大変お待たせしました。前後編の後編です。
次の日の早朝————
ランカークスの村のはずれでは、森の朝を告げる案内役として、小鳥の細く長いさえずりが木立の隅々まで響き渡っていた。
緑の世界に棲まう生き物たちが、東から昇る太陽の光に呼応したように活動を始めるなか、一人の人間がその領域の奥へと足を踏み入れていく。
息子から「熊のような体格」と称されるその男は、鍛冶道具の入った荷袋を背負って、木々の間を分け入って進む。その重量感ある歩みは、森の侵入者としての存在感をいやおうなしに周囲に告げ、小動物たちは彼を避けて小走りに逃げていく。
「やれやれ、俺も本格的に武器鍛冶から農具鍛冶に転向か————これも時代の流れってやつだな」
村人ジャンクはそう独りごち、軽くため息をついた。
先日、村の武器屋の店主である彼の元へ、近隣の村から本業でない依頼が————
大魔王バーン率いる魔王軍との戦争が終わり、しばしの休息がもたらされたあと————「戦う」ことを使命として生きてきた者たちには、大きな人生の転換期が訪れた。
この世に生きとし生けるものは、「食べる」という本能からは逃れられない。
魔王軍の襲撃によって破壊された建造物の瓦礫処理を行いながらも、魔法使いは杖を
世界復興の第一歩は、人々が農具を手にすることから始まったのである。
その土起こしの道具が、現在のベンガーナ市場で圧倒的に不足していた。ジャンクは武器屋としての営業を一時休止し、農具鍛冶の注文の数々に追われることとなった。
しかし、彼の工房の敷地内では、製作できる種類に限界があった。そこで、作業の一部を、村のはずれの森の奥にあるロンの小屋の中でも同時進行で行うことになったのである。自分の家の作業場と、この森小屋の二箇所の火炉で作業することで、農具の種類を分けて創ることができ、生産効率が良くなる。
一方、ロンとしても、ノヴァの鍛冶修行の模範を示すことのできない自分の代役をジャンクに任すことができた。二人の間で互いの利益が一致したのだ————
その頃、いつもより数時間早く起きたノヴァは、小屋の外で木炭を荷籠の中に積んでいた。この日使う分の炭を、小屋の中へ持ち込むためである。
少年は早朝の来訪者の姿に気づくと、小屋の中へに入っていこうとするジャンクを慌てて呼び止めた。
「実は、ちょっと聞いてほしいことがあるんです」
神妙な顔でノヴァは話を切り出した。昨日、小屋の戸棚の壺に手を触れようとした瞬間にロンから激しく怒られた経緯を、少年はありのままジャンクに打ち明けた。
こういうとき、ノヴァにとってジャンクの存在はとてもありがたかった。唯一、鍛冶について直接教わることができる存在であるし、あの気難しい性格の師とも、自分より付き合いが長い。
きっと、今回のことについても適切な助言をくれるはずだ————
ところが、一通りノヴァの話を聞いたジャンクは、手のひらを振ってせせら笑った。
「そいつは無理もねえ。もしヤツの腕の怪我がなければ、お前の手首は剣で斬り落とされていたな。俺がロンでもそうする」
ノヴァはジャンクの意外な言葉に驚くと同時に、思わず背筋にひやりと冷たいものが走った。
青ざめた少年の表情を見て、ジャンクは意地悪く笑う。
そしてノヴァの逆立ったくせ毛を右手で荒っぽくわしづかむと、猛禽類が獲物を捕らえたときのような眼差しで鋭く睨みつけた。
「いいかノヴァ、今お前がいるのはそういう世界なんだ。職人てのは命掛けでものづくりをする。ましてや秘伝なんてものは、職人の魂そのものなんだよ。それをうっかり見ちまった人間はな……職人に殺されても文句は何一つ言えねえんだ。一番弟子だろうと誰だろうと、関係ねぇ」
ノヴァは、ジャンクの鬼気迫るような口調に、ただ言葉を失っていた。
ジャンクは見習い少年を試すかのように、言葉の刃を更に鋭く突きつける。
「そういう感覚についてこれないなら、この仕事はお前には向いてない。故郷に帰るなら、今のうちだぞ」
ジャンクの気迫に押されそうになりながら、少年は自尊心を持ち直して必死に相手を睨み返した。
「弟子でも、見てはいけないものなんですか…いずれボクは、先生の後を継ぐことになるのに」
すると、ジャンクは鼻で笑った。
「それだけ今のお前は、教えるに値しない弟子ってことだな」
ジャンクは手でつかんでいたノヴァの髪を突き放すと、呆然とした表情で立ち尽くす少年を置いて、一人小屋の中へ入っていった。
荷袋を背負って小屋の中に入ったジャンクを、窓際に佇んでいたロンが無愛想に迎えた。
