アサルトリリィ Hawk   作:ほくシン

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第8話『幻い、影る』-後編

 私はキロリーメイトを頬張りながら端末を操作し、今しがた送られてきたデータに目を通している真っ最中だった。

 送り主は岡山のガーデン、『津山女子学園』に所属するとあるアーセナル。その内容は、そのアーセナルの子やオモイカネラボが保有するラプラス関連のデータ、それと真乃さんにまつわる個人的な記録群だ。

 全ては真乃さんのラプラスの正常化、治療のため。この私、真島百由やG.E.H.E.N.Aですら実態を掴めていないレアスキルなら、もしかしたら地元の方が何かを掴んでいるのかもと思い理事長代行のコネでコンタクトを取り、事情を説明した上で送ってもらった。お陰でオモイカネラボもこの事態に協力してくれるようで、手がかりになりそうなデータがあれば随時送ってくれる約束もしてくれている。

 まぁその分、送り主の子には相当怒鳴られたけどね~……。なんだか真乃さんとは並々ならぬ仲だったみたいで、この異常事態にめちゃくちゃ責任追求されたり、自分がどう思って真乃さんを送り出したのか~、なんて事を長々とビデオ通話で熱弁されたりした。

 

「……しかし、私まで駆り出す必要はないんじゃないかねぇ?」

 

 私の級友、紫馬(しば)百合ヱ(ゆりえ)は画面をこめかみを抓ってぼやく。一言で言えば『異常整備志向』な、私とは別ベクトルの変わり者だけれど、その腕前と平穏無事を愛する心は信頼できるアーセナルだ。

 

「だいたい、私の専門はCHARMの修理・調整のみ。こういうのは解析班に───」

「まぁそう言わないでよ百合ヱ~、代わりに私の分も修理していいって約束でしょ~?」

 

 百合ヱは深く溜め息を吐いて、手元のエナジードリンクを一気に飲み干した。

 

「ふぅ……割に合わんと言ってるんだよ。餅は餅屋、こういった学術的な観点は専門分野のアーセナルにだねぇ……」

「そう釣れないこと言わずに~」

 

 軽口を叩きつつも、私はデータ群を流し見していく。

 ……確かに私だけでも、マギ交感以外でラプラスを鎮める方法は見つけられるはずとは思う。でもそれは時間に余裕がある状態での話。事態は一刻を争う以上、百合ヱの手も借りたいというのが本音だった。

 ファンタズムを持ってるリリィに頼んで解決する未来を先読み、でもできればこんなには苦労してないんだけど……悩めば悩むほど、どうにも私の中でらしくない焦りが渦巻く。

 気分転換と確認を兼ねて、視線はそのままに百合ヱへ質問を投げかける。

 

「……真乃さんのCHARM、ログとか見るに入力側のルーン情報が契約者情報と合致しなかったからなのよね?」

「あぁ。途中までは時々ノイズが走る程度だったみたいだが、最後は完全にノイズになってる。見てくれよこれ。グチャグチャになって誰が見ても判別不能だ」

 

 百合ヱが渡してきたタブレット端末を受け取り、よく目を凝らす。そこにはルーンがその輪郭が歪んでいつつも重なっているようにも見える画像が映されていて、よくよく見れば真乃さんのルーンに重なるように美鈴様のルーンが描いてあるのが私には分かった。

 

「……彼女、本当に体質的な問題なのかい? 負のマギの影響を受けやすいにしても、ここまで行くとリリィとして致命的だろう?」

「リリィの中に異能って呼ばれる特殊能力持ちがいるんだもの、逆にマギ的な虚弱体質がいてもおかしくないでしょ?」

「そうでもあるだろうが……」

 

 ラプラスに関する情報は結構な機密だから、今回の件は表向きには『真乃さんは体質上負のマギの影響を受けやすく、初陣での負のマギが長く残って不調を起こしている』って事になっている。だから百合ヱもラプラスに関しては知らないし、百合ヱに投げているデータもほとんどはラプラスに関わりのない、マギ関連の知見データなどの当たり障りのないモノを回している。でも百合ヱも案外カンが良いのか、真乃さんの問題が異常な事には薄々と気づいているみたいだった。これは、流石に百合ヱぐらいには打ち明けるべきか―――

