「えっ、虹夏ちゃんに彼氏⋯⋯?」
「ええ⋯⋯。かも知れない、というぐらいの話なんだけど」
放課後、スタジオ練習前。
私と喜多さん、リョウさんはSTARRYの隅で神妙な顔で向き合っていた。
「前にいつもと違う道でSTARRYに来た時に、見てしまったのよ。背が高くて、髪の毛パーマで、いかにも下北ーって感じの人と歩いてたの」
「でっ、でも⋯⋯それだけじゃ、彼氏って決まったわけじゃ⋯⋯」
「そうなんだけど⋯⋯。伊地知先輩、すっごい笑顔で楽しそうに話してて。分かれ際もニコニコしながら手を振ってて⋯⋯。その日のスタジオ練習、凄くテンション高かったわ」
「四日前、だね。私も覚えてる」
表情を変えずに、リョウさんが言う。確かにあの日、物凄くやる気に満ち溢れていた。
虹夏ちゃんに彼氏⋯⋯。たぶんこれって、本当なら喜んだり、お祝いしたりしなきゃいけないことなんだと思う。
だけど、どうしてだろう。こんなに胸がモヤモヤするのは⋯⋯。
「そっ、そういう訳だったんですね⋯⋯。でも、なんて言うか⋯⋯虹夏ちゃんがいいなら⋯⋯」
「よくない」
私が無理矢理そんな言葉を吐くと、リョウさんがピシャリと言った。
「バンドメンバーに彼氏彼女ができる。恋人にうつつを抜かして練習サボりがちになる。行く行くはメンバー脱退。引いてはバンド解散の危機」
「⋯⋯確かに、最近一番最後に来ること多いですね」
バンド解散、というキーワードが強すぎて、びりりと背中が痺れた。
⋯⋯それだけは、嫌だ。でも、虹夏ちゃんの幸せを願えない自分も嫌だ。
でもどちらかを選べと言われたら⋯⋯きっと私は、バンドを選ぶ。虹夏ちゃんやみんなと、バンドを続ける方を。
「おっつかれさまー!」
そんな会話をしていたら、もの凄くテンション高い感じで虹夏ちゃんがSTARRYにやってきた。喜多さんが説明してくれたあの日みたいに、凄く機嫌が良さそうだ。
「さ、今日もスタジオ練習がんば──」
「虹夏」
リョウさんは突然虹夏ちゃんを後ろから抱き締めると、鎖骨のあたりに顎をのせる。虚ろな目で床を見つめながら、冷たい声で言った。
「彼氏、できたの?」
「え⋯⋯?」
そんな単刀直入に、と私と喜多さんは固まってしまう。
私たちと同じように、完全に動きを止めてしまった虹夏ちゃん。何なんだろう、この間は。
「前に、郁代が見たって。いかにも下北な男とイチャイチャ仲良さそうに歩いてたって。それで虹夏は、まんざらでもない顔でデレデレしてたって」
「わ、私そこまで言ってません!」
「あ⋯⋯。あー、あの時、見てたんだ⋯⋯」
「答え
「怖いよ! っていうかリョウ離して!」
リョウさんがいつになくバイオレンスだった。
じたばたともがく虹夏ちゃんを、リョウさんは腕に力をこめて離さない。
「虹夏ちゃん⋯⋯」
「伊地知先輩⋯⋯」
「み、みんな落ち着いてよ。ちゃんと話すから」
思わず私たちも詰め寄ると、虹夏ちゃんは観念したように頭を振った。
「あの人はね⋯⋯」
そう言って言葉を切ると、虹夏ちゃんは私と喜多さんの目を順番に見た。未だに後ろから抱きついているリョウさんの手に、自分の手を重ねる。
「私たちの、結束バンドのファンだよ。ライブ、何回か観に来てくれてるんだって」
え、と言葉にならない呟きが頭の中に
「じゃ、じゃああの日凄く機嫌よかったのって」
「そりゃ、街中でファンですって声かけられたら嬉しいでしょ」
「それじゃ⋯⋯最近スタ練に来るのが遅かったのは?」
「進路相談で放課後先生と話してただけ。考えすぎだってば」
いつの間にか握り込んでいた拳から、ふっと力が抜ける。
な、なんだファンか⋯⋯。よかったぁ⋯⋯。
「そうだったんですね⋯⋯。でもそんなことがあったなら、一番に言ってくれそうなのに」
喜多さんも安心した表情を浮かべながら、素朴な意見を口にした。確かに普段の虹夏ちゃんなら、その日のうちに「聞いてよ~!」って話してくれると思う。
