エリスが死んで10年ほどが経った。
俺を愛してくれていたというエリス。
俺が旅をしていても、シャリーアに戻っても、もう彼女はいない。
不思議と、ぽっかりと心に穴が開いたような気分になっていた。
彼女の遺体がどこに納められたか俺は知らない。
俺がアトーフェとの戦いの後、呆然としている間にギレーヌがどこかに連れて行ってしまった。
ボレアス家の墓に納められたかもしれない。
だが俺はそこを訪れる気にならなかった。
今さら、彼女の墓の前に立って何を思えばいいのかわからなかったからだ。
俺は引き続き転移魔法陣を使い世界を旅しながらヒトガミの情報を探し求めていた。
ほとんど成果はなかったが、長生きしている者の中にはその単語を聞いたことがあるものがいた。
それを知ってからは、長生きしている者や遺跡を中心に調べることにしていた。
だがそれでも成果はあまりにも少ない。
1年間旅をして一言の情報しか得られないこともあった。
情報の少なさは俺に絶えず苛立ちを産んでいた。
かつての自分からは信じられないほど、荒んだ生活を送る俺。
安宿の対応が悪かったという理由で村そのものを焼き尽くしたこともある。
女連れの冒険者が馬鹿にした口調をしたというだけで男を殺し、女を嬲ったこともある。
そんな生活を送る俺にとって、唯一の癒やしはシャリーアに戻った際、アイシャやザノバと会うことだった。
変わってしまった俺に対しても彼らの態度は変わらなかった。
アイシャは引き続きナナホシの異世界送還の魔法陣の解析を続けている。
ザノバは自動人形を国に卸しながら人形の研究を続けていた。
俺は過酷な旅を続けながら、シャリーアに帰れる日を楽しみにするようになっていた。
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この年、ミリス神聖国はひとつの決断を下す。
それは長年『神敵』とされ敵視されながらも打倒を果たしていないルーデウス・グレイラットとザノバ・シーローンを何としても殺すという決断だった。
これまで暗殺者を差し向けていたが目的は果たされなかった。
これは実はエリスとギレーヌの手により事前に殺害されているケースが多かったのだがそれは余人には知られていない。
今回ミリス神聖国が用意したのは、熟練した神聖騎士団1,000人。
無論、そのままラノア王国に差し向けたのでは軍事侵攻である。
そのためミリス神聖国は1,000人に個々に旅装をさせると、ばらばらにラノアに潜入させたのだった。
シャリーアに迫る1,000人の騎士団。
その時たまたまルーデウス・グレイラットはシャリーアに滞在していた。
それが誰にとって幸か不幸か。
それは誰にもわからない。
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その日、俺は魔法大学で教鞭をとっていた。
テーマは無詠唱魔術である。
ザノバが自動人形を国に提供しているように、俺がラノア王国にとって重要人物と見なされるように行っている活動である。
実のところ、無詠唱魔術がものになるかどうかは幼児期にほぼ決まっているようなものだ。
ある程度年を重ねるとどういうわけかうまくいかない。
子供の頃から無詠唱魔術を使っていた俺はもちろん、シルフィも子供の頃から使っている。
あとはジュリもそうだ。
逆にあれほど魔術に造詣が深かったロキシーでも大人になってからでは無詠唱魔術は身につかなかった。
それもあって、俺の講座では子供の頃から魔術の修練を積ませることを推奨している。
はじめは懐疑的だった受講生たちも、子供ほど成果が上がる現実を目にすると、こぞって幼子を参加させるようになっていた。
……一部では俺がロリコンだという噂が立てられているらしいがまぁそれはよしとしよう。
俺は講義を終えて大学内に割り当てられた自分の研究室でお茶を飲んでいた。
ん? なんか、大学の外が騒がしいな。
何かトラブルだろうか。
「先生! 大変です!」
生徒のひとりが駆け込んで来た。
「何だ?」
「いきなり街に騎士団が現れて、それで、――先生の家の辺りが襲撃されていると!」
「……騎士団!? ラノアのか?」
「いえ、それが――どうもミリスの神聖騎士団らしいと」
「何ッ!?」
ミリス神聖騎士団。
俺とザノバに幾度となく暗殺者を送ってきた組織だ。
それが俺の家の近くに。
嫌な予感しかしない。
俺は窓を開けると窓枠を蹴って宙に舞う。
「せ、先生――!?」
後ろから仰天したらしい生徒の声が聞こえるが、無視だ。
俺は重力魔術で自分の身体を浮かすと、ミサイルのように家の方角に向かって飛んだ。
アイシャ――無事でいてくれ!!
