高校三年生になった。
時の流れにと周囲の動きに、自分の気持ちに、何もかもについていけないまま。
「おーっ! 凄い! またあたしたちのコーナーできてるよ!」
「あ、はい。凄いですね」
スタ練終わりに立ち寄った下北沢のビレバンには、店内に入ってすぐのところに結束バンドの特集コーナーができていた。
二枚目のフルアルバム。インディーズレーベルでのリリースだったけど、まさかのオリコンTOP一○入りで、大々的にお祝いするコーナーができている。
「凄いですねって。あたしたちのことじゃん」
「⋯⋯そうなんですけど、全然現実感がないというか」
実際、ここのところの出来事には何も実感が湧かなかった。
初めてCDをリリースしたのは二年の時のことで、それがじわじわと売れて何回もプレスをかけることになって。次に出したEPはダウンロードチャートで上位に入ったし、今回リリースしたアルバムだって好調すぎるほど好調だ。
「まぁねー。実感湧かないよね。あたしたちが下北代表バンドなんて書かれるなんて」
虹夏ちゃんの言葉に、私は深く頷いた。
下北沢はバンドマンの聖地と言われるぐらい、ミュージシャンの集まる街だ。それは手書きポップの一つにすぎなかったけど、結束バンドは下北沢を代表するニューウェーブ・ロックンロールバンドなんて謳い文句がついている。それもこれも、ぽいずんさんが書いた記事がきっかけなんだろうけど。
「そのうち歩いてたら、サイン求められちゃうかも」
にしし、と虹夏ちゃんは笑うと、結束バンドのコーナーを離れて店を出た。その光景はいつもの下北で、行き交う人達は特段私たちを気にかける様子もない。
今日はもう、電車に乗って帰るだけ。だけど虹夏ちゃんは私と一緒に、STARRYとは逆方向に向けて歩き始める。
「ちょっとぼっちちゃんに、相談したいことがあるんだけど」
「はい⋯⋯?」
相談、なんて言葉を虹夏ちゃんが使うのは珍しい。何だろうと思いながらも虹夏ちゃんの方を見ると、細められた目が私を見ていた。
「あたし、告白されちゃった」
「え──?」
一瞬、息ができなくなった。
口をパクパクさせて、釣り上げられた魚みたいになって、私はその動きだけで次の言葉を求めていた。
「ワールド・イズ・マイン、けっこう何度も対バンしたよね」
「そう⋯⋯ですね」
「ベースの北山さん、本気で付き合おうって、この前言ってきて」
ベースの北山さん、というのは、ワールド・イズ・マインで唯一の男の人だ。見た目が中性的なせいでみんなガールズバンドだと思っているけど、間違いなく男の人。
私にも優しくしてくれるし、何なら知り合ったバンドマンで一番喋りやすいぐらい穏やかで、優しい人だ。
そんな人が、本気で虹夏ちゃんを好きになった。私よりもずっと真面目でまともな人だから、きっと虹夏ちゃんを幸せにできると思う。もしもそうだとしたら、私は絶対に、応援しなきゃいけない。
なのに──。
「ぼっちちゃん。あたしどうしたらいいと思う?」
どうして私は、ずっと黙っているんだろう。
* * *
どうするべきかなんて、あたしは知っていた。
色恋沙汰で壊れていくバンドを、いくつも見てきたから。破滅的な道を歩む人も、どこかですり減って心を失っていく人も、それなりに知っている。
「どう、したらって⋯⋯」
ぼっちちゃんはあたしから目をそらすと、沈痛な面持ちで地面を見ていた。ああ、その反応、嬉しいな。そんなことを思うあたしは、どこかネジが一本飛んで、別のところに入っていってしまったみたい。
「いいんじゃ、ないですか⋯⋯」
絞り出したようなその言葉は、とても本心だとは思えなかった。その声は震えていたし、握られた拳が如実にぼっちちゃんの心を現している。
