「魔石病……」
俺は先輩の言葉を繰り返す。
「ルディ、知ってるの?」
シルフィがこわごわと聞いてくる。
ああ。知らないはずがない。つい先日、俺はノルンとその話をしたばかりだ。
「……魔石病は世界的にも珍しい奇病のひとつだ。全身の魔力が、魔石になるんだ」
「そしてこの病気は薬などでは治らない」
クリフ先輩が俺の言葉に続く。
「この病気の治し方は世界にひとつしかない。――神級解毒魔術。これでしか治らないんだ」
しん。
居間に静寂が降りる。
「じゃ、じゃあ、神級の解毒魔術が使える人の所に行けば、ロキシー姉、助かるんだよね?」
アイシャが言う。希望にすがるように。
「いや。僕の知る限り、神級の解毒魔術を覚えたのは歴史上でもひとりしかいない。そして、彼の開発した解毒呪文はミリシオンの大聖堂に保管されている」
ミリシオン。
ミリス大陸の南東に位置する、ミリス神聖国の首都。
ここからは数ヶ月以上かかる場所だ。
だが。
だが、俺たちはつい先日魔大陸に行ってきたばかりだ。
俺たちならば、世界中に位置する転移魔法陣を使い、ミリシオンに行くことも可能なのだ。
「僕が行こう。僕は現教皇の孫だ。僕が行けば、見せてもらえるくらいはできるかもしれない。いや、頼み込んででも見せてもらう」
クリフ先輩はそう言って立ち上がる。
「もちろん俺も行きます」
そう言って俺も立ち上がる。
「余も参りましょう」
ザノバが続く。
「わ、わたくしも……」
立ち上がろうとしたエリナリーゼの肩をクリフ先輩がそっと押さえた。
「リーゼ。君は身重だ。ここで待っていてほしい」
「……そう、ですわね」
肩に置かれたクリフ先輩の手をそっとなぞりながら、エリナリーゼは言う。
「ボクも行くよ!」
シルフィが立ち上がった。
「シルフィ……シルフィは残ってくれ。ロキシーを頼む」
「え」
今この場で中級以上の治癒魔術を使えるのは3人。
俺、シルフィ、クリフ先輩だ。
魔石病の治療法を手に入れても、先にロキシーの体力が持たなかったら意味がない。
誰かがロキシーの様子を見ながら、定期的に治癒魔法をかける必要があるのだ。
そう言うと、シルフィはぐっと何かを堪えるような表情をした。
「うん……。わかったよ。ロキシーは任せて」
強い目で頷く。
「リーリャさん、アイシャ。シルフィの補助とロキシーを頼みます」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
リーリャはお辞儀で答える。
「お兄ちゃん、早く帰ってきてね!」
「もちろんだ」
アイシャの頭を撫でてやる。
方針は決まった。
ミリシオンへ。
神級の解毒魔術を手に入れる。
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旅支度は簡単に終わった。
今回は急ぐ旅だ。
装備は最低限でいい。
数日分の保存食。タオルやナイフなど。
なるべくなら転移後すぐに馬を購入して一気にミリシオンへ。
金にものを言わせてでも、強行軍で行く。
旅立つ前にロキシーの部屋に寄った。
枕元に腰掛けると、そっと手を握る。
「ロキシー」
呼びかけると、そっと目が開いた。
「ルディ……」
「これから、ロキシーを治す
そう言うと、ロキシーは少し困ったような表情を浮かべた。
自分のために苦労をかける。
そういうのが、苦手なのだ。
「必ず、手に入れて戻ってきます。待っていてください」
手に力が入る。
「はい。……くれぐれも、気をつけて」
ロキシーは薄く微笑んだ。
外に出ると、ザノバとクリフ先輩も来たところだった。
「クリフ……」
「リーゼ。そんなに心配することはない」
「……わたくし、何だか胸騒ぎがしますの。どうか、どうか無事で……」
クリフ先輩がそっとエリナリーゼを抱きしめる。
「きっと帰ってくる。お腹の子と待っていて欲しい」
「ええ……」
クリフ先輩に抱きしめられたエリナリーゼは目に涙を浮かべていた。
「行こう。ミリシオンへ」
しばし抱き合った後、クリフ先輩はそう言ってエリナリーゼから離れた。
「僕らでロキシーさんを救うんだ」
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あらかじめ豪雷のクリアナイトを通じて話を通しておいたおかげで、甲龍王ペルギウスはミリシオン近くへ通じる転移魔法陣を用意してくれていた。
出迎えはシルヴァリルだった。
「ペルギウス様より伝言です。魔石病の進行速度についてはペルギウス様もご存じないとのこと。くれぐれも急ぐように、と」
「ありがとうございます」
そして、一躍ミリシオンへ。
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転移魔法陣からミリシオンは騎馬で一昼夜の距離だった。
近くの村で馬を購入して、休みなく駆け抜けた俺たちは無事にミリシオンに着いた。
「……」
「クリフ殿、遅いですな……」
今はクリフ先輩が大聖堂に行っている。
現教皇の孫であるクリフ先輩とて、教皇はそんなに簡単に会えるものじゃないらしい。
クリフ先輩が魔法大学からもらってきたという魔石病治療に対する協力要請書、そして先輩の実家の伝手。
その他ありとあらゆるものを使って、強引に教皇や大司教たちとの会談に持ち込んだらしい。
と、ようやく、クリフ先輩は戻ってきた。
「くそっ! なんて連中だ!」
がっ!
