サイレンススズカと同棲する30日間   作:十六夜みやこ

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9日目

【1月9日】

 

 午前九時三十分。スズカと二人で駅周辺を散歩していると、まだ着慣れていないであろうパリッとしたスーツに包まれた青年や、きらびやかな振り袖をその身にまとった女性たちが周囲を埋め尽くしていた。彼ら彼女らの快活な笑い声は、まるで寒さなんてどこかに跳ね除けてしまいそうなほどに力強く、そして暖かかった。

 

「今日って何かあったっけ?」

「ほら、成人の日ですよ」

「……ああ! もうそんな時期か」

 

 スズカに言われて、ようやく思い出す。今日が祝日であることは覚えていたのだけれど、その理由にまで考えを巡らせてはいなかった。

 

「みなさんとても綺麗ですね。着付けはもちろん、髪飾りやお化粧も」

「ほんとな。やっぱりスズカも、こういう行事には憧れたりするのか?」

 

 俺が何気なく口にすると、スズカは気まずそうに眉をしかめて、

 

「そう、ですね」

 

 と、言葉を詰まらせた。

 何かまずいことでも言ってしまったのかな、と考えていたら、スズカはそれを察したように、

 

「あ……な、なんでもないです。気になさらないでください」

 

 と言った。そう言われても心配なものは心配なのだが、ここで無理強いすることでもないと考えて、「わかった」と短く返した。

 

「そろそろ、お家に戻りませんか?」

「そうだな。本格的に寒くなってきたし、早く帰ってあったまろう」

「ですね」

 

 俺たちはくるりと後ろを向いて、そのまま来た道を引き返していった。

 辺り一面にはびこる笑顔のせいで、先ほどのスズカの曇り顔が、より一層頭の中に印象深く残っていた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「トレーナーさん、ココアです」

「お、ありがとう」

 

 こたつに足をつっこんでのんびりしていると、洗い物を終えたスズカがホットココアを作ってくれた。礼を言いながら受けとって、二、三度吐息で冷ましてから啜ってみると、熱と甘みが舌にじんわりと溶けていった。

 

「うーん美味いな。これだけで冬に感謝できるわ」

「わかります……寒いのはしんどいですけど、だからこそ味わえる喜びもありますよね」

「そうそう、怪我の功名ってやつ……それは違うか」

 

 とりとめのない会話を続けていると、通知を受けたスマホがテーブルの上で小さく振動した。

 

「ん?」

 

 見ると、母親からのメッセージだった。アプリを開くと『無事成人!』という一言とともに、俺が昔から仲良くしていた従兄弟のスーツ姿が添付されていた。写真の中の彼は、どこか気恥ずかしそうにはにかみながら、右手でピースを作っていた。

 

「そっか、あいつもそんな歳か」

 

 感傷に浸れるほど歳が離れているわけではないのだけれど、俺の中での従兄弟と言えば、小さい身体で一生懸命に自分の後をついてきた、幼少期のあの姿なのだ。

 子供の成長は早いもんだな、と思わず笑みがこぼれる。

 

「えっと、どなたのことです?」

「あーすまん。従兄弟がな、今日成人式に出たんだと」

「そうでしたか」

「光陰矢の如しって感じがするよ。スズカも同じように、気づいたころには大人になってるんだろうなぁ……」

 

 しみじみと加齢を痛感していたその時、スズカが重々しく口を開く。

 

「あの、トレーナーさん」

 

 言うや否や、スズカは静かに俯いて、

 

「……大人って、一体何なのでしょうか?」

 

 と、訊いてきた。

 

「何、って……?」

「私にはよくわからないんです。何をどうすれば大人になれるのか。そもそも、どうして周りの子は大人というものに憧れていているのか」

 

 彼女は真剣な面持ちで、ぽつぽつと語りだす。

 

「成人をすれば、わかりやすく何かが変化するんですか? 脚が速くなったり、心が一気に成熟したりするのでしょうか。でも、私はそんな話を聞いたこともないし、周りの大人は口を揃えて『子どもに戻りたい』と言っています。なのに、どうして大人になりたがるのでしょうか」

 

 「大人のトレーナーさんなら、教えてくれますか?」と彼女が尋ねてくる。

 それは誰かを非難をしているわけでも、悲しんでいる様子でもなく。ただただ自分が”異端”であることを不安がっているようだった。

 本来、世間的には”大人”にカテゴライズされているであろう自分は、大人への疑問を抱いている彼女に対して、それっぽい何かを啓蒙するべきなのだろう。

 そうは言っても……昨日もスズカ(こども)に説教されていることからわかるとおり、俺はそんなに出来た人間ではないわけで。

 

