サイレンススズカと同棲する30日間   作:十六夜みやこ

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18日目

【1月18日】

 

「けほっ、けほっ」

「大丈夫か? 風邪、引いちゃったみたいだな」

「はい……」

 

 目を覚ますと、めずらしく俺の隣でスズカが寝ていた。

 はじめは、ランニングから帰宅した後に二度寝でもしたのかと思った。しかし、よく見ると呼吸は荒く、服もパジャマのままだった。

 直後、スズカが目を覚ましたかと思えば、深いせきにこめかみをおさえるしぐさ、そして焦点のあわない瞳。もしやと思い熱を測らせてみると、体温計は明らかな高熱を示した。

 慌てて家中から冷えピタやら解熱剤やらを漁り、つい先ほど一通りの処置を終えた。今の様態は、可もなく不可もなくといった所だろう。

 

「すみません、トレーナーさん。朝ごはんも作れないで」

「そんなのいいって。今日は仕事も休むし、飯は俺が作るよ」

「え……そんな、悪いですよ」

「病人をひとりにはさせられないって……その身体じゃ、包丁握るだけでも危ないだろ。何より、俺がやりたくてやってんだから気にするな」

「……ありがとうございます」

 

 観念したように、スズカが礼を言う。

 彼女が寮に住んでいたら、同室のスペシャルウィークや養護教諭のもとでゆっくり休むことができたかもしれない。

 けれども、この家には俺とスズカしか人がいない。今俺が出勤してしまえば、スズカは長時間ひとりぼっちになってしまう。

 風邪のとき、孤独に寝こむ辛さは何者にもかえがたい。そんな寂しい思いを、彼女にさせたくはなかった。

 

「とりあえず、寝たくなったらいつでも寝ていいからな。まだ眠くないなら、解熱剤飲むためにお粥でも作るけど、どうする?」

「……お粥、食べたいです」

「おっけ、作ってくるからちょっと待っててな。声張るのは辛いだろうから、何かあったら電話かけてくれ」

「わかりました」

 

スズカは小さな声で返事をすると、仰向けの体勢から、左側頭部を下にして横向きに寝た。

いつも彼女が寝るときの体勢だった。

 それを確認すると、俺はスズカにお粥を作るため、キッチンへと歩いていった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……なんて言ったけど、お粥って作ったことないんだよなぁ」

 

 俺がぎっくり腰になったとき、スズカは俺にお粥を作ってくれた。

 恩返しと言わんばかりに腕を振るいたいのだけれど、そもそも男のひとり暮らしで、自分のためだけにお粥を作ることなんてあるはずもなく。

 そのため、ネット上のレシピを参考に、見様見真似で作ってみることにした。

 

「この前作ってもらったのは卵粥だったけど、他にはどんなのがあるんだ?」

 

 検索のため、尻ポケットからスマートフォンを取り出す。

 すると、スズカからの新着メッセージが一件入っていることに気がついた。

 

「ど、どうしたんだ……!?」

 

 スズカの身に何かあったのかと思い、急いでメッセージアプリを開く。

 そこに表示されていたのは、以下の文面だった。

 

<トレーナーさんがいっちゃって寂しいです:( >

 

「あいつ、結構余裕そうだな?」

 

 “がんばれ”とだけ返してアプリを落としてから、ようやくブラウザを開く。

 

「お粥 種類……っと」

 

 検索バーに打ち込むと、まず出てきたのはメーカーが売っているレトルトパックのお粥だった。白粥や卵粥はもちろん、梅粥、鮭粥、豆乳粥なんかもあるようだ。

 

「へぇ、いろいろあるんだなぁ」

 

 さらにスクロールしてみると、白粥ひとつ取っても細かく種類が分かれていることがわかった。

 

「通常のお粥が全粥といって、七分粥、五分粥、三分粥、重湯の順にやわらかくなっていくのか。重湯しか知らんかったぞ、名前なんて」

 

 いくらスズカが弱っているとはいえ、あまりに噛みごたえがないものを食べるのもしんどいだろう。そう考えて、今回は全粥で作ることにした。

 

