まもなくクラス内投票開始時刻。
「みんな、ごめんね。投票前に聞いてほしい音声があるの。これを聞けば、どうするか迷ってる人も考えが固まると思うから」
静寂に包まれた教室に、普段の明るい口調とは異なり、重みのある櫛田の声が響き渡る。
櫛田は肯定も否定もしないクラスの反応を確認し、携帯で音声を流し始めた。
流れた音声は――
『私が勝ったらこのチョコを受け取る。負けた場合は……自主退学します』
『嘘だろ、鈴音。俺たちより兄貴を選ぶってのかよ』
『それは比べるまでもないことよ』
バレンタインでの堀北と須藤のやりとり。
クラスのことは二の次で兄を優先しようとしている。と、誰もが感じたに違いない。
そしてこれまで堀北のブラコンによる暴走劇を目撃し続けたクラスメイトにとって、これが堀北の悪い冗談でないということは共通認識。
「桔梗ちゃん、これって……」
篠原が恐る恐る櫛田の真意を確かめるべく声をかける。
「待って、まだ続きがあるの」
オレが渡した音源は先ほどのやりとりまで。ここからは櫛田が追加で作った何かとなる。
『こんな音声を入手したんだけど、須藤くんこれは本当にあったことかな?』
『…… 間違いはねーよ』
櫛田と須藤の会話が流れてくる。
タイミング的に昨日の夜か今朝の話で、当事者に直接会って音声を確認してもらったようだ。
『もしかしたら、何か知ってたりしない?なんだかこのやりとり違和感があって』
『……』
『須藤くんの気持ちはわかるよ。ここで何かを話したら山内くんの不利益になっちゃうかもしれない、だから悩んでるんだよね』
『悪い、俺から言えることはーー』
『私が言うのも変だけど、このままじゃ堀北さんは誤解されたまま退学になっちゃう。私、間違ってたんだ。この試験は誰かを批判する試験じゃなくて、みんなの良いところを出し合って賞賛する試験だったんだよ』
『でもよ……』
『だからお願い。誰よりも堀北さんの魅力をわかってる須藤くんにしかできないことなの』
『頭を上げてくれよ。……確かに櫛田の言う通りだ。貶すんじゃなくて良いところを挙げていった方が気持ちいいよな』
『ありがとう。辛い役割を任せちゃってごめんね』
『気にすんなって。俺もなんとかしたいって思ってたしよ。……それでよ、実は俺もあの発言、ちょっと気になってよ。その後、鈴音と兄貴に渡すための大量のチョコを運んだときに聞いたんだ。本当にクラスより兄貴を選ぶつもりだったのか?って』
『うん』
『そしたら鈴音は『さっき言った通り比べるまでもないことよ。クラスを見捨てるような人間を兄さんは認めない。例え兄さん本人と対立することになっても私はクラスのみんなと共にこの学校で戦う決意をしている』って言ったんだ』
わざわざ堀北の口調を真似て当時を再現する須藤。
隣人の表情は……いまは関わらない方がいいな。
それにしても、一言一句しっかり憶えているとは、須藤、実は頭が良いんじゃないか?
