サイレンススズカと同棲する30日間   作:十六夜みやこ

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29日目

【1月29日】

 

「こ、ここが……」

「温泉旅館、ですね」

 

 何本もの電車を乗り換えて、県を二つまたいだ末にたどり着いた温泉旅館は、想像を遥かに超える大きさだった。

 慰安旅行に人気という噂は聞いていたものの、名城を思わせるような威厳のある正門の迫力は並ではなく、緊張感すらも湧いてくる。それでもほんのりと肌に触れる温泉の熱気が、ここがリラクゼーションの場所であることを教えてくれるようだった。

 

「こんな豪華な旅館、本当に無料で泊まっていいのかな」

「それはまあ、そういうシステムですし」

「だ、だよな」

 

 普通に泊まったらいくら掛かるのか、と考えて身震いする。正当に勝ち得た権利ではあるものの、自分には明らかに不相応であるように思えて、どうにも気後れしてしまう。

 

「トレーナーさん」

 

 尻込みをしてその場に立ち止まっていると、スズカは何かを察したように微笑んで、

 

「もっと自分に自信を持ってください。トレーナーさんみたいな、かっこよくて優秀な人をハブろうとするお店があるとしたら、そのお店がひどい店というだけなんですから」

 

 と、言った。

 

「……似たようなセリフ、どこかで聞いたな」

「あなたが言っていましたもの」

 

 振り返ってみると、かなり恥ずかしいことを言ったと思う。それでも、あのとき紡いだ言葉は確かに彼女を励ますことができていて、だからこそ今、こうして自分にも伝えてくれたのだろう。そうだとしたら、素直に受け取らないというのも道理に合わないはずだ。

 

「ありがとうな。よし、行こうか」

「ええ」

 

 引き戸を開けて、石畳が敷かれた玄関に入る。靴箱に脱いだ靴を入れて、用意されていたスリッパに履き替えると、華やかな着付けをした女性がそっと曲がり角から現れて、出迎えの挨拶をしてくれた。名前と宿泊期間の確認を終えると、そのまま予約していた部屋へと案内してくれた。

 

「それでは、失礼いたします」

「はい。ありがとうございました」

 

 スーツケースを壁に立てかけてから、座椅子へと腰を下ろして一息つく。長旅と言うほどでもないが、そこそこの荷物を伴っての移動はどうしても疲れてしまう。

 帰るのが億劫だな、などと考えながらくつろいでいると、

 

「トレーナーさん、入ってもいいですか?」

 

 襖の向こう側から、スズカの声が聞こえた。

 

「どうぞ」

 

 返事をすると静かに襖が開き、彼女が部屋に入ってきた。

 ……なぜか頬を膨らまして、不満そうな面持ちを浮かべながら。

 

「スズカ?」

「……はい」

「ど、どうかしたのか?」

 

 困惑しながら尋ねる。

 

「聞いてないです」

「なにが?」

「相部屋じゃないなんて、聞いてないです」

「当たり前だろ」

 

 何のためにチケットが二枚もあると思っているんだ。

 そもそも一般的には、トレーナーと現役のウマ娘が温泉旅行に行くことなんてありえない。つまりこの状況だけでも、十分に特異的なのだ。そのうえ、相部屋を取っているともなれば……まあ、バレたらスキャンダルは間違いないだろう。そうならないことを祈るしかない。

 

「いつも一緒に寝てるのに……」

「いいだろ一日くらい。それより、温泉はどうする? まだ昼過ぎだけど、試しに入ってみるか?」

「そうですね。多少は汗もかきましたし」

「なら行ってみるか。楽しみだな」

「ちなみに混浴ですか?」

「なわけないだろ」

 

 あからさまに驚いた顔をしているスズカを部屋に送ってから、スーツケースを開けて必要なものを取り出す。とはいえ、ボディソープやシャンプーは備え付けのものが。着替えは貸出用の浴衣があるみたいなので、持っていくものはせいぜい下着くらいしかなかった。

 色付きの袋に入れたのち、それを小脇に抱えて廊下に出ると、スズカはすでに部屋の前で待機していた。

 

「悪い、待たせた」

「いえ。では行きましょうか」

 

 陽気が差し込む渡り廊下をのんびりと歩く。窓越しに外を覗くと、麓にある街の景色が一望できた。普段は内側にいる場所を遠くから眺めると、途端にオブジェクトの集積にしか見えなくなって、今いる場所が世界の中心であるかのように思えてくる。

