次の日の朝は休憩も兼ねて悪魔として必要な常識の勉強とレーティングゲームの戦略を頭に入れる特訓。
最高位の天使の名前、堕天使たちの幹部の名前、そして当然ながら四大魔王の名前などを叩きこまれる。これを知らないのは日本の首相と海外の大統領の名前を言えないくらい教養が無いとみなされる。
そして堕天使は神器の力を脅威と考えて排斥または勧誘を繰り返しているそうだ。
イッセー自身納得は当然出来ないのだが、自分が堕天使で『赤龍帝の籠手』を見たら排除したくなるのは分からなくはない。それくらい驚異的な力を手にしてしまっている自覚はある。
「コホン…では僭越ですが私アーシア・アルジェントが悪魔祓いの基本をお教えします」
皆が拍手をして迎え入れる。ちなみにイッセーは口パクで「頑張れ」と言った。
悪魔祓いには聖書と聖水を使う表向きのそれと、イッセーが何度か遭遇した天使の光力や神器などを使って直接戦う裏の二種類がいる。
アーシアは鞄から水の入った小瓶を取り出す。皆の警戒が一段階上がる。
「これが聖水です。悪魔が触れると大変なことになります」
「そうね。アーシアも触れちゃダメよ。お肌が大変なことになっちゃう」
「私もう聖水をじかに触れられません…」
「どうしても触りたいなら神器で手を治しながら触ったらいいんじゃない?」
イッセーのその一言に皆がちょっと引く。
だが問題の本人はその手があったかと天啓を得ていた。
「…………」
「やめなさいアーシア」
聖水の入った小瓶の封をしているコルクを凝視するアーシアにリアスは先んじて注意をする。
気を取り直して本を一冊取り出す。イッセーはそれが聖書だとすぐに分かった。
「次は聖書です。小さい頃から毎日読んでました。今は一節でも読むと頭痛が凄まじいので困っています」
「悪魔だもの」
「悪魔ですから」
「……悪魔」
「うふふ、悪魔は大ダメージ」
一斉にツッコミが入ってアーシアは「もう読めません!」と嘆く。
イッセーはこれがエロ本でお前は一生読めないと言われたらキツイだろうなと思う。エロ本と聖書を同一に見るのは失礼極まりないのだが。
「でもでも。この一節は私の好きな部分なんですよ…ああ、主よ。聖書の読めなくなった罪深き私にお許し―あうっ!」
懺悔して頭を痛めだした相手を見て、イッセーはそのやり取りにコントか?と心の中で突っ込む。
◎
「…………」
特に意味もなく深夜に目が覚める。
修行を始めて一週間が経った。個々のレベルアップと連携の強化、特に問題なく日々を消化できていた。
イッセーは音を立てないように静かに一階の台所へと水を飲むために向かう。
「あら?イッセー?」
「部長?」
キッチンと併設されているリビングにはリアスがいた。大テーブルには沢山の本が積み上げられていた。積まれた本に埋もれているが何やら地図のようなものも見える、過去のレーティングゲームの記録だろう。
睡眠時間を削って本を読んでいるのを見て、相応に緊張を感じているんだなと思う。
考えてみれば勝敗の結果次第で人生を左右するのだ、まともに眠るのも難しいだろう、何かを続けていないと気が気ではないのか。
大学受験を一週間に控えた受験生とはこんなもんだろうかと思う。
「眠れないのは分かりますけど寝た方がいいですよ。焦って頭に詰め込んでも気休めにもならないですよ」
「……!」
イッセーは取りあえず当たり障りのない事を口にする。
リアスは驚いた顔をする、そんな指摘をされるとは思っていなかったのだ。
「眠たくなるまでちょっと話し相手になってくれないかしら」
リアスは本を閉じ立ち上がりながらそんな提案をする。
◎
二人は真夜中の中庭で話しながら歩いていた。
「てか部長って目悪かったんですか?」
イッセーはふと思った。いつもは裸眼だったはずで何故眼鏡を掛けているのかと。
「これ?眼鏡をしていると頭が回るの、人間界の暮らしが長い証拠ね」
「そういうものですかね」
結構形から入るのが好きな人だなと思った。
修行のノリといい、伊達メガネをしたら頭が良くなるやつといい、日本の文化の変な所だけ受け入れているなんちゃって外国人感があるなと思う。忍者や侍が実在するとか思っていそう。
「イッセーの言った通り睡眠時間を削って本を読んでも得るものなんてないわ。休んで体調を整えて備えた方が良いのは間違いない」
「…………」
イッセーは言ってることだけなら焦る受験生へのアドバイスだなと思う。
二人は月明かりの下黙って散歩をしている。リアスは何かを言いたそうにしていたが、それを切り出すタイミングに困っている。
「レーティングゲームの本って結構あるんですね。それだけ人気というか、やりこむ要素があるんですね」
イッセーは自分から話を切り出す事にした。
リアスはその助け舟に飛びついた。
「ええ、知っての通り最初は戦術の訓練、そして娯楽に昇華したわ。そして勝つために魔力の使い方や応用方法に少数精鋭での戦略が生まれたの」