 そんな事を思い始めたその時、工房の扉からコンコンとノック音が響く。

 

『百由ー? 今工房にいるー?』

 

 この声は……三年生の雨音(あまおと)麻衣(まい)様? あんまり関わりないのに何の用かしら。

 百合ヱに目配せして端末の画面を消し、応対するために席を立つ。

 

「はーい、居ますけど~……って」

 

 ドアを開くと、そこには麻衣様のそばで静かに佇む真乃さんの姿が。何だか、いつも以上にうつむいているけど……

 

「……真乃さん、どうかしたんです?」

「実は、たまにはちゃんと食堂で食べようかなーって上に上がろうとしたらエレベーター前で見つけてさ。話を聞いてみると百由に用があるって言うから、こうして連れてきたってワケ」

 

 肩を持って引き寄せられる真乃さんだったけど、何の言葉もなくただ虚ろな目でなすがままだった。

 

「……でも彼女、少し前まで工廠科の方に普通に来てたよね?」

「ええ、まぁそれには少しふかーいワケがありまして……」

 

 いくら上級生の麻衣様でも事情を話すワケにはいかない、のよねぇ……。でも麻衣様からはそれ以上の追求はなく、「それじゃね~」と手をヒラヒラと振り去っていった。

 ……けども真乃さんの目、前の夢結と同じ感じだわ。何かあったのか、少し聞いてみようかしら……。

 どうにか真乃さんの肩を持って部屋に招き入れると、入れ替わるように百合ヱが席を立って出ていこうとする。

 

「私もお暇させてもらうよ。本業に戻りたいし、何より邪魔だろうしね」

「……向こう一週間の担当、分けてあげるからそれで許して」

「後で撤回するのはナシだからね」

 

 状況をなんとなく察してくれたのか、それだけ言って今度こそ百合ヱは工房を出た。

 さて……と。私は真乃さんを席に座らせ、そっと紅茶―――は無かったから、エナジードリンクの予備を差し出す。

 

「それで、どうかしたの? 検診には早いけど、一回やっとく?」

「いえ……。それよりも一つ、お聞きしたい事があるんです」

 

 真乃さんはようやく顔を見上げたと思うと、小さく開口したと同時に耳を疑う質問が飛び込んでくる。

 

 

 

「もし、自分を知る人全員の記憶から自分が消えれば、それは死んだ事になると思いませんか?」

 

 

 

 たった一瞬の沈黙が、数時間に感じられるような衝撃となって私を容赦なく襲う。

 頬の冷や汗を感じてようやく正気に戻った私だったけれど、反論するよりも先に言葉が続いた。

 

 

「それも、穏やかで誰も傷つかない、至上の死だと」

 

「だから、決めたんです私」

 

「皆の中から、消えちゃおうって」

 

 

 私の衝撃を代弁するかのように、部屋の外でCHARMを落としたような物音がした。

 誰かが聞いてた?

 そう思った瞬間、真乃さんも糸の切れた人形のようにふらりと身体が傾いて───

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「真乃さん、大丈夫かな……」

 

 静かな控室の中、心配する梨璃さんの一言が響きます。

 あれから急いで真乃さんを追おうとした私達でしたが、呼びかけに応じない真乃さんに痺れを切らした楓さんの判断によって追跡は一時打ち切り。その後、休み時間の合間や放課後に探し回っても見つからず……。なので、こうして途方に暮れて控室にいるというのが現状でした。

 そして気がつけばミリアムさん以外のメンバーが控室に集っていて、皆して梨璃さんを見つめるだけでした。

 

「……二水、本当なの? 真乃が、梨璃の手を払ったって……」

「ぇ、まぁ、はい……」

「そう、なんだ……」

 

