サイレンススズカと同棲する30日間   作:十六夜みやこ

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16日目

【1月16日】

 

「え、スズカが学園に?」

「はい。ご迷惑でしょうか?」

 

 朝食の最中、スズカが突然、学園で仕事している様子を見学したいと申し出てきた。

 

「今日はたいして忙しくもならないだろうから、迷惑ではないけど……つまらないと思うぞ?」

「いいんです。私がやりたいことですから」

 

 スズカの言う”やりたいこと”が何かはわからないが、特段拒む理由もない。考えてみれば、この家にこもってばかりでも気が滅入るだろうし、いい気分転換になるかもしれない。

 

「それなら、あとで一緒に家出るか?」

「ええ、お願いします」

「おっけー」

 

 会話を終えて、ふたたび食事を進める。

 そういえば、スズカとふたりで学園に向かうのは初めてだ。そもそも、本来あってはならないことではあるのだから、当然なのだが。

 

「……? トレーナーさん、どうかしましたか?」

「な、なんでもない」

 

 気づけば、箸を動かす手がぴたりと止まっていた。

 俺は毎日、初めてのことばかりでドキドキしっぱなしなのだが、スズカは日々何を考え、何を感じているのだろうか。

 しばらくして、皿の上の料理をすべて食べ尽くし、朝食の時間が終わった。

 

「ごちそうさまでした」

 

 感謝を表して、いつものように合掌をする。

 

「では、制服に着がえますね」

「ああ」

 

 すでにワイシャツとスラックスを着用している俺がやることといえば、せいぜい上からジャケットを羽織ることくらいなので、インスタントコーヒーでも飲みながらスズカが着替え終わるのをゆっくり待つことにする。

 そして、彼女に言われて気がついたのだが、生徒の場合は制服で向かわなければならないわけで。今日はずいぶんとひさしぶりに、制服姿の彼女を見ることができる。

 私服姿のスズカもまた、可愛らしくてとても素敵だ。しかし俺にとってのスズカといえば、やはり制服とジャージ、そして勝負服だ。

 そんな取るに足らない俺の欲望を抜きにしても、一ヶ月という、生徒たちの長い冬休み。一度くらい、学生服を着る機会があっても面白い──。

 

「よいしょ、っと」

 

 ──ちょっと待て、スズカ。

 ここはリビング。そしてスズカ貸し与えた更衣室、というより彼女専用の部屋はさらに奥にあるはずだ。なのに……。

 

「……なんでここで着替えてんの!?」

「えっ……あ、ひゃぁぁぁ……っ!」

 

 スズカは尻尾をピンと鋭く張って、制服ですばやく上半身を隠した。幸い下着こそ見えなかったものの、インナー姿がバッチリと視界に入ってしまった。

 先ほどまで、スズカは私服を身にまとっていた。おそらく、俺の許可が出るまでは学園に行けるかどうかがわからなかったので、日課のランニングのあとに、すぐさま制服に着替えることはできなかったのだろう。

 ジャージから私服へと着替える際には、彼女はいつも脱衣所を利用している。しかし、寝間着からジャージに着替える際に利用している場所は、どうやら脱衣所や自室ではなく。

 そして彼女の習慣的に、ランニングのためにジャージに着替えるのは、たいてい俺が起床するよりも前のことである。となると、結局はどこで着替えても同じであるため、よく使う服が吊るされているこの場所──つまりリビングで着替えることが多かったと推測できる。

 こうして、我が家で組んだルーティンにすっかり慣れきったことが裏目に出てしまい──。

 

「し、し、失礼しましたぁ……!」

 

 ──目の前での生着替えという、漫画でしか見たことのないようなラッキースケベを誘発してしまった。

 ドタドタと足音を立て、部屋に飛び込むスズカ。

 部屋のドアが閉まった音を耳にして、ようやく視界を自由に動かせるようになる。

 

「……気まずっ」

 

 眉間にしわをよせながらうなだれる。

 いくらスズカが容姿端麗であるとはいえ、教え子のあられもない姿に興奮するほど、トレーナーとして腐ってはいない……すみません嘘です。めちゃくちゃ悶々としています。あんな美人にあんなことされて、本能に抗えと言われても無理な話です。

 俺は苦しまぎれに絞り出した案として、彼女の着替えが終わるまで、無心でお経を唱えつづけることによって事なきを得た。

 学園に向かう道中は、互いに赤く染まった顔をそらして、ひとことも喋ることはなかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「さて、お馴染みのトレーナー室に着いたわけだが……あの、スズカ」

