「帆波ちゃん、お昼一緒に食べよー」
「うん、もちろんだよ」
昼休み。
千尋ちゃんたちがお弁当を持って席の近くまで来てくれる。いつもと変わらない平穏なひと時。
学年最後の特別試験が発表されてからあっという間に2日が経った。
対戦相手がDクラスに決まって、種目決めも対策も順調に進んでいる。
クラスのみんなも試験にしっかり向き合いつつ、和気あいあいと学校生活を楽しむことも忘れない、入学当初から目指していた理想の状態。
間違いなく順調に進んでいるはずなのに――ここ最近、私の心はざわついている。
「なんでなんだろ……」
思わずつぶやきが漏れてしまったけど、幸い周りの友人たちには聞こえなかったようだ。
あー、ダメダメ!クラスのリーダーがこんなんじゃ、みんなが不安になっちゃう。
Aクラス昇格のかかった大事な試験、私のことは置いておいて、みんなのためにも頑張るんだ。
よしっと気合を入れ直すと今度は聞こえてしまったようで「帆波ちゃん気合入ってるねー」とからかわれてしまった。
みんなの笑顔を守れて結束もより強くなったのだから、この前の試験のことは後悔していない。
そのはずなのに――。
「大変だ、一之瀬!」
教室の入り口から顔を出したのは渡辺くん。クラス中の注目が集まる。
「どうしたの、渡辺くん?」
「Dクラスのヤツ等が揉め事を起こしてるっぽくって、一触即発っていうか、とにかく雰囲気がヤバいんだよ。もしかしたら生徒会の仲裁が必要かもしれない」
「それは穏やかじゃないね……ちょっと様子を見て来るね」
心配そうにこちらを見つめる千尋ちゃんたちを「大丈夫だよ」となだめ、渡辺くんの後に続いて廊下へ出る。
廊下にはDクラスの教室を覗くように人だかりができていた。
「龍園くん、それではクラスが崩壊してしまいます。どうか再考をお願いします」
「何度頼まれようと無駄だ。お前の策に協力はしないし、ここからは俺が仕切らせてもらう」
Dクラスの教室では、龍園くんと椎名さんが言い争っているみたいで、直前に突き飛ばされたのか、椎名さんは崩れるように床に座っていた。
龍園くんの周りにはアルベルトくんをはじめ、石崎くんたちが控えている。
「私の策ではご不満でしたか。それなら改善点を教えてくだされば手を取り合うこともできるはずです」
「ぬるいことを抜かすなよ。今回の試験はこの手でBクラスのヤツ等を潰す絶好の機会だ。アイツらには散々煮え湯を飲まされた、譲るつもりはない」
「その龍園くんの方針がここまでクラスを苦しめてきました。私たちは変わる時なんです」
どうやら今度の特別試験の方針で揉めてるみたい。
たしかに渡辺くんの言う通り、危ない空気がピリピリと漂っているけど試験が絡んだ内輪揉めであれば、部外者が簡単に口出しはできない。
「ハッ、話になんねえな。おい、アルベルト」
「OK Boss」
龍園くんの指示に従ってアルベルトくんが椎名さんに向かっていく。
もし、ここでこれ以上の暴力が振るわれれば、私が証人となって生徒会の審議にかけてアルベルトくんと龍園くんを停学処分にできて、今度の試験では私たちのクラスが有利になる。
でも、その場合は椎名さんが無事では済まない。どうするかなんて考えるまでもないことだ。試験なんて関係ない、暴力沙汰になる前に止め――。
「いい加減にしろよ、龍園っ!!」
「おいおい時任、雑魚はお呼びじゃねーぜ、どけよ」
仲裁に踏み込もうとしたとき、Dクラスの時任くんが龍園くんたちと椎名さんの間に割って入る。
「椎名の言う通りだ。結束の強いBクラス相手に、俺たちがバラバラじゃ勝てるはずないだろ。大人しく椎名の策に従え」
「クク、クラスの輪を乱してきたお前が言えたセリフか?」
「俺はお前のやり方が間違っていると判断しただけだ。お前と違い椎名は信用できる」
「ったくめでたい頭してやがる。他に文句のあるやつはいるか?まとめて黙らせてやるよ」
教室に響き渡る声で挑発する龍園くん。
それに合わせて石崎くんたちは拳を鳴らしながらクラスメイトたちを睨みつけ始めた。
「そこまでだよ!」
今度こそ教室に踏み込み仲裁に入る。
「ハッ、誰かと思えば一之瀬か。底辺クラスが相手でも敵情視察とはご苦労なこった」
「これは試験とは別の話だよ、龍園くん。暴力行為は生徒会として見過ごせない。これ以上続けるようなら学校に報告させてもらうよ」
「番外戦術とはご立派ご立派。言いがかりでうちの主力を潰しに来るとは見上げたもんだぜ。Bクラスは正々堂々と試験で勝つ自信がないのか?それなら仕方ねえな」