 恐る恐る聞いてきた雨嘉さんの質問に、なんとも言えない気持ちで返します。

 ……正直、あの時の光景は今でも信じられません。梨璃さんの言葉を聞いて手を伸ばしかけた真乃さんが、何かを思い出したかのように手を止め、梨璃さんの方から手を伸ばしてきたと思ったら切羽詰まったような顔になって……あんなに優しい真乃さんがそんな事を、理由もなくするはずがありません。

 私はそう信じたくて……でも、どうする事もできない自分が悲しくて、悔しくて、膝の上で握った両手を見つめる事しかできませんでした。

 

「全く、あの分からんちんはどこまで二水さん一筋でいるつもりなのかしら! 私なんて梨璃さんから手を差し伸べられたら、そりゃあもう手の甲にキスしてから頬ずりして堪能した後に―――」

「楓さんの所感はともかく、状況はたった一日でだいぶ悪い方向へ向かってしまいましたね。……恐らく、一人二人のマギ交感では最早進行を遅らせる事すら厳しいかと」

「ええ。なるべく早急に、何か打開策を打たなければならないのだけれど……」

 

 一同が辛い面持ちでうつむく中、神琳さんは梨璃さんの名を一度呼んで、こう続けました。

 

「私としても大変心苦しい事をおっしゃいますが……最悪、真乃さんを諦める事も考慮しておくべきなのかもしれません」

「け、けど……」

「無論、私も諦めるつもりはありません。最後の瞬間まで手を尽くす所存です。ですが、その尽くす手がほとんど無いというのが現実です。進行状況を考慮するともって数日……仮にその間に完全な治療法が見つかったとしても、当の真乃さん自身がどういう思惑でいるのかという問題も残っています」

「真乃さんが、この状況を受け入れてるとでも?」

「……美鈴様への思いが、私達に話していた以上に大きければ、あるいは」

 

 ……私も考えたくありませんが、神琳さんの仮説はあり得ない話ではありませんでした。

 もし、本当は美鈴様の事をお慕いしていたのなら……例え幻覚だとしても、手放したくないという気持ちは嫌でも分かってしまうような気がして、胸がキュッとなります。自分だけに見える推しが、常に傍にいる……リリィオタクとしてこれ以上ない夢のシチュエーション、ですから。

 誰もが神琳さんの言葉に嫌な可能性を感じていた中、でも梨璃さんだけは一人真っ直ぐな目で答えました。

 

「私、そうじゃないと思います。だってあの時の真乃さん、私の目を見てませんでしたから。

 まるでそばに、美鈴様がいたみたいに……怯えてるような、怖がってるような、そんな目でした。

 美鈴様が何を言ったのか分かりませんけど、でもあんな事したのは美鈴様と別れるのが嫌だとか、そういうのじゃないと思うんです!」

「梨璃さん……」

 

 ……やっぱり凄いです、梨璃さんは。私よりもちゃんと、真乃さんの事を見てるなんて。言われてみれば確かに、という今更な気づきに、安堵と無力感を痛感します。

 梨璃さんの言葉に、少しだけ部屋の空気が軽くなった気がしました。

 

 それに水を差すように、ドアが蹴飛ばさんばかりの音を立てて開け放たれます。

 驚き慌ててその方を覗くとミリアムさんが汗を滝のようにたらし、ぜーはーと一しきり息を整え。

 

「大変じゃお主ら! 真乃のヤツ、このまま死ぬつもりでおる!!」

 

 信じられない事を、口走りました。

 ……真乃さんが、死ぬ? つもりって、何で、そんな―――

 

「っ、真乃さん!」

 

 信じたくなくて……どうにかしたくって、どうにかなりそうで、私は真乃さんのいるであろう36番工房、百由様のいるであろう場所へと一人駆け出しました。

 

 

 

「二水ちゃん!?」

「詳しい話は後じゃ! わしらも急ぐぞ!!」

「ああ……! 真乃のヤツ、一体何考えてんダ!!」

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 途中何度も足がもつれて転びながらも、走ること十数分。

 痛みを堪え、どうにか百由様の工房までやって来ました。

 ノックも断りもなしに無理矢理入ると真乃さんの姿はどこにもなく、工房には床に少しだけ散らかっている書類と、立ったまま机に肘をつき顔を覆う百由様の姿がありました。

 