『ということは、堀北さん、実はクラスのみんなと頑張ろうとしてくれてたんだね』
『ああ。ホントは口止めされてたんだけどよ、鈴音が退学になるくらいなら、あとから回し蹴りでも何でもくらった方がマシだぜ』
余計なことを口走る須藤。試験後に救急車の手配が必要かもしれない。
『だからよ、鈴音が放課後兄貴に会ってたってのも、この試験をどうにかするために相談してたんだと思うぜ。兄貴に利用されてるとかそんなんじゃなくってさ』
『そうだよね。落ち着いて考えたら、あの優秀な堀北元生徒会長がわざわざ妹なんかの手を借りる必要もないよね』
『あの兄貴、妹を面倒ごとに巻き込むようには見えなかったしな』
今度こそ音声が止まる。櫛田が教壇に出て一度頭を下げ、そしてクラスを見渡す。
絶妙にこちらを視界に入れない角度なのは、堀北がいるからか、オレがいるからか。
「私もちゃんと確認してない状態で色々と発言してクラスを混乱させちゃってごめんね。この前、平田くんも言ってたけど、みんなの良いところを挙げていってこの試験に臨んだ方が良いと思うんだ」
「俺もそれに賛成だ。鈴音の良いところなら山程言えるぜ!」
櫛田の意見に須藤が勢いよく賛同する。
「僕も……その意見に賛成するよ。みんなでクラスメイトの良いところを言い合って、それを参考に投票しよう」
ここまで沈黙していた平田が立ち上がり、疲れ果てた顔で精一杯の笑顔を作る。
なるほど、朝から静かだったのは事前にこの展開に持ち込むことを櫛田から共有されていたからか。
櫛田がどう説得したかはわからないが、平田としてもこれが落とし所だと判断したようだ。
「平田くんの言うとおりです。そうしたいです」
「拙者も賛成でござる」
「私も」
次々とクラスメイトが賛同していく。
「堀北さんもそれで構わないかな?」
クラスの反応から後押しを得て、平田が堀北へと問う。
この2人が和解すればクラス内投票での障害はなくなる。
「反対する理由がないわね。私もクラスの和を乱したいわけじゃないもの。……この際だからはっきりさせてもらうけれど、私は兄さんに負けないためにも、このクラスをAクラスにするわ。そのために全力を尽くす。ただ、この一年で私だけの力では遠く及ばないことを痛感したの。だから、お願い。みんなの力を貸して欲しい。そうしたら私もみんなのために力を貸すことを約束するわ」
堀北が深く頭を下げる。
Aクラスに上がりたい理由はブラコン由来だが、それだけに嘘偽りがないと信じられる。
これまでは盲目的に兄の背中を追うだけだった妹だったが、1年間でこんなにも変わるものなんだな。
「もちろんだよ、よろしくね、堀北さん」
平田の返答を皮切りにクラスメイトたちも堀北へエールを贈る。
「ま、待てって。こんなのおかしいだろ。みんなで堀北を退学にするって話はどうしたんだよ」
「春樹、録音の通りだ。鈴音が退学になる理由はもうねえし、誰かを蹴落として生き残ろうとするのはやめようぜ」
「マジわけわかんねーよ。なんで裏切ってんだよ、健」
山内が納得できないと騒ぎ立てる。
「いい加減にしてくれないか、山内くん!」
平田からのまさかの怒声に怯む山内――と平田を慕う女性陣。
だが、そんなことは気にも止めず、いつもの穏やかな表情に戻し話を続ける。
「君だってこのクラスで1年間過ごしてきた大切な仲間だよ。だからこそ、君が賞賛に値する人物ならこの場で良いところを挙げてくれる仲間もいるはずだ。試験まであと数分しかないんだ。今は自分のためにじゃなくて誰かのために時間を使う時なんだよ」
「……わかったよ」
山内は大人しく引き下がった。
これ以上騒いでも逆効果にしかならないとここ数日の出来事から悟ったのか、もしくは堀北が提案した票をコントロールする策が実施されなくなったことで安心したのか。
それから投票が始まるまでの時間、クラスメイトがこの一年で見てきた学友たちの良いところを共有し合う時間となった。
山内への賞賛のコメントがあったかどうかは語るまでもないだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
投票自体はあっけないもので、茶柱先生から呼ばれた生徒が別教室に移動し投票する、それを40回繰り返しただけ。
今は集計作業のため、つかの間の待機時間。
何人で作業するかは不明だが、そんなに時間のかかるものではないが、特定の生徒にとっては気が遠くなるような時間に違いない。
「健、お前は俺を裏切ったんだから退学になっても自業自得だかんな」