龍園くんの言葉に同調するように石崎くんたちが笑い声をあげる。
こういうところの統率力は私たちのクラスも顔負けだね――もちろん嫌味だけど。
「煽っても無駄だよ。その手の龍園くんの戦術にはこっちも飽き飽きしてるんだから」
「そうかよ。ま、精々今度の試験では新しい戦術をお見せできるように頑張るさ」
ニヤリと笑ってこちらを一瞥した表情は、獲物を狩るような目をしていて決して死んではいない。
しばらく大人しくしていたと思ったら、虎視眈々と機会を伺っていただけってことだね。
「つまらん横やりが入ったが、俺は俺のやり方でやらせてもらう。従わない奴らは覚悟があるってことだ、こっちが相応の処置をとっても文句ねえな。行くぞ」
「へいっ」
教室を出ようとする龍園くんに続いていく石崎くんたち。
「龍園氏、すみませんが今回は椎名氏側に付かせてもらいます」
「そうかよ、裏切り者に興味はねえ、勝手にしろ」
龍園くんには半数ぐらいがついて行ったみたいだけど、金田くんや時任くんをはじめクラスに残った生徒もそれなりにいる。
「椎名氏、お怪我はないですか?」
「はい、大丈夫です」
「こうなってしまったからには我々は我々で試験の準備を進めましょう」
「……仕方ありませんね」
「一之瀬氏も危ない所を助けていただき、ありがとうございます」
「ううん、当然のことをしただけだよ」
素直にお礼を述べてくる金田くん。だけど無人島試験では龍園くんの送ってきたスパイだったこともあって、この流れも色々と疑ってしまう。
でもこれはあくまでDクラスの問題。これ以上干渉するのは違う気がする。
「一之瀬スポンサーにはお見苦しい所をお見せしてしまいました」
「椎名さんも大変だと思うけど、また危ない目に合いそうになったら相談してね。試験とは関係なく生徒会として助けるから」
「ええ。ありがとうございます。願わくはそんな事態にならないことを祈るばかりですが……」
「それはホントにその通りだね」
ふぅとため息をつく椎名さん。
このクラスをまとめる彼女の気苦労は計り知れない。
ただ、今回の試験に限って言えばこのことで一番困るのは司令塔の諸藤さんだろう。
今後どうなるかはわからないけど、龍園くんと椎名さんそれぞれが用意した戦略の最終判断は彼女が行うことになる。
どちらを選んでも角は立つし、それで負けようものなら……。
ううん、相手の心配をしている場合じゃない。もし、その時が来ても心を鬼にしなくては。少なくとも龍園くんは私のそんな弱さに付け込んでくる。
「それじゃ長居しても悪いし、私はこれで」
「はい、ありがとうございました」
椎名さんに見送られ教室を出る。
教室内でのトラブルが解消したことで廊下の人だかりはなくなっていた。
その代わりにいつの間にか駆けつけてくれたBクラスの仲間に囲まれる。
「ヤバかったな、龍園たち」
「大丈夫だったか一之瀬」
「あんなとこに飛び込むなんて帆波ちゃん勇ましすぎだよ」
「うん、私は大丈夫。みんなありがとね」
Bクラスに戻る前にもう一度Dクラスの様子を観察する。
ちょっとした気がかり――教室内で肝心の諸藤さんの姿を見つけることはできなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――って感じで、卒業生代表の挨拶はよろしくお願いしますよ、堀北先輩」
「ああ」
「ま、無事にAクラスで卒業できたらの話っすけどねー」
放課後の生徒会室。
卒業式の準備も進んでいて、今日は3年生代表との打ち合わせがあり、久しぶりに堀北先輩と橘先輩がやってきていた。
「それにしても南雲くんもやっと改心したんですね。堀北君をリスペクトしてるのが伝わってきて嬉しいですよ」
「あ、え、いやこれは……」
黒髪できっちりスタイルの南雲先輩を見て、うるうると瞳を濡らし喜ぶ橘先輩を前に、さすがの南雲先輩も否定しづらい様子。
「綾小路くん然り、手のかかる後輩ほど成長した時の喜びはひとしおですね、堀北君」
「そうだな、橘」
恐らく全てを理解しているであろう堀北先輩も否定することなく橘先輩に同意する。
そんな様子をみて、厳格なイメージが強かった堀北先輩だけど、こんな優しい目もできるんだなと改めて実感した。
3年間共に歩んできたからこそ生まれる2人だけの独特の雰囲気。
堀北(妹)さんが見たら発狂しそうだな、なんて馬鹿なことを想像して――本音を誤魔化す。
「それじゃ、オレはこの辺で失礼します」
