キミの瞳に恋してない 作: 龍也/星河琉
「ここが……浦の星女学院……」
現在時刻、11時15分。十千万からここまで、大体3時間半で着いた計算になる。
改めて、自分の体を見てみる。うん、大丈夫だ。完全に遅刻してきた生徒にしか見えない。はず。多分。
意を決して浦女の生徒玄関の前に立ち、試しに戸を引いてみる。鍵はかかっていなかった。マジかよ。
中学を卒業してから、マトモに学校に行ったことがないので学生の頃の記憶は曖昧ではあるが、それでも普通に戸が開くのは東京では考えられないセキュリティレベルだ。驚きを隠せない。
中に入り、静かに戸を閉める。玄関と下駄箱のスペースは、だだっ広いわけでもなく、200人規模の学校であろうという印象を受ける。一学年に対して100人未満の学生数といった、そこまで大きくない学校なのだろうか。
左右の二手に分かれた廊下の職員室方面に歩いてみると、案の定地図があった。現在位置と、各階にある教室名が書かれている。3階に2年生の教室があるようだ。
「千歌ちゃん達の教室は……3階か。よし」
階段の方へ向かおうとしたところで、チャイムが鳴った。久しぶりに聞いたとはいえ、寂寥の念もトラウマのフラッシュバックもない。
なんということはない、ただの学校のチャイムひとつで即座に何か思い出せることがあるほど、僕の中学校時代は濃密ではなかった。あの時代で頭に残っていることといえば、祖母の顔だけだ。
気を取られることもなく、さっさと階段を進んでいく。すると、天井の方から、イスを引きずる音が3、上履きの足音が3、そして女生徒のおしゃべりが4といった割合の喧騒が耳に一気に飛び込んでくる。
チャイムを皮切りに、いきなり最大ボリュームになる、この感覚。鉄筋コンクリート造りだらけの都内の学校では中々味わえなかっただろうな。
というのも、恐らく学校の造りが全体的に木造に近いのだろう。1階からでもかなりの音圧を感じる。古めかしい、やかましいと言ってしまえばそれまでだが、ぼくにとっては少しだけ貴重な経験ではある。
兎にも角にも、休憩時間に入ったらしい浦の星女学院。これはチャンスと見た。多くの生徒であふれる廊下なら、見覚えのない生徒でも怪しまれることはないハズ。多分。きっと。あんまり目立たない見た目だし、ぼく。
ぼくは小走りで、3階に向かって階段を駆け上がった。
「ふぅ……到着……」
逸る心動が身体を微粒子レベルで振動させるが、それを黙らせるように深呼吸をする。
「あれ。あなたどこのクラス?」
「はいっ!? あ、あ……えっと……」
ぼくは反射で返事をしてしまう。無視しておけばいいものを。
さて、ぼくに話しかけてきた生徒の制服のリボンを見ると、千歌ちゃんや
「千歌ちゃんに……会いたくて……」
「あ、そうなんだ! 千歌ちゃんならこの教室にいるはずだよ!」
「あ、ありがとうございます……」
教室は分かった。さて、スライド式になっている出入口の戸から千歌ちゃんが居るか、軽く覗き込もうとしたその時だ。
「あら……あなたは……?」
「はひっ!!」
しまった、また反応してしまった。ここも適当に誤魔化すしかない。
「あなた、ここのクラス?」
「は、はい……」
「初めて見るお顔だから……ずっと学校休んでたのかしら?」
「そう、ですねぇ……」
思わずカタコトになってしまった。流石に怪しまれるか、と思ったが、どうやらこの人はぼくを人見知りのコミュ障としか思っていないようだ。
「では、ご挨拶がまだでしたね。4月からこの浦女に転校して来ました、
「よ、よろしくお願いしますぅ……ッスー……」
なるほど、転校生か。なんだか二言三言ほど話しそうな雰囲気になった時はどうなるかと思ったが、うまく誤魔化せそうな人で助かった。
冷や汗を流すフレッシュミートを前に、桜内さんは依然笑顔を崩さない。
