「あー…平和…」
街の歩道橋の真上の欄干に体を預けながらイッセーはそんな呟きを漏らす。
既に時刻は夕日の赤色が映える時間帯となっている。学校を出て悪友二人と駄弁り、別れてから多少の時間が過ぎている。
何となくだが精神的に疲れて少しだけ気を抜きたくなったのだ。きっと一日で複数回悪魔と邂逅してしまったせいだろう。
だからこそ何気ない日常というのを感じたくてつい立ち止まってしまった。
すると彼の中にいる存在はそんな感傷に浸っている相方に対して心配そうに声をかける。
『大丈夫か?』
それは赤龍帝と呼ばれる存在であるドラゴン、かつて強大な力を持つ存在として世界中を暴れまわり、そしてその結果悪魔に天使、そして堕天使といった世界中の勢力に神の力を結集して討伐、そして神器の中へと封印された。
そして彼が故郷を失い、今も狙われる立場にいる原因でもある。
「ああ、別に大したことねえよ」
『そうか』
イッセーはこのように感傷に浸るのは一度や二度の話では無いため、深く入って来ないで欲しいと遠まわしに言う。
一見すればぞんざいで冷たい対応だが、決して気にかけてくれること自体が嫌という話では無い事をこれまでの長いつき合いから解っている。
「あっ、あのっ!」
「んあ?」
少し気を抜いていただろうか、彼は自分に近づいて来ていた相手に声がはっきりと聞こえて距離まで来られていた事に間抜けな声を漏らす。
(バカか俺は…)
彼は心の中で毒づく。
いくら疲れていたからと言っても懐近くまでこうも簡単に近づかれるのを許すなど愚行の極みだった。
気を取り直して申し訳なさげな表情を作りながら声のした方へと振り向く。
「あー…何かな…」
そこにいたのは制服の天使だった。
長い艶やかな黒髪、細身でありながらも出るところは出ている女性の象徴、そして何よりも顔が可愛い。童貞男子からすればもうたまらなかった。
「あのー…」
「……」
「えっと…」
「あっ、ごめん」
彼は見惚れてしまうどころか、ついうっかり相手との幸せな結婚生活まで妄想してしまった為に黙り込んでしまった…という訳ではなかった。
何とか硬直を脱してリアクションを取る事に成功した。
「何かな?」
彼は可能な限りの笑顔を貼り付けて対応をする。
よほど親密な関係性のある相手であっても、それが作り物であると気づくのが難しい程の完成度の偽笑顔。
「えっと…あのぅ…」
相手の真っ赤に染まった顔、それは決して夕日だけが作り出す色ではない。
そしてモジモジとつ指を遊ばせる仕草。
普通ならばいきなり道端にいる人に話しかけるなど、道を知りたい、または落とし物があると伝えるような何気ないやり取りであるはず。
だがこの場の雰囲気は少なくとも普通の人にはまるで、告白寸前で恥ずかしさのあまり赤面している可愛い子とそれに立ち向かう男子に見えるだろう。
しかしイッセーの目には相手のその顔には悪意と欺瞞しか張り付いていない様に見える。そんな上塗りなど容易に見抜く。
「あー…こんな所で話すのもアレだし、座れる場所探しません?短い話じゃなければですけど…」
まるでナンパをナンパで返す異様なシチュエーション。
だが彼はこれを相手が乗ってくるであろうと予想している。
「は、はいっ!私もちょっと落ち着きたいですし…」
彼の予想通りに目の前の子は自分の手で扇ぎながら乗っかる。
「そっか、なら近くの噴水のある公園とかどうかな?」
「お願いしますっ」
◎
「そういや名前は?」
「天野夕麻ですっ」
「へー…俺は兵藤一誠」
公園に向かって歩いて行く中で二人はそれとなく会話を繋いでいく。
傍から見れば青春の青い恥ずかしい一ページにしか見えない。お互いの自己紹介とか、好きなものや苦手なもの、最近あった出来事など何気ないやり取り、一見すれば初々しく見えなくもない。
お互いに深い所で腹の中をさらけ出さないあまりにも薄っぺらいやり取り。
そもそも相手がイッセーの事を知っていそうな感じだというのにわざわざ自己紹介をしあうなど白々しかった。どこか歪に見える。
「着いた…」
すると目的地であった噴水のある公園に到着する。
既に時刻は夕日が映える時間帯となっており、辺り一面が真っ赤に染まっておりどこか神秘的な雰囲気を漂わせている。
だが彼はそんな事よりも気になる事があった。
(……誰もいない…か…)
辺りを見回すと公園敷地内どころか、隣接している道路にすら車の影どころか人っ子一人いなかった。時間が時間とは言え流石に違和感があった。