「えっと、綾小路くん。その今日はこれから時間があったり……」
「悪いな。今日も人と会う約束がある」
「……そっか。ま、またね」
私たちもいつかあの2人みたいに……なんて思ってた時期もあったんだけど、もう無理なのかもしれない。
元々綾小路くんの感情は読み取りにくい。
それでも一緒に過ごす中でなんとなくこうなのかな?って思えることが増えていった。
それが何だか嬉しくって、意外な一面に気づけた時は胸が躍って、少しずつだけど心を開いてくれてるのかな?なんて喜んだり。
思い上がりだとは思うけど、私が誰よりも綾小路くんのこと知ってるんじゃないかなとか……。
でも、最近それがなくなった。
何を考えてるのか、本当にわからない。読み取れない。
完全に心の扉を閉めて鍵までかけられてしまった、そんな感覚。
ノックをすれば返事はくる。でも、それは扉越しからで、常に私たちの間には壁がある。
きっかけは、多分だけど、この前のクラス内投票のやりとり……なんだと思う。
『――お主には大きな選択を迫られる時が3回来るじゃろう。もしも、その全てで正解の選択をしたとき、お主の悲願は達成される』
夏に橘先輩と一緒に占ってもらった内容を思い出す。
もしも、もしもだけど、この前のやりとりが大きな選択のうちの1つだったとしたら、私は選択を間違ってしまった、ということなのかもしれない。
『その時は精一杯あがきなされ。さすれば、ワシも、そして意中の彼も全く予想できなかった未来にたどり着くことができる……かもしれぬ』
間違っちゃったときのアドバイス、もっと詳細を聞いておくんだった。
精一杯あがくって何をどうすればいいの……。
こうなったら生徒会の権限でまたあの占い師さんをケヤキモールに呼んで、占ってもらうしか――。
「……のせさん。おーい、一之瀬さーんっ」
「わわっ、橘先輩いつの間に!?」
「さっきからずっといましたよ?」
「え!?あはは、気配の消し方が忍者レベルですねー」
目の前にいた橘先輩に全然気づかなかった。何だか動揺してわけのわからないことを口にしちゃったと少し恥ずかしくなる。
ただ見渡してみればもう生徒会室に残っているのは私と橘先輩だけだった。
「なんだか元気がないように見えたんですが、大丈夫ですか?」
「えっと、あははは……元気ですよ。そんな風に見えちゃってました?心配おかけしてしまってすみません」
精一杯の笑顔を作る。
3年生は卒業前で最後の特別試験の真っ最中。
変なことで心配や迷惑をかけるわけにはいかない。
「それならいいんですが……」
じっと私を見つめる橘先輩。
「ええ。私は大丈夫です!」
「そうですか。でしたら、久しぶりですし少し話しませんか?」
「はい。もちろんです」
そう答えると柔らかな微笑みを返してくれた。
「いま1年生も特別試験期間だと思いますが、一之瀬さんのクラスの調子はどうですか?」
「今回の試験は私たちのクラスの強みが活かせそうなのでみんな張り切ってますよ」
「それは何よりですね。私たち3年生も試験中なのですが、最終学年の終盤というだけあって油断ならない状況が続いています。特に対抗馬である3年Bクラスは、どうも南雲君が介入しているみたいで、これまでとは違った戦術で攻撃を仕掛けてきます」
「南雲先輩にも困ったものですね」
「でも少しだけ堀北君は楽しそうにしてるんです」
「えっと……南雲先輩みたいにバトルジャンキーになっちゃったってことですか?」
「あ、違います、違います。南雲君との勝負はこれまで通りそこまで眼中にないと思うんです」
「んん?」
「……恥ずかしながら、私含めてこれまでは堀北君に頼りっきりだったというか、堀北君の邪魔にならないようにしようっていう気持ちが強かったんです」
「それだけの実力を堀北先輩はお持ちですから」
「でもそれは堀北君の守る対象が多くなるだけで、結果的に足を引っ張っていました」
クラスメイトを守りたいという気持ちはすごくわかる。私はダメダメだからみんなに助けてもらっちゃうけど、堀北先輩ならなまじ一人でできてしまうだけに、その負担は計り知れない。
「……今は違うってことなんですか」
「はい。きっかけは混合合宿でした。堀北君の負担にならないように黙って相談しなかった結果、非情に危ない状況に追い詰められてしまいました」
後から綾小路くんに聞いた話を思い出す。
南雲先輩の策で、橘先輩や桐山先輩が一歩間違えれば退学になっていたかもしれない試験。
