――どうしたものか(憎い)
一人の少女が、人の手が入った坑道を思わせる通路で額に手を乗せ途方に暮れていた。
――何が起きた?(殺せ)
直前までの記憶は、それはもう、この上なく、はっきりとしている。
2017年8月31日。それは一つの時代が幕を下ろした日だった。
エミル・クロニクル・オンライン、通称はECO。ポップでキュートなキャラクター、憑依システムに代表される善意や好意の形にしやすさ、倒れてもデスペナルティとして経験値の損失が発生しない等のハートフルさが魅力として挙げられる10年以上続いた国産MMO。実は9月1日の数分間まで接続されたままだったため大量のログアウトボタン見失い勢やハ長調ラ音空耳未帰還者などを産み出したりもした作品。
少女――正確には中の人たるプレイヤーの人間――にとってはデスクトップPCとインターネット環境とが解禁された際に友人から誘われるがまま始めた初めてのネットゲームであり、同時に初めてのゲーム内から終焉を見届けられたネットゲームでもあった。
――どうしてこんなことに?(許すな)
しかしながらこのECO、視点こそ自キャラを中心に360°ぐるぐるできる3Dではあったものの移動で自由にジャンプはできず段差はあるが迂回が必要な疑似3Dであり、モニターの向こうからプレイヤーがキャラクターを眺めるのが普通なのである。決して一人称視点でプレイしていたわけでもなければ、当然のごとくVRMMOのような没入感を得られるものではないのだ。
更に言えば、ハートフル要素として紹介した憑依システムは自前で揃えることがほとんどで、複数アカウント所持は常識の域にあった。バフや回復で戦闘を有利に進めるなら複数マシンや仮想OSによるクリーンでホワイトな多重起動と同時操作に走るのも一般的とまではいかないが珍しいとも思われない環境で、少女もまた複数のマシンからそれぞれ別のサーバーにログインして友人や仲間と別れを惜しみながら再会を誓いゲームの終焉を眺めていたはずなのだ。ついでに言うとトラスーツなる遊園地に居そうな緩い顔つきの虎を模した着ぐるみ姿で。
――ていうか(奴等を)
「さっきからうるっせぇぇぇぇぇ!!」
(神をってえぇぇぇぇっ!?)
モニター越しに眺めていた自分が何故か一人称視点で知らない場所に立ち、しかもひんやりとした気温としっとりとした湿度だけでなく現実では把握したことのなかった周囲の気配まではっきりと感じている。
おまけに状況の変化に気付いてからずっと頭の中に呪詛が、ボキャブラリーの貧困さを隠しきれないストレートな表現を繰り返すセンスゼロな形で響いていたのだから考えがまとまらないのも宜なる哉。
故に、少女が激昂するのは仕方なく、モニターに映るECOの画面よろしくメニューやアイテムのウィンドウが乱立する視界の右上に開かれたウィスパーチャットのウィンドウへ手を伸ばし、思い切り握り締め、勢い良く地面に叩き付ける暴挙に及んでしまったとしても、責められる謂れ等ないのだ。ないったらないのだ。
第二話:誕生――神話や伝承から名前を引っ張ってくるせいで基本ゲームキャラの強さはインフレが激しい――
「……で?」
(いたいよぅシクシク)
地面には丸みを帯びた四隅を持ったウィンドウが寝そべっている。何故か下部両端角からは水滴が滑り落ちては消えていくエフェクト付きだ。
酷くシュールな絵面だが、少女は声の主らしき相手と繋がっているらしいウィンドウへと問い掛ける。実際に行っているのは音声会話なのだが、何しろ向こうの声は頭の中に響くばかりで視界に映る標的がいない。よって、何故か触れることができてしまったせいで地面とキスなのかハグなのかわからない事をする羽目になったそれに視線を向ける他ないのである。
なお、通信相手の名前欄には、ダンジョンの意思(?)と記されていた。
「とりあえず知ってることを全て話して下さい。わ……たしに何をさせたいのか辺りからいきましょう」
(わぁ順応はやーい)
(まぁいいけど)
(じゃあ説明始めまーす)
相手の正体や自身に起きている異常事態といった部分をすっ飛ばして目的から聞き出す様は紛う事なき変態。最短距離を進ませろとばかりに説明を促す様はRTA走者に近いが、誓って右も左もわからない初見プレイである。
ここで、少女の特異性について説明しよう。この少女、日常的に内容ばかりか時間的尺度すらおかしな夢を見ており、現在の状況を端的に表した『ゲームキャラの状態で別作品に異世界転移』なんてパターンも結構な頻度で経験している。
良く頬をつねったり叩いたりと痛覚の有無で夢かどうかを確認する表現があるが、少女にとってはラッキースケベで鼻血並のデマでしかない。夢の中でつねった頬は当たり前に痛かったし、五感だってはっきりしていた。なんなら蜂に刺されたり高級料理を食べたりといった未経験の内容に対して未知の感触を覚えることもあった……後に現実で経験したら全く違った場合も多かったが。
明晰夢であっても思い通りになったことはなく、自分から動かなければ把握しきれないまま周囲の都合に流されて事態がどんどん進んでいく。そして訳もわからないまま死に、目を覚ます。たまに夢から覚めて現実を過ごす夢という二段構えもある。
