【1月21日】
「……もう二十二時か」
夜もふけてきて、スズカ床につきはじめる時間になった。
睡眠不足でおこなうランニングは危険を伴うため、早く寝るように促す。
「スズカはそろそろ寝たほうがいいな。明日も朝走るんだろ?」
「えっと、それがですね」
スズカが何かを言い淀んでいる。
寝ることを渋るなんて初めてだな、と思いながら首を傾げていると、彼女はその理由を話しはじめた。
「昼間にソファに寝っ転がっていたら、窓から差し込むおひさまが気持ちよくって……つい、お昼寝しちゃったんです」
「あらら、それで眠くないんだな」
「はい……」
「まあしょうがない、そういうこともあるさ」
しゅん、と頭を下げるスズカ。
こればかりは責められない。俺だって何度もやらかしたことがある。
今のスズカには登校もないし、早朝ランニングだって義務付けられているわけではないので、たまにはゆっくりとした起床を楽しむのも悪くはないだろう。
「もうお風呂も入ってしまいましたし、正直勉強みたいに集中力が必要なことはやりたくないんですよね。かといってすることもないので、けっきょく手持ち無沙汰になりそうです」
「そうだなぁ、当分寝れそうにないなら、ひさびさにあれをやってみるか」
「あれ……?」
「なあ、スズカ」
スズカのほうに向き直り、すこし気取った素振りで言う。
「今晩は、悪い子になってみないか?」
◇◆◇
「レッツ・パジャマパーティーっ!」
「い、いぇーい?」
ほらスズカ、もっと右手を高々と挙げろ。パーティーだぞ、パーティー。
「あの……トレーナーさん、これは?」
「なんだ、今どきの子はパジャマパーティーを知らないのか? なら説明しようか」
そう言って、長いこと物置の肥やしとなっていたホワイトボードとマーカーを引っ張り出し、謎に講義っぽく説明を始める。
「パジャマパーティーってのは、友だち同士が一つ屋根の下に泊まって、文字通りパジャマ姿でおしゃべりしたり、映画を見たりゲームしたりするイベントのことだ」
口頭説明だけで済んでしまった。なんでボード持ってきたんだろう。
「えっと、それって普段の私たちと何が違うんですか?」
「そう思うのも無理はないな。しかしこのパーティーの本質は、終了時刻を自由に決められるということ。極端な話、朝までずっと遊んでてもいいわけだ」
「朝までずっと、ですか?」
スズカが驚いた顔を見せる。
こちらからすれば知らないことのほうが驚きではあるのだが、睡眠が命ともいえるアスリートにとっては、むしろ徹夜には馴染みがなくて当たり前なのかもしれない。
「もちろん、途中で寝てもいいんだけどな? というか、普通は適当なタイミングで寝るし。何が言いたいかというと、どうせ退屈なまま夜更かしするのなら、いっそパーッと盛り上がるのもありかと思ってな」
「なるほど……いいですね、なんだか楽しそうです」
乗り気な様子のスズカを見て一安心する。これで断られてしまったら、ただの空回りで羞恥心だけが残ってしまう。
「とはいえ、パーティーといっても、家にはそれらしき食事もありませんし……」
「……ふむ」
なるほど、もっともな疑問だ。
けれども心配ご無用。きちんと手は打ってある。
「……そろそろだな」
「え?」
ピンポーン。のびやかなチャイムの音が部屋まで届く。
「……? こんな夜更けにどなたでしょうか」
「あー大丈夫、俺が呼んだから。ちょっと待っててな」
スズカに断りを入れて立ち上がり、玄関まで歩いてドアを開け、来訪者から”ある物”を受け取った。一言礼を言ってドアを締めて、それを抱えて寝室まで戻る。
持ってきたものをテーブルの上に置いたところで、彼女はようやく察したようだ。
「これって……!」
「御名答、宅配ピザだ。スズカも好きだろ?」
「す、好きですけど……」
当然のように、セットでコーラも頼んでおいた。
深夜に食べることで美味しさが倍増するような料理は山ほどあるが、この時間でも家にいながら入手でき、かつトップクラスの罪深さを味わえるものといえば、ピザをおいて他にないだろう。
注文したのは、Mサイズのピザを二枚。スズカの好みはわからなかったが、サプライズを演出したかったのであえて好みは聞かず、ひとまず無難そうなマルゲリータを頼んでおいた。
ちなみに、俺はてりやきチキンピザを注文した。やっぱりピザといえば、カロリーと脂質の暴力だよね。
「こ、こんな時間に、食べちゃっていいんですか?」
「ああ。むしろこんな時間だからこそ、だ」
「でも、その、体重とか……」
「それはちょっと考えたけど、スズカは普段から暴飲暴食してるわけでもないし、きちんと運動もしているからな。体重の過度な増加ってのは、爆食なんかが習慣化するからこそ起こりやすいんだ。今日一日くらいなら、チートデイみたいなもんだろ」
「な、なるほど」
「というわけで……冷める前に、食べようぜ」
「はい……!」
「待て」と焦らされつづけた飼い犬のように、俺たちはピザが入っている箱をすばやく開けた。そうして取り出したピザから一切れずつちぎり、口の中に放り込む。
肉、マヨネーズ、チーズにてりやきソース。それらがパン生地の上で、主役の座を張り合うかのように舌へと絡みつく。
