老デウスの物語   作:TANASOUKO

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赫剣

エリス・ボレアス・グレイラットは、甲竜歴400年代を代表する英雄である。

生前は狂剣王と呼ばれる剣士であった。

その名の通り、剣神流の剣王の称号を持っている。

同時期に存在した『剣神』ジノ、『水神』レイダ、『北神』アレクサンダーなどと比べると、序列としては落ちる形となる。

しかし今日、彼女が英雄として呼ばれるのは彼女が生涯人族の中で戦い続けたからであろう。

 

彼女は簡単に言えば、とてつもないトラブルメーカーであった。

彼女は世界のいたるところでトラブルに巻き込まれ、自らトラブルに首を突っ込み、あるいは自分がトラブルを巻き起こしたりした。

しかも彼女が関わったトラブルは突拍子もないさらなるトラブルを生んだ。

さらわれた花嫁を助けるはずがドラゴンと死闘になったり、酒場の喧嘩を仲裁したはずが悪徳領主をたたきのめしたりするのはいつものことだった。

 

しかし彼女は人気があった。

トラブルに巻き込まれた人は皆口を揃えて「エリスさんには困ったよ……」などと言いながら、どこか嬉しげであった。

彼女に関わり、彼女とともに戦ったこと。

それを人々は生涯の誇りとしていた。

決して口が上手い方ではなく、むしろ無口ゆえに誤解を招くことも多々あった彼女だったが、本質的に彼女は善人であり、弱き者のために剣を振るっていること。

それを人々をよくわかっていたのだった。

 

従者ギレーヌを従えた彼女の姿は世界のいたるところで見られた。

ひとりの人物がこれほど広い範囲に現れたことはまれである。

その理由はわからない。

彼女本人も、従者ギレーヌもその理由については語らなかったからである。

 

彼女は不死魔王アトーフェラトーフェとの戦いで死亡したと言われている。

なぜ戦ったのかは不明である。

一説にはルーデウス・グレイラットが関わっているとされている。

しかし、ルーデウスもギレーヌも詳細については生涯語らなかったため、なぜ彼女がアトーフェと戦いになり、どのように死んだのかは謎に包まれている。

 

 

 

---

 

 

 

エリスはヒトガミの使徒ではないだろうか。

俺はそう思うようになっていた。

 

ここ10年ほど、俺は世界各地を旅している。

各地の伝承や文献を調べ、ヒトガミの痕跡を探している。

とは言っても、転移魔法陣を使いながらなので、普通に世界を回るよりもはるかに短い時間で各地を回っているのだが。

その先々で、高確率でエリスに出会うのだ。

大概の場合、彼女は何らかのトラブルに巻き込まれていた。

半ば共闘するような形になりトラブルを解決したこともあれば、敵対することもあった。

 

それ自体がヒトガミの目論見なのではないだろうか。

あのクソ野郎の意図などわからない。

だが、ヤツに何らかの思惑があり、エリスがその意図に従って動いているのならばその通りに動くわけにはいかない。

俺はエリスを排除しなくてはならない。

そうだ。

次に会ったら、エリスを殺そう。

 

 

 

そうして、俺が次にエリスと会ったのは、不死魔王アトーフェのところへ行く途中だった。

 

「ルーデウス!」

 

アトーフェの居城に向かう途中に立ち寄った魔族の村。

そこにエリスがいた。

横にはギレーヌがいる。

例によって何らかのトラブルに口を突っ込んでいるのか。

殺気だった様子の男たち数人に取り囲まれている。

 

「いいところで会ったわ、こいつらに――」

岩砲弾(ストーンキャノン)

「――! ちょっと!?」

 

放った岩砲弾は32発。

エリスとギレーヌと男たちに満遍なく降り注ぐ。

 

エリスとギレーヌは剣を抜くとあっさりと岩を切り裂いたが、エリスたちを取り囲んでいた男たちは何の対処もできず、魔術を食らった。

全員がばたばたと倒れ伏す。

 

「な、何するのよ! 私たちまで巻き込んで魔術を放つなんて」

 

そう言ってエリスは俺に近寄ってきた。

――好都合だ。

 

俺は手を伸ばすと、エリスの手を掴む。

 

「――へ?」

 

エリスが間の抜けた声を発する。

 

超機動(エースホーク)

俺は重力魔術を使うと、一気に宙に飛び上がる。

俺が手を掴んでいるエリスも一緒だ。

 

「――! 待て! ルーデウス!!」

 

ギレーヌが叫ぶ。

だがもう遅い。

 