「今思うと、私は堀北君を補佐するものとして弱音をはいちゃいけない、みたいな変な意地もあったんだと思います。でも、いくら悩んでも自分自身ではどうしようもできないことだから、人は悩むんだということに気づかされました。だから今は思ったこと、困ったことがあれば、抱え込まずに堀北君やクラスメイトに相談するようにしています」
「なるほど……?」
「ふふ、そうですよね。これって自分ではよくわからないんだと思います」
橘先輩は、何かを確かめるように私の顔を覗き込む。
「そうしたら不思議なことに、本当の意味でみんなで困難に立ち向かえるようになりました」
「そっか、だから堀北先輩、少し楽しそうなんですね」
「だと思います」
謙遜してるけど誰よりも堀北先輩を支え続けてきた橘先輩が言うなら間違いない。
「そのきっかけになった合宿でピンチだったとき、私の変化に気づいて最初に声を掛けてくれたのは綾小路くんでした」
綾小路くんの名前が出ると、胸がズキッと痛む。
「最初は後輩にも迷惑をかけるわけにはいかないってはぐらかそうとしたんですが、根負けしてしました。……いえ、正確には、本当は誰かに助けを求めたかったんだと思います。そしてそんな素直じゃない私を助けたいって言ってくれる、これまた素直じゃない……でも頼りになる後輩がきてくれました」
思えば私がパンクしそうなときも、誰よりも先に気が付いて、助けてくれていたのは綾小路くんだった。そっか、今はその綾小路くんがいないから、こんなになっちゃってるのか……。
「何が言いたいかっていうとですね、あなたを助けたいっていう人がいるときぐらい、素直に頼ってもいいんじゃないかって思うんです」
優しくニコッと笑う橘先輩。
「ど、どうして……私、そんなこと一言も……」
「私には難しことはわかりません。でもあの時の私も、きっと今の一之瀬さんみたいな顔をしていたんだろうなって思ったんです」
自然と涙が零れだして止まらなくなる。
「ゆっくりでいいんですよ。何かに悩んでいるならいくらでも相談に乗りますから」
私の背中をさすりながら発する温かい声が心に響いていく。ああ、私、気づかないうちにまた溜め込んじゃってたんだ。
どのくらい時間が経ったんだろう。言葉通り、私が落ち着くまで黙って待っていてくれた橘先輩。
「……私、橘先輩と堀北先輩の関係性が羨ましくって。お互いを尊重して支え合っているというか、相思相愛というか……」
「あわわわっ、相思相愛かどうかはおいておきますが、そんな風に思ってもらえてる、とは嬉しい、です」
最後の方は歯切れ悪くなり顔を赤くする橘先輩。
さっきまでの頼れる優しい先輩の雰囲気がちょっと崩れて可愛いらしい一面を覗かせる。
「……実は、最近綾小路くんと上手くいってなくて――」
そうして先日の試験前のやりとりやそれ以降綾小路くんに距離を置かれているような気がすることなどを話した。
「誰も欠けることなく笑顔で過ごすクラスメイトたちを見て満足してるはずなのに、あの決断は間違ってないはずなのに、綾小路くんから避けられる度にどこか後悔しているように感じちゃう自分が嫌で許せなくて……」
上手く伝えられたかはわからないけど、思っていることを全て吐き出すことができたと思う。
普段仲の良い友達にだってここまで吐露することはなかったから、なんだか不思議な気分だった。
「私、嫌われちゃったんでしょうか……」
「一之瀬さんは本当に真面目過ぎです。不安な気持ちはあると思いますが、重く捉えすぎてもいけませんよ」
「頭では分かってるんですが、なんというかこう割り切るのは難しいですね」
「そこが一之瀬さんの良いところでもあるのであくまでマイナスに捉えないってことだけを意識してみるといいかもしれません。それにしても綾小路くんの態度は……いえ、ここで断言するのはあまりに早計ですね。となれば、やはり無理にでも本人をとっ捕まえるしかないと思うんです」
「ええっ!?」
思った以上にストレートな解決策を提示してくる橘先輩。
「まずは本当に誰かと会っているのかを確認したいところですね。勇気がいるかとは思いますが、明日も誘ってみてください」
「……もし断られたら?」
「こっそり後をつけ真偽を確かめましょう。安心してください、私も一緒に行きますから。こう見えて尾行は得意なんですよ」
「でもそんなことしたら綾小路くんに悪いというか……」
「いいんですよ。一之瀬さんを泣かせる悪い男のことなんか気遣う必要はありませんっ!」
さっきまで頼りになる後輩って言ってたのに!?
