サイレンススズカと同棲する30日間   作:十六夜みやこ

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24日目

【1月24日】

 

「……ん、ううん……?」

「ど、どうしたんだスズカ?」

 

 風呂上がり。ソファに腰掛けているスズカが、どういうわけか首を左右に傾けながら、妙に訝しげな声を出していた。

 

「その、なんだか耳の中が痒くて。我慢していてもなかなか収まらないので、どうしようかと……」

「ああ、なるほど」

 

 彼女がこの家に来てから、すでに三週間と少しが経過している。

 その間、ただの一度も耳掃除をしていなかったとなれば、そろそろ痒みが来てもおかしくはない。

 

「そういえば、耳かきのある場所も教えてなかったっけ」

 

 耳かき棒を貸すため、普段小物をしまっている収納棚の引き出しを開ける。

 しかし予備の耳かきは用意していなかったらしく、あるのは俺が常用している一本だけだった。

 

「あれ、スペア無かったか。俺のでよければ使う? なんなら耳かきもしてやるぞ、なんて──」

「お願いします」

「……どっちのこと?」

「トレーナーさんに耳かきをやってもらうほうです」

「そっかぁ」

 

 ……冗談のつもりだったんだけどな。

 真剣そのものであるスズカの目を見ると、今更「嘘でした」なんて言えるわけもなく。

 結果的に、俺が彼女に耳かきを行うことになってしまった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「じゃあ、いれるぞ……」

「は、はい……お願いします」

 

 なぜだろう。何もやらしいことは無いはずなのに、どこか危なげなムードが漂っているのは。

 今の姿勢は、俺がソファに深く座り、その太ももにスズカが後頭部を乗せて、十字を作るようにソファーに横たわる──つまりは膝枕である。

 通常の膝枕と違う点としては、頭を乗せる人物がウマ娘なので、横向きではなく仰向けになっているところだろう。

 そこがまた厄介で、俺は自分の耳を掃除することには慣れていても、ウマ娘の耳を掃除した経験というのは今までに一度もない。メカニズムに関しては熟知しているつもりだが、百聞は一見に如かず……触る際の力加減に関しては手探りなため、なかなかに緊張している。

 

「……あの、トレーナーさん?」

「え?」

「いえ、その……じっと見つめられると、なんだか恥ずかしいです」

「あっ、す、すまん!」

 

 スズカに指摘され、即座に横へと目線をそらす。

 どうやら考え事をしながら、じっと彼女の顔を見つづけていたらしい。

 たしかに逆の立場なら驚くだろうと反省をする。

 

「だ、大丈夫です……では、あらためて、お願いします」

「おう……」

 

 電球の光がよく当たる角度から耳の中を覗き、竹製の耳かき棒をそっと挿し込んでいく。

 とはいえ今のところ、耳垢はさほど見当たらず、こまごまとしたものが点在しているだけだった。「ウマ娘の耳は敏感」という言葉を脳内で反復しつつ、それらを取り除くべく、そっと患部に耳かきの先端を当てる。

 

「んっ……!」

「!?」

 

 ちょっと待ってほしい。

 もしかして、この先ずっとこんな感じなのだろうか。だとしたら、俺の理性と手元が本格的に危うくなってくる。

 

「ふぅ……」

 

 一呼吸置いてから、かさぶたの底に耳かきをそっと潜り込ませて、少しずつ力を強めながら掬うように引き剥がす。

 

「ひぅ……っ!?」

「ご、ごめん! 強かったか!?」

「だ、だいじょうぶ、です……多分、ひさしぶりだったので敏感に……」

 

 ……いろいろな意味で心臓に悪い。

 かといって、これ以上力を弱めると耳垢が取れなくなってしまうので、スズカにはもうしばらく我慢してもらうことになる。

 

「あ……ぁ……うう……」

 

 カリカリ、カリカリ。

 

「ひゃあ……っ……う、っあ……」

 

 カリカリ、カリカリ。

 