「……俺にもわからん」

 

 肩をすくめて、そう答えることしかできなかった。

 

「わからない、ですか?」

「ああ、全然わからない。それに俺、成人式出てないし」

「え、えぇ!?」

 

 スズカが目を見開いて驚く。学生からすればそりゃそうなるか、と軽く笑う。

 

「……どうして?」

「スズカと似たような理由だよ。成人の何がめでたいのかもわからなかったし、大学時代に住んでたところは地元とだいぶ離れていたからな。そこまで愛着もない地元のために、安くない交通費をはたいてまで行く意味はないと思ったんだ」

「な、なるほど」

 

 どこか納得したように、彼女が相槌を打つ。

 

「それでも俺は勝手に大人になった。それは主観ではなく客観によって規定されるもので、少なくともスズカや他の生徒たちの前だと、俺は”大人”になるわけだ。だけど親や親戚からすれば、俺はいつまでも”子ども”だし、成人式に出席した人たちだって同じことだ。つまり大人や子どもなんてものは、その相手との関係性や、自分自身の振る舞いによって決められるわけで、式への出席や憧れなんかで変わるものではないんだ」

「は、はい」

「いや、違うな……そうじゃなくて……だから、その……なんというか」

 

 長々と偉そうなことを言ってしまっているが、別に説教をしたかったわけではない。

 ああでもない、こうでもないと言葉をひっぱりだすこと数秒、ようやく言いたいことの欠片が掴めた気がした。

 

「……スズカは悪くないよ」

「え?」

 

 無理やりに笑顔を作りながら、告げる。

 自分よりもずっと年下の女性一人、満足に慰めることもできない。大人と呼ばれる今も、子どもと呼ばれる昔もそうだった。

 歳を重ねても上達する素振りは露ほども見せなかったし、その都度、本質的には何も変われていないことを実感する。

 昔と違うのは、それでも虚勢を張り続けなければならないってことだけだった。

 

「……式に参加しているやつらだって、成人することそのものに喜んでいるわけじゃない。単に綺麗な振り袖を着て、懐かしい面々と酒を飲みながら盛り上がれるのが嬉しいだけだ。それにまったく興味がないからといって、不安になる必要はない。マイノリティだろうがなんだろうが、大人は大人だ。その時が来たら、ドンと胸を張ればいい。誰に何を言われたとしても気にするな。俺だけはずっと、お前を肯定し続けるから」

 

 気の利いたことも言えず、そのくせ捲し立てるように小難しい言葉で武装して、反論や答えられない疑問が来ることを怖がって。これが大人だというのなら、どうにかして子どもにしがみついているほうが賢明だったのかもしれない。

 

「……ふふっ」

 

 だけど、だとしても。

 

「そう、そうですよね。ありがとうございます」

 

 ──必死に紡いだ、大人ならではの言葉によって、子どもの心を解きほぐせたとき。

 それはまるで、冬の厳しい寒さの中で味わう、一口のホットココアのように。

 「ああ、大人も悪くないな」と、心の底からそう思うのだ。

 

「ありがとうございます。私、大人という言葉を特別に考えすぎていたのかもしれません」

「はは……まあ、悪いことじゃないさ」

「でもトレーナーさんは、逆に私のことを軽く考えている気がします」

「お、俺が?」

 

 むしろ、これ以上無いほど真剣に考えたつもりだったのだが。

 まだ何か足りなかったのかと、ココアをゆっくりと口に入れながら必死に考える。するとスズカは「時間切れです」と言わんばかりの笑みを浮かべ、口を開く。

 

「だって私も、みんなと同じように綺麗な振り袖を着て──トレーナーさんに『かわいい』って言ってほしいんですから」

「……んぐっ!?」

 

 ちびちびと飲んでいた熱々の液体が、どろりと勢いよく喉元に流れ込んでくる。

 熱はそのまま全身に行き渡り、ついには顔まで真っ赤に染まった。

 

「ふふ、恥ずかしいんですか? 子ども相手なのに」

「……振り袖着たら、お前も大人だろうが」

「でしたら……大人の私にぴったりな褒め言葉、聴かせてくれる日を楽しみにしていますね」

「う、ぐ」

 

 スズカはくすくすと楽しげに笑いながら、空になった二人分のコップを手にとってシンクへと向かった。

 はあ、とため息をついて、テーブルにうなだれる。

 

「……ほんとうに、子どもの成長は早いもんだな」

 

 あの小悪魔なセリフは、大人のものか子供のものか。

 それはわからないが、どのみちこの先も振り回されるんだろうな、と思った。

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