失敗した。
俺は失敗した。
空の部屋で、俺は立ち尽くしている。
ここは、シルフィの部屋のはずだった。
だが、今、部屋の主の姿はない。
泣き声がする。
ルーシーの声だ。
泣き声が、不安を誘う。
俺は、取り返しの付かない失敗をしたのだった。
---
きっかけは、いつものように飲んだくれていた時のことだった。
最近、シルフィが俺を夜の生活に誘ってきていた。
俺はそれを拒絶していた。
口論にもなった。
シルフィが自分を抱いてロキシーを忘れて、なんて言うからだ。
そんなことできるわけない! と怒鳴りつけた。
ロキシーを忘れるなんて、できるわけがないのだから。
それに。
今シルフィを抱いたら、俺は彼女を酷く乱暴に扱ってしまう。
ロキシーを喪った悲しみを叩きつけるように。
ロキシーの代わりにならないことを許せないように。
それは、シルフィにも失礼だ。
だから、できない。
そう思っていたある日、酒場で飲んでいたら顔なじみの娼婦に声をかけられた。
酒場で飲んだくれている間に、顔見知りになった程度の仲だ。
「だったら、アタシなんてどうだい?」
話をしている間に、そんな提案をされた。
「アタシは、商売だからね。乱暴にされるのも、酷く扱われるのも、慣れたもんさ」
その時は、名案だと思ったのだ。
本人が言うのだから、乱暴にしてしまったりしても平気なのだろう。
そこで、俺の中にある凶暴さを解消できたのなら、晴れてシルフィを抱けばいい。
だが、それは失敗だった。
娼婦を抱いた後。
思っていた以上に満足させてもらった俺はニヤニヤしていたと思う。
そこにいつものように俺を迎えに来たシルフィが来た。
彼女は俺を抱き起こそうとして――俺の身体から漂う、娼婦の香水に気づいた。
「ルディ……!?」
彼女は愕然、といった顔をした後、信じられない、というような顔をした。
顔色が一瞬で青くなっていった。
目尻にみるみる涙が溜まっていくと、頬に流れていく。
「なんで……ボクじゃダメなんだよ……」
やっと。
やっとそれだけ言うと、シルフィは後ろを向いて走り去っていった。
---
「――馬鹿じゃないの!?」
その後アイシャに言われた言葉だ。
さすがに酔いの覚めた俺はひとりで帰ってきた。
シルフィの部屋からは嗚咽が聞こえてくる。
入って謝ろうと思ったが、鍵がかけられていた。
俺の家だ。
押し入ることもできたが、そんなことをしてもシルフィに許してもらえるとは思えない。
どうしたらいいんだ。
---
そうして、冒頭の場面に辿り着く。
それから数日。
シルフィは自室から出てこなかった。
心配したリーリャやアイシャが食べ物を持って行ったが、全く扉が開くことはなかった。
俺は、明日こそ扉を破ってでも中に入って謝ろう、謝ろうと思いつつも、それを実行に移せないままでいた。
そしてその日、今日こそはと思ってシルフィの部屋のノブをひねると、鍵が開いていたのだ。
「――シルフィ?」
ノブをひねって、扉を開ける。
すると、室内はがらんとしていた。
ほとんどのものがなくなっていた。
残っていたのはわずかな衣服と装飾品。
俺があげたものだ。
綺麗にそろえられて、机の上に置いてあった。
――それは、拒絶だった。
俺は、彼女に捨てられたのだ。
---
「すぐに後を追いなさい!」
リーリャが言った。
昨晩から今朝の間に家を出たのなら、まだシャリーアにいるか、少なくとも近隣の街にいるはずだ。
だが。
追いかけてどうする?
ロキシーが死んで以来、シルフィに酷いことをしてきたという自覚はある。
彼女の優しさに甘えて、飲んだくれていた。
彼女に抱いて欲しいと言われても、抱かなかった。
シルフィなら俺の気持ちを分かってくれるはずだと無責任に思い込み、彼女の苦しみに気づいてあげられなかった。
その結果がこのざまだ。
シルフィに捨てられて当然の男じゃないか。
彼女も俺なんか忘れて違う男と結ばれた方が、幸せになれるんじゃないか。
と、そんなことを考えていると。
ぱん!
頬を叩かれた。
見ると、ゼニスが俺の前に立っていた。
ぱん! ぱん!