でも、その無茶苦茶さや自信満々に言い切る姿勢になんだか救われる気がした。
「確かにくよくよしてても始まりませんよね。その作戦でよろしくお願いします」
「はいっ!それに話を聞く限り一之瀬さんは全然悪くありません。私が保証します」
その後、少しだけ軽くなった足取りで橘先輩と学生寮へ帰ることができた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日の放課後。生徒会室。
「綾小路、これが当日の曲リストだ。BGM生演奏の大役を任せてやるんだ。卒業式までにしっかり練習しとけよ」
「わかりました」
南雲先輩から資料を受け取る綾小路くん。
卒業式中は綾小路くんがピアノを演奏するようで、きっと上級生も心打たれる素敵な式になりそうだ。
……綾小路くんのピアノの演奏というと誕生日サプライズを思い出す。
あの時から助けてもらってばっかりで、あの頃はただただ一緒に居るだけで楽しかった。
「それじゃオレはこの辺で」
「あのっ!綾小路くん、今日こそ一緒に帰らない?」
「……悪いが、今日も先約がある」
「用事が終わった後でもいいし、私いくらでも待つよ?」
「いつ終わるかわからないからな、待たせるのは忍びない」
そう言い残し綾小路くんは生徒会室を出ていく。
「帆波!俺は今日空いて――」
「じゃ、私も帰りますね。お疲れ様でした」
「……おう、気を付けてな」
怪しまれないよう綾小路くんとは反対側へ向かい、橘先輩にチャットを送る。
『やっぱり駄目でした』
『大丈夫、想定内です。いまホシは玄関へ向かっています。外へ出たところで合流しましょう』
『了解です』
どこからか綾小路くんをマークしている様子の橘先輩。本当に尾行慣れしていそうだ。
急いで玄関へ向かって橘先輩を探す。
『後方100m茂みの中』
先輩の姿が見えずに焦りを感じたところでそんなチャットが届いた。
「こんなところに潜んでいらっしゃったんですね」
茂みの中に屈んで身を隠す橘先輩を見つける。
なぜかサングラスをかけ、トレンチコートを身にまとっている。
「相手は綾小路くんですから、迂闊に近づけば気づかれます」
「なるほど」
格好はともかく、距離をとる理由はこれ以上ない説得力だった。
「でもここから尾行は難しいんじゃないですか?」
「そこでまずはこれをどうぞ」
そう言って手渡されたのは双眼鏡。
……橘先輩はさっきまでサングラス越しにこれを使っていたのだろうか。
「ホシは10時の方向、体育館へ続く道を移動中です。覗いてみてください」
「あ、見つけました。って、あれは……朝比奈先輩!?」
双眼鏡で覗いた先にいた綾小路くんは朝比奈先輩と何やら話し込んでいた。
約束の相手は朝比奈先輩だったってこと?油断した、同学年ばっかりライバル視してたけど、朝比奈先輩とは茶道部経由で仲良しなんだ……。
綾小路くんは落ち着いてるし、同年代よりも年上が好みだったってこと?
