「―――。―――!」
目の前で大粒の涙を流しながら、僕に必死に手を伸ばす彼女の姿が見える。
愛しくて、大好きな彼女の姿が薄れゆく視界に広がっている。
ああ、泣かせるつもりはなかったのになあ。
うすぼんやりとした意識の中、自責の念が胸に広がっていく。
今までの出来事が走馬灯のように流れてゆく。
何度も何度も君のことを傷つけた。心優しい君のことを、何度も。
悲しませてしまった。今も昔も。僕は、本当にどうしようもない奴だ。
でも、今度はもう泣かせないから。
僕の全てをかけて誓うよ。
きっと、いや、必ず。
君のことを、救ってみせる。
僕の名前は綾崎ハヤテ。
両親は共に無職。屑と言えば誰?と聞かれれば、必ず名前が挙がること請負の人物たちだ。
幼稚園児の僕に絵のすり替えをさせたり、当たり屋のような真似をさせたり、極めつけは幼稚園の皆の給食費を盗んだりする始末だ。
数々の行いを見ていたからこそ、僕は両親に失望した。
逃げ出したあの日、彼女に出会わなかったら、僕は命を絶っていたかもしれない。
まあそれも、僕の愚かな行いで、全てを無に帰してしまったわけだが。
あの黄金の日々を、僕自身の手で、壊してしまった。
彼女の叫びを、慟哭を、怒りを、そして悲しみを。今もまだ頭に残る、心に刻まれたその表情を。
僕が傷つけてしまった彼女の心を。もう二度と、取り戻せない、あの幸せに満ちていた日々を。
この後悔を、僕は一生忘れることはないだろう。
城から帰った日から、僕はただただがむしゃらに体を鍛えた。そして、一心不乱に働いた。
僕が、僕自身が選択した結果を振り払うかのように。
日に日に募る自分自身への怒りと罪悪感、両親への不信感を押さえつけるかのように。
そして両親もまた、僕のそんな心の動きが分かっていたのかもしれない。
彼女と別れ、何気ない日常を過ごしていく中で、
あくる日のクリスマスイブ。僕は両親に売られた。
その日のことは、はっきりとは覚えていない。
覚えているのは、外に吹雪いている大雪と冷たい空気。
父親だと思っていた男の笑顔と後ろに控える黒い人たち。
そして銀色に光る注射と微かに腕に走る痛み。
ああ、僕はまた間違えたんだと胸に広がる諦観と共に、僕は意識を手放した。
僕の世界は、その日を境に一変した。
目を覚ますと、両の手を縛られどこかに運ばれていた。辺りは暗く、微かな揺れから何かの乗り物に乗せられていることはわかった。
周りを見渡してみると、僕の他にも人がたくさんいて、隙間から差し込む僅かな光で見える肌の色や、僅かに聞こえる言葉もばらばらだったが、そのほとんどが年の近そうな子供ばかりだった。
不安そうに辺りを見渡す子や、怒りをにじませる子、涙を流す子、何かを諦めたように俯く子、反応は様々だった。
共通していたのは、首になにかの首輪がつけられていたことだった。薄暗い部屋の中でも、はっきりとわかる存在感があり、薄暗い部屋の中にあって、異様な雰囲気を作り出していた。
暫くすると揺れが収まり、バンっという音が聞こえてきた。音のする方に視線を向けると、話し声が微かに聞こえる。耳を澄ませて聞いてみても、何を話しているのかわからなかった。
話し声が収まると、僕の座っていた隣の壁が開き、外の光が差し込んできた。急な太陽の光に思わず目を閉じる。次いで感じたのは、肌に突き刺さるような冷たい空気。息もなんだかしづらかった。
開いた視界の先には幾人もの屈強そうな大人たちと、高い高い壁のような崖。そして鉄格子に囲まれた不気味な建物。
大人の誰もが無表情で、こちらを値踏みするような視線を向けてくる。能面のような顔に思わず小さく悲鳴を上げてしまった。
大人たちの一人が何かを話している。言葉はわからなかったが、何となく外に出るように指示を飛ばしているのはわかった。
周りの子たちが一人ずつ外に出ていくのを後からついていく。外に出ると、吹き込んでいた時よりも数段冷たい空気が襲ってきた。両の手をさすりながら歩みを進めると、大きな広場に整列をさせられた。
暫くすると黒服の大人たちが僕たちの前に立ち並び、そのうちの一人が前に出てきた。
「――、――。――!」
どこかの異国の言葉だろう。明らかに日本語ではないその言葉に耳を傾けながら周囲を観察する。
すると車に乗せられていた僕たちの他にも子供がいるのが分かった。建物の中には、僕よりも少し年が上に見える子たちがこちらの様子を伺っていた。遠目に見ても皆一様に体がボロボロで傷ついている。それだけでこの場所がどんな場所なのか、ほんの少し察することができた。
ここは、地獄なんだ。
その直感は正しかった。
この施設はどうやら兵隊を作るための施設らしい。それも僕と同じような何らかの理由で両親に売られた子たちや身寄りのない子たちを集めて、幼いころから教育、調教することで従順な駒を作るための場所。全員につけられた首輪には発信機がつけられており、逃げようものならすぐに居場所を特定された。
毎日体を痛めつけられ、爆弾の作り方を学び、理不尽な罵倒を浴びせられる。口答えをすれば徹底的までに制裁を受けた。
特に僕のように言葉を理解できない子供たちはいたぶられた。どうしても言語が分からない以上、周りと比べ行動が遅れてしまうことが多かったために、制裁を受ける頻度は多くなった。中にはあまりにも酷い暴行を受けて目が見えなくなってしまった子もいた。
特に決定的だったのは銃で頭を打ち抜かれてしまった子がいたことだろう。後から考えれば、反乱の意思を封じるための見せしめだったのだろうと思うが、目の前で行われたそれは僕の心に少なくない衝撃を与えた。
それは僕だけでなくほとんどの子たちがそうだったようで、反抗的な態度を取らず、施設の大人たちの顔を伺いながら必死に課題に向き合った。明日は我が身にならないように、ただただ必死に。
それでもついていけない子たちはどんどん処分されていった。厳しい訓練の中で、厳しい制裁の中で、少しずつ少しずつその数を減らしていった。正確な時間はわからなかったが、おそらく半月もたつ頃には初めにいた数の半分近くが姿を消していた。
僕は彼女との別れからどうしてか頑丈になっていた体と、教わった知識と技能のおかげで、何とかこの生活についていくことができていた。
言葉も何度も聞いていればニュアンスと意味は伝わってくる。話すことは少ししかできなくても、ここでは教官の指示の意味さえ理解できていれば問題はなかった。
施設内の子たちとのコミュニケーションはほとんどとることはできなかったが、この場所では誰もが生きることに必死だった。自分のことに精一杯で、他人に目を向ける余裕はなかったから、気にする必要はなかった。
体の痛みにも慣れ、多少の余裕が生まれたころ。僕は、初めて人を殺した。
殺したくて殺したわけじゃない。訓練中の事故だった。
