サイレンススズカと同棲する30日間   作:十六夜みやこ

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25日目

【1月25日】

 

「トレーナーさん……起きてください、トレーナーさん」

「んん……?」

 

 聴き慣れた透明な声が、ゆっくりと俺を眠りから覚ます。ぼやけた視界の端に、ふっとスズカの姿が映った。

 右目を人差し指でこすると、なんとか思考を言葉に乗せられる程度には意識が回復したので、彼女の呼びかけに答える。

 

「おはよう、スズカ。どうした?」

「どうしたって、もう八時を過ぎていますよ? いつもかけてるアラームの音も聞こえなかったし……このままだとお仕事に間に合わないと思って」

 

 どうやらスズカは、俺が目覚ましをかけ忘れていて、かつ起きてもこないから寝坊していると思ったみたいだ。基本的にそういったミスはやらかさないため、一層心配になったのだろう。

 

「そうか、スズカには伝えてなかったな」

「え?」

 

 首を傾げるスズカに対し、事情を説明する。

 

「今日と明日、俺たちトレーナーは臨時で休みなんだよ。校舎の大規模点検らしい」

「そうなんですか……?」

「ああ。トレーナー室にも入れないからな」

 

「なるほど」と小さく口にしたスズカは、疑問が解決してスッキリとしたような表情を見せた……かと思えば、何かに気づいたかのように小さく口を開き、へにょりと耳を垂らした。

 心優しい彼女のことだ。おそらく、知らなかったとはいえ余計なことをしてしまったのではないか、とでも考えているのだろう。

 その気持ちだけでも十分ありがたいと、自分なりのフォローを挟む。

 

「とはいえ、生活リズムも狂うし、いつまでもダラダラと寝てるわけにもいかないよな。起こしてくれてありがとう、スズカ」

「……! はい!」

 

 素直に受け取ってもらえたらしく、彼女の顔は晴れやかさを取り戻した。やはり彼女には、笑顔がよく似合う。

 それを確認してから、ゆっくりとベッドを下りる。そのままクローゼットから適当に私服を見繕い、いつも通りパジャマを脱いで──。

 

「わわ、ト、トレーナーさん……! そ、そんな大胆な……!」

 

 ──いつも通りではなかった。俺はまだ、寝ぼけていたらしい。

 

「ご、ごめん、すぐ出て行く……ってここ俺の部屋か」

 

 脱ぎかけていたパジャマをあわてて被り直す。寝汗ではない別の汗が、じわじわとインナーに染み入ってくる。

 

「わ、私が出ていきますので……! し、しつれいします……っ!」

 

 パニックになっている俺を、スズカが声を張って止めると、彼女はスタートダッシュ並の速度でリビングへと駆けていった。背後から見えたスズカの頬は、熟れたリンゴみたく真っ赤に色づいていた。

 

「……やっぱセクハラになるのか? これって」

 

 自身の過ちを振り返る。ドアを閉め、今度こそ私服に着替えながら、謝罪の言葉と責任の取り方をひたすらに考え続けた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「──先ほどは、大変申し訳ございませんでした」

 

 直立姿勢から直角に腰を曲げ、誠心誠意謝罪の意をこめて頭を下げる。彼女が本気で困りそうなので、土下座はさすがに止めておいた。

 

「いえ、そんな……頭を上げてください! ほら、私も以前やってしまいましたし」

「どちらにせよ、重罪なのは俺なんだよな」

「え? 私がトレーナーさんの着替えを見ても、トレーナーさんが私の着替えを見ても、トレーナーさんが悪いことになるんですか?」

「そうだよスズカ。それが社会なんだ、覚えておいてほしい」

「は、はい」

 

 どことなく釈然としない様子のスズカ。トレセン学園という女子校育ちの彼女には、あまり馴染みのない文化なのかもしれない。今回はある意味、そこに足元を救われたとも言える。

 

「それよりトレーナーさん。今日は何か、ご予定はあるんですか?」

「いや特には……あ、そうだ。さっきの話から持ってくるのもおかしいが、服でも買いに行こうかなって」

「服、ですか」

 

 今更ながら気がついたのだが、スズカに比べて私服のレパートリーがあまりにも少なすぎる。平日は仕事着であるワイシャツとジャケットくらいしか着ていなかったので、そこまで考えが回ることはなかった。

 別に悪いことではないし、さして興味があるわけでもないが、それでは人としての成長も止まるというもの。教え子であるスズカが、日々新たな知見を得て成長しつづけているのに、トレーナーの俺が言い訳ばかりで歩みを遅らせることなんて許されないだろう。

 ……などとカッコつけたものの、実際は彼女に同じパターンの服を見せつづていたことを自覚して、恥ずかしくなっただけである。

 