右へ、左へ、ゼニスが手を振るうたびに俺の顔が左右に振れる。
「……奥様」
ゼニスは全くの無表情で、声も発さないが、その心は伝わってくる気がした。
「……ありがとう、母さん」
俺はゼニスの手をそっと掴む。
「目が覚めたよ。シルフィを追いかける」
そう言うと、やっとゼニスの手から力が抜けた。
---
シルフィの行くところは多くない。
まず怪しいのはアリエルの所だろう。
そう思って学生寮のアリエルの所に向かったところ、なんとアリエルは退寮したらしい。
慌ててジーナス教頭のところに向かった。
「アリエルさん、ルークさんは退学なさいました。何でもアスラ王国に戻るとのことです」
俺の質問に、ジーナス教頭は簡潔に答えた。
もうすぐ卒業だというのに、わざわざ退学までして早めたのか。
アスラ王国で何かあったのか?
ぞわり。
胸の内にイヤな予感が広がる。
アリエルは転移魔法陣の存在を知っている。だが一行が転移魔法陣を使うとは考えにくい。
彼女はアスラの第二王女。
お忍びでこっそり戻るならともかく、彼女が帰るのなら国境線から堂々とだろう。
俺も一行を追いかけるべく、馬に乗ってシャリーアを出ることにした。
---
「ルーデウス!」
馬を引いて、シャリーアを出たところで呼び止められた。
「……エリス。何の用ですか」
無視して行きたいのはやまやまだったが、仕方なく振り向いて言う。
なぜかエリスも旅装だった。
「私の旅の誘いを断っておいて、自分だけでどこかに行こうとしているわけ!?」
「……急ぎの用事なんです。冒険の旅とやらと一緒にしないでください」
ぴき。彼女の額に血管が浮き出る。
「ルーデウス。今なら許してあげるわ。私の旅に同行なさい」
……許す? 何を許してもらわないといけないのか。
「嫌です。僕は忙しいんです。余所を当たってください」
「ルーデウスッ!!」
言うが早いが。
エリスはこっちに走ってきた。
拳が固められている。
いつものように殴りつけようというわけだ。
だが、俺も今日は飲んだくれではない。
黙って殴られてやるほどお人好しでもない。
――
ドンッ!
「きゃあっ!!」
俺の無詠唱魔術に吹き飛ばされて、エリスが大きく後ろに吹き飛ぶと、地面に転がる。
「……やったわね、ルーデウス」
エリスがゆらり、と起き上がる。
……やばい。
なんか目が据わっている。
エリスは背中に背負った剣をしゅらり、と抜いた。
「死なない程度に殺してあげる!!」
意味が分からない!
エリスがこっちに向かって走ってくるので、慌てて馬に飛び乗った。
鞭をくれて馬を走らせる。
「ルーデウスっ! 戻ってきなさい!」
誰が戻るか!
剣を振り上げて怒るエリスを置いて、俺はシャリーアを後にした。
---
半年後、俺はアスラ王国の王都にいた。
大陸北部を抜ける前に、大雪が降り始めたのだ。
こうなると豪雪地帯を旅することはできない。
先行するアリエル一行は大雪に捕まらずに旅を続けたのかわからず、悶々としながら俺は数ヶ月を過ごし、ようやくアスラに辿り着いたのだった。
だが、そこでもまた問題が起こった。
俺は神級の解毒魔術を盗み出した件で、ミリス教団から指名手配を受けていたが、アスラ王国でも犯罪者として国境で止められたのだった。
拘束されそうになるところを慌てて逃げ出し、何とか密入国する方法を探すこととなった。
その後俺は国境近くの盗賊ギルドに渡りをつけることに成功。
何でも俺は今注目の大盗賊らしい。
ミリス神聖国から神級魔術を盗み出した大泥棒だとか。
トリスという女盗賊が案内してくれることになった。
指名手配されている俺は国内ではあまり動けない。
トリスが代わりに情報を収集してくれている。
噂によると、国王が病気で死にかけているらしい。
だからアリエルは急いで帰還したのだろうか。
アリエルの噂もたくさん流れている。
クーデターを起こそうとしているとか。
勝ち目はないらしいが。
そこまでアリエルが短絡的ではないと信じたいが。
俺はいつものようにトリスに情報収集を任せて酒場にいた。
と、どこかで見たような赤い髪が視界に入る。
「!」
思わず隠れる。
……エリスだ。
なんでエリスがアスラ王国に?