対人の格闘訓練。ナイフの扱いを覚え、接近して敵を倒せるようにと最近増え始めたもの。その最中、僕の放った掌底が相手を穿った。加減を誤った一撃が意識を奪い、倒れた際に首を折ってしまった。即死だった。
やってしまった瞬間は、自分でも何をしてしまったのかわからなかった。
ただただ数秒前には確かに生きていた人間が、目の前で何も言わない骸に代わってしまった。その事実を、現実を理解することができなかったのだ。
目の前の出来事を信じられず、呆然と両の手を眺め続けた。僕が動けるようになったのは、教官に死体の後始末を命じられた後だった。
全てを処理し終えた後、用意された部屋に戻ってベットに入る。
だが一度ベットに入って落ち着くと、自分のやってしまったことへの実感がわいてきた。
段々と気分が悪くなり、吐き気が襲ってくる。
自分の手で奪ってしまった命を、自分の手で処理する。伝染病等を防ぐため、基本土葬ではなく火葬をすることになっている。だからこそ人間が、燃え盛る炎の中で形を崩していく姿をより鮮明に見ることになった。
頭に残り続ける、蘇り続ける肉の焼ける匂いと骨の朽ちる様。
体の震えが止まらない。歯がカチカチと音を立てる。
ふとした瞬間に繰り返される記憶が、僕の心を激しく揺さぶった。
その日はそのまま眠りにつくことはなかった。
次の日からも訓練の日々が続いた。
僕はしばらくの間まともに眠ることができなくなっていた。
それでも僕の事情など関係なく時間は過ぎ去っていく。
教官も他の子たちも何事もなかったのように振舞い、僕が奪ってしまったあの子のことは忘れられていった。
熾烈になっていく生き残りの競争の中、僕も心身ともにやつれていった。
ふとした瞬間に奪ってしまったあの子のことを思いだし、腕が止まる。
夜には吐き気と頭痛で眠りにつけず。
やっとの思いで休もうとすれば、彼女のことを想い罪悪感で押しつぶされそうになった。
僕はそれでも、自分から命を断とうとはしなかった。
だって、僕は選んでしまったのだから。彼女と離れることを。
これは罰なのだ。きっと。
どれだけの時が過ぎたのだろう。
鬱屈とした時間の中を流されるままに生きていた僕は、いつの間にか施設で一番の実力者となっていた。その頃になると段々と言葉の意味も理解できるようにもなってきた。
とはいっても、もう初めの頃に一緒にいた子のほとんどがいなくなってしまっていたわけだが。
途中からは訓練だけでなく、実戦にも参加することが増えてきた。命のやり取りを本当の殺気が行き交う空間で味わうことで、より強い兵士へと磨いていくことが必要なんだとか。そんなことを教官が話していた。
初の戦場は想像を絶する絶望が渦巻いていた。相手が子供であろうが容赦なく向けられる暴力は恐ろしかった。
銃弾が行き交い、銃声と絶叫、爆発音しかない場所で僕はひたすらに走り続けていた。
何が何だかわからないうちに戦闘が終わり、作戦に参加していた子どもの半数が息絶えていった。
施設に帰った後は何度も吐いた。だが心休まる間もなく、生き残った僕は新たな戦場へ向かわされた。
僕は、ただがむしゃらに戦い続けた。
この日々の中で何人の人を殺したことだろう。
何人の人が殺されたことだろう。
奪ってしまった命のことを考えるのはタブーだった。
心は、どんどん痛まなくなっていった。
だって、ここではそれが当たり前だったから。
心が麻痺をしてきていたそんなときだった。施設にまた新しい人員が補充されることになった。
別段珍しいことではない。僕がこの場所に来たのと同じように、順番が回ってきた。ただそれだけのことだ。
だがこの時の出会いは僕にとって、とても大きな意味をもつものだった。
「お前、日本人か?」
僕よりも少し年上に見える顔つきに、この地獄の場所に似つかわしくない覇気のある姿。
「助かったよ。周り人たちみんな知らない国の人ばっかりなんだよな。全然言葉が通じなくってさあ」
僕の姿を見て心底安心したように肩を下ろし、にこやかに語りかけてきた彼。
「私の名前はナギ。よろしくな! お前の名前はなんていうんだ?」
さし伸ばされたその手を、僕はただ茫然と見つめるしかなかった。
彼の名前はイクサべナギ。
天涯孤独で身寄りのない彼は、なんでも経営に苦しんでいた孤児院出身で、この施設には自分から身売りしたそうだ。
自分から飛び込んだのはいいが、まさか海外に飛ぶとは思っていなかったらしく、ほとほと困り果てていたところに同郷らしい僕の姿を見て嬉しくなったんだとか。
気持ちはわからなくもないが、場所が場所だ。嬉しいとかそういった感情とは無縁のここでは、彼のいう言葉のどれもが楽観的としか思えなかった。
きっとこの明るさも初めの内だけだろうと、僕は冷ややかな目で彼を見ていた。
だがそれは違った。彼は地獄の日々が始まってからも決して折れることはなかった。
僕とナギは普段の訓練では別となっているが、施設の部屋は同じとなっていた。だからこそ彼の様子を身近で見続けていた。
ナギは、いつも堂々としていた。勿論、いつも笑顔だったわけではない。厳しい訓練や制裁を受けた後には、落ち込んでいたり涙したりする場面はあった。だがそれを翌日まで引きずらずに、持ち前の負けん気でなにくそと自分で立ち上がっていた。
彼は天才だった。言語や技術の習得も早く、同期の中ですぐにメキメキと頭角を現していった。気が付けばナギは、あっという間に僕と同じように実戦に駆り出されるようになっていった。
僕はナギと同じ現場に向かうことが多かった。僕に近い実力を持つのが彼だけだったということもあったが、同郷ということもありコミュニケーションがとりやすいということと、単純に相性が良かったというのが理由だった。
何故かはわからない。だけどナギとは不思議なほど息があった。訓練をはじめ、潜入作戦や遊撃作戦など数多くの作戦を共にこなしたが、失敗する気が起きなかった。
ナギが相手に合わせることが上手く、作戦意図や指揮を執るのが上手かったこともあるだろう。それ故に作戦立案時点で施設の大人とぶつかり合うこともあったが、自身のもつ意見の有用性と自分の力量を天秤にかけ説得をしていた。
いい顔はされてはいないだろうが、彼の発案は通ることも多かった。当然大人に意見できる彼の存在は、施設の中でも大きなものとなった。
施設の子供で彼を認めていないものはほとんどいなかった。一部の彼を気に入らない者たちからは最初の内は訓練中に妨害を受けることがあったが、作戦や実戦を重ねていくたびに彼らとも交流を深めていくようになり、それもなくなった。
いつからか施設内に会話が生まれ、各々の眼が死んだものではなくなっていった。
「ねえ、ナギはなんでそんなに強いの?」
「は?」
ある夜、僕はナギに聞いてみた。なぜこの世の地獄のような場所であっても強くいられるのかを。