「おい、春樹。健だって好きでやったわけじゃねえよ」
「は?寛治もそっち側かよ。これまでせっかく仲良くやってきたのによ」
「お前どうしちまったんだよ、ここ数日おかしいって」
だれかれ構わず噛みつく山内。普段からろくでもないところはあっても、こんなに好戦的ではなかったはず。
「キャンキャン吠えて噛みついて、まるで怯えた子犬のようね」
「子犬はもっと可愛いだろ」
「……やけに否定するわね、綾小路くん」
山内の様子を見た堀北がポチへの冒涜とも取れる発言をしたため注意しておく。
どうやら堀北も子犬と触れ合ったことがないようだ。
ポチの動画を投稿したらリンク先を送ってやるか。
そうこうしているうちに茶柱先生が教室に入ってきた。
「クラス内投票の結果が出た。これから発表する。この結果は賞賛票、批判票の1番になった生徒のみ貼りだされ、他クラスも確認できることになる。発表後は解散だ。各自速やかに帰宅するように」
淡々と説明していく茶柱先生。
「――では、まず賞賛票の上位3名を発表する」
いよいよ本題に入ったことで生徒たちの緊張感が伝わってくる。
「3位は櫛田桔梗」
今回堀北退学のために多少強引に動いていたものの、最終的にクラスを和解へ持ち込んだことや日頃の行いを考えると順当な結果と言える。
「2位は――平田洋介」
平田に関しても同様だが、クラスのために悩み疲れ切った姿に感謝や同情の票も入ったのかもしれない。
「1位は綾小路清隆だ。80票以上を獲得した、見事な結果と言える」
茶柱先生からの発表に特に驚くことのないクラスメイト。
「まぁ清隆以外が1位になるのは考えられなかったわよね」
「生徒会に入ってからの活躍はすごかったしね」
「清隆くん、かっこよすぎ」
恵や松下、麻耶などの発言に頷く生徒も多い。
平田たちのように直接クラスを率いたことはなかったが、生徒会での活動をはじめ、筆記テストオール満点記録継続中であったり、体育祭での活躍であったりが評価されたのだろう。
……内訳はわからないが、クラス内からの賞賛票はほんの僅かでほとんどクラス外からの票、とかじゃないよな?
「そんなに余裕があったのなら、やっぱり批判票の受け皿にあなたを利用するべきだったわね」
「それで当てが外れて退学になったら笑えないぞ」
「どうかしら、万に一つもその可能性はなかったんじゃないかと思うのだけれど」
ご明察の通り、もしオレに退学のリスクがあるようならそれを防ぐために動いたが、今回はその心配がなかっただけ。
「そして批判票を最も多く獲得した生徒は――」
教室が静まるのを確認し茶柱先生が退学者の名前を告げる。
「批判票34票で山内春樹、お前だ」
「へっ……?」
信じられないという表情の山内とは裏腹に、クラスメイトは誰一人として驚いていなかった。
「いやいやいや待ってくれよ。なんかの間違いだって。他クラスからの賞賛票入ってねーじゃんか」
「結果に間違いはない」
山内の論を信じるのであれば23票の賞賛票が入るため、多くとも批判票が16票を超えることはない。
「そ、そんなことねえよ。アイツら絶対俺に入れてるって……23票入る約束だったんだよ!!確認してくれよ」
「残酷なことを言うようだが、もしお前の言うように賞賛票が23票入ったとしても、やはりお前が一番批判票を集めたことには変わりない」
2位と3位が池と須藤であることも発表されたが、どちらも批判票は10票を超えていない。
それはつまり多くの生徒が暗黙の了解で堀北の案を採用し、票のコントロールをしたということになる。
「そんなわけあるかよ!!認めねえ、認めねえぞ!!ふざけんな、こんな投票で退学になるとかありえねえって」
「……春樹」
俯いていた池と須藤が顔を上げ、山内を見る。
「山内、お前が何と言おうとこの結果は覆らない。手続きがある、職員室まで同行してもらおう」
「待ってくれよ、待ってくれって!」
退室を促す茶柱先生の手を振り払い、抵抗の姿勢を見せる山内。
そんな山内の肩に後ろから手が添えられる。
「あの状況から春樹はよくやった。ただちょっと軽率過ぎたんだ。他の高校ならウザキャラで済んだかもしんねーけど、この学校じゃ、なんつーか、春樹の良さを活かせない、だけ……なんじゃねーか」
「悔しいけどよ、俺たちは…お前の事ずっとダチだと思ってるからよ……」
須藤と池が涙を堪えているのか、くしゃくしゃになった顔で山内を諭す。
「……くそ、なんで、なんで俺なんだよ……まだやりたい事全然やれてねぇよ、やれてねえんだよ……」