……いや、いてもおかしくはないか。
もともとエリスはアスラ王国の貴族の出だ。
故郷に帰ってきてもおかしくはない。
「ルーデウス」
と、トリスが声をかけてきた。
「何か分かったか?」
「はっきりしたことは何も。でもアリエル王女は姿を隠したそうよ。どこにいるか、誰も知らない」
「そうか……」
アリエルは在学中から色々な有力者に渡りをつけて、アスラ王国に送り込んでいた。
そういったシンパにかくまってもらっているんだろうか。
だが、もし本当にクーデターを起こそうとしているならそれなりの兵力を持っているはず。
そんな規模の人数が隠れられるとなると、どこかの貴族の領地とかだろうか。
「……そうか」
ルークの実家は4大貴族のノトス家だ。
あそこなら、兵力も持っているだろうし、アリエルが隠れていてもおかしくはない。
「ノトス家の治める領地に行ってみるか」
「ミルボッツ領ね。ここからだと3日くらいかかるわよ」
「案内、頼む」
「わかったわ」
---
ミルボッツ領に着いた。
領主はピレモン・ノトス・グレイラット。
パウロの弟にあたり、ルークの父親だ。
といっても会ったこともないので実感が湧かないが。
「噂を集めてきたわ。やっぱりアリエル王女をかくまっている、という噂もあるみたい」
情報収集から戻ってきたトリスが言う。
「そうか」
「どうするつもり?」
「アリエルがいるとしたら領主の館だ。忍び込むさ」
「……あたし、そこまでは付き合えないわよ」
さすがに領主の館に忍び込めば重犯罪者だ。
犯罪者ギルドのメンバーといえど、そこまで危ない橋は渡れないか。
「もうここまで来たら問題ない。ありがとうなトリス。あとは俺だけで十分だ」
「そう……気をつけなさいね」
「もちろんさ」
トリスと別れて、俺はノトス家に潜入する。
シルフィがこの屋敷のどこかにいるはずだ。
---
夜中。
見張りの見てない隙を見計らって、塀をよじ登る。
窓の外から、鍵穴の周りだけを無詠唱魔術で破壊すると、俺はそっと室内に忍び込んだ。
室内には上質な調度品が並んでいる。
さすがに4大貴族。お金持ちだな。
忍び込んだ部屋からそっと廊下に出る。
廊下は蝋燭の明かりでこうこうと照らされている。
外から見ても広い屋敷だ。
どこにアリエルたちがいるか分からない。
片っ端から探すしかないか……。
次々と部屋を開けていくが、全く誰にも出会わない。くそ。
と。
ガチャッ。
俺のいる部屋の扉が開けられた。
「――!」
「……ルーデウスッ!!」
エリス!?
何でエリスがここに!?
がっ!!
うお! いきなりぶん殴られた!
「こないだはよくもやってくれたわね!!」
どがっ! ばきっ! がんっ!
言いながら、エリスは止まらない。
拳が、脚が、降り注ぐ。
普通なら何でルーデウスがここに? とか考えて動きが止まるところだろうが、ノータイムで殴りつけてくるあたり、エリスは恐ろしい。
合計何十発殴られ、蹴られただろうか。
とどめの一撃を食らったところで俺は床に後頭部を強く打ち付け、気を失った。
---
「う……」
意識を取り戻す。
なんだここは。地下牢?
体中が痛い。
エリスにめちゃくちゃに殴られ、蹴られたわけだから当たり前だ。
「……」
自分の状態を確認する。
手。後ろ手に縛られている。
口。猿ぐつわを噛まされている。
それ以外。骨が折れたりはしていないようだ。
「――フン。目が覚めたか」
俺が起きるのを待っていたのだろう。
見張りらしい騎士を伴って、男が入ってきた。
顔はちょっとパウロに似ている。
中肉中背。パウロより一回りは体つきが小さいか。
鍛えたりはしていないのだろう。
神経質そうに表情をゆがめている。
「貴様は、我が兄、パウロの息子のルーデウスだな」
ということはこいつが当主のピレモンか。
まぁ、俺のことはエリスに聞けばわかるから、知られていても不思議はない。
「今さらミルボッツに何のようだ。いやわかっているぞ。我がノトス家を乗っ取るつもりだろう!」
別にそんなことは考えていないが、言っても無駄な雰囲気がしている。
そもそも猿ぐつわのせいで何も言えない。
「フン。そうはいくか。貴様は明日にでも処刑だ。首は塩漬けにしてミリス教団に差し出してやる」
目が血走っている。
……なんか、パウロに比べるとひたすら小物な感じがするな。
保身でいっぱいいっぱいのように見える。
「魔術が得意らしいが、こうして口をきけないようにしてやれば何もできまい。せいぜい恐怖に震えることだな」
……おや?
