キミの瞳に恋してない 作: 龍也/星河琉
意識が先に覚醒した。
機関車の動輪が回れば自然に連結棒が動くように、意識が覚めた脳は、自然と目を遅れて覚まそうとする。
意識と目が完全に連動しており、意識が覚醒すると反射で同時に目が覚めるという人もいるらしいが、ぼくは目の方が遅れて起きる。
ああ、そうか。
ぼくは今、意識を覚醒させた。つまり、起きたのだ。
「ッ……ぅ……」
思わず、小さく呻いてしまう。
目が覚めた。覚めてしまった。ぼくは、どうやらあそこから意識を取り戻したのかもしれない。いや、ここが天国である可能性も捨てられない。
ぼくにとって問題である点としては、この場においては、ひとつだ。たったひとつ。ここは死後の世界であるか、ということだけだ。視界には、ぼくの知らない天井が広がっており、ぼくは重力と怠い身体のお気に召すままに、床へと無様に仰向けに倒れているということがわかる。
布団の感触が、肌越しに伝わる。掛け布団がかけられているのが分かる。敷布団の感触もある。丁寧なサービスの天国だ。
この後出てくる、タイやヒラメの舞踊りと食事の味が良ければ、サービス良し料理良し、食べログ評価は文句なしの星五つをつけるのだが。
タイやヒラメは天国じゃあなくって、竜宮城だったかな。まあいい。ぼくは無宗教なものだから、極楽浄土でも、天国でも、竜宮城でも。この生命というしがらみから抜け出して、苦しみから逃れられるなら、どこにだって行ってやるつもりだ。
正直、転生してやり直すのは勘弁願いたい。どうせまた、不幸に苛まれることになるだろうから。
「……くそっ」
「あっ! 目、覚めた?」
毒づきが聞こえたようだ。足下の方向から声がした。
銀髪のボーイッシュが視界に入る。遅れて、やたらと輝く目のアホ毛がこちらを覗く。
「……ここが……天国…………?」
そんなわけはないが、期待を込めて言うだけ言ってみた。アホ毛が天国の使いだったかもしれないから。
「もう、天国じゃないよっ! ここは私の家! あの後、急に倒れちゃったから、ここに運んできたの!」
「千歌ちゃんだけじゃ運んで来れないって言ってたけど、君、すごく軽かったから。私1人で背負えちゃったんだ」
何日も飲まず食わずだったとはいえ、さらに成長期をチンケな栄養で乗り切った小柄なこのぼくとはいえ。こんな子に1人で背負われるほどに軽かったとは。
いや、逆にこの子の筋肉が凄いのかもしれない。見た目は普通の女の子だが、実は自分の体重の10倍はあるものを余裕で持てる、まるでアリのような筋力を秘めているのかも。
「転生……でも、なさそうだ」
「だーかーら、生きてるってば! もう、なんで素直に喜べないかねっ」
「……そうか。死に損なったのか、ぼくは……」
「か、会話になってない……死ぬことしか頭にないって感じだ……」
銀髪、正解。今のぼくは死ぬことしか頭にない。それも、なるべく他の人に迷惑をかけず、バレず、さっと死ぬことに関しては目がない。
なので今のぼくは、目撃され、自殺に失敗していることから、目的とは全くもって反対の状況になっているとも言える。ああ、気分が悪い。お腹が減っているせいもあってか、どうにもイライラが募るばかりである。
「
「……ねぇ。あなたは本当に、あそこで死ぬつもりだったの?」
アホ毛が、ぼくに愚問を投げかける。投げかけられたというか、投げつけられた気分だ。
「当たり前でしょう」
「!」
2人が少し、肩をビクッと跳ねさせる。
「やっと、良い死に場所を見つけられたと思ったのに。キミ達が来たせいで、全てが台無しだ」
布団に寝かせてくれたこの処置だって、数週間前のぼくなら泣くほど喜び、お礼にいくらでも靴を磨くというのに。家の靴を全部ピカピカにするというのに。
「……お願いだから、ぼくを見捨ててよ」
ぼくがそう力なくつぶやき、布団から出ようとすると、アホ毛が大きく鳴いた。
「やだっ!!」
「うるさっ……」
海に入ろうとした時も、彼女はぼくのことを見捨てなかった。
他人が死ぬところくらい、黙って見ていられないのか。そりゃあ、目の前でトラックに轢かれそうになっている人がいたなら助けるのが道理だろう。誰だってそうする。ぼくもそうする。もしかしてその人が、苦しんでいないかもしれないから。