「適当にショッピングモールを見て回るだけだがな。まあ、昼までには帰ってくるはずだから」

「そうですか……それなら、私もついていっていいですか?」

「スズカも?」

「はい。私もそろそろ、春物をチェックしておきたくって」

 

 次の季節の流行を事前に抑えておくという、俺にとってはあまり馴染みのない文化に軽く驚きつつも「わかった」と答える。

 スズカと一緒なら、寒く寂しい行き帰りの時間も楽しくなるだろう。それに服選びに不慣れな自分にとって、第三者からの客観的な意見はとてもありがたい。

 

「なら、朝ごはん食べたら家を出ようか。歩いていけば、着くころには店も開いてるだろうし」

「ええ、そうしましょうか」

 

 予定を決めたところで、俺たちはいつものようにキッチンへと向かった。

 他愛もない雑談に花を咲かせながら調理をするひとときに、今日はお出かけへの期待というスパイスを加える。

 それはたまの贅沢であるからこそ、何気ない日常をたまらなく愛おしいものへと化かすのだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「さて、とりあえず着いたわけだが……ここって、こんなに洋服関連のお店多かったっけ?」

 

 入り口の自動ドアを抜け、すぐ右の壁に貼り付けてある案内板を見ると、男性向けと女性向けを合わせて十件以上、ブティックやらアパレルショップやらの名前と場所が記載されていた。

 

「結構な数ありますよね……でも、学園の子たちが行くようなお店はほんの数件ですし、そこには男性向けの服もたくさんあります。トレーナーさんさえよければ、その辺りをご案内するつもりです」

「お、お願いします」

 

 初っ端からご丁寧にエスコートされる始末。俺がひとりでここに来ていたら、店選びだけで午前中が潰れていたかもしれない。

 その後、ひとまず現在地から一番近い店に移動した俺たちは、事前にスズカが希望していたとおり、今シーズンの春物から物色することにした。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……まだかな?」

 

 スズカがいくつかの洋服を選定し、試着室に入って早十数分。

 いつ出てくるのかわからないのでその場で立ち尽くしていたが、そろそろスマホでやれることもなくなって手持ち無沙汰になってきた。

 一枚の布を隔てた向こう側では、スズカが自分に合う服をあれこれ試着した上で吟味しているのだろう。

 担当にこういった感情を持つのはよろしくないのだが……正直、彼女の新しい衣装を見るのが楽しみでしかたがない。腕組みをしている指先が自然と踊りだす。

 

「お、お待たせしました……!」

 

 歯切れよくカーテンを引く音とともに、スズカの声が聞こえた。

 

「ああ、終わったかスズ……カ……」

 

 振り向きざまに目に飛び込んできたのは、白一色の薄いトレーナーの上に桜色をしたカーディガンを羽織り、下はデニムパンツを身につけているスズカの姿。

 まさに春らしく、瀟洒なコーディネート。装飾の類はほとんどないが、そのシンプルさこそが、かえって彼女自身の魅力を最大限引き立てており──。

 

「あの、トレーナーさん……どうでしょうか……?」

 

 ──まるで、女神が現れたようだった。

 

「……可愛い」

 

 恐ろしいほど真剣に彼女を見つめたのち、本心がポロリと漏れる。

 

「えっ……!? あ、あ、ありがとうございまひゅっ」

 

 動揺で舌を噛んだらしく、痛そうに両手を口に当てているスズカ。

 

「どうした──って、あ」

 

 その様子を見てはじめて、自分の愚直な発言を省みることができた。

 

「い、今のは違くて。その、可愛いのはまったく違わないんだけど、なんというか、立場的にまずい気がして……いやでも、これくらいなら世間話の範囲か? と、とにかく変な意味はなくてだな」

「わ、わかってます……わかってますから、もうやめて……ま、まわりが……」

「周り?」

 

 促されるままに周囲を見渡すと、別の試着室から出てきた人、これから入るであろう人、それを待っている俺みたいな人。カウンターに常駐している店員。

 ──そのすべての人たちが、俺たちのやりとりを、微笑ましそうに眺めていた。

 

「……なんだか、デジャブを感じるぞ」

 

 たしかあれは、同棲を始めてから七日目の夜。校門でスズカと待ち合わせをしていたら、それを練習中のウマ娘たちに見られ、騒がれて──。

 

「い、行こうスズカ! とりあえず、この場を離れるぞ!」

「あっ……は、はい!」

 

 こうして、服屋の中での狭い狭い逃避行を繰り広げたところで、先ほど試着した一式だけを急いで購入し、そのまま店を出た。

 ふたりの顔に残る余熱は、しばらく引くことはなかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……重ね重ね、迷惑をかけて申し訳なかった」

 

 店の隅にある二人席に座りながら、俺は今朝からの数々の失態について、本日二度目の謝罪をした。

 

「そんな、迷惑だなんて。むしろその、うれし……というか」

「? すまん、なんて言ったんだ?」

「な、なんでもないです!」

 