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アイシャはルーデウス邸の地下室にいた。
彼女が状況に気づいたのはザノバが駆け込んできたからだった。
ザノバ邸も襲われたのだ。
しかしそこは怪力の『神子』。
襲い来る神殿騎士をなぎ倒し、ルーデウスの安否を確かめるべく彼の屋敷にやって来たのだった。
今は地下室の入り口に立ちはだかりただ一身、神殿騎士と激闘を繰り広げている。
「ここは通さんぞ!」
ザノバの全身はすでに返り血に染まっている。
ザノバは武器は使えない。
だが彼はその五体そのものが武器と言っても良い。
向かってくる騎士を掴んでは地面に叩きつける。
それだけで騎士は口から大量の血を吐いて絶命する。
横から剣で切りつけられた。
だがザノバの皮膚は刃物など通しはしない。
斬りかかってきた騎士を振り向くと、力の限り殴りつける。
騎士はその兜ごと顔面を陥没させる。
体当たりされた。
首を掴んで、引きちぎる。
噴水のように血が噴き出す。
かつて『シーローンの首取り王子』と恐れられた異名そのままに、ザノバは暴れ狂う。
「大丈夫、大丈夫だから――」
アイシャは自身にしがみつくジュリをかばうように抱きしめつつ、自らに言い聞かせるように言った。
その横ではジンジャーが剣を手に、万が一ザノバの横が突破された時のために備えている。
――きっとすぐお兄ちゃんが駆けつけてくれる。
お兄ちゃんさえいれば、こんな連中は相手にならない。
地下室に入ろうと提案したのはアイシャだった。
出入り口はひとつ。
そこさえザノバが死守できたなら、全員が助かる道はある。
でも、早く来て。お兄ちゃん。
矢が雨あられと降り注ぐ。
「ふん!」
ザノバが目をかばうように手を振ると、矢はザノバの身体を貫くことができず、ぱらぱらと落ちる。
ザノバ本人は矢など効きはしないが、彼がかける眼鏡は別だ。
視力の悪いザノバにとって眼鏡を失うというのは致命的な隙になりかねない。
敵はどうやら力押しではザノバを突破できないということに気づいたようだった。
遠巻きにして矢や手槍を投げつけてくる。
だがそのいずれもがザノバにとっては何の痛痒も起こさない。
――このまま
ザノバがそう思った時だった。
「我が身はミリス神のために!」
遠巻きにした騎士団のうちの数人がそう叫ぶと、頭から水か何かの液体をかぶった。
彼らは懐から火打ち石を取り出すと、ためらわず打ち鳴らす。
――騎士たちが燃え上がった。
「何ッ!?」
騎士たちが被ったのはおそらくは油だったのだ。
燃え上がる騎士たちはそのままザノバに突っ込んでくる!
「くっ!」
ひとりは蹴り飛ばした。
だが、3人が燃えながらザノバの身体にしがみつく。
「ぬうっ!」
引き剥がそうとするザノバだったが、燃える勢いが強いことと、騎士たちの身体が油まみれであることで手間取る。
周辺の騎士たちが手に手に水筒のような何かを投げつけてくる。
――それらはザノバの身体に当たると破れ、中身をぶちまける。
――それもまた油だった。
ザノバの身体が燃え上がる。
「ぐおおおおおおおおおおっ!!!!」
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「ぐおおおおおおおおおおっ!!!!」
地下室の外からザノバの悲鳴が聞こえた。
「ますたー!!」
だっ。
ジュリが駆け出す。
「ジュリ、ダメ!!」
「ジュリ!」
ジンジャーとアイシャの手をくぐり抜け、ジュリが地下室の扉に手をかけると、一息に扉を開ける。
ざしゅっ!!
扉の空いた隙間から剣を手にした騎士が入り込んでくると、ジュリを袈裟懸けに切りつけた。
「ま、すたー……」
どばりと噴き出す血。
ジュリは最期にそうつぶやくと、倒れた。
「くっ!」
ジンジャーが剣を手に、騎士に斬りかかる。
きぃん!!
ジンジャーの剣はあっさり弾かれた。
体勢を立て直そうとした瞬間、扉が全開となり、もうひとりの騎士が入ってきた。
もうひとりの騎士は何も言わず、手にした槍を投擲した。
どすっ!
