3月24日、卒業式。
3年生たちの旅立ちの日がやってきた。
在学生側ではあるものの卒業式自体が初めての体験で、式の内容だけでなく旅立つ生徒、残される生徒の様子など観察対象は多々あり、興味は尽きない。
個人的にはピアノの演奏や書道のパフォーマンスなど仕事もあるため、忙しい一日となりそうだ。
登校の時間が近づき、そろそろ部屋を出るかと思ったところでチャイムが鳴る。
誰かと約束をした覚えはないのだが……。
疑問に思ったが、アポなしでの来訪なら大した用でもないだろう。
居留守を選択する。
気配を消し数分待ったところで今度こそ登校しようとドアを開けた。
「おはようございます、綾小路くん」
ドアを閉めた。
どうやら昨日の疲れが出たらしい。変な幻覚をみた。
洗面台へ移動し今一度顔を洗い、落ち着いたところで再びドアを開ける。
「綾小路くん、ご存知ですか?幼馴染というものは毎朝部屋にやってきて、起床を手伝い、一緒に登校するものだそうです」
フフッと笑顔を見せる坂柳。この無茶苦茶っぷり、さては幻覚じゃないな。
「……その幼馴染は、少なくとも筋骨隆々のマッチョに乗っては来ないんじゃないか?」
ここまではいつものスタイルできたのだろう。坂柳の後ろには葛城もいた。
「綾小路、お前は1人じゃない。少なくとも俺は友人だと思っている」
「葛城は葛城で何を言っているんだ?」
月城の襲撃以来、久しぶりに坂柳を乗せている葛城だが、こっちはこっちで何を考えているのかわからない。
大丈夫か、Aクラス。
「ケガはもういいのか?」
「ああ。だいぶ回復した。高円寺特製のプロテインが効いたんだろう」
一体全体、卒業式の朝から何を聞かされているんだろうか。
全てにツッコミを入れていたら遅刻しかねない。
「新手の嫌がらせだとしたら大成功だ」
「何をおっしゃっているんですか?そんなことより、このままでは遅刻してしまいます。早く私たちの学び舎に向かおうではありませんか」
「綾小路、悪いようにはしない」
「……仕方ないか」
ここで何を言っても坂柳は折れないだろうし、玄関前に居座られると目撃情報が増えるだけ。
諦めて自称幼馴染の坂柳(正確には葛城)と隣り合って登校することになった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
外は快晴で、気持ちの良い朝と言える――隣にこいつらが居なければだが。
「天気が良くて気持ちがいいですね、綾小路くん」
「奇遇だな、オレも似たようなことを考えていた」
「ふふ、幼馴染は似てくる、ということでしょうか」
停戦状態にあるからか、以前のような殺気は感じられず、憑き物が落ちたようにすっきりとした様子の坂柳は幼馴染を満喫しているようだ。
こちらとしては、未だにこの手の分野への有効な対応がわからないだけに戸惑うことも多い。
これなら事あるごとに勝負、勝負とうるさかった坂柳の方が幾分マシだったかもしれない。
「その『幼馴染』についてだが、クラスで誤解を解くの大変だった」
「誤解などありませんよ?というのは意地悪が過ぎるかもしれませんね。ただ、この一年で綾小路くんはすでに学校の中心人物となっています。今更この程度の話ぐらいで何かが変わることはないと判断しました」
恐らく、オレが当初の予定通り目立たない平穏な生活を送っていれば、その意を汲んでいたずらに乱すことはしなかったのだろう。
だからと言って、毎朝一緒に登校など許可することはできない。
「仮にもAクラスのリーダーと
第三者から見れば、2クラス間で何かしらの取引、協力関係があると判断されたり、クラスの裏切りを疑われたり、面倒な誤解をいくつも生み出す。
「そのための幼馴染というわけです。何の関係もない対立クラスの生徒同士が毎日一緒に登下校しては問題もありますが、幼馴染ならそれが許されます」
「……」
今、さりげなく下校も入れてなかったか?