そんな疑問を有する宿主に対して、ドライグは自身の考察を口にする。
『魔術の類か。それに堕天使、いやグリゴリは人の記憶や認識を改竄する技術を有している』
(なるほど、この場所に人が近づかないように辺り一帯の人達の意識を誘導しているって事か)
イッセーの持つ異能世界の知識は基本的にドライグの持っているものしかないため、何を言われようがなるほどと相槌を打つしかない。
疑り深い性格の人物であれば言われた事全てを信じたりはしないのかもしれないが、二人の関係は幼い頃から既に十年以上の歳月が経っている。既に何度も腹の内を見せ合っていた。
「ねぇ…兵藤君……」
二人で色々と意見を交わしていると夕麻と名乗った女の子は、突然早歩きしてイッセーの前に出る。
噴水をバックに夕日に照らされながら微笑む彼女の姿は、普通の人が触れてはいけない神聖さを映えさせていた。
「あのね…その……」
顔を真っ赤にする相手、それは間違いなく夕日のせいではなく本人の高揚によって生まれた赤みだろう。
「好きです!付き合ってください!!」
両手をぐっと握り告白。
そんないじらしい告白をされたら、仮に他に好きな人がいたり別に恋人がいたとしても揺らいでしまうだろう。
「…………」
対してイッセーはその最上級の誘惑に対して無言を貫いていた。
「……?」
渾身の告白を行った彼女は相手から反応が得られない事に違和感を覚える。本人としては何かしらのリアクションが得られるはずなのに、蓋を開ければ何もない。
重い雰囲気のままに彼は自身の決断を口にする。
「あー…ごめん、今は誰かと付き合いたいとか無いからさ。別に天野さんが魅力ないとかじゃなくて…」
「えっ」
丁重なお断りの返事、それを受けて驚きの声を漏らす。
それはまるで自分がフラれる可能性など微塵も感じていない驚き様だった。
いきなり初対面の相手に告白されたとして、即座にOKの返事を返すようなゲンキンな人間など数えるほどしかいないだろう。
「ごめん、じゃあ俺帰るから…」
フッてしまって申し訳なさそうな感じを頑張って出しながら、イッセーはその場から立ち去ろうとする。
「まっ、待ってっ!」
背を向けてその場から逃げるように早歩きをする相手に対して、何とか立ち直って引き留める言葉を掛ける。
「えっと…兵藤君は私の事嫌い…なのかな…?」
「そうじゃないけど…えーっと、その、異性としてはあまり見れないかな」
正直フッた相手に対してかけてはいけない酷い言葉を投げかける。
「はん…」
そこまでぞんざいな扱いを受けたこの段階になってから天野夕麻はいじらしい態度の一切が消えた。そこには悪意に満ちた妖しい表情を貼り付けていた。
そしてやっと彼女が声をかけた理由、本題を口にする。
「あなたこっちの勝手で死んでくれない?」
◎
「『死んでくれない』ってどういう事かな…なんかの隠語かな…」
「言葉通りの意味よ…って白々しいわ、私の正体に気が付いてるんでしょ?」
のらりくらりと逃げようとするイッセーに対して夕麻はもう探るのも演技するのも鬱陶しいのか、豹変した態度を隠そうともせずに話す。
「正体って……もしかして昔あった事が有るとか…いや、何か嫌な事しちゃったとか…この告白も罰ゲーム的なやつ」
「だから白々しいわ。あなたこっちの魔術を跳ね返している癖して」
「…………」
夕麻と名乗った人物は若干だが凄みを滲ませた表情で詰問する。
イッセーは黙り込む、既に黒だと決めつけている相手をかわす為の語彙や選択肢を持っていなかったからだ。
「魔術か」
「ええ、陸橋で顔を合わせてからずっと魅了をかけてたんだけど、だけどあなた一向に魅了されないじゃない。それどころか話の主導権握り出したから焦ったわ」
彼からすれば最悪の展開だった。
世を忍び、争い一つ無い平穏な生活さえ送れれば何も望まない。
だがその望みは呆気なく打ち砕かれた。
「そっか…」
イッセーのその小さく漏れた息は、その事を自覚したことへの悲しさからか。
夕麻は否定も誤魔化そうともしない相手を見て呆れながら話し出す。
「元々調査のつもりで接触したんだけど…黒と分かったらもういいわ。貴方の正体とか」
そう宣言すると同時に彼女の背中からバッと黒い翼が生える。
「堕天使…」
イッセーの口からその単語が出る。
忘れるはずもないその翼。
「やっぱ知ってたんだ?じゃあ計画の邪魔になりかねない貴方には死んでもらうわ」