ジャンクは、この変わり者の魔族の男が「挨拶」であるとか、会話の潤滑油になるような「気遣い」というものを一向にわきまえない人物であることを知っていた。職人に愛想や笑顔は必要ない。手掛ける仕事が称賛に値するかどうか————それだけだ。かつて「魔界の名工」と呼ばれていたらしいこの男は、その点において十分すぎるほど合格点である。その他の人格的要素については、ジャンクにとってさほど重要なことではないのだった。
「さてと…今日から3日間、少しばかり賑やかになるぜ」
火炉の近くに荷袋を置いたジャンクは、自ら愛用している鍛冶道具を取り出して並べ、作品の材料となる鉄板の山を整理し始めた。
椅子に腰掛けて見物を決めた魔族の男は、友の顔を横目で見るや、一つため息をついた。
「賑やかなのは毎度のことだろう。お前がここで鉄を切る作業を始めてからというもの、修行時代の自分が延々と鉄を切らされる無限地獄の夢を毎晩見ているぞ」
ロンがそう愚痴るのも無理はなかった。ここ数日ほどは、ノヴァが小屋の外で炭切りをしている一方で、小屋の中ではジャンクが昼から夜まで材料の鉄を均一に切る作業が続いていた。
そのため、終始見物する羽目になったロンの聴覚はすっかり麻痺してしまっていた。その音の強烈さは、鍛冶屋の職業病の1つとして、難聴が挙げられるほどである。
そいつはいい、と軽く笑いとばしたジャンクは、その次の瞬間、少し真顔になってロンのほうを向いて言った。
「…なぁロン、弟子を育てるなんてのは、一筋縄ではいかねえもんさ。ましてやノヴァはお前さんと種族も異なる。だからこうして今、俺がお前の代理としてノヴァの鍛冶修行の模範役をやってるわけだが————」
ロンは沈黙している。
「そろそろ、あの坊やにも【向こう打ち】くらいはさせてもいいだろう。いま村の外からも農具の注文が大量に入っていて、このままじゃ俺の手が回らん。なにしろ村の鍛冶屋は俺一人しかいない。少しでも人手が欲しいところだ」
向こう打ちとは、職人が二人で向かい合って1つの金属を槌で打ち合うことである。職人が一人で打つよりも作業効率が上がるため、ある程度技術が付いてきた弟子には、直接指導も兼ねる形で向こう打ちをさせるのだ。
椅子に腰掛けているロンは、その長い足を組み直すと、軽くため息をついて天井を仰いだ。
「ランカークスの武器屋始まって以来、異例の事態ということか————」
「…ロンよ、職人として堅実にノヴァを育ててやりたい気持ちも分かる。だが、のんびりヤツの成長を待ってたら、数十年たってもお前の理想とする剣は作れんぞ。…"あいつ"との約束も、叶えられなくなるんじゃないのか」
「あいつ」との約束————
その言葉に呼応するように、ロンの脳裏に一つの記憶がよぎる。
十数年前に起きた、今もなお色褪せることのない————ジャンクにとっては、苦々しくもやるせない事件であり、ロンにとっては、自身の不甲斐なさを痛感させられる出来事として、彼らの心の泉に鉛のごとく重く沈んでいた。
ジャンクとロンが知り合うことになったのは半年ほど前のことであるが————それまでジャンクは魔族に対して偏見と嫌悪感を強くもっており、ロンもロンで人間たちと関わりを持つ気などさらさらなかった。そんな二人の間に種族を超えた友情をもたらすことに、「その人物」の存在は大きく貢献していた。
二人の間でその人物の名前が会話に上った日には、彼らの夜の酒量が大いに増すのだった。元々めっぽう酒に強い体質の二人を酷く泥酔させるほどであり、その様子はしばしばジャンクの妻・スティーヌを心配させた。
「…そうだな。"あいつ"のためにも————」
ロンは目を閉じ、静かに頷いた。
「決まりだ。ロン、今日は火炉から少し離れたところに座ってたほうがいいぜ。ノヴァが向こう打ちに加わるときは特にな」
二人だけの秘密の会話が終わると、ノヴァが外から扉を開けて小屋の中に入ってきた。見習いの少年は、荷籠いっぱいに詰めた炭を火炉の隣に積む。
それを確認したジャンクは、作業用前掛けの紐を腰に結び、自らに気合を入れた。
「よし、始めるか。ノヴァ、火をおこせ。今日から3日間、打ちまくるぞ」
ジャンクがノヴァに指示を出すと、ノヴァは頭巾の紐をしっかりと結びなおしてから、火打ち石を使い、麦わらに火花を飛ばした。
火炉の中へ放り込まれた麦わらの火種が、次第に大きく成長してきたところで、ノヴァは
律動的に空気を入れていくことで、炎はどんどん勢いとその大きさを増してきた。それはさながら、
ノヴァは、ロンに師事して以来、今日に至るまで何一つ鍛冶的なことを彼から教わったことはない。
