家族をミリシオンに送り出して、一月ほど経った頃。
玄関の呼び鈴が鳴った。
「お兄ちゃん、ただいまー!」
「……へ?」
扉を開けると、アイシャがいた。
俺は意味が分からず、間抜けな声を上げた。
「……ミリシオンは?」
「ん? 行ったよ?」
けろりとした顔で答えるアイシャ。
「ちゃんとみんなをラトレイア家に届けてー、ちゃんと生活の面倒を見てくれる話になったのを確認したから、帰ってきたの」
「だってお前! 暗殺者が!」
「お兄ちゃんが心配だったから」
ぴしゃりとアイシャが返す。
「ホントはねー、あたしたちを送り出したら、お兄ちゃん自殺するんじゃないかって思ったんだよ」
どき、と心臓が鼓動をならす。
「でもなんか、お別れの場面を見てたらね、あれー? なんか大丈夫そう? って思えたから。だからミリシオンにはいったん行くことにしたんだよ。そうじゃなかったらあたしだけすぐ帰ってくるつもりだったんだ」
……すごいなコイツ。
自分でもよくわかってない俺の心の動きをちゃんと見抜いていたようだ。
「お兄ちゃんはあたしを心配してくれてる。それは嬉しいけど」
す、とアイシャは俺に向き直る。
「あたしはお兄ちゃんが心配。だから側にいたいの。ちゃんと夜は外には出ないし、昼間も戸締まりするよ。だから一緒に暮らそう? ……ダメ?」
「……」
アイシャの目がまっすぐ俺を見ている。
「……わかった。だが、言ったことは守れよ。戸締まりと、夜間外出禁止な」
「うん!」
アイシャががば、と俺に抱きついてくる。
「お兄ちゃん大好き!」
というわけであっさりとアイシャは帰ってきた。
この天才肌の妹には今後とも振り回されそうだ。
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それから数年が経過した。
俺は魔術の研究をしている。
最近のマイブームは大魔術を使うための魔術だ。
ひとくちに大魔術といっても色々あるが、ここでは魔法陣を使うような魔術を指す。
俺は無詠唱魔術で大概のことはできるのだが、聖級以上の魔術を行う際には補助の魔法陣を使うと威力が倍増することがわかった。
このあたりのノウハウはナナホシの研究から教えてもらった。
そこで俺が研究したのは「魔法陣を書くための魔術」である。
できあがった魔法陣をスクロールとして持ち歩くこともできるが、大きな魔法陣を使いたい時にはかさばって仕方ない。
俺の作った魔術を使うと、空間に魔力で魔法陣を書く。
それから魔術を使えば。
「なんか映画とかに出てくる、魔術を使う時に空間に魔法陣が現れる!」という演出効果ができるのだ。
……わかっている。
別に威力を求めなくても無詠唱魔術でやれば大概のことは済む。
ぶっちゃけロマンである。
でもロマン大事だよね?
