「一之瀬、これからお前にとっての正念場がやってくる」
「うん。綾小路くん、私、全力で頑張るよ」
「恐らく簡単にはいかないだろうが、何が起きてもオレは全面的に応援するつもりだ」
「あ、ありが……と、ぅ」
「だから……オレにポイントを貸してくれ」
「んんんー!?」
「何も言わず10万ほど貸してくれ。そしてこれからオレがする
「えっと、えっとぉ??」
「オレたちにとって大事なことなんだ」
「わ、私たちにとって大事……」
「そうだ。決して後悔はさせない。オレを信じてくれ」
「わ、わかったよ。綾小路くんを信じる。ポイント、受け取って」
これがクルーズ船に乗ってしばらく経ってからの話。
綾小路くんに呼び出された私は、少しドキドキしながら彼の元を訪れたのだけど……
気づいたら10万ポイントを貸していた。
なんだかホストとかダメ男とかに貢ぐ女みたいになってない?
いやいや、綾小路くんはダメな人じゃないんだから、なんて一人でツッコミを入れる。
この行動にどんな意味があるかはさっぱりわからない。
けど綾小路くんが言うんだから何か大きな理由があるはず。
うーん、でもこれが何に繋がるのかな。
皆目見当がつかないとしても、Bクラスのリーダーとして、生徒会を目指す者として、思考を放棄するわけにはいかない。
そんな風に星之宮先生と一緒に来たエステで振り返っていると
「先生はねぇ、綾小路くんが怪しいと思うんだけどなぁ」
ふいに先生から彼の名前が出てきて思わずびくっと反応してしまう。
「んー?どうしたの一之瀬さん」
「い、いえ、マッサージが気持ちよくって」
「そうよねー。生き返るー」
「ですねー」
よし、誤魔化せた。二日酔いしていないときの星之宮先生は妙に鋭いところがある。
万が一の時はお酒を飲ませようかな、なんて冗談を考えていたら唐突に話題が戻る。
「で、綾小路くんについてなんだけど、一之瀬さんはどう思ってるの?」
「え!?いえ、まだ、まだわからないです。た、ただの友達ですからっ」
「え、何の話?」
「え、何の話ですか?」
「彼がDクラスの秘密兵器なんじゃないかって話よー」
「あ~」
先生の話は上の空で聞いてたからとんでもない勘違いをしてしまった。
Dクラスはクラスポイントを0にしてしまったりと今のところ目立った活躍はないんだけど
平田くんや櫛田さんをはじめとする人望の厚い生徒に、堀北さんという頭の回る生徒もいる。
ちょっとしたきっかけで躍進する可能性を秘めていることは間違いないと思う。
そして実は生徒会に入って活動中の綾小路くん。
クラシックの旋律と共にピアノを演奏する彼の姿が浮かぶ。
「ま、まあその話は置いておいて、実は先生にお願いがあるんです」
そうして私はこれから大事になるであろう本題へと切り込むことにした。
別に話題を逸らすためじゃない、うんうん……最近の私はどこかおかしい。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一之瀬からポイントを借りたオレは、次の予定まで時間があるので探検していた。
船内には様々な店があるようだが、基本的にどこも無料で使うことができる。
流石にお土産品などは別途ポイントが必要になるようだが、普通に楽しむ分には十分過ぎるサービスだろう。
国の支援があるとはいえ、財源が気になるな。
なんて思っていると、携帯にチャットがきた。
『今から少し会えないかな?』
時間もあるし丁度いいタイミングだ。
「はぁぁー」
チャットの差出人である佐倉に近づくと、悩み事か大きなため息をついていた。
「どうしたんだ?」
「わぁ!?綾小路くんっ」
後ろから声をかけたせいか、驚かせてしまったようだ。
須藤のように「さくらぁぁぁぁ」と叫びながら近づくべきだったか。いや、状況が悪化するな。
「驚かせたみたいで悪いな」
「ううん、私が変に緊張してただけだから」
顔を真っ赤にしながら両手を顔の横で振る佐倉。リアクションの大きさなら、橘と勝負できるかもしれない。
「実は、ルームメイトの事で悩んでて……」
佐倉のルームメイトは、篠原、市橋、前園の3人。どの生徒も気の強いタイプだな。
人付き合いを苦手とする佐倉には荷が重い相手だ。
上手く会話もできないため、これから2週間どうすればいいかわからず不安とのことだった。
最近話す機会がなかったので、どうしているかと思っていたが、佐倉なりに頑張ろうとしている様子。
何かしらのアドバイスを送ってあげたい。
「他はわからないが、篠原相手には昼ドラの話題が効果的だと思うぞ」
「え、そうなの!?うーん、昼ドラかぁ……アイドル時代、同じ事務所で出演してた子がいたような」
「絶対その話、食いつくな」
「それでそれで」と迫ってくる篠原の姿が想像できる。
それはそれで佐倉が対応しきれるかは怪しいが。
「やっぱり綾小路くんに相談してよかった。生徒会とか学力とか何だか遠いところにいっちゃった気がしてたけど……綾小路くんは綾小路くんだね」
確かに生徒会室は教室から遠いもんな、といった物理的な距離の話ではないのだろう。
オレとしても全く変わったつもりはないから、佐倉が気にしていたことはよくわからない。
「あれ?綾小路くんと佐倉さん。こんなところで何しているの?」
まおうくしだが あらわれた!