ロンが言うことはただ「ジャンクのやることを見ていろ」と、それだけである。その言葉に従い、ジャンクが作業する様子を、ずっと横で見ているだけの日々なのだが————
更に炎の勢いが増していく火炉の中に、ジャンクは金鋏で掴んだ鉄の板を差し入れた。炎の衣に包まれた鉄が熱を帯びて次第に赤茶色へと変わっていく様子を、ノヴァは真剣な眼差しで見つめた。すると、ジャンクはおもむろに槌を2本手に取って、そのうちの一本をノヴァに手渡した。
「今日からお前にも打ってもらう」
ノヴァはジャンクの言葉に驚き、一瞬唖然とした。が、次の瞬間には、その表情はみるみる明るくなり、見習い工は快活な返事とともに槌を手に取った。
鍛錬作業は、よくジャンクの隣で見ていたし、やっていること自体は単純で、簡単そうに見える。しかし実際に自分がそれをやるとなると勝手が大きく変わってくるということを、ノヴァはこのとき初めて思い知ることになるのだった。
火炉の中の炎を見つめながら、ノヴァは思った。一体どのくらいの色になったら、鉄を叩くものなのだろうか————
それを言葉には出さなかったノヴァだが、ジャンクには目の前の見習い少年の考えていることが大体想像できた。というのも、鍛冶職人を始めてまず最初にぶつかる壁が、鉄を叩いて伸ばす【火造り】における色加減なのだ。
「この【火造り】のコツというのを体で理解するにはなぁ、どんなにカンが良くて器用なやつでも10年とかかるものよ」
ジャンクは、顎でロンの方を示し、ノヴァにこっそりと耳打ちした。
「…そうだな、あいつの服の色を見ろ。そこに答えがある」
ノヴァは、ジャンクの言っている意味がわからず、思わずきょとんとした。
「ロンの服————あの橙の色は、実は鍛錬に適した鉄の色と同じなんだ。あの服の色と、火炉の中の鉄が同じに見えたとき、叩くのにちょうど良い加減になる。よく覚えとけ」
そう言って、ジャンクはノヴァの頭を拳で小突いた。
鍛冶は温度が全てを決めるが、その判断材料といえるものは「色」しかない。地上の人間界は大気が安定しているため、色の濃淡変化が穏やかで、経験年数を積みさえすれば誰でも見極めが可能だ。
ところが、太陽光が射さず、腐海の臭気を含む淀んだ空気層が支配する魔界では、その複雑な大気成分によって一刻一刻炎の温度が大きく変化する。鍛冶職に携わる魔族たちは、鍛錬に適した頃合いを見定めて打つことができずに、数千年ものあいだ苦労してきたという。
そこで彼らは、鍛錬に最適な温度とされる「赤と黄の中間色」に染められた作業服を着ることにした。自分の服の色と炎の中の金属の色を常に見比べながら、色が完全に一致した瞬間を狙って打つという方法だ。その発案をきっかけに、魔界の鍛冶職人たちは安定した技術を得ることが可能になった。そしてこれは流派に関係なく広まり、魔界において「溶解鉄の色を纏う者」はすなわち鍛冶職であることを意味するまでに浸透したのである。
火を扱う職人としてその色を身につけることにより、鍛冶屋としての自覚と矜持を持つのだ————ロンはジャンクと知り合ったばかりの頃、酒の席でそのように語った。
それまで魔族に対し大きな偏見を抱いていたジャンクであったが、彼らには彼らなりの想いと哲学があり、種族こそ違えど、良いものを創りたいという情熱は人間と何ら変わらないということを、ロンとの交流の中で知ることになったのである……………
ジャンクは、火炉から少し離れた位置で座って見物しているロンの方を見やった。ジャンクとノヴァの内緒話が耳に届かないロンは、ジャンクの意味ありげな笑みに、やや怪訝な表情になった。
何か二人の間で自分の噂話でもしていたのだろう、と感づいたロンではあったが、弟子の指導をジャンクに一任している以上、自分には何も口出しする権利はあるまい、と黙って二人を見守ることにした。
ジャンクの助言によって気を取り直したノヴァは、炎の中の鉄の色合いを注意深く見つつ、その中で温められた鉄の板を金鋏で抜いて、金敷の上に乗せた。そして槌をなるべく金敷に対して垂直になるように振り下ろした。
キン、と高く澄んだ音が小屋の中に響き渡る。
叩くことによって、素材の不純物が金属の内側から外側へ移動していき、それによって金属は純度を増していく。しかし、叩く度に金属の表面の酸化皮膜が火花となってあちこちに勢い良く跳ね、ノヴァの膝や腕、顔にも飛び散った。
鍛錬のときに火傷を負うのは、鍛冶職人を目指す者が一度は経験する通過儀礼のようなものだった。叩き方が下手なうちは、どうしても火花が方々に散りやすくなるのだ。
