下北沢RAE。
初めて演奏する、STARRY以外の下北沢のハコ。憧れの場所でのことだった。
「ありがとうございましたー! 結束バンド初めてのバラードで、『小さな海』でした!」
跳ねるような喜多ちゃんの声の後に、万雷の拍手と黄色い声が響く。ロックバラードの後とは思えない反応に、私はほっと胸を撫で下ろした。
最近の結束バンドは、かなり調子が出てきていると思う。ブッキングライブばかりだけど、こんな風にSTARRY以外のハコでも
「えっと、次の曲は私たちにとって初めてのオリジナル曲で──」
喜多ちゃんのMCは相変わらず辿々しいけど、堂々としてきてる。最近ではギターもかなり上手くなった。
リョウは経験豊富だから相変わらず安定してるし、ライブで緊張している様子もない。そして、ぼっちちゃんは⋯⋯。
「虹夏」
そう考えていたところで、リョウの小さな声が耳に届いた。どうやらいつものアイコンタクトをスルーしてしまっていたらしい。駄目だな。慣れてきたからって、ライブ中に考え事なんて。
私は目で返事をすると、スティックを振りかぶる。カウントの後に鳴り響く、ギターの轟音。
私はクラッシュシンバル越しにぼっちちゃんの背中を見る。もう誰にもドヘタなんて言われることのない、ばっちり噛み合うようになった演奏が、スポットライトの下で響いている。
でもさ、ぼっちちゃん。
何か、無理してない?
* * *
その違和感が始まったのは、たぶん今日の会場である下北沢RAEに到着してからだった。
一番最初の違和感は、ぼっちちゃんが対バン相手に自分から挨拶しに行ったこと。「きょ、今日はよろしくお願いします」ってまあいつものどもりまくりな感じだったけど、誰より率先して挨拶するなんて初めてだった。
それに──。
「で、ライブ中にやっとペグが壊れてるって分かってー」
「あっ、はい。わ、私も経験あるから分かります⋯⋯」
それにあのぼっちちゃんが、対バン相手との打ち上げに来ている。しかも私たちが間を取り持たなくても、普通に話をしてる。いや普通にできてるかどうかは分からないけど。
今まで対バン相手から打ち上げに誘われても、絶対行こうとしなかったのに⋯⋯。
「さっきからぼっちばっか見すぎ」
私の考えを中断させたのは、またリョウの声だった。私、そんなにぼっちちゃんばかり見てたかな⋯⋯。うん、見てた。すっごい見てた。喜多ちゃんは相変わらずのコミュ力だから普通に他のバンドの人と仲良く喋ってるし、ぼっちちゃんが一番心配だもん。
「だって、ぼっちちゃんが対バン相手と普通に会話してるんだよ?」
「それだけぼっちも成長してきたってことでしょ。ライブもかなり慣れてきたし、自信もついてきたんじゃないの」
「そうかも知れないけど⋯⋯」
それにしたって違和感が凄い。今日からいきなり、ここまで変われるものじゃないと思う。あとリョウに正論言われるとなんか悔しい。
「心配なら、見てきたら?」
リョウがそう言って指した先で、ぼっちちゃんは席を立ったところだった。お手洗いにでも行くのかなと思って見ていたら、逆の方向に歩き出す。
「ちょっと行ってくる」
そう一言だけ告げると、リョウは「ん」と短く返事を返した。
私が追いかけ始めると、間もなくぼっちちゃんは外に出る。
「ぼっちちゃん」
私も店を出ると、外で空を見上げていたぼっちちゃんに声をかけた。出てきたのが私だと思っていなかったのか、びくっ! と全身を震わせて驚いている。
「に、虹夏ちゃん⋯⋯」
「ちょっと、いい?」
私はぼっちちゃんの隣まで行くと、真似するように壁に背中を預けた。ゴミゴミした路地裏には誰もいなくて、二人で話すにはちょうどいいシチュエーションだった。
「は、はい⋯⋯」
「ぼっちちゃんさ⋯⋯今日、何か無理してない?」
ストレートに聞くと、ぼっちちゃんの大きな瞳が私に向けられる。
その目が、一瞬潤いを増した。
瞳に映り込んだ街灯が、まるで星みたいだなんて思った瞬間──。
「ううぇぇ⋯⋯っ」
ぼっちちゃんが、吐いた。
え、何これ。誰かこの子にお酒飲ませたの?