あやのこうじは みをまもっている。
さくらは にげだした!
「ごめんね、声をかけない方が良かったかな」
去っていく佐倉を引き止めることができず、申し訳なさそうにする櫛田。
謝ることではないのだが、出て来た時のオーラがいつもの櫛田とは違わなかったか?思わず身構えてしまった。
「実は綾小路くんにお願いがあって探してたんだ」
裏の顔があると知っていても、この上目遣いでものを頼まれると思わず二つ返事でOKしてしまいそうで恐い。
周囲に人がいないことを確認して櫛田は話し出した。
「前に少し話したよね。もし私と堀北さん、どっちかの味方をしなくちゃいけなくなったらって話。その答えを聞きたいと思って。綾小路くんは私を選んでくれるかな?」
なんとも返事に困る問いだ。
「生徒会としては、正しい方の味方だな」
「そういうんじゃなくて。もう仕方ないなー遠回しに言ってもダメってこと?なら直接言ってあげる」
なら~辺りから声が低くなり、櫛田が正体をあらわした。
黒櫛田さんの登場である。
「あんたの生徒会の権力使って、堀北鈴音を退学にしてくれないかな?」
「それは——」
なんとも物騒な話だ。ここまで櫛田に嫌われるなんて、何をやらかしたんだ堀北。
生徒会に退学権限などないわけだが
須藤暴行事件のように裁判のきっかけを作って、審査を担当し問答無用で退学の判決を出せば可能ではある。
「特に堀北を庇う理由もないが、櫛田の言うことを聞いたところで、オレに何のメリットもないな」
「あんた、あの制服のこと忘れたんじゃないでしょうね」
櫛田の胸の部分にオレの指紋がついた制服。それを武器に交渉する魂胆か。
「櫛田、それは悪手だぞ。もしそんな脅しをされたら、訴えられる前にお前自身が消されても文句は言えない。仮に訴えが通ったとして裁判するのはどこの誰だ?この手の被害の場合、一般的には女性側の立場が強いかもしれないが、この学校は実力主義。どちらが有利になるか言わないとダメか?」
実際のところ、堀北兄ならその辺りは平等に判断して裁くし、南雲はオレに不利になるよう動きそうだしで、ハッタリ以外の何物でもない。
どちらにせよ、あの制服は証拠にならないと踏んでいるので問題はない。
「裏切るつもり!?」
裏の顔のことを口外しないと約束しただけで、別に協力関係になった覚えはないのだが……
こちらが反撃に出てくるとは思わなかったのか、今にも噛み付かんとする櫛田をなだめる。
「早合点するな。あくまで、もしもの話だ。お前の願いを聞かないとは言っていない」
「あぁ、そういうこと。何がお望みなのかな?私のお願いを果たしてくれたなら、私もなんでもお願い聞いちゃうかもよ?」
「まだ勘違いしているようだな。お前は交渉の席にすら立っていない」
「はぁ?」
「現生徒会長の妹を退学させろっていうんだ。こちらのリスクは相当なもの。それに見合うだけの価値がお前にあるか証明できるのか?まぁ無理だろうな」
渾身の色仕掛けが肩透かしを喰らったことで櫛田の怒りが爆発寸前だ。そろそろ頃合いか。
「お前とオレではすでに立場が違う。お願いがあるなら、まずはお前が堀北より役に立つかどうか成果を見せろ。それをもって協力するに値するか判断する。それが道理だ」
深く冷たく言い放つ。
今の櫛田の感情を一言で表現するなら『悔しい』だろう。
優位に立っていると見下していた相手から散々馬鹿にされて、お前には価値がないと言い切られる。
これ以上ない屈辱。そこから生まれる反発。
悔しさは強力な原動力になる。
『見返してやる。私の方が上だと証明してやる。絶対後悔させてやる』
櫛田の中には今、そんな感情が芽生えているだろう。
そうして視野が狭くなり錯覚する。
この気持ちを晴らすためにはオレの言う通り成果を出すしかない。