 自分たちも、あの街から眺める人々にとってはオブジェクトにしか見えないのだろうか。遠くの街の人だけでなく、こんなにも近くですれ違う他の宿泊客や、従業員の人たちにとっても。

 俺たちはこんなにも日々を楽しんで、全身で今を感じているのに、本質的には誰の目にも映ることはない。そうだとすれば、世界にたった二人きりになるのは案外簡単なことなんだな、と思った。

 

「あ、ここですね」

 

 スズカが立ち止まる。

 

「じゃあ、ひとまず別れようか。飯まではだいぶ時間があるから、終わったら卓球でもしよう」

「いいですね。それなら、集合場所は卓球台の前にしましょうか」

「了解。また後で」

 

 俺たちは別々の暖簾をくぐって、脱衣所へと入っていった。

 不思議なことに、たまの温泉に入ることよりも、卓球場で彼女と再開することのほうが楽しみだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「いやー、遊んだ遊んだ!」

「ですね……また、汗かいちゃいました」

 

 畳の上に大の字で寝転がりながら、ふうと息をつく。机を挟んだ向こう側からパタパタと音が聞こえるのは、スズカが浴衣の襟で顔を仰いでいるからだろう。

 施設内は想像以上に遊べる場所が多く、卓球にはじまり、ゲームコーナー、カラオケ、ダーツなどの施設を転々としているうちに、気づけば日が暮れてしまっていた。入浴時間よりも、スズカと遊んでいる時間のほうがよほど長かった。

 

「そうだ、もうすぐ夕飯の時間だった。部屋にもどったほうがいいんじゃないか?」

「大丈夫です。女将さんに、私のぶんはこの部屋に運んでもらうようお願いしておきました」

「判断が早い」

 

 ひとりで食事をするのも味気ないとは思っていたので、ありがたくはあるのだけれど。一体いつの間に話をつけてきたのやら。本当に、好きなことに対しては一途なようだ。

 

 ……好きなことには一途、か。一歩引いて見れる立場かよ、俺は。

 

「お待たせしました」

 

 襖がゆっくりと開き、女将さんと、従業員らしき女性の姿が複数人見えた。ちょうど食事の時間になったようだ。女将さんたちは見事な連携で瞬く間に配膳を終えると、一礼をして部屋を出ていった。

 

「わぁ……おいしそう」

 

 スズカの声につられて料理に目をやると、彩り豊かな和食の品々が並んでいた。一品一品が緻密に組み立てられた芸術品のようで、眺めているだけでも胸がいっぱいになりそうだった。

 

「たしかにうまそうだ……名前はまったくわからないけど」

「ふふっ、私もです」

「とりあえず食べようか。それじゃあ──」

 

 いただきます。声を合わせて合掌をしたのち、手元の生野菜らしきものへと箸を伸ばした。

 

「すごいな、臭みがまったくない。野菜ってこんなに味わい深かったのか」

「どれどれ……あ、ほんとうですね。素材そのものの旨味って感じがします」

 

 未知の料理に舌鼓をうちながら談笑していると、不意にスズカは会話を止めて、

 

「トレーナーさん、肉じゃがもありますよ」

 

 と、言った。

 

「え、まじか。こっちにもある?」

「ほら、左肘の下あたりに」

「ほんとだ、見えなかった。ようやく知ってる料理がでてきたな」

 

 些細な安心感を覚えながら、ごろっとしたジャガイモを口に入れる。柔らかく、味がよくしみていた。それなのにまったく煮崩れしておらず、調理技術の高さに思わず唸ってしまう。

 

「そういえば、私たちが初めて食べた料理も肉じゃがでしたよね」

 

 懐かしむようにスズカが言う。

 

「ああ、初日の夜な」

「はい……あのときはたしか、トレーナーさんが包丁で指を切っちゃって」

「そんなこともあったなぁ。あれ以来、野菜を切るときは注意深く扱うようになったんだよな」

「私も、料理中はあまり喋らないようになりました」

「今となっては笑い話だけどな……そうだスズカ、覚えてるか?」

「何をですか?」

「初めて一緒に寝るときに、お互いすごく緊張してたこと」

「ええ。それはもう、はっきりと」

「だよなぁ。結局あの後、二時間くらい寝付けなくってさ。それでもいつの間にか慣れてたんだから、人間ってすごいよな」

「……そうですか」

 

