気がついたら見知らぬ場所に立っていた。
周りを見回す。
なんだろう、古代ローマのコロッセオのような、周囲に円形に観客席のようなものがある。
野球のスタジアムと言わないのは、電光掲示板のような機械を感じさせるものが何一つないからだ。
だが何でこんな所にいるのかがわからない。
落ち着け。
落ち着いて自分の状況を思い出せ。
俺の名はルーデウス・グレイラット。
愛する三人の妻がいる。
シルフィ。ロキシー。エリス。
子供も四人いる。
上からルーシー、ララ、アルス、ジーク。
ビヘイリル王国での戦いで闘神鎧を身につけた魔王バーディガーディ、王竜剣カジャクトを手にした北神アレクサンダーを倒したのが少し前のはずだ。
あれから数ヶ月、大きな戦いは起きていない。
ヒトガミの使徒は一通り倒したはずだし、これからヒトガミが新たに使徒を用意しても動き出すのはまだ数年先になるだろうとオルステッドも言っていた。
平和というヤツがようやく来たはずだ。
俺の禁欲も解除された。
解除の日はそりゃあ凄かった。
シルフィとロキシーとエリスを全員休みにして一日中部屋に籠もったのだ。
禁欲が解除されたのは俺だけではない。
シルフィたちも俺に付き合わせて相手してあげられなかったのだ。
だからもうみんな、たがが外れたようにそりゃもう大変なことになった。
思い出すだけで幸せな気持ちとエロい気持ちが訪れる。
いやいやいや。
待て。
今問題なのはここがどこかわからないことだ。
断じて楽しい四人プレイの話ではない。
ダメだ。
ここまで思い出しても自分がここにいる理由がわからない。
前の日は普通に布団で寝たはずだ。
空を見上げる。
曇り空だ。
太陽が見えないので今何時くらいかもわからない。
――と。
何か空に見えた。
はじめは黒い点にしか見えなかったものがだんだん大きくなっている。
……何か落ちてきてる!?
何だかわからないが、下敷きになったらことだ。
落下位置を見定めて、場合によっては土魔術で障壁を用意して……、
って、あれ。
「オルステッド様!?」
――ふわり、と。
落ちてきたものは、その恐ろしいほどの速度にも関わらず、音もなく着地する。
砂埃すら起こさずに。
銀髪。金色の瞳。
――呪いを抑えるためのヘルメットはしていない。
長身の身体は鍛え抜かれていることが一目でわかる。
立ち居振る舞いからして何らかの武術の達人であることは見る人間が見ればわかる。
当然だ。
彼こそがこの世界で最強と言われる存在。
『龍神』オルステッドなのだから。
だが、何かがいつもの見慣れた姿と違うようにも見える。
いつも着ている白いコートが
まぁ、オルステッドだって気分で着替えることくらいあるだろう。
いや、違うのはそこだけではない。
オルステッドの俺を見る目。
まるで――まるで、かつて敵対した際のような、こちらを射貫くがごとき眼差し。
一体、何だ?
「オルステッド様」
「……」
「ここがどこかわかりますか。俺、なんでこんな所にいるのかさっぱり分からなくて……」
オルステッドがゆっくりと腕を組む。
「……ここは『冥王』ビタの魔力の作り出した異空間だ」
---
「『冥王』ビタ!?」
それは以前の戦いで倒した魔王の名だ。
水色のスライムのような形をした不定形生物。
ヒトガミの使徒として、ルイジェルドたちスペルト族を俺たちの敵にすべく、ルイジェルドに取り憑いていた。
最後は俺にいくつもの幻覚を見せたあと、俺がつけていた『ラクサスの骨指輪』がビタに対する特効というべき呪物だったために死んだ。
……。
そうだよ。
確かに『冥王』ビタは死んだはずだ。
なのに、ヤツの作り出した異空間、というのは一体?