戻ってくるやいなや、クリフ先輩は壁を殴りつけた。
「クリフ先輩!?」
「……すまないルーデウス」
ふうふうと肩で息をしながらクリフ先輩が答える。
こんな先輩は初めて見る。
「……ダメ、だったんですか」
「途中まではいい感じだったんだ。だが、ロキシーさんがミグルド族だと分かった途端、急に手に平を返して……」
「魔族排斥派……ですか」
ミリス教団はかつて、経典における「魔族は全て滅ぶべし」との文言を掲げ魔族を排斥していた。
しかし、ある時「いかなる種族もミリスの下に平等である」という文言を元に、魔族迎合派が生まれた。
今は2つの勢力がどちらが優勢とも言えない勢力争いをしているという。
「そうだ。僕も迂闊だった。まさか大司教ともあろうものが魔族排斥なんて考えを持っているなんて……」
クリフ先輩は悔しそうだった。
先輩自身は、魔族迎合派だ。
初めて会った時からそうだったので、おそらく先輩の祖父である教皇も、迎合派なのだろう。
だから教会の有力者たる大司教たちもそうに違いないと先輩は思ったのだろう。
だが、現実はそうは上手くいかなかった。
「ルーデウス。こうなったら、大聖堂に忍び込んででも解毒呪文を手に入れよう」
「えっ」
「保管されている場所は聞き出しておいた。もともと盗まれるなんて想定してないものだ。忍び込んで、書き写してしまえばいい」
魔術は呪文を知ることができれば、あとは概ね唱えるだけで発動できる。
魔力の流し方や、力を込めるタイミングなどで難易度が変わってくるが、呪文があればあとはトライしながらでいつかは成功するはずだ。
「わかりました」
やるしかない。
何しろ、ロキシーには時間が残されていないのだ。
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深夜。
大聖堂に忍び込んだ俺たちは、神級解毒魔術の記された詠唱を目指して進んだ。
映画とかで見た大泥棒の忍び込み方だ。
俺が無詠唱魔術で扉の鍵から少し離れたところに丸く切り込みを入れる。
ザノバが切り込みをぶち破って鍵を裏から手を伸ばして開ける。
これを繰り返していって、詠唱のある部屋までたどり着いた。
小さな祭壇の上。
その本はあった。
あった、が……。
「くそ、まさか……」
クリフ先輩がその本を手に取る。
「こんなに大きいなんて……」
本は大きかった。
図鑑くらいあるだろうか。
そして百科事典のような分厚さ。
ぺらり。
ページをめくって、めまいがする。
これだけ大きい本でありながら、細かい字がページをびっしりと埋め尽くしていた。
「こんなもの書き写してたら、1日あっても足りない……」
それに、書き写すために十分な紙を持ってきたと思っていたが、全く足りるとは思えなかった。
「どうするのです?」
ザノバが聞いてくる。
俺は――しばし考えて、答える。
「盗もう。ロキシーが治ったら、返す」
「わかった」
クリフ先輩が答える。
そして、詠唱をザノバの背負う鞄に収め、部屋を出ようとした時だった。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
警報が鳴り響いた。
機械式のものじゃない。おそらくは、
「しまった! 本を持ち出そうとすると鳴るようになっていたんだ!」
大急ぎで来た道を戻る俺たち。
と。
ガシャン! ガシャン! ガシャン!!