そんなわけで、少女にとって夢と現実との間に大した違いなどなかった。仮に現実の自分が死んだとしても、またどこかで別の自分が夢から覚めてその自分にとっての日常へ戻っていくのだろうと考えている。
これで多種多様な知識や経験を持ち越せて有利な生活が送れるのならまだ良かったのだが、困ったことに持ち越せるものはこんな夢を見たという記憶だけで、夢の中で学んだ斬新な知識や培った技術を持ち越せた試しはほとんどなかった。
そのような生活を続けていれば現実感が希薄になって無気力になりそうなものだが、むしろ夢にも現実と同じ一度限りの生を見出だし精一杯過ごし続けてきたのだから、やはり変態には違いないのだろう。
そんなわけで頼れそうというか使えそうというかな相手を見付けた少女の聞いてやるから早く言えとばかりの態度に多少面食らいながらも、自称ダンジョンの意思は自らの要求を突き付けつつ補足を加えていく。そのやり取りは、当初の混乱がまるで嘘のようであった。
「ふむ、つまり私は人間に近い姿だけどダンジョンが産み出したモンスターで」
(うんうん)
「貴方はダンジョンであり私の母と呼べる存在」
(その通り。えっへん。崇めよー称えよー)
「私の第一目的は地上進出で、次は地上に蔓延る神々の除去」
(無視か)
「逆に人間はどうでもいいというか神の恩恵を持たない範囲なら繁栄させて構わない」
(あ、無視なのね)
「一応、一時的に神へ協力するのもあり、と」
(おほん。失敗するくらいなら一時の屈辱も許容します)
「ついでにダンジョン内で検知された異常を調査したり解決したりもして欲しい」
(うーん、ついでとは言うけど、実際に頼む場合は緊急性が高いことが多いだろうだからそのときは優先して欲しいかな)
「k」
(け?)
「あぁ、スラングは通じないんでしたね。失敬、失敬……うむ、イベントとして開始され、た、のかなぁ……これ」
少女は会話を続けながら同時進行で機能を確認する。何気にメニュー操作が思考で出来ていることに内心感動を覚えながら、イベントナビを表示してみる。メインストーリーにそれらしい項目は見付けたのだが、項目名はチュートリアルであった。詳細を確認してみれば現段階の目的は地上へ移動しようと表示されている。
「とりあえず地上に向かいますの」
(はーい。改めてよろしくね~)
移動開始を宣言しながら視界に並ぶウィンドウの一つであるマップを確認する。そこにある情報を信じるならば、現在地は《オラリオダンジョンB11F》の《セーフティポイント1》で……
「ダンまちじゃねーか! orz」
それまでの会話から薄々察してはいた内容がほぼ確定となったことにより、少女は思わず叫び頭を抱える。
同時にアイテム欄から【ファミリア】の主神を騙れそうなパートナーを探していた。が、神魔はイシス、イザナギ、クロノスとビッグネーム揃いで地上の神とも面識がありそうなのでダメ。武神は極まった人間なのでダメ。バステト・ロアもビッグネームなのでダメ。ウルゥ辺りはマイナー神で通せそうだが肩乗りサイズ。ハスターは論外。無事全滅であった。偽装【ファミリア】結成疑似冒険者ルートはここに潰えた。
(えっ、あ、うん? )
いかにも何かを知っていそうな内容の叫びではあったが、幸いにも母を名乗る不審者は感情を表すスラングの一種と捉えでもしたのか流した。とはいえ、そんな程度は何の慰めにもならない。
いくら原作との乖離が激しそうだとはいえ、人類から見て敵の側であるダンジョンが母であり、自身が『ダンジョンの自発的に発生させた異端児である』などという重すぎる設定を持った特大の地雷である現実は、少女を強かに打ち付けた。
補足すれば、ダンジョンを母と認知し親しみを持って敬う気持ちを偽りなく抱いている実感もあるし、地上に進出すれば接触せざるを得ないだろう神やダンジョンに入り込む恩恵持ちについて意識してみると僅かなれど確かな怒りや憎しみが湧いてくる……少女の持つ数少ない原作知識であるアニメにおいてベルとヘスティアのデートを邪魔していた神々や、後始末がてら囮としてリリルカを蟻の群れに放り投げた冒険者といった対象のせいかは不明だ。
本音を隠し仮面越しに付き合うのは現代日本人の一般的な技能であるため、母からの依頼を達成するためなら神に媚びることも吝かではない。しかしながら人間の価値観を持つ心が果たして神無き(人間が蹂躙される一方な)世界を実現させていいのかを悩ませる。せめて原作知識――特にこの世界で生まれ育ったと騙れる程度の一般的な常識――よ降って来いと願うも肝心の願いを届ける先がわからない。せめてもの抵抗にメール機能を用いてECOのフレンドに連絡を試みるも、何故かメーラーデーモンから神聖文字で返信が来るという神対応を見せる始末。
実のところ、夢での経験から部分的な記憶喪失という便利な偽装を施せば知識の有無など無視できることを知ってはいるが、演技力に定評がありすぎる上に連想ゲームで全貌を丸裸にし兼ねないため些細な情報であっても渡せないと負の信頼を寄せられて来た少女としては極力避けたかった。
「うーん、取り敢えず向かいながら考えましょう。幸い私はペルQも履修したボウケンジャー。マッピングはお手の物(ECOのマップ機能があるから実質手間要らず)ですので、出陣じゃ! オカンよ、鬨の声を上げぃ!」
(お、オカン!?)