「北山さん、私にも凄く良くしてくれますし⋯⋯しゃべり易いです。きっと⋯⋯虹夏ちゃんを、幸せにしてくれると思います」
嗚呼──と、あたしは息を吐く。
そんな言葉、ぼっちちゃんから聞きたくなかったな。
「きっと、そうかもね」
あたし前に言ったよね、ぼっちちゃん。バンドマンとは付き合うもんじゃないって。特にベースなんて、やめた方がいいって。
なのに、どうして止めてくれないんだろう。どうして嫌だよって、バンドを大事にしてよって言ってくれないんだろう。それがぼっちちゃんの優しさだって、あたしは知っているけど。
「じゃあ、付き合おっかなぁ」
あたしがそう言うと、ぼっちちゃんはハッとした様子であたしを見ていた。その反応が嬉しくて、寂しい。
あたしは、ぼっちちゃんなら止めてくれると思っていた。その反面、祝福してくれるだろうなとも思っていた。どちらに転んでも、それはそれでぼっちちゃんらしいと言える。あたしの知っている、優しくてか弱くて強くて、とっても複雑なぼっちちゃんだ。
「ほ」
あたしが歩き出そうとした、その瞬間。
「本気なんですか」
ぼっちちゃんは睨むかのような強い目で、あたしの瞳を直視していた。
「⋯⋯うん。本気だよ」
「それで⋯⋯いいんですか。ただの幸せで」
そう言ったぼっちちゃんの声は、こっちが心配になるぐらいに震えていた。
ただの幸せって、何だろう。ある意味ぼっちちゃんらしい表現で、あたしはちょっとだけ楽しくなる。
「⋯⋯うん。それでいいよ。あたしはそれだって、知らないことだから」
きっとあたしたちの家族は、普通とはずっとかけ離れていると思う。
お父さんはほとんど家にいなくて、お姉ちゃんはライブハウスのオーナー。優しかったお母さんは、星になって夜空に輝く。それを悲嘆するつもりもないし、無理にそういうものなんだって肯定するつもりもない。
「私は」
ぼっちちゃんは立ち止まると、自販機の明かりの中で影を落としていた。
長くて細い、色濃い影を。
「私は、やっぱり嫌です」
そう言って、あたしを真正面から見つめてくる目。
ああ、その瞳が大好きなんだって。
どうしたら彼女に、伝えられるんだろう?
* * *
口から出てきた言葉が、自分でも信じられなかった。
立ち止まった自販機前。耳に届くカラスの鳴き声。
私は自分の言った言葉の意味さえ分からずに、虹夏ちゃんの前で立ちすくんでいた。
「ぼっちちゃん」
虹夏ちゃんの大きな瞳の中に、悲痛な表情を浮かべた私が映り込んでいる。
「それって、どういう意味かな」
さっきから、私の呼吸はやたらに浅い。
気を抜いたらその視線から逃げたくなってしまう。それでも目をそらさずにいられるのは、このままでは絶対ダメだと分かっているからだ。
「私、嫌なんです」
「⋯⋯うん」
絞り出した声に、呟くような声が返ってくる。
「虹夏ちゃんが誰かと付き合うのも、誰かのものになってしまうのも」
私は一体、何を言っているんだろう。それすらも分からないまま、言葉を連ねる。
「わっ、私がこんなこと言うのは、おかしいと思うんですけど⋯⋯」
「⋯⋯そんなことないよ」
虹夏ちゃんはじっと私を見ながら、ただただ静かにそう言った。
その瞳がにわかに潤いを帯びたのは──きっと、見間違いだと思う。
「私たちじゃ⋯⋯。私じゃ、ダメなんですか⋯⋯?」
声は、震えていた。
情けないぐらい声はカラカラになって、言葉はそこで途切れてしまう。
「ぼっちちゃん?」
それでも、言わないと。伝えないといけないと思った。
そうじゃなきゃ⋯⋯きっと、取り返しのつかないことになってしまうから。
「私の方が、絶対に虹夏ちゃんを幸せにできると思います」
そう言う根拠なんか、何もない。
いつか言ってくれたみたいに、私が虹夏ちゃんのヒーローであり続けられる保証も何もない。