エリスから聞いていないのだろうか。
俺が無詠唱魔術師だと言うことを。
今俺がその気になれば、簡単に脱出できるのだが。
まあいい。なんでエリスが言わなかったのかは分からないが、これはチャンスだ。
しばらくおとなしくしていて明け方にでも脱出しよう。
その後、ピレモンは俺を口汚く罵ると、満足したのか去って行った。
***
「いやいや、お待たせいたしましたなエリス殿。侵入者の捕縛にご協力いただき、感謝に堪えません」
ピレモンはエリスのいる部屋に入ってくると、慇懃に礼をした。
「ルーデウスをどうするつもり?」
室内にいたのは、エリスとギレーヌ。
公式の場でもないので、剣を帯びたままである。
「不届きにも貴族の領主邸に忍び込んだのです。明日にでも縛り首ですよ」
にやり、とピレモンは歪んだ笑いを浮かべる。
「ルーデウスは強いわよ」
エリスが口を挟む。
「? ……ああ、まあ強力な魔術師らしいですな。ですが口がきけないようにしてあります。どうしようもありますまい」
そうか、とエリスは納得する。
ピレモンはルーデウスが無詠唱魔術師だという情報を持っていなかったらしい。
なら、ルーデウスがおとなしく殺されることはなさそうだ。
「――それで、私に何の用なの?」
エリスがピレモンの元を訪れたのは、ピレモンからボレアス家について相談があると呼び出されたからだった。
エリス自身は、もうボレアス家に未練はない。
誰かが継げばいいと思っている。
だが、そこに何か問題があるのなら、それを解消するのに何かできればと言う程度には、生家に対する責任感を持っていた。
「ボレアス家はご存じの通り、サウロス殿が転移事件の責任を負って処刑されております」
ぴく、とエリスの眉が動いた。
彼女は祖父が殺されたことを謀略によるものだという認識を持っている。
「とはいえ、ボレアス家そのものを取り潰すわけにはいきません。ボレアス家の領地は広大ですからな。順当に行けば、エリス殿の叔父のジェイムズ殿が後を継がれるのでしょうが……」
「何か問題でもあるの?」
気を持たせるような言い方に、エリスはいらいらする。
彼女はこう言ったアスラ王国の貴族流とでもいうべき持って回った言い方に慣れていないのだ。
「ボレアス家が元のような権勢を得るのは難しいと思うのですよ。何しろ処刑されたサウロス殿の後ですからな。立場は非常に危うい」
「――それで?」
「後ろ盾、が必要なのですよ。叔父君には。そこでエリス殿の出番というわけです」
エリスは今にも目の前のピレモンを叩き切りたくなる衝動を堪えている。
話が面倒くさい。
もっとすぱっと結論を話して欲しい。
「ダリウス上級大臣をご存じですな?」
「――!」
エリスのいらつきは一瞬でおさまった。
ダリウス。
現在のアスラ王国を牛耳っていると過言ではない権力者。
そして、サウロスを処刑した首謀者とされている。
エリスは、いつかダリウスを切ると決めていた。
「ダリウス殿が、エリス殿を気に入っていらっしゃる」
「……」
「幼い頃、エリス殿の貴族らしからぬ奔放さ――ああ、失礼――をご覧になる機会があったようで、是非お手元にと望まれたそうです。いかがです?」
「……」
「エリス殿さえダリウス殿の元に赴かれれば、ジェイムズ殿は晴れてダリウス殿を後ろ盾に得ることとなります。さすればボレアス家はかつての栄光を取り戻すことも容易でしょう。エリス殿のお気持ちひとつで、生まれ育ったボレアス家の興隆がかなうわけです。貴族の子女としては本望というものでは? まぁ――」
ピレモンの言葉が終わらないうちに、部屋の扉が開いた。
ぞろぞろと、全身を鎧に包んだ騎士が入ってくる。
すでに抜剣している。
「――エリス殿に、拒否権はありませんが」
ピレモンは歪んだ笑いを浮かべている。
彼は侮っていた。
エリスが多少剣を覚えたとはいえ、所詮は女子供。
完全装備の騎士が1ダースもいれば、問題なく戦意を喪失するだろうと。
が。
逆だった。
エリスの目が、ぎらりと輝いた。
話が分かりやすくなって、喜んでいるのだった。
「そう。わかったわ」
「おお。それが賢明というものです――」
しゅらり。
エリスは腰に携えた剣を抜いた。
名工『龍皇』より初代剣神が授かったとされる剣神七本剣が一。
銘を『鳳雅龍剣』。
ぞっとするほど美しい刃紋が室内にきらめく。
「私の返事はこれよ!」
言って、エリスは床を蹴って、ピレモンに斬りかかった。