あれから何年経ったろう。
いや、何十年か。
もう自分の年齢もわからない。
シャリーアの屋敷を失ってから、俺は放浪しながら強者を殺す旅を続けていた。
龍神にはとうとう出会うことはなかった。
水を飲もうと川に近づいた時に、水面に映る自分の顔を見る。
いつしか顔には深い皺が刻まれ、髪は白くなっていた。
もうすっかり老人と言ってもいい年齢だろう。
重力魔術で体重を軽くできるし、その気になれば飛ぶこともできるので旅に支障はない。
だが、日常のちょっとした動作ですら身体が重く感じる時があるし、手がわけもなくぶるぶると震える時もある。
もう、あまり長くないかもしれない。
それもいいかと思う気持ちがあることに驚く。
ヒトガミに一矢すら報えていない。
悲願であったはずのそれが少し薄らいでいるかのような感覚に恐怖を覚える。
いやだ。
ヒトガミ。あいつのために全てを失った。
シルフィも。ロキシーも。
だが、彼女らの顔が最近はっきりと思い出せない。
彼女らと愛し合った日々すら遠くの幻想であったかのような錯覚すら感じる。
……疲れた。
もう本当に疲れた。
これが『老い』というものなのか。
『――だから貴方の苦しみには、悲しみには、きっと意味がある。その先にはきっと貴方にしかできないことが待っている』
かつて俺にそう言ったのは誰だったか。
もう俺には思い出すことすらできない。
だが、俺は休むことなく遺跡の探索を続けている。
数十年続けてきた習慣だからか、手と足は勝手に動いて捜索をやめようとはしない。
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魔大陸のはるか奥地。
人の生息域から遙か離れた地に、その遺跡は眠っていた。
誰ひとりこれまでここに辿り着いた者はいなかったのだろう。
ほぼ完全な形で遺されていた。
その遺跡は、数年前に見つけた遺跡と同じものを示しているようだった。
だが、前回の遺跡では壊れていて判読できなかった箇所が完全に残っている。
かつて世界は六の世界に分かれていた。
龍。
人。
魔。
獣。
海。
天。
六の世界は正六面体状に連なっていたという。
そして、その内側は「無の世界」となっている。
世界から世界に渡るには「無の世界」を通る必要がある。
その「無の世界」の中心に、ヒトガミがいる。
ここまでは前回、ベガリット大陸で見つけた遺跡に書かれていたことと同じだ。
だが、今回の遺跡には続きがあった。
「無の世界」に行くには古代龍族の五つの秘宝を集めること。
これのみが、「無の世界」で至る道である。
ようやく。
ようやくヤツのところへ行く方法を見つけた。
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秘宝について話を聞こうと、ペルギウスの元に行った。
「ご無沙汰をしております」
「ルーデウス・グレイラットか。息災であったようで、何よりだ」
龍族であるペルギウスは、初めて会った頃と変わらないように見える。
俺の方は、ずいぶんと変わっただろう。
初めて会ってから……40年くらいは経ったはずだからな。
「単刀直入に言います。五龍将の秘宝を手に入れたく思います。秘宝について教えてください」
「む……」
ペルギウスは困惑したようだった。
「なにゆえ、秘宝を望む」
「ヒトガミのいる、『無の世界』に行くため」
「そうか……」
ペルギウスはゆっくりと目を閉じる。
何かを考えているようだった。
「我は確かに五龍将のひとり。秘宝は持っている」
「では、他の4つは……」
「手には入らぬ」
「……えっ」
「五龍将のひとり、カオスはすでにこの世にはおらぬ。ヤツの所持していた秘宝がどうなったかは誰にもわからぬ」
「そんな……」
「そして、万が一手に入れたとしても、別のひとつの持ち主は今この世にはおらぬ。40年ほど先に転生するはずだ。それまでヤツの秘宝は誰も手にすることはできない」
「40……年……」
絶望的だ。
今の俺があと40年生きられるとは思えない。
俺は、ヒトガミのところへ、行くことはできない。
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絶望だ。
これまで必死にやって来たことが実を結ばない事がはっきりしてしまった。
これまで必死にやって来た。
世界を巡り、強者を殺し。遺跡を巡り、情報を集め。
ようやくヒトガミのクソ野郎のところに行く術を見つけたというのに。
あと40年経たないと秘宝は揃わない。
俺は年老いて、多分あと20年も生きられないだろう。
手詰まりだ。
せめてペルギウスの秘宝だけでも手にして、1つでも試してみるか?