「うーん、2人で何を話してるんだろ」
気になるあまり思わず声に出してしまう。
「ふふふ、一之瀬さん。そんな時はこのガジェットの出番ですね」
そんな私の独り言に反応して橘先輩がコートの中から取り出し手渡してくれたのは、イヤホンと……課外授業で先生が持ってそうなメガホンのようなもの。
「これは超高性能の指向性集音マイクです。ターゲットへ向けてトリガーを引けば、その間、音を拾ってくれます。100m先ぐらい楽勝の優れモノですよ」
普段橘先輩はこれで一体何を?というのは野暮なツッコミかもしれない。
この学校で戦うためには情報戦も重要だよね。
深く考えることは止め、今ここに便利な道具があることに感謝をして早速使用してみる。
さっそく片耳につけたイヤホンから雑音に紛れ、2人の会話が聞こえてきた。
『朝比奈先輩、黒髪似合ってますね。普段のギャップというか清楚な印象を受けます』
『そう?清隆ってお世辞が上手いんだから。私としてはトレンドマークのヒマワリ外さなきゃで落ち着かないんだよねー』
き・よ・た・か!!?
「これはホシの確保まで秒読みでしょうか」
同じく片耳にイヤホンをつけた橘先輩がそんなことを呟く。
「あ、でも、朝比奈さんって、仲の良い人は名前で呼びですね。南雲君は雅ですし、一之瀬さんは帆波ですし」
橘先輩の言う通り、ただギャルのコミュ力が高いだけの可能性もある。
でもよくよく考えたら朝比奈先輩はなぜか綾小路くんのファンクラブ会員なんだよね。
南雲先輩のファンクラブには入ってないのに……いや、比較対象が南雲先輩じゃ判断材料にはならないかも。
『もーさ、こんなルール誰が決めたんだよって感じ。雅に聞いても答えてくれないから、清隆なら教えてくれるかもって思ったんだけど』
『残念ながら、オレも副会長ではありますが、南雲会長のもとでは下っ端扱いなのでよく知らないんです』
『あー、雅が上じゃしょうがないね。ご愁傷様』
『朝比奈先輩がもっと後輩は大事にしろって説得してくださってもいいんですよ』
『無理無理。雅に意見できるなんて、溝脇&殿河コンビぐらいじゃないかな』
「あの2人のことは苗字呼びなのが切ないですね」
橘先輩がそんなことを呟いているけど、あまり頭に入ってこなかった。
何だか楽しそうに話している様子の2人が気になって仕方がない。
『ま、知らないなら仕方ないか。できれば次にこんなルールを見つけたら学校に抗議してくれると嬉しいかな』
『約束はできませんが、覚えておきます』
『うん、それじゃ呼び止めちゃってごめんね』
『いえ、まだ時間に余裕はありましたので』
そんなやり取りをして去っていく朝比奈先輩。
どうやら偶然綾小路くんを見かけて声を掛けただけだったみたい。
深呼吸をして心を整える。
「あ、綾小路くんが体育館裏の方へ曲がりました。追いますよ、一之瀬さん!」
「え、あ、はい」
慌てて橘先輩の後に続く。
体育館裏――奇しくも以前、私が綾小路くんに恋人のフリをお願いした場所。
まさか、ね?
体育館裏のお約束イベントと言えば……が頭を過ぎったので撃ち落としておく。
「誰かを待ってるみたいですね、あっちの建物の影から観察しましょうか。あそこなら音もよく聞こえると思いますし」
馴れた動きで潜伏ポジションを見つけ出す橘先輩。
もうツッコむのはやめよう。
ひとまず『先約がある』という話は本当だったようだ。
「いざとなればハト(ドローン)を飛ばして証拠写真を撮影する準備もあります」
「橘先輩!?」
「あ、誰か来ましたよ」
橘先輩の声に、私も双眼鏡を覗く。
「あれは……Aクラスの六角さん?」
「どうやら彼女が待ち合わせの相手みたいですね」
姿を現したのはAクラスの六角さん。
確か綾小路くんのファンクラブにも入っていたはず。
少し顔を赤らめてもじもじしている様子がここからでもわかる。
――ということは、六角さんの用事を想像するのは難しくない。
『こんな時に呼び出しちゃってごめんね』
『いや、構わない』
『綾小路くんは優しいんだね』
『このくらい当然だ。それで要件を聞いてもいいか?』
