サイレンススズカと同棲する30日間   作:十六夜みやこ

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13日目

【1月13日】

 

「……おはようございます」

「あ、お、おはよう」

 

 起床後、俺よりも早く起きていたスズカとリビングで鉢合わせた。

 低度数とはいえ、慣れない飲酒による二日酔いを心配していたが、見るかぎりは平気そうで一安心だ。もっとも、それよりも大きな心配事がまだ一つあるのだけれど。

 

「なあ、スズカ。その、昨日のことって覚えてる?」

 

 不自然にどもりながら尋ねる。

 スズカは昨晩、酒に飲まれたか、はたまた逆に利用していたのかはわからないが、とにかく俺を押し倒しては、告白まがいのことをしてきた。

 本来、見て見ぬふりをしてはいけないのかもしれないが……内心の自由という言葉もあるとおり、胸に秘めておくだけなら辛うじてセーフだとは思う。事実、「好きです」と直接的な言質までは取れていないのだから。

 ……なんて、全部言い訳だ。

 本当は、今のスズカとの関係が壊れてしまうのが嫌だから。

 来るべき別れのときまでに、二人でもっとたくさんの景色を見ておきたいから。つまるところ、俺の身勝手なエゴにほかならない。

 いつかは正面から向かい合わなければいけない問題とはわかっていても、それを今済ませるだけの勇気はない、ということだ。吐き気がするほどに身勝手な人間だと、自分でも思う。

 しかしスズカも、昨夜の後半からは意識が覚醒していた様子だったので、自分の発言を覚えている可能性は非常に高い。もしそうだとしたら、うやむやになどできるはずがない。

 最悪の場合を想定しつつ、手に汗を握りながら返事を待っていたが、彼女の口から飛び出してきた言葉は予想外のものだった。

 

「いえ、それが……何も覚えていなくって」

「え、そうなの?」

 

 スズカが左手でこめかみを軽く押さえながら言う。

 

「はい……やっぱり私、何かご迷惑を?」

「そ、そんなことない! ちょっとぼやーっとしてて、そのあとソファで寝ちゃったくらいで、たいしたことないさ。むしろ、迷惑かけたのは俺のほうだ。不注意で酒なんか飲ませてしまって、本当にすまなかった」

「い、いえ、それこそお気になさらず……そうですか。何も、無かったんですね」

「……ああ」

 

 幸い、といっていいのかはわからないが、スズカは昨日の出来事をまったく覚えていないみたいだ。

 

「……朝食、もう作っちゃいました。一緒に食べましょう」

 

 スズカが微笑みながら言う。

 少なくとも、本人がこれ以上の言及をやめたのだから、昨晩のことは俺の胸に留めておくべきだろう。当面は、かりそめの平穏を楽しむことにしよう。

 

「わかった。飲み物出しとくから、座っててくれ。牛乳でいいよな?」

「はい、お願いします」

 

 冷蔵庫の前まで移動し、上段のドアを開ける。

 そして横にある食器棚からグラスをふたつ取り出し、それぞれに牛乳をそそぐ。」

 ついでに中身を一瞥すると、豆腐をすべて使い切っていたことに気がついた。

 

「あれ、いつの間に」

 

 どうやら、今朝作ってくれた味噌汁に入れたぶんで最後だったらしい。急ぎで使うこともないだろうから、仕事が終わったらスーパーにでも寄ることにしよう。

 忘れないうちに予定をリマインダーに追加すると、そのまま冷蔵庫を閉めて、両手に持った牛乳をテーブルの上に置き、「いただきます」の挨拶とともに食事を開始した。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「おっ、白菜が安いな……そうだ、もやしも買っておくか」

 

 今週分のタスクをなんとかやり遂げた俺は、学園からの慰労もかねていつもよりも早く上がらせてらえた。

 とはいえ、早く帰ってまでやりたいことも無かったので、今朝切らしていた豆腐や諸々の食材を補充すべく、スーパーに足を運んだ。

 

「そうだ。昨日のお詫びと言ってはあれだけど、スズカの好きそうなお菓子でも……いや、子供扱いし過ぎか。ちょっと奮発して、スイーツでも買って帰ろうかな。前にレースのご褒美としてあげたような高価なものじゃなくて、スーパーの量産品だけど」

 

 入り口付近の保冷スペースに置かれているスイーツ群の中から、エクレアやらショートケーキやらを適当にピックアップする。

 好きそうなもの、と言ったが、スズカはどんなものでも喜んで食べるから、あまり好き嫌いがわからない。

 とりあえず、お出かけをしたときに好んで食べていたスイーツを適当に買い物かごに入れる。手をつけなかったものは、俺が食べればいいだけだ。

 

「次は豆腐……豆腐も冷蔵品だし、この先だっけ?」

 

 正確な売り場は忘れてしまったが、冷気が必要なものはたいてい地続きになっているので、そのまま冷蔵コーナーに沿って歩いていく。

 

「絹豆腐……絹豆腐……あった、これだ」

 

