「……毒?」
ぞわり。
背筋の悪寒が止まらない。
「僕の解毒魔術はもう試した。……効かない」
「そんな……」
クリフ先輩の解毒魔術は俺の中級と違い、上級だ。
俺よりも遙かに多くの種類の毒に対応できるはずだ。
「……ルーデウス」
クリフ先輩が苦しげに俺の名前を呼ぶ。
「僕を、置いていけ」
「そんな!」
反射的に言い返す。
「急ぐ旅だ。……僕はもう、助からない」
「ダメだ!!」
大声が出た。
「あんた子供ができたばかりじゃないか! あんたがいなくなって、エリナリーゼさんはどうするんだよ!!」
「……リーゼ……」
クリフ先輩はそっと目を閉じた。
その目尻から、そっと涙がこぼれた。
「あんたが嫌だって言ったって、俺たちは運ぶからな!!」
俺の目からも涙がこぼれた。
こんなところで。
こんなところで、クリフ先輩を死なせるわけにはいかない。
ひとりぼっちで、なんて。
「ザノバ!」
「はい!」
ザノバがクリフ先輩を抱える。
「……好きにしろ」
クリフ先輩は苦しげに言った。
---
「師匠、村が見えます!」
乗ってきた馬は爆発で逃げてしまった。
騎士たちが乗ってきていた馬も同様だ。
俺たちは徒歩で森の中を歩いていた。
七大列強の石碑。
それがあればペルギウスの使い――豪雷のクリアナイトを呼ぶことができる。
ケィオスブレイカーまで辿り着ければ、クリフ先輩を治す術もあるに違いない。
ペルギウスの笛は荷物の中で幸い無事だった。
だがこのあたりの何処に石碑があるか分からない。
「せめて、少し休めるか……」
俺たちは村に近づく。
クリフ先輩はザノバの背でぐったりとしている。
意識を失っているようだ。
「……! ちょっと、待て」
ザノバを手で制して、俺は村の入り口に目を向ける。
神殿騎士だ。
俺たちがさっき倒したのと同じような鎧の騎士が、村の入り口にいた。
何か、看板のようなものを立てている。
俺は、遠目にそれをのぞき込んで。
「くそっ……!」
「師匠?」
「手配書だ。間違いなく、俺たちのだな」
向こうの足は、こちらより速いようだ。
なんとしても俺たちを捕らえるつもりのようだ。
「村にはもう行けない。多分、どこの村にもだ」
---
野営をしている。
あれから、すでに1日半が過ぎている。
俺とザノバは森の中を彷徨っていた。
今は夜で野営をしている。
クリフ先輩はずっと意識を失ったままだ。
治癒魔術で体力は回復させ続けているが、それだけでは人間は生きてはいけない。
何とかして水分と、食事を摂らせなくてはいけないのだが。
「う……」
と、クリフ先輩がうめき声を上げた。
「クリフ!?」
寝ていたはずのザノバが、がばっと起きた。
ザノバも、クリフ先輩が心配だったようだ。
「クリフ先輩! わかりますか! ルーデウスです!」
両肩に手を置いて、声を上げる。
「う……あ…………」
意識が戻ってくれれば、水分も食事も摂れるはずだ。
クリフ先輩はぶるぶると震えながら、目を開ける。
「先輩! しっかりしてください! クリフ先輩!」
声をかけ続ける。
切れそうな糸をつなぎ止めるかのように。
ここで切れてしまったら、あとがないかのように。
――だが。
「リー……ゼ……」
なんとか。
それだけを言うのが目的だったかのように。
エリナリーゼの名を呼んだクリフ先輩は。
ふっ、と目を閉じた。
そして、全身から、力が抜けた。
「せ、先輩……?」
ゆすってみる。
反応がなかった。
脈を取る。
……。
全く、脈がなかった。
「先輩ッ! クリフ先輩! クリフ先輩!!」
名前を呼び続ける。
目から涙があふれ出す。
「ぐっ……ううう……!」
ザノバが横で嗚咽を漏らし始めた。
俺たちの親友、クリフ・グリモルは。
息を、引き取ったのだった。
***
「ロキシー! しっかりして!」
シルフィはロキシーの額に浮かんだ大粒の汗を拭き取る。
魔石病による身体の魔石化は、膝を過ぎ、腿のあたりまで進んでいた。