俺はエリスを掴んだまま重力魔術で空を駆け、ギレーヌを置き去りにした。

 

 

 

エリスと会った村から数キロ先の森の中。

俺は重力魔術を制御してゆっくりと地に降り立つ。

 

「ルーデウス、どういうつもりよ――」

「うるさい」

 

その言葉を引き金(トリガー)として岩砲弾(ストーンキャノン)を放つ。

地面から生み出された岩が高速でエリスの腹にめり込む。

 

「ぐっ!」

 

エリスが崩れ落ちた。

 

俺はエリスに近寄ると、腰に差した剣を奪い取る。

2本あった。

片方は俺もよく知る、かつてミグルド族からもらった剣だ。

もう1本はよく知らないが、おそらく相当な業物なのだろう。

2本まとめて宙に放ると、重力魔術をかける。

2本の剣は意思を持つかのように飛んだ。

俺とエリスから遠ざかるように。

重力から解き放たれた剣は数キロは飛ぶに違いない。

 

「エリス」

 

俺はエリスの髪を掴むと、無理矢理顔を上げさせた。

 

「ヒトガミはなんと言った」

「な、何のこと――」

 

ぱんっ!

 

俺はエリスの頬を張り飛ばす。

 

「言え」

「そんなの、知らない――」

 

どすっ!!

 

無詠唱魔術で作り出した岩砲弾(ストーンキャノン)が再度エリスの腹にめり込む。

 

「がはっ!」

 

エリスの身体がくの字に曲がると、肺の中の息を一息で吐き出した。

 

「ではなぜ俺の前にいつもいつも先回りできる?」

「それは――」

 

エリスは何かを言いかけて、口をつぐんだ。

 

「言わなければ――」

 

俺はエリスの目の前に火球(ファイアボール)を生み出す。

だがエリスは何も言わず、黙っているだけだった。

 

 

 

 

 

 

……くそっ。

エリスは何かを隠している。

それは間違いない。

だが頑として口を割ることはなかった。

 

散々痛みを与えたというのにエリスは肝心なことは何も言わなかった。

せめて辱めを与えてやろうと下半身の服を破ったら泣き出したのには驚いた。

だがそれでもエリスは何も言わなかった。

 

くそっ。くそっ。

苛立ちがおさまらない。

エリスの涙など、いつ以来見ただろうか。

俺はエリスを敵と見定めたはずなのに、その涙にわけもなく動揺していた。

 

十分に時間はかけられなかった。

いつギレーヌがこっちに来るかわからなかったからだ。

あいつが本気になったら森の中だろうと途轍もない速さでやってくる。

森の中は獣人にとってホームグラウンドだからだ。

 

エリスには土魔術で手枷と足枷とつけて転がしている。

もう今日は休もう。

明日はアトーフェと謁見だ。

一応話が聞きたいという書状は送っているが、あの馬鹿のことだから戦いになるに決まっている。

今の俺なら負けはしないだろうが、万が一にも不覚を取ったらいけない。

集中力を切らさないためにも、今日の所は休んでおかなくては。

 

 

 

翌朝、俺は恐るべきものを見た。

エリスがいない。

つけておいた手枷には、歯形がついていた。

いやおかしいだろ。

土魔術で作った岩の手枷だぞ。

あいつの歯は鋼鉄か何かか。

アトーフェの謁見を前に、不安材料ができてしまった。

 

 

 

魔大陸ガスロー地方。

ネクロス要塞。

城下町を抜けて、町の中央にある城へ向かう。

不死魔王アトーフェラトーフェの居城だ。

 

門の前に、軍隊が待っていた。

黒一色の鎧兜に身を包んだ一団。

アトーフェ親衛隊だ。

そしてその一番前に、彼女がいた。

 

青き肌。白い髪。赤い瞳。

額から伸びる一本の角。背中には蝙蝠の羽。

いかにも魔族といった風情だ。

親衛隊と同じ黒い鎧に身を包み、手には巨大な大剣(グレートソード)

数十年前に見た姿と変わらない偉容。

不死魔王アトーフェラトーフェがそこにいた。

 

「予告した時間通りに来たな! 貴様がルーデウスとか言うヤツか!」

 

アトーフェが叫ぶ。

と、側にいた副官らしき男がアトーフェに言う。

 

「アトーフェ様、あの男とは前に一度会ったことがあります」

「うるせえ!」

 

殴られた。

あの副官はなんと言ったか。ムーアとか言ったっけ。

変わらないようだ。

 

「俺には戦う意思はない! 書状に書いたとおり、質問があるだけだ!」

「うるさい! まずは戦え!」

 

あー。やっぱりか。

俺のことを覚えてないのも予想通りだし、何を置いても戦おうとするのも予想通りだ。

 

「魔王から何かを得ようと言うならまずは力を示せ! オレに勝てば話を聞いてやる!」

 

言って、アトーフェは大剣を構えた。

 

だがこっちも数十年前とは違う。

研鑽を重ねた雷撃魔術の神髄、見せてやろうじゃないか……!

