「はぁ…」
イッセーは正直参っていた。
つい昨日、はぐれ悪魔の討伐の任務に無理やり連れてこられたかと思ったら命のやり取りを生で見させられたものだから精神的な疲労が凄かった。
契約である以上逆らう事は出来ないし、破棄すれば悪魔サイドまで敵に回しかねない以上は黙って呑み込むほかなかった。
基本的に不満は無かった。美女美少女に囲まれた部室内であれこれ駄弁ったり遊んだり、お菓子をつまんだり。時たま雑用をこなす事もあるが基本的にそこまで負担にはならない。
ぶっちゃけると割と楽しかった。赤龍帝である事は隠しているが、神器の事や異能の事を隠さなくてもいい間柄というのは少しだけ気が楽だった。
「はわぅ!」
考え込んでいると突然そんな小さな悲鳴が彼の耳に入って来る。
彼は声がした方へと視線を向けると顔面から地面に突っ伏しているシスター服を着た人がいた。なんともまあ間抜けた絵面だった。
周りにいる通行人たちは心配そうにこそしていたが我関せずを貫いてそそくさとその場から離れていく。
(シスター…か…)
彼がシスターで連想するのは天使でありエクソシストだった。
ここでの問題は相手がそのような裏世界に精通している方か、それとも裏など何も知らない布教のみを業務とするのかだった。
「大丈夫ですか?」
取りあえず彼は日本語でそう問いかけた。
「あうぅ…何で転んでしまうんでしょうか…すみません、ありがとうございますうぅぅ……」
声からして十代くらいの若い女性らしかった。
ただしイッセーは相手が何を言っているのかは上手く聞き取れなかった。日本の義務教育では獲得できないしっかりとしたネイティブイングリッシュ。正直何やら感謝の言葉を述べているのはニュアンスで分かった。
相手はイッセーの手を取りその場から立ち上がる。するとふわっとした風が相手のヴェールを剥がした。
するとそこには金髪の美少女がいた。グリーンの双眸が引き込まれそうなほどに綺麗な美少女。
「あ、あの…どうかされたんですか…?」
「あ、えっとなんだろ?」
彼は相手が訝し気ているのを察知して何とか返事をする。
だが二重の意味でまともな返事など言えるわけが無かった。つい相手が綺麗で見とれていますなど突然ナンパのような事など。
そしてもう一つの方が実際には問題で、彼は学生としてそこそこレベルの英語しか使えない、ネイティブイングリッシュなど守備範囲外だった。
(ドライグ頼む)
『ああ、任せろ』
だからこそ翻訳は内の中にいるドライグに任せる。
神器として多くの人間の中に宿り、ありとあらゆる環境と言語の中で揉まれて来たドライグなら英語の翻訳など楽勝だった。
「怪我、無い、ですか?」
落ちたヴェールを拾って相手に手渡しながら言う。
「はい、ありがとうございます。もしかして英語を…?」
「ゆっくり、話してもらえば、何とか」
イッセーはドライグが翻訳してくれたおかげで、ギリギリカタコト気味のレスポンスを返していた。
相手からすればカタコトであっても、言葉を合わせようと努力をしてくれるだけでありがたいことこの上ないだろう。
「私この街に来てから困っていたんです。私って日本語を上手く喋れないので…道に迷っていたんですけど…道行く人皆さん言葉が通じなくて…」
「へ、へー…」
彼は少し違和感があったがあまりツッコまなかった。
「もしかして、教会を、探している」
「はい、そうなんです」
「なら、この街に一つだけ、古い奴ある」
かつてイッセーの幼馴染の父親が勤めていた教会があったが、そこはもう十年ほど前に廃棄されて誰も寄り付かない廃教会になっているはずだった。
「ほ、本当ですか!あ、あのもしよろしければ…」
「いいよ、近くまでなら」
「ありがとうございますぅ!これも主のお導きのおかげですね!」
シスターはとても嬉しそうに祈りを捧げ始める。
登校時間まではまだ十分に時間があり、学校と真反対というわけでは無いため快く引き受けることにした。
そして何より目の前のシスターは人を騙して貶めるような人間には見えなかった。少なくともイッセーはそうあって欲しいと思った。
立場的には教会の人間と関わらない方がいいのは分かっていた。
だがそれよりも困っている人を放っておきたくは無かった。
「ふうん…シスターさんは、赴任でこの街に」
「はい、そうなんです」