でも──。
「⋯⋯うん」
──そんなことは、きっと虹夏ちゃんは分かっている。
「そうだね」
肯定の言葉が、私の心にじんわりと広がっていく。
それが情けなくて、私なんか全然ダメで、気付いたらボタボタとアスファルトに染みが広がっていた。
「あたしも絶対、そう思う」
ありがとう、虹夏ちゃん。
私のことを、信じてくれて。
* * *
窓の外では、小糠雨が降っている。
さぁさぁと、雀のような、カラスのような声で。
「⋯⋯んー、虹夏、ちゃん」
STARRYの居住スペースにあるあたしの部屋。その一室で、あたしは可愛らしい寝顔を眺めて、嬉しい寝言で耳を癒されていた。
ああ、嬉しいなって思う。あたしたちが、一線を飛び越えられたこと。そのジャンプ力を得るのに使った手段は、ちょっとズルかったと思うけど。
「ぼっちちゃん」
疲れ果てて寝こけているその頬を突く。それでもぼっちちゃんはもきゅもきゅと目蓋を動かすだけで、目覚める気配はない。
ああ、可愛いなって思う。出会った時から、一ミリだって違わない。あたしの中のぼっちちゃんは、ずっと可愛くて、眩しくて、ヒーローのままだった。
呼吸で上下する裸の胸を見るたびに、これで良かったのかななんて考えてしまう。考えに考えてどこまでも思考を巡らせて、それでも結局行き着くところは一緒。
きっとこれで良かったんだ。これがあたしの、求めていたものだから。
「んん⋯⋯っ」
背の高いまつ毛が揺れると、ぱしぱしとぼっちちゃんは目を
「え⋯⋯。あっ」
そして目を覚ましたぼっちちゃんは、あたしたちが裸でいることの理由を思い出したのか、急にカッと頬を赤くした。昨日は凄く積極的だったクセに、その反応はずるいと思う。
「えっと、あの⋯⋯」
しばしの逡巡の後、ぼっちちゃんはおずおずと口を開いた。その顔には、明らかな戸惑いが浮かんでいる。
「虹夏ちゃんは、後悔していませんか⋯⋯?」
ぷっ、と吹き出してしまいそうになる。
どこまでもぼっちちゃんは自分への評価が低すぎて、だからこそ可愛くて仕方がなくなってしまう。
「するわけないじゃん」
だってこれは、ずっとあたしが求めていたものだから。
あたしのヒーローが、あたしだけのヒーローになってくれること。それがどれだけズルいかを分かっていたから、そのもう一歩を踏み出せなかった。
「それなら、良かったですけど」
その先に続く言葉は、何となく想像ができた。バンドのことを一番強く思っているぼっちちゃんだから、気にしないはずがない。
「皆さんには、何て説明したらいいんでしょうか⋯⋯」
ほらね、やっぱり。
ぼっちちゃんは、そういう子なんだ。真っ直ぐで
「んー、別にいいんじゃない。言わなくても」
「えっ。で、でも⋯⋯」
「どうせ、気付くと思うし。そうしたら言えばいいんだよ。あたしたちから言うと、いきなり過ぎてショックが大きいでしょ?」
それはたぶん、詭弁なんだと思う。都合のいい解釈で、ひょっとしたら誰も幸せにならない
でも、それでもいいんだって、あたしは思う。隠し通すつもりがない分、それほど後ろめたいこともない。
「いいんでしょうか、秘密にしていても」
「いいんだよ、きっと。どうせ秘密になんてできないんだから」
それは一種の信頼で、きっとそれは現実になるのだと思う。
でもね、ぼっちちゃん。
あたしがどれだけぼっちちゃんを必要としているかなんて、どれだけ恋焦がれていたかなんて。
知ったらきっと、離れていってしまう。それだけは、どうしようもなく嫌だから。
「だからさ、ぼっちちゃん。みんなに気付かれるまでは──」
あたしの気持ちは。
その大きさは。
その重さは。
「あたしたちの秘密にしておこ?」
これはずっと、秘密だよ。