 最後のひとかけらを口にを放り込む。食事は思っていたよりも量が多く、少しばかりの苦しさに襲われた。あぐらを組んで、突き出たお腹をさすりながらスズカのほうを見ると──彼女は正座の姿勢を崩さぬまま、意味深く微笑んでいた。

 どうしたのだろう、と思っていると、彼女がおもむろに口をひらいて、

 

「私はまだ、これっぽっちも慣れてませんよ」

 

 と、口にした。言っている意味がわからなかった。だって、もう、二十九日も──。

 

「一緒の布団に入るとき、私はいつも緊張していました。心臓はバクバクと高鳴って、呼吸は浅く、思考はぐちゃぐちゃになりました。あなたの体温を、匂いを、息遣いを間近で感じるたびに……」

 

 混乱する俺をよそに、スズカはそっと窓の外を見つめる。

 

「今夜は、良く晴れていますね」

 

 そのまま彼女は立ち上がり、

 

「少し、ついて来てくれませんか?」

 

 と、誘った。

 俺は、黙ってうなずくことしかできなかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 田舎道の空気は澄み切っていた。建物や街灯が少ないことも合わさって、空を仰げば都会とは比べ物にならないほどの星々が見えた。星座のことはてんでわからないが、その配置はどこか調和が取れているように感じられた。

 

「初めてトレーナーさんと出会ったのも、今日みたいに美しい星空が見える夜でしたね」

 

 隣を歩くスズカが、楽しそうに笑う。

 

「昨日のことのように思い出せるよ。あのときはまだ、だいぶ警戒されてたような」

「しかたないでしょう……初対面でじいっと見つめられたかと思えば、『楽しそうに走ると思って』なんていきなり言われたんですから」

「いや、悪かったよ。あの後、不審者みたいなことをしてしまったと反省したんだ。もう二度とやらないさ」

「そうですね。それで引っかかる娘なんて、きっと私くらいしかいませんから」

「はは……そうかもな」

 

 もしもあのとき、気まぐれでトレーニング場を覗きにいかなかったら。

 少しだけ時間が早かったら。遅かったら。別の場所を見に行っていたら。彼女に声をかけなかったら。違う言葉をかけていたら。

 この満天の星空だって、目にする機会はなかったのだろう。

 

 思えば彼女は、いつも俺に上を向かせてくれた。

 

 彼女が空を仰いでいたから、俺も星空の美しさに気がついた。

 彼女が高みを目指していたから、俺も向上心を持つことができた。

 彼女が俺を愛してくれたから──俺も、恋に逆上(のぼ)せることができた。

 

 その一方で──俺は、彼女に何をしてあげられた?

 

 トレーニングメニューの考案? 俺よりも上手に組める人はいくらでもいた。

 備品の調達や諸々の手続き? 所詮は業務の一環であって、感謝されるようなものではない。

 日々のボディケア? それができなかったから、彼女は今、こうして休養を余儀なくされている。

 

 俺はただ、彼女の背中に乗せてもらっていただけだ。一緒に走っているように見えて、その実、重りとなって彼女の足を引っ張っていただけだった。

 

 わかっていた。俺自身が成長しなければいけなかったことくらい。わかっていたから、努力はした。やれることはすべてやってきた。それでも、追いつけなかった。成長の歩幅が違った。どこまでいっても凡人の俺は、彼女の影を踏むことすらもできなかった。彼女が日々大人に近づいているのに対して、俺はいつまでも子供みたいに地団駄を踏んでいた。

 

 俺がここまでトレーナーとしてやってこれたのは、ひとえにスズカの優しさのおかげだった。

 スズカが、俺を必要だと言ってくれたから。他のトレーナーよりも、俺がいいのだと言ってくれたから。

 そんな耳あたりのよい言葉だけを都合よく信じて、がむしゃらに走りつづけてきた。畢竟、それは他責思考の醜い行動でしかなかった。

 

 唯一誇れる点と言えば、彼女の笑顔を絶やさなかったことくらい。

 

「トレーナーさん」

 

 でも、そのせいで、スズカは──。

 

「私、あなたのことが好きです」

 

 俺のことを、好きになってしまったんだろうな。

 

「気がつけば、あなたのことを目で追うようになっていました。トレーニングだけでなく、ずっと一緒に居たいと思うようになりました。独りよがりで追求していたはずの景色を、あなたと分かち合いたいと考えるようになりました」

 

 星空の下、ぴたりと立ち止まった彼女は続ける。

 