でも、現に今、ぼくは苦しみながら生きている。全てを失い、死ぬしか救われる方法がない。だから死のうとしているのだ。それを黙って見送れない。本来、死に損なったぼく側が言われるべき事ではあるが、往生際が悪いアホ毛だ。
「なんでだよ!」
「ぜぇ〜〜ッたいやだ!! そんなコト、させる訳ないじゃんッ!!」
「耳にキンキンくる声だ、くそっ……」
乱れた自律神経にとどめを刺さんばかりの、特異な周波数の声がぼくを襲う。この人はコウモリの仲間か。それともクジラか。どちらでもいいが、生かしたいのか、とどめを刺したいのかハッキリしてくれないかな。
アホ毛の主張を聞き、改めて銀髪の方が真剣な面持ちで、ぼくの方に寄ってくる。
「そうだよ。何でそう思ったのかわからないけど……死ぬのはダメだよ。死んだら悲しむ人がいる。
そうか。この人も『当たり前の幸せ』を、当たり前だと思って受け取っているのか。
2回も説明するとは、ぼくも思っていなかった。掛け布団をはがし、ため息を合図に立ち上がる。敷布団から出て、ぼくは畳の上に立つ。
「……『誰』が」
「え?」
「『誰』が『どうやって』、ぼくを『助けてくれる』っていうの? 結局、誰も助けてくれなかったから、こうなっているというのに……えぇ? なぁ……」
自分の惨めさに嫌気がさす。ヤケになりながら、アホ毛の方を一瞥し、ぼくは銀髪に問い詰めるように話しかける。
「そこの人には言ったけど、ぼくが死んで悲しむ人なんて居ないよ。そうしてくれそうな人は……もう、みんな居なくなったから」
「っ……」
「キミ達みたいに、『当たり前の幸せ』を享受できた人に、ぼくの気持ちはわからない……それをわかってくれとも言わない。ただ……死なせてほしいだけなんだ……それ以外は……何も望まないから……」
そう言いながら、ふらふらと部屋の襖に向かって歩く。栄養と自律神経の両方がダメなのか、視界が少し霞んでいる。夢か現か、そういった曖昧な意識の中、海に向かおうとする。
そんなぼくの手を後ろから掴んだのは、声が高いアホ毛の方だった。
「あなたは、死んじゃえば『幸せ』になれるって思ってるの?」
ぼくは振り向きもせずに答える。
「……そうだよ。死んだら、楽になれるじゃあないか。すべてのしがらみから開放される。ぼくを見捨てた世界とも、これでおさらば。至極簡単な仕組みだと思わないのかい。こんなにも近くに人生リセットボタンを用意してくれた神サマは、きっと
放浪していた数日間で思ったことを、せきが壊れたように吐き出す。襖に向かい、俯きながら。ここからの逆転なんて、できないんだ。もう9回裏は終わった。
ぼくはこれから、どうしようにも、どうしようもない。生きがいさえ、見つからない。
「私は、そうは思わない。だって、死んじゃったら全部、『終わり』だから」
「……?」
何を言っているんだ、この人は。ぼくはもう、『終わった人』だ。何もかも、『終わっている』んだ。
「死んだら……家族とも、友達とも会えないし、あったかいご飯も食べれない。そんなの、絶対幸せって言わない。むしろ……死んだ方がよっぽど不幸になるんだよっ! 自分も、周りもっ!」
「さっきから……何を
「わかるよ!! ……私、あんまり賢くはないからさ。難しいことはよくわかんないけど! でも、これだけはわかる! 死んで幸せになる人なんて、誰もいないんだよ!!」
「千歌ちゃん……」
いい加減、腹が立ってきた。空腹の限界になると、人は器が小さくなり、周りに当たり散らしたくなりさえするというのは、どうやら本当のことのようだな。
「さっきから聞いてれば、無責任なことばっかりをさぁ……なぁ、言ってくれるじゃあないか……赤の他人だから言えるのかもしれないけどさぁ……いい加減ウザいよ、キミ……」
『ウザい』という単語を、人に向かって発したのは初めてだ。自分が言われたら、心が折れる自信があるから。
「……他人のクセにさ……見透かしたようなこと言ってくれてさァ……」
「他人じゃないもん! こうしてお家まで運んで来たんだから!」
「そういう問題じゃないだろッ……」