「……はい」

 

「そ、そろそろ目をあわせてほしいかなって……ほら、さっきのはちょっとした事故だったし、すぐ目をそらしたから、脱ごうとしたところまでしか見てないからさ」

 

 嘘をついた。一瞬とはいえ、脱いだ姿もガッツリと目に入ってきた。

 

「ほんとう、ですか?」

「も、もちろん! だから気にすることないって。それより、俺はもう仕事始めるぞ? 何か知りたいんじゃないのか?」

 

 俺はあからさまに話題をそらす。雄弁は銀、沈黙は金なのだ。

 

「そうですね。でも、お仕事はいつもどおりにやってもらって大丈夫です。私は見てるだけでいいので……」

「わ、わかった」

 

 スズカがそういうのならと、ルーティンとして表計算ソフトを開き、今日のタスクに取り掛かる。

 

「……トレーナーさん、これは?」

 

 しばらく数字を打ち込んでいると、椅子の後ろからスズカが画面をひょこっと覗き込んできて、何をしているのかを尋ねてきた。

 

「ああ、これはトレーニング器具の経費申告に必要なやつだな」

「なるほど……」

 

 大雑把な説明だったが、納得してくれたらしい。

 安心して、また作業へと戻ったのも束の間。

 

「トレーナーさん、それは……?」

「スズカのレース関係の手続きで……」

「なるほど」

 

 その後、何度も。

 

「これは……?」

「スズカのトレーニングメニューの仮組立てで……」

「……なるほど」

 

 何度も、同じような流れが繰り返された。

 このやり取りは、とうとう午前の業務が終わるまで延々と続いた。

 逐一行動を見られているため、変に手を抜くこともできなくて、いつも以上に疲弊した午前中となった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「日替わり定食、持ってきたぞ」

「ありがとうございます」

 

 業務にひと段落をつけて昼休みに入ると、俺たちはカフェテリアへと足を運んだ。

 この期間は、生徒たちにとっては休日だが、教員とトレーナーは変わらず出勤しなければならないこと。また、トレーニングをしに学校に来る生徒も一定数存在することから、メニューこそ絞られているものの、カフェテリアは通常どおり営業をつづけている。

 俺とスズカが頼んだメニューは、生徒たちイチオシの日替わり定食。

 その日によって多様な料理が楽しめる上に、ハズレを引いたこともないと、あらゆる世代からの支持を受けている。

 乗っている料理をこぼさないように、そっとスズカの前へとプレートを置く。

 

「いただきます」

「いただきます……って、癖で声に出しちゃったよ」

 

 食堂でひとりで食べているときは声を出して無駄に目立つのも嫌だったので、心のなかで唱えるだけにしていた。

 しかし今はスズカと一緒に居るからか、つい家での合掌を再現してしまった。習慣とは恐ろしいものだと、常々思う。ちょうど今朝起こった出来事のように……って、これは忘れなくては。

 

「あ、もしかして。ここでトレーナーさんとご飯食べるの、初めてじゃないですか?」

「そういやそうだな。スズカはいつも友だちと食べてるし、俺も基本はひとりで、たまに同僚と食うくらいだからなぁ」

 

 彼女の言葉に同意する。

 トレーナーの仕事とはなかなかに不規則で、空き時間が被った人となりゆきで食べることが多い。 

 もっとも、トレーナーと担当ウマ娘がともに学食を食べている様子を見られれば、生徒間で変なうわさがひろまって、挙句の果てに始末書まで書かされるかもしれない……といった理由もあるのだけれど。

 

「まあ、今日くらいはいいか。食堂にはトレーナーしかいないし、まさかスズカの知り合いに見られることも──」

「あれ、スズカさん!? スズカさーん! お久しぶりですっ!」

「もう、待ってよスペ。相変わらず元気だなぁ」

 

 はい、フラグ回収乙。うすうすそんな気はしていたけど。

 

「あら、スペちゃん……と、スペちゃんのトレーナーさん。こんにちは」

 

 スズカが丁寧に挨拶をする。

 目の前にあらわれたのは、おそらくトレーニング終わりであろうスペシャルウィークと、そのトレーナーの男だった。ちなみに、こいつと俺は同期だったりもする。

 

「はい、こんにちは。見ない顔だったからびっくりしたけど……なるほど、君についてきたのか」

「そーだな」

 