言葉は尻すぼみに細くなり、抵抗する力を失ったように床に座り込む。
「待っていてやりたいところだが、時間は有限だ。できれば無理矢理引きずっていくような真似はしたくない」
茶柱先生の珍しく優しさのこもった声。
山内は俯きながらも立ち上がり、茶柱先生の後に続いて教室を出て行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「以上で手続き完了だ。これからお前を実家へと送る。迎えが来るまでここで待つように」
「……」
真っ白になった頭でぼんやりとこの数日を振り返る。
騙され利用され、誰も助けてくれねえクソみたいな世界。
「……こんなとこ、こっちから願い下げだっつーの」
そんな悪態をついて気持ちを紛らわす。
こんな結果になって思い出すのは寛治や健とバカやってた日々。
「あいつらだけは最後まで俺の味方だったんだよな……」
テンパって大切なものが何かを見失っていたのかもしれない。
そう考えはじめると、あいつらに別れの挨拶すらしてこなかったことに気づく。
こんな最後なんてないよな。待機を命じられた空き教室から廊下を覗く。
もしアイツらが追ってきてくれてたら、少しぐらい話せるかもしれない。
が、廊下の先を歩く人影を確認した時に、そんな気持ちが吹き飛ぶほどの怒りが込み上げてきた。
同時に廊下へと飛び出す。
「てめぇら、待てよ!」
「あぁ?誰かと思えば負け犬じゃねえか」
龍園に続くように石崎、近藤、小宮が歩いていた。
「約束が違うじゃねーか!お前らのせいで俺は……」
「クク、その件は悪かったな。こいつらから頼まれてお前に票を入れてやろうとしたんだけどよ、20票を400万ポイントで買うヤツが現れたんでな、そっちに売ることにした。もちろん、預かった200万ポイントは返金するぜ」
携帯を取り出し操作する龍園。その後ニヤリと笑い画面を見せてくる。
「おっと、送金先が見つかりませんだとよ。こりゃあ返金のしようがねえな」
「ふざけんなよっ!最初からそのつもりだったんだろうが」
「さあ何のことだか」
「どいつもこいつもよぉっ!」
殴りかかろうとしたところで石崎達が龍園の前に立ち塞がる。
だが、関係ねえ。
例え返り討ちになろうが、このままじゃ許せないことだらけだ。
「こっちはもう退学になってんだ。ここで殴っても失うもんはねえんだよぉぉー」
「来るなら来いよ。お前の元クラスメイトたちには何らかのペナルティがあるだろうが、てめえにはもう関係ねえ話だ」
ずっとダチだと言ってくれた寛治と健の姿が浮かぶ。
途端、振り上げた拳は行き先を見失う。
「……ちくしょう」
「ハッ、そこまで馬鹿じゃなかったか。おい、行くぞ」
「うっす」
龍園たちは興味をなくしたように立ち去っていく。
「でも、いいんすか、龍園さん。途中まではちゃんと票は入れてやる予定だったじゃないっすか。アイツ誤解したまんまっすよ」
「知らねえほうが幸せなこともある。消え去る野郎を嬲る趣味はねえ」
何やらひそひそと話しているがここまでは聞こえない。
龍園たちの向かう先から見慣れぬ大人がこちらに歩いてくるのが見える。
きっと茶柱先生が言っていた迎えだろう。
残された時間はわずか。2人には会えないまま、俺の高育生活が終わる。
「おい、待てよ」
「お前と話すことはもうねえよ」
こっちを向くこともなくあしらわれる。
「200万払った分で伝言ぐらい頼まれてくれよ、な、お願いだ」
気に食わない奴らだったとしても、今はもうこいつ等しかいない。
必死で頭を下げる。
「……龍園さん、すみません、聞いてやってもいいっすか?」
「好きにしろ」
龍園は足を止めることなく立ち去っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「こっちは山内、そっちは弥彦が退学か」
「ええ」
山内が去ったことで教室は解散となり、貼り出された結果を確認した後、預けてあった箱を回収して特別棟にやってきた。
「意外だったのは賞賛票1位を葛城にしたことだな。プロテクトポイントは坂柳自身につけるものだと思っていた」
「この学校に来て『将を射んとせばまず馬を射よ』という言葉の意味がよくわかるようになりました。私は自分の身は守れますが、葛城くんが退学になってしまっては移動手段がなくなりますからね、自動車に保険をかけるようなものです」
「なるほど」
そのことわざを文字通りに受け取るヤツも現代社会じゃ数少ないだろうな。
