サイレンススズカと同棲する30日間   作:十六夜みやこ

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11日目

【1月11日】

 

「……雨、ね」

 

 年が明けてから、初めて経験する雨空。

 曇り空から横殴りに降りそそぐ雨粒のせいか、今日はいつもより冷え込んでいるように思えます。

 

「トレーナーさん、大丈夫かしら……?」

 

 連休も明けて、トレーナーさんはいつもどおりの時間に出勤していきました。

 ただ、彼は先日ぎっくり腰を患ってしまったので、腰にはコルセット、右手には杖、そして左手には傘と、両手をいっぱいにしながら学園に向かっています。

 これではすべって転んでしまったときに、とっさに手をついて負担を軽減することができません……なんて、さすがに心配しすぎでしょうか。

 今日は朝のランニングをお休みして、トレーナーさんが目覚める前からゆっくりと朝食作りに取りかかり、のんびりとした朝を過ごせました。

 とはいえ、日課をこなせなくてフラストレーションが溜まっているのもまた事実。

 ランニングができないということは、現状の私ができる最大限の練習ができなくなるということです。

 すなわち、レースで勝てなくなってしまうかもしれない、ということ。応援してくれる人の期待を、裏切ってしまうかもしれないんです。

 かといって、雨の日のランニングは、転倒しやすくて危険だからと禁止されています。どうしたものか、と考えていると……。

 

「おかーさん! ちゃぷちゃぷ歩くの、たのしいね!」

「そうね。カッパと長靴も、よく似合ってて可愛いわ」

「えへへ……ほらほら、はやくいこ!」

 

 不意に外から、空色にそぐわぬ陽気な声が聞こえてきました。

 カーテンを開けると、一組の親子が楽しそうに歩いているのが見えました。

 小学生くらいの女の子は、ピンク色のレインコートと長靴を身にまとって、水たまりの上を楽しそうにはしゃぎ回っています。

 

「レインコートに長靴……ひさしぶりに、ああやって散歩をするのもいいかもしれないわ」

 

 なんという僥倖でしょう。たまたま家の前を通りかかった親子のおかげで、たったふたつの雨具さえあれば、ランニングとまではいかずとも、靴濡れや横雨に怯えることもなくのびのびと散歩ができることに気がつきました。

 

「えっと、たしかキャリーバッグの奥の方に……あった、これね」

 

 トレーナー寮に初めておじゃましたときに運んできた荷物の中から、備えあれば憂いなし、くらいの気持ちで詰め込んでいたレインコートと長靴を取り出します。

 手に持って確認してみると、ひさしく使ってこそいませんでしたが、サイズ的には問題なく使えそうでした。

 ……成長していない、ということでしょうか。いえ、それはきっと考えすぎですよね。

 

「ふふ……雨の日のお散歩、始めましょうか」

 

 外側から玄関のドアに鍵をかけて、雨雲の下へと一歩を踏み出します。

 黄色のレインコートに、緑の長靴。ちょっと子供っぽいけど、こんな雨の日ですし……どうせ誰にも見られないので、いいですよね?

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「~~♪ ~~~♪」

 

 木漏れ日のエールを鼻歌で口ずさみながら、道路の水たまりをぱしゃぱしゃと踏んで、小雨が降るなかをすいすいと歩いていきます。

 雨の日に傘をささないという、ちょっとした非日常感。雨粒が、身体を覆うビニールにパチパチとぶつかる音。そのどれもがひさしぶりで、とても楽しいです。

 気温は低いですが、トレーナーさんに買ってもらったヒートテックがあるので、だいぶ中和されています。今度、改めてお礼をしないと。

 

 「……それにしても」

 

 普段は走ってばかりで気いていませんでしたが、こうやってゆっくり歩きながらあたりを見渡してみると、いろいろな発見があります。

 いつの間にか、改装工事が終わっていたコンビニ。雨の日でもお客さんの絶えない、元気な店主さんのいる八百屋さん。まだ正月の飾りを撤去していない家々。カッパを着て楽しそうに歩く親子……って、あら?