 よく考えれば、このペアだってカフェテリアで一緒に昼食を取りに来たのだ。余計な心配は不要だろうと、気を楽にする。

 

「スズカさん、お隣失礼しますね!」

「ふふっ、どうぞ」

 

 スズカの隣にスペシャルウィークが、俺の隣にそのトレーナーが座り、相席のような形になった。

 

「僕も失礼するよ。で、どうだい? 同棲生活の方は」

「あっ、私もそれ気になってました!」

「えぇと、それは……」

 

 スズカが答えようとする。

 しかし、どこか胸につっかえるような、この違和感はいったい何なのか。

 わかりそうでわからないもどかしさを抱えながら、頭の中で会話を多少さかのぼる。

 

「……ん?」

 

 ──もしかしてこいつ、同棲って言った?

 

「~~~っ!?」

「ト、トレーナーさん!? 大丈夫ですか!? お、お水です!」

 

 突然の衝撃で、ろくに噛んでもいなかったチキンソテーを喉に詰まらせてしまう。

 スズカから水を受け取り、一気に流し込むと、喉に支えたものはなんとか取れたようだった。

 

「はぁ……はぁ……っ、お前、なんで知ってる……!?」

 

 真横を向き、睨むようにそいつを見ながら、尋ねる。

 スズカがスペシャルウィークに同棲のことを漏らし、それが担当トレーナーまで伝わったのなら理解はできるが、スズカはスペシャルウィークとひさしく話していなかった。

 そのため、どうしてこいつに知られているのかが甚だ検討もつかなかった。

 

「落ち着いて……というか、君、聞いてなかったの?」

「な、何が?」

 

 言われていることに心当たりがなく、素直に聞き返す。

 

「スズカに君と同棲するように進めたのは、うちのスペだよ」

「──え?」

 

 スペシャルウィークが、スズカに? 

 

「そ、そうなのか? スズカ」

「は、はい。スペちゃんから、『せっかくの長期休みですし、スズカさんもやってみませんか?』って」

「まじかよ……」

 

 たしかに同棲に関しては、今までのスズカが行っていた要求よりも、一際癖の強いものだった。

 ゆえに、それを第三者に提案された、というところまでは納得がいく。しかしそれがスペシャルウィークだったとは、一体誰が予測できただろうか。

 

「な、なんでスペシャルウィークは、スズカにそれを?」

 

 今度はスペシャルウィークのほうを向いて、質問をする。

 

「えっとですね。スズカさんから、トレーナーさんともっと仲良くなりたいって相談を受けまして……それと私も同棲するので、よかれと思って誘ってみました!」

「ス、スペちゃん、そういうのは言っちゃダメ……!」

「あわわ、そうなんですか!? ご、ごめんなさい!」

「なるほど……んん? ちょっと待て」

 

 スペシャルウィークの発言に、どうしても無視してはいけない箇所がひとつあった。

 

「君たちも、一緒に住んでるの?」

「あ、はい」

 

 彼女は当たり前のように答える。

 

「……いつから?」

「そちらと同じで、元旦からですね。初詣も一緒に……って、お二人に会ったのは、ちょうど私のトレーナーさんがはぐれてたときでしたっけ」

 

 俺は今日、何度心臓が止まりそうなほどに驚けばいいのか。寿命が軽く十年は縮まったような気がした。

 

「そうか、こいつはトレーナー寮に入ってないから気づかなかったのか……!」

「あー、そうだね。生活圏もほぼ反対だし」

 

 平然と答える、スペシャルウィークのトレーナー。先ほどから、俺ひとりだけがずっと慌てふためいており、まるでピエロみたいだ。

 

「ちなみに、ほかにも同棲をやってるやつはいるのか?」

「いや、知るかぎりではいないかな……あーそういえば、マヤノトップガンがどうこうってうわさを聞いたような? でも、これは眉唾ものだね。僕も同棲云々は誰にも言ってないし」

「そ、そうか」

 

 ひとまずは安心した。さも当たり前のようにトレーナーと生徒が同棲なんかしていたのなら、トレセン学園の風紀なんてあってないようなものだった。

 