「それに!!」
ぼくの片方の肩を掴み、彼女はぐるっと力ないぼくの身体を横に180度回す。そして、再度ぼくの腕を掴んで、揺らすようにアホ毛が言う。
「あの砂浜に! 『タスケテ』って書いてたじゃんっ!!」
「なっ……?」
彼女が真っ直ぐこちらを見るもので、思わず気圧されてしまう。身体の底にある元気の量が違うのだろう。
「それ……私が来た時にも見たよ。私達があれこれしてるうちに消えちゃったけど」
「ぐ……そ、それは……その……」
ただの気まぐれだ。そう言っても、信じてくれないような雰囲気だった。
「死ぬ前にそう書くってことは、本当はまだ信じてたんじゃないの? 誰かが……自分を『助けてくれる』のをさ」
銀髪までそう言うものだから、ぼくは本格的に追い込まれた。
生きろと言うのか。何もかも失ってしまった、このぼくに。どうやって、だ。何を糧にして、どこで働いて、どういう生活をすればいいんだ。
生活スキルはある方だ。小学生の頃から、ばあちゃんの身体が悪く、家のことは殆ど1人でやってきた。『彼ら』の拠点の炊事洗濯掃除も、ぼくに一任されていた。だから、家事ができないわけではない。
家事以外の全てが、ぼくには無いのだ。ライフラインがない。雨風をしのげる家がない。雇先がない。立つ舞台がない演者のように、ぼくは自分自身を持て余している。
だから、『詰み』なのだ。
「……うるさいなぁ」
ぼくがそう言うと、アホ毛は今までよりも更に大きな声で反論してくる。
「本当は!! 『死ぬのが怖かった』んじゃないのっ!?」
「黙ってくれッ……!」
「黙んない! 助けが欲しいんだったら、素直に『助けて』って言えばいいんだよ!」
「眩しいんだよさっきから! なんなんだよキミは!?」
ぼくは腕を降ろしたままに拳を握りしめ、俯きながら、彼女に負けじと精一杯の声で言う。
しかし、彼女は常にぼくの先を行く。それは、たとえば発想さえも。
彼女は背中から手を回し、ぼくを捕まえるように抱きしめた。
「私が! 『助ける』からッ!!」
「……!?」
銀髪が、あからさまに動揺した様子で、ぎょっとしたような目でこちらを見る。
「ちょっと千歌ちゃん……」
「だって、ほっとけないじゃん! ……
「それは……そうだけど……」
このボーイッシュも、こう言ってくれているわけだ。ぼくの死を止めるには遅すぎたみたいだな。ぼくはもう手遅れだ。
ぼくが死ぬと言っているんだ。止めないでくれ。
生きろと言われるのさえ、もう辛いんだ。ぼくは、もう諦めた人間なんだ。
「曜ちゃん。さっき、この人は私のことを『無責任』って言ったよね?」
「え? う、うん……」
それは流れ的に、ぼくの方に聞くんじゃないのか。本人が目の前にいるのに。賢くないと自称するに相応しい思考回路をしているようだ。
「無責任って言うなら、私が責任とってこの人を助ければ良いんだよ。そしたら、私の言うこと無責任って言えなくなるもん!」
「キミ……さっきから何言って……」
アホ毛が、ぼくを抱きしめる力をいっそう強める。
「私があなたを助ける! 『死にたくない』って思えるように、救いたい! だから……」
そして、彼女は手を解き、ぼくの目の前に先回りをしてくる。
ぼくは不可抗力で、彼女と目を合わせてしまう。
彼女の目の奥には、確かに『太陽』が見える。彼女自身を太陽の分身たらしめる像。
聖書のマタイ書にも書いてあった。『体の灯火は目である。それでもし目が澄んでいれば、あなたの全身は明るいだろう』と。彼女は目が真っ直ぐで、澄んでいて、その奥に光を秘めているから、『太陽』なのだ。
「『助けて』って、言ってよ」
「っ……誰がそんなこと……」
「……言って」
ぼくは、両の目を瞑る。これ以上目を合わせていると、生きることを諦めることが、バカバカしく思えてしまいそうだから。
「……嫌だ」
「言って!」
「嫌だっ!」
「言ってっ!」
「嫌だって言ってるのが! わからないの……」
そう言おうとした瞬間、ぼくの両頬に手を添えられる。
太陽のような、ふたつの目が、きっとぼくを見つめた。睨むようにも見えた。その後、彼女は息を吸い込むと、横隔膜を大いに使ってこちらに叫んだ。
