サイレンススズカと同棲する30日間   作:十六夜みやこ

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3日目

【1月3日】

 

「暇、だな」

「そうですね……」

 

 新年を迎えてはや三日。

 初めこそのんびりとした雰囲気を楽しんでいた人々も、徐々に日常の喧騒へと戻りつつあるなかで、俺とスズカはそんなものお構いなしに、こたつに入りながらダラダラと余暇を過ごしていた。

 

「スズカは休養期間だし、俺も仕事休みだしやることが……あれ? もしかして俺たち、趣味とか何もなかったりする?」

「さすがにそんなことは……」

「ならスズカは普段の休みに、走ること以外で何してるんだ?」

 

 そうスズカに尋ねると、彼女は数秒考え込んだのち、

 

「……歩くこと?」

 

 と、答えた。

 

「なんというか、ジジくさい趣味だな……」

「むぅ。なら、トレーナーさんは何をしてるんですか?」

 

 彼女が頬を膨らませながら言う。

 

「えーと、ユーチューブで動画見たりとか」

「なんの動画ですか?」

「……レース映像?」

「似たようなものじゃないですか」

 

 ぐうの音も出なかった。

 仕事に生きる、といえば聞こえはいいが、実際は無趣味かつワーカーホリックなだけである。

 しかしスズカはともかく、教育者の立場である俺がここまで無趣味というか、遊び心を持たないのはある意味問題なのではないか。

 趣味があれば偉いというわけではないが、教育者の仕事とは、教養に限らず人生の楽しさや見知らぬ面白さを教えることにもあると、俺は考えている。

 となると、仕事のこと──この場合はトレーニングくらいしか教えられるもののない俺は、つまるところ二流以下の教育者ということになってしまうわけで。

 これでは担当の子に申し訳が立たない。どこかの一流のお嬢様が聞いたら、ため息を吐かれてしまうだろう。

 

「……急に静かになって、どうしたんですか?」

 

 スズカの呼びかけで、ハッと我に返り──そして決意をする。

 

「作ろう」

「え? 何をですか?」

「趣味、作ろう」

「……はい?」

「だから、今から新しい趣味を開拓するんだよ。やっぱり人生には遊びも必要だって」

「はぁ……」

 

 スズカが怪訝そうな面持ちで俺を見る。

 だが、そんなことは関係ない。思い立ったが吉日。今が人生で一番若いのだ。そして、何かを始めるのに遅すぎるということはない。

 

「スズカ……俺も、一流になってやるからな!」

 

 ほとばしる情熱を持ってこたつから抜け出し、声高らかに宣言する。

 

「……えぇと、がんばってください?」

 

 それを聞いたスズカは、より一層首を傾げ、不可解な表情を浮かべていた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「趣味と言っても種類が多すぎて、これって決めるのは難しそうですよね」

「そうだなあ」

 

 結局のところ、趣味に明確な定義などはなく、ある意味では言ったもの勝ちの単語だ。

 特定の地位やステータスを表しているわけでもないので、”友情”という単語と同様に、非常に曖昧で大雑把なものである。ゆえに、いざ自発的に探そうと思ってもなかなかに難しい。

 

「あえて大きく分けるとしたら、アウトドアとインドアとかか?」

「そうですね。あとは一人でやるものか、みんなでやるものか、とかでも分けられる気がします」

「なるほど。同じインドアでも、ボードゲームと読書みたいに、誰がメインなのかは異なるわけだしな」

「はい……トレーナーさんは、アウトドアとインドアだったらどちらをやりたいんですか?」

「ううむ」

 

 スズカに訊かれて、腕を組みながら考え始める。

 

「スポーツとかキャンプみたいなのも嫌いではないけど、仕事でへとへとになった後にやりたいかというと……」

「でもトレーナーさん、デスクワークだけの日もあるじゃないですか。そういう日はむしろ、体を動かしたほうがいいのでは?」

「それもそうだなぁ。そもそも、体力をつければ疲れにくくなって、結果的に仕事の効率も上がるわけだし……筋トレでも始めればいいのか?」

「いいじゃないですか、筋トレ。私をひょいとお姫様抱っこできるくらいには、筋力つけていただかないと」

「そんなことやる機会ないだろ」

「……冗談、ですよ」

 

 何、今の間。怖いんだけど。しかもスズカ、ちょっと怒ってない?

