シャリーアの俺の家。
「ロキシー……シルフィ……」
俺は手にナイフを持ち、つぶやいた。
「今、行くよ」
ナイフを喉に這わせる。
このまま頸動脈をかき切れば。彼女たちのところに。
ばちっ!!
手に強い衝撃を感じた。
ナイフが俺の手から叩き落とされた。
「!?」
顔を上げると、ゼニスがいた。
相変わらず、能面のような、呆けたような表情を変えず。
「……」
ゼニスは何も言わなかった。
ただ、じっと俺の顔を見ている。
やがて根負けした俺が顔を伏せると、ゼニスは何も言わないまま俺の部屋を出て行った。
---
何とかゼニスや、アイシャやノルン、リーリャを俺の家から出す方法はないだろうか。
俺はそれを考えていた。
なぜか。
自殺したいからである。
この家で。
ゼニスに自殺を止められてから数日。
俺は何度か自殺を図ろうとしていては、ゼニスに止められていた。
どういう理由でそれが分かるのかは分からないが、俺が死のうとした瞬間にゼニスはやってきてナイフを取り上げたりするのである。
なぜ邪魔をするのか。問いかけてもゼニスは何も答えない。
無言で俺の顔を見つめて、しばらくすると去って行くだけだった。
もう俺は生きていく気力を失っていた。
ロキシーが死に、シルフィも死んだ。
俺が心から愛したふたりはもうこの世にいない。
早くこの世からおさらばしたい。
あの世でロキシーとシルフィと、もう一度三人で暮らしたい。
俺の頭はそれでいっぱいになっていた。
アイシャやノルンについても死ぬには邪魔だった。
治癒魔術で治されてしまうかもしれない。
人を呼んでこられてしまうかもしれない。
だからどうにかして、彼女らを家から遠ざけてしまいたい。
何かいい方法はないだろうか。
皆が寝静まった夜。
俺は濁った頭で窓の外を見ていた。
---
と。
何か庭で動いたような気がする。
トゥレントのビートだろうか?
基本的に日光が当たらないと動かないはずだが。
俺は階下に降りると、玄関をそっと開ける。
何かが動いた庭に移動する。
――と、人影が姿を現した。
その数、三人。
頭には頭巾をかぶり、顔はよく見えない。
手には短刀を持っている。
……暗殺者か。
「――ルーデウス・グレイラットだな」
リーダー格らしい、真ん中にいた男がこちらに声をかけてくる。
「……」
俺は答えない。
「死ねっ!」
「『泥沼』」
俺の言葉で、三人の足下がぐにゃりと崩れる。
俺に向けて踏み出そうとした足が泥に取られて体勢を崩す。
「――!」
暗殺者としての訓練の賜物か、驚愕しながらも暗殺者は言葉を発しない。
だが。
「
ぐしゅっ!!!
俺の放った一撃に眉間から打ち抜かれた三人の暗殺者は血と脳漿をまき散らしながら倒れた。
---
暗殺者の死体を探ると、ミリス教団の紋章を見つけた。
ミリス教団の暗殺者か。
まだ大聖堂から盗みを働いた件で指名手配は続いている。
俺はシャリーアではそれなりに名が知れているから、健在がわかって殺しに来たのか。
死体をそのままにはしておけないので、身元がわかるものは他にないことを確認すると、家の近くの川に死体を沈めた。
血の流れたあとも『泥沼』のあとも分からないように土魔術で覆い隠す。
「ふう」
一通り処分が終わり、一息ついた。
あれ?