再起動を果たすため多少の無理をして上げたおかしなテンションに身を任せ、オカン呼びでダンジョンの意思を混乱させつつ心も体も立ち上がってみせる。呼ばれた側はテンションの乱高下や唐突な呼び方に対して困惑しているらしく、反応が覚束ない様子なので、作戦は成功したと言えよう。
一応、少女としては自身の奇行が原因で失敗作と烙印を捺され消去される可能性も考えていた。
しかしながら、その奇行に対する反応――即ち、演技を思わせない余りにも速いレスポンスと一定レベルを越えた疑問点に対する理解を平然と諦める投げっぱなし力、そして何より調子に乗っては凹まされ即座に立ち直るという隠しきれぬ弄られキャラの貫禄――を材料に、ダンジョンの意思は百人いれば九十九人がポンコツ認定するであろう愛すべき馬鹿であると断定しているので、検討の余地すらないとテンションに任せた対応を貫くと決心していた。現に、目線の先では「エイ、エイ、オー!」と表示された吹き出しが腕を突き上げる動作そっくりな軌道を描いている。かわいい。
さて、足元には目的地へのガイドとなる矢印が表示されている親切設計なのだが、どう見ても壁を示している。ゲームであれば存在するはずの移動地点を示すポータルの光が見えなくて少し悲しみを覚えるが、立ち上がった以上は前に進まねばなるまいと気合を入れる。
「壊しちゃってもいいんですかね、壁」
ペタペタと触れてみればしっかりと固まった石の感触が返ってくる。続いて軽くノックして反響を確かめてみれば、空間に音が鳴り響いた。どうやら厚みはそこまでないらしく、現実感覚で考えても破れそうだ。強さの具合が如何程か確かめるのにちょうど良いな、と軽く手首をプラプラさせながら問えば
(いいよー。時間が経てば勝手に治るから)
あっさりと許可が下りたので大振りなパンチを一撃。壁はあっさりと砕け、崩れた。手首を痛めなかったどころか障子紙を突き破るよりも軽い抵抗しか覚えなかったことから、自分の肉体的な頑強さは高そうだと安心を覚える。が、与えたダメージが表示されなかった事実にゲームとの差異を感じ寂しさを覚えつつ、手加減とかどうすっぺなどと心配事の種を抱えることともなった。
と、そこにオカンから何気ない声。
(そういえばさ)
(声に出さなくても念じれば伝わるよ)
「おっふ」
先程までの自分は第三者から見れば虚空を見つめながら独り言を呟く危ない女である。しかも背中に二対四枚の灰色をした羽毛翼を持ち、頭の上に光輪を戴き、体は常に浮遊している。色数形とカスタマイズの幅こそあれどアークタイタニアと呼ばれる種族の都合上どうしようもない翼と光輪という特徴を除いてすら、腰に凝った装飾の小さな棺を背負いベルト状の目隠しをキメ赤いマフラーをたなびかせる黒コート黒スラックス黒ローファーのアホ毛完備銀髪ロングついでに頭頂部からは一輪の花が生えているといった有り様なのである。不審者ってレベルじゃねーぞ。
「まぁいいや。えーと」
(ファミチキ下さい)
(えっ? ファミ……何? 【ファミリア】?)
(何でもありやがりませんの。お気になさらず)
(アッハイ。とりあえず出来てるからいいや)
改めて出発である。異端児はモンスターの襲撃を普通に受けると説明されているため、少女はECOのダンジョンにおける自分の普段通りに戦闘の準備を整えていく。
こうして虚空を見つめながら独り言を呟く可哀想な女は消え、代わりに縫いぐるみやモンスターを引き連れ半透明な明滅する茨の蔦に包まれながら浮遊移動で地上を目指す立派なレアモンスターが誕生した。言うまでもなく、独り言の有無など誤差でしかない堂々たる不審者っ振りでしかない。
そんな事情など知らぬ上層の野良モンスター達はダンジョンの異物たる異端児を発見するやいなや雄々しき咆哮を上げながら一斉に襲い掛かってきた。
少女は応えるように叫ぶ。
「私達の戦いはこれからだ!!」
ツッコミの声は、なかった。