俺はオルステッドの次の言葉を待つ。
「あまりにも巨大な魔力を持つものが死んだ場合、その魔力はすぐには消えてなくならん」
強大な魔力。
ビタはそれほど強大な魔力を持っていたのか。
俺が知っているのはスペルド族に憑依していたことくらいだ。
「『冥王』ビタは数百年を生きた魔王の一角。粘族最強と言われた存在だ。ヤツはこのような決闘場を用意していたが、お前には使う間もなく死んだのだろう」
「……」
決闘場。
かつて俺に夢を見せた時は次から次へと違う女性を妻にしている夢だった。
たしか相手の欲望に合わせて作ってるとか言ってたか。
「その魔力は本来、世界に拡散し消えてなくなるものだが、魔力量が多かったために完全に拡散する前に効力を発揮したのだろう」
「あの、ビタが死んでからかなり時間が経っているんですが、なんで今ごろ?」
もう1年近く前の話になるはずだ。
「……それは俺にもわからないが、ビタ自身が死んでいるために起動できなかったのだろう」
「――それが、急に起動したと」
「それも俺にはわからん。偶然か、運命か」
なぜか。
なぜか、オルステッドの眼がより剣呑な光を帯びたように見えた。
ここには俺とオルステッドしかいないはずなのに。
急に冷や汗が出てきた。
「あの……オルステッド様」
「ああ」
「なんで、そんな……怖い眼をしているんです?」
背筋がぞくぞくするような悪い予感を覚えながら、聞く。
「そうだな」
オルステッドが腕組みを解いて、両の手のひらを合わせた。
祈るがごとき手だ。
いや。
いや、待て。
俺はあの体勢を知っている。
過去に二度だけ、見たことがある。
オルステッドが合わせた手を放した。
まるで左手から生えてくるかのように、右手に剣――いや、刀か――を握って。
あれは。
あれは、『神刀』。
オルステッドが所持する数々の伝説の武具の中でも最も強力な武器。
過去、俺と戦った時と、『北神』アレクサンダーと戦った時にだけ使用した武器だ。
こうやって取り出すだけで莫大な魔力を消費するはず。
時間経過による魔力回復がほとんどないオルステッドは、対ヒトガミの戦いに備えて極力魔力を使わないようにしている。
だから『神刀』をみだりに抜くことなどないはずなのだ。
それを、味方のはずの俺を前に抜く。
一体。
何が。
「俺が――」
『神刀』をゆっくりこちらに向ける。
「――この世界に用意された、お前を殺す刺客だ」
---
瞬間。
俺は全力ダッシュで距離を取る。
…。
……。
無理!
無理無理無理!
だってオルステッドだよ!?
世界最強なんだよ!?
前に戦った時はいくつもの策を用意して、
「ルーデウス・グレイラット!!」
オルステッドの声が響く。
「ここは代理戦争の世界。ビタが俺を用意したように、お前にもひとりだけ味方を呼ぶ権利がある!」
ぞっとする殺気が迫ってくるのを感じる。
「『
俺の声に応じて地面から岩の壁が現れる。
「!!」
音もなく。
岩の壁は切り裂かれた。
ばらばらと地面に落ちる。
「――異空間とはいえ、この世界で死ねば、現実世界のお前も死ぬ!」
そして、岩の壁の向こうからオルステッドの姿が現れる。
「『
泥沼と並んで、最も俺の使い慣れた魔術を使う。
無詠唱魔術ゆえに大きさや速度はある程度自由がきく。
今は、ただ最速を。
大きさは米粒ほどの岩の弾丸。
だが、速度は音速並みに!
俺の目には追えないほどのそれを。
オルステッドは。
「――北神流『流れ』」
同じように目にも止まらぬ速度で左手を動かす。
ギュンッ!!!
そして、岩砲弾はオルステッドをかすめるとあらぬ方向に逸れた。
……嘘だろ。
北神流には速さは通用しない。
そう言われてはいたが、まさかこれほどとは。
「――お前が呼べるのは、お前が会ったことのある者に限られる!」
振るわれる『神刀』の一撃。
俺は横っ飛びに身をかわす。
そのままごろごろと転がって距離をとる。
「――例えば、勇者アルスや魔龍王ラプラスなどは呼ぶことができない」
オルステッドは悠々と俺の方を向くと、話を続ける。
何か。何か考えろ。
オルステッドの意表をつくものを。
「――また、『俺』も無理だ。異空間とはいえ、世界の法則として、俺はふたりいないからだ」
「……『泥沼』!!」
くそ。
急に相手の意表をつくと言われても、そんなに都合よく思いつかない。
オルステッドは表情一つ変えず、魔術の発動前に大きくジャンプすると泥沼の効果範囲から逃れる。
俺は不格好にオルステッドを見ながら、走って距離をとる。
「――念ずれば現れよう。誰でも構わん。死者であろうと甦る。好きに呼ぶがいい――」
「
「
パァン!!