だが、ペルギウスとも40年の付き合いだ。
昔の話をすることができるたったひとりの存在でもある。
もし戦いになっても殺したくはない。
どうしたらいい?
俺は、どうしたらいい……?
『あと――これは、もしかしたら、なんだけど……』
ふと。
かつて聞いたことのある、懐かしい声がした。
あれは、誰の声だったか。
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異世界転移魔法陣を使う。
僅かな可能性に懸けてみることにした。
転移する先は、ナナホシが帰ろうとした、かつて俺のいた世界ではない。
ヒトガミのいる無の世界でもない。
異世界転移魔法陣は、空間と時間を指定して転移先を決める。
それは、すなわち今俺がいるこの世界の過去にも転移できるということではないか?
かつて、アイシャが示唆したのはこのことだった。
俺がヒトガミに騙されて地下室の扉を開けた、あの日に飛ぶことができるかもしれない。
扉を開けなければ、魔石病にかからず、ロキシーは死なないで済む。
あのヒトガミの思惑をくじくことができるかもしれない。
問題はある。
転移できたとして、その世界には当然、その時代の俺がいる。
どうなるのか?
当時の俺の脳を今の俺が乗っ取るような形になるのか?
当時の俺の前に今の俺が現れるのか?
想像も付かない。
また転移できたとして、今の俺の記憶を保持したまま行けるのか?
タイムパラドックスが起こり、未来の知識を失ってしまうのではないか?
それもわからない。
だが、俺に残された方法はこれしかない。
今さら、全てを忘れて幸せになんてなれるはずがない。
せめて一矢、ヒトガミの野郎に報いてやらなくては死んでも死にきれない。
それだけのためにずっと生きてきたのだ。
死ぬのは怖くない。
怖いのは、結局あのヒトガミに対して何もできないままでいることだ。
俺は異世界転移魔法陣を使うことにした。
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ナナホシの作った、ペルギウスのところにある転移魔法陣は使えない。
あれは送還者とは別に、魔力を送る担当が必要だ。
俺を送るのに、俺が魔力を込めることはできない。
代替となる転移魔法陣はすでに見つけてある。
おそらく本来は無の世界に行くための転移魔法陣である遺跡。
俺は、本来ならば五龍将の秘宝を置くであろう箇所に、俺の日記を置いた。
この日記の「生まれた世界」「生まれた時間」に、飛ぶ。
俺の目論見が正しければ、まさに俺がヒトガミに騙されて地下室の扉を開けた、その日に飛べるはずだ。
問題は、魔力が足りるかどうかだ。
理屈上、飛ぼうとする距離に比例して莫大な魔力が必要になる。
40年という時間がどの程度の距離に該当するのかわからない。
飛んだことがないのだから。
万が一魔力が足りなかった場合を考えて、あらかじめ何を伝えるべきか考えておこう。
最悪、声だけでも伝えることができるかもしれない。
まず「ヒトガミを信じるな」これは絶対だ。
あのクソ野郎の話はしないわけにはいかない。
次はなんだ。そうだな。「エリスを迎えに行け」これだな。
ちゃんと話をすれば、あんなにぶつかり合いながら悲しい結果にはならずに済んだはずだ。
後は「ナナホシに相談しろ」だな。
あいつは40年前で転移魔法陣を扱った唯一の専門家だ。
俺が未来から来たことも説明してくれるかもしれない。
こんなもんか。
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別れを告げるような相手は、もういない。
強いて言えばペルギウスくらいか。
でもまぁいいか。
俺は、ゆっくりと呪文を詠唱する。
転移魔法陣に魔力を注ぎ込み始める。
魔力を注ぐこと自体はナナホシの転移魔法陣で経験済みだ。
ぐんぐんと冗談のように魔力が吸い取られる。
おお、転移魔法陣の各所が緑色に光り始めた。
こんなギミックがあるとか、ペルギウスやザノバが見たら喜ぶだろうな。
……おかしい。
もう魔力の大半を注ぎ込んだ感覚があるのに、まだ転移が起こらない。
まさか、俺の魔力では足りないのか?