「安心してください、何か問われたとしても『幼馴染ですから』で解決することでしょう」
オレの常套句『生徒会だからな』みたいに言ってもダメなものはダメだろう。
「坂柳、その辺にしておけ。あまり綾小路を困らせるな」
「葛城、お前……」
坂柳側と思われた葛城から、まさかの救いの手が差し伸べられる。
さすが友だち宣言をしてくるだけはある。
葛城、オレとお前は確かに友だちだったようだ。
「綾小路、誤解して欲しくないが、俺たちが目立つことは護衛の観点からメリットだ」
「護衛?」
再び雲行きが怪しくなる。
友だちってなんだっけ……。
「例の月城理事長代理の件だ。坂柳に聞けば、綾小路をつけ狙う悪漢らしいじゃないか。こうして俺たちと行動を共にし、周囲から注目されていれば簡単には手出しできない」
「そういうことです。決してこれは私の個人的な我が儘などではなく、綾小路くんの身を案じての行動というわけです」
なるほど、そういう話で葛城を丸め込んだんだな、坂柳。
理屈はわかったが、月城がいる限りこの2人と一緒に登下校する生活と、月城がいきなり道端で奇襲をかけてくるかもしれないリスクを天秤にかけると……。
「……たまにならいいかもな」
「ええ。妥協点としては十分ですね」
月城の他にもエージェントを大勢送りつけて有無を言わさず誘拐できるのであれば、今まで実行しないはずがない。
ホワイトルーム側の動きが慎重である理由は、この学校がそれだけ力を持っている証拠でもある。
100%無いと切り捨てるのは危険だが、あくまで学校のルール範囲内で退学に追い込む計画をしている可能性が高い。
だが、ブラフでしかないが、こちらもあらゆる対策をしていると牽制できる意味で、オレの事情を知る唯一の生徒、坂柳と一緒に行動する機会はあってもいい。
その場合、坂柳たちを巻き込むことになるが、本人たちが進んで巻き込まれに来ているため、どうしようもない。
「それで本当に大丈夫なのか?綾小路、坂柳」
「お互いの都合もありますから。毎日でなくとも一緒に登下校する日があるだけで、襲撃日を絞らせない役割は果たせます」
「そういうものなのか。だが十分注意するんだぞ、綾小路」
「ああ」
自由を求めてこの学校に来たはずが、徐々に行動を制限されていくことに煩わしさを感じずにはいられなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
学校の下駄箱で坂柳たちと別れ、やっと自由になったと思った矢先、急に腕を掴まれる。
「おはよう、綾小路くん、ちょっといいかな?もちろん嫌とは言わないよね?」
一難去ってまた一難――振り返った先にいたのは、天使のような悪魔の笑顔の櫛田だった。
拒否できるはずもなく、ずるずると人気のない場所にある用具室まで引っ張られていく。
中に入りドアを閉め、他に人がいないことが確認できると天使のような悪魔の笑顔も終了し、悪魔による悪魔の笑顔のような何かが表に出てくる。
「昨日はさ、『幼馴染は坂柳の誇張表現』だとか、『親同士が知り合いで昔一度だけ会ったことがあったらしいがオレは全く覚えていなかった』だとか、そんなこと言って関係を否定してたくせに、なんで坂柳さんと一緒に登校してたのかな?」
「幼馴染だからな」
「なめてんの?」
「すみません」
やっぱり駄目じゃないか、坂柳。
「ちょっと込み入った事情があってあまり1人で登校しない方が良いという状況なんだ。幼馴染云々やあの2人が特別というわけじゃない。何なら今度2人で登校するか?」
「えっ……あ、うん、する……じゃない、してあげてもいいけど」
「なら話は以上だ。卒業式の準備があってな、失礼させてもらう」
「あっ、ちょっと――」
櫛田が油断したすきに用具室から飛び出し、逃げ出すことに成功した。
のだが……。
「どうしたの、綾小路くん、こんなところから飛び出して」
バッタリと出くわした一之瀬が問いかけてくる。
一難は何度戻ってくれば気が済むんだ。3年生と一緒に卒業して欲しい。
「ちょっと探し物をしていたんだ」
当然、櫛田と2人で用具室にいた、とは言えない。
本当にやましいことはひとつとしてなかったのだが……。
「それは大変だね。探すの手伝おうか?」
「いや、丁度見つかったところだ。さっきはその嬉しさで飛び出してしまったんだ」
「綾小路くんらしくないよね?」と言われてしまえばそれまで。
自分でも苦しい言い訳だとは思うが仕方がない。
用具室の中の櫛田も、オレたちの話声が聞こえたことで不用意に出てはこないだろうが、他に出口もないため、今、一之瀬に入られるのはよろしくない。
「そうなんだ。これから卒業式のリハーサルだし遅刻しないようにね」
「ああ。このあとすぐ向かう」
「うん。今日の綾小路くんの活躍、楽しみにしてるから」