内容はともかく、オレの想像以上に坂柳にとって葛城の利用価値は大きいのかもしれない。
「まぁ成り行きで20票ほど票を買うことになってしまったので、ついでと言えばついででしかありませんが」
「へえ、そんな買い物をしたんだな」
「全くどこからどこまでがあなたの計算だったのでしょうか」
「計算?」
「そうなるとこの箱を開封する意味もないのでしょうね」
そう言いながら鍵を取り出し、お互いのターゲットとそれを予想した紙が入った箱を解錠する。
出てきた紙を互いに確認する。
坂柳
自分のターゲット→戸塚弥彦
相手のターゲット→山内春樹
綾小路
自分のターゲット→山内春樹
相手のターゲット→戸塚弥彦
お互いにターゲットを退学させ、相手のターゲットも見破ったことになる。
「参考までに戸塚くんだと判断した経緯をお伺いしても?この数日、綾小路くんがこちらの動向を探っている様子はありませんでした」
「探りを入れる意味はないと思っていた。現に投票直前まで誰を退学にするかクラスメイトに公表していなかったんだろ」
「おっしゃる通りです」
「戸塚を選んだのはシンプルな理由だ。坂柳の性格を考えると一番可能性が高い」
弥彦が南雲と繋がっていたのは、リアルケイドロや混合合宿での行動からわかっていたこと。
そんな生徒を坂柳は放っておくほど甘くはない。試験内容を聞いた時に排除するのに都合が良いと考えたはずだ。
「綾小路くんは悪い人ですね。つまり初めから私が戸塚くんを退学にするとわかっていてこの勝負を持ちかけたということですか」
「さあどうだろうな」
それを聞き出したくてわざわざ戸塚を選んだ経緯の話を振ってきたわけか。
坂柳なら自身の目的も達成しつつ、オレも倒す――そんな文句のつけようがない完全な勝利を選択する。
ペーパーシャッフルでの一件以来、坂柳に対する警戒レベルを少し上げていた。
あれから、時間も接触もそれなりにあったため、ある程度は思考も予想できる。
「坂柳こそこちらのブラフに乗ってこなかったな」
表面上は堀北退学を実行していたし、最終的な判断も櫛田任せにしたことでオレの行動から読み取れる情報は少なかったはず。
「私は山内くんが消えてくださることを願っただけですので」
どこまで本気かわからない言葉で濁される。
答えないならそれまでで、大して関心があるわけでもないため追求はしない。
「ふふ、いずれにせよ、ここまで私のことを考えてくださったことは事実。悪い気はしませんね」
普段の冷たさのある微笑みとは少し違った笑みを浮かべ、じっとこちらを見てくる。
「とは言え結果は結果です。引き分けの場合は次へ持ち越し、忘れてはいらっしゃいませんよね?」
「約束は約束だからな」
「そうこなくては。……次は本気でかかってきてくださいね」
「何のことだ?」
「山内くんが買う予定だった20票、と言えばあとはお分かりいただけますね?」
「ただオレに財力がなかっただけだ」
「そういうことにしておきましょう」
山内が票をひよりクラスから買うと聞いた日、オレは龍園とコンタクトを取り、倍の値段で購入する旨を伝えた。
その際こちらが出した条件はAクラスが票を買おうとしていると山内へ伝えること。
そうして票の価値を釣り上げ、山内から限度額を引き出した。
そして昨日の放課後、Aクラスの山村がオレを尾行しているのを確認した上で、再度龍園と交渉する。提示額は300万。
そうすれば坂柳は嫌でもその20票を購入する必要が出てくる。
その20票をオレが獲得する理由は
①山内を退学させるため
②確実に山内へ賞賛票を投票させるため
③坂柳のターゲット(弥彦)を救うため
のどれかだと坂柳は考えたはず。
真相がわからない以上、放置はできない。
結果、坂柳が票を購入したことで、オレは1ポイントも使うことなく山内の退学が確定した。
代わりに龍園たちに大量のポイントが入ることになるが、それもメリットだと考えている。
現状あのクラスの財政難は深刻。
このままでは逆転の可能性は低く、退学覚悟の捨て身の策を取ってくるかもしれない。
窮鼠猫を噛むとはよく言ったもので、退学を気にしない策であれば対処するのにそれ相応のリスクが出てくる。
今回資金を手にしたことで別の可能性を見出してくれるのであれば、それに越したことはない。
まぁ、そういった根回しは、櫛田と堀北の行動で不要な保険となったが、結局櫛田がどう行動しようと山内の退学は決まっていた。
もしオレが本気で票を買うつもりなら、坂柳に気づかれないように行うし、取引する相手も選ぶ。そうして40票を獲得し、弥彦に集めることで勝てた勝負。