そういえば俺、自殺したいんだった。
なんで暗殺者を倒しちゃってるんだろ。
大人しく殺されていればいいのに。
ふっ。
乾いた笑いを漏らす。
まぁ、クリフ先輩を殺した奴らに殺されてやるのは業腹だ。
あんな奴らが来るのなら何度でも殺してやりたい。
待てよ。
こいつは使えるかもしれないな。
---
「昨日の夜、暗殺者に襲われた」
朝食の席で、俺は家族に告げた。
アイシャ。ノルン。ゼニス。リーリャ。
ゼニスだけは表情を変えないが、他の三人は表情を変える。
「――暗殺者!? なんで!?」
アイシャが信じられない、という表情で口を開く。
「もしかして、ミリス教団ですか?」
ノルンが、眉根を寄せて言う。
俺がアスラとミリスで指名手配されていることは知っている。
「そうだ」
俺は答える。
「それで、考えたんだが……」
俺は四人の顔を見渡しながら言う。
「みんなにはこの家を出てほしい」
---
「出ていくって……、どこ行けって言うんですか?」
ノルンが困惑顔で言う。
「ミリシオンの、ラトレイア家に行くのがいいかと思っている」
「ミリシオン!? 敵の本拠地じゃん!」
アイシャが大声を出す。
「だからこそ安全だと考える。ラトレイア家は神殿騎士団と関係が深い。神殿騎士団の関係者に保護されれば暗殺者も手が出せないはずだ」
「……ルーデウス様は、行かれないのですか?」
リーリャが口に出す。
「……俺は魔術があるから大丈夫です。むしろ――」
皆の顔を見渡す。
「誰かが人質に取られるのが一番怖い」
あっ、と皆の表情が変わる。
暗殺をしてこようというのだ。人質を取ることなど躊躇もしないだろう。
「祖母には、妻を亡くした俺が生活が荒れ放題になったので、見切りをつけてきたとでも言っておいてください」
「そんな!」
ノルンが口を挟む。
「いいんだ。俺はどう思われてもいい。でも家を出るにはそれなりの理由がないとだろ?」
ノルンに自嘲混じりの笑みを浮かべる。
「あながち嘘でもないからな」
「お兄ちゃん」
アイシャがじっ、とこちらを見る。
「馬鹿なこと、考えてないよね?」
「馬鹿なことって、何だよ」
言いながら、思う。
こいつは頭がいいから。気づいているかもしれないな。
俺が死のうとしていることを。
「馬鹿なことは、馬鹿なことだよ」
だがお前なら、これも分かるだろ?
もう俺は生きていく気力がないんだ。
ロキシーも、シルフィもいない人生なんか。
俺には何の意味も、ないんだよ。
そう口には出さず。
俺はアイシャの目を見つめ返す。
はぁ、とため息をついて、アイシャが言う。
「わかった。あたしたちはミリシオンに行くよ」
---
旅立ちの日。
「アイシャ、頼むな」
「うん」
アイシャには転移魔法陣の存在と、使い方を教えた。
こいつなら、ちゃんと正しく使ってくれるだろう。
「ノルン。学校、退学になってすまなかった」
「気にしないでください。……兄さんも、気をつけて」
そう言って、ノルンは顔を伏せる。
「リーリャさん。母さんとルーシーを頼みます」
「この命に代えましても」
胸に抱っこひもでルーシーを抱いて、リーリャはうやうやしく一礼をする。
「ルーシー」
「あー」
……まいったな。言葉が出ない。
「元気でな」
小さな手に、俺の手を添える。
ルーシーは俺の手を不思議そうに見ていた。
「母さん」
「……」
いつも通り。茫洋とした様子のゼニスの前に立つ。
「どうか、お健やかに」
言って、頭を下げようとした。
――その時だった。
がばっ。
ゼニスが急に俺に抱きついてきた。
いや、俺を抱きしめてきた。
ぎゅっ、と手に込められた力が強い。
「――!!」
瞬間。
稲妻のような衝撃が走り。
俺は、思い出していた。
---
いつか。
遙かな昔。
俺は誓った。
今度こそ。
本気で生きようと。
後悔しないような生き方をしようと。
全力で生きようと。
そう。
この世界に生まれて間もない頃。
前世においてろくでもない人生を送り、最期は家から追い出されトラックにひかれた。
クソみたいな人間だった俺。
どういう理由かはしらないが、この世界に生まれて、人生をやり直すことができた。
それを認識した日、俺は誓ったのだった。
この
自然と目から涙がこぼれる。
思い出したからだ。
あの日の決意を。
あの日の誓いを。
俺はまだ、全力で生ききってない。
誓いを果たしてはいない。
ロキシーがこの世にいなくとも。
シルフィがこの世にいなくても。
俺は生きなくてはいけない……!
