キミの瞳に恋してない   作: 龍也/星河琉

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#7 DICE

 今日は千歌(ちか)ちゃんが居間に来るのが遅かった。珍しいことでもないが、それにしても今日は特段遅い方である。

 

 平日の朝、高海(たかみ)家の食卓の席が次々に埋まっていくなかで、千歌ちゃんはまだ2階の部屋から降りてこない。

 

「おはよう、零夏(れいか)君」

「零夏おはよー」

「おはようございます、志満(しま)さん、美渡(みと)さん。億康(おくやす)さんも、おはようございます!」

「……おはよう」

 

 ぼくがこの十千万に来た当初は、挨拶をしてもシカトしたり、ただ無言で頷くだけだったりした億康さんも、最近はおはようの挨拶を返してくれるようになった。

 

 少しは馴染めてきているだろうか。この家の住人として。

 

「おっ。今日は目玉焼きか。良いじゃねぇか」

「はい。たまには別の献立にした方が良いかなって」

「うふふっ。昨日私達に好みの焼き加減聞いてたの、そういうことだったのね」

「はい……好きな焼き加減じゃなかったら、不快に思われるかと思いまして」

 

 昨日のうちから、一家全員に目玉焼きの好きな焼き加減を聞いておいてよかった。全員、とりあえずは満足そうにしている。

 

 ちなみに、志満さんと千歌ちゃんは『半熟派』、億康さんは『完熟派』。美渡さんは『食えればなんでも良い』派なので、とりあえず固めに仕上げておいた。

 

「さすがに作ってもらったモンに文句言う程私らは野暮じゃねぇよ。親父じゃあるまいし」

「……普通に食う分の飯には、俺は何も言わんぞ。こいつの料理は、一般家庭になら充分に出せるくらいの味ではあるからな」

「お褒めにあずかり、光栄です……」

 

 一見褒め言葉として受け取れそうな億康さんの言葉だが、これでも普通にディスられている。

 

 先程の言葉は、『一般家庭なら充分に出せる』というものだった。この言葉は、普段食べる分には何も問題は無い、味として不味くはないが、旅館である十千万のお客様に出せるかと言われれば全くもってそんなことは無いという意味だ。

 

 一般家庭やシェアハウスでの料理経験しかないぼくの料理への評価として、妥当なものではある。しかし、これからこの旅館で料理の仕事もしていきたいと思っていたぼくの心を軽くへし折るには、今の言葉は十分すぎるほどの威力であった。

 

「まぁ、目玉焼きを俺好みの焼き加減にしてくれた事は褒めてやる。少しは気遣いが出来るようになったみたいだな」

「元から割と気遣いできる方だったろ、零夏。親父が無駄に厳しいだけだ」

「つべこべ言ってないでお前も食え。冷めるぞ」

 

 そう言いつつ、億康さんは味噌汁を啜る。渋い顔をしていないあたり、まあまあの味なのか。

 

 いちいち顔色を伺ってしまうのは、ぼくの悪いクセだろうか。

 

「へいへい。ってか、なかなか降りてこねぇな……あのバカチカ」

「たしかに……遅いですよね……」

「一応、千歌ちゃんに何度も声掛けたはずなんだけどね……」

「んー……ぼくが起こしに行きましょうか?」

「そうな。無理やりにでも起こし……」

 

 美渡さんがそう言いかけたその時、ツーバスのような足音と共に、嘆きにも似た叫びの声が聞こえてくる。

 

「あぁぁぁ〜っ! 寝坊したぁぁぁぁっ!!」

「うっせぇバカチカ! お客様に聞こえるだろーが!」

「ごめんなさ〜いっ! あぁぁぁぁ遅れちゃうよぉ〜っ!!」

「お、おはよう千歌ちゃん。とりあえず、少しくらい朝ご飯食べな……?」

「れーちゃんおはよっ! ごめんっ! 今日朝ご飯いらない! もう出るからっ!」

「え……」

 

 なん……だと? この未空(みそら)零夏が十千万に来てから一度も朝食を抜いたことのない千歌ちゃんが、わざわざ目玉焼きの好みを聞き出してまで作った朝食を食べないとは。

 

 しかも今日は、他のおかずも気合いが入ったものばかりだ。特にこの雑穀米。かなりいい出来なんだがな。

 