そう言って先に体育館へ向かう一之瀬。
ちょっと拍子抜けした形だが、修羅場にならないならそれに越したことはない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
体育館の入り口で待機していると、入場のアナウンスが聞こえてきました。
「いよいよですね……。長かったような、あっという間だったような、そんな3年間でした」
この学校で過ごした3年間の、本当にたくさんの色んな出来事が自然と浮かんできて、つい涙が溢れそうになります。
前に進みたいのに、名残惜しいような、まだここに留まっていたいような……みなさんと歩んだ学校生活を終わらせたくない、お別れしたくない、そんな気持ちが邪魔をして――。
「そうだな、橘」
堀北君がそっと肩に手を置いてくれました。
そして入場曲の威風堂々が――ピアノの演奏が聞こえてきたことで、ハッとします。
「生意気な後輩にからかわれるようなかっこ悪い姿を見せるわけにはいきませんね」
『泣き顔は似合わない』と以前そんなことを言ってくれた後輩の無愛想な顔を思い浮かべながら、胸を張って会場へ踏み込みました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
不思議な空気だった。
これまで全校生徒が集まる機会は何度かあったが、どれにも当てはまらない独特の緊張感が体育館を満たす。
静かな空間にオレの弾くピアノの音だけが広がっていく。
哀愁、という言葉が一番近いのかもしれない。
ただ、ピアノ越しに見える卒業生のほとんどはクラス関係なく真っすぐと前を向いていて、その表情は晴れ晴れとしていたり、涙をこらえていたり、真剣なものであったりと様々だが、悲観的なものではなさそうだ。
『泣きじゃくっているのでは?』と予想していた橘は、意外なことに凛とした表情でステージを見つめていた。
一瞬、出会った頃の橘を彷彿とさせたが、あの頃とは違い、変な硬さはなく堂々として頼もしさのようなものさえ感じる。
そんな様子を見て『ああ、この人たちは卒業するんだな』と本当の意味で認識することができた。
そうして卒業式の進行は粛々と進んで行き、校歌斉唱や校長、理事長の挨拶、在校生代表(南雲)の送辞など取り立ててコメントすることはないのだが、強いて挙げるなら卒業証書をクラス代表で受け取った学が、一瞬だけ、頬を緩めたような気がしないでもなかった。
そんな学が卒業生代表の答辞のため、名前を呼ばれ壇上にあがっていく。
予定にはなかったが、せっかくなので登壇に合わせて『新世界より』を演奏してみる。
仰々しくなりすぎてしまったかもしれないが、このくらいの雰囲気に呑まれる男でもないだろう。
「答辞。梅の香りに春の息吹を感じるこの日、我々は卒業式を迎えました――」
予想通り、学は落ち着いた様子でゆっくりと話し始めた。
まずは卒業式に対する感謝などを述べ、話は3年間の学校生活へと移っていく。
「――私事ではありますが、この3年間、生徒会を通して微力ながらも学校の伝統を守るべく活動してきたと自負しています」
過酷なクラス争いの中、それでも学校のため、生徒のためにと多くの時間を使ってきた学の姿を間近で見てきた。
オレにはマネの出来ないことだ。
「伝統を、正しさを貫くことは簡単ではなく、多くの困難と対峙することもありました。それでも乗り越え今日この壇上に立つことができたのは、支えてくれた仲間たちのおかげです」
穏やかな表情で語る学は、生徒たちへと想いを届ける。
それはきっとクラスの仲間であったり、生徒会のメンバーであったり、ライバルたちであったり……。
「どんな道を歩むにしても必ず壁は立ち塞がってきます。そんな時は、友を信じ、協力すれば道は開けると、先輩としての経験から後輩たちへ助言させてください」
『綺麗事だ』と思う生徒はいなかっただろう。
目の前で語る男が、それを実行し、Aクラスで卒業していく。これ以上の説得力はない。
「――正直に申し上げると一時期はこの学校の未来を不安に思うこともありました。学校の伝統を重んじるばかりで、後輩の指導を疎かにしてしまっていたのではないかと、先輩として道を示せていなかったのではないかと、責任を感じることもありました。ですが、嬉しいことにそれは杞憂でした。この1年間、後輩の皆さんの成長を肌身で感じ、安心してこの学校を卒業することができると、心の底から感じています」
学がいつ頃そう考えなおしたのかはわからないが、オレを生徒会に勧誘したあとから少しずつ変化していったように思う。
この一年の出来事を通じ、妹への対応や南雲の方針への理解など、学もまた成長した。
「――3年間、本当にありがとうございました」