そうでないと、全てが無駄になる。
今までやって来たことの全てが。
それはシルフィと、ロキシーとの思い出をも汚すことだった。
シルフィと共に生きた。
助け合いながら、生きてきた。
それは、決して俺の自死で幕を閉じるべきものではない。
ロキシーにたくさんのことを教わった。
彼女から本当にたくさんのことを教わった。
それには、最期に自殺することなど、含まれていなかった。
生きないと、いけない。
彼女らの想いに答えるためにも。
彼女らの願いに応えるためにも。
彼女らの命に報いるためにも。
俺は、絶対に自殺などしてはいけない……!!
そっと、ゼニスの身体を押しやる。
「ありがとう、母さん」
相変わらず、茫洋とした顔のゼニス。
大して力を入れずとも、ゼニスは離れた。
「もう、大丈夫」
まだ俺の目は潤んでいたと思う。
いつもと同じ表情のゼニスだったけれど。
なんだかほっとした顔をしたかのように思えた。
---
みんなをミリシオンに送り出した後。
俺は家でひとり暮らしを続けている。
いや、ビートやジローもいるにはいるが。
昼間は大学に行き、魔術の勉強をする。
時にはザノバたちの所に行く。
一時はひどく俺を心配するようなそぶりを見せていたザノバたちだったが、俺が大丈夫そうだと分かると、安心したような様子を浮かべた。
夜は本を読んだり、日記を書いたりしている。
時おり、シルフィの部屋や、ロキシーの部屋に行き、そこで時を過ごす。
彼女たちの思い出に浸る。
もう彼女たちのあとを追おうとは思っていない。
ただ、あまりにも俺にとって彼女たちの存在は大きすぎるから。
シルフィやロキシーを思い出して泣いてしまったりはするけれど。
それもまた、俺にとっては必要な時間なんだと思う。
そういえば、あの日以来暗殺者の姿はない。
ミリス教団があっさり諦めるとは思えないのだが。
ただ、ミリス神聖国とシャリーアは遠すぎる。
そんなに頻繁には暗殺者を送ってくるとかはできないのかも、しれないな。
***
「ふっ!」
剣風が閃く。
「……がっ!」
背後から袈裟懸けに斬られた暗殺者は、相手を確認することもできず、崩れ落ちた。
その背後から姿を現したのは、冒険者姿の女性。
皮鎧に身を包みながらも、すらりとしたスタイルでありつつ大きく存在を主張する胸と下半身を備えている。
頭を軽く揺らすと、見事な深紅の髪がたなびいた。
エリスである。
先に斬られた暗殺者の他にも、二体の死体が転がっている。
と、物陰からより軽装の女性が姿を現す。
「エリスお嬢様」
ギレーヌだった。
「そっちは」
エリスが尋ねる。
「――始末した」
ギレーヌが答える。
「そう」
エリスは足下に転がった死体に手を伸ばす。
「――いつも通り処分するわよ」
「エリス……なぜこんなことをする」
ギレーヌが納得できないという風に口を挟む。
ここはシャリーア。
ルーデウス邸の近くの森の中。
ふたりは、ルーデウスを狙う暗殺者を殺していたのだった。
しかも、彼女らの言葉から、これが初めてではない。
「ルーデウスには同行を断られた。ルーデウスに執着しても何も得られないだろう。なのになぜあいつの命を守る?」
「……」
「エリス!」
エリスはそっと天を仰ぐ。
「……死体を処分したら帰るわよ」
ギレーヌは返答が得られなかった事に眉をひそめるが、それ以上は追求しなかった。
ルーデウスが初めて暗殺者に襲われた日、エリスはたまたまそれを目撃した。
……実のところ、毎夜のようにルーデウス邸の近くに姿を見せては館を見つめていたので、目撃したのはたまたまというわけではないのだが。
次の日から、エリスはルーデウス邸の警護を始めた。
暗殺者を見つけては、問答無用に斬る。
ひとりたりとも、逃がさない。
ミリス教団は本気でルーデウスの首を取ろうと考えているらしく、数日おきに暗殺者は現れている。
ルーデウスのことだ。
自分がいなくとも問題ないだろうとエリスは思うが、万が一ということもある。
だが、なぜ今の自分がルーデウスを守るのか。
ギレーヌに問われたが、実のところ、エリスにも自分の心はわかっていなかった。
赤髪が風になびく。
夜風は彼女の髪を弄ぶと音もなく消えた。