「不器用ながらも、アプローチを繰り返しました。多分、いくつかは気づいてくれたと思います。それでも、変わらない優しさで接してくれるあなたに歯がゆさを覚えながらも、どこか安心した心持ちで、今日まで過ごしてきました。つまり私は──あなたの優しさを言い訳に、一歩踏み込むことから逃げていました」

 

 スズカが拳を固く握りしめる。まるで自分の過去を悔やむみたいに。

 

「だけど、それではダメだと思ったんです。逃げという走りが成り立つのは、あくまでも追いかけてくれる相手がいるから。この恋においては、私は追いかける側。必死に背中にくらいついて、あなたと横に並ばなければいけない。そして、その先はふたりで、肩を並べて歩いてゆきたい」

 

 そう思ったら──居ても立ってもいられませんでした。

 彼女は微笑みながら、そう口にした。

 

「あなたはトレーナーとして、担当ウマ娘である私と真剣に向かい合ってくれました。決して目をそらさず、正面から堂々と。ほんとうに嬉しかった」

 

 胸に手を当てながら、回顧や感謝をぎゅっと詰め込むように言葉を紡ぐ。

 

「ですが……向き合ったままでは、触れ合うことはできません。腕を絡めて、同じ方角を向くことはできないんです」

 

「だから、──さん」彼女は俺の名前を呼んでから、息を大きく吸って、

 

「”トレーナー”と”担当ウマ娘”を──”教師”と”生徒”という立場を飛び超えて。一恋人(パートナー)として、私と添い遂げてくれませんか」

 

 ──俺に、告白をした。

 

「返事は、今すぐがいいです」

 

 凛とした表情を浮かべてはいるが、その裏にはとてつもない恐怖と葛藤があったのだろう。震える彼女の指先が、それを証明している。

 なんにせよ──ここまで勇気を振り絞って告白をしてくれた彼女に対して、何も応えないのは不誠実だった。

 

「スズカ」

「っ、はい」

 

 衝撃に備えるように拳を握るスズカを見ながら、俺は静かに口を開く。

 

「俺も、スズカのことが好きだ」

「へ?」

「だから……両想い、ってやつになるのかな」

「あ、え……ぅえ……っ!?」

 

 スズカは文字にできないような奇声をしばらく発したのち、顔全体を余すことなく真っ赤に染めて、「いつから」と消えそうな声で訊いてきた。

 

「気がついたのは、同棲の最中だ。ふと自覚した瞬間があってな。だけどまあ、それ以前から好きではあったんだと思う。正確にいつからってのはわからないけど」

「そ、そそ、そうなんでしゅねっ」

 

 ろれつが回らないスズカを微笑ましく思うのと同時に、胸を突き破りそうなほどの罪悪感に襲われる。今から俺は──この笑顔を、ぶっ壊さないといけないのだから。

 

「そういうわけで、スズカの告白は本当に嬉しかった。俺だって何もなければ……この先も、足並みそろえて生きていきたかったよ」

「……何もなければ、って」

 

 彼女の指先が震える。そこから先の言葉を、最悪の未来を悟ってしまったように。

 

「俺は、スズカと付き合うことはできない」

 

 短く、しかしはっきりと伝える。これは、あらかじめ決めていたことだった。

 

「なん、で」

 

 尋ねる彼女の呼吸は浅く、目の焦点も合っていない。足はふらつき、肌は先ほどまでの赤らみが嘘のように青白く張り付いている。

 

「あなたがトレーナーで、わたしが生徒だから?」

 

 ──違う。

 

「わたしが、未成年だから?」

 

 ──そうじゃない。

 

「なら──」

「釣り合わないからだよ」

 

 被せるように言い切って、続ける。

 

「俺なんかじゃ、スズカの才能に釣り合わない。足をひっぱりたくないんだよ。だってお前は──サイレンススズカというウマ娘は、この先もっと大きな舞台へと羽ばたいていくはずなんだ。それを隣で支えるのは、俺のようなスズカにおんぶにだっこな凡人ではいけないんだよ」

 

 嘘偽りのない本心を述べる。自分のエゴで、彼女の可能性を閉ざしてしまうことなんて、あってはならないのだから。

 

「そんなことありません! だって、あなたは現に、いくつものレースで私を勝たせてくれました!」

「それは、スズカの地力に助けられただけだ」

「日々のケアだって、とても丁寧に……!」

「できていなかったから、怪我をさせてしまった」

「っ、それでも」

 