成果さえ出せば堀北も退学になるし、その事実を上手く使えば今度はオレを脅せるかもしれない。
一時の我慢の先には自分の望む世界が待っているのだと。
「わかったよ。綾小路くんの役に立ってみせるね。つまりAクラス昇格の手助けってことかな」
怒りで震える身体を抑え込み、いつも通りの櫛田に戻る。
「ありがとう。少し乱暴な言い方になって悪かったが、お互いにとっていい結果になるといいな」
櫛田ならこれまでの会話を録音ぐらいしているだろう。
弱みになるような発言や不用意な確約はしない。
唐突な提案だったため、強引な手を取ったがこれでしばらく時間は稼げるはずだ。
あの2人の問題を解決するにも、まずは時間がいるからな。
今のところ堀北を退学にするつもりはないが
下手に協力を断れば、他クラスへと今の話を持ち込む可能性がある。
そこまでいかずとも堀北を退学するために妨害行為を繰り返されても厄介だからな。
それならば矛先がオレに向かうようにして、こちらの協力もさせる。
気を抜けば寝首を掻かれかねない歪な関係でも、こちらが有用だと思わせているうちは裏切る可能性は低い。
駒としてはそこそこだ。
それにしても——後頭部にチリっと微かな電気が走る。
以前櫛田は言っていた。「まずはお互い信頼できる関係を作らなきゃね」と。
もし本当に櫛田にその気があって、今回の話がそのような信頼関係を構築できていた後での相談であれば、もっと違った結果になっていたかもしれない。
日の沈んでいく赤く染まった海を見つめながら
決定的なまでの櫛田との決裂を、ほんの少し淋しく思わずにはいられなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『——だが、空は自由。暗い地の底にも希望のタネはある』
ダイダロスがイカロスへ翼を授ける。
担任の茶柱先生に相談があると連絡をしたところ、この劇場内で会う約束となっていた。
なぜか一緒にイカロスの舞台を観る羽目になったが、面白く鑑賞できたのでよしとする。
舞台は茶柱先生の趣味なのだろうか。
「生徒会の調子はどうだ、綾小路」
「ぼちぼちですね。迷惑をかけないくらいにはやってますよ」
「そうか。お前はそういうことに興味がないと思っていたのだが、この前のテストといい、やっとやる気を出したと思っていいのか?」
「やる気に関しては微妙なところですが、Dクラスを上のクラスに上げるだけのことはするつもりです」
「それは何よりだ。こっちも茶道部の顧問を引き受けた甲斐がある。それで相談とは何だ?」
「はい、茶柱先生にポイントでお願いがあります」
「ほう、何か買いたいものでもあるのか。それとも――」
「そんな難しい話ではありません」
そうしてオレは一之瀬から借りた10万ポイントすべてを茶柱先生に渡した。
これで特別試験に向けた準備は整った。試験内容はわからずとも、結果はすでに決まっている。
オレが全力で「Bクラス」を勝たせるのだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「龍園、あんたの指示通り綾小路を張っていたら一之瀬からポイントもらってたわよ」
「クク、面白れぇ話じゃねえか、伊吹。で、なんで一之瀬はポイント渡したんだ?」
「離れて様子を見てたんだからそこまではわかんないわよ。ポイント受け取ってとか言ってたのがギリギリ聞こえただけ」
「ま、大体の見当はつくがな。仲良しこよしのいい子ちゃんクラスと思っていたが、少しは楽しめるかもな」
「にしてもあの綾小路ってやつ何なの。いろんな女と取っ替え引っ替え会っててくだらない。途中で切り上げさせてもらったけどいいわよね」
「あいつは女のケツを追いかけるのが趣味なんだろうよ。金魚の糞らしいぜ」
炭酸水のビンを開ける音が薄暗いバーに響いていた。