尋ねられた時の彼は珍しくキョトンとした顔をしていた。その姿が普段とのギャップがあって少しおかしかった。
「なんだよいきなり」
「だってきみはさ、ここにきてからずっと堂々としてるじゃない? こんな場所でずっと。
怖くは、ないの?」
「怖いさ」
即答だった。驚きで目を見張る僕に、ベットの上で腕を組みながら彼は応えた。
「ハヤテも知ってるだろ。私が初めて殺した時のこと。あの夜大泣きしてたの見てたろ。
怖かったに決まってるじゃないか」
「それは、そう、だけど」
俯きながら小さな声を絞り出す。確かに彼が言ったようにそんな姿を僕は見てきていた。
彼だってまだ子供だ。人を討つのだって、銃で撃たれるのだって初めてだった。日本ではまず見ることはないものを短期間で見続けてきたのだ。弱った姿だって知っている。
けれど確かにそうなんだけど。彼はそれでも僕とは違っていた。
俯く僕にナギは一つため息をつく。びくりとする僕に、彼は頭を搔きながら続けた。
「ハヤテはどうしてそんなこと聞くんだ? 単純に力って意味ならお前の方が強いよな」
「……」
「まあ、そんなことを聞きたいわけじゃないのはなんとなくわかる。普段一番お前と組んでるのは私だからな。
……もしもお前にとっての私が強く見えたのなら、それはたぶん目標があるからだな」
「もく、ひょう?」
「ああ」
彼は照れくさそうに頬をかいた。その様子がなんだか珍しくて目を引かれる。
「夢、って言い換えてもいい。いつかこの場所を出て、みんなのところに帰る。
いっぱしに稼げるようになって、育ててくれたあの場所に恩返しをしたい。
まあ、そんな感じの夢だ。急に飛び出してきてしまったから、きっと心配をかけてるだろうしな」
それを語る彼は、どこか気恥ずかしそうで。
「簡単じゃないだろうけど、組織に貢献して結果を出せば、もしかしたらある程度の自由はきくようになるかもしれない。今はまだ子供でペーペーだから大したことはできないし、いつも危険と隣り合わせだからどうなるかはわからない。だけど」
組んでいた両の手を力づよく握りしめて、ナギは笑った。
「いつか必ず叶えて見せる。その思いがあれば、私は頑張れる。ただそれだけさ」
「――」
眩しかった。
ただ日々を流れるままに生きる僕とは違って、ナギは輝いていた。
なぜだろう。その言葉を聞いて僕は無性に叫びたくなった。心がズキズキと痛み、体が熱くなる。
ああ、そうしてこんなに心が震えるのだろう。
どうして、こんなに泣きたくなるんだろう。
僕が必死に自分の中の感情と戦っていると、彼は思い出したかのように尋ねてきた。
「なあ、ハヤテ。お前には夢とかってないのか」
「ゆ、め?」
「そう、夢だ。なんでもいい。ここを出てやりたいこと。大人になったらなってみたいものだってかまわない。
何か自分がこの先の未来でやりたいことってないのか?
何か一つあるだけで、きっと明日も頑張れるぞ」
その晩。僕はベットに入って考えた。
夢。僕の夢はなんだろう。
ナギのように何かを考えてこの場所に来たわけではない僕は、惰性で生き抜いてきた。
この先の未来。僕は何になりたいのだろう。何を成し遂げたいのだろう。
もう長いこと考えたことがなかった。日々生きることだけに必死だった。
きっと彼のように考えている人は少ない。けれど、きっと僕に殺された人々にも夢があったはずだ。
ならば僕もただ生きるのではなく、何かをしなくてはならないんじゃないか。
頭の中をぐるぐるといろいろな考えが巡っていく。考えていく内に僕はいつの間にか意識を手放していた。
『けど、あなたの心がずっと…、「助けて」と叫んでいることだけは聞こえているわ』
『この星で、もっとも偉大な女神の名前よ』
『やればできるじゃない』
『私とあなたは…ずっと一緒よ』
『ここから……!! いなくなっちゃえばいいんだー!!!』
起きた時、僕は涙を流していた。
久しぶりに見たあの頃の記憶。楽しかった時や苦しかった時。そして、最後の別れの時。
こんなにもはっきり夢に見たのは久しぶりだった。けれど、鮮明に覚えていた。
あれからもうどのくらいの時が経ったのか、それはよくわからない。
彼女は今、何をしているのか。それも、よくわからない。
だけどはっきりしたことがあった。僕には、まだやるべきことがあったんだ。
その日の朝食の席。いつものように先に食堂に来ていた彼に近寄り、隣に座る。
意を決して僕はナギに声をかけた。
「ナギ」
「どうした、ハヤテ」
「僕にも、やりたいことがあったよ」
「へえ、そりゃよかったな。
どんなことか聞いてもいいか?」
「うん」
僕は目をつむり、気を落ち着けた。そしてナギの眼をはっきりと見た。
「もう一度会いたい人がいるんだ」
僕が傷つけて、悲しませてしまった大切な人。
優しくて愛しい、あの子に。もう一度。
たとえ彼女が僕のことを忘れてしまっていたとしても。
二度と会いたくないと思っていたとしても。
僕は彼女に会わなくちゃいけない。
「どうしても、伝えたいことがあったんだ」
「……そっか。その人はお前にとって大切な人なんだな 」
「うん。きっと、この世界の誰よりも」
「なら、頑張んなくちゃな。その人に会う為にも」
「ありがとう」
ナギは微笑みながらそう言ってくれた。
その日は何だか、いつもの味気ない朝食が美味しく感じられた。
以降僕はメキメキと実力を伸ばしていった。
銃器の扱いも、刃物の扱いも、格闘術も以前とは比較にならないレベルへと成長した。
施設の教官相手でも、もうそう簡単に負けることはなくなった。初めて恐れられていた格闘術の教官を打倒できた時には、僕自身も信じられない思いでいっぱいだった。
色んなものを吹っ切ったことが大きかったのかもしれない。夢に向かって、目標に向かって頑張ることはこんなにも心を軽くしてくれるんだと思い知った。
自然と生き甲斐が生まれ、日々を生きていく活力が培われていった。
ナギも相変わらずで、カリスマとリーダー性で施設の子供の中心として闘っていた。彼が語った夢を実現させるために、結果を残し続けていた。
僕たちはあの日から更に心の距離が近づき、よく語り合うようになっていった。訓練中や作戦で気づいたことだけではなく、自身の夢や想いを伝えあい、共に生き抜いて外の世界で生きようと誓い合った。
信頼と信用が強くなったことで、僕たちのコンビはより強固なものになった。
どんなことでも失敗する気が起きなくなっていった。
僕たちならなんだってできる。
僕たちなら、どんなことも乗り越えられる。
そう、本気で信じていた。信じられていた。
そんなこと、あるわけがないというのに。
その日の朝は、特段変わったことはなかった。
いつものように食事をし、いつものように身支度を整えていた。
教官から作戦の告知があったため、装備を整え広場に集合した。
作戦の説明を受けるまでナギと談笑をしながら待っていると、教官が姿を現した。