適当な雑談を入れながら二人は教会までの道を歩く。
「シスターの、仕事って、布教?」
「はい、宣教だけでなく施設での雑務もあります」
それとなく相手の目的を探ろうとするが欲しい情報は引き出せない。
他者に悟らせないほどの鉄仮面なのか、本当に清廉潔白で裏表が無い性格なのか。
「こっち、近道なんだ」
イッセーは教会までの近道である公園前を横切るルートを選ぶ。
「うわあああん!!」
子供が公園のベンチ内で泣いているのを見かける。
傍には母親らしき人物がおり、濡らしたハンカチで膝を拭いていた。恐らくだがこけて怪我をした子供の傷口を抑えていると思われる。
時間帯から考えて幼稚園へ送る最中で怪我をしたと考えられる。
母親が傍にいるのなら大丈夫だろうとイッセーが思っていると、ついてきていたシスターが怪我をした子供の方へと歩いて行っていた。
「おいおい…」
そう言いながらイッセーはその背中を慌てて追いかける。
シスターは泣きわめいている男の子の前で止まり、その場に膝を突き目線を合わせると優しい声色で話しかける。
「大丈夫?男の子ならこのくらいの怪我で泣いてはダメですよ」
ことばそのものは理解出来なかったはずだが、相手にはその優しい気持ちが伝わったのか泣くのを止めた。
彼女の掌から淡いグリーンの光が生まれて患部を優しく包んでいく。それは素人から見ても普通の現象ではないと分かるもの。
(ドライグこれ…)
『ああ、神器だな』
みるみる内に傷口が塞がっていく、元々怪我も出血もなかったかのように綺麗サッパリ消えて無くなっていた。
彼は神器にも色々と種類があるんだなと感心していた。
その光景に親子は傷があったはずの場所を何度も触っている。目の前で信じられないような現象が起きれば目を疑いたくもなる。
「傷はなくなりましたよ。もう大丈夫です」
「……ありがとうお姉ちゃん!」
きょとんとしていたが男の子は俺を言って立ち上がる。
そして母親の方は慌てて頭だけ下げるとそそくさと息子を連れてその場から立ち去った。
「……『ありがとうお姉ちゃん』だってさ」
相手の母親の態度に思うところはあったが、特に指摘もフォローする事もなく淡々と彼は言った。
イッセーはじっと相手の手元を見つめる。
「治癒の力です。神様からいただいた素敵な力なんですよ」
視線の意図に気が付いたシスターはそう答えた。
その表情は微笑んでこそいたけど少し寂しそうに彼の瞳には映った。
何となくだが目の前の相手が神器を持ってしまったせいで不遇な扱いを受けて来たんだなというのは察する事が出来た。それでもなお神器を宿させた張本人である神を信仰しているのだから大したものだなとも思ってしまう。
治せる範囲がどれほどなのか、種族は何処までいけるのか、生物だけでなく仮に無機物まで直せるのだとしたら教会の枠を超えて引く手あまただろうし、その逆で命を狙われる事もあっただろう。
そんな力をどう思っているのか、彼には分からないし、勝手に踏み込んではいけないだろうと思った。
その後、会話の一切が途切れてイッセーの後ろをシスターが黙ってついてくるという形で歩くこと数分、目的の教会が遠くに見えるポイントに着いた。
「あ、ここです!よかったぁ…」
彼女は地図と実物を見比べながら目的を達成出来たことに嬉しそうにする。
「ありがとうございます!あれ…?」
彼女は自分をここまで連れて来てくれた相手にお礼を言おうとしたが、その時には相手は影も形も無かった。
◎
「という事があったんですが」
「そう」
イッセーはシスターを撒いた後、すぐさまリアスに連絡して昼食時に時間を作ってもらい朝の出来事を話していた。
一通り出来事を聞いてリアスは黙り込む、部室内に静けさが満ちる。
「本来なら教会の人間と関わるなと言う所なのでしょうけど…イッセー自身親切心で行った事だし…そのシスターも聞いた限りだと狙ってコンタクトを取ったわけでは無いでしょうし」
彼女は難しそうな表情でそう締めくくった。
もし仮にシスターがイッセーに接触しようとしたのだとしてもあまりにも遠回り過ぎる上に、はたから見れば胡散臭すぎる。
表情が全く晴れないのを見て彼は問いかける。
「何か気になる事が?」
「ええ、この街に赴任する際にこの縄張りには天使も堕天使勢力どちらもいなかったの。それが今頃になってそのどちらもやって来るなんて」