 

「ともかく、です。トレーナーさんは職業柄、身体の鍛え方については詳しいはずですよね? せっかく大きなアドバンテージを持っているんですから、それが活かせる筋トレなんかは、きっと夢中になれると思いますよ」

「一理あるな」

 

 言われてみれば、どうしてそんな当たり前のことに気が付かなかったのだろう。

 仮にもプロとしてトレーニングを指導している俺なら、ボディメイクにおいては他の趣味よりも比較的上達が早く、楽しめるに違いない。

 そもそも俺が貧弱なのは、トレーナーになるとを決めてからの勉強が忙しすぎただけで、運動そのものは嫌いではない。モチベーションの観点から見ても、筋トレとの親和性も悪くないだろう。

 

「よし、俺はやるぞ! 見る女の子みんなが振り向くような、そんなパーフェクトボディになってやる!」

「……いいです」

 

 そう言って拳を掲げたのも束の間。スズカが何かをぽつりと呟いた。

 

「ん? なんだって?」

「そこまでは、しなくていいです」

「え、どうして?」

 

 不意に水を差された。何故だろう。最終目標は高く持つに越したことは無いはずなのに。

 

「……他の女の子たちには、モテちゃダメです。トレーナーさんのかっこよさがわかるのは、私だけでいいんです」

 

 そっと目を伏せながら呟くスズカの顔は、熟れた林檎のごとく真っ赤に染まっていた。

 

「ス、スズカお前……」

「あ、いや、今のは、そのですね」

 

 口を滑らせたと言わんばかりに、我に返ってあわてふためくスズカ。

 

「俺のこと、そんな風に思ってたのか」

「あああ、そのぅ……」

「なあ、スズカ」

「は、はい……っ!」

 

 依然として顔を赤熱させている彼女は、尻尾をピンと張り、俺の返事を今か今かと待っている。

 どうしてそこまで身体をこわばらせているのかはわからないが、ひとつ疑問に思ったことを尋ねる。

 

「俺ってかっこいいというよりは、かわいい系じゃないのか?」

「……はい?」

 

 そう問いかけてみると、スズカは鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せて。

 

「だってさ、俺ってどちらかと言えば童顔じゃん? まあ声は低いけど、高校生になっても周りからは可愛い男子扱いだったぞ。かっこいいだなんて、一度も言われたことないし」

「いや、あの……え?」

 

 彼女の顔から、赤みがすっと引いていく。

 

「この前カレンチャンと話してたときも、何故かカワイイって……あれ、スズカ? どこいくんだスズカ? おーい!」

「……知りません。自分の胸に手を当てて考えてみてください」

「な、なんで!?」

 

 突如立ち上がったスズカは「散歩に行ってきます」とこちらを振り向かずに告げて、玄関のドアを開けてどこかへ行ってしまった。

 申し訳ないことに、いくら心臓に手のひらを押し付けても、乱れ気味の鼓動以外には何もわからない。

 

「これ、俺が悪いのかな……」

 

 考えても一向に答えが出ないので、ひとまず腕立て伏せでもして気を紛らわせることにした。

 暗くなる前には、帰ってきてくれるだろうか。そうだとしたら、それまでに考えておかないといけないな、と思った。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……はち……きゅう……じゅうっ……! これで三セット終わり!」

 

 ウォームアップに動的ストレッチを数種類こなしてから、腕立て伏せの十回×三セットを終わらせた。

 一呼吸置いた後に汗を拭いて、用意しておいたスポーツドリンクで水分補給をする。

 

「筋トレって、俺みたいな運動不足の人間がやっても気持ちいいものなんだな。ランニングや筋トレのブームが絶えないわけだ」

 

 趣味探しの一環として、そしてあわよくば体力の向上にでもなればと始めた筋トレだったが、むしろ醍醐味としては、やり終えた後の爽快感にこそあるのかもしれない。

 床さえあれば取り組めるという手軽さもあるし、これは本格的に趣味にくわえてもいいかもしれない。

 

「……運動で頭をリフレッシュさせれば、何をやらかしたのかわかるかと思ったんだけどなぁ」

 