ザノバは人形の研究を続けている。
いつかこの家を買った時に捕まえたあの自動人形だ。
クリフを喪って、魔法陣の研究は進んでいない。
でもザノバはまったく飽きることなく術式の解明を続けている。
あの執念というか、執着は見習わないといけないな。
そしてある日、珍しい客が現れた。
光輝のアルマンフィだ。
当然、ペルギウスの使いである。
彼が持ってきた手紙には、ペルギウスからのメッセージが書かれていた。
「ナナホシの魔法陣、完成。起動に助力乞う」と。
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「――ナナホシ、久しぶりだな」
「ええ。……色々、あったみたいね」
ナナホシが気を遣ってくれているのがわかる。
「……そうだな」
最後に会ったのは、アトーフェの所から戻ったところだったか。
あの時は、シルフィがいて、ロキシーがいた。
あまりにも俺を取り巻く環境は、変わりすぎていた。
「もう、済んだことさ」
ナナホシの気遣いに感謝するように、肩を叩く。
「……ホントに貴方って……」
「ん?」
「……何でもないわ。早速起動実験に入っていい?」
「ああ」
高さ1m、直径50m。
2万5千枚の石版にびっしりと刻まれた魔法陣。
それは常識では考えられないほど巨大な魔法陣だった。
かつてはカレンダー程度の紙に書いた魔法陣に俺が魔力を通していた頃から考えると途轍もない進歩だ。
「素晴らしい出来だろう」
ペルギウスが自分の手柄であるかのように胸を張る。
ナナホシはペルギウスの弟子だからな。
弟子がこれほどの巨大魔法装置を作り上げたとあれば誇らしくなるのも無理はない。
まずは簡単なものから送ってみるらしい。
転移が上手くいったかを確認するための魔法陣が組み込まれており、成功したことを確認できれば次に生物を送る。
それも上手くいったら、最終的にナナホシを送る。
一月ほどかけて調整と分析を繰り返していくようだった。
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「じゃあ、実験、うまくいってるんだね」
「ああ。小さなネズミを生きたまま無事に転移させることができた。次はもう少し大きな生き物にするらしい」
晩飯の席で、俺はアイシャにそう語った。
今は家と空中城塞を行ったり来たりする生活だ。
ナナホシ渾身の魔法陣は魔力消費が凄まじく大きいのだ。
俺ですら1日に複数回起動させることは無理。
「……うまくいってほしいよね」
「そうだな」
しばし、俺もアイシャも無言となる。
……俺の周りは喪ったものが多すぎる。
せめて。
せめて、ナナホシは、無事に帰ってほしい。
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だが、ついに本番。
最後の最後。
ナナホシを送るという段になって、魔法陣は起動せず、ナナホシを送ることはできなかった。
ナナホシとペルギウスが確認しても、原因は一切不明。
最後にナナホシは肩を落とすと、夢遊病患者のようにふらふらと魔法陣のある部屋から出て行った。
「――ナナホシ!」
俺の呼びかけにナナホシは答えない。
俺はあとを追った。
ナナホシは自分の部屋のベッドに腰掛けた。
「……わからない。魔法陣に不備があるなら、その前までの実験が失敗するはずよ。だというのに、私を送る時にだけ失敗するなんて」
「ナナホシ」
「わからない! わからない! 帰れない!!」
感情が高ぶったかのように大声を出すナナホシ。
「ナナホシ! 落ち着け!」
俺は咄嗟にナナホシを抱きしめた。
どうしよう。怒られるだろうか。
ナナホシの手は俺をはねのけようとして……それから、力なく下に垂れた。
「うっ……10年よ。……10年、ただ帰るためだけにやってきたの。それなのに、最後の最後でうまくいかないなんて……」
ナナホシの身体が震える。
俺はナナホシの身体を抱く手に力を込める。
「なぁ、ナナホシ。ちょっとだけ。ちょっとだけ休もう。ずっと気を張ってきたじゃないか。ちょっと落ち着いて頭を休めるんだ。……そうしたら、きっと意外な原因に気がつくさ。あとになって考えれば、なあんだ、こんなことか、なんて思うような間違いがきっとある。だから、ちょっと休もう。俺のうちに来たらいい。アイシャの作るうまいご飯でも食べて、ただごろごろするだけの日を過ごそう。俺も付き合うから。な?」
「……」
ナナホシは、ぐすぐすと鼻をならしながら、黙って泣き続けている。
しばらく俺はナナホシを抱きしめ続けた。
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「……ルーデウス」
やがて、ナナホシは俺の身体から自分の身体を離す。
「頼みがあるの」
ナナホシの顔は涙でぐちゃぐちゃだ。
だが、何か、強い意志を感じさせる瞳をしていた。
「……俺にできることなら」
「じゃあ、抱いて」
ナナホシは思ってもいないことを口にした。
「!? ……ナナホシ、それは」
「お願い」
シルフィの顔が、ついでロキシーの顔が脳裏に浮かんだ。
だが彼女らが死んでもう4年以上だ。
操を立てているという意識はなかったが、あれ以来そういうことは一切していなかった。
「ダメなの……?」
ナナホシの瞳から、新たな涙が流れ出す。
俺は思い出していた。
あの頃。ロキシーが死んだ後。
「どうしてボクじゃダメなんだよ……」
と泣いて迫ってきたシルフィの姿を。
今のナナホシの姿と、シルフィの姿がダブって見えた。
あの時。シルフィを抱かなかった俺。
そうして、シルフィは俺から離れ、アスラで死んだ。
俺はあの時と同じ過ちを侵そうとしているのか?