ただ、それを見逃す坂柳でもない。防ぐ手立てを講じることで、さらなる攻防が繰り広げられてもおかしくはなかった。
そうならなかったということは、オレが勝負に対して興味を失っていたからに他ならず、坂柳はそこが不服だったのだろう。
「さて、次回の勝負の約束もできましたしこの辺りで切り上げましょう」
「そうだな」
荷物をまとめて2人で教室を出る。
「綾小路くんさえよろしければ、途中まで一緒に帰りませんか?」
「葛城はいいのか?」
「彼はまだ傷心中ですので」
「……意外と優しいところもあるんだな」
「綾小路くんも命を預ける道具がベストコンディションでないなら使用を避けるのでは?」
「それもそうか」
坂柳にとって葛城は、ただの移動手段でしかないのか、それ以上の友情のようなものを感じているのか、うまく隠したもので今のやり取りからは判断できそうにない。
断る理由もなかったため、一緒に帰宅するために廊下を進んだところで坂柳が少しだけ真剣な表情で話しかけてくる。
「ところで今回の試験について調べていたのですが、やはり何者かが綾小路くんを退学にするために用意させた舞台装置のようです」
「予想はしていたが、穏やかな話じゃないな」
「実際、私に送られてきたメールにもあなたを退学にするようにと記載してありましたし」
「メール?」
「はい、父を停職に追いやった人物、あるいはその関係者の仕業でしょう。あれから色々調べてみましたが、元々は――」
「やぁ、こんにちは」
声を掛けられて同時に振り向く。
誰もいないはずの特別棟に突如として現れたスーツ姿の男。
声を掛けられるまで気配を感じなかったことからも相当の実力者であることが伺える。
「この学校に来るのは初めてでね、生徒会室はどこにあるのかな?」
「生徒会室ですか。それはまた見当違いのところをお探しですね。ただ身元不明の方に校内の情報をお話しするわけにもいきません。失礼ですがどちら様でしょうか?」
坂柳が冷静に相手が何者かを探る。
「これは失礼。今度、理事長代理を務めます月城と申します」
優しそうな笑顔で丁寧に名乗りを上げる。
「フフ、そうでしたか。てっきり不審者かと、失礼いたしました。生徒会室でしたら、彼が役員ですので案内してくれると思いますよ」
「それは運が良かった」
「運、ですか。わざわざこんな場所までやってきたのは、てっきり綾小路くんに会うためかと思ったのですが」
須藤の一件以来、特別棟にも監視カメラが設置された。理事長代理であれば、映像の確認も容易なはず。
ここ数日、オレと坂柳がここを利用していたことを踏まえると、この辺りを監視していてもおかしくはない。
そしてこのタイミングで姿を現し、ピンポイントで生徒会室への案内を頼んでくる。
ホワイトルーム関係者であることを自白しているようなもの。
「面白いことを言うね。この学校は君みたいな生徒ばかりなのかな。警戒せずとも彼とは紛れもなく初対面だよ、私としては生徒会室まで案内してくれればそれでいいんだけどね」
月城は自分は無害な人間ですと言わんばかりの笑顔を作ってゆっくりと近づいてくる。
ああ、なんだか見覚えがあると思ったら、櫛田が堀北に向けて作る笑顔とそっくりだな。
ということは、つまり――。
次の瞬間、月城は坂柳を支える杖を笑顔のまま蹴り飛ばす。
突然の出来事に坂柳は反応できず倒れそうになる。
それをオレがカバーするように抱きかかえると、すぐさま月城の拳がオレへと目がけて飛んできた。
坂柳を抱え身動きが取れない状態では回避は難しい。
「綾小路くんっ!」
ドンっという鈍い打撃音が響く。
だがオレに痛みはない。
オレと月城の間に急遽飛び込んできた巨体が代わりに攻撃を受け止めていた。
「ケガはないか、坂柳、綾小路」
「葛城くん?」
「帰りが遅いんでな、心配になって様子を見に来たら坂柳が倒されそうになるのが見えた。間に合ってよかった」
颯爽と現れ肉壁となった葛城。
「すみませんが、部外者には退場していただきます」
月城の蹴りが葛城の横腹を容赦なく狙う。
葛城はオレたちを庇う形で身を固める。
「ぐっ」
「おや、隅まで飛ばす勢いで蹴り込んだつもりでしたが、学生にしては丈夫な身体のようですね」
「鍛えた筋肉は裏切らない」
「本当に面白い生徒ばかりだ」
葛城へさらに蹴りを打ち込む月城。
その隙に坂柳を床に降ろそうとするが、なぜかぎゅっと抱きつき離れようとしない坂柳。
よほど怖かったのか?