 これはちょいとばかし予想外だったもので、ショックという程でもないが、ぼくは洗面所に向かう千歌ちゃんを呼び止められずその場でうろたえてしまう。

 

 まあ、いい。今回、ぼくが腕によりをかけて作ったおかずと雑穀米は、お弁当にも入っている。それに、ぼくのご飯は夜にも振る舞えるじゃあないか。何もここで焦る必要は無い。

 

 そう言い聞かせつつも、ぼくの足は千歌ちゃんが向かった玄関へと進んでいた。いそいそと準備を玄関でしている千歌ちゃんに、ぼくは話しかける。

 

「昨日夜遅かったの?」

「うんっ……遅くまでμ'sの動画見てたから寝坊しちゃって……」

「そうなんだね……でも、ちょっとは朝ご飯食べないと体に悪いよ……」

「ごめんね! 晩ごはんに食べるから! いってきま〜すっ!」

「あ……」

 

 そのまま家を出てしまった千歌ちゃんに、ぼくは少しばかり唖然と立ち尽くすしかなかった。仕方ない、学業を優先するというのなら。そう思い、玄関を去ろうとするぼくの視界の端に、見慣れたバンダナに包まれた箱がちらつく。

 

 まさか。

 

 忘れたか。『弁当箱』。

 

「ちょっ! 千歌ちゃん! お弁当!!」

 

 ぼくは大急ぎで弁当を手に取り、『浦の星女学院行き』のバス停まで千歌ちゃんを追いかけに行く。

 

 スヌーピーのエプロンが足にひっかかるもので、一度玄関に戻って脱ぎ捨てたのが失敗だったか。はたまた運動不足が原因か。早々にゼェゼェという呼吸に変わり、ぼくは腹ではなく肩で息をする。

 

「はっ……はっ……千歌ちゃんっ……」

 

 久しぶりに全力で走ってみたものの、追いかけ始めた時にはかろうじて見えていた千歌ちゃんの背中が見えなくなっていく。

 

 スクールアイドルのタマゴとはいえ、ぼくよりは遥かに運動神経のある千歌ちゃんの全力ダッシュに追いつくことはかなわず、先に千歌ちゃんはバスに乗ってしまう。弁当箱は十千万に置いていかれることとなった。

 

「はぁっ……はぁっ……ううっ……間に合わなかった……」

 

 遠ざかっていくバスを見て、毒づきつつも息を整えることが精一杯の自分が、なんとも情けない。ジムにでも通っておくべきだったか。そんなお金、どこにもないけど。

 

 ぼくはバス停で5分程休んだ後に、高海家の居間へと戻った。

 

「戻りまし……た……」

「おう。おかえり……と、お疲れさん。弁当、届けられたか?」

「いえ……あと少しで追い付いたんですが、バスが出発しちゃって……すみません……」

「あー。まぁしゃあねぇよ。そもそも寝坊したアイツが悪い。せっかく零夏が朝メシ作ってくれたってのに……」

「いえっ……それは全然。ただ……お弁当を渡し損ねてしまって……」

「あら……千歌ちゃん、余程急いでいたらしいわね」

 

 ぼくは両手で弁当箱を持ち、未練と共にそれを見つめる。なんとかして、千歌ちゃんがお腹いっぱいご飯を食べられればいいのだが。

 

「千歌ちゃんがお弁当忘れた時って、どうしてたんですか?」

「んー、寝坊したアイツにわざわざ弁当届けてやる義理もねぇし、基本こっちからは何もしてねぇな。(よう)ちゃんとか、他の友達に弁当分けてもらってるとは前に聞いたけど」

「そ、それじゃ千歌ちゃんも、分けてくれた人も満腹にならないじゃないですか! それは良くないですよ!」

「まぁ、それはそうだな……」

 

 確か曜ちゃんは、水泳部に所属していると聞いた。飛び込みだかなんだかをしているらしいが、どっちにしろ運動部だ。お弁当を分け合いっ子なんてしたら晩御飯までもたないぞ。

 

 しかも食べ盛り育ち盛りの高校生だ。普通よりもボリュームのあるものを食べなければならないお年頃、それはちょっとマズいんじゃないのか。

 