爆発音がしたが、魔術の炎が出現しなかった。
――なんだ!?
魔術が発動しなかった!?
発動すると同時に火魔術に対して逆属性の氷魔術で相殺した!?
そんなこと、できるのか!?
くそ。
剣術はもちろんだが、魔術の知識と応用力、対応力に格段の差がある。
「――まぁ、誰が相手でも俺は負けまいがな。エリス。ルイジェルド。バーディガーディ。アトーフェラトーフェ。剣神。北神。水神」
エリス。ルイジェルド。
ふたりの顔を思い浮かべる。
……だめだ。
ふたりとも俺より強いが、俺と協力しても、オルステッド相手に勝てるとは思えない。
「……どうした。呼ばないのか? なら――」
音もなく。
オルステッドが無造作にすら見える動作で右手の剣を振るう。
「!」
咄嗟に転がって移動する。
飛び起きるようにして立ち上がる。
そして、さっきまで俺がいた場所を見ると。
「――遠慮せず、斬らせてもらうぞ」
オルステッドのいる場所から、俺のいた地点を通り過ぎて数十メートル。まっすぐに地面が斬れていた。
いっそ美しいほどの断面。
「お前も知っているだろうが、俺は幾度となく世界をループし、あらゆる強者を殺してきた」
オルステッドに対して意味があるかはわからないが、距離を取ったままじりじりとオルステッドの周りを回る。
「五龍将。魔王。剣神。北神。水神。聖級以上の剣士も魔術師も皆一度は殺したことがある。運命がどう変わるか知るために」
「わかるか? お前が誰を呼ぼうが、俺にとっては一度は殺したことがある相手だと言うことだ」
「――ああ、さすがにパウロ・グレイラットはないがな」
ダメだ。
パウロじゃ千人いてもオルステッドに敵うはずがない。
「――オルステッド様」
「何だ」
「――例えば、例えばですよ……ヒトガミを呼んだり」
「……無理だな。お前がヤツと会ったと言っても、夢に現れるだけだからな。直接対面したわけではなかろう」
「……」
「仮に会ったことがあっても、ビタの異空間とはいえ、別世界の存在であるヒトガミは無理だがな」
---
それから数十分後。
やっぱり無理だ。
助けてくれー! パウロー!
と、本気ではない程度に願う。
この数十分の間。
俺は更にあらゆる魔術をオルステッドに向けて打ち込んだ。
知りうる限り、持てる限りの魔術を最大威力で放った。
オルステッドはある魔術は身をかわし、ある魔術は『神刀』で切り裂き、ある魔術は龍聖闘気で跳ね返した。
対する俺はすでに満身創痍。
かろうじて四肢はついたままだ。
だが、身をかすめた『光の太刀』でそこら中傷だらけ。
流れる血は治癒魔術で都度都度止めているが、服はすでに血まみれだ。
さっき掠めた蹴りの風圧だけで肋骨を砕かれている。
「だんだん動きが鈍くなっているぞ」
『神刀』を構え直してオルステッドが言う。
そうして、そこからジャスト1分後。
オルステッドの振るった『神刀』が俺の右足を太ももから切り飛ばした。
---
「くっ……!」
治癒魔術で出血だけは塞ぐが、もうダメだ。
この足じゃもうオルステッドの攻撃をかわすことはできない。
涙がこぼれた。
数滴こぼしただけのつもりなのに、あとからあとから涙がこぼれてきた。
いや、オルステッドに勝てないことが口惜しいんじゃない。
……俺は死ぬわけにはいかない。
シルフィを、ロキシーを、エリスを置いて、死ねない。
子供たちの成長を見届けるまで、死ぬことはできない。
これで。
……最初にオルステッドから説明を聞いた時点で思いついていた。
オルステッドと戦える、あるいは勝てる、
ひとりしかいない。
だが。
もう戦わせちゃいけないと思った。
だって。
知って、いたから。
その男がどれだけ傷つき、ボロボロになっていったか。
愛する者を次々に奪われ。
希望も。
夢も。
幸せも。
丹念なほどに運命に磨り潰され。
それでも、戦って。
戦って。
戦って。
戦って。
戦って。
戦って。
戦って。
殺して
最後の最後に、今に繋がる希望を俺に渡して消えていった。
彼を。
「来てくれ!!!」
ありったけの声で、叫ぶ。
---
ルーデウスがこれまでに会ったことのあるもので、オルステッドに比肩しうる者がいるか?