「調理は……卵粥でいいか。スズカも作ってたし」

 

 卵粥でレシピを調べ、UMAJIN○MOTOの公式サイトを参考に調理を進めていく。どうやら、ご飯は解凍したやつでも大丈夫らしい。

 これといって難しいポイントもなく、調理自体は三十分も経たずに終わった。

 あとはスズカに食べてもらうだけである。器に入れたお粥を零さないように気をつけながら、彼女が待っている寝室へと向かった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「スズカ、入るぞ……って、寝てるのか?」

 

 寝室のドアを開けると、スズカは右手に携帯を握りながら、うとうとと船を漕いでいた。

 わざわざ起こすのも忍びないので、ベッド横のミニテーブルに作ったお粥だけを置いて部屋を出ようとすると、不意にスズカが目を覚ました。

 

「……んん? あ、とれーなーさん」

「あ、悪い。起こしちゃったか?」

「いえ……いえ……大丈夫、です」

 

 スズカは目をしょぼしょぼさせながら、のっそりと上半身を起こした。

 

「お粥……作ってくれたんですよね、ありがとうございます」

「どういたしまして。でも、無理して食べなくていいぞ。寝れるときに寝るのが一番だからな」

「これ食べて、お薬飲んだらまた寝ます……でも今は、トレーナーさんが作ってくれたお粥が食べたいです」

 

 とろんとした目のまま、彼女は言う。

 

「わかったよ。水も置いておくから、たくさん飲むんだぞ」

「……まってください」

 

 ミニテーブルの上にお粥とペットボトルの水を置いて、その場を離れようとしたそのとき、服の裾を指先でぎゅっとつままれた。

 

「ど、どうした?」

 

 理由を尋ねても、スズカは黙ったまま。

 鈍感な俺は、彼女が何を考えているのか検討もつかなかった。

 

「あの、スズカ? 別に急ぎの用事はないからいいんだけど、せめて何をしてるのか教えてくれないか」

「……てください」

「ん、なんて?」

 

 上手く聴き取れず、もう一度言ってもらうようにお願いをする。

 

「……ひとりはさみしいので、そばにいてください」

「えっ、は、はい」

 

 発熱により紅潮した顔で、涙目になりながら訴えてくるスズカのお願いに、反射的に首を縦に振ってしまう。

 そういえば、もともとスズカはかなりの寂しがりだった。それが風邪のせいで、一層助長されてしまったのだろう。

 しかしながら、理屈が分かっていても破壊力は抜群。しゅんと落ちこんだ顔に加えて、荒めの呼吸、そして縋るような声でささやかれると……率直に言って、官能的だ。

 頭蓋骨の中に手をつっこまれて、本能を内側からくすぐられているような感覚さえもおぼえてくる。

 

「……いかんいかん、何を考えているんだ、俺は」

 

 煩悩を祓うようにスッと立ち上がり、部屋の隅から普段使っていない座布団を持ってきて、ベッドの横にあぐらをかいて座る。

 

「ほら、これでひとりじゃないぞ」

「ありがとうございます……やっぱり、トレーナーさんはやさしいですねぇ」

「どういたしまして。それより食べるなら早く食べて、もう一回寝るぞ」

「ふふっ……はい」

 

 嬉しそうに笑うスズカを急かすように、食事を勧める。

 風邪は眠らなければまず治らないため、このまま雑談をしているよりも、栄養と薬を接種させて寝かせたほうがいい。

 

「いただきます」

 

 スズカはベッドの上で、女の子座りに足を崩し、目の前にお椀を抱えながら、中のお粥をレンゲで一口掬って食べた。

 

「おいしい、です」

「そりゃよかった」

 

 よく咀嚼し飲み込んだ後、スズカが感想を述べる。

 レシピ通りに作っただけではあるが、失敗はしていなかったようで何よりだ。

 しばらくの間、スズカが無言でお粥を食べ続け、それを俺がじっと眺めるという奇妙な光景が続く。場所が場所なら通報されかねない、と思った。

 しかし改めて見ると、スズカの顔はほんとうによく整っている。

 びっくりするほどの小顔に、長いまつげ、凛とした瞳……顔のすべてのパーツが、黄金比のごとく調和している。

 それでいて心優しく、レースの実力もトップクラス。やっぱりどう考えても、俺なんかとは釣り合わない──。

 