 空腹だと身体を動かすといった面でのパフォーマンスが下がり、苛立ちがおさまらず目眩がする。ここら辺に関しては、自分の体で体感している。尚更、ぼくの中にある焦りが加速していく。

 

「お昼抜きは可哀想だし、届けに行きたい気持ちはあるんだけど……私やお父さんはここを離れられないし……」

「元から行く気もないがな」

「私も仕事あるからキツいんだよな。行けなくはないけど、労力が割に合わん」

「じゃあ……ぼくが届けに行きますっ! さすがにお昼抜きにさせたくないですから!」

 

 ぼくはそう言ってバス停へ行こうとするが、後ろ手を美渡さんにつかまれる。

 

「待て零夏。今から行っても無駄だ」

「え……何故ですか?」

「浦の星行きのバスは、始発逃すと午前中はもう来ねぇんだよ。千歌のあの焦りよう見ただろ?」

「たしかに……あんなに急いでる千歌ちゃん初めて見ました。……バスの便、そんなに少ないんですね」

「ははっ。ビックリだろ? 東京に居たなら尚更考えらんねぇよな。便が少ねぇから、始発で乗んなきゃ遅刻が確定すんのさ。なのにアイツ、毎度懲りずに寝坊するから困ったモンだよ……」

「そうなんですね……」

 

 東京23区内では、朝のこのくらいの時間ならば10分か15分ほど待っていれば次の便が来るが、美渡さんによると次にバスがやって来るのは夕方とのこと。

 

 1時間に1本とか、そういう次元ですらなかった。なるほど、公共交通機関がここまで活躍していない場所とはな。これに関しては、ぼくの考えが浅かったとしか言いようがない。反省あるのみである。

 

「あ……ぼくのお仕事はどうしましょう……」

「大丈夫よ。パートさんには私から言っておくから。午前休ってことにしておくわね」

「ありがとうございます……でも、午前中不在にしてしまって、大丈夫でしょうか……?」

「お前が不在なところで仕事に何の影響も出ないだろう。自分1人の影響力を勘違いするなよ」

「ぐっ……も、申し訳ございません……」

 

 まあ、ぼくが来る前までも昨日までと同じように仕事が進んでいたことを考えると、昼までぼくがいなくても大した影響は無さそうだ。何よりぼく、新人だし。

 

「気にすんな。新人なんだからそれが当たり前だ。千歌に弁当、届けてやってくれ」

「……はいっ! でも、バスがしばらく来ないなら……千歌ちゃんの学校には徒歩で行きますね」

「歩きだとけっこう距離あるけど、大丈夫か?」

「歩くのにはもう慣れてるので……」

 

 ここに来る前に、原宿あたりから八王子まで歩いたこともある。ちょっとした放浪を経験していれば、ここから浦の星までの3キロ弱などは後ろ歩きでも行ける。

 

 途中に坂があるとまた別だが。足の耐久力があるだけで、体力そのものはさっぱりなので。

 

「ゆっくり歩いてもお昼前くらいには着くだろうから、焦らなくても良いんじゃないかしら」

「たしかに……お昼休みまでに届けられれば良いので、今から出ればそのくらいに着きそうですね。よし……ぼく、出ますね」

「おい」

「はい、なんでしょう?」

 

 今度は億康さんに引き止められる。ぼくの全身を改めて眺めるうち、億康さんは言う。

 

「浦の星女学院は女子校だ。その格好のままだと、怪しまれる可能性もある」

「え……ぼく、そんなに不審ですかね……」

「違う、服装の問題だ」

「ああっ」

「まあ、ねえ。少しは女子高に潜入するのに相応しい服装にした方がいいかもしれないわね」

「潜入て……」

 

 でもまあ、なるほど。パーカーにズボンという今のスタイルのぼくでは、少し怪しまれても仕方ないかもしれないな。

 

「男っぽいとか女っぽいとか、そういうの面倒なんですけど」

「わーってるよ。でも変に怪しまれる方が余計に面倒だろ。見た目だけそれっぽくして行った方が良いんじゃねぇか?」

「ど、どうするんですか……?」

「へっ。朝メシ食い終わったら、とりあえず私の部屋行くぞ」

「は、はぁ……?」

 

 言われるがまま、少し急ぎ目で朝ご飯を食べ終わってから美渡さんの部屋へと向かう。

 