嘘だろ。
魔力の量という意味では生まれてこの方、負けたことがない。
かつて魔神ラプラスよりも多いと言われたこともある。
そう言ったのは誰だっけか。
もう思い出せない。
だが、この俺に起動できないとなると、世界の誰にも起動できないことになるじゃないか。
俺は魔力を更に振り絞り、魔法陣に注ぎ込む。
あまりにも多量の魔力を失うことにより、貧血になったかのような症状が起こる。
「くそ……っ!」
ゆっくりと、俺の足先が消え始める。
やった!
俺はそれに勢いづき、更に魔力を振り絞る。
「ぐっ……!」
ぶっ。
限界を超えて魔力を放出したために鼻血が吹き出す。
それがどうした。
涙がぼろぼろと出始める。
もう魔力が枯渇し始めている。
そんなわけにいくか。
――こっちは60年分の人生かけてんだよっ!!!
ぶしゅっ。
視界が赤く染まる。
感覚で眼球の毛細血管が破裂したのだとわかる。
「うわああああああぁぁぁぁぁっ!!!」
全身をぶるぶると震わせながら、魔力を注ぎ込み続ける。
指の先から血が噴き出す。
指先の毛細血管まで破裂したようだ。
足先から始まった転移は、腹のあたりまで進んでいる。
「うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
両手を握り合わせ、魔力を振り絞る。
耳からぶしゅっ、という音がした。
耳からも血が出たようだ。
「シルフィーーー!! ロキシーーー!!」
最後。
最後に彼女たちの名を呼ぶ。
あ。
そうか。
なんで俺がこんなに転移したいのか、気づいた。
俺は。
もう一度、彼女たちに会いたいのだ。
一目でいいから、彼女たちの姿を見たい。
そう気づいた瞬間。
最後に魔力を絞り尽くすことができた。
その魔力を受けて。
俺の全身は光に変わると、吸い込まれるように魔法陣の各所に散っていった。
---
甲竜歴400年代。
当代最強の魔道士と謳われた『雷神』ルーデウス・グレイラットの最期は全く知られていない。
彼はまさにある日突然姿を消し、そして二度と現れなかった。
いくつもの説がある。
世界最強の名を求め、『龍神』に戦いを挑み、敗れたというもの。
これは彼が強者を次から次に殺害し続けたことからの推測であり、証拠となるものはない。
また、ルーデウスを題材とした戯曲や演目では、亡き妻の魂を追い求め、重力魔術で空の彼方へ飛び去るというのが定番となっている。
真実は明らかになっておらず、おそらくこの先も明らかになることはない。
---
「そこだっ!」
気がつくと、見知らぬ――いや、かつてよく見知っていた姿が振り向くところだった。
ああ。
うまく――いったのか?