腕を後ろに組み傾聴の姿勢を取る。それから改めて教官の方に目を向けると、どこか雰囲気が異なっていることに気付いた。
どことなく硬い表情で僕たちを見渡し、いつもならすぐに大きな声で号令をかけるというのに、顔を少し伏せてこちらの様子を伺っている。いつもと違う教官の反応に子供たちからざわめきが漏れた。
僕も少しずつ不安になってくる中、教官が作戦を説明し始めた。
作戦の内容はいたってシンプルだった。
敵対勢力の拠点に強襲をかけ殲滅する。言うなればそれだけ。
だがその規模が問題だった。これまでは小規模な拠点を襲撃し、戦闘力を奪うことが主な目的だった。
しかし今回は敵勢力も大規模。完全武装をした精鋭が500人前後。常設されている武器も比較にならない。
対する僕たちは戦場になれてきているとはいえ、全員が子供で人数も100人に満たない。
明らかに成功する確率は低い。というより、
隣にいるナギの顔を見てみると、僕が今まで見たことのないような怖い顔をしていた。
周りの子供たちも困惑が隠せないでいる。作戦の意味を理解した子は顔を青ざめていた。
「これは最終作戦だ。そしてこれをもって、お前たちが組織において有用な存在であるかをテストする」
「ここにいるほとんどのものが死ぬだろう。だが、我々はここで死ぬような無能など求めていない」
「お前たちの意義を示せ。健闘を祈る」
僕たちはそのまま息つく間もなくそれぞれの部隊用乗りものに乗せられた。心の準備など少しもできないまま。
僕とナギは別動隊に組み込まれ、会話をする暇もなかった。
作戦としては陸路と空路、遊撃の3チームに分かれた上での急襲。
陸の部隊が囮になり、時間をおいて空から攻め、遊撃隊が施設内を殲滅する。この3段階で行われる。
僕はその中で陸の部隊に組み込まれた。コードネームはA1番。ナギは遊撃部隊で、コードネームはC1番。
この作戦を成功させるのであれば、僕たち陸の部隊がどれだけ派手に暴れて時間をかせぐことができるのかが重要になってくる。完全な混乱を生み出し、前線を崩すことができれば、ナギは上手くやるだろう。
勿論ただ正面からかちあうだけではない。できるだけ不意をつき、畳み掛けるように攻めていく必要がある。相手部隊は聞く限り防弾防刃装備もしているのだ。ただ暴れるだけでは勝機はない。
きっと生き残れる可能性はゼロに近い。
だが僕は必ず生き残る。
そして会うんだ必ず、彼女に。
車が動きを止めた。絶望の時間が始まる。
だが不思議と陸部隊に編成された子どもたちの目には諦めの光が灯っていなかった。
ナギと出会い、目標もった僕たちは、ただ生きるだけの屍ではなかった。
運命に負けてただしゃがみ込んでいるだけなんて、つまんねーよ。
為せば成る。やってやろうぜ。
ナギは作戦のたびにそう言っていた。
ああ、その通りだ。
戦おう。
僕たちは負けない。
勝って未来を拓くんだ。
さあ、いこう。
僕は部隊の先陣を切り、見張りの男に足音を忍ばせて近づき、防刃の隙間から首を掻っ切った。
素早く近くの別の兵隊に目標を切り替え、同じように無力化していく。
何人か倒したあとに、異変に気づいた別の敵が拠点内の他の仲間に知らせようとするのを見て、仲間が多方向から襲撃をかける。その間に僕はできるだけ外に設置されていた兵器の破壊をしていった。
そんなことをしていれば当然騒ぎは大きくなり、狙い通りに拠点内から敵部隊が応戦してきた。
そこから先は、正に地獄絵図だった。
銃弾が仲間の頭を撃ち抜いていく。最期まで生きることを諦めることなく、次々に仲間がいなくなっていく。
銃は直ぐに弾が切れた。僕は愛用のナイフで敵を穿っていった。
首を斬り、足の健を斬り、命を奪った。
切れ味が悪くなれば投擲し、場に落ちていた仲間や敵のナイフを使って闘った。
気がつけば、僕以外の仲間は全て殺されていた。
それでも僕は止まることはなかった。
だが数の劣勢はどうしようもない。いくら僕が奮闘しても所詮は1人。周りを囲まれてしまえば、逃げ場などなかった。
銃弾程度避けることは簡単だったが、疲労と怪我で動きの鈍くなっていた僕は格好の的だった。少しずつ体に傷が刻まれていく。幸いに頭や足には当たらずに凌ぐことができていたが、それも時間の問題だった。
息が荒い。胸が苦しい。体はどこもボロボロだ。
でも諦めるわけにはいかなかった。
諦められるわけがなかった。
だって、まだ伝えてないんだ。
「うおおおおおお!!!」
僕は叫んだ。自らを奮い立たせるように。
声の限り叫んだ。今に抗うために。
そんなことをしたって、無駄なのかもしれない。
だけど、それでも。
「僕はまだ、生きることを諦めちゃいないんだ!」
まだ体は動く。まだ、戦える。
僕は力を振り絞って、敵に突撃した。
その後暫くして空の部隊からの増援が到着し、戦場はさらなる混乱へと突入していった。
少しずつ、けれど確実に相手は勢力を削られていった。流した血の量は相手の方が多かっただろう。大打撃を与えたのは間違いない。
けれど敵もさることながら完全には崩れることなく、戦線を保っていた。
もともと数では負けているのだ。いくら奇襲を掛けたところで、体制を整えられれば不利になるのは目に見えている。
武装隊の相手は増援に任せて、僕はなるべく指揮官を探して攻めていった。兵一人と指揮官一人では敵に与える損害が違う。指揮官は外に出てくることは少ないが、現場の指揮系統を守るためには全くのゼロでは成り立たない。本丸はいなくても、連絡員やそれに連なる者を倒せば、与えるダメージは大きくなる。
現に隊列は崩れたままだ。これをいかに続けられるのかが肝になってくる。
ガラガラで声すらまともに出なくなった喉から、絞り出すように息を吐き、僕は前線を駆け回った。
そして遂にその時が来た。
増援隊もほとんどがいなくなった頃、敵拠点内から爆発音が聞こえてきた。
恐らくはナギの率いる遊撃隊が潜入に成功したのだろう。敵部隊に動揺が見られた。
何度か同じようにして爆発音が響き渡り、それからまもなくして作戦終了合図である信号弾が放たれた。
拠点は半壊し、もう武装隊の本拠地としての力は完全になくなっていた。
敵勢力のほとんどが武器をおろし戦意を喪失させていく中で、僕は何だか不安を感じていた。
上手く行きすぎている。
そんな感じがしたのだ。
勿論ここに至るまで大勢の仲間の命が失われたし、僕自身も比較にならないほど危ない目にあった。
だが、終わってみれば数こそ少ないものの空の部隊の子どもたちは生き残っているし、ナギがいる部隊も潜入を成功させている。
最終作戦。テストとまでいったこの作戦がこれで本当に終わるのだろうか。
その予感は的中した。
信号弾が放たれた後、何処からか地響きのような音が聞こえてきた。
空と地面を震わせる振動音。以前何処かで聞いたような音。