 そう──この筋トレは、暇つぶしや趣味の探求といった行為には変わりないのだが、目下の目的としては、行き詰まった思考をリセットするためだった。

 ふと下校中に、先ほど解いていたテストの答えを閃いた……といった体験があるように、人はどういうわけかまったく違うことをしている最中に、未知のアイデアが時を超えて発芽することがある。

 運動でその現象を起こせないかと思ったが、そう簡単に上手くいくわけないか。

 

「量が足りてないのかもな。次も定番だが、腹筋でも……って、あれ?」

 

 きぃ、と鈍い音を立ててドアが開く。

 スズカが散歩──いや、家出?──から帰ってきたようだ。

 ……が、先ほどの一件のせいで少々、いや正直言ってかなり気まずい。こちらはいまだに、何が悪かったのかすらもわかっていないのに。

 

「えっと、ただいま帰りました……」

「あ、うん、おかえり……」

 

 やはりというべきか、お互いの会話がぎこちない。

 スズカと喧嘩なんてしたくはないし、これ以上拗らせたくもない。とはいえ、原因がわからない以上、俺にできることはひとつしかないわけで……。

 

「あの」

「あ、あの」

 

 声が重なり、そして沈黙も重なる。漫画かよ、と思った。

 

「では、私から……トレーナーさん。先ほどはすみませんでした」

「え?」

 

 どうしてスズカが謝るのだろう?

 予想もしていなかった言葉に驚き、とぼけた声を出してしまう。

 

「トレーナーさんは何も悪くないのに、一方的に八つ当たりみたいな真似を……ほんとうに、申し訳ありませんでした」

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 スズカが深々とお辞儀をする。その姿を見れば、本気で誠意を込めていることはよくわかった。

 しかし、俺が悪いはずの問題で、教え子に無意味に頭を下げさせるわけにはいかないと考え、必死に遮る。

 

「そんなことしなくていいから! きっと俺が、何か触れたらまずいことを言ったんだろ? むしろこちらこそ、察せなくて申し訳ないというか」

 

 おそらく頭を下げなければいけないのは、俺のほうなのだから。

 

「い、いいんです! 気づいていないならそのままにしておいてください! わ、私が悪かったんです、だから、もう考えないで!」

「え、ええ? だってスズカ、家出るとき『胸に手を当てて考えてみてください』って言ってたじゃん」

 

 ちぐはぐな言い分に、ついツッコミを入れる。

 

「いえ、その……あのときは冷静じゃなかったですし……むしろ、考えられたら困るといいますか……」

 

 こちらに聞こえるか聞こえないかといった声量で、何かをごにょごにょと囁くスズカ。

 

「と、とにかく、私が悪かったので、トレーナーさんは気にしなくて大丈夫です! お願いします!」

「そ、そう……わかったよ」

 

 そんな彼女がめずらしいことに、涙目になりながら声を張り上げる様子を見たら、さすがに折れないわけにはいかなかった。

 

「ならまあ、これで仲直りってことにするか」

「ええと、許してくれるんですか……? 私がやったことって、冤罪もいいところだったのに」

「許すも何も、俺の発言から始まったのは事実だし。むしろ俺こそ謝らないといけないんじゃないかって今でも思うけど、お互いそう感じてるらしいからな。それなら、ここで終わりにするのが一番いいんじゃないか」

 

 そう返すと、スズカは「ありがとうございます」と小さく微笑みながら言った。

 

「……そういうところが、かっこいいんですよ」

「またそれか。もっかい同じことやる気か?」

「し、しません! トレーナーさんのいじわる……」

 

 俺たちは、どこまでいっても完璧にはなれない。いつかふたたび、今日みたく間違いを犯し、揉めてしまうこともあるかもしれない。

 それでも、短絡的な思考に惑わされず、常に心を開き、相手を理解しようと努める。

 その瞬間を積み重ねてゆけば、二人を阻むように作られたゲートも必ず開く。そう信じている。

 当たり前だけど、大切なこと。それを思い出せただけで、有益な一日と呼べるのかもしれない。もちろん、できることなら末永く、仲良しのままでいたいのだけれど。

 

「……あ、そういえば、腕立て伏せで胸筋が結構パンプアップしたんだけど、俺の胸に手を当ててみない?」

「そこで繋げてきます? ふつう」

 

 ……狂人を見るような目で見られた。

 やはり先ほどの件は、俺が悪かったのかもしれない。

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