彼女はそう言って手に光の槍を生み出す。
それはゲームに出てくるような、もうコミカルと表現するのが正しいような光り輝く槍だった。ただしその凶刃は一人の人間の元へと突き付けられているが。
容赦なく槍を投げつける。
それは人間の動体視力であれば、手元から槍が消えたと認識したら最後、既に体に風穴が開いている。そういう風に出来ている。
槍が貫き胴体に穴が空いているはずだった。
「な……」
彼女の目の前には風穴を開けられ血まみれの男の死体…が存在しなかった。
槍の一撃はイッセーの体を貫くことが無かった。彼の左腕には赤色の籠手が既に装着されており、光の槍を受け止めていたのだ。
「…なるほどね…既に神器は覚醒済みというわけ…普通の人間なら受け止めるどころか防ごうと反応すら出来ないほどの速度だもの…」
動揺こそ見せていたが何とか立ち直って彼女なりの考察を行う。
神器の力を持っているのであれば先ほどの一撃は防げてもおかしくなかった。なんせ威力を可能な限り弱めた牽制程度の力しか込めていないのだから。
「他にこの事を知ってる奴はいるのか?」
「はぁ?何聞いてんのかしら?」
相手から質問をされた事に対して疑問を抱く。
「別に…」
だがイッセーにとってはとても大事な事だった。
「ここでお前を消せば秘密は守れるって思っただけだ」
ここで自分や周りにいる人達に危害を加える存在、それを排除する。彼の険しい表情が口にせずとも語っていた。
新たな家族と幸せな環境を手にしてからずっと決めていた事、覚悟を決めていた事。ついに行動に移す時が来たのだ。
「はんっ…まさか私を殺すつもり?あなたの神器、それ『龍の手』でしょ?」
堕天使の女は相手が身につけるそれを分析する。
その種族は研究者気質が多く、特に神器についての知識は群を抜いている。
「雑魚中の雑魚じゃない。ちょっと他人に無い力があるからって調子に乗らないでくれる?」
彼女は自分を始末すると息巻いた相手を鼻で笑った。
相手が出したそれは龍の手と呼ばれる、持ち主の力を倍加させるだけの神器の中ではありふれた力。元の力がそれこそ上級の堕天使やグリゴリの幹部並であれば倍加するだけの力も脅威かもしれない。
イッセーの足跡を調べて、何かしら異能の力を使用した形跡を見つけることは出来なかった。ただの人間の力が倍加したところでそこまで脅威になる事は無い、そう侮って考えていた。
だが彼はこの侮られる状況でも感情を乱すことなく話す。
「いくぞ」
「まあいいわ。さっさとあなたを始末すればこのウザったい仕事も終わりだもの」
イッセーは籠手が装着された左腕を引いて構える。一方の堕天使の女は再び光の槍を生み出し構える。
一触即発の状況、まるでこぼれるギリギリの量まで水がつがれたコップのような感じ。ちょっとした衝撃でこぼれてしまうような危うい均衡。
「レイナーレ、遅いではないか」
するとこの場に二人しかいないはずなのに空気を振動させてくる男の声がする。
ハットに厚手のコートといった体のシルエットを誤魔化すかのような服装をした男。声の正体はそれだった。
堕天使の女、レイナーレは自分の同族に対して一触即発の状況だというのに気を抜いて、親し気に話し出す。その余裕は既に自分の勝利を確信している事から来るものか。
「ドーナシーク、今からちょうど掃除をするところよ」
「そうか、それはこちらが焦り過ぎたか。助力は必要か?」
「いいわ、たかが龍の手ごときに手こずらないわ」
レイナーレは仲間の方へと向けていた視線を再び標的へと戻す。
(まずいな…)
そんなやり取りを見ていたイッセーは少しだけ焦りを感じる。だがそれは自分の勝利が相手の援軍によって揺らぎそうになっているからではない。
彼の敵はレイナーレという堕天使だけではなかった。少なくとも複数人の組織だって行動をしている。つまりイッセーの存在は相手に広く認知されてしまっている。
既に彼の日常は崩壊が確定してしまっている。
(どうする…)
どうしても諦めきれない思いがある。新しい家族や学校の友達達と楽しく日常を謳歌する。当たり前に享受できるはずそれを手放したくないと思ってしまう。
『どうする?こうしている間も堕天使たちの仲間が家に向かっている可能性があるぞ』
(分かってる、そんな事は)
『なら早くした方がいい』
(ああ、そうするさ)
イッセーはここで目の前にいる障害の排除へと思考を切り替える。
己の存在のせいで大切な家族を傷つけさせるわけにはいかない。