かつて、この世界にはソルハイムという文明が存在した。
イオスを統べる六柱の神々よりあらゆるものをもたらされた人類が生み出した初めての文明である。
それは今、この世界に存在するすべての文明よりも優れており、その中で人々は繁栄を極めていた。
しかし、六神の一人である炎神イフリートはどこまでも発展していく人々の文明と力を恐れ始めた。
そして、いずれは神を超える可能性のある人類を滅ぼすべく、他の神々を裏切り、戦争を始めた。
これが魔大戦であり、その激しい戦いの中でイフリートは滅び、ソルハイムもまた灰燼となり果てたという。
(止めなければ…止めなければ…)
暗闇の中、黒いローブを身にまとった男が傷だらけの体を押して歩く。
先を見ようとしても、後ろを振り返ったとしても、進む道も戻る道も見えない。
果てしなく広がる闇の中をさまようように歩くだけ。
この道をずっと歩いてきた、そんな気が彼にはしていた。
何時間も、何日も、何年も…。
だが、どんなに歩き続けたとしても、この暗闇の中であることに変わりはなく、刻まれた傷は癒えることはない。
(闇の果てにあるはずだ…この、先に…)
「おい、起きろって。いつまで寝てんだ」
「んあ…?」
ポカリと誰かに頭を叩かれた感じがして、その箇所をさすりながら目を覚ましたのはルシス王国第一王子であるノクティス・ルシス・チェラム。
最も、彼はノクティスや殿下などと呼ばれるよりも愛称であるノクトと呼ばれる方がいいという、王家の人間としてはかなり現代の一般の若者に近いといえるだろう。
次期ルシス国王の頭を叩くという暴挙を為したのはルシス王国の盾として長年軍事を支えてきたアミシティア家の嫡男であるグラディオラス・アミシティア。
嫡男の宿命として、幼少期から王家親衛隊に所属することとなった彼は親衛隊としての任務の傍ら、次期国王であるノクトの稽古も任されている。
10年以上の付き合いから、このような気安い行いもノクトには許されている。
「こんなことになっても眠っているのだから、さすがだな」
「こんなこと…?」
助手席に座り、眼鏡を直す若者、イグニス・スキエンティアはこれからノクトが見せるであろう反応をあらかた察していた。
王家の執事として長年仕えるスキエンティア家の中でも、イグニスは軍師としての才能を開花させており、そのこともあり幼少期からノクトを公私両面から支えている。
学生時代、一人暮らしをするノクトと部屋にたびたび訪問し、散らかった部屋の掃除や乱れた食生活の是正、そして次期国王としての勉学のサポートもしており、付き合いとしてはグラディオよりも長い。
まだ眠気が覚めないノクトは周囲を見渡し、今の状況に徐々に眠気が消えていく。
離れた道路と正面の大岩、大きくひびの入った前のガラスに砂まみれの車体、曲がったサイドミラー。
大岩にぶつかり、おそらく正面の車体はもう何と形容すればいいのかわからない状態だろう。
「あ、ええっと、これ…は…その、アハハハハハハ…」
運転席に座るこの惨劇の張本人である親友、プロンプト・アージェンタムが後ろの座席にいるノクトに顔を向け、ひきつった笑いを見せる。
彼はイグニスとグラディオとは異なり、ノクトとは高校時代の付き合いであるが、王子という高嶺の花として周囲に扱われていたノクトは友達が少なく、気安くこうして話しかけてくれる彼は大切な存在であり、よく行動を共にした。
学校終わりにゲームセンターに寄ったり、グラディオとの特訓から逃げる際には彼の家に隠れたこともあった。
ノクトもプロンプトもこの旅のために免許を取得しており、長年運転しているイグニスとは違い、まだまだ荒っぽいところが目立ち、ノクト自身も運転についてはイグニスには全くかなわないことはわかっている。
だが、この惨状には我慢できず、体を乗り出したノクトはプロンプトの首を腕でロックし、右拳をねじ込んでいく。
「プロンプトーー-!!どーして、こんなことになってんだ!?ただ道をまっすぐ走ればよかっただろー!!」
「痛たたたた!!大きな動物が見えて、気になって見てたらこうなって…ごめんなさい!ごめんなさい、ごめんなさいー---!!」
親衛隊としての訓練の一環として、わずかながらインソムニアの外に出たことのあるグラディオとは違い、インソムニアでの生活しか知らないノクト達にとっては壁の外の世界はネットや資料の画像の物しか知らない。
舗装された道やビルの並木、巨大なタワーのような王城が彼らにとっての世界であった。
壁の外に出て、見たことのない生き物やどこまでも広がる荒野を生で見て、好奇心を掻き立てても仕方ないだろう。
だが、父親であるレギス・ルシス・チェラムから受け取ったこの車、レガリアはノクトにとっても思い入れが深い。
家である王城では国王として厳しい顔を見せることの多いレギスだったが、部屋やレガリアの中では優しい顔を見せてくれて、ノクトもそんな顔を見て落ち着くことができた。
「プロンプトは後にするとして、さっさと道路までこいつを持っていくぞ、お前ら降りろー」
「ああ…ないわ。ほんっと…ないわ」
最近見る変な夢といい、この状況といい、初めての外の世界はノクトに対してあまりにも厳しかった。