「細かいことはどーでも良いからッ!! 『助けて』って!! 言え──────ッ!!」
「っ……!」
喉の奥が見えるくらい、彼女は大きく口を開いて、僕に向かって言う。
建物全体がビリビリと震えるような、地ならしを彷彿とさせる声の反響。声の大きさと相まって、ぼくは今の彼女に『怪獣』という印象を見出した。
魂を揺さぶる衝撃。彼女の咆哮は、ぼくの心の奥を突き刺す。
『ばあちゃんは大丈夫だから。ね、一夏は好きに生きなさい』
『生きているだけでいいの。ただ、ちゃんと生きているだけでね……』
『お前は俺たちのために生きろ』
『お前がいてくれて、よかったなーってよ……最近、思うんだ』
『ありがとう! 一夏!』
『ありがとうね』
『ありがとうございますっ』
『……さんきゅ』
『あ、ありがと、一夏くん』
「…………!」
ぼくの奥にある、『幸せ』が走馬灯のように蘇る。ぼくが温かいご飯を食べていた時の記憶。必要とされていた時の記憶。生きる理由があった時の記憶。生きなければならないという強迫観念さえもあった時の記憶。
生きねば。
ぼくは、生きなければいけないんだ。
「……て」
「えっ?」
「……すけて」
どん底まで落ちた、『終わっている人間』。ぼくは空っぽに、がらんどうに、つまり『ゼロ』になった人間だ。でも、ここで死んでマイナスに振り切るわけにはいかない。
だから、ここから『1』を目指さなくてはいけないのだ。『ゼロ』から、『1』へ。
「……! もう1回! もっと! もっともーっとおっきい声で言ってっ!!」
「たす……げで……」
助けて欲しい。こんなぼくでも、もう一度やり直せると言うのなら。
死ぬしかない、なんて弱音を、天国のばあちゃんに聞かれていたらなんて思うと、自分の惨めさと愚かさに涙が出てくる。鼻水混じりの呻き声と共に、ぼくは微かに、しかし確かに、絞り出すように言った。
「
生きて、生きなければ。死ぬまで生きなければいけない。ぼくは、このどうしようもなく馬鹿らしくなってしまった世界で生きなければいけないのだ。
生きるための目標もない。通う学校も仕事場もない。友達も失い、家族さえもいなくなった。こんなぼくでも、生きるべきと言ってくれる、必要としてくれる場所があるのなら。
諦めるには、まだ少し早い……のかもしれない。
「……私が絶対、ぜーったい! あなたを助けるから。だから、ね? 私の言うこと、もう無責任だって言わないでねっ」
「……ごめん、なさい」
「にしし、よろしい〜っ」
にかっと笑う彼女の顔が、まだまだぼくにはどうにも眩しかった。
「でも、千歌ちゃん。助けるって言っても、具体的にどうするの?」
「んーと……」
それはまぁ、ここら辺が地元なのだろうし、土地勘だか何だか知らないが、地元のネットワークとやらを使ってあれこれしてくれるんじゃあないのか。
ぼくの期待に反して、チカという名前らしいアホ毛は腕を組んだまま黙り込んでしまう。ぼくはため息をつき、アホ毛に一歩近寄る。
「キミ……『助ける』とか言って、やっぱりまだ何も考えて……」
そう言った瞬間に、ぼくの腹の虫が盛大に鳴った。ぼくは自分の腹を抱えるようにして、そっぽを向く。恥ずかしいという感情が、追ってぼくを襲う。
どんなに死にたいと願っていたとしても、ぼくの身体はそんなのは知ったことでは無いとばかりに生存本能をフル稼働させる。胃袋が憎たらしい。取ってやりたい。焼肉にしてやりたい。
ああ、焼肉。美味しそうだ。どうせなら、つくねか焼き鳥が食べたい。タレか、塩か……。肉といえば、魚肉もいいな。マグロの刺身。いいなぁ、魚の刺身。
そんなごちそうを思い浮かべ、もうひと鳴り、胃袋が縮む音が和室に虚しく響く。
「あっ……なるほど、そうか! 分かったぞっ!」
ぼくのお腹の音を聞いてどんなことを思いついたのかは知らないが、彼女は広げた片の手を、もう片の手をグーにしてぽんと叩く。
その後、ぼくの手を引き、彼女は和室の外に出るように促す。
「まず、ご飯食べよっか! 私のお家の、あったかいご飯っ!」
ぼくの手を引く彼女に、ぼくを救ってくれた
いつだって太陽は人を照らす。たとえ嫌がられても。憎まれようとも。