

 熱凝固した卵と牛乳とグラニュー糖の混合物が窮屈そうに巨体を揺らす。

 やはり通常サイズで思いとどまっておくべきだったか───そんな一抹の後悔が脳裏によぎるが、食い納めにはやり過ぎということもないハズだ。

 

 あとは冷蔵庫で寝かすのみ。

 どことなく懐かしい感じのブリットポップにハミングしながら振り返り、俺は固まった。

 

「……なに、それ」

 

 人影が。

 眠ぼけ眼の義姉が、取り出したばかりの炭酸水を片手に怪訝そうに俺の手元を睨んでいた。

 

「え、ぷ、プリン、っす」

「…………プリン?」

「……はい」

 

 俺は狼狽を隠し切れないまま返答した。

 見られた。というか聞かれた。

 背後に義姉が立っているのに気づかず、上機嫌でヘタクソな鼻歌を披露する自分の姿を想像すると瞬間的に死にたくなる。めっちゃ恥ずかしいぞ。

 

「………………プリン?」

 

 義姉は腑に落ちなさそうに容器の中の物体を凝視し続けている。

 今日、否、昨日の昼食の寿司と同様、一か月後には食えなくなるから今のうちに賞玩しておこうと思って拵えた巨大プリンは、バケツ程ではないものの、ラーメン丼で作っただけあって常識外れのサイズ感に仕上がっていた。

 この中に顔を突っ込めば、おそらくプリンで溺死できるだろう。

 やってやるべきだろうか。

 羞恥心に苛まれた俺は、本気で実行を検討した。

 

 

 

 

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