改めて見ると、なんだか不思議な感じの人だ。お嬢様というなりではないが、上品さが身体から溢れている。
「クラスメイトなんだし、あなたの名前を聞かせてもらえる? 早く全員の名前を覚えたいから」
「うっ……あ……えっと……」
それでいて、割とグイグイ来るものだから会話を途切れさせづらい。人付き合いが上手いのか、この人は。
「あれっ? れーちゃん!?」
その声を聞いた瞬間、ぼくは心からガッツポーズをした。いや、心の中でのみだ。実際にはしていない。
千歌ちゃんが、ぼくと桜内さんを見て駆け寄ってきた。これならお弁当も渡せるし、なんだかんだで、
「千歌ちゃん……!」
「あ、桜内さんもちょうどいいところに! 私達と一緒にスクールアイドルやらない!? お願いっ! このとぉーりっ!!」
「うっ……2時間ぶり26回目」
どの通りなんだろう。何度もその勧誘をしているからか、少し雑になったお辞儀を2回しただけだ。
千歌ちゃんが『スクールアイドル部』とやらを創立しようと、メンバー集めをしているのはぼくも知っている。見たところ、ここ数日で桜内さんを何度も勧誘しているのだろう。
「数えてるんだ……回数……」
「その話はこの前から断ってるはずよ。他を当たって」
「そこをなんとかっ!」
「……ごめんなさい」
「うぅ〜っ……何でぇ……」
キッパリと断られてうなだれるも、千歌ちゃんは首をぶんぶんと振ってこちらを見る。切り替えのプロだな。断られる側も慣れてきた、って事なのかしら。
「そーいえば! 何でれーちゃんがここに?」
「千歌ちゃん、今朝急いでてお弁当忘れて行ったから……届けに来たんだ。はい、これ」
「わぁぁ……! ありがとうっ! さっき忘れてったことに気付いてどうしようって思ってたの! 助かったぁ……」
ばっと両手を広げたものだから、ぼくに抱きついてくるのかと思ったが、千歌ちゃんはお弁当箱を取って頬ずりをする。危ない、ぼくは一気に顔が赤くなる。
いや、何が危ないんだ。何も危ないことはないじゃあないか。
なんでこんなのでドキドキしてるんだ、ぼくは。ばか。ハグするとか、抱きしめるとか、ぎゅーするとか、そういうのは挨拶に過ぎないスキンシップだろ。
自分に『人と触れ合う』という経験がないことを、ここまで恨んだことは今までで1度たりともない。これではまるで、変に意識して顔が赤くなっているみたいじゃないか。くそっ……自分に腹が立ってくる。
「わざわざ届けに来てくれて……ほんとにありがとう! れーちゃんっ!」
「ううん。役に立てたなら良かったよ」
「『れーちゃん』……?」
桜内さんは千歌ちゃんが呼ぶ、ぼくの呼び名を反復する。
「あ、梨子ちゃん初めて会うんだもんね。『
「ゼロの零? 珍しいわね」
確かに。千ってついてる名前と比べたら、ちょっとカッコよすぎるというか、あんまりいない名前ではあるか。本名ではないんだけれど。いや、そんなことはどうでもいい。ぼくは零夏なんだ。それが、今を生きる為のぼくの名だろう。過去を振り返るには少しばかり時期尚早だ。
「零夏さん、ね……ふふっ。とても素敵な名前ね」
「ど、どうも……」
会話に区切りができた。離脱して十千万に戻るなら、このタイミングだ。
そう思ったぼくは、少し突拍子はないが無理のない嘘をつくことにした。
「ん"……っん、げふっげふっ」
「えっ、れーちゃん? 大丈夫?」
「いや、その……喉が……というかカラダ全体が不調で……」
「あら……大丈夫?」
ああ、2人とも、ちっとも疑うことなく心配してくれている。ぼくの演技が上手いからというよりかは、お人好しなんだろう。いい人だ、桜内さんも。
絶対仲間にしなよ、とぼくは千歌ちゃんに心の中で応援を送り、階段の方に向かって後ろ向きに歩く。まあ、仲間になったとしても、ぼくが会うことはもうあまりないだろうが。