『えっと、あー、思ったより勇気がいるなぁ。……あのね、もうすぐホワイトデーだよね』
『そうだな。今週の日曜日だったか』
『もしかしたら、ホワイトデーに綾小路くんが誰かと付き合っちゃうかもって思ったら居ても立っても居られなくなっちゃって……』
『というと?』
『だから……私、綾小路くんのことが好きです。よければお付き合いしてください』
頭を下げ手を差し出す六角さん。
どんな状況だとしても人の告白を盗み見るのはよくない。
双眼鏡から目を離す。
「ど、どうしましょう、橘先輩。人の告白を盗み見するのは――」
「わわわわー、大変なことになってきましたー、わわわわー」
隣で私以上に動揺している橘先輩。
そんな姿を見ていると少し私も冷静になれた。
綾小路くんの返事は気になるけど、今はこの場を離れるのが人として正しい判断だ。
『悪いが六角とは付き合えない』
橘先輩を正気に戻して立ち去ろうとしたところで、綾小路くんの返事が聞こえてきてしまい2人で思わず顔を見合わせる。
『……そうなんだ。えっと、参考までに理由を聞いてもいいかな』
『一つ断っておくが六角が悪いんじゃないんだ。単純にクラスが違うから、という理由だな』
『クラスが違っても交際はできるよ?』
『それはそうかもしれないが、六角はAクラス。タイミングといい、今度の試験のために坂柳から送り込まれたスパイの可能性も考えられる』
『そんな。私、スパイなんかじゃない』
『六角がそんなことをする人間じゃないということはわかっている。ただ例えばだが、試験の度に好きな相手を疑わなくてはいけない交際はお互いに辛いと思わないか?最初は良くても、ちょっとした会話が相手からクラスの情報を引き出しているように感じるようになるかもしれない』
『それでも――』
『それでも、両者に信頼や愛があれば乗り越えられるかもしれない。だが、もし、何かしらクラスの情報が漏れた際に、真っ先に疑われるのは自分のパートナーだ。大事な相手を危険に晒すようなマネはオレにはできない。わかって欲しい』
『そっか。うん、やっぱり綾小路くんはすごいんだね、そこまで考えてくれてたなんて思わなかった。……これからもファンとしてなら一緒に居てもいい?』
『もちろんだ』
『それと、私たちAクラスだからさ、綾小路くんの実力なら移籍とか引き抜きで一緒のクラスになる可能性もあると思うんだ。そしたら、もう一度今の話考えてくれたりする?』
『その時は、再考することを約束する』
『ありがとう!!今はその答えを聞けただけで十分だよ。今度の試験では敵同士だけど、私、綾小路くんのことはこっそり応援してるからっ!』
身体のあちこちから力が抜けてその場にへたり込む。
「一之瀬さん?」
遠くで私を呼ぶ橘先輩の声が聞こえたような気がしたけど、反応することができない。
私の頭の中はある思考がぐるぐる回り、パンク寸前だった。
え?今の話ってつまり……同じクラスでなければ交際するつもりはない=同じクラスなら交際できる=同じクラスになりたいんだ=オレと付き合ってくれってことなんじゃないかな。
えっと、えええ?あれれ、じゃあもしかして、あの時のあれは……。
一気に頭が熱くなり湯気が出てもおかしくないような火照り具合。
あの時、綾小路くんらしくないって感じたのは、つまり綾小路くんとしても慣れないことを言おうとしたから変になっちゃったってこと??
わ、わかりにくいよ、綾小路くん。
あ、でもそれなら私の退学は許さないって言ってた辻褄も合うかも。
そうと知ってれば私だって……。私だって?
今度はすっと熱が冷めていく。
そうと知っていたら私はなんて答えたかな。
クラスの誰かを見捨てて、綾小路くんと交際する道を選んだ?本当に?
……いや、それは私じゃない。
結局、相当悩んだ末に、綾小路くんには謝って、クラスメイトを救う道を選ぶ。
そのことだけは自信を持って断言できる。
でも、綾小路くんだってそのくらい想像できるんじゃないだろうか。
クラスメイトを切る決断ができるような私の変化に期待していた?だから裏切られた気持ちになったとか……。
いや、断られるのが前提でその後の私に何かを求めていた……?