そう、あれは大きな――。
音のある方の空にに視線を向けると、そこにあったのは大きな戦闘機だった。
怪鳥のようなその姿はどこか異様で、不気味だった。
敵の兵隊の様子を見るに、あれは向こうのものではないらしい。
そしてただ迎えに来るのであれば、あんなものでなくて大丈夫だ。いつもの郵送船で十分なのだから。
であるならば答えは簡単だった。
始めからあいつらは、僕たちの生死などどうでも良かった。
作戦が成功しようとすまいと、確実に敵を殲滅できるように仕組んでいたのだ。
ああ、くそ。ちくしょう。
僕が頑張った意味は。
仲間たちの戦いは、なんだったんだ。
絶望に僕が打ちひしがれる中、不意に手を引かれた。目を向けるとそこにはいつの間にかナギが立っていた。
「逃げるぞ、ハヤテ!」
「……え?」
「時間がないっ。いくぞ!」
そういって彼は僕の手を引っ張りながら走り出した。
どこに逃げると言うんだ。ここら一帯は火の海になるのに。逃げる場所なんてないじゃないか。
それに許可なく逃げ出したら組織に何をされるか。
「作戦は成功した! 私達があそこに居続ける意味なんてものはない。であるなら、撤退するのは当然だっ。
諦めるな!」
ナギは必死に走りながら叫ぶ。その目には絶望なんてなかった。
そうだ。ここで諦めてどうするんだ。
僕はまだ生きているというのに。
ナギの目を見て僕は我に返った。
せっかくここまで戦い抜いたのだ。ならばどうなろうと最後まで足掻き続けなければ。死んでしまった仲間にも申し訳が立たない。
僕の様子が変わったのを見るや、ナギはフッと笑ってその手を離した。
「時間がない。とにかく付いてこい!」
遊撃隊の指揮者として拠点の周囲の地形を僅かながらも知っていた彼は、作戦後の拠点への爆撃の可能性を考え、そのような事態になったときのための避難場所を考えていた。
空爆の及ぶ範囲はわからないが、少なくとも敵拠点を確実に叩くために、狭い範囲での攻撃は行わないだろう。ならば足で逃げられるような範囲は、爆発の影響を受ける確率が高い。
そう考えた彼は、施設から最も近い河川に注目をした。爆発において怖いのはその熱と爆風、そして爆風で飛ばされる障害物だ。それを防ぐために体をできるだけ濡らし、姿勢を低くしながら川の上を移動した。
幸いにも僕たちはまだ子供で、小柄だったため川の中にすっぽりと入ることができた。
繰り返される爆音と距離が離れていても伝わってくる爆風に体を震わせながら、僕たちは川を下っていった。
やがて僕たちは完全に爆撃の影響のある場所から抜け出すことができた。
すっかりと冷え込んだ体を震わせながら、近くの大きな木の根本に腰を降ろし、ようやく息を吐いた。
長かった。
本当に、長かった。
これまでで圧倒的に過酷な作戦だった。
ナギがいなければ僕はあの場で死んでいただろう。
「ありがとう、ナギ」
「ああ」
ナギに礼を言うと彼は心底疲れたように答えた。
当然だ。彼だって生きた心地がしなかったはずだ。
見てみれば彼も体中ボロボロで、傷付いていないところはなかった。いつもなら終わった後に笑顔を見せる彼でも堪えたようだった。
「皆は、どうなったのかな」
「……さあな。うまく逃げ出せてればいいけど、そうは行かなかっただろうな」
嘆くようにつぶやくナギ。彼は仲間思いだから、相当辛いだろう。どうしようもなかったのだとわかっていたとしても。
だが一つわからないことがあった。
打ちひしがれるナギに僕は尋ねた。
「……ねえ、ナギ。どうして僕を助けてくれたの?
君の近くには、他にも仲間がいたはずでしょ」
そう。彼は遊撃部隊。僕とは別の部隊なのだ。
つまり周りには彼の部隊の仲間たちがいたはずだ。
加えて僕と彼の部隊は物理的にも離れた場所に配置されていた。わざわざ僕のもとまで来なければ、より多くの仲間と一緒にもう少し余裕をもって脱出できたはずなのに。
僕の問いに彼は僅かにたじろぐ。どこか迷うように瞳を巡らせると、少し間をおいてから口を開いた。
「……そうだな。確かに私の周りには他にも仲間がいた。ハヤテを呼びに行かなければ、何人か助けることができたかもしれない」
「だったら、なんで」
「それは、その」
何故か口籠るナギの目をじっと見つめる。
すると少し間をおいてから、根負けするように、どこか恥ずかしそうにナギが口を開いた。
「……私がお前のことを、親友だと思ってるからだよ」
――――。
「施設に来てからの殆どの時間をともに過ごし、互いの夢を語り合ったお前の存在は、私にとって大きなものだった。隣にいるのが当たり前で、いつも頼もしく思っていた。
作戦に気づいたときも、真っ先に浮かんだのがお前の顔だった。殆ど反射だったよ。いつの間にかお前のもとへ駆け出していた」
それは、僕にとって思いもかけない言葉で。
「指揮官としては失格だけど、私はあの時、誰よりもお前を守りたかったんだ」
そう顔を少し背けて言う君の前で。
気がつけば僕は、涙を流していた。
ああ、そうか。彼もあの時間を大切にしてくれていたんだ。
いい思い出なんて殆どなかったあの場所で。それでも輝いていたあの瞬間を。
そっか。そうなんだ。ああ。
涙が止まらない。泣き顔を見せたくなくて、膝に顔を埋める。それでも体の震えは止まらない。
嗚咽する僕に彼は困ったように笑う。
「泣くなよ、親友」
「な、泣いてなんて、ない、よ。
……親友」
背中を優しく叩く彼の手の温度がどこか心地よくて。
僕は暫く、そこから動けなかった。
数刻が経ち、落ち着いたあと僕たちは状況を確認した。
周囲には明かり一つなく、星明かりのみが僕たちを照らしている。人の気配もない。
野生動物も見当たらず、怪我をして血を流している僕たちにとっては幸いだった。
しかしながら装備はほぼ使い切ったうえに、遊撃隊に渡されていた通信機は繋がらず、ほぼ孤立状態だということがわかった。
一見絶望的な状況に見えたが、一つ光明が見えた。
僕たちについている首輪が機能を停止していたのだ。
何故かはわからない。基地に落とされた爆撃や、それに付随した現在の電波ジャミングの影響なのか。原因は多岐に考えられた。
だがこれはチャンスだった。首輪の機能が停止している間は位置情報が特定できないはず。つまり今この瞬間、組織は僕たちの生死を把握していないということだ。
あの場から逃げ出した僕らは、組織にとって逃げ出したも同然の存在。仮に通信が繋がって、首輪も機能していたとしても、戻って生きていられるという保証はない。
ならばいっそ、今のままできるだけ遠くへ逃げよう。
そう考えたのは、何も不思議なことではなかった。
そこからの数日間は、とても穏やかな日々だった。
早朝から日が暮れるまで河川に沿って、下流へと下って行く。夜は視界が暗く、足元が視認しにくいということもあり、移動はせず体を休める時間に使った。