「ちょっとダメかも……ってことで、ぼく……いや、私! その、体調が悪いので早退し……」
がしっ。
背中に、人肌の感触。後ろ向きに歩いていたから、誰かにぶつかったというわけではない。ぶつかる前に、背中側の人がぼくの肩を掴んだからだ。
「あっ! やっぱりれーくんだー! ヨーソロー♪」
「……嘘でしょ」
親しくしてくれるのは嬉しいけど、今は『くん』って呼ばないで。ややこしくなるから。
ぼくは別に、人の呼び方で性別を区別するわけではない。フランス人でもないしな。でも、この女子校という場所で、曜ちゃんよりも中性的で、声も少しだけ低いぼくを『くん』と呼ぶとだね。その、ね。
バレるじゃあないか。桜内さんに。ここの生徒でないことはおろか、ぼくが生物学的に言えば女の子ではないことに。えぇ? どうしてくれる。終いには泣くよ? いや、やめとこう。余計目立つしホントに怪しまれる。
まぁ、ぼくに言わせてみれば、心から男の子になった覚えもないが。
「れーくんどうしたの? ここに来るなんて珍しいね?」
「れーちゃんがね、私の為にお弁当届けに来てくれたんだよ!」
「そうなんだ! やっぱり優しいね、れーくん!」
「ま、まぁね……あは……あはは……」
「……
ああ、予感が当たった。桜内さんが不思議そうな目でぼくを見ているのが嫌という程に分かる。
曜ちゃんが、順調だった計画をどんどんかき乱していく。あと、何故か後ろにいたまま、ぼくの頭を撫でながら話しているので髪もちょっと乱れる。
「れーくんって、どういうこと?」
「うっ……あ、あのですね! これはそのえーっと……あだ名ですよあだ名! 曜ちゃんってちょっと不思議な価値観してるから! ね! ねッ!?」
「いや、だってれーくんはおと……あれ、なんで」
「あの、色々突っ込まないで!! 気持ちは分かる、けど今は何も言わないで!!」
「れーちゃん、そんな大きな声で話せるんだね!」
「ああ、そこじゃなさすぎるなぁ! 今!」
「……あなた、もしかして……」
その言葉の先は言わせない。
マージでめんどくさい事になるから。
桜内さん、この場では勘が良く、ぼくの正体に気付きかけたアナタの勝ちだ。だが、もしも万が一、次に会う時が来たのなら、その時はぼくが一手上回ってやる。
三十六計逃げるに如かず。ぼくは今までの計画のすべてを忘れることにし、逃げることに脳のすべてのリソースを割いた。
「……早退しまぁぁぁぁぁぁぁすっ!!」
「あっ……ちょっと! 待ちなさい!」
「あー……行っちゃったね」
曜さんの肩のホールドを解き、ぼくは階段の手すりを滑り降りた。
──「早退するにしては……随分元気そうだったわね……」
「っていうか、早退も何も……れーくんそもそも浦女の生徒じゃないし」
「えっ……? そう、なの……? じゃあどうして……」
「そういえば、浦女の秋用制服着てたよね、れーちゃん。……ん? あれっ!? れーちゃん、何で浦女の制服着てたのっ!?」
「千歌ちゃん、今気付いたの……?」
「だって、全然違和感なかったんだもん!」
「ええ……1人だけ黒い制服なのに……」
「零夏さん……あなたは、一体……?」──
「……とか話してるんだろうなぁ〜〜きっと! あーあ!! ぼくの人生終わったかもしれない!!」
変な想像しか頭に出てこない。ぼくは浦の星から少し離れた山中の坂道で、耐えきれずにしゃがんで叫んでしまう。
「やっぱ、無理あるよ……ありまくりだよ……制服で女子校に忍び込むなんて……はぁ……」
というか、普通の高校に忍び込むのも割と難しいと思うけど。
「……帰ろ。仕事だ……」
これからまた仕事がある。新しいことも覚えていかなくっちゃあならない。千歌ちゃんのように、気持ちを切り替えなければ。
まずは……十千万に着くまでに、今日のことは忘れよう。