「理事長代理がこのような暴力行為をして問題にならないとでも?」
坂柳はそのまま何事もないように言葉で月城へと牽制を入れる。
なるほど、コイツにとっては抱えられている方が平常運転なのかもしれない。
「暴力?これは人気のないところで不純異性交遊をしていた子供へのただの体罰ですよ。ご覧の通り古い価値観の人間なのでね」
「そんな理屈がまかり通るとでも?」
「現在この学校の最高責任者は私ですから。こんな生ぬるい学校が実力主義を謳うとは片腹痛い。正式に就任した後は学校の方針も変えて行く予定です。もちろん、監視カメラの映像もダミーに替えてあるから証拠も残りませんがね」
「職権乱用もここまで来ると清々しいですね」
「残念ながら丈夫なギャラリーも増えてしまいましたし、今日のところはこの辺で失礼させてもらいます」
最後まで倒れることのなかった葛城を前に、両手を軽く上げやれやれといった具合で立ち去ろうとする月城。
「ああそうだ。父上からの伝言がありましたよ。『これ以上子供の遊びに付き合うつもりはない。すぐに帰ってこい』とのことです。どうですか?」
「断る」
「全く、反抗期の子どもほど面倒なものはない。あなたの父上の苦労も計り知れないですね」
「冗談にしては笑えないな」
「親の心子知らず。あなたが考えているよりもずっと事は大きい。まあいいでしょう。4月から本格的に活動しますのでお楽しみに」
そういって今度こそ立ち去っていく。
それを確認してやっと坂柳が地面に降りた。
「大丈夫ですか、葛城くん」
「ああ。鍛えているからな」
「念のため確認させてくれ」
こっちの事情に巻き込む形になってしまったからな。
せめてもと蹴りを受けた箇所を確認する。
シャツを捲ると数か所青紫色に腫れていた。
「骨は問題ないな。だが……」
「わかっている。しばらく筋トレは休むことにしよう」
「それがいい。相手の力量を考えるとこのぐらいで済んだことは運が良かった」
気配の消し方にしろ、攻撃の所作にしろ、一筋縄ではいかない相手――しかもまだまだ底は見えない。あの男が刺客として送ってくるだけのことはあるということ。
「とんでもない男が理事長の代理になったものだ。しかも、その……」
「ああ。オレの退学を望んでいるらしい。何というかちょっと変わった家庭事情で、親が寂しがり屋なんだ」
「深くは詮索しないが綾小路も苦労しているんだな」
葛城が空気を読んでくれたため余計な説明はしなくて済む。
部外者である葛城の前でも容赦なく行動してきたことから、向こうも手段を選ぶつもりはないようだ。
「ともかく病院に行くなりして休むことを勧める」
「そうですね、葛城くんは私が責任をもって休養させます。綾小路くんもお気をつけて」
「ああ」
坂柳と葛城を見送って、念のために周囲を確認した後にオレも帰宅することにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そんな騒動もあって、すっかり昼を食べ損ねてしまった。
いつもなら櫛田が何かしら作って待っていてくれたわけだが、昨晩合鍵を回収したため、今日からは1人でなんとかしなくてはならない。
必要な工程だったとはいえ、充実した食生活を手放してしまったことは少し残念だ。
仕方がないので寮に荷物を置いて、ケヤキモールあたりで何か食べて、ついでに夕飯と明日の食材でも調達するか。
結局、櫛田は目先の堀北退学よりも未来を選んだ。
材料はあの音声だけだったにも関わらず、取った手段や周囲への根回しといい、評価できる策だと言える。
上々な結果だな。
櫛田は、考えたくもないであろう堀北の思考を読んで、あのやりとりの真実に気付いた。
『自分で退学を否定する』
『堀北について考え救う』
櫛田自身が自分の意思でこの手順を踏むことが大事だった。