盛大な拍手が送られる中、ステージから降りていく学。
降壇時に考えていた曲の演奏はやめて、その後ろ姿をしっかり目に焼き付けておくことにした。
今はただ、少しでも学の意思を継ぐ生徒が出てくることを祈りたい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
早いもので卒業式もあとは閉式の辞だけです。
この後は、在校生が退場して、卒業生はこのまま謝恩会の予定。
相変わらず綾小路くんの演奏はハイレベルで、周りのみんなも驚いていました。
思わず『私が育てた自慢の後輩です』と言って回りたくなりましたが、がまん、がまん。
最初の頃は勉強会をするというだけで逃げ出していた引っ込み思案の彼が、こんなにも積極的に活動してくれるようになったのは、綾小路くん自身の努力に他ならないんですから。
そう思うと、最後に我が子が成長した姿を見ることができたようで、目頭が熱くなってしまいます。
あわわ、ここで泣いてしまっては堪えてきたのが水の泡。
次の曲の予想でもして気を紛らわそうと綾小路くんの方を見た時でした。
なぜか立ち上がる綾小路くん。
そしてどこからともなく現れた南雲くんが司会の方からマイクを受け取っています。
「最後に卒業生のみなさんへ、ささやかながら生徒会からサプライズイベントをお贈りします!」
南雲くんの陽気なアナウンスで、これまでの雰囲気が一変し、会場がどよめきます。
ステージ袖から殿河&溝脇コンビが、2人の身長よりも大きなキャンバスのようなものを運んできました。
大きな筆を抱えた一之瀬さんとバケツを持った桐山くんも後に続きます。
「これから書道に人生を捧げた我が生徒会の副会長、綾小路清隆が卒業生の皆さんに魂の籠った熱い感動間違いなしのわくわくハッピーなウルトラメッセージをお届けです」
その言葉で、卒業生も在校生も期待に胸を膨らませ、これから始まるイベントを盛り上げようと歓声を送りはじめました。
壇上に上がった綾小路くんが、一之瀬さんから筆を受け取ります。
そして他の生徒会メンバーが支えている大きな用紙と向かい合いました。
どんな字をどんな風に書いてくれるのか、会場のみなさんの注目が綾小路くんに集まっていきます。
ところが、ピタッと動きが止まり、微動だにしない綾小路くん。
じっと紙を見つめているようです。
……何かあったんでしょうか。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
まっさらな特製の用紙を前にしてオレは考えていた。
書き始めないのは、直前の南雲の馬鹿みたいなアナウンスで無駄にハードルが上がったせいではない。
ただ――。
なし崩し的に書道パフォーマンスをすることになったあとのことを思い出す。
「それで生徒会長サマ、何て文字を書けばいいんですか?」
「喜べ綾小路、今回はお前に一任してやるよ。文字数の指定はないが、尺は5分以内だ。3年の先輩方が喜ぶ、卒業式らしい言葉を頼むぜ」
そう言って南雲は自分の業務に戻っていった。
あれこれ注文を付けてくるとばかり思っていたが……何かあった場合の責任を押しつける算段か?
「どうしたの、綾小路くん」
表情に出ていたのか、一之瀬が不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「いや、南雲が全部任せてきたのには裏があるんじゃないかと考えていた」
「どうだろう、ないとは言えないけど……さすがの南雲先輩も卒業式を台無しにするようなことはしないんじゃないかな。きっと綾小路くんに任せた方がいいものができるって思ったんだよ」
「そんなことあり得るのか……?」
これまでの南雲の素行を知っていてもそんな発想ができるのは一之瀬ぐらいじゃないだろうか。
「南雲先輩も素直じゃない人だから。ちなみに何を書くかはもう決めてるの?」
「正直決めかねている」
さて、どうするか……。
オレがやっているのは詰まるところ模倣や模写。
具体的な文字の指定があれば難なく書くことができても、まっさらな紙に好きに書いていいと言われると、これと言ったものが思いつかない。
そもそも卒業式を知らない人間に卒業式に相応しい言葉を書け、と言うのは土台無理な話だ。
「なあ、一之瀬。参考までにこういう時、一般的にはどんな言葉が選ばれるかわかるか?」
「うーん、無難なところだと『感謝』みたいにお礼の気持ちを込めるか、『躍進』みたいなこれからの活躍を祈るとかになるんじゃないかな」
「なるほど」
「あ、だけど、元から正解はないんだし、綾小路くんが3年生に贈りたいと思った言葉で良いんだと思うよ」
「とは言っても一之瀬とは違って、主に関わったのは学や橘をはじめとした生徒会メンバーとファンクラブ会員ぐらいなんだが……」