わからない。
わからない。
どうするべきなのか。
脳裏のシルフィとロキシーは何も答えてはくれない。
「……」
俺は覚悟を決めて、ナナホシを抱きしめた。
ナナホシもおずおずと俺の身体に手を回す。
そっとナナホシの身体を横たえる。
ナナホシは目を閉じている。
俺は、ナナホシの身体に手を這わせながら、そっと彼女の唇に口づけた。
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思えば。
初めてナナホシと会ったのは転移事件の後、魔大陸から帰還する旅の途中だった。
龍神オルステッドと旅をしていた彼女は当時は遙か年上に見えた。
彼女は変わらない。
魔法大学で再開した時は同じくらいの年齢になっていた。
その間、彼女の見た目は何ひとつ変わらなかった。
――では、彼女の中で変わっていたものはなんだろう。
彼女の目的は変わらなかった。
全くぶれなかった。
ずっと休みなく走り続けてきたナナホシ。
きっと途轍もない疲労が溜まっていたに違いない。
もう息も切れて、呼吸もままならないのに、それでも泣きながらたったひとりで走り続けていたに違いない。
だから、ナナホシは少し休むべきなのだ。
きっと休めば疲労も抜けて、呼吸も戻る。
違う視点から物事を見ることができるようになる。
もしかしたら帰らなくてもいいなんて思うかもしれない。
そうしたら、ナナホシを連れて家に帰るのもいいかもしれない。
そうだ。
きっとアイシャも歓迎する。
住む人間が減って、少し寂しくなったあの家も、住人が増えればきっと賑やかになる。
そんな――そんな、夢を見た。
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翌朝。
俺は目を覚ますと、ここはどこだろうと一瞬混乱した。
そうだ。
ここはナナホシの部屋だ。
昨日、俺はナナホシと――。
と、そこで異変に気づいた。
――ナナホシがいない。
昨日、俺に抱きしめられながら、眠りについたはずなのに。
むくりと身体を起こして辺りを見回す。
ナナホシは?
シャワーとか? でもこの部屋、シャワーとかあるのか?
と。
枕元に、手紙が置いてあるのに気づいた。
綺麗に折りたたまれている。
なんだろう。
もの凄く、嫌な予感がする。
心の奥に、ズキリと痛みが走る。
震える手で、手紙を開く。
書き出しはこうだった。
『ごめんなさい』
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「――ナナホシ!」
俺は急いで服を身につけると、ナナホシを探して部屋を出る。
と。俺の目の前に、光輝のアルマンフィが姿を現した。
「ルーデウス。……こちらに」
アルマンフィは俺を先導して空中城塞の廊下を進む。
目的地はすぐだった。
廊下を曲がり、目的の部屋に入る。
何の変哲もない部屋。
客室の一室だろうか。
ベッドがあり、ナナホシが寝かされていた。
ベッドの脇には、ペルギウスがいた。
周りを囲むように、アルマンフィを除いた12の使い魔たちが勢揃いしている。
「――来たか。ルーデウス」
ペルギウスの顔は、何だか沈痛そうだった。
ナナホシの顔を見る。
数時間前には俺の身体の下にあった顔。
何だか、やけに、白い、ような。
「――ナナホシは、首をくくった」
「……え?」
ちょっと、意味が、わからない。
わからない。ペルギウスが何を言っているのか。
ぐらりと世界が歪む。
なにを、言っている?
ナナホシが、何だって?