「百由様! 真乃さんは今どこですか!?」

「……二水さん」

「事情は聞いてます! 真乃さんを止めないと……!」

 

 百由様がバツが悪そうに顔を逸らしたのを見て、今なお流れる嫌な汗が頬から顎下にかけて流れるのを鮮明に感じます。

 まさか、間に合わなかった? 既に、真乃さんはもう―――

 

『……そこに、誰かいるんですか?』

 

 機械処理越しに、声が聞こえた。

 真乃さんの声。

 声のする方に飛びつくと、一つのモニターにどこかの病室にいる真乃さんが映っていました。監視カメラにマイクがついていて、こちらの声が真乃さんのいる病室にも届いているのだと気づくと、ホッとすると同時に思いはどんどん熱くなって。

 

「真乃さん! 私です、二水ですっ!! 今そちらに向かいますから、どうか―――!」

『二水、ちゃん……あぁ、私、まだ覚えてるんだ』

 

 びしゃりと水をかけられたような感覚が、私を襲う。

 

「お、覚えてるって……どういう事ですか?」

『……あぁ、ごめんね。実は私、結構危ない所まで来てたみたいなんだ』

 

 そこに映る真乃さんの目は、まるで燃えた後の灰のようで。

 

「だ、だったらマギ交感しないと……今行くので、待っててくださいね!!」

『その必要はないよ。でも―――』

 

 ほどけて広がった髪は、暗く広がる森のようで。

 

『そうだね。最期に、二人だけでお話しようか。おいで、二水……ちゃん』

 

 その声は、まるで雪のように儚く冷たく、工房の中を舞った。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 二水ちゃんを追いかけて、百由様の工房にやって来た私達。

 でも扉を開けた先には、二水ちゃんも真乃さんもいませんでした。

 

「百由様! 真乃さんと二水ちゃん知りませんか!?」

「……知ってるわよ。特別病棟の701号室、そこにいるわ」

「ありがとうございます! 急ぎましょう、皆さ―――」

 

 今すぐに行こうと私は扉の方へ振り向こうとしたのですが……百由様がリモコンみたいな物を持って操作したかと思ったら、さっきまで自動で開いていたドアは閉められてそのまま動かなくなりました。

 

「ごめんね、悪いけど皆はこのまま様子見。行かせられないわ」

「どうしてですか!? 私聞きました、真乃さんが死んじゃおうとしてるって!」

「死、ねぇ……」

 

 リモコンを机に置くと、百由様は椅子の背もたれ側を前にして座って、再び私達の方を見ました。

 

「いきなりだけど、皆は人の死って何だと思う?」

「哲学なら後にしなさい百由。今はふざけている場合じゃないでしょう!?」

「こっちは至って真面目なつもりなんだけど、ね……」

「だとしても今するのは悪趣味だロ、百由!」

 

 百由様のおどけているような態度に、お姉さまと梅様は苛立ちをぶつけます。

 すると神琳さんが前に出て、真剣な表情で答えました。

 

「一般的には、病気や外的要因による生命活動の停止を指すでしょう。

 しかし、哲学的に言うのであれば……その個人を知る、全ての人の記憶から消えてしまう事でしょうか」

「記憶から、消える……?」

 

 悲しい事ですが、確かにそうなのかもしれません。例え私が生きていても、お姉さまや楓さん達が忘れちゃったら、まるで今までの全ては何だったのかなってなるでしょうし……

 ……そういえば、ラプラスには人の記憶を操作する力があるって。

 

「まさか、真乃さんは―――!」

「そう。彼女、ラプラスで私達の記憶から自分を消した上で百合ヶ丘を去るつもりだったの」

 

 百由様の視線の先にあるモニターには、特別病棟の一室でぼんやりと座り込んでいる真乃さんが映っていました。

 百由様が言うには、考え直すよう説得しようとした瞬間に意識を失い、緊急的に特別病棟へ運び込まれたらしいです。

 