「成功……したのか……」
目の前の男を見る。
茶色い髪。
左右で少しだけ瞳の色が違う。
――よく知っている。
片方が魔眼だからだ。
いきなり俺が現れたことで、きょとんと間の抜けた顔を晒している。
馬鹿が。
俺が敵だったらどうするんだ。
即座に戦闘態勢に入れよ、そこは。
俺はゆっくりと自分の手を見る。
いや。
何かがおかしい。
身体がイカれている。
息がうまく吸えない。
腹の辺りを触ってみる。
――あるはずのものが、なかった。
皮はある。骨はある。
だが、
魔力がある限り、生命維持だけはできそうだが……、転移前でほとんどの魔力を使い果たしたのを思い出した。
「いや……失敗か。成功するはずもないか……」
転移できただけでめっけものというヤツだ。
さて、何から話せばいいんだっけか。
確か3つくらいあったはずだ。
---
「……お前に……後悔を……ヒトガミの、思い通りに……なんでこんな所で……言うべきことは……過去にきたんだから、せめて、ひと目……」
魔力が尽きようとしている。
言いたいことは言った。
あとはコイツの仕事だ。
頼むよ。
頼むから、俺のようにはならないでくれ。
なぁ、頼むよ。
――ルーデウス・グレイラット。
ふと、扉の方に目をやる。
俺の耳は少し前に2階の階段の先の扉が開く音を捕らえていた。
降りてくる足音。
「あ」
懐かしい気配。
二度と会えないと思っていた気配。
俺の『予見眼』が最後の魔力を使い、未来を
扉を開けて、入ってくるふたりの姿。
――シルフィ!!
――ロキシー!!!
「ああ、シルフィ、ロキシー……くそう、相変わらず可愛い、なぁ……」
自分でも何を言っているのかわからないままに口が動く。
そして、俺の意識は暗黒に落ちていった。
---
気がつくと白い空間にいた。
ここは――?
自分の姿を確認しようとするが、見えなかった。
空間の白さは認識しているが、まるで俺に手も足もないかのように自分の姿が見えなかった。
「――お疲れ様でした……。ルディ」
突然。
俺の意識の側に別の気配が現れた。
懐かしい気配。
さっき見たような気配。
だが、これは。
俺に寄り添うような青い気配。
目をこらしても姿は見えないが、そこにいるのがわかる。
「……長い間。ほんとうに、ほんとうに、お疲れ様でした。ルディがずっと戦い続けてくれたこと、ずっと見てましたよ」
「……あ。……ああ……」
俺の目から涙がこぼれる。
まさか。
こんな優しい言葉をかけてもらえるなんて。
ふ、と気配がもうひとつ増える。
「ルディ、まさか
となりに寄り添う白い気配。
「……ルディ。最後まで傍にいてあげられなくて、本当にゴメンね?」
いいんだ。
俺の方こそ。
あやまらないといけないのは俺の方で。
そう言いたいのに、涙ばかりがこぼれてきて、言葉にならない。
とす、ともうひとつ、寄り添う気配が増えた。
今度は赤い気配。
「――ふん」
伝えなければ。
彼女には。感謝を。
命をかけて俺を救ってくれた感謝を伝えないと行けないのに。
ぼろぼろとこぼれる涙がそれを許さない。
あとからあとから涙が続く。
3つの気配はやさしく傍に寄り添ってくれていた。
「――あなたの人生はここでおわりです」
青い気配が告げる。
「――でも、決して無駄にはならないよ」
白い気配が続く。
「――あとは、下にいる彼らに任せなさい」
赤い気配が続けた。
その言葉に従って、下を見る。
見ると、屋敷から少し離れた空き地だった。
どうも、そこに穴を掘り、俺を燃やしていたらしい。
この白い空間は、俺を燃やした煙なのだろうか。
と、軽い風が吹く。
白い空間は、その風に吹き散らされるように散っていく。
――ああ、そうだな。
彼女らの言葉を頭の中で反芻する。
俺が繋いだ、ひとつの可能性。
頼むよ。
本当に頼むよ。
どうか、あのクソ野郎に一矢報いてくれよ。
俺の、人生をかけて、頼むから。
なぁ。
ルーデウス。
風が強まった。
白い煙はまもなく風に吹き散らされ、後には何も残らなかった。
<了>
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