ノヴァは、体のあちこちに灼熱感が伝うのを感じた。しかし、手当をしている余裕などない。みるみるうちに鉄の温度は下がり、硬さを変えていく。ノヴァは、間髪入れずに槌を再度振り上げる。
見物客に徹しているロンは、見習い少年に向かって言葉を投げた。
「その程度の火傷で弱音を吐くなよ」
「吐きませんよ!」
ノヴァは鋭い目つきでロンをきっと睨んだ。
「おいノヴァ、目だけは気をつけろ!破片が目に飛んで失明した鍛冶屋は山といるんだぞ」
ジャンクは、瞳を大きく開きがちなノヴァに注意を促した。失明はもちろんのこと、当たりどころが悪かったために死んだ鍛冶屋もいるほどなのだ。
ジャンクは、ノヴァと向かい合うようにして自らも槌で鉄を叩きながら、次はここ、今度はそっち、という風に、ノヴァに叩く場所の指示を出した。
その様子をみながらロンは、ジャンクの面倒見の良さに感心していた。
普段は自分と同じく、口数少なく粗野なところのあるジャンクだが、何だかんだ他人の世話を焼いてしまう優しい男なのだ————
数ヶ月ほど前、二人で酒を飲んでいた時にジャンクが話していたことがある。一人息子のポップが、半分家出のような形で独り立ちし、父親としての役割は終わった。そして大魔王との戦いが終焉したことで、武器屋としての役目も一段落した。自分自身の「役割」というものを、これからもう一度模索したい、と。
もしかしたら、ノヴァがランカークスにやってきたことで一番喜んでいるのはジャンクかも知れない————そう思うロンであった。
「もたもたしてるとあっという間に温度が下がって打てなくなるぞ!もっと早く打て!」
ジャンクはノヴァに喝を入れた。二人鍛冶による鍛錬は、お互いの呼吸が合っていることが重要になる。
ノヴァは歯を食いしばり、懸命にジャンクの動きのリズムに合わせようとしているが、なかなかうまくいかない。
初めての向こう打ちでは無理もない————しかし、この程度の事で根をあげてしまうようでは、男としても職人としても失格だ、とジャンクは思う。
ジャンクが鍛冶工房に弟子入りしたばかりの頃は、親方から怒鳴られ、殴られることはもちろん、熱せられた鉄の塊が飛んできたり、文字通り体に「焼きを入れられる」ことすらあった。
どんな類いの職人でも、「親方」というのは自分の仕事に対して絶対の自信と誇りをもっているからこそ、まず自分自身が手を抜くことを許さない。そして他人に対しても同様に間違いや失敗を許さない————良いか悪いかはともかく、そういう生き物なのだ。
ジャンクとロンが互いに鍛冶職人同士という共通点を知ったばかりの頃に、その「親方との関係性」のことを話題にふってみると、親方がそんな厳しい叱責をするのはどうやら人間だけらしいと分かった。
魔界の鍛冶職人の修行風景はというと、また方針が異なるようなのだ。
ロンの修行時代の話によれば————
ベルク流の工房では、作業をしていて弟子が何か一つヘマをしたり、あるいは所作がもたついていると、師は
また何か落ち度があると今度は反対の左手の指を一本、次はまた右手の指を一本…というように、落ち度がある度に左右交互に指を斬り落としていき、素質のない弟子はどんどん指が減らされていく。当然、指がなければ修行そのものが続行不可能になるため、脱落する弟子も少なくなかったという。
そして修行期間を終えた頃、弟子の手の指が10本残っていれば、師は自らの秘伝を継承するらしい。
ロンは10年間の修行中に1回だけ指を斬られたそうだが、魔族の回復力の高さもあって、修行を終える頃には何とか全ての指が揃っていたため、無事にベルク流を受け継ぐ正統の後継者になれた————とのことだった。
そんな修行時代を経てきたロンであるが、彼自身が迎え入れた弟子のノヴァに対しては、暴力をふるうでも、無茶振りを言うでもなく、ただ黙って放置し、そして時折軽い皮肉を言うだけだ。
それはおそらく、自分が弟子から生活全般の介護を受けている立場であることと、魔王軍との大戦の最中で芽生えた絆のようなものを感じているゆえ、そこまでうるさいことは言えないといったところだろう————本人に直接確かめた訳ではないが、ジャンクは何となくそんな風に感じるのだった。
かれこれ数時間ほど槌で打ち続けた頃、熟練工のジャンクと見習い工の若いノヴァも、さすがに体力と集中力の消耗を感じ、暫しの休憩を必要とした。