「ぼっ、ぼっちちゃんっ!?」
私はしゃがみ込んで、ぼっちちゃんの背中を擦りながらその顔を覗き込む。せっかくの可愛い顔が凄いことになっていた。主に口元が。
「大丈夫? まだ出そう?」
「うぅぅ⋯⋯。す、すみません⋯⋯」
ハンカチで口元を拭ってあげると、ぼっちちゃんの顔色の悪さがよく分かった。ちょっとこれは尋常じゃない。
「ひょっとして、間違えてお酒頼んじゃったとか?」
「い、いえ、そうじゃなくて⋯⋯。緊張の糸が切れたというか、初めて会った人とあんなにしゃべるの久しぶりで⋯⋯」
と思っていたら、物凄くぼっちちゃんらしい理由だった。
マーライオンしちゃった理由は分かったんだけど⋯⋯どうしてそこまで頑張ってしまったかが、分からない。
「理由、聞いていい?」
「あっ、はい⋯⋯」
私たちはぼっちちゃんが吐いてしまった側溝から少し離れると、二人してしゃがみ込んだ。背中をつけた壁が、ひんやりと冷たい。
「あの⋯⋯虹夏ちゃん、今日RAEで演るのすっごい楽しみにしてたじゃないですか」
「うん。⋯⋯そうだね」
確かに、楽しみにしていた。ずっと前からあるライブハウスで、お姉ちゃんがライブしているのを観に行ったこともある。
人気のハコだし、お姉ちゃんが昔立っていたステージに自分も立てることが嬉しかった。それをそのまま言ったわけじゃないけど、楽しみにしていたのは思いっきり伝わっていたみたい。
「虹夏ちゃんがずっと演りたかった場所で、私が変なことして出禁になったらどうしようって⋯⋯。虹夏ちゃんたちに恥をかかせたくないし、それで私、まっとうなバンドマンになろうと⋯⋯」
「まっとうなバンドマン」
「だ、だっていつもの調子だと絶対自分から絡みにいこうとしないし、そんな態度だと対バン意識バチバチのツンツンバンドマンだって思われちゃうかなって⋯⋯」
「ツンツンバンドマン」
「ひょ、ひょっとしたら対バン相手がステージに乱入してきて警察沙汰に⋯⋯」
「ないないないない! 絶対ならないって!」
いつもの超絶過大な被害妄想が広がっていきそうで、私はぶんぶんと手を振ってぼっちちゃんの意識を現実に引き戻す。
理由は分かったけど、相変わらず発想が飛躍しすぎ。私、ライブハウスで喧嘩してる人見たことないよ⋯⋯。
「あのね、ぼっちちゃん」
私はさっきぼっちちゃんがそうしていたように、夜空を見上げながら言った。
「気持ちは嬉しいんだけど、ぼっちちゃんに無理はして欲しくないかな」
こく、と頷いたぼっちちゃんの、長い髪が揺れた。それを視界の端に捉えながら、私は続ける。
「私はぼっちちゃんが恥ずかしいなんて思ったこと、一度もないよ。カッコいいって思うことは、結構あるけど」
「⋯⋯カッコいい」
復唱したぼっちちゃんに、私は「うん」と頷く。
「それにね、もし誰かのせいであたしたちの評価が下がったとしても気にしないよ」
「な、なんでですか」
「そんな評価なんて、いくらでも取り戻せる自信があるから。あたしたちならね」
「虹夏ちゃん⋯⋯」
そう言ってぼっちちゃんに、ニッコリとびっきりの笑顔を向ける。
それが私の本心だったし、きっとそれができると思う。私一人じゃどうにもならないことでも、この四人なら何とかなる。絶対に。
「だからぼっちちゃんは、そのままでいいよ。そのまんまが、一番素敵なんだから」
ぼっちちゃんと目を合わせる。
ぼっちちゃんの身体が、小刻みに震えている。
ああ、今のはちょっとキザすぎたかな。ちょっといいこと言いすぎ──。
「あ、あの⋯⋯。褒められ過ぎてまた吐きそうになってきました⋯⋯」
「なんでぇ!?」
また口元を押さえ始めたぼっちちゃんの頭上に、素っ頓狂な声が響き渡る。
本当にぼっちちゃんは、相変わらずぼっちちゃんだ。
時々おかしくて、ちょっと怖い時もあるけど、びっくりするぐらい真っ直ぐで、カッコよくて。
「もう、しっかりしてよ~」
だからそんな私のヒーローのままでいてね、ぼっちちゃん──。