「んんっ……あっ……」

「ごめんスズカ、ストップ」

「ふぇ? もう終わり、ですかぁ……?」

 

 耳かきを止めると、頬をすっかり紅潮させたスズカが、腑抜けた声で問いかけてくる。

 

「うん、あともうちょっとだから頑張って。でもその前に、ひとつだけいいか?」

「はい……?」

 

 一度作業の手を止めて、耳かき棒を抜き──天井を仰ぎながら嘆く。

 

「それ、抑えることできない?」

「……どれのことです?」

「声、だけど」

 

 気づいていない彼女にハッキリと伝える。

 我慢しろ、というのも酷な話なのかもしれないが、こちらもこちらでのっぴきならない事情があるのだ。

 

「こ、声……そのぅ……私、何か変なこと口走ってましたか……?」

「あ、無意識だったのね……いや、おかしなことというか、おかしくなりそうなことというか……とにかく、なるべく声を出さないように頑張ってもらえるか? その、手元が狂いかねないから」

「そう、ですよね……すみません」

 

 こんな説明で「理解しろ」というほうが理不尽ではあるのだが、ひとまず納得してもらえたようで一安心だ。

 

「じゃあ、再開するぞ」

「はい」

 

 カリカリ、カリカリ。

 

「……っ、~~~~っ!?」

 

 口元を右手で押さえながら、顔を赤熱させて声を押し殺すスズカ。

 余計センシティブになってしまった。もう次からは、絶対に自分でやってもらうことにする。

 湧き上がるピンク色の欲求と闘いながら、俺はなんとか両耳の掃除を終わらせた。

 事が終わった際には、二人とも肩で息をするほどに満身創痍だった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……ありがとうございました」

「ど、どういたしまして。でも、さすがに敏感すぎないか?」

「いつもはここまででは……多分、トレーナーさんがお上手だから」

「……そりゃ光栄だ」

 

 まさか、耳かきの技術が優れていたために困ることがあるとは考えもしなかった。

 ひょんなことから、眠れる才能を発掘してしまったのかもしれない。もしトレーナーをクビになったら、次はこれで食べていこうか。

 

「よし、歯磨きもしたし、そろそろ寝るぞ」

「待ってください、トレーナーさん」

「ん?」

 

 そう言って寝室に向かおうとしたところで、スズカに呼び止められる。

 

「せっかくなので、私にもトレーナーさんのお耳、お掃除させてください」

「俺の? 気持ちはありがたいけど、さすがに生徒にやってもらうのはなぁ」

「……でもトレーナーさんだって、こちらに来てから耳掃除しているのを見たことないですし。昨日のお詫びも兼ねて、お願いできませんか?」

「そ、そういうことなら」

 

 大の大人が女子高生に──しかも教え子に耳掃除をしてもらうなんて、事案にしか見えないので本来なら御免被りたいが、こうも純真無垢に頼まれると断りづらい。

 昨日のお詫びというのは、おそらく勘違いで俺に怒ってしまった件だろう。

 俺はまったく気にしていないのだが、彼女の中に罪悪感やフラストレーションが留まり続けてしまうのならば、それはそれで精神的にもよろしくない。

 となるとやはり、やってもらうしかないのか……?

 

「では、私の太ももに頭をのせてください」

「あ、ああ」

 

 困惑気味に返事をし、ソファの上に登り、右耳を彼女の腿につけて横になる。というか、どうして当たり前のように膝枕なのだろう。

 スズカの腿は思った以上に柔らかく、しかし弾力があった。よく鍛えられ、それでいて天性のしなやかさを兼ね備える脚だからこそ為せる、絶妙な固さ加減。

 その安定感ゆえに、少しでも気を抜けば、あっという間に夢の中へ飛び込んでしまいそうになる──。

 

「……いや、これはダメだろ。なんというかすべてが」

「あ、これ……膝枕ってやつですか?」

「今更? さっき俺もしてたんだけど?」

「意識すると、なんだか緊張しちゃいますね……」

「照れるポイントがわからん」

 