ノヴァは頭にかぶっていた頭巾を外して両手で絞ってみた。火炉の上に汗水が滴り落ちるや、じゅっと音を立てて瞬時に蒸発して消えていった。想像以上に、燃え盛る炎が発汗作用を大きく促している。ジャンクも、自らの頭巾をとって絞ってみると、ノヴァ以上の水量が滴り、あっという間に蒸気と化した。
一方で、二人の様子を離れた位置から見物していたロンも、火炉の炎によって小屋の中の温度が上がってきたのを感じ、額に汗が滲んだ。
ノヴァとジャンクが木製の低座椅子に腰を下ろして一息ついた時、訪問者が扉をノックする音が聞こえた。
ノヴァが立ち上がって入口の扉を開けると、そこにはジャンクの妻・スティーヌが立っていた。
「二人とも、お疲れ様。これを、みんなで食べてもらおうと思って…作って持ってきたんです」
彼女の手に抱かれた蔓かごの中に、ランカークスの郷土料理の1つである「エンバーデイタルト」が数人分詰められていた。小麦と乳酪を混ぜて練った生地に、野菜と
香ばしく焼かれたタルトの香りが、ノヴァの食欲中枢を大いに刺激した。
突然の妻の訪問に驚いたジャンクは、作業場から慌ててドアの方にやって来るや、スティーヌに注意を促した。
「だからってお前………この森は
いえ、一人ではありませんよ。
そう答えたスティーヌの後ろから、人影が姿を現した。旅人風の装いをしたその少年は————ジャンクの一人息子、大魔導士ポップである。
「いやー、久しぶりに実家に寄ったら母さんがここに来たいっていうから、ルーラで連れてきてあげたんだわ」
その軽快な声によって、先ほどまで真剣作業でピンと張りつめていた工房の空気が、一気に和らいだ。
「それに、毎日ノヴァが修行をがんばってるって聞いたもんで、応援してやろうって思ってさ」
そう言いながら、片目をつぶって笑ってみせたポップは、スティーヌの持った蔓かごからタルトの一切れをつまみ、口の中に入れた。
「ああ、相変わらずうめえなぁ、母さんのこの料理。久々に寄った甲斐があったわ」
調子に乗ったポップがもうひとつタルトを摘もうとしたところに、ジャンクは息子のもとに歩み寄ると、頭上から勢いよく拳を振り下ろした。
「働かねえヤツは食うな!そいつは俺たちへの差し入れなんだ。非労働者はとっとと帰れ!」
すると、殴られて背を縮めたポップの後ろから、さらに二人の影が現れた。逆光を帯びた人物たちが一瞬誰だかわからなかったものの、ノヴァには聞き馴染みのある懐かしい声だった。
「そうよ、ポップ。ノヴァたちの食べる分がなくなったら、私たちが代わりの食べ物を用意しなくちゃいけないじゃない」
「うふふ。でも、ノヴァさんがお元気そうで何よりですわ」
その声の主は、ポップとともに旅を続けている武闘家マァム、そして占い師メルルである。
仲間に諌められながらも、ポップは大魔道士という肩書きに相応しくない子どもっぽさで、母親の手料理に執着してみせた。
「母さんをここまで運んだご褒美くらいくれたっていいんじゃねえの?でもまあ、ノヴァの頑張ってる様子が見れて良かったけどさ」
えらそうなことを言うんじゃねぇ。
そう言いながらジャンクがポップの頬を強く
その脇で、
テランにいるという統合魔法医エルム。
テラン出身のメルルであれば、何か知っているかもしれない————そう思い、ノヴァはメルルに尋ねた。
すると、メルルは己の記憶を探るように目を閉じた。何かを思い出そうとするときに目を瞑るのは、「今そこにいない何か」を察知する超能力を秘める彼女の、ひとつの癖のようなものだった。
「統合魔法医エルム————噂を聞いたことがあります。テランは薬草の名産地なので、多くの治療家が住んでいますが、その中でも飛び抜けた治癒能力をもつ人物といわれていて…どんな病や怪我でも驚くほどの速さで完治させてしまうようですわ」
ノヴァはメルルの言葉の続きを期待とともに待った。
「でも、そのエルムという方は常に大陸全土をさすらっていて、まず出会うこと自体が難しいそうです。その上、その方はとても気難しい性格で、自分の仕事に値すると感じた患者だけ治療するとか————」
それを横で聞いていたジャンクは、どこかで見たような性格の人物だと思ったが、口には出さなかった。
メルルの話を聞いたノヴァは、何とかしてその治療家に会いたい、という思いが強く湧いた。
「実は、そのエルムという治療家に会って、先生の両腕を診てもらいたいと思っているんだ。でもボクはこうして修行中の身だから、探す旅に出ることができなくて…」
すると、メルルの隣にいたマァムが答えた。
「わかったわ。私たちがノヴァの代わりに、そのエルムって治療家を見つけてあげる。ダイを探す旅の中で、もしかしたら運良く出会えるかもしれないし。ノヴァは安心して鍛冶修行とロン・ベルクさんの介護に専念するといいわ」