車道へ戻ったレガリアのカーナビを座席に座ったイグニスが操作し、ジャケットを既に脱いで横たわるノクトとプロンプトをよそにグラディオが通りかかる車に手を振る。
だが、どの車も止まることなく通り過ぎていき、その度にグラディオはため息をつく。
「ねえグラディオー、こーいうときって、その…レッカーを呼べって自動車学校の先生が…」
「そんな上等なモンがあるわけねーだろ。クソッ…せめて、引っ張ってくれる車がありゃあマシだが…」
「まっすぐ行けば、ハンマーヘッドという自動車工場につく。そこまで押していくしかないな」
「しゃーねーな…助けも得られねー以上は…おい、起きろお前ら」
横たわる2人の脚を蹴ったグラディオがジャケットを脱いで猛禽類のタトゥーが刻まれた筋肉質なたくましい体をさらし、ノクトとプロンプトがレガリアの左右へ向かう。
レバーをニュートラルに切り替えたイグニスがハンドルを手にしつつ、スマートフォンでハンマーヘッドと連絡を取り始める中で3人がレガリアを押し始める。
幸いなのはまだ昼であることで、もし夕方や夜にこんなことになった場合、おそらくは明日の朝日を見ることはできなかったかもしれない。
「ほんっと、ないわ…」
「ないよなぁ、ええ?ノクティス王子」
結婚式の主役であるはずのノクトが今や上半身が黒いシャツ1枚で、しかも泥と砂埃で汚れた無残な姿だ。
もしハンマーヘッドが結婚式会場に指定され、こうして式場に登場する羽目になったら末代までの恥だ。
「調子に乗りすぎたな」
「うぐ…だって、しょうがないでしょー!!」
「なんとも幸先の悪い…」
グラディオ本人も外に出たことがあるとはいえ、親衛隊の訓練の一環であり、頻繁に出たことはなく、慣れているわけではない。
イグニスはまだしも、旅とは無縁なノクトとプロンプトを連れているため、多少のトラブルは覚悟しているが、まさかいきなりこんな災難に遭うとは思いもよらなかった。
「なぁ…グラディオ頼む」
「なんだぁ?」
「一人で押してくれ」
「馬鹿言ってんじゃねえ」
「でも俺ら、手ェ放しても変わらないでしょー?」
「プロンプト、てめえ離してねえだろうな」
少なくとも、今回の件の張本人であるプロンプトにはハンマーヘッド到着までずっと押させてやると心に決めたグラディオにそんな甘えは通用しないし、それができたらそもそも一人でやっている。
軽自動車であれば一人でも押せる自信のあるグラディオだが、レガリアは重量があり、グラディオ一人では押せないほどだ。
「ああ…イグニス、連絡終わったら席変わってくれー」
「わかった。…ダメだ、電話中だな」
何度か通話するイグニスだが、電話中でいつまでも連絡がつかない。
何かあった時のために、レギスからハンマーヘッドの連絡先を受け取っていたイグニスだが、まさかいきなり頼らなければならなくなるとは思いもよらなかった。
予定としては、もうこの時間にはハンマーヘッドに立ち寄っていて、休息をとりつつ、そこからオルティシエへ向かうための船がある船着き場のカーディナまでのスケジュールを決めるつもりでいた。
特に夜間の移動は危険で、それを避けつつ向かう必要があることから、外の事情に詳しいハンマーヘッドの主から情報をもらい、そのうえで立てたかったが、こうしたイベントがこれからも起こる可能性があると考えると、いったい結婚式がいつになることか。
オルティシエで待っているであろうルナフレーナが不憫だ。
「ていうかさー、おかしくない?ハンマーヘッドって、もっと近いでしょ?」
「さっきの地図の通りだが」
「世界地図でみりゃあなあ」
インソムニアを大都市と見ていたかつてのグラディオだが、授業の中で世界地図を見せられた時はその世界の広さに驚いたのを覚えている。
敵対しているニフルハイム帝国も、首都の大きさとしてはインソムニアとどっこいどっこいだが、そんな国がもはや抵抗しているのがルシスのみとなるほどの拡大をこの30年近くで見せたことはおそらく、後世歴史に残るほどの偉業、もしくは凶行となるだろう。
そのどちらの記録で残るかは今回の停戦でわかることだ。
「はぁ…世界広いわ」
「実感できるな」
「この実感イヤでしょ!」
「おい、お前ら押してるかぁー!!」
「押してるよー」
「押してる」
「もう、近いはずだが」
その近いという言葉をもはやノクトもプロンプトも信用できない。
夜の餌食になる前にハンマーヘッドに到着することを願い、無心で押し続けることだった。
レガリア
ナンバープレート:「INSOMNIA」「RHS-113」「THE ROYAL CAPITAL」
ルシス王家で愛用されている車。
レギスの国王就任の記念にアウディ社から献上されたもので、公私にわたってレギスに愛用されている。
ノクトにとっては穏やかな父親と過ごせる、もう1つの安息の地といえる場所だ。
王族の車両ということもあり、安全性についてはかなり考慮に入れた設計がされているが、あくまでもそれはインソムニア内部での運用を前提とした話。
オフロードの多い地域では運転できる場所が限られ、無茶な運転をした場合は走れなくなるほどの損傷をすることもあり得る。
なお、アウディ社は歴代国王専用車両を献上し続けている老舗の自動車企業であり、ノクトの婚礼が終わり、インソムニアへ戻った際にはノクト用の車両が献上されるという。