 普通、膝に乗せる側よりも膝に乗る側のほうが緊張すると思うのだけれど。

 しかし彼女にとってこの程度の認識のズレは日常茶飯事なので、気にしたら負けだろう。

 

「ええと……始めますね」

「お、おう」

 

 太ももの感触と、そこから生じる背徳感に包まれつつ、棒が耳に触れるその瞬間を待つ。

 どうか、力加減を間違えてグサリ──という展開は止めてほしいと祈っていると、

 

 カリ、カリ。

 

 心配とは裏腹に、スズカは耳かき棒を器用に動かして、壁に張り付いていた耳垢を小気味よく引き剥がしていく。

 

「お……?」

 

 それに──なんだろう、この感覚は。

 

 カリ、カリ。

 

「気持ち、いい」

 

 的確に、程よい力の入れ具合で耳垢を剥ぎ取られる感覚は、脳みそがまるまる蕩け出しているような酩酊感を味わわせてくれる。

 

「どうですか? トレーナーさん」

 

 彼女が訊いてくる。

 

「ああ、すごく気持ちいいよ」

「よかったです。私の耳とは形が違うから、少し不安でした」

「あー、わかるわかる。でも上手だよ……」

 

 スズカに返答しているときの滑舌が、少しずつ曖昧になっているのが自分でも分かった。

 仕事帰り、そして夜という時間も相まって、視界がおもむろに狭まっていく。

 

「──さん……トレーナーさん、反対です」

「ん、ああ、すまんすまん」

 

 スズカの呼び声で、うとうとしていた意識をなんとか取り戻す。

 反対の耳と言っていたが、ということはもう、左耳の掃除は終わったのか。本当に意識が飛んでいたみたいだ。

 一旦起き上がり、今度は左耳を下にして寝転がる。

 

「……あれ?」

 

 ──眼前には、スズカのお腹が大海原のように広がっていた。

 

「あ、あの……そんなに、お腹を見つめないでください」

「好きで見つめてるわけじゃないんだよなぁ」

 

 別にスズカが腹出しのパジャマを着ているわけではないが、さすがにここまで距離が近いと、蓄積された眠気と彼女の匂いとの相乗効果で脳が狂いそうになる。

 

「こっちも始めますね」

「おう……」

 

 カリ、カリ。

 

「……うまいなぁ」

 

 カリ、カリ。

 

 ああ、やはりとても気持ちがいい。

 瞼にかかる重力は一秒ごとに重みを増していき、いつしか抗えなくなっていた。

 

「……♪」

「?」

 

 カリ、カリ。

 

 耳垢と耳かき棒の擦過音とともに、透き通った音が聴こえる。

 

「……~♪ ~~♪」

 

 スズカが、何かを歌っているのだろうか。

 

「~~♪……~♪」

 

 瞼はもう、完全に閉じきってしまった。

 意識の混濁のせいで、スズカが口ずさんでいるのが、鼻歌なのか歌詞を伴った生歌なのかもわからない。

 けれども、不思議と包み込まれるような、優しさとあたたかさが体中に伝播してくる。

 よくわからないけど、とても心地がいい。。

 これからも、ずっと、この声が、この時間が続いたら……。

 

 ──こうして俺は、意識を完全に手放した。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……トレーナーさん、寝てしまいましたか?」

 

 おそらく最後であろう耳垢を取り終えてから、先ほどからずっと無言だったトレーナーさんの様子を確認します。

 呼びかけても返事がないので、すっかり寝てしまったのでしょう。

 

「気持ちよさそうに、うとうとしてましたね──こっそりあなたの名前を呼んでも、気がつかないほどに」

 