水は川の水を飲み、食料は川にいた魚を捕まえて食べた。装備に残されていた僅かな火薬を使い、洞窟などを探し、煙が昇るのに最大限注意を払って火を点けて焼いて食べた。魚を食べるのは久しぶりで、骨は多かったがとても美味しかった。
夜は交代で睡眠をとった。野生動物の気配や動きに注意し、異変に気付くことができるように見張りに立った。
それでも互いを信頼しているからか、十分に休息をとることができた。朝目覚めたときに気分が晴れているのは久方ぶりだった。
朝は温かい日差しが心を照らし、夜は綺麗な星々と月が心を癒した。こんなにも純粋に綺麗だと思ったのは初めてだった。
道中もいろんな話をした。互いの夢以外にもやりたいことや、やってみたいと思っていたこと。施設では話せなかったこともいろいろ。
もし二人で逃げ切ることができたら何がしたいか。傭兵をやってもいいし、どこかに忍び込んでなんでも屋っぽいことをやってもいい。お互い手先は器用だから、やってやれないことはないだろう。
首輪をどうにかできたら、日本へ行こう。ここがどこかはわからないけど、森から抜け出して人に会えたら情報も得られる。そうしたらある程度手段も考えられるだろう。
不確定要素が満載で、先なんて全然見えないのに、不安はなかった。
水も食料もなく、どうしようもない状況だったはずなのに、とても心が安らいだ。
周りには怖い大人たちはいないし、銃や剣撃の音もしない。硝煙の匂いも、爆撃の音もしない。
隣には初めてできた親友がいて、笑いながら話ができる。
ただそれだけでこんなにも幸せなのかと、僕は思い知った。
だから、油断していたんだと思う。
浮かれていたと言ってもいいかもしれない。
幸せが脆く儚いものであることなんて、僕が一番よく知っていたはずだったのに。
ようやく森を抜けた先に待っていたのは。
何人もの黒服の大人たちと、よく知っている戦技教官の姿だった。
呆然とした。動けなかった。
ちらりとナギの様子を伺うと、彼も絶句していた。
待ち構えられていた。首輪は作動していなかったはずなのに。どうして。
固まる僕たちを他所に、黒服の中で異彩を放っていた白服の男が、手を叩きながら声をかけてきた。
「よくここまでたどり着いた。A1番、C1番。
君たちは優秀だ。
にやにやと僕らを眺める男。その笑みは本当に楽しそうな笑みだった。
見立て通り。
この言葉が本当なら、僕たちの動きは読まれていた。しかも行動を誘導されていたということだ。
一体いつから。どこで。
動きの鈍い頭をフル回転させて思考を巡らせる。
考えがまとまらない。
でも一つだけはっきりしていることがある。
全ては予定調和だった。
ただ、それだけの話だった。
「本来ならば、敵前逃亡は当然極刑だ。
だが、私は優しい。あの戦場をここまで生き抜いた君たちを殺してしまうのは心が痛む。
そこで」
白衣の男はわざとらしく胸を押さえながらこちらに語り掛ける。
もったいぶるように息をため、右の人差し指をぴんと立てる。
そして、
「今からゲームをしよう。なあに、ルールは単純だ。
君たちで殺し合いたまえ。勝敗は、息の根を止めた方を勝ちとする。
そして生き残った方は、敬意を表して、組織に迎え入れよう」
そんなこと告げた。
とても、楽しそうに。
「な、あ?」
それが何を意味しているのか。わからないわけではなかった。
だがあまりにもあっさりと告げられたその言葉は受け入れがたくて。
あまりにも残酷すぎる提案だった。
受け入れられるわけがない。それなら、可能性が低くてもいっそ。
そんな僕の思考を見透かしたように、奴は言葉を続けた。
「ああ、逃げ出すのも悪い選択ではないと思うよ。
君たちの能力なら万が一の可能性もあるかもしれないしねえ。
だけど」
僕たちの語りかけながら、胸ポケットから何かを取り出した。
手に持たれたその機会には何やらたくさんのボタンが付いていて。
「それじゃあつまらないから、こうしよう」
無造作にそのうちの一つを押した。
その瞬間。
ピッという音を立てて僕たちの首輪が起動し、首に何かが刺さる感触があった。
「っ!」
体が熱い。何かを注射されたようだ。思考が定まらない。
何をされたんだ。
奴の方をじろりと睨む。すると奴は楽しそうに笑いながら答えた。
「今、君たちに毒を打った。様々な抗体のある君達でも15分もあれば死に至る猛毒だよ。
解毒は私しかできない。
ああ、私を殺して解毒剤を奪おうとしても無駄だよ」
言いながら奴は白衣の裏側を見せた。そこにはいくつもの試験管が縫い付けられていた。
「今この場に解毒剤はない。私がここで調合しない限りはね。
適当に飲んでも無駄だよ。ものによっては飲み合わせただけで、死んでしまうものもある。
まあそれでも、僅かな可能性に賭けてみるというのであれば止めはしないがね」
ニタニタとこちらを煽るように、嘲るように言葉を紡いだ。
全てお見通しなのだと。こちらの考えていることなど、どうやっても無駄なのだと。
そう突きつけられた。
ハッタリだと突き返すには、首に走る痛みがそうさせてくれなかった。
どうやっても逃げられない。どう足掻いたとしても、決して。
ならば殺し合うのか。ナギと。僕を親友だと言ってくれた彼と。
……できない。
できる、訳がない。
ちくしょう。こんな、こんな結末なんて。
カラカラとナイフが僕の前に転がった。
いつも僕が使っていたナイフと同じ規格のもの。
見てみるとナギのもとにも同じものが置かれている。
これで殺し合えというのか。
親友を、殺せというのか。
嫌だ。
そんなのは嫌だ。
僕はナイフの前で打ちひしがれた。
時間は刻一刻と迫っている。
わかってる。わかっているんだ。
どうしようもないってことぐらい。
だけど。それでも。
僕には、もう――――。
「ハヤテっ!!!」
かけられた声の方に視線を向ける。
するとそこには、ナイフを僕に向かって突きつけているナギの姿があった。
「な、なにを」
「やるぞ、ハヤテ」
何時になく真剣な目で僕を見つめるナギ。
その目は死んでいなかった。この絶望的な状況にあっても、まだ輝きを放っていた。
だが彼の言っていることは。それは。
「無理だよ。僕にはできない。
それに殺したからって、本当に助けてくれるのかだってわからないじゃないか!」
「ハヤテっ!」
「なによりっ! 僕は、僕は君を殺したくなんかないっ」
「私だってそうだっ!!!」
彼の強い言葉に俯いていた顔をあげる。
彼は、泣いていた。
「でも、やるしかないんだ。たとえ罠だとしても。生き残れる可能性が低かったとしても。
今此処で二人とも死んでしまったら、今までの全部が無駄になる」
「だったら、だったら君が」
君だけでも生きて。そう言おうとした僕の言葉を遮るように、ナギは叫んだ。
「私には夢がある! この先に向かいたい未来がある!