 周囲の雑音にかき消されて後半は聴こえなかったが、とりあえず許してはくれたのだろうか。

 あの後、俺たちは他のブティックも何店か回って、スズカは新しくもう一着。俺は主にスズカに見繕ってもらうかたちで、洋服とズボンを数着ずつ購入した。

 その間も度々問題は起こったのだけれど、周囲の迷惑にはなってはいない……はずである。

 そうして一通りの買い物を済ませたら昼時になっていたので、施設内のハンバーガーショップへと足を運び、今に至る。

 

「というか、こんなチェーン店でよかったのか? 飯くらいなら、施設内のレストランとかでも俺が出すのに」

「ふぁい、ふぃふぃんふぇふよ」

「飲み込んでから喋ろうな」

「ふぁひ……」

 

 がんばって俺の質問に答えようとしてくれているのだろうが、口いっぱいに頬張られた肉肉しいハンバーガーがそれを阻止する。

 スズカはハムスターのようにすばやく咀嚼をして、それらを細かく噛み砕いてから飲み込んだ。そうしたら口の中が乾いてしまったのか、セットでついてきたドリンクを二、三口飲んだ。

 

「ふぅ……失礼しました。ええと、さっきの答えですよね」

 

 彼女はナプキンで口元を拭いてから、続ける。

 

「そもそも私は、トレーナーさんといっしょなら、どこに行っても楽しいんです。ここはよくてここはダメ、みたいな選り好みもないんです」

「そ、そうか」

 

 ドがつくほどの直球な返答に、つい照れてしまう。

 

「それに、こういったお店にふたりで訪れたことはなかったので、初めての経験が増えて嬉しいです……トレーナーさんは、どうですか?」

「俺は……」

 

 同棲を始める前、彼女はこれほどまでに、自分の気持ちをまっすぐに言える子だったろうか。

 成長そのものは喜ばしいのだが、その産物がトレーナーに向けるべき言葉であるかどうかはまた精査が必要だ。しかし、それはそれとして今は──。

 

「もちろん、楽しいよ」

 

 これくらいなら、嘘で塗り固める必要はないはずだ。

 

「ふふっ、よかった」

 

 彼女はそう言って微笑んだかと思えば、目の前のポテトを一本つまんで、

 

「はい、トレーナーさん。あーん」

 

 ……なぜか俺の口の前まで運んできた。

 

「えっと、この手は?」

「ピクニックのときみたいに、サンドイッチは難しくても……ポテトくらいなら、お友だち同士でもやりますよ?」

「いや、それは」

 

 料理の問題ではないのでは、と思った。

 

「そもそも俺たちは、お友だちというわけでも──」

「えいっ」

 

 話すために口を開けた一瞬の隙をついて、スズカがポテトを挿し込んできた。

 

「おいしいですか?」

「……ちょっとしょっぱいかな」

 

 雰囲気は、甘ったるくてしかたがないのだけれど。彼女はいつからこんな小悪魔になってしまったのだろう。

 そう悩む、俺を知ってか知らずか楽しげに見つめながら、スズカが尋ねてくる。

 

「トレーナーさん、この後も何か見にいきますか?」

「んー、そうだなぁ」

 

 貰ったポテトを噛み潰しながら、宙を見上げて勘案する。

 あれこれ脳内で検討するも、今日一日を踏まえて、出てきた答えはひとつしかなかった。

 

「よし! せっかくだし、スズカが普段行かないようなブランド店でも見てみようか。一着くらいならプレゼントするぞ」

「ええ!? そ、それはさすがに悪いです……」

「いいんだよ。俺がスズカのファッションショーを見たいんだ。ポテトのお礼にでも、どうだ?」

「……釣り合ってるわけないじゃないですか、もう」

 

「しかたのない人」とでも言いたげに、スズカはくしゃりと笑う。

 ……本当に釣り合っていないのは、自分のほうだ。

 担当もつかず、ひたすらに事務作業をこなすだけだった灰色の日々を彩りのあるものに変えてくれたのは、紛れもなく彼女の存在だった。裸体のように何もなかった俺の人生に、華やかな着付けを施してくれたのだ。

 だからこれは、せめてもの恩返し。

 レースを走るウマ娘として、すでに美しくある彼女を──”サイレンススズカ”というひとりのウマ娘としても、より美しく着飾らせること。

 これがトレーナーである俺にできる、精一杯のコーディネートだ。

 

「さ、そうと決まれば、ちゃちゃっと食べて出かけようか」

「はい……ふふ、トレーナーさんが休みだと、ほんとうにいつも楽しくなるのね」

 

 おしゃべりをして乾いた口に、さっさと次のひとくちを受け入れる準備をするように、俺たちは同じタイミングでジュースを飲んだ。

 口の中は、やけに甘ったるかった。

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