 

 

 

「ハッハアー!!」

 

アトーフェが大剣(グレートソード)を手に突っ込んでくる。

 

雷撃矢(エレクトリックアロー)!」

 

俺は両手から雷の矢を生み出すとアトーフェに向けて放つ。

 

「ぬっ!?」

 

アトーフェは大きく身を翻すと矢をかわす。

 

「……なんかその魔術、見覚えがあるぞ。お前、前に戦ったことがあったか?」

 

アトーフェは足を止めると首をひねった。

む、雷撃魔術を見て思い出したか。

 

「まぁいいか! 倒せば同じだ!」

 

アトーフェは再び大剣(グレートソード)を構え直すと背中の蝙蝠の羽をはためかせ、宙に浮かんだ。

 

「――天と地を結ぶは鉄の槍、鉄の檻、鉄の森なり。人が生み出す叡智を持ってして雷神の贄となさん」

 

アトーフェの副官――ムーアが呪文を唱えている。

聞いたことのない魔術だ。

何だ――?

 

避雷森(ライトニングロッド)!!』

 

ムーアの呪文が完成する。

その途端。

 

地を割り、木が急成長して生えてきた。

いや、木ではない。

鉄だ。

鉄の柱が、幾本も大地から伸びてきた。

 

まるで本物の木であるかのように根を伸ばし、枝を伸ばす。

葉はない。

だが伸びる枝がめきめきと音を立てて生い茂る。

 

ちょっと待て。

まさか。

これは。

 

嫌な予感が背筋を走る。

 

雷撃矢(エレクトリックアロー)!」

 

アトーフェに向けて再度雷の矢を放つ。

だが、伸びてきた枝が矢の軌道を遮ったかと思った刹那。

 

――矢は消滅した。

 

雷のエネルギーは吸い込まれるように鉄の枝に吸収された。

 

「あああっ! やっぱりそうか!」

 

ムーアめ!

なんてヤツだ!

 

かつて一度、アトーフェとムーアと戦った際。

俺の放った『電撃(エレクトリック)』によって、軍団が半壊する痛打を受けた。

 

――だからといって、そんなことするか!?

 

二度と会うかどうかも、戦うかどうかもわからない俺のためだけに、俺の魔術専用の『対抗呪文(カウンターマジック)』を開発していやがった!!

 

 

 

「ハッハアー!! ムーア! よくやったぞ!!」

 

上空に舞い上がりながら、アトーフェが副官を褒める。

 

「……アトーフェ様。後はお任せします」

 

ムーアは専用魔術で消耗しきったのか、剣を杖代わりに身体を支えている。

 

「くそっ! 『岩砲弾(ストーンキャノン)』!!」

「ヌルい!」

 

使い慣れた岩砲弾を放つが、アトーフェはあっさりと剣で切り捨てる。

 

くそ! どうすればいい!!

 

完全にしてやられた。

この数十年、攻撃手段としてはオリジナルの雷撃魔術しか磨いてこなかった。

完全に迂闊だった。

まさか、一度見せただけの雷撃魔術を対策されるとは。

 

「『獄炎火弾(エグゾダスフレイム)』!」

「フン!」

 

アトーフェは軽く身をかわすと、そのままの勢いで突っ込んでくる。

 

「『土槍(アースランサー)』!!」

 

俺の目の前の地面が大きく隆起すると、槍と化してアトーフェに向かって進む。

 

「効くか!」

 

アトーフェは大剣(グレートソード)を一閃。

土槍』(アースランサー)は一撃で木っ端微塵になる。

そのまま、剣を振り切った態勢のまま、アトーフェは俺に体当たりをしてきた。

 

ドガッ!!