「しかし百由様、それが分かっていながら何故二水を行かせたのじゃ?」

「……勝手ながら、二水さんの言葉なら聞いてくれるかもって思って期待してね」

「分からなくは、ないが……」

 

 でも、どうしてそんな事をしようと思ったんだろう。真乃さんだって、治そうって思っていたはずなのに、いきなり消えようなんて……

 ……もしかして、あの時手を払ったのを気に病んでいるんじゃ。違うって言おうとしてたし、やっぱり……。

 今すぐに、自分の気持ちを伝えに行きたい。大丈夫だって言ってあげたい。

 でも百由様の目は、真乃さんの考えは、それを許してくれそうにありません。

 もどかしい気持ちでいっぱいになっていると、いつの間にか一人だけ向かっていた二水ちゃんの姿が画面に現れ、真乃さんの胸に抱きつくのが見えました。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「真乃さんっ!」

 

 ベッドに腰掛けていた真乃さんに抱きつくと、勢いのまま私ごとベッドへと倒れてしまいました。

 

「……待ってたよ、二水ちゃん」

「……ミリアムさんから聞きました。

 嘘、ですよね? 死のうとしてるなんて」

 

 縋るように出た私の言葉に、真乃さんの顔から微かな笑みが消えました。そして無言のまま私の背中に手を添えて、どこか虚空に目が行ったままです。

 

「……本当、なんですか?」

「うん」

「どうしてですか! 確かに、暴走はどんどん酷くなってますけど、治らないかもしれないですけれど……!

 でも百由様や一柳隊の皆さんだって、真乃さんの為に頑張って対処法を探してます! 私だって、マギの最後の一滴になってでも……」

 

 言葉を続けようとする私の頬に、真乃さんの手がそっと触れてきました。

 

「違うんだよ、二水ちゃん。そういう事じゃなくて、全て前提から間違えてたんだ」

「前提? 何を言って……」

「……私には元からリリィになる資格も、皆に助けてもらう資格もないんだよ」

 

 こちらを覗く虚ろな瞳に引き込まれそうになりながらも、私は真乃さんの言葉を何度も頭で反芻する。

 ……分からない。分かりたく、ない。

 真乃さんは補欠合格だとしてもガーデンに入学を認められた立派なリリィなのは確かだし、今までの何を鑑みても真乃さんが因果応報だと思える要因なんてない。それに……

 

「……あの時の事なら、梨璃さんも気にしてません」

「違う、許される訳ないよ。どんな形であろうと、私は一柳さんの思いを踏みにじった。

 例え一柳さんがいいにしても、やっちゃった事は事実、覆らない過去だから。

 そう、だから私は……」

 

 真乃さんの表情は声を発する度に険しく歪むのを、私はただ見つめていました。

 でもこんなに険しい顔の真乃さんは、どこかで見たような……ああどこだっただろう、思い出せない。確か最近だったような気がするのに……。

 記憶を辿りながら真乃さんの顔を凝視していく中で、お互いの沈黙がどこまで続いたのか曖昧になっていると、真乃さんは再び口を開きました。

 

「……二水ちゃん。私ね、兄さんがいたんだ」

「お兄さん、ですか?」

「うん。私の六つ上の兄さんでね。口数は少ないけど優しくて、私達によくしてくれた……。

 高校を卒業してすぐ、家を継ぐ前に見識を広めたいって言って、防衛軍に入ったんだ」

「……立派な、お兄さんなんですね」

「うん、自慢の兄さんだった。……私があの日、殺すまでは」

 

 真乃さんの目が、厭に据わった。

 

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

 ―――三年前の那岐山防衛戦。あの時、私は兄さんに幸運のお守りを作ろうと、山に行ってたんだ。

 シロツメクサ……四つ葉のクローバーを押し花にしてプレゼントしようと、兄さんの知り合いに無理を言って。

 

 でも、四つ葉のクローバーを探して山を登っていた途中で、ケイブとヒュージが現れた。

 知り合いの人は麓で待っていたから良かったけど、山中にいた私は急いで逃げた。

 でも結局、ヒュージの群れに囲まれて……

 そこで、思わず命乞いしちゃったんだ。『来ないで』って。

 ヒュージが私達の言うこと、聞くわけないのにね。

 でも、そんな常識に反して、ヒュージ達は私を襲わずにどこかへ行った。

 ……その時、私のルーンが空中に浮かんでいたのもよく覚えてる。

 今なら分かる。あれはラプラスの力なんだって……

 その後ほどなくして、私は地元のリリィに保護されて難を逃れた。

 

 ―――でも、ラプラスで操ったヒュージは消えたわけじゃない。その後、どこへ行ったと思う?