「というか、お前はよく許可したな……?」

「まあ、断る理由もなかったし、学園からOKも出たからね」

「軽すぎるだろ。俺なんて、寝ずに二晩は考えたぞ?」

「真面目なのは君のいいところだけど、すこし固すぎる気もするな……ああ、スペも食べ終わってたのか。それじゃ、そろそろ行こうか」

「あ、はいっ! スズカさん、スズカさんのトレーナーさん、また今度!」

「ええ。またね、スペちゃん」

「またな……はぁ、疲れた」

 

 楽しげに歩くふたりの背中を見送った後、疲れがどっと襲ってきて、思わず机に突っ伏してしまう。

 

「お、お疲れさまです。でもトレーナーさん、そんなに驚くことでしょうか……?」

「そりゃ驚くさ……バンブーメモリーあたりが聞いたら、気絶しそうな話だな」

「バンブーさん、ですか? どうして彼女の名前が?」

「どうしてってお前……いや、なんでもない」

 

 ここまで来てしまった以上、諭したところで何かが変わるわけでもあるまい。

 しかしあのスペシャルウィークが、トレーナーを同棲に誘ったとは……これまたずいぶんと、大胆なウマ娘に成長したものだ。すっかり都会に染まってしまったのかな。

 

「さ、俺たちもカフェテリア出るか。午後の仕事も見ていくつもりなのか?」

「あ、はい。トレーナーさんさえよければ、ぜひ」

 

 うだうだ考えていてもしかたない。気持ちを切り替えるべく、さっさと仕事に戻ることにしよう。そうして俺たちは椅子から立ち上がり、食器をそれぞれの返却口へと戻した。

 

「そういえば、なんで俺の仕事を見たいって思ったんだ?」

 

 トレーナー室へと向かいながら、ふと忘れかけていた疑問を掘りおこす。

 すると、不意にスズカは足を止め──いつにも増して真剣な声色で語りだした。

 

「……はじめは、私がいないときのトレーナーさんはどんなお仕事をしているのかと、純粋な好奇心から生まれたものでした。でも、それだけなら口頭で訊けばいいだけですし、迷惑になるだろうと思ったので、見学なんてお願いはしないつもりでした」

「まあ、そうだよな」

 

 彼女の言うとおりで、コンプラに抵触するようなことでもない限り、仕事内容くらいならいくらでも説明できる。

 とはいえ、「はじめは」と言っているくらいだし、何か理由ができたのだろうか。

 

「でも……だんだんと、気になってきてしまって。トレーナーさんが、私のいないところで誰と親しくしているのか、以前、私のためのお仕事ばかりだと言っていたけど、私以外のウマ娘のための仕事もあるんじゃないか、って」

「それって」

「はい、すみません──嫉妬、しちゃってました」

「……っ」

 

 何なんだ、この胸の高鳴りは。

 スズカを可愛いと思ったことなら、何度もある。

 今朝の着替えみたく、ハプニングに遭遇してドキドキしてしまったことも、確かにある。

 だけど、どうして今は、そのふたつの感情がぐちゃぐちゃに混ざり合ってるんだ。

 これでは、まるで──。

 

「って、口に出すと、ちょっと恥ずかしいですね」

 

 えへへ、とスズカが照れながら笑う。

 照れるしぐさに、微笑む姿。今までも見てきたはずなのに、そのすべてが初めて出会ったもののように、心臓に早鐘を打たせている。それはまるで、世界の見え方が180°変わってしまったみたいで。

 

「でも、ずっと付き添ってみましたけど、ほんとうに私についての仕事ばかりで……なんというか、安心しました。嬉しかったです」

 

 面倒くさい女ですみません、と付け加えるスズカ。

 ……ああそうだ、面倒くさい。面倒くさいはずなんだ。

 なのにどういうわけか、その面倒くささが、今はたまらなく愛おしい。

 

「もしかして、俺は──」

「……トレーナーさん? 大丈夫ですか?」

「っ、だ、大丈夫だ、心配するな」

「そうですか……何かあったら、すぐ言ってくださいね? ただでさえ、トレーナーさんは無理しがちなんですから」

「ああ……わかってる」

 

 先に歩き出したスズカについていくように、トレーナー室への歩みを再開する。

 その最中にフラッシュバックするのは、もっぱら直前の出来事と、俺が抱いた、スズカに対する新たな感情もどき。それを否定すべく、自己暗示をかける。

 

「俺は、彼女に見合う人間ではない」と。

 何度も、何度も。おまじないのように。

 

「……さあ、午後の仕事に取りかかろう」

 

 俺はデスクに座り、ふたたびスズカに仕事の説明を始めた。

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