マァムの言葉はいつも前向きで頼もしく、そして優しい。ノヴァはこの時ほど、ポップたちのことを頼もしく思うことはなかった。先の大魔王との大戦によって彼らとの間に結ばれた絆は、自分にとって最大の財産だ————心からそう思い、ありがたく感じるのだった。
一方、一同の会話を離れたところから黙って見つめていたロンは、今日はとても賑やかな1日だ、と思った。
職人として、孤高の剣士として魔界で生きてきたロンには、こうして人間界にやってきて、人の輪の中に入ることが非常に煩わしかったのだが、「こういう場も悪くない」————そんな風に思えるようになったのは、一体いつ頃からだったろうか。
人間界にやってきて20年近く経つうちに、自分はすっかり人間たちに感化されてしまったような気がする。
そして、訪問客に囲まれた弟子の姿を見てロンは思った。
この少年には、他人を惹き付ける光のような人間的素質がある。現にこうして、ノヴァの周りには自然と人が集まっている。おそらく、母国リンガイアにいた頃から、彼は人々の注目を集めてきたのだろう…………これは自分には到底真似のできない才能だ。
職人としてそれがどう活きるかはわからないが、それこそ彼の名の示すように、ベルク流の………いや、彼独自の流派を創設する力を持つ【
ポップたちが帰った後、再び3人になった小屋では、ふたたび槌を打つ音が鳴り渡っていた。
次第にノヴァも打ち方に慣れてきたところで、気がつくと太陽は地平線の彼方に沈みかけていた。
それに気づいたジャンクは、頬や鼻の上に滲んだ汗を拭いながら「焼き入れに入るか。この夕暮れ時を活用しない手はない」と、呟いた。
鍛錬によって純度の高まった金属を、水の中に入れて急冷することで、金属を固くする「焼き入れ」————これも色の判断が非常に重要で、作業場が明る過ぎても暗過ぎても良くないとされ、どの職人も必ず夕暮れ時を狙って行う作業だ。
そしてこの焼き入れが、鍛冶屋の一番の腕の見せどころで、秘伝がこめられている重要過程でもあった。水の温度ひとつとっても、職人一人一人のさまざまな知恵や経験が詰まっているのだ。
それゆえ、職人であれば他の職人がどのように焼き入れをしているかは、非常に気になる部分でもある。しかし、同業者にその様子を見られるなどもってのほかで、焼き入れをする時は工房の扉と窓を全部閉めきった中で一人作業をする職人もいるほどだ————ノヴァは、ジャンクの工房で見学をしていたとき、彼からそう聞かされたことがあったのを思い出した。
ジャンクは、自身の道具入れの中から小さな瓶を取り出すと、ノヴァとロンから自分の手元が見えないように背中を向け、冷却用の水の中にその瓶の中身をこっそり入れた。それが何なのかはノヴァにはわからなかったが、おそらくこれがジャンクの「秘伝」にちがいない、と少年は思った。
もしも今、彼の正面に回って、その手の内にある「秘伝」を探ろうものなら、自分は彼に殺されかねないだろう……
昨日うっかり触れかけたことで師から蹴飛ばされる羽目になったあの壺にも、中身は違えど、ベルク流の秘伝が入っていたのだ————
我が師は、いつ自分にあの中身を見せてくれるのだろうか。と、ふと思ったノヴァであったが————
<いや、ただ師の技術を踏襲するだけではだめだ>
火炉の中の炎を見つめながら、少年は思った。
ロロイの谷で師が振るった双剣は、星皇十字剣の威力に耐えうる強度を備えていない「試作品」だったという。であれば、師の作品を再現しただけでは、あの奥義を再び放ったところで、また砕け散ってしまうことになる。
あれ以上のものを……つまり、ベルク流を超えなければ意味がないのだ。
昨夜、共に夜空を眺めながら師が話してくれた、【宿敵】との戦いに臨み、今度こそ師が無傷で勝利を手にするために———————
炎の中に視線を置いたまま、ノヴァはふと、何かの強い決意を打ち明けるように口を開いた。
「…先生、今のボクがこんなことを言うのは、とんでもなく傲慢だというのは分かっています。でも————」
この日の焼き入れ作業を終えて、片付けを始めていたジャンクと、椅子に腰かけていたロンは、見習い工の少年の様子を静かに見つめ、その言葉の続きを待った。
「星皇剣以上のものを、ボクは創りたい……!いや、創ってみせます。いつの日か、必ず————」
ロンは、そう語る弟子の瞳の中に、鋭く光る何かをみた。