 私の前から消えたヒュージ達の進路は、出動した防衛軍の一部隊の死角を突くようなルートを取った。

 その部隊の中に、人手不足で戦車の搭乗員に駆り出されてた兄さんもいて……

 予想外の襲撃に、部隊は文字通り全滅。

 たった一人、それもリリィになってない中学生の手によって、兄さんは、防衛軍の人達は惨殺されたんだ。

 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 

 

「―――これで分かったでしょ。

 私にリリィを目指す資格は最初からなかった。それを、私は……!」

 

 真乃さんの片腕が、強く私を抱きとめる。

 

「友達に教えられた美鈴様の噂話を聞いて、この人に会えば何か分かるんじゃないかって……!」

「あの時どうすれば良かったかとか、私はどうするべきなのか……ッ!」

「そんな淡い期待を抱いて、怪我をした友達の後押しを何とも思わず目指して!」

「ただ自分が救われたい為だけに、この学院を目指した!」

「でも入ったらこれだよ!」

「どんどんおかしくなって、助けようと伸ばしてくれた手すらも私は払いのけた!」

「こんなリリィがあっちゃいけない、あっていいはずがないんだよ……!!」

 

 涙が、頬を伝っていました。

 ぎゅうっと抱きしめられる痛みが、まるで真乃さんの心の痛みのように思えました。

 ……やっぱり真乃さんは、優しい人です。他の人を、こんなになるまで気遣う事ができるんですから。

 だから、こんなにも苦しんで、傷ついている。誰かに押し付ける事ができないから、自分で抱えるしかなくて……。

 それでも、なおも真乃さんは頭を掻き毟り呟きます。

 

「そうだよ、レナちゃんの言う通りだ。私が悪いんだ……

 私さえ居なければ、私なんて……!」

 

 ―――っ。

 

「違います! それだけは、絶対に間違ってます!」

 

 思わず声を荒らげてしまいましたが、この思いは止まらない、止めちゃいけない……!

 今度はこっちが強く抱きしめ、真乃さんに思いの丈を全部ぶつけるべくまくし立てます。

 

「真乃さんは、入学式の時から私を助けてくれたじゃないですか! それだけじゃなくて、いつもリリィ新聞の手伝いもしてくれて……

 それにダインスレイフをヒュージから取り返したのだって、一柳隊が結成できたのだって、真乃さんがいたからなんです!! 真乃さんがいなければよかった所なんて、一つもありません!!

 だから、どうかご自分を否定しないで下さい……! 真乃さんはもう、かけがえのないリリィの一人なんですから!!」

「……二水、ちゃん」

 

 真乃さんの両腕が、再び、でも今度は優しく私を抱きしめます。その目には、いつものような穏やかな光が宿っていました。

 

「……二水ちゃんは、優しいね。私に、そんな事を言ってくれるなんて。

 それに、こうして最期に真っ先に来てくれた。私、いい友達に恵まれたなぁ……」

「真乃さん……」

 

 真乃さんは目を閉じ、おでこをくっつけるように寄せて来ます。

 

「そうだね、もう悲しいのは終わりにしよう。

 こんなにも、私の事を思ってくれる子がいる。助けようとしてくれる人達がいる。

 こんなに嬉しい事、これ以上ないよ……」

「そうですよ、だから―――」

 

 

 

 

 

「だから、消そうとするのをやめて下さい……。私達の記憶から、真乃さんを」

 

 私がそう言うと、右手をかざしかけていた真乃さんは大きく目を見開いた。

 

「……百由様から、聞いたんだ。それとも思い出した?」

「…………真乃さんは、優しいですから。できる限り、誰も悲しまないやり方をするとは思ってました。

 それと百由様が挙げたラプラスの能力を思い出して、もしかしたらと疑ってしまって……」

 

 真乃さんは右手を下ろし、観念したかのように顔を逸らします。

 

「……そうだよ。これしか、分からなかったの。これ以上誰も悲しませない方法。

 認識は他者が観測して初めて成される、って話があるでしょ?