 

「ぐあっ!」

 

数メートル、いや、10数メートルは吹き飛ばされた。

地面をごろごろと転がる。

 

「ぐ……」

 

アバラをやられたか。

胸が酷く痛む。

直前に放った『土槍(アースランサー)』のおかげで大剣でぶった切られるというのだけは回避したが、このままじゃじり貧だ。

 

「とどめだ!」

 

再度大剣(グレートソード)を手に、アトーフェが突っ込んでくる。

 

何かないか。

何か、打つ手を。

 

「『雷撃沼(サンダースワンプ)』!!」

 

俺の前方に泥沼が展開されると、そこから雷がほとばしりアトーフェに迫る。

だが、雷は引き寄せられるようにムーアの作り出した鉄の森に吸い込まれる。

 

……くそ、ここまでか。

 

そう考えた刹那。

 

「ガアアアアッ!!」

 

町並みの間からもの凄い速さで突っ込んできた何かが、アトーフェにぶつかる。

 

ぎぃん!!

 

鉄と鉄の打ち鳴らされる音が響く。

そして、俺は見た。

 

翻る赤い髪。

ぼろぼろの服をまとった姿。

アトーフェの大剣(グレートソード)と鍔迫り合いをして、全く力負けする様子のない姿。

 

――エリスだった。

 

 

 

「なんだ、お前は!」

 

アトーフェが叫ぶ。

 

「邪魔だぁ!!」

 

アトーフェが大剣(グレートソード)を振り回す。

 

ぎんっ! がんっ!

 

エリスは僅かに剣を動かしただけで大剣を受けきる。

アトーフェは背中の羽を羽ばたかせると、少し後ろに下がった。

 

と、その瞬間。

エリスが矢のように突っ込む。

 

ガキッ!!

 

今度はエリスの剣をアトーフェが受ける。

 

「なんだ! お前! 強いな!」

 

そのまま激しく剣を打ち合わせながら、アトーフェが獰猛そうに笑う。

エリスは答えない。

 

 

 

それから数十合。

エリスとアトーフェは目にもとまらない速さで剣を打ち合わせる。

 

ギィン! がきっ! きぃん!

 

ふたりの位置は目まぐるしく入れ替わる。

あまりの速さに俺もアトーフェ親衛隊も、全く援護ができないでいる。

 

……エリスのやつ、こんなに強かったのか!?

 

これまで何度もエリスに殴られたり逆に魔術で吹き飛ばしたりしてきたが、ここまでの速さは見たことがなかった。

つまり、エリスは俺相手には全く本気を出していなかったのだ。

エリスにその気があるのなら、俺が魔術を使う前に首を刎ねることなど簡単だったのだ。

 

 

 

ぎぃん!!

 

何度目かのアトーフェの突撃を、エリスが凌ぎきる。

アトーフェは再び宙に舞うと、にやりと笑った。

 

「お前、強いな。……だが、勝つのはオレだ」

 

エリスは答えず、剣を上段に構える。

 

「腕の差じゃない。お前が負けるのは――」

 

対するアトーフェ。こちらも上段に剣を構える。

 

「武器の差だ!!」

 

アトーフェが剣を振り下ろしながら再度の突撃。

エリスは同じく剣を振り下ろし、剣を激しく打ち合わせる――

 

ぎぃぃぃんっ!!

 

そして、エリスの剣は、根元近くから、折れた。

 

見れば、それは何の変哲もない、普通の剣だった。

あるいは、エリスの獲物が彼女の愛刀であるならば、このような結果にはならなかったかもしれない。

 

だが、エリスの愛刀はふたつとも、俺が昨日重力魔術で放り捨ててしまった。

エリスは、愛刀を見つけることができなかったのだ。

 

だから、その辺で売ってそうななまくらしか持っていなかったのだ。

 

だが――そこで、エリスは驚くべき行動に出た。

 

おそらく、エリスも気づいていたのだろう。

自分の持つ剣の限界に。

次の一撃で耐えきれず、折れると。

 

折れることを予期していたから、できた行動。

 

――エリスは地面を蹴ると、手を伸ばし、折れた剣の先端を鷲掴みにしたのだ。

 

「何ぃっ!!」

「ガアアアアアアアッ!!」

 

エリスが吼える。

 

アトーフェが大剣(グレートソード)を切り上げる。

エリスは折れた剣の刃を握りしめると横に振るった。

 

 

――同時だった。

 

 

アトーフェの大剣(グレートソード)がエリスの胸を貫くのと。

エリスの握りしめた刃がアトーフェの首を刎ねるのと。

 

刹那。

 

「ルーデウスッッ!!!!」

 

エリスが叫んだ。

俺はその意図を瞬時に理解する。

 

俺は懐から一枚のスクロールを取り出すと、アトーフェに向けて投げる。

重力魔術で加速する。

アトーフェと戦うことになると思っていたから用意していたもの。

それがこの、不死魔族の再生を阻害する魔法陣を記したスクロールだ。

 