槍はジンジャーの脇腹を貫通した。
「ザノバ、さま……」
ジンジャーも倒れた。
扉から入って来た騎士たちはジュリの死にも、ジンジャーの死にも何の感慨も抱かないかのように、そのまま一言も発さず、アイシャの前にやって来た。
――お兄ちゃん、ごめん。
――一緒にヒトガミを倒すって約束、守れなかった。
剣が振り下ろされる。
先のジュリと同じく袈裟懸けに斬られた。
熱い。
度を超した痛みは熱となり、彼女の豊かな胸から腰までを走った。
血と臓物が噴き出す。
その、刹那だった。
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その刹那。
アイシャの脳裏に凄まじいまでのイメージが湧き起こった。
――走馬灯、という現象があるとされる。
死に瀕した際、人はわずかな間、ゆっくりと時間が流れる中、一生を振り返るかのようなイメージを見るという。
一説に寄れば、それは死に瀕し、もはや間に合わないとしても、この現象から助かる術がないかを己の経験の中から探すのだという。
ただ、それは並の人間の話だ。
アイシャは、彼女は並の人間ではなかった。
彼女は天才だった。
100人にひとりというレベルではない。
この瞬間に限らず、この世界が誕生して以来の全ての人族を比べたとして、その頂点に立つ才の
経験という意味では、長き時を生きる者に及ばないところはあるだろう。
――例えば甲龍王ペルギウス。
――例えば龍神オルステッド。
――例えば魔王バーディカーディ。
だがそういった要素を排除し、こと頭脳の性能という一点でのみ比べるのならば、アイシャの頭脳は彼らを遙か凌駕していた。
そんな、人族の最高傑作が見る走馬灯とは――。
アイシャは全てを視た。
彼女の生きた年月に見知った全てを思い浮かべ、そこから彼女が知ることのなかった全てを把握した。
足りないピースは想像力と第六感が補い、更に遠くのピースをたぐり寄せる。
それを無限回に繰り返し、やがて彼女の類い希なる脳漿は最期のピースをつかみ取る。
その結果、彼女は因果律と呼ぶべき、この世の
過去と未来の全てが彼女の中にあった。
思えば全てを知ることができた。
そこに至り、彼女が知ることが願ったもの。
それは、彼女の最愛の兄の行く末だった。
そうして、彼女は知る。
――遙か未来において、ルーデウスは到達する。
――朽ち果てた遺跡。そこに魔術を通す彼の姿。
――それは、かつて
――運命をねじ曲げる、禁忌の魔術。
その結末は――。
よかった。
お兄ちゃんは、やっぱりすごいや。
そうすれば、あの憎たらしいヒトガミに一矢報いられる。
いや、それ以外に方法はない。
やっぱり。
お兄ちゃん。
最高だ……な……。
大好……き……だよ……。
アイシャ・グレイラット。
希代の天才にして、人族の最高傑作は。
彼女にしか知り得なかった未来を知り。
それを誰にも伝えられることなく、この世を去った。
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ザノバの死体から燃え広がった炎が、ルーデウス邸を広がっている。
もとよりルーデウスとザノバ、それに関わるもの全ての破壊を命ぜられていた騎士団は、何の感慨もなくそれを見ていた。
ザノバとジュリ、ジンジャー、アイシャを殺してなお、彼らには一切の油断がなかった。
主目的である、ルーデウスの姿がなかったからである。
ガガァァン!!!
凄まじい破裂音がした。
騎士団の面々が振り向くと、ルーデウス邸の周辺に屹立していた大木が煙を上げめきめきと音を立てて折れるところだった。
――落雷!?
馬鹿な。さっきまで晴天だったはず。
思わず空を見上げる騎士団の面々。
そこに彼が浮かんでいた。
名を表すかのような
杖は携帯していない。
だが魔術師であることは一目で見て取れる。
本来見えるはずのない魔力が、可視化され見えるかのようだった。
それほど膨大な魔力が彼の周りに漂っていた。
ぱちぱちと音を立てる周囲の空間。
帯電した物体が放電するかのように感じられた。
――こいつだ。
誰ともなく気づく。
この男こそ、ルーデウス・グレイラット。
『神敵』にして当代最強と名高い魔術師。
今、騎士団の前に彼が姿を現したのだった。