真相はいくら考えてもわからない。
事実として、何も知らなかった私は彼の真意もわかろうとせず、傷つけてしまった。それだけは変わらない。
「一之瀬さん、そろそろ冷えてきました。せめて室内に移動しませんか?」
「えっ?」
橘先輩の声に我に返るとすっかり日が暮れている。
「いつの間に……」
「気持ちはわかります。怒涛の展開でしたから。……もう2人とも帰ってしまいましたし、これからどうしますか?」
「帰り道、歩きながら少し相談してもいいですか?」
「もちろんですよ」
暗くなった通学路を2人でゆっくり歩く。
夜空を見上げ綾小路くんの考えを知って、これから私ができることをぼんやりと思い描いてみる。
我ながら馬鹿げているなと思う。
でもこれしかないのだろう。
「橘先輩、ひとつだけ聞いてもいいですか?」
長い沈黙を破る一言に橘先輩は黙って頷いてくれる。
「もし、橘先輩が堀北先輩と違うクラスだったら、それでも今みたいに支え続けることができましたか?」
そうですね……と呟いた後、うーんとしばらく考えこむ。
とても意地悪な質問だという自覚はあるけど、聞かずにはいられなかった。
この答え次第で私の進む道の決心がつく、そんな淡い期待。
「今と変わらず支えています!私が尊敬し惚れこんだのは、Aクラスの堀北君ではなく、1人の人間としての堀北君ですから。……と、心情の面では思うのですが、実際問題、今と同じとはいかないでしょうね。堀北君は他クラス生と自クラス生との線引きはちゃんとする方です。生徒会の活動関係なら一緒に歩めると思いますが、それ以外でお側にいることは叶わない。悲しいですが、これがこの高校の学生生活の現実だと思います」
私が出会った中でも理想の関係を築いていた2人の別の可能性。
そんな2人ですらどうしようもない壁。前提条件が異なるため、私たちは憧れていた2人の様にはなれない。
「そうですか。……難しいことを聞いてしまってすみません。ありがとうございます」
「いえ。でも校内にはクラスが違っても交際する男女の例はそれなりにあります。綾小路くんの主張はもっともですが、だからといって――」
「大丈夫ですよ、橘先輩。今のお話を聞いて、私も覚悟が決まりました」
でもこうも考えられる。
そんな状態からでも並んで歩むことができたのなら、憧れを超えることができたことになる。
きっと綾小路くんは既知の関係性よりも見たことがない新しい関係の方に惹かれる、そんな気がする。
なら、目標はこの2人を超えていくこと。
「なんだかすごいすっきりしました。心の中のモヤモヤが晴れた感じがします」
「もう心配いらないみたいですね、顔色もとてもよくなりましたよ」
「ご心配おかけしました」
「先輩として当然のことをしただけですから。それに私も綾小路くんに関して気づいたことがあります。全く、卒業前にひとつ仕事が増えてしまいました」
やれやれといった口調ではあったものの、橘先輩はどこか嬉しそうにしていた。
「だから、一之瀬さんは一之瀬さんの信じる道を進んでください」
「はい」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝。学生寮。
自動販売機の裏で様子を伺っていると、少し眠たそうな綾小路くんがロビーから出てきた。
「おい、綾小路。ちょっとツラ貸せよ」「綾小路くん、おっはよー!!」
「ん、帆波?」
「南雲先輩もおはようございます。すみませんが、今日は私に綾小路くんを譲ってもらいます。行こう、綾小路くん」
キョトンとする南雲先輩を置いて、綾小路くんの手を引っ張り有無を言わさずに引っ張っていく。
「……一之瀬、意外と強引なところがあるんだな」
久々に名前を呼んでもらえた気がする。
「まだまだ綾小路くんの知らないことはたっくさんあるんだよ。だから、私の覚悟を一方的に伝えさせてもらうね」
困ったり、悩んだりした時は綾小路くんが助けてくれる。
綾小路くんさえいれば大丈夫。
そんな甘えが自分の中にあったことを痛感した。
気づかないうちに綾小路くんに依存し過ぎていたわけで、確かにそれなら距離を置かれても仕方がない。
むしろ、綾小路くんには先のことが見えていて、そうしてくれていた可能性もある。
隣に並び立ちたいなんて言っておきながら、フタを開けてみれば依存しているだけの相手に魅力は感じないだろう。
……きっとガッカリさせちゃったんだろうな。
「この前借りた200万ポイント、返済は少し待ってもらえるかな。具体的には1年ぐらい」
「あれは一之瀬に譲渡したつもりだ」
「ううん。そういうの良くないと思うから、利子をつけてしっかり返させてもらう。そうだね、10倍の2000万ポイントでどうかな?」
「闇金も真っ青な利率だな……どうしてそんなことを?」
「そのポイントを使って今度こそ私たちのクラスに招待したいんだ」
「そうか。もう必要はないとは思うが……」
「そうとも限らないよ。未来には色んな可能性がある、そうだよね」
「わかった。その時は、再考することを約束する」
「望むところだよ」
心の扉が閉じて鍵がかかっているなら、その鍵を見つけて開けてしまえばいい。
新しい目標と覚悟を胸に、その第一歩を踏み出す。
精一杯あがいてみせるよ。