エリスがこのスクロールの存在を知っているはずがない。

だが、彼女は信じたのだ。

首は切った。だから、後は俺が何とかしてくれると。

 

重力魔術を受けたスクロールは矢のようにアトーフェの頭部に向かって進む。

その軌道上に、エリスの頭があった。

 

「エリスッッ!!!」

 

俺が叫ぶ。

エリスはそれを聞くと迷うことなく頭を右に傾けた。

 

スクロールはエリスの左耳すれすれをかすめて飛ぶと、アトーフェの生首に張り付く。

 

「封印!」

 

俺がスクロールに魔力を通すと、スクロールから魔力の糸が生み出され、アトーフェの頭部にぐるぐると巻き付いた。

 

「フハハハハハッ! やるなァ! 勇者よ!!」

 

アトーフェの頭部が高笑いをする。

 

「はっ!!」

 

俺はスクロールに包まれたアトーフェの頭に重力魔術をかけると、全力で遠くへ向かって魔力を込める。

アトーフェの頭部は隕石のように空の彼方へ飛んでいく。

 

「いかん! アトーフェ様の御首(みしるし)を回収せよ!!」

 

ムーアが叫ぶ。

不死魔族といえど、首だけの状態で生き続けられるのかはわからない。

親衛隊たちはアトーフェの首の飛び去った方向へ向けて一斉に走り去っていった。

 

残ったのは、俺と、エリスのみ。

 

エリスが振り向く。

先ほどの一瞬のやりとり。

 

それは、かつて、数十年の昔、共に旅をしたふたりだからこそできたものだった。

まさに阿吽の呼吸。

互いの名を呼ぶだけで、互いの意図が瞬時にわかった。

まるで、ほんの一瞬だけ、あの数十年前の昔に戻ったかのような。

 

エリスは俺の顔を見ると、にこりと笑った。

その顔も、久しぶりに見たような気がする。

この数十年、エリスは俺を見ては怒るばかりだったのだから。

 

そして、エリスは。

 

口から大量の血を吐くと、地面に倒れた。

 

 

 

「エリ――」

「エリスッ!!」

 

俺がエリスの名を呼ぶより早く、町並みからひとりの女性が矢のように飛び出し、駆け寄ると、エリスを抱き起こした。

 

ギレーヌだった。

 

ギレーヌは血に染まったエリスの胸元に耳を当てる。

そして、少しの間を開けて、エリスの胸元から耳を離した。

 

「……ルーデウス!」

 

ギレーヌは地の底から響くような声で俺を呼んだ。

 

「なぜだ! 答えろ! ルーデウス!!」

 

ギレーヌの目から、滂沱と涙が流れる。

まさか、エリスは。

 

「どうしてだ! どうして貴様はこうなるまで、――最期までエリスの想いに応えてやらなかった!?」

 

「エリスの、想い……?」

 

何の話だ。

俺にはさっぱり分からない。

 

「お嬢様は、エリスは……ただお前を愛していたんだ! ずっとお前に愛されることを願っていたんだ!」

 

「え……」

 

「剣の聖地に行ったのも! 強くなったのも! 全てはお前のためだったんだ! お前と共に並び立てる日を夢見ていたからだ!」

 

エリス。

シャリーアで再会してからは喧嘩ばかりだった。

俺の顔を見ては殴りかかってくるばかりだった。

その、エリスが……?

 

「だから夜な夜なミリスの暗殺者からお前の家を守っていた! お前が旅をする度に後をつけ、お前の役に立てる日を待っていた! 何十年もだ! その気持ちに、どうして応えてやらなかった!!」

 

エリスが、俺の家を、守っていた……?

そんな、馬鹿な。

 

だが。最期に俺に見せた笑顔。

それは、まるで、かつて共に旅をしていた時に見せていたような、心からの笑みで。

 

「あ、あああ……」

 

ぐらりと世界が歪む。

 

エリスが俺を愛していた。

だが、俺は、夕べ彼女を。

ヒトガミの使徒だと疑ったから。

 

だというのに、エリスはアトーフェから俺を守った。

俺を、守って。

そして。

 

「あああああああ……」

 

これは何だ。

悪い夢か。

 

誰か。

誰か、助けてくれ。

 

俺は、取り返しの付かないことを。

 

 

 

「うわああああああ……エリス……エリス……」

 

応える者はいない。

もういない。

ギレーヌはエリスの身体を抱えると、どこかへ行ってしまった。

 

俺は。

犯した罪の重さに今ごろ気づいた俺は、どうすることもできず、ただエリスの名を呼び続けるのだった。

 

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