 

「あーっ! サイレンススズカちゃんだ! どうしてー!?」

「え、えぇと」

 

 つい先ほど窓から見ていた親子と、ばったり鉢合わせてしまいました。

 もちろん、彼女らはあのとき、こちらに気づいてはいませんでしたが……。

 

「え、サイレンススズカさん……!? お、おはようございます。まさか、こんなところで会えるなんて」

「お、おはようございます……散歩で、たまたま通りかかりまして」

 

 彼女の母親らしき人にお辞儀をされて、慌ててこちらも返します。

 

「ねーねースズカちゃん! つぎのレース、どんなのに出るの!? わたしね、スズカちゃんがまた、ビューンってすっごくはやく走って、いっちゃくでゴールするところ見たい!」

「あ、えっとね、次はまだ決まってなくて」

「こら、落ち着きなさい。ごめんなさいね。この子、スズカさんの大ファンなんですよ」

「そうなんですか……ありがとうございます、嬉しいです」

 

 町中でファンの方に話しかけられて、激励を受けることは今までもありました。

 その気持ちはとてもありがたいのですが……私は究極的には、自分自身が楽しむために走っているだけなのです。

 ファンの方々の期待に応えたいという思いはありますし、そのための努力を欠かすつもりもありません。

 でも、私が負け続きのときでも、今みたいにレースに出れないときでも、応援してくださる方々の気持ちが、私にはよくわからないのです。

 それこそ、私の代わりはいくらでもいます。大逃げで走るウマ娘の数は少なくても、ゼロではありません。こうやって燻り続けているウマ娘よりも、きらきらとしたスターウマ娘を追いつづけるほうが、みなさんも楽しめるのではないか……と、考えてしまいます。

 

「ねえ、どうして私を応援してくれるの?」

「えー?」

「あ、いえ、その……なんでもないわ。ごめんなさい、忘れてちょうだい」

 

 気づけば、考えていたことがつい口から出てしまいました。私の悪い癖です。

 

「なんでって? うーんとねぇ」

 

 女の子は、腕を組みながら軽く上をむいて、頭を悩ませるそぶりをしています。

 ファンの方を困らせるわけにはいきません。きちんと撤回をして、急いでこの場を去ろうとした、そのとき。

 

「すっごくたのしそうに走るから!」

 

 女の子が、元気いっぱいにそう答えてくれました。

 

「……はい?」

 

 楽しそうに……たしかに、レースではいつも楽しく走れていますが、それと私を応援してくださることに、何の関係があるのでしょうか。

 

「ごめんなさい、もうすこし詳しくお願いできるかしら?」

 

 会話を切り上げなければ、と決めたはずだったのに、思わず深掘りをしてしまいました。

 でも、ここで切り上げてはいけない気がするんです。今の私に足りていない何かが、この子のおかげで明らかになる気がするから。

 

「スズカちゃん、どんなレースでも、すごくたのしそうに走ってるでしょ? ほかのウマ娘のおねーさんたちは、()()()()()()()()()()()()ゴールに走ってくるのに」

「……怖い顔」

 

 レースとは、出場しているウマ娘たちの執念と執念のぶつかり合い。特にゴール前ともなれば、それがどうしても表情へとあらわれてしまう……トレーナーさんが以前、そう仰っていましたっけ。

 おそらくこの子の言っている”怖い顔”とは、そのときのウマ娘たちの表情を意味しているのでしょう。

 

「だからね、わたしずっと、レースってこわいものだって思ってたんだけど、テレビでスズカちゃんをみてから変わったの! こんなにたのしそうに、しかもすっごくはやく走っちゃうウマ娘さんもいるんだ、って」

 

 女の子はそう言って、楽しそうに笑っています。

 直後、彼女のお母さんが補足するように話しはじめました。

 

「初めてレース場に行ったときに、私と一緒にゴール前でレースを見ていたんですよ。だから、走っているウマ娘さんたちの一生懸命な顔がよく見えたんだけど……小さいこの子には、どうも怖かったみたいでね。あげくの果てに、走ることそのものまで怖がっちゃって、友だちと外で遊ばなくなってしまったんです」

「そんなことが……」

 

『観ているものに希望を与える』とまで言われている、ウマ娘たちのレース。それを怖がる人もいるなんて、今まで考えたこともありませんでした。

 感受性豊かな子どもにとっては、そう受け取ってしまうのも無理はない……ということなのでしょうか。

 

