さあ、我らの奇譚を始めよう 作:人入りロッカー
日本エビフライ協会は丹下会傘下の華鏡組のフロント企業である。
過去にうっかりパン粉とか、卵とかの取引現場をサツに絡まれたことはあったものの、基本的には合法的な組織だ。ただし、職質される頻度は異様に高く、エビフライ頭の黒服は「食品メーカーの社員です」と答えるのだが、毎回話がこじれるらしい。
実際、冷凍エビフライ製造工場も実在し、エビフライ専門店まで展開している立派な企業のはずなのだが、警察からするととても信じられないらしい。誰がどう見てもエビフライに関係する社会人のはずなのだが、信じてもらえていないらしいのだ。
一方で、意外な事だが、日本エビフライ協会本部並びに、支部では定期的に料理教室が開かれる。しかも、評判が良い。
「あの、兄貴、料理教室にソレを被るのってどうなんですか?」
「馬鹿野郎、料理教室だけだぞ? 尾頭付きを被れるのなんて」
組織では頭の付いていないエビフライの被り物が基本だ。通気性抜群、視界良好、何故か装着したまま飲食可能、衛生面にも適しており、工場ではクリーンスーツの上にエビフライの被り物をして衛生面をクリアしている程だ。
そして、組織内で数少ない例外、つまり尾頭付きエビフライの被り物を許されるのが料理教室の講師という立場だ。ちなみに助手は尾頭付きではなく、通常仕様だ。
誰かがマスコットキャラみたいに尾頭付きにしようと言ったが最後、くりくりお目々の尾頭付きエビフライの被り物が完成した。工場でのクリーンスーツを除き、原則黒服にエビフライ頭の面々にとって、唯一と言ってもいい個性の尾頭付きエビフライの被り物はさぞ特別に感じたのだろうが、それは立派な末期症状である。
しかし、好き好んでエビフライの被り物をしている面々にとって、この末期症状を平常運転と思うどころか、尾頭付きは名誉ある立場なのだと持てはやされている。
とは言え、黒服にエプロン、エビフライ頭と言う奇妙な格好をしているが、人気なのだ。
「ちびっ子にも人気だろ?」
ついさっきまでお料理教室をしていた講師の兄貴と助手の子分だったが、どういう理屈かは不明なのだが、尾頭付きのエビフライの被り物をしている兄貴は子供から人気があった。
まるでデフォルメした形跡の無い被り物で、初見の大人は身じろぎするのだが、純真無垢な子供は抵抗を覚えないため、不思議に思われている。
「任侠団体が何言ってるんですか」
任侠団体を名乗る連中が必ずしも任侠を背負っているかはともかくとして、華鏡組は立派な任侠団体だ。宗教団体のようでもあり、任侠団体でもあり、奇妙な団体でもある。
「こういう時代だからこそ義理と人情を大切にしようっていうんだ。俺たちは人情で集った訳だろ? 心に余裕があるうちは出来る限り周りに優しくして、お天道様に顔向けできるように生きようじゃねえか。俺たちは推しが居る限り、夜道も明るい」
何の悟りを手に入れているかはともかく、推し活をしている人間なんて大体こんな物だ。若干、任侠に寄ってはいるが、言ってしまえばオタクだ。
推しが居るから頑張れる、と言うのは間違った理屈ではないし、推しが居るから心衣余裕がある。だから周りに優しくできる、と言うのはむしろ誇らしいことですらある。
「心の拠り所って大切ですねぇ」
「当たり前だ。精神衛生上、とても大切だ。よさちの悲鳴を聞いてみろ、落ち着くぞぉ。本部長は優雅にお茶を点ててわびさびを感じながらお茶を飲むそうだ」
「歪んだわびさびだなぁ」
推しを一体どういう目で見ているのか、歪んだ切り口のせいで、子分は首をかしげるほかなかった。
「やあ、こんにちは、あるいはこんばわ、もしくは良い夜かもしれない。唐突だ、なんて思うかもしれないけれど、一度はそれを語っておかなければならない。誰を? 華鏡よさりその人をさ。そう、心地良い悲鳴を聞かせてくれたり、そう低くない頻度でスパチャで殴られて顔を青くしたり、ASMRで癒してくれたり、挙句の果てには配信中に嘔吐したその人を、さ」
何もない場所を思い浮かべてほしい、色はそう、白が良いだろう。果てしなく続く白い床と白い空でもいいし、白い部屋でもいい。