 家でよく使っている絹豆腐を見つけ、身をかがめて左手を伸ばす。

 

「あっ」

「え?」

 

 そうして豆腐を一つ取ろうとした瞬間──女性のものらしき白く細い右手の上に、俺の左手が重なってしまった。

 なぞるように商品だけを見ていたせいで、前方への注意が欠けていた。すぐさま顔を上げて、目の前の女性に謝ろうとする。

 

「す、すみません、前見てなくて」

「いえ、こちらこそ……」

 

 頭を下げて詫びを入れる。しかしこの女性が着ている服、どこか見覚えがあるような──。

 

「……って、スズカ!?」

「あれ、トレーナーさん」

 

 なんという偶然。手が触れ合った女性は、俺のもっともよく知る女性、サイレンススズカだった。

 

「どうしたんですか、まだ四時なのにこんなところで……も、もしかして、お仕事をクビに……!?」

「なってない、なってない! 山場が片づいたから、早く上がらせてもらったんだよ。ついでに、切らしてた豆腐でも買って帰ろうと思ってな」

 

 イレギュラーな出来事に驚く気持ちはわかるが、さすがにその場でクビを言い渡されたらこんな悠長に買い物なんてしていないだろう。

 

「そうだったんですね……私もおなじです。勉強が一段落ついたところで、今日のお味噌汁で使い切っちゃったことを、ふと思い出して。トレーナーさんは、ほかには何を買おうとしてるんですか?」

「えーと、白菜にもやし、ネギ、にんじんにえのき……スズカに食べさせたいと思って、いくつかスイーツも入れといた。ああそうだ、この中で嫌いなものとかある?」

 

 今聞いておけば取捨選択の手間が省けると思って、かごに入れたスイーツたちをスズカに見せる。

 

「……もうっ。相変わらず、私に甘いんですから。ありがとうございます。どれも好物ですよ」

「ならよかった。そっちは……牛乳に豆乳、食パン、豚バラ、割引肩ロース、鰆……あ、油揚げは豆腐の隣に置いてあるやつか。なんというか、まったく被ってないな」

「おそらく、トレーナーさんと私で、入り口からお互い逆の方向に回りながら買い物したんでしょうね」

 

 その合流地点が豆腐だったと。面白いこともあるものだ。

 

「こりゃ、今夜は鍋かな?」

「ふふ、それがよさそうですね。たまたまですけど、二人のかごの中のものを足せば、お鍋の具材にぴったりですから」

 

 変な偶然におかしくなって、俺とスズカは顔を合わせて笑いあう。

 スクラッチで千円札が当たるくらいの、ささやかな偶然。けれども、そんなちょっとした奇跡が、俺たちの絆を再認識させてくれたようでたまらなく嬉しかった。

 

「そうだ、トレーナーさん。もうちょっと見て回りませんか? 飲み物とか、買い足したいものはまだありますから」

「だな。まとめて買っちまうか。いい子にしてたら、お菓子も買ってあげるぞー?」

「もう、子ども扱いしないでくださいっ」

 

 ぷんぷん、と擬音が鳴っていそうな顔をしながら腕を組むスズカ。

 心配しなくても、ちゃんとわかっている。お前がもう、ほとんど大人になっていることくらい。

 

「冗談だよ。お菓子を買うのは本当だけどな。俺も食いたいし、一緒に選んでくれないか?」

「ええ、もちろん……でも、食べすぎはよくないですからね? 最近運動しているとはいえ、私が来るまでの食生活はひどいものでしたし、油断するとすぐに……」

「わ、わかってるよ。そんなたくさんは買わないっての」

 

 耳が痛い忠告を受けながら、必要な飲み物をかごに入れた俺たちは、そのまま店の中央に鎮座しているお菓子コーナーへと足を運んだ。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「さて、やってきたわけだけど、そもそもスズカってどんなお菓子が好きなんだ?」

「えっと……なんでも好きですよ? 強いて言うなら、しょっぱいのよりは甘いやつのほうがいいです」

「なるほどな。ならチョコから見てみるか」

「はい……あ、そこにありますね。あれとか美味しそうです。取ってきますね」

 

 スズカが小走りで商品のもとへとむかう

 ゆっくり歩きながら追っていると、品物を取ったスズカが、Uターンをしてこちらに戻ってきた。

 しかしこの光景、どう見ても「お菓子買っていいよ」と言われた子どものそれである。

 

「これです。なんか高級感があって、美味しそうだったので」

「どれどれ」

 

 彼女が選んだものに興味を抱きつつ、手に持っているものを見せてもらう。

 

<XXX Chocolate ※洋酒使用 アルコール分3.2%>

 

「返してきなさい」

「……ええっ!?」

 

 なにが「ええっ!?」だよ。買わせてたまるかこんなもの。

 昨日のことを思い返して……と言おうとして、スズカには昨晩の記憶がすっぽりと抜け落ちていることを思い出す。危うく墓穴を掘る所だった。

 