向こうから金属がこすれる音が響く。
――神殿騎士か!
音がするから距離は分かる。
もうすぐそこの角を曲がって姿を見せる――
「
俺の
がぁん!!
衝撃音が響き渡る。
「――殺したのか!?」
クリフ先輩が聞いてくる。
「鎧があるから多分生きてます!」
俺は答える。
俺たちは倒れた神殿騎士の脇を走り抜けると、建物の外へと飛び出した。
馬を預けてある宿まで1キロ弱。
まだ建物から神殿騎士は出てきてない。
一気に走り抜ければ、逃げ延びることはできるはず!!
---
「……くそっ」
追いつかれた。
転移陣の側まで来た時に、後ろから馬に乗った神殿騎士の一隊――20人ほどいる――に追いつかれた。
まずい。
無視して転移魔法陣に入ってしまうこともできたが、その先はケィオスブレイカーだ。
ミリス教団と甲龍王ペルギウスの戦いになってしまう。
ここで敵を全員倒して、転移魔法陣を使った後にペルギウスに頼んで接続を切ってもらうしかない。
「ザノバ、前衛を頼む。俺が後ろから援護する」
「ルーデウス、僕はどうしたらいい!?」
「クリフ先輩は俺の後ろに。俺か、ザノバが怪我をしたら治療を頼みます」
「わ、わかった」
神殿騎士たちは口上も述べずに襲いかかってきた。
ザノバに向かって振り下ろされるいくつもの白刃。
「ぬうん!!」
ザノバが素手で振り下ろされた剣を受け止める。
「!?」
騎士たちも驚いただろう。
ザノバの皮膚はあのアトーフェの剣すら通さなかったのだ。
並の剣士では束になっても怪我させることすらできまい!
そして。
「
俺が飛ばす
俺とザノバは動き回り集中攻撃を受けないように移動する。
ザノバのパンチでまたひとり落馬する。
少しずつ、敵を戦闘不能にしていく。
敵の数は残り10人くらいか……!?
って危なっ!
がきぃっ!!
「師匠!」
落馬した騎士のひとりが起き上がると、俺に剣を振り下ろしてきた!
俺は咄嗟に
だが、押し負ける。
俺の左手は元々の俺の腕ではなく、ザリフの篭手だ。
篭手自体は魔力を込めれば本来の俺の腕力以上に力が出る。
だが、その土台となる背中、腰の筋力で負けている。
「師匠ッ!!」
ばきっ!!
ザノバのパンチ!
俺に剣を向けていた騎士が吹き飛び、10メートルくらい先まで転がっていった。
「サンキュー!」
別の敵に向き直ろうとして。
ぞくり。
悪寒が走った。
今しがた、ザノバに殴られ、吹き飛んだ騎士。
視界の端で、何かした。
勢いよくこちらに飛んでくる剣!
――北神流か!!
北神流には武器を投げて致命傷を与える技が存在しているという。
まずい。
向き直ろうとしたこのタイミング。よけられない。
投げた騎士が砕けた兜の下でにやりと笑うのが見えて。
「ルーデウス!! あぶない!!」
射線に、割って入る人影が見えた。
――どしゅっ!
「クリフ先輩!!」
飛来した剣は、クリフ先輩の脇腹を切り裂くと、俺の足下に落ちた。
「がっ!!」
クリフ先輩が血を吐く。
俺の視界が、赤く染まったように見えた。
「て、てめえぇーーーーーーーーっ!!」
足下に落ちた剣を拾い上げると、剣を投げた騎士に向かって走る。
そいつはまだ倒れた状態のままだった。
ばっ!!!