立っていられない。
足から力が抜けて、ぺたりと尻餅をつく。
「朝のことだ。豪雷のクリアナイトより我に知らせが入った。――ナナホシが首をくくったと。すぐに救助を行ったが、ナナホシは目を覚まさぬ」
「……生きて、いるんですか」
「呼吸はしておる」
首つり。前世の知識で覚えがあった。
確か、3分、呼吸が止まると脳に障害が発生する確率が高まると。
――脳死状態。
「魔法で、治せないのですか」
「上級治癒魔術までは試した。だが効かぬ」
ペルギウスの顔が歪む。
「我の経験上、これを癒すには神級の治癒魔術が必要だ」
神級治癒魔術。
それは伝説の中にしか存在しないものだ。
死した人間ですら、時間が早ければ回復させられるという。
「だが今この世には神級治癒魔術の使い手はおらぬ。それがゆえにナナホシは未来に送る」
「――未来に?」
「時間のスケアコートにナナホシを今の状態のまま時を止めさせる。やがて生まれいずる者の中から神級治癒魔術の使い手が生まれるやもしれぬ。あるいは古代の遺跡より神級治癒魔術のスクロールが見つかるかもしれぬ。それまで、ナナホシは今の状態のまま保持し続ける」
「そんなことが――」
できるのか。
いや、できるのだろう。
相手は『甲龍王』ペルギウス・ドーラ。
彼もまた、伝説上の英雄なのだから。
「我は認めぬ」
ペルギウスは、俺の目をまっすぐに見ると、言った。
「自死こそ救いなど、決して認めぬ。うまくいかずとも、成功せずとも、挑むこと、それにのみ価値はあるのだと。その先にしか道はないのだと我は信じるのだ。――滑稽か?ルーデウス・グレイラット」
「――いえ」
ペルギウスの言葉は俺に刺さった。
俺も一時は自殺を考えていた身だからだ。
「高潔な、考えだと思います」
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ナナホシの手紙の続きを読んだ。
「ごめんなさい。貴方には余計な負担をかけてしまうかもしれない。
どうか、どうか、自分のせいで私がこうなったと思わないで。
帰れなければこうする。それはずっと前から決めていました。
貴方には本当に世話になりっぱなしでした。
だから昨夜のことは私なりのお礼。
私の貧相な身体にその価値があったかはわからないけど。
もしかして、貴方に抱いてもらえることで、
貴方の強さを少しでも分けてもらえるかもとも思ったのだけれど。
一晩経っても私の弱さは変わらなかった。
だから、私は行きます。
ねぇ、ルーデウス。貴方は本当に強い人。
私が貴方と同じ状況で愛する人を喪ったとしたら、とても生きていけない。
でも、貴方は苦しみもがきながらもそこから立ち上がり、前を向こうとしている。
それは誰にでもできることじゃないの。
だから貴方の苦しみには、悲しみには、きっと意味がある。
その先にはきっと貴方にしかできないことが待っている。
どうか。健やかに。
いつか貴方と再会する日があるとして、それがなるべく先だと願っています。
七星静」
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家でナナホシの手紙を読んだアイシャは、泣きながら抱きついてきた。
その頭を撫でながら、俺は聞かずにいられない。
「なぁ、アイシャ。俺は間違えたのかな――」
「ううん。お兄ちゃんは間違ってない。多分、ナナホシさんはお兄ちゃんに感謝してると思う。だから手紙にもそう書いたんだよ」
「でも、俺は……」
ぽたり。
俺の目からも涙がこぼれる。
「俺は……ナナホシに恨まれてでも、アイツに生きててほしかった……」
ダメだ。一度涙が出ると止まらない。
「しょうがないよ。お兄ちゃん。何でもうまくはいかないよ。それでも、次はうまくいくと信じて、進まないといけないんだよ」
「ああ……そうだな……」
だけど、今は泣こう。
泣いてしまおう。
俺が救えなかった少女のために。
いつかきっと目を覚ますはずの少女のために。
その時、俺はもうこの世にいないかもしれないけれど。