 そして、その他者が観測したものは記憶に残る。

 だから皆の中から私がいなくなって、私がいた証を消して、今ここにいる私が消えれば……助けられなかった事も、こんなリリィの存在も最初からいなかった事になる。文字通り、根本的解決だよ」

「そんな事、なりませんよ……! どうして、どうしてこんな事を……っ!!」

「……せめて、二水ちゃんや皆には幸せでいて欲しい。

 そう思ったら、もう私なんかが記憶から消えるしかないでしょ?

 覚えていても、悲しいだけだか、ら―――ぁ゛ッ!?」

 

 いきなり苦しそうな声を上げたと思った瞬間、真乃さんは頭を抱えてのたうち回り始めました。

 

「あ゛っ゛、ぃ―――ば、バチが当たったのかなぁ。

 ぎ、ぉ……最期に、君と、お喋りしたかったなんて、お、も゛っ……」

「真乃さん!? 手を……!」

 

 強引に手を取ろうとしても、真乃さんは振り払うように暴れまわって掴めません。

 

「もう、い、い゛の……! 忘れてよ、私の事、なン゛っ、てぇ……ッ!」

「ダメです、嫌です! 諦めません! だって、リリィは―――」

「わたし、は―――――――ァッ!」

 

 

 伸ばした手は届かなく、

 擦り切れた最後の叫びは部屋と自分の身体を震わせて、

 真乃さんの身体は、ぐったりと力を失いました。

 

 

「ぁ……ま、真乃、さん?」

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 ドアのロックが解除された瞬間、私達は工房を飛び出し特別病棟へと向かった。

 ただ一つ、真乃さんの無事を願いながら。

 

 ……マイク越しに聞こえた真乃さんの言葉は、衝撃と困惑を私達にもたらした。

 語られた、残酷な懺悔の過去。

 自己否定。

 抱えていたものを、盗み聞きの形で知ってしまって、どうすればいいのか分からないけれど。

 でも、私から何か言うのだとすれば。

 あなたの理論で言えば、私もリリィ失格ということになるわね。真乃さん……。

 

 

 

「真乃さんっ!」

 

 梨璃を先頭に、病室の扉が開け放たれた。

 そこには最後に見たままの格好で動かない真乃さんと、その傍でへたり込む二水さんがいた。

 本当に、迂闊だった。どうにかなるだろうと百由に任せていないで、もっと早くに動いていれば……そんな後悔を押し留めながら、真乃さんの身体を起こす。

 

「しっかりなさい、真乃さん! 目を開けなさい!」

 

 声を荒らげて、動かない身体を何度も揺らす。真乃さんの身体はなすがまま揺れ、何の抵抗も示さない。

 ……かと、思いきや。

 真乃さんの瞼が静かに開き、視線を少し回して私と梨璃に目が合った。

 

「真乃さん……良かった、心配したんですよ!」

 

 梨璃が安堵の表情で真乃さんの手を取り、私達もホッとして一息を吐く。

 ひとまず意識は取り戻した。後は問題がないか……

 と、そう思っていた瞬間だった。

 真乃さんの身体は、もたれかかるように私を抱き―――

 

 

 

 

「―――久しぶりだね、夢結」

 

 

 

 

 凛としたその声に、一瞬で私の思いはぐちゃぐちゃになった。

 

 

 

 




第 9 話
ブ ル ー ロ ー ズ / オ レ ン ジ ロ ー ズ
BLUE ROSE / ORANGE ROSE
Our bond is a miracle ―×― [奇跡と絆に喝采を]

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