 スズカはぐっと歯を食いしばってから、

 

「あなたは確かに、私を救ってくれました」

 

 と、両目に涙を浮かべながら言った。

 

「あなたがいたから、走る楽しさを思い出せました。あなたがいなかったら、私はメイクデビューすらできずに学園を去っていました」

 

 震える声は、少しずつくしゃくしゃになっていって。

 

「あなたがいたから──恋心を、成長の糧にすることができました」

 

 その言葉を皮切りに、彼女は一歩ずつ距離を縮めて──俺の胸へと顔を埋めた。

 

「だから、どうか自分を卑下なさらないでください。私がいま立っている場所は、あなたの存在なしにはたどり着けませんでした。あなたの考える私の未来だって、あなたがいないと成り立たないんです」

「スズカ……」

「あなたがいいんです。あなたでなくてはダメなんです。至らない点があれば直します。今はまだ子供でも、努力して、立派な大人になります。なりますから……!」

 

 幼子のように泣きじゃくりながら、彼女は訴える。大切な何かを失わないために。

 

 ……俺は、間違っていたのだろうか?

 

 過去は過去だと、割りきればいいだけだ。俺がどれだけ彼女の力になれていたとしても、そこから別の人物に乗り換えてはいけない決まりなんて存在しないのだから。

 むしろ、当の本人が乗り換えるように推薦しているじゃないか。

 俺よりも優秀で、お前の未来を光あるものにしてくれる、そんな誰かに。

 

 それなのに、なんだよその顔は。俺が隣にいなければ、お先真っ暗みたいな顔をして。

 

 ふざけんなよ。俺だって、お前と同じ気持ちだったのに。

 

 お前のいない未来に、価値なんかないと思っていたのに。ようやく、そんなクソみたいな未来を受け入れる覚悟ができたのに。

 これじゃあ、なんのために気持ちを押し殺してきたのか、わからないじゃないか。

 

「なあ、スズカ」

 

 彼女は視線を上げて、俺の目を見つめた。

 

「俺は、ろくな人間じゃないぞ」

「はい」

「特別な才能もないし、そのうえ甲斐性なしだ。告白だって女の子に先に言わせるような臆病者だし、いい年してまともな交際経験もない。不良物件と言っても過言ではない」

「はい」

「そんな俺が恋人で、いいのかよ」

 

 そう尋ねると──スズカは小さく笑ってから半歩ほど下がり、人差し指で涙を拭ってから、言った。

 

「そんなあなたのことが、好きなんです」

 

 ──ああ、そうか。

 やっぱり俺は、彼女には敵わないんだ。

 

「卒業」

「え?」

「正式に付き合うのは、スズカが学園を卒業してからだ。それまでは恋人らしいことも禁止。人前で、いつボロがでるかわからないからな」

「じゃあ……!」

「まあ、なんというか」

 

 ──こんな俺でよければ、よろしくお願いします。

 

「~~っ、トレーナーさん!」

「うおっ!?」

 

 突如、スズカが俺に向かって、体当たりをするように勢いよく抱きついてきた。

 よろめきながらもなんとか踏みとどまったのち、彼女を抱き返す。

 人目なんて知ったこっちゃなかった。今の俺たちは──確かに、この世界で二人きりになっていた。

 

「嬉しい……夢じゃないんですね……!」

「大げさだなぁ。というか、今までも恋人と対して変わらないことやってきたじゃないか」

「それはそうなんですけど……でも、やっぱり今日は特別です」

「ああ、そうかもな」

 

 彼女の体温に身を包まれていると、胸の中で黒い塊が溶けていくような気がした。

 それは、自分はスズカと一緒にいるべきではないと考えて以来、封じ込めてきたいくつもの感情。嫉妬、後悔、自責、無力感──そして罪悪感。彼女と共に過ごすなかで、心が壊れてしまわないよう、必死に目を背けてきたものだった。

 

 根本的な問題が解決したわけではない。能力的、精神的に未熟であることに変わりはないわけで、この先も彼女の足をひっぱってしまうこともあるかもしれない。

 

 それでも、きっとなんとかしてみせよう。他の誰かに任せるのではなく、自分自身で努力して。だって俺は──サイレンススズカの、恋人(パートナー)なのだから。

 

 俺たちは今宵、初めて身体を向かい合わせながら、抱きしめあって眠った。

 

 今だけは、寒さも立場も忘れて。

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