怒りのままに、俺は剣を振り抜いた。
首が。
その騎士の首だけが冗談のように飛ぶと、地面に落ちる。
騎士の首を失った身体から、血がどくどくと流れ始めた。
騎士の群れに向き直る。
俺は無詠唱で魔術を構築した。
人間用に力をセーブしてない、魔物と戦う時の術を。
「
俺の背後に、音もなく土でできた槍が出現する。
その数11本。
槍はドリルのように回転しながら高速で突き進むと、剣をへし折り、鎧を砕き、騎士たちの身体を次々と貫いた。
「がはっ!」
「ぐあっ!」
「ぎゃあっ!!」
そうだ。
はじめから、殺す気があれば、苦戦などせずにすんだのだ。
クリフ先輩が傷つくこともなかったのに。
「――クリフ先輩!」
言って、倒れたクリフ先輩に駆け寄る。
……クリフ先輩は半身を起こして、こちらを見た。
どうやら、自分で治癒魔術を使い、傷を癒やしたようだ。
危なかった。
もし気を失ったりしていたら、失血死は免れなかっただろう。
「……聖遺物を盗み、ミリス神に徒なす邪教徒め」
俺の
もう助からない。
殺すつもりで魔術を放った。
あのまま手心を加えた状態のままだったら、ザノバはともかく、俺やクリフ先輩は殺されていただろう。
だから後悔はない。
……ないはずだが、こうして目の前で手を下した相手が死にかけているのを見るのは、正直つらいものがある。
せめて、介錯なり、してやるべきなのか?
だが。
その騎士は恐るべき行動に出た。
「……おお神よ、い、今、み、御許に参ります」
懐から何かを取り出した。
何を?
それは、紙包みのように見えたが。
――瞬間。
辺り一帯が、閃光に包まれた――。
---
凄まじい爆発音は、閃光から大分遅れたように感じた。
いや、気のせいで、実際にはほぼ同時だったに違いない。
咄嗟に俺は
騎士に向けて。
しかし、それでは相殺しきれなかった爆風が、俺とクリフ先輩を吹き飛ばした。
宙を舞った後、地面に叩きつけられ、ごろごろと転がってなんとか体勢を立て直す。
「……馬鹿野郎! 神級の解毒魔術の詠唱そのものも吹き飛ぶだろうが!!」
もはや自爆した騎士には聞こえるべくもないのだが、思わず口を突いて呪詛が出る。
もうもうと土煙が立ちこめる。
まるで視界が効かない。
「クリフ先輩! ザノバ!」
声を張り上げる。
俺のすぐ側にいたクリフ先輩は
だが、より騎士に近いところにいた、ザノバは。
「……師匠、余はここですぞー!」
……元気だった。
土煙が風に舞い、散っていく。
騎士のいたところは小さなクレーターができていた。
ザノバは、持ち前の頑丈さでダメージこそなかったものの、吹き飛ばされはしたようで、騎士から10メートルほど離れたところに転がっていた。
服の前側ははボロボロになっている。
神級解毒魔術の詠唱は背中に背負ったリュックだったか。なら無事か。
「――クリフ先輩?」
「……ああ、こっちだ」
クリフ先輩も無事なようだ。
俺の数メートル横に倒れている。
何とか3人とも無事で済んだか。
だが。
「くそっ……やられたな……」
もうすぐそこに見えていたはずの、転移魔法陣。
爆発の衝撃を受けたのか、入り口の岩場が半壊している。
奥にわずかに見えていた、魔法陣の輝きが、消えている。
これでは転移できないか。
別の転移魔法陣を探すしかないか……?
「……クリフ、どこか痛めたか?」
起きてきたザノバがクリフ先輩に近づく。
俺も起き上がり、クリフ先輩のそばに。
「……ルーデウス」
起き上がらないままのクリフ先輩。
顔色が悪い。
怪我なら自分で治癒魔術を使えるはずだが。
ぞわり。
嫌な予感が背中を走る。
「……その剣を見せてくれ」
……俺はまだ剣を持ったままだった。
さっき剣を投げてきた騎士の首をはねた剣。
そもそもその騎士が投げてきた剣だ。
クリフ先輩のわき腹を切り裂いた剣。
剣を差し出すと、クリフ先輩は受け取らず、眼帯を外した。
そして、識別眼で、剣をじっと見る。
やがて、目を閉じる。
「……」
「クリフ先輩……?」
「ルーデウス」
何かを諦めたような、悟ったような、声。
「毒が塗られている」