「ほ、ほらスズカ、ここを見てみろ。これな、アルコール入ってるの。お前は酒に弱いんだから、念のために止めておこうな」

「で、でも……お菓子として売られてるってことは、未成年の私でも、食べていいってことでしょう?」

「普通はな。でも、五パーセントのチューハイで記憶飛ばしてるやつに食わせるのはさすがに心配だ。そりゃ、食べる量にもよるだろうが……今日は我慢してくれ」

「うぅ……」

 

 スズカが残念そうにうつむく。

 そんな悲しそうな顔をしないでほしい。お前のため……すまん、どちらかというと俺のために我慢してくれないか。

 

「お菓子、買ってくれるって言ってたのに……」

「ちょっ、スズカ。こんなところで落ち込まないでくれ。まわりの目がやばいから……ああ、もう! わかった、買うよ! ただし、食べていいのは数粒だけだからな、残りは俺が貰うぞ!」

「は、はい……っ!」

 

 食い意地と世間体に負けて購入を許すと、スズカの顔がぱあっと明るくなっていく。

 しかしまあ、後日こっそり買って食べるくらいのことはできるだろうに。いい意味で純粋なんだろうな、彼女は。

 

「お礼に、トレーナーさんの好きなものも買っていいですよ!」

「ありがとよ。金払うのは俺だけどな」

 

 自分も美味しそうなお菓子を適当に見繕ってから、ふたり並んでレジに向かった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「いただきます」

 

 お馴染みの合掌をしてから、鍋に向かって箸を伸ばす。

 テーブルに延長コードを引いて設置したIHコンロの上には、乳白色のおいしそうな豆乳鍋。今日買った具材をフルに生かした、贅沢な夕食だ。

 鍋料理には、ひとり暮らしの冬にもよくお世話になった。とはいえ、俺の場合は出汁作りが面倒だったので、鍋キューブなんかでお手軽に済ませていたのだが、今回はスズカのお手製らしい。

 

「まずは白菜でも……って、うまっ! コクがあって美味しいな!」

「それはよかったです。この出汁のレシピ、ヒシアケボノさんに教わったんですよ」

「へぇ、意外な交流。あの子、たしか鍋好きだったもんな。さすがというべきか」

「ええ、ほんとうに……あ、トレーナーさん、お肉どうぞお肉」

「ん? ああ、ありがとな。スズカもほら、豆腐がいい頃合いだぞ」

「あ、どうも」

 

 俺とスズカは、互いに食べごろな具材を渡しあう。

 そんな手間をかけるくらいなら、それぞれ好きに食べたほうが効率的な気もするけれど。これもまた、他人と食卓を囲む楽しみの一つなのだろう。

 

「……あちゅ、あつい。ひた、やへほしまひたぁ」

「そりゃ、豆腐をひと口でほおばったらそうなるわな。ほら、お茶飲め……って、そっちのグラス空じゃん。ならひとまず、俺のやつ飲んで口の中冷やして」

「はひ……」

 

 手元のグラスをスズカに渡し、冷たいお茶で舌を冷まさせようとした、そのとき。

 

 「お、おい。なんで容器を回してるんだ?」

 

 それは湯呑じゃないぞ? しかもその位置は、俺が口をつけた──。

 

「……ふぅ、お騒がせしました、なんとか大丈夫そうです」

「そ、そうか」

 

 気がつくそぶりも見せず、スズカはごくごくとお茶を飲み干した。

 ひとまずは、彼女の舌が無事で良かった。そしてこのまま、なんとかやり過ごせれば……。

 

「あっ」

「ど、どうした」

 

 不意に彼女の顔がこわばる。

 

「ま、まさか……そんな……」

 

 スズカは慌てて俺のグラスを手にとり、あらゆる角度から縁の辺りを見ている。

 

「……跡がひとつしかついていない。も、も、もしかして、わた、わたし……!?」

「あー、うん」」

 

 顔を真紅に染めて、グラスと俺の目を交互に見つめるスズカ。

 どうやら、気がついてしまったようだ。

 

「……やっちまったな。まあ、次から気をつければ」

「あ、あ、あああ……っ!」

「お、落ち着けって」

 

 スズカは今まで聞いたこともないほどにあわてふためいた声を上げたかと思えば、そのまま立ち上がって、玄関のほうに向かってふらふらと歩き出した。

 

「待て、スズカ……いや本当に待て。どこへ行くんだスズカ!?」

 

 急いで止めようとするも、ウマ娘である彼女に追いつけるはずもなく。

 

「あ、あたまを冷やすために、走ってきます……っ!」

「スカートで!? スズカ、カムバック、カムバーック!」

 

 その後、靴下のまま脱兎のごとく走り出したスズカが、玄関のドアに頭をぶつけたところでようやく確保することができた。

 もう一度席についた俺たちは、どことなく気まずい雰囲気のまま、無言で鍋をつつき続けた。

 生煮えの人参ばかりが、驚くべき早さで消費されていった。

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