その言葉で彼はある親子の事を思い出していた。
かつて失意の中に居た自分を引っ張り上げてくれた人達の中の一人である女の子の事を。
「この街十年前まで神父さん居ましたしね」
「そうなの?」
リアスは意外そうなリアクションをする。おそらく初めて聞いた話なのだろう。
「ええ、だけど十年前くらいになんか悪魔といざこざが…あったっぽくて居なくなったんですよね」
「そうなの、私が赴任する前の話…そんな資料は受け取ってないはず…」
リアスは少し考え込んでいたが、意を決してスッと立ち上がる。
少し不安そうな色こそ含んでいたが他人にそれを見せまい、聡させまいと振る舞う気丈さがある表情。
「今日の部活は急遽休みにするわ。気になる事も増えたし、調べなきゃいけない事も出来たわ」
「気になる事ですか?」
「ここ数日で堕天使達にシスターも入ってきた。偶然であって欲しいけど何か大きな裏があるかもしれないじゃない。この土地を治める悪魔として放っては置けないわ」
そう言ってリアスは部屋から出て行った。
一人ぼっちになったイッセーは昼食を全て食べた後、自分のクラスへと戻った。
◎
「ただいまー」
「父さんお帰り」
「おっ今日は部活ないのか?」
イッセーの父である五郎はリビングの扉を開けて中に入ると食卓テーブルに着いている息子を見つける。
ここ最近では珍しく早く帰ってきていた息子に驚いていた。
これまでどんなに遅くても七時前には帰宅していた。だが部活に入ってからというもの八時以降に帰宅は珍しく無く、遅くなると十時を過ぎる日もあるくらいだった。
小さい頃から運動も出来るし勉強もそつなくこなす、そしてコミュ力も高い為、何か部活動の一つでもしていてもおかしく無いのに、小中高の十年間何処にも入らないのを勿体ないと夫婦共々思っていた。
そんな息子が興味を示したのがオカルト研究部なのだから世の中はよく分からない。
「今日は先輩達の用事がブッキングしたらしくて中止になった」
イッセーはそれっぽい理由を口にする。広義で見れば間違ってはいないのだが。
五郎はイッセーから見てデーブルの向かい側の席に座る。
「まぁいつも遅かったし、たまには早く帰ってきてもいいだろう」
特に言い分に違和感を持つ事なく普通に納得する。
「それでどうなんだ?」
「何が?」
「オカルト研究部だよ。楽しいか?」
「んーまぁぼちぼちかな」
楽しくないと言われれば違うし、楽しいと言うには微妙だった。
美少女の集まりの中で過ごすのは嬉しいし、駄弁ったりボードゲームをするのは楽しい。だが入りたくて入ったわけでもない為手放しに喜ぶ事もできない。
「ほー…」
「な、なんだよ」
「あの性欲の権化たる息子が別の事に興味を向けるとは…」
「なんでみんなそう元浜や松田と同じリアクションなのかなぁ…」
周りからの人物評に涙が止まらない。
「あら…?」
父子で話しているとキッチンからそんな声が聞こえる。
イッセーはその小さな呟きに反応する。
「母さん何かあった?」
「ちょっと調味料が…」
「無いの?」
「ちょっと塩が足りないかも…」
「買ってくるよ。高くつくけど近所のコンビニで買えばすぐだし」
イッセーはそう言って椅子から立ち上がると出かける準備をする。
「別にいいのに」
「これくらい大した事じゃ無いって、二人は出来るものから先に食べててよ」
彼は母親から言葉も大した事は無いと言って家から出て行く。
彼の言った通り近所のコンビニ売られていた物を素早く買って、帰路に着いていた。
「らくしょーらくしょー」
彼がそんな事を口に出してると突如周りの空気が変わった気がした。
「これは…」
『結界の類だな』
「部長達かな?」
口ではそう言ってみたものの内心では違うと感じていた。
わざわざ結界を張って周りを威嚇するような愚かな真似を彼女達がするとはとても思えなかった。
そう思うと自然と足が結界の中心の方へと向かう。
「…………」
『行くのか?』
ドライグの最終警告。これ以上首を突っ込めば後戻りできなくなるという宣告。
既にこの異常事態はリアス達も察知しているはずで、すぐにでも様子見には来るはずだ。
「行く、危険なのは分かってる。でもやっぱほっとけねぇよ」
彼は覚悟を決めてそう言い切った。
その時、ドライグは少しだけ微笑んだ様に思えた。