 ふすまを開けると、千歌ちゃんの部屋に似たような柑橘系の果物の匂いがふわりと香る。そこに立っている美渡さんは、手に持った衣紋掛けにかかる『黒いセーラー服』をこちらによこす。

 

 スカートが少し短いな。

 

 いや、そうじゃなくてですね! と美渡さんの方を見ると、彼女は腕を組んだまま、こちらを見て頷く。

 

「これを着て行けと!?」

「大丈夫だって。お前、性別ないんだろ?」

「ぼく自身が気にしてないとはいえ、今どきセンシティブな問題をそんなに軽めに……いやまあ、着るのはいいですけど……これ、色が違うじゃないですか。大丈夫なんですか?」

「安心しな、それも立派な浦の星の制服だ」

 

 まあ、確かに色以外のデザインは、普段千歌ちゃん達の着ているものと同じだ。だとしたらこれは何なんだ。旧型か? 

 

「そいつは浦の星女学院で今も使われている、『秋用』の制服だ。れっきとした浦の星の制服だぞ」

「は、はあ……」

 

 確かに秋用の制服なら、着てても校則違反になるようなことはないだろう。間違えて着てきたとか、クリーニングが間に合わなかったとか、そういう事情で着てきたという言い訳もできる。

 

 しかし、秋専用の制服があるとは。ちょっとカッコイイな。

 

「私のお下がりだけど、まあ着れないことはないだろ。いっぺん袖、通してみろ。着れたら声かけてくれよ」

 

 そう言って、美渡さんは部屋から出ていく。

 

 言われるがまま、ぼくは一旦肌着になって、制服を着てみる。そこまで難しい構造ではなく、1回か2回しかセーラーを着たことのないぼくでも難なく着替えを進めることができた。

 

 着替え終わったことを襖越しに伝えると、美渡さんは部屋に戻ってくる。

 

「……お前、何着ても似合うよな」

「いや、これ似合ってるっていうんですか……?」

「似合ってるよ。私が保証する」

「……というか、制服でなくとも中性的な格好にしておけばよかったのでは……?」

「怪しまれないに越したことはねぇだろ?」

 

 美渡さん曰く、自分が浦の星時代に元々着ていた制服は全て千歌ちゃんにお下がりとして渡してしまったとのこと。

 

 つまり、今現在家にある浦の星の制服は1セット。この季節には少し肌寒い夏用の制服か、この秋用の制服くらいしかないのである。

 

「お弁当を届けるためとはいえ、わざわざセーラーを着るなんて……」

 

 普段はズボン派なので、スカート特有の無防備な感じというか、少し動くと足が風に晒される感じがどうも慣れない。

 

 これは普段着にスカートを追加しておく必要があるか。いや、今後何回もスカートを着るようなことがあればの話ではあるが。

 

 それにぼくは、いかにも女子高校生然とした服装よりも、ユニセックスな服装の方が似合うし。ジーパン好きだし。

 

「大丈夫だって! 心配すんな! ……くふっ」

「ちょっと、今笑いませんでした!?」

「笑ってねぇ、少し懐かしいなぁって思っただけだよ! ホラ、行った行った!」

「わっ……まぁ、仕方ないか……割り切ろう……」

 

 いたずらな笑みを浮かべる美渡さんが少し気になったが、今はとにかく千歌ちゃんのお弁当を届けに行くのが最優先だ。それに、女装なら何回もやってきたじゃあないか。今更気にするほどのことではない。

 

 千歌ちゃん用のお弁当、水分補給用『ぬまっちゃ』、念の為の財布(いざと言う時に公衆電話で連絡できるように)を持ち、ぼくは玄関に赴く。

 

「気を付けて行って来いよ〜!」

「あら、似合ってるわよ零夏君。車に気を付けてね?」

「は、はい……行ってきます……!」

 

 玄関の扉を開けると、潮風が生脚の間をすり抜けた。心臓に悪い。

 

「……さて、行こうか」

 

 ここから学校までは3キロは歩くことになる。休憩を挟みつつ、数十分ほどで着けるだろうかといった距離だ。

 

 少しばかり長めに歩くことを覚悟し、浦の星の制服姿のぼくは、一歩目を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




歩こう、ただ歩こう。この街を感じながら。



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