「……トレーナーさん? 食べ終わりましたよ、ごちそうさまでした」

「あ、ああ、すまん。お粗末さまでした。片付けてくるから、薬飲んで待っててくれ」

「はい」

 

 俺は何もなかったように取り繕ってから、スズカからスプーンと空のお椀を受け取って、そのまま部屋を出た。

 

「駄目だな。ぼーっとしてると、すぐネガティブなこと考えちまう」

 

 ただでさえ弱っているスズカに、頼りない姿を見せたくはない。

 せめて同棲している間だけでも、立派な大人としての”トレーナーさん”でいられるように努めなければならない。

 シンクの中でお椀を洗い、すすぎ終えた食器類を水切りカゴに適当に置いたのち、来た道を戻り──”トレーナーさん”の仮面を被り直して、ふたたび寝室へと入っていった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……んぁ? 今、何時だ……?」

 

 視線の先にあった掛け時計を見ると、針は夜の七時を指していた。

 

「たしか……薬飲ませた後、スズカはすぐに寝て……辛そうにしていたから、気休めにでもなればと頭を撫でて」

 

 そこから先の記憶がない。しかし、胸元から下にかけて──何かに抱きしめられているような感覚が、大方の正解を物語っている。

 

「多分、ねぼけたスズカに引きずり込まれたんだろうなぁ」

「……むにゃ」

 

 俺の背中に手を回しながら、抱き枕のように脚を絡ませているスズカを見て、確信する。

 さすがに三回目のハグともなれば、いい加減慣れる……わけもなく。目が覚めるにつれて脈拍はBPMを増していくばかりだった。

 頼むから起きて、そして放してください、お願いします。

 

「……うぅん、トレ……さん」

「やっと起き……てはないな。寝言か」

 

 スズカの閉じられた瞳を見て、希望は泡沫に消えた。

 しかし、終わりかと思っていた寝言には、まだ続きがあった。

 

「……めいわく……ごめんな……さい……」

「……おいおい」

 

 俺を抱きしめる力が、すこしだけ強くなる。

 この子も俺と同じで、不安を人に見せないよう、もがき苦しんでいるのだろうか。

 自分の存在が、相手に迷惑をかけていると。そう思っているのだろうか。

 

「……迷惑なもんか。むしろ役得だ、役得」

 

 寝返りで乱れたスズカの髪の毛を、乱暴に撫でる。

 

「熱は……だいぶ下がったな。明日の朝には治ってるかな?」

 

 頭頂部からスライドするようにして、前髪越しにおでこへと触れる。

 朝に触ったときよりも、ずいぶんと冷たくなっているように感じた。せきの後遺症だけが心配だが、一山超えたと考えていいだろう。

 

「……いかないで」

「え?」

 

 突如、スズカが涙を流しながら、噛みしめるようにそうつぶやいた。

 夢の中の俺は、彼女に愛想を尽かして出ていってしまったのだろうか。だとしたら、とんでもない不届き者だ。

 

「心配しなくても、どこにも行かねえよ」

 

 今はまだ、だけど。

 小柄な体躯を左腕でそっと抱き返すと、どこか安心した表情を見せてから、ふたたびゆっくりと、深い寝息を立てて眠り始めた。

 

「……お前は、どこに行ってもいいんだからな」

 

 今の俺には、トレーナーとして彼女を見守り、育てる義務がある。そこまでは俺の管轄だ。

 だがその先のことは、彼女自身で考えて、自分の脚で歩き出さなければいけない。そうなってしまえば、俺はもう、今日みたく傍にはいてやれない。

 だから、それまでは──もうすこしだけ、このぬくもりを独占していたい。それがたとえ、俺の醜い嫉妬心だとしても。

 俺はスズカの寝顔を見ながら、誰に向けるでもなく祈り続けた。

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