そして、進行が進むごとにロキシーの体調は悪化し、意識がはっきりしなくなっていた。
「きっと、ルディが解毒魔術を手に入れてくるから……!」
シルフィは祈るようにそうつぶやいた。
「シ……シル……フィ……」
ロキシーが苦悶の表情のまま、言葉を発する。
「! ロキシー、何!?」
「ルディに……伝えて……ください……」
「うん! なんて!?」
「――。――、――――」
ロキシーの口が動く。
シルフィが泣き崩れた。
「うっ……イヤだよ、ロキシー……ボクにそんなこと、言わせるの……?」
***
2週間。
俺とザノバが七大列強の石碑を見つけ、ケィオスブレイカーに辿り着いたのは、クリフの死から2週間経ってからだった。
俺もザノバもボロボロの格好だったが、そんなことを気にしている暇はなかった。
そんな俺たちの姿を見たシルヴァリルは何か言いたそうだったが、すぐにシャリーア近くの転移魔法陣へ案内してくれた。
思ったよりもはるかに時間がかかってしまった。
ロキシーは無事だろうか。
心配はつきない。
シャリーアの入り口で、2人組の影を見つけた。
片方には、見覚えがある、ような。
---
「ルーデウスッ!!」
俺はいきなり抱きつかれた。
誰だ。
今それどころじゃない。
ロキシーの所へ行かせてくれ。
振り払おうと手を動かすと、空を切った。
今の今まで抱きついていたはずなのに、さっと距離を取ったのだ。
「何よ……って! その手! どうしたのよ!」
「え……」
陽光に髪がきらめいている。
ペンキをぶちまけたような、深紅の髪だ。
「エリス……?」
呆けたような声が出た。
5年ぶり。
5年ぶりに会ったエリス・ボレアス・グレイラットはあの別れなどなかったかのように快活に笑った。
---
「……久しぶり、ですね」
無意識に声が固くなる。
仕方ないだろう。
シルフィが、そしてロキシーが癒してくれたとはいえ、あの別れは未だ俺の中で尾を引いている。
断じて、いい思い出などではないのだ。
「そうね!」
腕組みをしたエリス。
この5年で、大分背が伸びた。
体つきも、ずいぶんと女らしくなったように思える。
腰に剣を2本差している――片方は、ともに旅をしていた時、ミグルド族の村でもらった剣だ。
そして、あの頃と変わらない様子で、笑顔を浮かべている。
その笑顔に苛つきを覚える。
「ルーデウス! 行くわよ!」
「行くって……?」
「――冒険よ!!」
言って、エリスは満足げに笑った。
「――いい加減にしてください!」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
「あんな、あんないなくなり方をして、急に現れたと思ったら冒険って、どこまで勝手なんですか!」
「――え?」
エリスは俺の言葉に戸惑っているようだった。
当然、俺が頷いて着いていくはずと信じ切っていたかのような顔。
「それに僕にはもう妻がふたりいるんです。彼女らを置いてどこかに行くなんてあり得ません」
「――待て、ルーデウス。妻だと?」
口を挟んだのは、エリスの横にいた獣人族――ギレーヌだ。
「そうです。今、そのうちのひとりが命の危機に瀕しているんです。だから急いでいます」
言って。
エリスの横を通り抜ける。
事情がわからないからか、どう口を挟んでいいかわからない様子のザノバも続く。
「ちょ、ちょっと、ルーデウス!」
慌てたようにエリスが振り返る。
「急いでいると言ったでしょう!」
俺の怒声。
振り返ると、愕然とした表情のエリスの顔が見えた。
その横で、ギレーヌは怒ったような、軽蔑したような、複雑な顔をしていた。
何だってんだ。何もかも今さらだ。
今は、ロキシーだ。
---
自宅。
門の前まで俺とザノバは走ってきた。
半月ぶりに見る家は、何か暗いものに覆われているように見えた。
イヤな予感がする。
庭にはアイシャもゼニスもいなかった。
この時間なら、ふたりで庭をいじっていることも多いのだが。