「強さで評価が上がるなら勝つために創意工夫も進むんですね」
それは戦争によってありとあらゆる技術が進歩する様なもの、負けまいと相手寄りに先に行こうと悪魔たちは頭と体を鍛えてきた。
「戦争や内戦によって母数こそ減ったけれど、悪魔は少数精鋭化が進んでいったわ。結果、全盛期ほどでは無いけれど力を取り戻していったの」
ここでリアスは話の方向を変えてフェニックス家に着いて説明を始めた。
フェニックスは聖獣と呼ばれ崇め奉られる存在だが、悪魔側にも上級悪魔の一族に同じ力を持つ一族がいた。それがライザーたちフェニックス家。その特性は伝承通りに不死身で超回復能力。
ライザーの成績は八勝二敗、二敗は懇意にしている家への配慮で負けた八百長。実質無敗でタイトルにも手が届くほどには有望な若手。
今回のレーティングゲームは最初から逃げ道を塞いでリアスの婚約を確定させるために組まれたもの、チェスで言えばチェック。
「そりゃインチキじみてますね」
「レーティングゲームが行われて明かになったのよ。どんなに追い詰めても倒せない不死身、悪魔同士で戦うことが無かったから分からなかったけれど、ゲームを通じてその恐ろしさを実感したわ」
「でもライザーはレーティングゲームで一番強いわけじゃないんですよね?」
「え、ええ…」
リアスは不死身と聞いても一切驚きもせず淡々としている相手に少し引いてしまう。
イッセーは何となく思った。本当にライザーが誰にも追いつけないほどの天才で無敵だったら婿養子として出されるだろうかと。何よりライザーからは強者のプレッシャーを感じなかったのだ。
なら倒す方法は存在するはずだ。そうでなければクソゲーすぎる。
「フェニックスを倒す方法は圧倒的な力で押し潰すか、起き上がるたびに何度も何度も倒して相手の精神を削るか。前者は神クラスの力が必要、後者はこちらのスタミナが必要」
神のような力を生み出すのは容易ではないし、ライザーが参ったと言うまで倒し続けるのも相手の眷属の存在を考えたら現実的な戦略ではない。
「一つ聞いてもいいですか?」
「何かしら」
「ライザーとの婚約を断る理由」
その質問にリアスは立ち止まる。
イッセーもつられてその場に立ち止まる。
「ライザーとの婚約を破断できたとして、また次の婚約話が来ますよね?そこまでしてこの場を凌ぎたい理由って何ですか?ライザーが嫌いだからと言えばそれまでですけど」
リアスは結婚そのものは今後のグレモリー家、ひいては悪魔社会の中で必要なのは理解している。あまり立場的に無下にしていいものでは無い。なのに婚約を渋るのは何故だろうかと思う。
「…………」
リアスは黙り込む。
イッセーはこの沈黙には何か勇気と言うものが込められているように感じた。その勇気が溜まるまで黙って待つ。
「私は『グレモリー』なのよ」
「そうですね」
「改めて名乗ったんじゃなくて、私はグレモリー家の人間でその名前が付いて回るってこと」
「なるほど」
伝えたいことはつまりグレモリー家のリアスとして見られる、リアス個人として見てくれる人はいなという事だった。
「嫌なんですか?」
「誇りに感じているわ。でもやっぱりグレモリー家のリアスとして見られる。だから人間界の生活は充実しているわ。誰もがただの『リアス・グレモリー』として見てくれる。それは悪魔の社会では味わえないものだわ、それはとても充実しているわ」
彼女だけが心にそっと持っていた小さな、誰でも手に入れられるはずのささやかな幸せ。
(ああ、そうか…)
イッセーはその言葉を聞いて何となくだがその気持ちを理解できた。
初めて堕天使や天使と邂逅した時、イッセーの事を神滅具を持つ危険因子としてしか見なかった。そんな事などお願いされてもしないのに、ただ特別な力をたまたま手に入れただけなのに。
家族も村の皆を勝手に殺されて失意の中で出会った兵藤夫妻やその周りの人達はただの一人の人間として接してくれた。その事実に彼はどれだけ救われただろうか。
松田と元浜がどうでもいいバカ話をしてくれて、名の気兼ねもなくエロ話をしてくれてどれだけ心が軽くなっていたか。
それらを踏みにじろうとした堕天使たちにどれだけ怒っていたか。
そして優しい心とそれに呼応するように癒しの神器を持っていたアーシアを弄んだ相手に怒りを覚えたか。
赤龍帝の籠手を手にした人間は相応の困難を受ける事になる。ドライグが嫌いなのでは無いが、赤龍帝だと騒がれるのは嫌だった。だから神器をひたすら隠して来た。
立場も力も生い立ちも違うが自分が何をしたいのか分かった。
「私はグレモリーを抜きにして、私をリアスとして愛してくれる人と一緒になりたいの。それが私の小さな夢。…残念だけどライザーは私の事をリアスとして見ている、グレモリーのリアスとして愛しているわ。グレモリーのリアスとして愛してくれている、それが嫌なの。それでもグレモリーの誇りは大切よ、矛盾しているけれど私はこの小さな夢を持っていたいわ」