お前はどうだ、ハヤテ!」
――――――――。
「お前にも夢があるんじゃないのか!
どうしても逢いたい人がいるんじゃないのか!
その人にどうしても伝えたいことがあるんじゃないのか!
それは、こんなところで諦めていいものなのか!」
いつかの日に彼に、彼だけに話した僕の夢。
彼女にもう一度逢うという、僕の夢。
「違うだろう。そうじゃないだろう!
お前にはやらなくちゃいけないことがあるはずだろう!
私にはある! 私は諦めるわけにはいかない!
だから!」
言葉には力が宿る。彼はいつものように覇気のある姿でそこに立っていた。
眩しく、力強いその姿で。
「私とお前、どちらが夢を掴むことができるのか。
勝負だっ、綾崎ハヤテ!」
荒い息だ。立っているのも辛いのだろう。
それでも彼は堂々としていて、格好良かった。
親友の気持ちに、応えなくては。
ちくしょう。
ちくしょう。
ちくしょう。
目の前のナイフを手に取る。
幾度となく命を奪ってきた武器を、今度は目の前の親友に向けた。
涙が止まらない。止められない。
だが、やるしかないんだ。
僕はここで死ぬわけにはいかない。
死ぬわけには、いかないんだ。
「うわああああああああ!!!!!」
忌々しい武器を強く握りしめ、僕は駆け出した。
今までも模擬戦はしたことがあった。勝率は五分五分。力は僕が上だが、技巧はナギのほうが上。搦め手を上手く使ってどんな相手にも迫ってくる。それが彼の戦い方だった。
だが今の彼は少し違った。
本当に命がかかっているこの戦い。気迫、熱量全てが真に迫っていた。少しでも気を抜いたら一気にやられる。それが強くわかった。
彼の繰り出す刃を紙一重でさけ、いなし、弾く。
そのどれもが力強くて、一撃一撃が簡単に命を奪うことのできる威力をもっていた。
だがそれでも、何度か繰り返すと、段々と彼の攻撃が鈍っていく。
明らかに反応が遅くなり、息も絶え絶えになっていた。
彼はもう限界だった。
僕の一撃が彼のナイフを宙に弾く。
キィンと音をたてて、ナギの手からナイフが離れていった。
彼の武器はもうない。
だけど、彼はそれでも諦めなかった。
最後の最後まで僕に勝とうと組み付いてきて。
気がつけば、僕のナイフが彼の胸に刺さっていた。
「――――」
何が起こったのかわからなかった。
脳が受け入れるのを拒否していた。
でも何度否定しても、現実は確かにそこにあった。
鮮血が流れる。ナギの、彼の命が喪われていく。
震えが止まらない。信じられない。信じたくない。
固まる僕の手のナイフを包み込むように握り、ナギはそっと抱きついて囁いた。
「おめでとう。ハヤテ。お前の勝ちだ」
「ナ、ギぃ。僕は、僕はっ」
「いいんだ。ありがとう、ハヤテ。
私の為に泣いてくれて」
もう言葉を発するのもつらいだろうに、彼は涙を流す僕を安心させるように微笑み、最期の力を振り絞って僕を強く抱きしめた。
「私の親友になってくれて、ありがとう」
それを最期にナギは崩れ落ちた。
僕は必死に彼を抱き止める。
そして、
「……ああ、死にたく、ないなあ……」
そんなことを小さく呟くように言いながら、彼はその瞳を閉じた。
死んだ。
ナギが、死んだ。
僕の目の前で。僕の手に持ったナイフで。
死んだんだ。
もう二度と動くことはない。
もう二度と話すことはない。
もう二度と、笑い合うこともできない。
もう二度と会えないんだ。
死にたくない。彼の最期の言葉。
そうだ。彼はいつも夢を語っていた。
僕はいつも彼に力をもらっていた。
彼の存在は、僕にとってとても大切なものだったんだ。
虚無感が胸の中に広がっていく。
胸の中にあった確かな灯が、小さくなっていく。
僕はただ、泣きながら彼を抱くことしかできなかった。
彼の亡骸を抱きしめて打ちひしがれる僕に、そいつは拍手をしながら悠々と声をかけた。
「素晴らしい、A1番。いや、綾崎ハヤテよ。
自らが生きるために、親友をも手に掛ける。
ああ、なんと素晴らしい」
その言葉に僕は頭を振る。
よかったはずなんてない。
そんなはずがないんだ。
「ち、違う。僕は、僕は殺したくなんて」
「違う? 何が違うものか。それに恥じることはない。
己のためにその障害を取り除く。それの何がいけないのだ? そんなことはない。もっと胸を張っていい」
男はそう言って僕を見下ろした。僕はただ見上げることしか出来なかった。
「君は最高の人形だよ。わざわざこちらに引き込んだ甲斐があった」
その言葉で、頭に思い出される光景があった。
冷たい倉庫の中。銀色に光る注射器。
ニヤニヤと笑う大人たち。
そしてその中には、黒の中にあって異色を放つ白衣があった。
「まさか」
そうだ。
この男はあのときの。
父さんたちと一緒にいた、白衣の男。
「思い出したかね。そうだ、君は私に一度会っている。
君の素質に目をつけ、この支部に移したのもこの私だ。君の父親から君のことは聞いていたからね。是非とも私のもとで育ててみたかったんだ」
何だそれは。
その言い方はなんだ。
それじゃあ、それじゃあまるで、これまでの全部が。
あの無茶な最終テストも。
あの戦場も。
あの叫びも、悲しみも。
ナギがこうなったのも。
全部が全部。
「僕の、せいだったっていうのか」
「そうだよ」
そいつは無慈悲に、冷酷に、断言した。
「あの支部の奴らは不良品だった。
どこにも出すことのできない吹き溜まりだった。
もう処分するしかない奴らだったが、最後の最後に役に立ったよ。
こうして最高の殺人人形の完成に貢献できたのだから、彼らも本望だろう」
脳裏を過る、ともに過ごした施設の仲間たちの顔。
嫌なやつもいた。
合わないやつもいた。
だが全員がそうではなかった。
好ましいと感じた人たち。
僕に良くしてくれた人たち。
いろんな人がいた。
その誰もが戦場で散っていった。
未来をみながら、絶望することなく。