昔の自分であれば、「そんなことは不可能だ」と一蹴したであろう。ベルク流の鍛冶は、魔族ですら極めることが難しく、弟子入り自体も狭き門とされる一派だ。魔族よりも圧倒的に能力の劣る人間が、それを超えるものなど創造できるわけもない、と————
しかし、半年前の大魔王バーンとの決戦において、ロンは人間たちの「想い」が起こす奇跡というものを何度も目の当たりにした。この目の前の少年からも、ロロイの谷では己の身を捨てる覚悟の強い正義の心と、そして「皆を守りたい」というひたむきな想いを感じた。
あの日、自分はこの少年の勇気に心を動かされ、理性と恐れによって封じ込めていた究極の奥義に手を出したのだ————
そう懐古したとき、ロンはふと気づいた。ものづくりとは、そもそも「魂の作業」だ。
ベルク流は、想念を魔力に変換して作品に籠める。最終的には、小手先の技術よりも、創り手の魂そのものが試されるのだ。
現に、魔界で修行していた頃の自分の兄弟子は、手先こそ器用だったものの、金儲けの私欲にいつしか溺れ、数年後には得意先の魔王軍から見向きもされなくなり、やがて姿を消していった。
この少年の今の純粋な気骨があれば、ベルク流の奥義を身につける日は、そう遠くないかもしれない。
いや、それこそ彼の言う通り、星皇剣を超えるほどの、想像もつかない何かに昇華する可能性もある。前人未到の新しい剣が————
「————そうか。それは楽しみだな、坊や」
「その【坊や】って呼ぶのはやめてください、って弟子入りした時に言ったじゃないですか」
「そうだったな。気をつけるよ、坊や」
二人の会話を聞いていたジャンクは豪快に笑った。ロンもそれにつられて皮肉っぽく笑う。
師にからかわれたノヴァは、小馬鹿にされたことでふてくされつつ、黙ってジャンクに倣って道具を片付け始めた。
この農具づくりで一通り鍛冶の基礎ができたら、この弟子にナイフくらいは作らせてみても良いかもしれない————そんなことを思いながら、ロンはふと窓の外を見た。
次第に昏さを帯びてきた夕空には、サイナスの紅き星、アーカサスの
一年前まで、ここに竜族を象徴する蒼き星・オルファンも重なり「三連星」の状態にあったが、大魔王バーンとの戦いが終わると同時に、オルファンは三連星の軌道から逸れて離れていった。
この星まわりの意味するところは、パプニカ王国の学者や賢者達の間で考察が進められているところであるが…………
もしかしたら、魔族と人間が協力し合い、互いに貢献する時代の到来を意味するものかもしれない————小屋の中にたちこめる鉄の灼けた匂いに包まれながら、ロンは一人そう思った。
————————————
魔界由来の鍛冶流派・ベルクが、いかにして人間界の世に渡り、その後ノヴァ流として変遷していったか————私が歴史作家を志すものとして、多くの人々の証言と伝承、吟遊詩人たちによる弾き語り、画家によって残された絵画、そして私個人の憶測と想像のもとに、今現在書き留められる内容はこの範囲である。
ここに至るまでには幾度となく改訂が繰り返されたが、それでもなお史実とするには不確かな部分も多く、想像力豊かな人々によって多分に脚色された物語であることも理解してほしい。
職人ノヴァが、人間界における初のベルク流後継者として認められたのちに手がけた伝説の剣は、どのようにして創成されたか————この物語が、ギルドメイン大陸の吟遊詩人たちの手によって永く歌われてきた、ノヴァ流職人の軌跡を知るための一助となれば幸いである。
そしてロン・ベルクが両腕を完治させ、彼の因縁の宿敵との決着を果たすのはいつの日か————
それについてはまた、別の
私が寿命をもたない金属生命体として、この世界の歴史を文献に残せることを、心から誇りに思う。
ギルドメイン暦 黄色い星-赤い月-銀河音7
デルムリン島の草菴にて記す
かつて兵士と呼ばれし駒 ヒム
(終)
【あとがき】
いかがでしたでしょうか。
お待たせしてしまい申し訳ありませんでしたが、やっとこさ後編をアップすることができました。。。
まさかのヒムがオチとなりました。意外や意外、肉体派から知性派キャラへ転向するヒムです。
寿命のなさそうな金属生命体なので、きっとブラスあたりが何かをきっかけにヒムに文字を教えることになって、そこからなんとなく遊び心でヒムが日々のデルムリン島での出来事を日記にする習慣ができ、意外にも文才があるということに目覚めたのかもしれないな、ということで。
彼が遥か未来までダイたちの子孫を見守り、それを歴史家として文献に残してくれたらいいな〜という強火の妄想です。
