ある日突然、あの人は消えてしまった。
ずっと幸せだった。
あの人は私のために、何だってしてくれた…
優しいその手も、その話し方も。
不器用で、どこか変な趣味で、優しすぎて、ずっと甘やかしてきた。
…全部全部今じゃ、大嫌いだ。
あの人は小さな、高級感のある箱を取り出して言った。
「その石はね、…まぁ、願掛け…というか…」
小指に指輪をはめて、あの人はどこか恥ずかしげに指輪について語った。
「…いつか、いい関係になれるように…あと、君の瞳とそっくりで、綺麗だから…」
「………」
言葉が出なかった。
2人とも両思いで、2人ともそれを知っているのに。
こんなにも初々しいリアクションで、夜の橋で立ち尽くした。
「あ、…ありがとう……」
思わず、外なのにも関わらず涙を堪えられなかった。
オーバーサイズのジャンバーの袖でこぼれる涙を拭い、震える手であの人の手を握る。
「……貴方となら、いつまでも一緒がいい」
そっと、上から手を被せてあの人は微笑んだ。
「まだ、準備不足だから…期待しててよ」
やさしい手が、頭を撫でる。
あの人が無責任に掛けた言葉が、今も頭を荒れ狂う。
元旦を迎えると、あの人は何処にもいなくなってしまった。
”今年1年、ありがとね”
あの人と新年を、迎えることは出来なかった。
ずっと可愛がってくれたのに、関係も悪くなかったのに…
大好きだったのに。
嘘が好きだからからかってるの?
何も面白くないよ…
朝、ハッと目を覚まして…
いつも通り朝ごはんを作っても、誰も来ない。
1時間が過ぎても、音沙汰が無い。
部屋に響く時計の秒針が何処か気持ちを焦らせ、冷える空気が頭を刺激する。
「……寝すぎてるのかな、それとも散歩…」
そんな適当な考えを浮かべ、電話をかける。
………
耳に当てた電話から、声は帰ってこなかった。
鼓動の音が体を突き破るかのように、激しく鳴っている。
部屋から私物が消えたのも、靴が無くなっているのも、返事が無いのも。
呼んでも、電話しても、叫んでも…。
………
気分が悪くなって、急いで着替えを済ませ家を飛び出た。
あの人はたまに、趣味で仲間と繁華街で遊んだりするのを知っていた。
行きつけの店も知っていたから、駆け足で店へと向かった。
カランカラン…と、言う音と共にドアが開く。
「いらっしゃ……あ」
お店の人が、驚いた表情で動きを止めた。
「どうしたんです?そんなに焦って…」
「あ、あの!」
「…来てないよ」
聞こうとした矢先、遮るように店の奥から渋声の店員が出て言った。
落ち着いていて、私が何を考えているのかはお見通しだった。
「………そう、ですか」
絶望感を抱き、お店を出ようとすると。
「あんた……アイツが、少しバカっぽくさせたヤツかい?」
「えっ、…?」
「ずっと惚気話ばっかしやがるのさ、前まで真面目なことばっか言ってたのにさ」
「………」
「アイツ、趣味は悪いけど一途だから…アイツを頼んだよ」
その言葉が信じられなかった。
胸が締め付けられ、気持ち悪くなってきてしまう。
"そんなに大切なら、居なくならないでよ。"
込み上げてくる気持ちを沈め、お辞儀をしてお店を後にした。
そして行くあてもなく、思い出の場所を巡ることにした。
そう、デートスポットなんて分からなかったから…
食べたいケーキを食べたんだね。
……こっそり、手を握るふりをしてサイズを図ったりもした。
初めて食べたって嘘をついて、食べに来たんだ。
…でも、美味しかったな……
同じものを食べたはずだったのに…。
……私が意地悪して、路地裏で悪いことしたよね。
誘った私も、誘いに乗った君も。
次の日はお通夜みたいなテンションで…
2人で反省会まがいの事もしたよね。
でも、この日が私にとって大切なきっかけだったんだ。
何気なく、はっちゃけた1日も、大切な思い出…
”……キミが悪い…、可愛いって自覚してよ”
……多分、君はここで指輪を買ったんだね。
ブランドも、下調べも一緒にしたんだからそう思った。
でも、買ったのは君が黙って買ったんだよね。
曖昧に濁すから、大喧嘩になったんだよね…
今思えば、君は嘘つきだったね。
私を引っ掛けてからかうんだ。
そういうところが嫌いだったんだよね…。
"私は君のそーいうところが嫌い、でも…
君のそーいう所が好き…"
……
結局、外出があんまり好きじゃなかったから…
よく家で過ごしたよね。
キッチンで料理して、遊んで、喧嘩して。
…残ったのは指輪と写真と思い出だけ。
どこまでも君は、私をからかって…
最低で、卑劣で…バカ、……
大嫌い、大嫌いだから。
好きなはずがない…って。
あまりにも辛くて、悲しくて
嫌いになれない、頭から離れない。
それどころか、苦しくて、息ができない。
溢れる気持ちは、決壊して何もかもを飲み込んだ。
「貴方が、…好き…、だからぁっ……!」
零れる涙が床を濡らす。
苦しくて、過呼吸になって、手のひらから血が滲んで。
声が出なくて、何も考えられなくて、止められなくて。
「だ、…から……もう…私から、離れないでっ…!!」
貴方のその手が、私の頭を撫でた時…
幸せで、暖かくて。
離したくない、って…
誰もいないのに、誰かに願った。
小指の指輪を、両手で握りしめて、大きな声を上げて泣いた。
「…いやだ、やだぁっ……やだ……!!」
始まったばっかりの2人が、もう終わってしまった。
結局いつか来る別れだと言うのに、これ程まで早く引き裂かれるとは。
何時間も咽び泣いて、叶わない願いを叫んで。
どうしようもなかった。
これが悪夢と言わずなんと言うの?
なんで神様は私をこんなにも酷い結末を与えたの?
こんなことなら、産まれたくなかった。
君となんか会いたくなかった。
君がこの世になんか、産まれなければ。
最初から、出会わなければ。
……
忘れよう、だなんて意味の無いことを考えた。
心を奪われて、忘れられるはずもないのに。
君の横顔が、月の光に映し出されたその夜。
どうしようもない美しさを知った。
黄金比だの、世界一だの、
そんなものはどうでもよかった。
結局、好きだから綺麗なんだ、って…。
いつまでも君を思えば、綺麗で美しかった。
たとえ私を傷つけても、嘘をついていても。
君を嫌いにはなれない。
いつの間にか、日が暮れて月明かりが部屋を照らしていた。
もうあの人には会えないって分かった。
どれだけ逃げたって、逃げられない。
あの人が選んだんだから…これ以上追いかけたって仕方ないよ、と自分に言い聞かせる。
スマホを手に取って、LINEを開いてメッセージを送る。
”今年1年、ありがとね”
それっきりのやり取り、既読も付かない。
だから、いつかまた会える日まで。
「わたしは、いつまでもここに居るから」
「また、わたしの名前を呼んで」
また、わたしを撫でて。
愛してください。
だいすきだから。
”花も、枯れるでしょ。”