「そして、何よりも彼には感謝をしなければならない。
C1番、彼は十二分に役割を果たしてくれた。おかげで完成にこぎつけることができた」
「役、目」
「そうだ。彼は有能だった。本来ならば、この施設に来るような駒ではなかった。
だが、同郷の士を得ることで君がどういう成長を見せるのか。それが見たかったんだよ。だから、彼を呼び寄せた」
じゃあ。
もしも、もしも僕がいなかったら。
ナギは。ナギはもしかして。
「死ぬことはなかったろうね」
「――――」
「あれだけ状況を読み、的確な判断のできる駒だ。
組織は人材不足だ。彼の有能さに気づいて、取り入れようとする動きも出たかもしれないね。実際に施設内でも意見は挙がっていた。
もしかしたら組織の中でもある程度の地位に登り詰めることもできたかもしれない。
今言っても栓のないことか」
頭に言葉が入ってこない。
だって、今の言葉が事実なら。ナギはここで死ぬはずはなかったことになる。
僕が、僕さえいなかったら、彼はもしかしたら夢を叶えることができたかもしれない。
そうだ、何もかも全部。
「全部君のせいだ」
「う、あ、あ」
「施設の子どもたちが死んだのも。
C1番が死んだのも。
すべて、君の成した結果だよ。綾崎ハヤテ」
身体のすべての力が抜けていく。
気力がすべて失われていく。
心が、色を喪っていく。
全部無駄だった。
夢を抱いたのも。
これまでの頑張りも。
全て、無駄だったんだ。
僕は、一体何だったんだろう。
意識が急速に失われていく。
だが、それに抗える力はもう残されていなかった。
ナギの亡骸の上に倒れ込む。
彼はもう優しく微笑んでくれない。
僕が殺したのだ。
僕が。
そんな僕を尻目に、最後に男はなんでもないようにああ、と呟いた。
「それと毒を打ったのは本当だが、C1番はともかく、君には大して効かない毒だったんだよ。
何故か君には薬が上手く作用しないようでね。
まあ、どうでもいいことか」
その言葉を最後に、僕は意識を手放した。
次に目を覚ましたとき、僕は見知らぬ部屋にいた。
首には新しい首輪がつけられており、薄暗い部屋の中で聞きたくもない声が響き渡った。
何でも僕の仕事は組織の敵対勢力の戦力を削っていくことらしい。それと並行して、組織の研究機関の調薬と反応実験にも付き合う。白衣の男にとってはそちらの方が本命なのだろうが。
着けられた首輪は以前のものよりも強化されているものらしく、位置を特定するだけでなく外そうとすれば中にある爆薬が起動することになっている。更に基地から一定期間離れた場合も起動し、爆発する。逃げることはできないよと、満足げにやつは語っていた。
別に僕自身の命なんてもうどうでも良かった。
だが僕が自ら命を捨てるという訳にもいかなかった。
僕が死んでしまったら、彼の死が本当の意味で無駄になってしまうから。
逃げるわけにはいかなかった。
それからの僕は、組織の戦術兵器としてあらゆる戦場に向かった。
コードネームはマリオネット。
僕にはお似合いな名前だ。
どうでもいい。
ある時は紛争地帯に。
ある時は市街地に赴いた。
それぞれで役割も違った。傭兵として向かうこともあれば、暗殺者としての役割を担うこともあった。
色んな人を殺した。
子供も。大人も。老人も。男も女も関係なく。
悪い人ばかりではなかった。
良い人もいた。
僕のことを案じてくれる人もいた。
それでも殺した。
首を切って、胸を穿って、頭蓋を砕いて殺した。
何も感じなかった。心は痛まなかった。
どうでもいい。
仕事を終えて基地に帰ると、実験室に連れて行かれた。
たくさんの薬を飲まされ、たくさんの注射を受けた。
激痛が走ったり、体が焼けるように熱くなったり、逆に凍えるように寒くなったりした。
意識が混濁し、朦朧とした。
それでも、恐怖はなかった。
死のうが生きようが、どうでもいい。
脳裏にぼんやりと二人の人影が浮かぶ。
何かを叫んでいる。
だけどはっきりとはもう思い出せない。
あれ?
あれあれあれあれ?
あれあれあれあれあれあれ?
僕は、誰だったっけ?
どれだけの時が経ったのか。
薄暗い部屋の中、遠くから爆音のようなものが聞こえた。
何やら外が騒がしい。ざわざわと落ち着きがない。
どうでもいい。
ざわめきが段々と近づいてくる。
振動が激しくなる。天井のホコリがパラパラと落ちてくる。
手首につけられた鎖がジャラリと音を立てた。
思わずドアの方に視線を向ける。
すると同時に、ガシャン!と音を立てて扉が吹っ飛んだ。
ガタガタンと扉が床で動きを止める。ぼんやりとただそれを眺めていると、人影が部屋に入ってきた。
光がないから髪の色ははっきりとは分からなかったが、恐らく黒色の長い髪を後ろにまとめている。
段々と近づいてくるその輪郭は、とても小柄だった。
ズンズンと足音を立てて近づき、視認できる距離にまで来たその人物は、ガアンと片足を突き出してからしゃがみ込む僕を見下ろした。
「お前、誰だ」
特徴的だったのは、目に走る一つの傷。
圧倒的な存在感。
そして何もかもを飲み込むような、黒い瞳。
逸らすことはできなかった。
とても惹きつけられた。
その人は僕の方を見ると怪訝な顔をして、それから何かを呟くと無造作に腕を振るった。
次の時には僕に付けられていた首輪が外れていた。
爆発することもなく、カランと音を立てて首輪が地面に落ちる。とても、あっけなく。
でもそんなことは気にならなかった。
僕を縛っていた楔がとれたというのに。
目が離せなかった。
暗く、けれど爛々と輝く瞳が僕を貫く。
そして、
「私の名前は初柴シスイ。
お前の名前は?」
投げかけられたその問に。
僕の中の何かが、動き始めた音がした。
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