キィ、と音を立てて門を開く。
誰も出てこない。
背筋に暗い悪寒が走る。
イヤだ。
玄関のドアを開ける。
「ロキシー!」
入り口で叫ぶ。
「今帰ったよ!」
廊下の奥から人影が現れた。
アイシャだ。
「お、お兄ちゃん……あ……」
アイシャは、何か言おうとして、そして口をつぐんだ。
やめてくれ。
まるで。
最悪の事が起きたかのような。
階段から誰か降りてきた。
そのまま俺に体当たりをするかのようにして抱きついてきた。
「ルディーー!!」
シルフィだった。
「う、うう、うわぁぁぁあん!」
泣き出した。
そのままずるずると力が抜けたかのように俺の足下に崩れ落ちる。
「ろ、ロキシーが、ロキシーが……!」
廊下の奥から、リーリャが、ノルンが出てきた。
皆暗い顔をしている。
アイシャもノルンも、ぐすぐすと泣き出した。
ああ。
まさか。
そんな。
俺は。
……間に合わなかったのか。
---
ロキシーは、寝ているかのようだった。
顔色が真っ白でなければ。
身体に触ると、足はすっかり魔石化していた。
衣類をめくると、へそのあたりまでが魔石となっていた。
「ロキシー……」
つぶやく。
反応はない。
ぺたん。
あれ、勝手に足の力が抜けた。
ロキシーが寝かされたベッドの横にひざまづく。
「ロキシー。ほら……神級の解毒魔術の詠唱、手に入れてきたんだ……」
立ち上がれない。
ベッドに手を伸ばして、ロキシーの手をつかむ。
「だから、だから、もう、魔石病は治るんだ。だから……」
ロキシーの手を両手で抱える。
「目を……開けて……」
ぼたぼたっ。
俺の目から、大粒の涙がこぼれた。
一度こぼれたら、もう止まらなかった。
「ロキシー……ロキシー……! ロキシー!!」
あとから、あとから。
涙が出てくる。
「う……うわああああああああああああああっ!!! ロキシーーーーーーーっ!!!」
身体が勝手に震える。
ロキシーの手を抱いた俺の手が震える。
俺は泣き続けた。
---
どれくらい時間が経ったろうか。
泣いて泣いて。
もう、泣けないと言うほどに泣いて。
俺はロキシーのベッドの横に、椅子を置いて座っていた。
……何も考えられない。
「……ルーデウス……」
きぃ。扉を開けて、エリナリーゼが入ってきた。
沈痛な表情で、ロキシーの姿から目をそらすようにしている。
「その……クリフは……どうしましたの……?」
がつん、と。
頭を殴られたような衝撃が走る。
神様。
ひどいよ。
この上、俺にそれを言わせるのか。
「クリフは……」
ごくん。
唾液を飲もうとしたが、喉はからからだった。
「クリフは……死にました」
エリナリーゼの顔を見れない。
「ミリスの神殿騎士と戦闘になって、俺をかばって……毒のついた剣で切られたんです……」
ばちん!!
平手打ちをされた。
自分の手が叩いたことが信じられないかのように、エリナリーゼははっとした表情で固まっていた。
しかし、すぐに表情を伏せると、どこかへ行ってしまった。
泣いていた。
俺は追いかけることもできなかった。
ロキシーが死んでしまって。
俺の心の何かも死んでしまったようだった。
---
翌日。
ロキシーの葬式をした。
身体は勝手に動いていた。
棺に花を入れ。
神父の唱える祈りの言葉に耳を傾け。
ロキシーの身体が荼毘に付されるのを見ていた。
葬式にはたくさんの人たちが参列した。
ザノバとジュリ、ジンジャー。
ジーナス教頭。
多くの生徒たち。
俺はそれらを、どこか夢を見ているかのような心地で見ていた。
今でも、どこかにロキシーが隠れていて、今起こっている全てが冗談だったとわかるんじゃないかと。
---
その日の夜。
「……ルディ」
シルフィはそっと俺に抱きつくと、泣き出した。
「ロキシーが、最後にボクに言ったんだ……ルディに伝えてくれって……」
「……」
「『産んであげられなくて、ごめんなさい』って……ううう……」
「――えっ?」
産む? 誰が?