リアスから出てくる言葉たち。
ライザーもフェニックス家もグレモリー家の人達も間違った事などしていない。ただリアスが我儘なだけ、そんな事は当の本人が一番分かっている事だ。
イッセーには乙女心の機微や貴族に生まれた重荷の全てを思いやってやれるほど想像力豊かでは無かった。ただ普通でありたいと願いながら、持って生まれた者のせいで普通ではいられないというジレンマは分かる。
彼が伝えられることは間違いなくある。
「良いんじゃないんですか?」
イッセーは思った事を素直に告げる。
「えっ…」
リアスは一瞬何を言われたのか分からなかった。
知らない、これまで自分の夢など鼻で笑うか我儘だと切って捨てる人達ばかりだったのに、目の前にいる彼は笑わない、一瞬たりとも軽んじない。
「たくさん夢や目標があるくらい普通ですよ。俺だって彼女欲しいとか考えながら、覗きして嫌われたり、ハーレムに夢見たりしますし。こんなの矛盾しまくりじゃないですか」
彼女が欲しいと言いながら女の子に嫌われるムーブをしたり、松田と元浜とつるむなどおかしい話。でも色欲も友情も彼にとっては大切なのだから仕方ない。
「むしろ部長がそれくらい我儘というか全然普通で安心しました。好きな人と結婚したいなんて可愛い夢じゃないですか。それをくだらないなんて笑う人がいたら俺がぶっ飛ばします」
リアスは黙ってその言葉に聞き入る。だって相手から出る言葉はずっと欲しかったものだから。
「だって部長はただの普通の女の子だったってだけの話じゃないっすか」
彼は最後にそう力強く宣言する。
その一言にリアスは顔を赤くし、胸を高鳴らせる。
「まぁあれです。取りあえずライザーくらいなら何とかしますよ。グレモリー眷属なわけですし、やれるだけはやってみます」
イッセーは恥ずかしさを誤魔化すためにそんな軽口を叩く。間違いなく彼の心の中に少しだけ勝ちたいと思える理由が出来た。
リアスはその言葉を受けて少しずつ勇気と罪悪感が湧く。
「……イッセーは優しいのね」
「はい?」
彼女の口からそんな言葉が漏れる、それは罪悪感というのを可視化したかのようだった。
「私が自分の眷属を強化するためにあなたを誘導したのに、不快そうな顔一つしないで…こうして私を励ましてくれて…」
イッセーの瞳の先にいたのはグレモリー家の次期当主でもなければ、学園のマドンナでもない。ただ弱気になって小さくなってしまっているリアスという一人の女の子だった。
ライザーを婚約相手にされてから何かしらの実力行使に出られる可能性は頭の中にあった。だからこそ駒価値の高かったイッセーを何が何でも勧誘しようとした。悪魔の仕事を手伝わせたり、アーシアを助ける事を条件に悪魔になるように誘導した。
「あー…最初は悪魔になるように要求して来て、その、ぶっちゃけキレそうでした」
イッセーは嘘をつくのは止めた、ここでそんな事は無いと言い放っても相手はきっとそれに納得できない。
リアスは目を逸らさずに相手の話を聞いていた、少しだけ痛ましいと感じる。
それを見て彼は悪魔っぽくないなと思った。もっと欲に対して従順だったり。それがリアス自身の気質の問題なのか、グレモリー家の教育がそういうものなのかの判断をイッセーは出来なかったが。
「契約でも部長が俺やアーシアの事を悪くしないように尊重してくれているのは分かってました。それにオカルト研究部で駄弁ったり色々するのは間違いなく楽しいですし、今は…前ほどは悪魔とかそういうのも嫌じゃない気がします。でもそれはリアス部長や皆だったからだと思います」
「本当に…優しいのね…」
「別にそんなつもりは無いんですけど…」
リアスのマイナス思考が止まらないため相手は少し戸惑ってしまう。それが彼女の素なのか、今だけ見せる弱気さなのかは分からない。
「俺結構今のオカ研好きなんで頑張りますよ」
「……そう」
リアスはここで俯いて挫けるのを止めた。これ以上相手からの責めや叱責を求めても無駄、彼女がやれるのはレーティングゲームに勝ってこの場所を守る事だけ。
「何かご褒美とかどうかしら?」
「おっぱいですか?」
その言葉に何の躊躇いもなくイッセーは即答する。
リアスは何の迷いのないその態度に男らしいのではと錯覚しそうになるが、そんな事は無いと思い直す。
「えっ…ええ…レーティングゲームに勝てたら何か一つと思ったのだけれど、何をして欲しいのかは何となく分かったわ…」
「いいんですか!?待ってろライザー!絶対にぶっ飛ばす!」
「食いつきが凄い…」
ご褒美という言葉が出た途端に先ほどまでの男らしさが消えて性欲魔人になる。
でも今の彼女にはそのバカらしさがとても心地よかった。
その後の残りの修業期間、リアスから焦る気持ちも、自分に降りかかる試練の重荷も軽くなってくれたように感じた。
そしてライザーとの戦いが始まる。