幾千万回のループを繰り返してきたオルステッドが、殺したことのない強者などいるか?
この世に存在する全ての剣技を極め、現存する全ての魔術を極めたオルステッドに一太刀浴びせることができる者などいるか?
ルーデウスは、その男を知っている。
---
「来てくれ!!!」
ルーデウスが叫んだ。
瞬間。
オルステッドは――その卓越した戦闘感覚が何かを察知したのか――大きく後ろに飛び退いた。
ズガァァァァアアアアアアアン!!!
あまりにも――あまりにも巨大な落雷が今までオルステッドのいた位置に落ちた。
地面は、まるで巨大な隕石が降ってきたかのように大きく陥没する。
その広さ、10メートルほど。
さきほどルーデウスが放った
『冥王』ビタの魔力が産んだ異空間であるこの世界に天候などない。
だから自然現象としての落雷のはずがない。
だが。
だが――この世界でも有数の魔術師であるルーデウスの放つ
オルステッドの額に、初めて汗が浮かんだ。
「ルーデウス・グレイラット!」
数十メートル先で倒れているルーデウスに呼びかける。
「
落雷の後に舞った土埃。
その数メートル上空。
ひとりの男が浮かんでいた。
――浮かぶ?
この世界、確かに重力魔術というものは存在する。
だが、伝説の存在だ。
オルステッドの知る限り。
現在でも扱うことができるとするならば、王竜剣カジャクトの魔力を使うしかないはずだ。
「ルーデウス」
浮かんでいる男が倒れているルーデウスに声をかける。
「……すまない。本当に。本当に……」
ルーデウスはしゃくり上げながら、男に謝っているようだ。
「はん」
男は鼻で笑ったようだ。
「水くせえこと抜かすな」
男の姿が消えた。
――と、次の瞬間、男はルーデウスの傍らに立っていた。
瞬間移動?
否。
重力魔術を応用した、超高速の飛行魔術で移動したのだ。
「――~~~~」
男が唱えた。
と、倒れたルーデウスの身体が柔らかい光に包まれると、全身の怪我が治癒を始める。
斬り飛ばされた右脚が再生を始めた。
治癒魔術。
しかも軽く聖級以上。
「――貴様! 何者だ!」
確実に、知らない強者を、オルステッドが
声に、明らかな苛立ちを含んでいる。
「ああ、この姿で会うのは初めてだな」
男は、老人だった。
真っ白な髪。
オルステッドは、その男が誰かに似ていると思いながら、しかし記憶の誰とも一致しないことに驚きを感じていた。
どう見ても強者――それも、倒れているルーデウス以上。
そんな強者を、自分が、知らない?
「俺の名は
老人は、自分の顔を親指で指す。
「
オルステッドは知らない。
その男が、50年後から来た、ルーデウス・グレイラットであることも。
その男が、ヒトガミを殺すためだけに50年間魔術を鍛え続けていたことも。
狂ったように強者を殺し続け、いつか人々からこう呼ばれたことも。
――『八人目の七大列強』。
あるいは、こうも呼ばれたことも。
『雷神』。
お久しぶりです。
無職転生の(二次創作の)本編を書いたなら、
蛇足編も書かないといけないよね、と思いつつ、
いつの間にかこんなに日が経ってしまいました。
すみません。
後編は明日投稿いたします。