櫛田の中では自分で選んだこととして、今日の出来事が胸に刻まれた。
これでより一層退学よりもオレの優先度が上がり、ちょっとやそっとじゃ裏切らない優秀な駒となる。
部屋に到着する頃には腹の虫が鳴っていた。
「こんなことなら料理を教わっとくんだったな」
昨日までと違い、待ち人のいない部屋に入ろうとする。
が、なぜか玄関の鍵がかかっていない。
まさか早くも月城が攻め込んできたのか。
理事長代理なら寮のマスターキーぐらい入手できてもおかしくない。
警戒しながらゆっくりとリビングのドアを開ける。
「あ、綾小路くんおかえりなさい。ご飯にする?お風呂にする?それとも堀北退学にする?」
当然のようにいる櫛田が懐かしい言葉で出迎える。
「……どうしているんだ?」
「え?ご飯もお風呂も堀北退学もまだでしょ?」
「それはそうだが、合鍵は回収したよな」
「あー、それなら簡単な話だよ。合鍵は全部で3つあったよね」
「なるほど、池のか」
「うん。譲ってもらったの」
退学者の荷物がどうなるかはわからないが、山内から入手は不可能だろうからな。
「……昨日はごめんね、私も突然すぎて取り乱しちゃった」
「いや、オレの方も少しキツイ言い方をしてしまったと思う」
リビングに入るなり謝罪の言葉を口にした櫛田は、何やら大きめの袋を差し出してきた。
「これ、仲直りの印のプレゼント」
「……受け取ったら、次の試験で堀北退学とか言わないよな?」
「やだなぁ綾小路くん。物で釣らなくても、堀北退学は24時間年中無休の私たちの使命でしょ?」
「それもそうだな。なら、ありがたく頂戴する」
袋を開けると中から猫のイラストが描かれた枕が2つ出てきた。
「なんで2つなんだ?」
「なんでって……私たちそれぞれに必要、だよね?」
櫛田にしては珍しくもじもじと歯切れ悪く話す。
とにかく2つあるのは、葬られたオレの枕の代わりだけでなく、櫛田自身も使用するためということらしい。
「つまりそれは……」
「鈍いなぁ綾小路くん。つまり『お誘い』してるんだよ。ホントはこんなこと女の子に言わせちゃだめなんだからね?」
「……お誘い?」
「そう!最近気づいたんだけど、枕の蹴り心地って最高じゃない。フェンスだと正直足が痛かったし、外じゃ誰かに見られるかもだし」
「まあケガのリスクは避けるに越したことはないな……」
一瞬頭をよぎった事とはまるで異なる用途。
一緒にストレス発散のために枕に暴行を働こうという、ある意味過激なお誘い。
うーん、女の子に限らず言ったらダメなんじゃないか?
騙された気分だが、ひとまず枕の製造に携わる人たちに心の中で謝罪をしておく。
そんなオレの反応をみてニヤリと微笑む櫛田。
「そうだよ。もう私一人だけの身体じゃないしね」
「そうだな、2人で堀北退学だもんな」
非常に紛らわしい言い方をする。
録音でもして脅迫材料にでもしようとしているのか?下手な返答はできない。
「うんっ!退学は一蓮托生。私たちの退学はこれからだよ!!」
「櫛田先生の次回退学にお期待ください……って、これじゃオレたちが打ち切りで退学するみたいだな」
「ふふっ、ナイス退学ジョークだね」
何がそんなにおかしいのか、楽しそうに笑っている。
「それじゃ仲直りもできたし、ご飯の準備するね」
「それは助かる。オレだけじゃ外食するしかなかった。……よければ今度料理を教えてくれないか?たまにはオレも振る舞いたい」
「もちろんだよ。楽しみにしてるね!」
快く返事をしてキッチンへ向かう櫛田。
そんな退学奔放な櫛田を眺めながら、どこで駒にする過程を間違えたか反省しつつ、どこかホッとしている自分がいることに少しだけ驚かされた。
クラス内投票編はここまでになります。
今回の退学者は原作リスペクトな形となっていますが、今後はそうとも限らない展開となる予定です。全て同じだと緊張感もなくなりますしね……。