俺の頭はすっかりおかしくなってしまったようだ。
「……ロキシー、たぶん妊娠してたんだよ……。もう少しはっきりしてからルディには言おうって言ってたんだけど……」
「……ロキシーが、俺の、子を……?」
ああ。
もうこれ以上泣けないというほど泣いたというのに。
なぜ俺の身体は、涙を流し続けているのだろう――。
---
それから2ヶ月が経った。
あれからずっと、俺は飲んだくれている。
仕方がないのだ。
シラフでは、涙が止まらないのだから。
家族はみな、はじめは仕方ないという感じでいたが、だんだんと冷たくなっていった。
俺が朝から酒を飲もうとすると、取り上げようとしたり諫めたりしてくる。
だから最近はずっと酒場に入り浸りだ。
「――ルーデウス、またここにいたのね」
「あん?」
誰かに呼ばれた俺は顔を上げる。
そこには、エリスがいた。
エリスとギレーヌはこの町に居を構えたのか、こうして顔を合わせることが増えた。
「エリスですか……僕のことは放っておいてください」
「そんなに亡くなった奥さんが大事だったの?」
なんだかエリスらしくもなく気の毒そうな、殊勝な顔をしている。
「そうです……もう世界に彼女がいないとなったら、何もかも闇に閉ざされたような気分です」
思い出す。
ロキシーの姿。中学生くらいの体格なのに、それを指摘されると「ちっちゃくありません」と口をとがらせる姿。
控えめな胸。形のいいおへそ。慎ましやかなお尻。
だがその全てが神の造形のようだった。
彼女には恩があった。
この世界に来て、一歩も外に出られなかった俺。
それを彼女は馬に乗せて連れ出してくれたのだった。
前世から続いていた恐怖を断ち切ってくれたロキシー。
彼女がいなければ俺は今もまだ外に出ることすらできなかったろう。
一生をかけて、恩を返すつもりだった。
一生、彼女を愛していくつもりだった。
だというのに。
俺は、彼女を助けることができなかった。
彼女の最後に立ち会うことすらできなかった。
俺は彼女の恩に報いることができなかったのだった。
だからこうして飲んでいる。
何にもしてやれなかった自分が許せなくて。
罪悪感と、ロキシーを失った悲しみに、心が潰れてしまいそうだから。
「――そんなに飲んだら、身体に悪いんじゃないの?」
俺が酒をグラスに注ごうとすると、エリスの手が止めた。
「うるさいですよ。……冒険の旅に行くとか言ってたじゃないですか。早く行ったらどうですか」
「――! 人が心配して言ってるのに!」
がん。
殴られた。
いつもこんなだ。
エリスは酔ってる俺の所に来てなんだかんだと言ってくる。
最後には怒って殴ってくるのだ。
もういい。
みんな俺のことを放っておいてくれ。
何もかも、どうでもいい。
「……ほら、ルディ。帰ろう? もうお店も閉めるみたいだよ?」
あれ。
いつの間にか、エリスはいなくなっていて、シルフィがいた。
「大丈夫? 歩ける? 解毒魔術しようか?」
「――解毒魔術はやめてくれ!」
せっかくこんなに酔っているのだから。
シラフになどなりたくない。
「……うん、わかったよ。ほら、ボクに掴まって?」
シルフィに抱えられて、俺は立ち上がる。
「ルディ。ボクは、ルディを信じているよ。きっと最後には立ち直ってくれるって」
「……」
シルフィが何かを言っているが、頭の随まで酒に浸された俺には意味が分からない。
「ルディは本当に強いんだもん。ボクよりずっと強いんだもん。だから、きっと元気になってくれるよね?」
「……」
「お願いだから。――このまま、ロキシーの所に行っちゃうとか、ダメだよ?」
「……」
シルフィが何を言っているかは分からなかったが、その声は何だか心地よかった。
何を言っているかはわからなかったが、その心地よさに俺は身を委ねて。
そっと、目を閉じた。