情報として全校生徒を把握していても、直接面識があるのはごく一部。
「きっとそれでも良いんじゃないかな。私なんかが偉そうなことは言えないけど、不特定多数の人に届けようとしたら、さっき言った感じの無難な言葉になっちゃうし。それだと、本当に伝えたい想いがこもらない気がしない?」
「難しい話だな……」
正解のないものを一から生み出す。
オレがもし一般家庭で普通に育っていたら、こんなにも難しく思うことはなかったのだろうか。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
結局、本番のこの瞬間に至っても、何を書くか決めきれていない。
たくさんの候補を用意しておき、実際の卒業式を体感すれば、その中から相応しい文字を選べるのでは?と期待していたのだが……。
そんな都合の良いことは起きなかった。
10秒にも満たない思考時間だったが、これ以上動きがないとアクシデント発生かと思われかねないな。
それなら無難に『感謝』あたりにするか。
一之瀬のおすすめだ、間違いないだろう。
と思った矢先だった。
「綾小路くん、ファイトですよー!あなたならできますっ!!」
後方から力強い声が聞こえてくる。
誰の声かは振り返らずともわかった。
本当に心配性というか、面倒見がいいというか、動かないオレの様子を見て緊張が原因だとでも思ったのだろう。
その声に当てられたのか、ひとつ、またひとつと声が増えていき、あっという間に体育館は声援で溢れかえる。
だから、ではないが――オレは、大きな筆を抱え、バケツにいれた墨汁に筆先をつけた。
たくさんのことを経験した一年だったが、生徒会に入っていなければ体験できなかったことは多かった。
結局、平穏な生活からは遠ざかってしまったが……なるほど、これはこれで悪くはないのかもな。
一文字目を書く場所にあたりをつけ、筆を運ぶ。
なら、オレが届けたい言葉は――。
騒がしかった会場が一気に静まり返る。
丁寧かつ迅速に筆を進めていく。
1文字目、そして、2文字目を書き終える。
熟語としてはこれで完成だが、まだ筆は下ろさない。
作品としてはもうワンアクセント必要だ。
制限時間は5分、ゆっくりはしていられない。
伝えたいことを伝えるべく、全力で筆を振るっていく――――――。
作品を完成させ、一礼すると、卒業生はもちろん、在校生、教員からも大きな拍手が起こった。
思い付きで作ったが、どうやら間違いではなかったらしい。
そんな完成品を眺めながらふと思う。
2年後の自分はどんなことを考えてこの場にいるのだろうか。どんな言葉を贈られる人間になっているのか。
と、思考を巡らそうとしたところで、自分が2年後この場にいない可能性が頭から抜けていたことに気づく。
「以上、生徒会からの書道パフォーマンスでした」
南雲の挨拶に合わせ、舞台上の生徒会役員と共に一礼する。
こうして卒業式は幕を下ろした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
卒業式後の謝恩会会場の一角には、綾小路くんが書いてくれた作品が飾ってありました。
多くの生徒が写真スポットとして、お世話になった先生方や友だちと一緒に記念撮影をしています。
「堀北君、せっかくなので私たちもあそこで写真を撮りませんか?」
「俺もそれを提案しようとしていたところだ、橘」
堀北君と一緒に撮影待ちの列に並んでいると
「ホント深イイ言葉だよな。俺たちの3年間を表してるって感じがする」
「こっちの挿絵もいいよな……何かわかんないけど、努力が実るとか花が咲くとか多分そんな意味だよな」
「さすが生徒会、粋だねー」
「あの短時間でこのクオリティヤバすぎ」
なんていう声が聞こえてきて、みなさんが喜んでいることが伝わり、私も嬉しくなります。
そうしているうちに私たちの順番が回ってきました。
「綾小路くんはどんな気持ちを込めてくれたんでしょうか。いえ、深い意味なんてなくて、きっと見たままの意味ですよね、堀北『学』君」
「ああ、そうだな、『橘』」
大きな用紙には――――『学友』という2文字。
そしてその文字を彩るように、花と実の絵――『橘』が描かれていました。
※作品イメージ
「それでは二人とも笑ってくださーい。いいですね、撮りますよー」
最高の贈り物をしてくれた大事な『友だち』の顔を思い浮かべながら、にっこりと笑います。
この時撮った写真は、高校時代の思い出が詰まった一枚としてずっとずっと私の宝物です。
最後に出てきた作品イメージはあくまでもこんな構図でしたというイメージです。
※ホワイトルームの最高傑作の技量を再現できる自信はないため。
※橘のイラストはフリー素材をモノクロ加工して使用しています。