「おいしい……!」
「これだ、これが幸せの味なんだ」
学生の頃、たまの贅沢として味わっていた至福のひと時。
職に就き、激務の都合上ひさしく失っていた喜び。
それが今、数年の時を経て、口の中に蘇ったのだ。
「はふ……はふ……」
顔をあげると、恍惚とした表情を浮かべているスズカ。お前も知ってしまったか、この快楽を。
「ピザって、こんなに美味しいものでしたっけ」
口元をナプキンで吹きながら、スズカが尋ねてくる。
「深夜だからだよ。理由は知らないけどな」
食欲にますますブーストが掛かった俺たちは、ときにお互いのピザを交換しながら、貪るように食らいつづけた。
◇◆◇
「ごちそうさまでした」
ほとんど丸々一枚ずつを平らげて、お互いすっかり満腹になった。
「おいしかったです……ぜひ、またやりましょう」
「ほ、ほどほどにな?」
こういったイベントは、稀に行うからこそ尊いものになる。
その頻度を高めてしまったら、最悪の場合、深夜になるたびに禁断症状が出てしまう。大学時代、自分の体で実証済みだ。そんな苦痛に悶える日々を味わってほしくはない。
俺とスズカは容器の片付けをしてから、再度寝室に戻ってきた。
「お腹いっぱいになったからか、少し眠気が来たような……」
スズカがとろんとした目で言う。
「待て、スズカ。食べた後すぐに寝ると、肥満や脳卒中、逆流性食道炎などの可能性が高まるから、もうしばらくは起きていたほうがいい」
「そうなんですか? でも、これといってやることも……」
「慌てんなって。パーティーといえば、これも欠かせないよな?」
言い終わるや否や、ひさしく触れてこなかったベッド横のカラーボックスの中から、一台のゲーム機と二台のコントローラーを取り出した。
「あ、それって」
「その通り。Swi○chだよ」
つい先ほどまで存在すら忘れていたのだが……こんな絶好の使い時に使わずして、いつ使うというのか。
「わぁ、最新のゲーム機ですね」
「ああ。今回はあまりゲームをやらないスズカでもとっつきやすく、かつピッタリな世界観のゲームをプレイしようと思う」
「私にピッタリ……どんなゲームですか?」
スズカが首を傾げながら訊いてくる。
それに答えるようにカラーボックスから追加であるものを取り出して、意気揚々とそのパッケージを掲げる。
「マリ○カートだ……!」
「あ、レースゲームですね」
やはり知っていたか。ならば話は早い。
「これでいいよな? スズカ」
「もちろんです。ほとんどやったことはありませんが……ゲームとはいえ、先頭の景色は譲れません……!」
「ほー、そいつは楽しみだ」
闘争心が剥き出しの彼女にあてられて、こちらの感情までも昂ぶってしまう。
スズカにコントローラーを渡し、画面案内に沿って対戦モードを選んで──いざ、レースが始まろうとしていた。
「手加減はしないぞ、スズカ!」
「こっちのセリフですよ、トレーナーさん……!」
スタートを告げる機械音と共に、それぞれの車体が勢いよく走り出した。
◇◆◇
「って、きゃぁ!? な、なんで車が爆発を……!?」
「爆発……? あ、スタートのときにボタンを長く押しすぎたのか……」
◇◆◇
「トレーナーさん! こ、このずっとついてくる雲の人、誰ですか……!?」
「ジュゲムってキャラだな。そいつが持ってる矢印をよく見てくれ。逆走してることを教えてくれてるんだ」
「ぎゃ、逆走……ウソでしょ……?」
◇◆◇
「あ、この道、キノコ使えば一気に省略できそう……!」
「よ、よせスズカ! そこは見かけのわりに難易度が高くて有名な──」
「……お、落ちました」
「……やっぱり」
◇◆◇
「……ぐすん」
「まあ、その……初心者だからしかたないって」
あれから何度もコースアウト、被弾、逆走のかぎりを繰り返したスズカは、ついぞゴールにすらたどり着けずにレースが終わってしまった。
あのサイレンススズカが着外……という言い方をすると、おおごとのように思えてくる。そんなことを考えている場合ではないのだが。
「……トレーナーさん」
「お、おう! つ、次どうする? 別のゲームもやってみようか? ほら、このゲームは今度練習すればいいからさ!」
自分でも下手だと思うような慰めをしていると、彼女はどこか腹をくくったような表情でこちらを見据え、重い口を開いた。
「今日は、トレーナーさんに勝つまでは終われません……!」
「はい?」
俺に勝つまで……え、まじで? それまでずっとやるの?
「そ、そこまでしなくても」
「ゲームとはいえ、仮にもレースと呼ばれるものでここまでボコボコにされるなんて、”異次元の逃亡者”の二つ名を汚しているようなものです」
「いや、そんな深く考えなくても……」
ちらりとスズカのほうを見る。本気の目だ。ごまかしが効く雰囲気ではないと、瞬時に悟った。
「トレーナーさん」
「は、はい」
その迫力に押され、声を震わせながら返事をする。
「トレーニング、お願いできますか? もちろん、手加減はなしで」
「……はい」
明け方までつづいた激戦の末、なんとか一勝をもぎ取ったスズカは、緊張の糸が切れたように眠りはじめた。
次からは、勝負する種目は十分に吟味することにしよう。そう心に決めたのだった。