さて今回は、日本刀の鍛冶工房に取材見学した内容を色濃く反映させた結果としての小説となりました。
鍛冶作業の様子というのは、動画サイトとかで観るのと実際にこの目で見るのとでは、その場の雰囲気というものが全然違いました。
文字ではまったく伝わらない領域ではありますが、なんとかあの感覚に近づけようと思って頑張って自分の語彙力の限界に挑んだ部分です。。。。
日本の職人世界だけかもしれませんが、親方は弟子にやり方や方法論を教えるということはしないんですよね。弟子はただ、雑用&師匠のやることを見てるだけ。それを数年。名工は割とそんな江戸っ子的な職人のイメージがあったので、ジャンクにも登場してもらいました。
私の中で、ジャンクは「ぶっきらぼうだけど何だかんだ言いながら他人の世話を焼いてしまう(実は優しい)強面アニキ」です。ポップが独り立ちして寂しくなったところを、「なんか育てがいのある少年がやってきた」みたいな感じでノヴァを内心嬉しく迎えたんじゃないかなと。
ちなみに、魔界ベルク流の指を詰めるヤクザのようなルールは完全に私の中の妄想ですが、ジャンクの修行時代の「鉄の塊が飛んでくる」とか「焼きを入れられる」みたいな体罰は、ひと昔前の日本の鍛冶工房の現場で実際によくあったことのようです。鍛冶に限らず、日本の「親方と弟子」ってそういう一面がありますね。。。
このお話での一番のポイントは、「名工の服の色の意味」というところに尽きるでしょうか。
見学のときに、職人さんが「鍛冶にとってとにかく大事なのは【色】です」と強調されていたのが印象的でして。
服飾業界みたいに色見本帳みたいなのがあればいいのかもしれませんが、職人さんは「体で覚える」ことを重んじる方々なので、目の感覚を大事にされていたのでしょう。
そして鍛錬の火加減の見定めの基準として喩えに出していたのが、「蜜柑の色」。鉄が夕日のように赤いうちはダメ。蜜柑色か黄色かというくらいのところがいい。レモン色になったらもう熱しすぎで、そうなると金属はバラバラに壊れてしまうらしいんですね。
で、この辺の話を元にいろんな資料を読んでいくと、やはりこの色というものを職人さんが作業する上でとても重要視していることに気付きまして、そこから私の中でいろいろ妄想した結果として、このお話ができました。「蜜柑色か黄色…?それって名工の服の色じゃないか」と。
「蜜柑色=鍛冶」のイメージについて手がかりを得たのが、日本では毎年11月8日にある「フイゴ祭」です。
これは鍛冶屋の道具で最も大事と言われているフイゴにまつわる昔話が由来になっていて、このお祭りの日は蜜柑を配ったり飾ったりするようなのですが、「この蜜柑というのは火の色を象徴するものなんじゃないか」と職人さんが語ってくださったんです。
(余談ですが、アニメ38話の名工初登場回で、ダイたちがポップの実家でジャンクさんたちと会話しているシーンでテーブルの上に蜜柑が置かれているんですよね。これは単なる偶然かとは思いますが)
そしてノヴァが目指すもの。単なるベルク流を受け継ぐだけでなく、最終的には彼独自の流派を新しく創造していってくれたら嬉しいなと。作中では酒ビンの開け方が分からないくらいの世間知らずで不器用だったノヴァだけど、苦手な分野ほど「伸びしろ」というのは多いわけで。鍛冶に対しての小手先な技術や先入観というものがまったくない分、ノヴァはきっと将来大いに化ける可能性があると名工やジャンクは期待している…そんな「厳しくもあたたかい」親方たちであってくれたらいいですね。
アニメ最終回では、結構腕が動いている名工なので、あの回復力からすると星皇剣を再び振るえるようになるのも数年以内?かも知れませんね。。。。
名工の腕を治す鍵になりそうなオリキャラ・統合魔法医エルムについては、結局今回は名前だけでしたが、「ロンベルク外伝」の方で今後(かなり先の話になりそうですが)登場させていく予定です。
その他にもいろいろと前編の伏線が回収されないまま、そして後編でも謎の伏線を振りまいたまま終わってしまいましたが、、、この続きは同じ世界線で繋がっている「ロンベルク外伝」の方でお楽しみくださいませ。
→ロン・ベルク外伝 https://syosetu.org/novel/302678/
最後に、作中に出てきたスティーヌの料理「エンバーデイタルト」は、中世のヨーロッパで食されていた実在の料理で、今で言うところのキッシュに近いものらしいです。
ということで、ノヴァ鍛冶修行小説の前後編を通してお読みいただき、本当にありがとうございました!