 掃除する耳を変えてもらうために、トレーナーさんを一度起こしたとき。

 私は初めて、あなたを下の名前で呼びました。

 だって、ずるいじゃないですか。あなたはいつも、私のことを「スズカ」と呼ぶのに。私があなたの名前を呼ぶのは、立場上あぶないから禁止だなんて。

 この家の中なら、聴かれてこまる誰かなんていないのに。

 

「……なんてね。いつもありがとうございます、トレーナーさん」

 

 そう労いの言葉をかけてから、トレーナーさんの身体を仰向けにして、膝裏と背中のあたりを包み込むように腕を添え、起こさないようにそっと立ち上がります。

 

「よい、しょ」

 

 彼が目を覚ましていないことを確認してから、寝室へと歩いてゆきます。

 たしか巷ではこれを……お姫様抱っこ、と言うのでしたっけ?

 

「トレーナーさんって、結構軽いのね」

 

 意外なところで、彼の秘密(?)を知ってしまいました。

 最近は筋トレを始めたり、栄養のある食事を摂ったりしているので、少しずつ体重は増加しているみたいですが、それでもまだまだ軽いです。

 

「これからも、たくさん食べさせてあげますからね?」

「……ううん…………くぅ……」

「……ふふっ」

 

 私の声が聞こえたのか、彼は小さく唸り声を上げた後、またすぐに寝息を立て始めました。

 子どものような可愛らしい反応に、思わず笑ってしまいます。

 それでも、起きているときはしっかり大人な”トレーナーさん”なのですから、不思議なものですね。今のうちに堪能しておくように、ということでしょうか。

 すでにドアの空いていた寝室へと入り、トレーナーさんをベッドの上に横たわらせます。

 そして私も、彼と正面から向かい合うように寝転がり、掛け布団を二人の首元まで引っ張ります。

 

「……これくらいは、いいわよね?」

 

 トレーナーさんは、眠っていて気づいていないから。

 私はどうせ、彼よりも早く起きるから。

 

「失礼、します」

 

 私は寝ているトレーナーさんの背中に、前から手を回して……ぬいぐるみを抱くように、ぎゅっとしがみつきました。

 

「……あったかい」

 

 身体にくっついただけなのに、体温が急上昇したように感じられました。

 それはきっと、身体的なものというより、精神的なもの。

 だって、トレーナーさんに抱きついていると、こんなにも心があったまっていくのだから。

 

「トレーナーさん」

 

 さっきよりも少しだけ強く、彼の身体を引き寄せます。

 

「私とこのまま、ずっと一緒に居てくれませんか」

 

 声を押し殺して、嘆くように、そうつぶやきます。

 きっとこのままでは、私が学園を卒業することになったとき、トレーナーさんは私から離れていってしまうのでしょう。

 先ほども彼が言っていたように、私は彼にとって、ひとりの”生徒”──担当しているウマ娘でしかないのですから。

 同棲をしても、いろいろな場所にお出かけしても、ちょっぴり攻めたことを言ってみても、それは変わらない。私は、こんなにもあなたのことが好きなのに。

 あなたは、決して私のことを──。

 

「……今日はもう、寝ましょう」

 

 ひとまず思考を止めると、さっきまでのあたたかさはどこへやら。

 周囲の暗闇に引きずられるように、心も身体も、あっというまにパキパキと冷えきってしまいました。

 

「ねえ、トレーナーさん」

 

 あなたは先日、現役のウマ娘とトレーナーが結ばれたとき、その結末がどうなるのかを教えてくれました。

 でも、私の場合は違います。気にするべきは世間でもないし、必要なのは形式的な卒業でもありません。

 ほんとうの意味で、()()という立場から──すでに固定されてしまった見方から、逃げ切らないといけないのです。

 

「もし私が、今よりもっと大人になれたら」

 

 生徒という鎖を壊して、ひとりの女の子として目に映るようになったら。

 そのときは抵抗もなく、あなたのお耳を掃除させてくれますか?

 

「あなたの名前を、好きなだけ呼ばせてくれますか?」

 

 返事を待つ暇もなく、私の意識も暗闇に溶けていきました。

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