「だけど、さっきこの子も言ってたように、スズカさんが楽しそうに走る姿を目にしてからは、すっかりファンになって、気づけばレースの度にテレビにかじりつくようになって。『わたしもスズカさんみたいになるんだー!』って、かけっこの練習までするようになったんですよ」

「そう、なんですね」

 

 つまり私の走りが、一人の女の子の──少し大げさかもしれないけれど──人生を、よい方向へと変えられたということ。

 その意味を考えこむように押し黙っていると、それを察したのか、お母さんが私を諭すように話しかけてくれました。

 

「スズカさん。あなたはまだ若いのに、たくさんの期待や願いを背負って走っていらっしゃいますよね。だけどその期待は、ときにあなたの重石となって、気づけば歩くこともままならなくなってしまうかもしれません」

「……はい」

 

 話に注意深く耳を傾けながら、短くうなずきます。

 

「でも、覚えておいてほしいんです。私たちは、今のあなたが──走ることそのものを全力で楽しんでいるスズカさんのことが、大好きなんですよ。あなたが辛い思いをしてまで、悲しそうに走っているを見たいファンなんて、一人もいません」

 

 私の走りよりも、走っている私そのものを好きでいてくれる人。トレーナーさんやスペちゃん以外にも、そんな人たちがいたなんて。

 

「スズカさんが楽しそうに走る姿は、それだけで私たちに元気を与えてくれています。もし私たちのことが気になって、走ることをやめたくなってしまったら、そのときは私たちのことなんてきれいさっぱり忘れてください。そして、あなたの好きなように走ってください。それが私たち、サイレンススズカのファンにとっての一番の願いなんですから」

 

 そう諭されて、ようやく思い出しました。私が今まで走ってきたレースは、どれも本当に楽しく走れていたこと。そして楽しんでいたときは、迷いなど何もなかったことを。

 私なんかにファンが付いたのは、単にレースで一着を取ることが多かったからだと考えていました。だけど、それだけではなかったんです。笑いやあくびが、目の前の人に伝播するように。みなさんは私を通じて、”楽しさ”を受け取りたかったのかもしれません。

 私は、”希望”を直接届けられるようなウマ娘ではないかもしれません。夢も目標もなければ、レースに賭ける情熱や覚悟だって、他のウマ娘たちには遠く及びません。

 でも、私が届けられる”楽しさ”にも、確かな価値があるのなら。私だけにしか、届けられない何かがあるのなら。私は胸を張って、これからもマイペースに走りつづけたい。それでいいと、そう在りたいと思えるようになりました。

 

「……ありがとうございます。大事なことを、学ばせていただきました」

 

 私は女の子とお母さんにむかって、深くお辞儀をしました。

 

「いえいえ、こちらこそ長々と恐れ多いことを……ほら、そろそろ帰るよ」

「えー……またね! スズカちゃん! つぎのレースも、ぜったいにみるからね!」

「ありがとう。私も楽しんで、また先頭でゴールするからね」

「……うん!」

 

 女の子は「ばいばーい」と言いながら、こちらの姿が見えなくなるまで手を降ってくれました。

 私もそれに応えるように、ずっと右手を揺らし続けました。

 レースに限らず、物事は速ければ速いほど、急げば急ぐほどよいと考えていた私ですが、少々生き急ぎすぎていたのかもしれません。

 ときには立ち止まり、まわりをよく見てみる。そして、一度自分を見つめ直す。

 それこそが、私が私らしく在りつづけるためには、大切なことだったのです。きっかけをくれたあの女の子には、頭が上がりませんね。

 

「そういえばトレーナーさんは、いつも私のやりたいことを尊重してくれていたような……?」

 

 もしかしなくても、それが私にとって──巡り巡って、すべての人たちにとってベストな選択であると、とっくの昔に理解していたのでしょうか。

 そして私自身に気づかせるため、あえて言わないでおいたのでしょうか。気にはなりますが、本質的にはなんでもいいのです。

 私はもう、未来しか見据えていません。応援してくれる人たちの心も、私の心も──トレーナーさんの心も。

 

 「ぜんぶぜんぶ、私の走りで満たしてみせますからね」

 

 雨粒は、いつの間にか降り止んでいました。

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