そこに置かれているのはハイスツール、ザックリ言えば、背の高い丸椅子だ。
そこで語る狂言回しの外見なんて些細な問題だ。いや、イメージしにくいと言うのであれば、気取らない黒いスーツにエビフライの頭が乗っかった奇妙な人物、とでもしておけばいい。極端な話かもしれないが、この物語はエキストラばかりで、主役なんて半分見切れているような状態だから、気にする必要なんてない。
「君がいいと思ったら、それでいい。誰かから何と言われようと、事実が変わるわけじゃない。というのはウィトゲンシュタインの言葉だ。なに? ウィトゲンシュタインを知らない? それなら、そういう哲学者が居たという事だけ覚えておけばいいでしょう。大切なのはその発言だ、傲慢かもしれないが、いや、傲慢だが、推しは推せるときに推すものだ。それに、同じくウィトゲンシュタインは『明日の朝がやって来る』というのは、単なる予想に過ぎない。とも言っている。故に、推しは推せるときに推しておくべきなのだ」
軽口を叩くように、狂言回しは何でもないような風に身振り手振りを交えながら語る。
推しの話はどうしたって? いやいや、セールスマンの話の中身なんて滑稽だろう? 往々にして、多くの人は妙に強調された言葉や、妙な個性にだけ目が行って、話の中身になんて興味を示さない物だ。
オタク特有の早口が文章量の割に記憶に残らないのもそのせいで、言葉に緩急が必要なのも、印象付けの為だ。
「推しの紹介はどうしたって? 良いところは? 賢そうな偉人の名言を引っ張り出してきてもっと言葉があるだろうって? ああ、あるとも。よく笑うし、悲鳴は聞き心地が良いし、反応を見ていて面白い。それに、居心地だっていい。しかし、こういう時は語るべきではない。どう感じるかなんて、人それぞれだし、語るのではなく、示さなければならない。実際、ウィトゲンシュタインは語るのではなく示せ、と言っているのだ。それに同哲学者は『風が吹いてきて、木を揺さぶる。風は大木をも揺さぶる。わたしたちもそんな木々のようなものだ。つまらない考えに、くだらない考えに、どうしようもない思いに、心を揺さぶられている』とも言っている。仮に、仮にだが、好きな料理がハンバーグだったとして、好きな理由を聞くのはナンセンスだ。興が削がれるだとか、無粋だとかの言葉で言い換えてもいいかもしれない。あぁ、控えめに言っても長話と言える話に付き合ってもらっていて申し訳ないが、百聞は一見に如かずという言葉がある通りでね」
長々と、そう、それはもう長々と悠長に語る狂言回しの言い草はどうだろうか。
とりあえず見に行けばいいんじゃないかという精神がありありと見て取れるほどの太々しさは表彰物だ。これを世間では厚顔無恥というのだが、そもそも顔面自体が衣に覆われているため、存在そのものが厚顔無恥を体現しているかのようだ。
ちなみにだが、尤もらしい事を言いながら話を逸らす人間という物は得てしてこうやって長々と喋りだす。
「おやおや、もう時間かい? まだ物の数回しか喋っていないというのに」
数回しか口を閉じていないの間違いである。
間違っても「まだ全然喋っていませんけど」みたいな言い方をするものではない。
「仕方ない。最後に狂言回しらしい言葉を残そうじゃぁないか」
そこでエビフライ頭の男は立ち上がり、口を開いているのかどうかは不明だが、言い放つのである。
「お前も黒服にならないか……いや違う。さあ、我らの奇譚を始めよう」
余談だが、ファンネームは決まっていない。断じて黒服ではない。リスナーが自らを黒服と呼んでいるが、華鏡よさり本人は認めていない……まだ。
余談ですが、華鏡よさり当人はリスナーらの事を「きみたち」と言い表してくれますが、別にそれがファンネームという訳ではありません。
表現を寄せるのであれば「きみたちも黒服になってくれないか」的な感じなのでしょうか。
やや不作法ではありますが、チャンネルのURLを貼り付けておきます。各々で調べてくれなどと言うのも、それはそれで不親切なのでね?
https://www.youtube.com/@Kakyo_Yosari