「⋯⋯言えなかったんだよ」
バツが悪そうな顔で、虹夏ちゃんは床に視線を落とした。何だか触れちゃいけない部分に触れた気がして、ちょっと不安になる。
「だってあの人、はっきりは言わなかったけどリョウのファンだよ。そういうの、伝えた方がいいんだろうけど⋯⋯。なんか、リョウの意識がそっちに引っ張られるのが、嫌って言うか⋯⋯」
もじもじ、と虹夏ちゃんは指先を回しながら、小さな声で言った。
か、可愛い⋯⋯。虹夏ちゃん、やっぱりリョウさんのこと大好きなんだなぁ⋯⋯。
「っていうか! なんで私が話しかけられたんだと思う?」
勝手にほっこりしていると、虹夏ちゃんは急に声を荒らげた。
「あの、伊地知先輩、それってどういう⋯⋯」
「まずリョウ! あんたはファンと交流しなさすぎ! ぼっちちゃんも!」
「あっ、は、はい⋯⋯」
びしっと言われて、思わず背筋が伸びる。ファン一号さん二号さんと少し話すぐらいじゃ、足りなかったみたい。
「喜多ちゃんも、無意識に男性ファン避けてるでしょ?」
「うっ⋯⋯。はい、そうですね⋯⋯」
指摘された喜多さんは、珍しく猫背になる。確かに喜多さんが男性ファンと話すところは、見たことがない。
「結果、一番話しかけやすいのはあたしってこと。変な誤解する暇あったら、ちゃんとファンと交流してよね。距離の近さって、ファンにとって嬉しいもんだからさ」
ぷりぷり怒っていた虹夏ちゃんは、そう言ってようやく笑顔を見せた。
その瞬間、ふわっと空気が軽くなった。やっぱり虹夏ちゃんには、笑顔が似合う。
「でっ、でも、よかったです。これがきっかけでバンド解散しちゃったらどうしようかと⋯⋯」
「──ああん?」
虹夏ちゃんは低い声を出すと、目を細めて猫みたいな瞳を作った。
あ、何かまずいこと言っちゃったかも。空気がピリついてくるのが分かる⋯⋯。
「あのね、あたしがどれだけ結束バンドのことを大事にしてると思ってるの? あたしにとってバンドが一番! このバンドがある限り、絶対彼氏なんて作らない!」
「に、虹夏ちゃん⋯⋯」
虹夏ちゃんの言葉が、じーんと胸に広がってくる。
よかった、虹夏ちゃんも同じ気持ちだったんだ。でもそんな宣言しちゃったら、一生結婚できないかも知れないよ⋯⋯。
「よかった⋯⋯。虹夏を殺して、私も死ぬところだった」
「急に重いよ!? っていうかリョウ離して」
「勘違いしてごめんなさい。私も伊地知先輩と同じです。彼氏は作りません! ⋯⋯男の人怖いし」
「あー⋯⋯、最後本音もれてるよ?」
「わっ、私も同じ気持ちですっ! 虹夏ちゃん以外作りません!」
「なんか違う意味に聞こえるんだけど!?」
喜多さんに腕を引かれて、私たちは虹夏ちゃんに抱きついた。
三人から抱きしめられた虹夏ちゃんは「うえ」と変な声を出す。
だけど、私たちは離れない。
それこそバンド名みたいに、きつく結んで、離れたくないから──。
* * *
それは私が買い出しを終えてSTARRYに戻ってきた時のことだった。
「ぐぇぇ⋯⋯」
「ううっ、虹夏ちゃぁん⋯⋯」
「伊地知せんぱぁい⋯⋯」
「二人とも近い。虹夏はやらん離れろ」
何故か結束バンドのメンバーは、虹夏を中心におしくらまんじゅうをしていた。⋯⋯何やってんだこいつら。
「お姉ちゃーん、助けてよぉ⋯⋯」
三人から抱き締められている虹夏は、げっそりした表情で私に訴えかけてくる。いや、そんな目で見てこられても⋯⋯。
「知らん」
さっさとスタジオ入れよ、と続けようとした言葉を、あえて飲み込む。
何故だかこの光景を、もう少し見ていてもいいかと思ったからだ。
「はーなーしーてー!」
たまには楽しそうな妹の顔をアテに飲むのも、悪くない。
そう思いながら私は、良い子りんご一○○にストローを刺した。
CP的には虹夏総受けって感じなんでしょうか。
ネタバレ防ぐ為に今回はCP表記は無しでした。